コリーダ

和名:コリーダ

英名:Corrida

1932年生

栗毛

父:コロナック

母:ザリバ

母父:サルダナパル

4・5歳時に凱旋門賞を連覇した歴史上唯一の馬である仏国の歴史的名牝にして、第二次世界大戦末期に消息を絶った悲運の名牝

競走成績:2~5歳時に仏英白独で走り通算成績33戦13勝2着8回3着4回

誕生からデビュー前まで

仏国の名馬産家マルセル・ブサック氏により彼が所有するフレスネルビュファール牧場において生産・所有された仏国産馬で、仏国ジョン・E・ワッツ調教師に預けられた。

競走生活(2・3歳時)

2歳8月にドーヴィル競馬場で行われたヤコウレフ賞(T1000m)で、主戦となる英国人騎手チャーリー・エリオット騎手を鞍上にデビューしたが、後に本馬不在の仏1000ギニーを勝つことになるザナイルの2馬身半差3着に敗れた。しかしそれから9日後に出走したモルニ賞(T1200m)では、2着トゥリピエに3/4馬身差で勝利を収め、初勝利をこの大一番で挙げた。その後は仏グランクリテリウム(T1600m)に出走したが、ヤコウレフ賞で本馬に先着する2着だったパンペイロの頭差2着に敗れた。その翌週には年上の馬相手のフォレ賞(T1400m)に出走したが、ラクープドメゾンラフィットを勝っていた6歳牡馬ジュドレザンの着外に終わった。2歳時の成績は4戦1勝だった。

3歳時は仏国クラシック競走ではなく、英国クラシック競走を目指して、英国ジョージ・ラムトン調教師に一時的に預けられた。そして前哨戦を使わずに英1000ギニー(T8F)に出走した。しかし結果はメサの着外と振るわなかった。引き続き英オークス(T12F5F)に出走したが、後にアスコット金杯を勝つ単勝オッズ34倍の伏兵クワッシュドの着外に敗れた。さらにコロネーションS(T8F)に出走したが、英オークスで短頭差2着だったアンカレットの着外に敗れた。結局英国では全く振るわずに、仏国に戻ってきた。

その後はアスタルテ賞(T1600m)に出走したが、ペネロープ賞・フロール賞・ロンポワン賞・シュマンドフェルデュノール賞・エドヴィル賞を勝っていた1歳年上のレアリティの半馬身差2着に敗れた。次走はベルギーの国際競走オステンド国際大賞(T2200m)となった。前年のパリ大賞の勝ち馬で前年の同競走・仏2000ギニー2着・仏ダービー3着のアドミラルドレイク、グリーナムS・ジャージーSの勝ち馬で英2000ギニー・エクリプスS2着の同世代馬セフトなどが対戦相手となった。ここではアドミラルドレイクが勝利を収め、本馬は半馬身差2着、セフトはさらに首差の3着だった。

仏国に戻ってきた本馬は凱旋門賞(T2400m)に出走。アドミラルドレイク、仏共和国大統領賞・フォレ賞・コンセイユミュニシパル賞・セーネワーズ賞・アルクール賞の勝ち馬で前年の凱旋門賞2着のアシュエリュ、この年の仏2000ギニー馬カン、本馬不在の仏オークスを勝っていたペニシェ、前年の仏グランクリテリウムで本馬を破ったパンペイロ、ドーヴィル大賞・シェーヌ賞・ゴントービロン賞の勝ち馬で仏ダービー2着・仏共和国大統領賞3着のピングポング、ポモーヌ賞・ラクープドメゾンラフィットの勝ち馬で仏グランクリテリウム2着のサパラーデ、マルレ賞の勝ち馬サモス、ギシュ賞の勝ち馬ウィリアムオブバランス、前年のロワイヤルオーク賞2着馬アストロフェルなども出走してきたが、何と言っても最大の注目株は、ロベールパパン賞・モルニ賞・仏グランクリテリウム・仏2000ギニー・リュパン賞・ロワイヤルオーク賞・カドラン賞・プランスドランジュ賞も勝っていた前年優勝馬ブラントームだった。しかしレースは意外にも3歳牝馬が上位を独占。サモスが勝ち、ペニシェが首差2着、本馬がさらに首差の3着で、ブラントームは本馬からさらに1馬身半差の4着、アドミラルドレイクは5着に終わった。

本馬は引き続きコンセイユミュニシパル賞(T2400m)に出走した。現在では凱旋門賞とは雲泥の差をつけられているコンセイユミュニシパル賞だが、この当時は凱旋門賞の格が現在より低く、コンセイユミュニシパル賞の格は現在より高かったため、2競走の差は現在ほど無かった。そのために12頭立てだった凱旋門賞を大きく上回る22頭立てとなった。結果は凱旋門賞不参戦の3歳牡馬カムインが勝利を収め、本馬は短頭差の2着に惜敗した。

その後は仏国南部のマルセイユに向かい、ボレリー競馬場で行われたマルセイユ大賞(T2500m)というレースに出走。ここでは凱旋門賞で6着に終わっていたパンペイロを2馬身差の2着に抑えて勝利を収めた。しかし3歳時はこれが唯一の勝利で、この年の成績は8戦1勝だった。

競走生活(4歳時)

4歳時は4月のボイアール賞(T2000m)から始動した。しかし前年のイスパーン賞・グロシェーヌ賞を勝っていた1歳年上の牝馬レネットの1馬身差2着に敗れた。次走のジョンシェール賞(T1400m)では、前走ボイアール賞で3着だった3歳牡馬アンブローズライトに4馬身差をつけられて2着に敗れた。その後は2戦して1勝着外1回だったが、エドヴィル賞(T2000m)で2着アルカリに5馬身差をつけて圧勝した頃から本馬の快進撃が始まる。

前年に結果を残せなかった英国に再び遠征して出走したハードウィックS(T12F)では、後にいずれもコロネーションCを勝つヒズグレースやモニュメントといった地元英国の3歳牡馬勢を撃破して、2着ヒズグレースに2馬身差で勝利。地元に戻って出走した仏共和国大統領賞(T2500m)では、ジャンプラ賞・ギシュ賞を勝ち仏ダービーで2着してきた3歳牡馬ヴァテラーを3/4馬身差の2着に抑えて勝利した。

その後は独国のミュンヘンに向かい、ダスブラウネバンドフォンドイッチェランド(T2400m)なるレースに出走した。このレースは、当時の独国を支配していたナチスが発祥の地であるミュンヘンに創設した国際競走だった。強敵は、独2000ギニー・独ダービー・ベルリン大賞2回の勝ち馬シュトゥルムフォーゲル、そして独1000ギニー・独オークス・独ダービーなど9戦無敗のネレイーデだった。レースでは直線で先に先頭に立ったネレイーデに本馬が並びかけて叩き合いとなったが、ネレイーデが競り勝ち、本馬は1馬身差の2着に敗れた。その後は前年と同じくベルギーに向かい、オステンド大賞(T2200m)に出走した。対戦相手は、チェスターヴァーズ・プリンセスオブウェールズSの勝ち馬でこの年の英ダービーでマームードの2着していたタジアクバー、仏共和国大統領賞2着後にヴィシー大賞を勝っていたヴァテラーなどだった。ここでは本馬が2着タジアクバーに3馬身半差、3着ヴァテラーにもさらに3馬身半差をつけて完勝した。

次走は凱旋門賞(T2400m)となった。対戦相手は、ヴァテラー、2連覇を目指すサモス、前年の凱旋門賞では着外だったカン、同じく着外だったアストロフェル、この年のロワイヤルオーク賞・ドーヴィル大賞・リス賞の勝ち馬ファンタスティック、この年の仏1000ギニー・クロエ賞の勝ち馬ブルーベアー、ロワイヨモン賞の勝ち馬クジーヌ、マルレ賞の勝ち馬ラブコールなど9頭であり、前年のブラントームのような強敵はいなかった。そのために本馬が単勝オッズ1.8倍の1番人気に支持された。そしてその期待に応えて、2着クジーヌに1馬身半差、3着ファンタスティックにはさらに首差で勝利を収め、前年3着の雪辱を果たした。

その後はコンセイユミュニシパル賞には向かわず(クジーヌが勝っている)、英チャンピオンS(T10F)に向かった。しかし前年の同競走やケンブリッジシャーH・グレートジュビリーHを勝っていたウィッチウッドアボット、米国三冠馬オマハの全弟で前年のアスコット金杯でクワッシュドと大激戦を繰り広げた末に惜敗した兄の代わりに英国の大競走を勝つべくデビュー当初から英国で走っていたニューマーケットSの勝ち馬フレアズの2頭に後れを取り、勝ったウィッチウッドアボットから6馬身差の3着に敗れた。その後は前年と同じくマルセイユ大賞(T2500m)に出走して、2着となった同馬主馬ダジに1馬身差で勝利。4歳時の成績は12戦7勝となった。

競走生活(5歳時)

5歳時も現役を続け、この年はサブロン賞(T2000m)から始動した。しかし翌年の同競走でも2着することになる8歳牡馬シュショテールの着外に終わり、前年の凱旋門賞で破ったファンタスティック(3着)にも先着されてしまった。次走のボイアール賞(T2000m)では、3歳牡馬ルカルムの3馬身差3着に敗退。その後はルトランブレー競馬場でルトランブレー大賞(T2600m)に出走して、2着ダジに3馬身差で勝利。次走のサンカントネールC(T2000m)では、ロンポワン賞・エドモンブラン賞の勝ち馬サングイネットの首差2着だった。その後は英国に向かい、コロネーションC(T12F5F)に出走。しかし、グッドウッドC・クイーンアレクサンドラSの勝ち馬で前年の同競走2着のセシル、前年のハードウィックSで本馬の2着に敗れた後にエクリプスSで2着していたヒズグレースの伏兵2頭が同着で勝利を収め、本馬は着外に敗れた。地元に戻って出走した仏共和国大統領賞(T2500m)では、過去に何度も破っていたヴァテラー、ダジなどに屈して、ヴァテラーの着外に敗れた。

その後は3年連続出走となるオステンド国際大賞(T2200m)に参戦。サラマンドル賞・フォレ賞・ギシュ賞の勝ち馬で前走仏共和国大統領賞では本馬に先着する3着だったムッソンを3/4馬身差の2着に抑えて勝利した。その後は独国に向かい、ライヒスハウプトシュタット大賞(T2400m・現ベルリン大賞)に出走。前年のダスブラウネバンドフォンドイッチェランドでは着外に終わっていたが同競走3連覇を目指して出走してきたシュトゥルムフォーゲル、この年の独ダービー馬アーベントフリーデン、伊1000ギニー・伊オークスの勝ち馬で伊ダービー2着のアメリナなどが対戦相手となった。結果は、単勝オッズ3倍の1番人気に支持された本馬が、2着シュトゥルムフォーゲルに1馬身差、3着アメリナにはさらに1馬身1/4差をつけて勝利した。

そして連覇を目指して凱旋門賞(T2400m)に出走した。対戦相手は、シュトゥルムフォーゲル、ムッソン、サンカントネールCで本馬を破った後にイスパーン賞・エドヴィル賞を勝っていたサングイネット、仏共和国大統領賞で本馬を破った後にダスブラウネバンドフォンドイッチェランドで2着していたヴァテラー、仏共和国大統領賞で本馬に先着する2着だった後にヴィシー大賞・バーデン大賞を勝っていたダジ、ヴェルメイユ賞・クリテリウムドサンクルーの勝ち馬トンネル、仏オークス・ジャックルマロワ賞・クロエ賞の勝ち馬アンフロード、この年の英2000ギニーを4馬身差で快勝していたルクサール、デューハーストSの勝ち馬スルタンマホメッド、アルクール賞の勝ち馬ルデュック、リス賞・ケルゴルレイ賞の勝ち馬カスナダールの計11頭だった。結果は、ダジとのカップリングで単勝オッズ2倍の1番人気に支持された本馬が、2着トンネルに短頭差、3着ムッソンにさらに1馬身半差をつけて勝利を収め、1921・22年に連覇したクサール以来15年ぶり史上2頭目、牝馬としては史上初の凱旋門賞2連覇を達成した。凱旋門賞を2連覇した馬は2015年現在で、クサール、本馬、タンティエームリボーアレッジドトレヴの計6頭いるが、本馬以外の5頭は3・4歳時の連覇であり、古馬になって連覇したのは本馬のみである。凱旋門賞では3歳馬が斤量面で優遇されすぎているのは今も昔も変わらない。むしろ、3.5kg差である現在よりも、4.5kg差だった当時のほうが3歳馬は有利だった。凱旋門賞の格が現在よりも当時のほうが低かったとは言え、この厳しい条件を克服して連覇したのはたいしたものであり、地元仏国では本馬は20世紀有数の名牝として語り継がれているようである。この凱旋門賞を最後に、5歳時9戦4勝の成績で競走馬を引退した。

血統

Coronach Hurry On Marcovil Marco Barcaldine
Novitiate
Lady Villikins Hagioscope
Dinah
Tout Suite Sainfoin Springfield
Sanda
Star Thurio
Meteor
Wet Kiss Tredennis Kendal Bend Or
Windermere
St. Marguerite Hermit
Devotion
Soligena Soliman St. Simon
Alibech
St. Guntheirn Carbine
St. Bees
Zariba Sardanapale Prestige Le Pompon Fripon
La Foudre
Orgueilleuse Reverend
Oroya
Gemma Florizel St. Simon
Perdita
Agnostic Rosicrucian
Bonnie Agnes 
St. Lucre St. Serf St. Simon Galopin
St. Angela
Feronia Thormanby
Woodbine
Fairy Gold Bend Or Doncaster
Rouge Rose
Dame Masham Galliard
Pauline

コロナックは当馬の項を参照。

母ザリバは、モルニ賞・フォレ賞・ジャックルマロワ賞・モーリスドギース賞・ダリュー賞・ペネロープ賞・プラージュフルーリ賞・エドモンブラン賞・エドヴィル賞の勝ち馬で、牝馬として史上初のジャックルマロワ賞の勝者として歴史に名を刻むなど、競走馬としては文句なしに一流だった。そして繁殖牝馬としての成績は超一流であり、本馬の半兄バラ(父ラムス)【リューテス賞】、半兄ゴイェスカス(父ゲインズボロー)【英チャンピオンS・イスパーン賞・サブロン賞・ハードウィックS・エドモンブラン賞・ボイアール賞・エドヴィル賞】、半弟アブジェ(父アステリュー)【ミドルパークS】、仏首位種牡馬にも輝いた半弟ゴヤ(父トウルビヨン)【セントジェームズパレスS・サブロン賞2回・ジムクラックS・エドモンブラン賞・ボイアール賞】と活躍馬を次々に産んだ。

本馬の半姉レスペランス(父ポマーン)の牝系子孫はかなり繁栄しており、曾孫にはガルガラ【仏1000ギニー】、ガルカドール【英ダービー】、フィリュース【仏ダービー】、シェーズ【MRC1000ギニー】、玄孫世代以降には、フィダルゴ【愛ダービー】、カミシア【クリテリウムデプーリッシュ(仏GⅠ)・ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)】、ハイホーク【ローマ賞(伊GⅠ)】、リールンク【ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)】、マイオカード【ローソンS(豪GⅠ)・AJCダービー(豪GⅠ)・タンクレッドS(豪GⅠ)】、ペイザバトラー【ジャパンC(日GⅠ)】、インザウイングス【BCターフ(米GⅠ)・コロネーションC(英GⅠ)・サンクルー大賞(仏GⅠ)】、ロミタス【ベルリン銀行大賞(独GⅠ)・バーデン大賞(独GⅠ)・オイロパ賞(独GⅠ)】、ピストレブルー【クリテリウムドサンクルー(仏GⅠ)・サンクルー大賞(仏GⅠ)】、オンリーロワイヤル【ヨークシャーオークス(英GⅠ)2回】、オスカーシンドラー【愛セントレジャー(愛GⅠ)2回】、ラヴィルコ【独ダービー(独GⅠ)・オイロパ賞(独GⅠ)】、デイラミ【キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS(英GⅠ)・BCターフ(米GⅠ)・仏2000ギニー(仏GⅠ)・エクリプスS(英GⅠ)・マンノウォーS(米GⅠ)・コロネーションC(英GⅠ)・愛チャンピオンS(愛GⅠ)】、ハイライズ【英ダービー(英GⅠ)】、ダラカニ【凱旋門賞(仏GⅠ)・仏ダービー(仏GⅠ)・リュパン賞(仏GⅠ)・クリテリウム国際(仏GⅠ)】、ドバウィ【愛ナショナルS(愛GⅠ)・愛2000ギニー(愛GⅠ)・ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)】、パストリウス【独ダービー(独GⅠ)・ダルマイヤー大賞(独GⅠ)・ガネー賞(仏GⅠ)】、日本で走ったタイギョウ【阪神三歳S】、ベルワイド【天皇賞春】、リトルアマポーラ【エリザベス女王杯(GⅠ)】など多くの活躍馬が出ている。

ザリバの半姉ゴールデンレジェンド(父アンフィオン)の子には、独国の名種牡馬ダークロナルドが英国に残した後継種牡馬ダークレジェンドがいる。ザリバの祖母フェアリーゴールドは英国産馬で、競走馬引退後に英国で繁殖入りしていたが、初子であるザリバの母セントルクレを産んだ後に米国に輸出された。そして、マンノウォーの父として知られる米国顕彰馬フェアプレイ【ブルックリンダービー・ジェロームH・ローレンスリアライゼーションS】、フライアーロック【ベルモントS・ブルックリンH・サバーバンH】を産んで後世に大きな影響力を残した。→牝系:F9号族②

母父サルダナパルは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は生まれ故郷のフレスネルビュファール牧場で繁殖入りした。本馬は繁殖牝馬としても、コアラズ(父トウルビヨン)【仏ダービー・モルニ賞・ジャックルマロワ賞・イスパーン賞2回・サンクルー大賞・ダフニ賞・ヴィシー大賞】を産む活躍を見せた。ところが、本馬はコアラズが2歳時の1944年に忽然とフレスネルビュファール牧場から消えた。この年はまさしく第二次世界大戦が佳境に差し掛かっていた時期であり、フレスネルビュファール牧場の近郊で6月にノルマンディー上陸作戦が行われた年だった。このノルマンディー上陸作戦のごたごたに巻き込まれて落命した又は何者かに連れ去られたとも、本馬に騎乗しようとして失敗した独国軍の兵士により射殺されたとも言われるが、真相は定かではない。本馬が産んだ子はコアラズだけで、コアラズは牡馬だったために本馬の牝系子孫は残らなかった。コアラズはブラジルで種牡馬入りして、彼の地で種牡馬として成功を収めた。コアラズの直系は残っていないようだが、コアラズの血を引く馬は時折みられる。例えば、ノボトゥルーの母父父母父はコアラズであり、本馬の血が完全に失われたわけではないのがせめてもの救いである。

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