セフト
和名:セフト |
英名:Theft |
1932年生 |
牡 |
鹿毛 |
父:テトラテーマ |
母:ヴォールーズ |
母父:ヴォルタ |
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競走馬としては大競走制覇にあと一歩届かなかったが太平洋戦争終戦後の日本で5年連続首位種牡馬に輝いた幻の馬トキノミノルの父 |
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競走成績:2~4歳時に英白で走り通算成績16戦7勝2着3回3着2回 |
誕生からデビュー前まで
アガ・カーンⅢ世殿下により生産・所有された愛国産馬で、英国フランク・バターズ調教師に預けられた。同馬主同厩同世代にはバーラムという素質馬がいたのだが、「怠け者」だったバーラムよりも本馬のほうが仕上がり早いスピードを見せており、2歳当初はバーラムより本馬のほうが高い評価を受けていた。
競走生活(2歳時)
2歳6月にアスコット競馬場で行われたウィンザーキャッスルS(T5F)でデビューした。このレースには、英国三冠馬ゲインズボローと英オークス・デューハーストS・コロネーションS・ジョッキークラブSを勝った名牝トボガンの間に産まれた良血馬ボブスレーも出走していた。ボブスレーも後にリッチモンドS・ニューマーケットSを勝ち英チャンピオンSで2着する実力馬だったのだが、しかし本馬がボブスレーを2馬身差の2着に破って勝利した。
次走は7月にサンダウンパーク競馬場で行われたナショナルブリーダーズプロデュースS(T5F)となった。このレースは、あまりに調教を怠けるので業を煮やしたバターズ師が調教代わりに出走させたバーラムのデビュー戦でもあった。バーラムは単勝オッズ21倍の伏兵だったが、レースでは本馬とバーラムの一騎打ちとなった。最後はバーラムが競り勝ち、本馬は首差の2着に敗退。しかし斤量は本馬の131ポンドに対して、バーラムは122ポンドと9ポンド差があり、それで首差なら本馬のほうが実力上位であるとも考えられた。
その後はグッドウッド競馬場に向かい、ハムS(T6F)に出走して勝利。ノッティンガム競馬場で出走したブリーダーズフォールS(T5F)では133ポンドが課せられたが、それでも勝利した。10月にニューマーケット競馬場で出走したバッケナムS(T5F)では、2着フェアヘイヴンに6馬身差をつけて圧勝。2歳時の成績は5戦4勝で、2歳フリーハンデでは、ナショナルブリーダーズプロデュースSの後にロウス記念S・ジムクラックS・ボスコーエンS・ミドルパークSも勝って5戦全勝としたバーラムより1ポンド低い132ポンドで2位タイの評価を受けた。
競走生活(3歳時)
3歳時は英2000ギニーを目標として、4月のグリーナムS(T8F)から始動した。そしてニューSの勝ち馬ロビングッドフェローを1馬身半差の2着に破って勝利。それから英2000ギニー(T8F)に駒を進めた。このレースには、これが3歳初戦だったバーラムも出走していた。1戦叩いている分だけ本馬が有利なはずだったが、勝ったバーラムに1馬身半差をつけられて2着に敗れた。
次走の英ダービー(T12F5Y)でも、バーラムとの対戦となった。しかしバーラムだけでなく、グリーナムSで破ったロビングッドフェロー、リングフィールドダービートライアルSを勝ってきたフィールドトライアルの2頭にも後れを取り、バーラムの4着に敗れた。
バーラムと本馬はいずれもこの後にアスコット競馬場に移動した。バーラムのほうはセントジェームズパレスSに出走したが、本馬のほうはジャージーS(T7F)に出走した。ここにはこれといった強敵もおらず、本馬が132ポンドの斤量を克服して勝利した。
セントジェームズパレスSを勝ったバーラムは英国三冠馬が懸かる秋の英セントレジャーを視野に入れて休養入りしたが、本馬はジャージーSから1か月後のエクリプスS(T10F)に出走した。このレースでは、前年の英ダービー・英セントレジャーの他にコロネーションC・クリテリオンS・チェスターヴァーズ・ニューマーケットS・グレートヨークシャーS・ロウス記念Sも勝っていた現役最強古馬ウインザーラッド、本馬と同世代ながら出世が遅れて前走クイーンアンSを勝って2戦2勝の成績としていた大器フェアトライアルとの対戦となった。レースではフェアトライアルが逃げ、ウインザーラッドがそれを追走、本馬は後方待機策を採った。ゴール前ではフェアトライアルを競り落としたウインザーラッドを猛追したが、僅か3/4馬身及ばず2着に敗れた(フェアトライアルは本馬からさらに3/4馬身差の3着だった)。しかし勝ったウインザーラッドはこの激走で脚部不安が悪化したために、そのまま現役引退に追い込まれてしまった。
一方の本馬は、バーラムが出走予定の英セントレジャーには出ずにベルギーに向かい、同国最大の国際競走オステンド国際大賞(T2200m)に出走した。主な対戦相手は、パリ大賞・ビエナル賞の勝ち馬で前年の同競走・仏2000ギニー・ベルリン大賞で2着していたアドミラルドレイク、モルニ賞の勝ち馬で仏グランクリテリウム2着の牝馬コリーダだった。ここではアドミラルドレイクが勝って前年2着の雪辱を果たし、後に凱旋門賞を2連覇するコリーダが半馬身差の2着、本馬はコリーダからさらに首差の3着だった。
この直後に行われた英セントレジャーではバーラムが勝って9戦無敗で英国三冠馬となった。そしてバーラムはそのまま引退していったが、本馬のほうは英国に戻ってまだ走り続けた。そしてケンプトンパーク競走場で行われたデュークオブヨークH(T10F)に出走したのだが、クレートジュビリーHの勝ち馬ブリティッシュクォータの着外に敗れた。3歳時はこれが最後のレースで、この年の成績は7戦2勝だった。
競走生活(4歳時)
4歳時は4月にケンプトンパーク競走場で行われたローズベリーS(T10F)から始動して、ディーS・リヴァプールオータムCの勝ち馬ハイランダーを1馬身差の2着に抑えて勝利した。次走のコロネーションC(T12F5Y)では、ジョッキークラブSの勝ち馬プラッシー、ニューベリーオータムCの勝ち馬セシルなど3頭に屈して、プラッシーの4着に敗退。
その後は一間隔を空けて、前年に勝ち損なったエクリプスS(T10F)に向かった。しかしセントジェームズパレスSを5馬身差で圧勝してきた3歳馬ローズスカラーが2着ヒズグレースに6馬身差、3着フェアリーにはさらに4馬身差をつけて圧勝してしまい、本馬は4着に敗退。斤量差こそあった(本馬は133ポンドで、ローズスカラーは121ポンド。ちなみに上位3頭は全て3歳馬だった)が、着差が着差だけに完敗だった。
その後はしばらくレースに出ず、10月にニューマーケット競馬場で行われたライムキルンS(T10F)で復帰した。しかしナッソーSを勝ってきた英オークス2着の3歳牝馬バロウビージェムに2馬身半差をつけられて3着に敗退。このレースを最後に、4歳時4戦1勝の成績で競走馬引退となった。
血統
Tetratema | The Tetrarch | Roi Herode | Le Samaritain | Le Sancy |
Clementina | ||||
Roxelane | War Dance | |||
Rose of York | ||||
Vahren | Bona Vista | Bend Or | ||
Vista | ||||
Castania | Hagioscope | |||
Rose Garden | ||||
Scotch Gift | Symington | Ayrshire | Hampton | |
Atalanta | ||||
Siphonia | St. Simon | |||
Palmflower | ||||
Maund | Tarporley | St. Simon | ||
Ruth | ||||
Ianthe | The Miser | |||
Devonshire Lass | ||||
Voleuse | Volta | Valens | Laveno | Bend Or |
Napoli | ||||
Valenza | Winkfield | |||
Bellinzona | ||||
Agnes Velasquez | Velasquez | Donovan | ||
Vista | ||||
Agnes Galliard | Galliard | |||
Agnes Bentinck | ||||
Sun Worship | Sundridge | Amphion | Rosebery | |
Suicide | ||||
Sierra | Springfield | |||
Sanda | ||||
Doctrine | Ayrshire | Hampton | ||
Atalanta | ||||
Axiom | Peter | |||
Electric Light |
父テトラテーマは当馬の項を参照。
母ヴォールーズは現役時代5戦3勝。本馬の半弟にバラヒサーラ(父ブランドフォード)【デューハーストS】がいる他、本馬の半姉ヴェイユーズ(父アルカンターラ)の曾孫にフォントネイ【フォレ賞・ガネー賞】、玄孫世代以降にトランポリノ【凱旋門賞(仏GⅠ)】などが、本馬の半姉コールバザール(父ゲインズボロー)の曾孫に英国史上屈指の名短距離馬パッパフォーウェイ【キングズスタンドS・ジュライC】、玄孫世代以降にパークトップ【キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・コロネーションC】、リリックファンタジー【ナンソープS(英GⅠ)】、ロイヤルアプローズ【ミドルパークS(英GⅠ)・スプリントC(英GⅠ)】などが、本馬の半妹バコウ(父ブレニム)の曾孫にバルト【パリ大賞・アスコット金杯】、玄孫世代以降に日本で走ったマンオブパーサー【ダービーグランプリ(GⅠ)】などがいる。
ヴォールーズの半弟にはソラリオ(父ゲインズボロー)【英セントレジャー・コロネーションC・アスコット金杯】がいる他、ヴォールーズの半妹イメージリー(父ゲインズボロー)の子に愛国三冠馬ミュージアム【愛2000ギニー・愛ダービー・愛セントレジャー】、フィデアス【愛2000ギニー・愛ダービー】、玄孫世代以降に、シャーダリ【マッチメイカー国際S(英GⅠ)】、デュネット【仏オークス(仏GⅠ)・サンクルー大賞(仏GⅠ)】、フレンチグローリー【加国際S(加GⅠ)】などがいる。→牝系:F26号族
母父ヴォルタは主に短距離戦で活躍し、ジュライC・ヴィクトリアCなど9勝を挙げた。ヴォルタの父ヴァレンスは現役成績17戦7勝。ニューベリースプリングCを勝った他に、英セントレジャーでベイヤードの2着、グリーナムSでミノルの2着に入った実績がある。ヴァレンスの父ラヴェノはベンドア産駒。現役時代は11戦して僅か2勝だが、その2勝が英チャンピオンS・ジョッキークラブSだった。他に英2000ギニーでカークコーネルの2着の実績がある。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬はすぐに日本に種牡馬として輸入され、1937年から北海道日高の官営種畜場で供用された。しかしこの時期は、シアンモア(1927年輸入)、プリメロ(1936年輸入)の2頭を擁する三菱財閥経営の小岩井農場、トウルヌソル(1927年輸入)、ダイオライト(1935年輸入)、持込馬の月友(1936年から種牡馬入り)の3頭を擁する宮内省管轄の下総御料牧場の2つの牧場が凌ぎを削っていた時期であり、なかなか本馬が割って入る余地は無かった。
2年目産駒から京都農林省賞典四歳呼馬(現・菊花賞)を制したハヤタケ、3年目産駒から中山四歳牝馬特別(現・桜花賞)を制したミスセフトが出たが、小岩井農場や下総御料牧場にいた大物種牡馬と比べると見劣りした。
しかし太平洋戦争が終わる頃になると状況に変化が起こった。敗戦後に起こった財閥解体の動きに伴い三菱財閥所有の小岩井農場は馬産を禁止され、シアンモアやプリメロは種牡馬として活動する場を奪われた。下総御料牧場にいたトウルヌソルは終戦の前年に種牡馬を引退しており、本馬より5歳年上のダイオライトも種牡馬生活の晩年に差し掛かっていたため、種牡馬としての好敵手は月友くらいとなっていた。そのために遅ればせながら本馬の時代がやってきた。10戦全勝の“幻の馬”トキノミノルを筆頭に毎年のように八大競走(当時は有馬記念が無かったので七大競走と書くべきか)の勝ち馬を送り出し、1947年から1951年まで5年連続で全日本首位種牡馬を獲得した。特に1949年と1950年は、共に2位の2倍以上となる年間153勝(当時の年間最多記録。なお、当時は獲得賞金ではなく勝利数で種牡馬順位が決まっていたという話を何かで読んだ気がするが、思い出せないので確証はない)を記録するなど、圧倒的な成績を誇った。しかし本馬は、種牡馬として全盛期を迎えたこの1950年に18歳で他界した。
当時の日本競馬は基本的に短距離戦よりも長距離戦のほうが重視されていたが、本馬の産駒は仕上がり早いスピードを最大の武器としており、本来であれば時代に合っていなかった。それでも長距離戦で活躍した産駒が多く出たというのは、スタミナ自慢の馬を長距離戦で撃破できるほど卓越したスピードを有していたという事だった。
後世に与えた影響
本馬の後継種牡馬の役割は、最高傑作トキノミノルの夭折により、ボストニアン、シーマー、イツセイなどに託された。ボストニアンは失敗に終わったが、シーマーは皐月賞・菊花賞・天皇賞秋を勝ったダイナナホウシユウ、天皇賞春・朝日杯三歳Sを勝ったタカオーなどを出して成功。イツセイも皐月賞馬タイセイホープを出すなど健闘した。しかし本馬の直系は、その後に登場したクモハタ、ライジングフレーム、ヒンドスタンなどに圧されて衰退し、サラブレッドとしては1960年代頃に完全に滅亡した。その一方でアングロアラブとしてはかなり長期間生き残った。しかしアングロアラブの衰退によりこれも現在ではほぼ途絶しているはずである。しかし本馬は牝馬の活躍馬も多く出しただけに、本馬の牝駒から出発した牝系から登場した名馬は少なくない。テンポイントの祖母にして馬伝染性貧血誤診事件の主役となったクモワカ、グリーングラスの曾祖母ダーリング、オフサイドトラップの曾祖母である優駿牝馬勝ち馬チトセホープの母エベレスト、エリモジョージの祖母グローリアス、フレッシュボイスの曾祖母セフトニヤ、イナリワンの曾祖母ヤシマニシキ、バンブーメモリーの曾祖母ヤシマテンプル、ロンググレイスの曾祖母でキストゥヘヴンの4代母であるダイゴカナデアンガール、レオダーバンの4代母マイラブといった面々は本馬の娘である。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1939 |
ハヤタケ |
京都農林省賞典四歳呼馬(菊花賞)・京都記念 |
1940 |
ミスセフト |
中山四歳牝馬特別(桜花賞) |
1944 |
アスカヤマ |
京都記念 |
1944 |
シーマー |
天皇賞春 |
1944 |
セフテス |
目黒記念秋・目黒記念春 |
1945 |
ヤシマヒメ |
優駿牝馬 |
1946 |
キングナイト |
優駿牝馬 |
1946 |
コマオー |
ダイヤモンドS |
1947 |
アヅマホマレ |
朝日杯三歳S |
1947 |
ウイザート |
阪神三歳S・セントライト記念 |
1947 |
コマミノル |
優駿牝馬 |
1947 |
タカクラヤマ |
天皇賞春・朝日チャレンジC・鳴尾記念 |
1947 |
トサミツル |
桜花賞 |
1947 |
ハイレコード |
菊花賞 |
1948 |
イッセイ |
安田賞・カブトヤマ記念 |
1948 |
トキノミノル |
皐月賞・東京優駿・朝日杯三歳S |
1949 |
スウヰイスー |
桜花賞・優駿牝馬・川崎記念(川崎)・安田賞2回 |
1949 |
テツノハナ |
阪神三歳S |
1949 |
マサムネ |
セントライト記念 |
1950 |
イチジョウ |
クモハタ記念 |
1950 |
シマユキ |
中山大障害秋 |
1950 |
スヰートハート |
川崎記念(川崎) |
1950 |
ダイニカツフジ |
朝日チャレンジC・京都大障害秋2回 |
1950 |
ボストニアン |
皐月賞・東京優駿・NHK杯・鳴尾記念 |