ヒンドスタン

和名:ヒンドスタン

英名:Hindostan

1946年生

鹿毛

父:ボワルセル

母:ソニバイ

母父:ソラリオ

五冠馬シンザンを筆頭に数々の名馬を出し全日本首位種牡馬に7度輝き1960年代の日本競馬を牽引した愛ダービー馬

競走成績:2・3歳時に英愛で走り通算成績8戦2勝3着2回

誕生からデビュー前まで

アガ・カーンⅢ世殿下により生産・所有された英国産馬で、彼の専属調教師だった英国のフランク・バターズ師に預けられた。

競走生活(2歳時)

2歳6月にアスコット競馬場で行われたニューS(T5F)でデビューした。このニューS(現ノーフォークS)は、過去に幾多の名馬達が勝ち馬に名を連ねていた2歳馬の登竜門的なレースの1つであり(現在はそれほどでもない)、前年にはマイバブー、そのまた前年にはペティションといった名馬が勝っていた。そんなレースがデビュー戦だったという事は、本馬にもそれなりの期待がかけられていたのだろうと想像できる。しかし結果は名馬ビッグゲーム産駒のマカープラという馬が勝ち、本馬は着外に終わった。

2戦目は7月にサンダウンパーク競馬場で行われたナショナルブリーダーズプロデュースS(T5F)となった。このレースもスピード自慢の有力2歳馬達が参戦してくる当時の重要な2歳戦であり、この年も後に英国競馬史上最高の短距離馬と謳われるようになる歴史的快速馬アバーナントと、後に豪州で種牡馬として大成功を収めるスターキングダム(当時の馬名はスターキング)の2頭が参戦していた。レースでも人気を集めたこの2頭が大接戦を演じて、アバーナントが2着スターキングに短頭差で勝利を収めたが、それから5馬身離された3着に本馬が入った。しかし結局2歳時はこの2戦のみの出走で、未勝利に終わった。

競走生活(3歳時)

3歳時はいきなり英2000ギニー(T8F)から始動した。未勝利馬の身で果敢に挑戦したところに、陣営の本馬に対する期待が表れている。ナショナルブリーダーズプロデュースS勝利後に英シャンペンS・ミドルパークSを勝っていたアバーナント、ナショナルブリーダーズプロデュースS2着後にリッチモンドS・ジムクラックS・グリーナムSを勝っていたスターキングの2頭はここにも出走してきて、人気はやはりこの2頭に集中した。しかし勝ったのは単勝オッズ11倍の穴馬扱いだったジュライSの勝ち馬ニンバスで、アバーナントは短頭差2着、スターキングは10着と大敗した。そして本馬はスターキングには先着したものの、7着という結果だった。

その後は同じニューマーケット競馬場で行われるニューマーケットS(T10F)に向かった。結果は、ロウス記念Sの勝ち馬で後にセントジェームズパレスSを勝ちエクリプスSで3着するフォーティレイジ、デューハーストS・愛2000ギニー2着馬トランスアトランティックの2頭に屈して、勝ったフォーティレイジから3馬身半差の3着と、良いとも悪いとも言えない結果だった。

それでも陣営は次走に英ダービー(T12F)を選択した。距離が伸びる事から陣営も密かに期待していたと思われる。しかし結果は、先行して押し切ったニンバスが、仏2000ギニー・モルニ賞の勝ち馬アムールドレイク、ロイヤルロッジS・チェスターヴァーズの勝ち馬スワローテイルの2頭を僅かに抑えて勝利を収め、本馬はそれから遥か後方の着外に沈んだ。

しかし陣営は諦めず、本馬をさらに愛ダービー(T12F)に出走させた。すると、リングフィールドダービートライアルSの勝ち馬で後に愛セントレジャーを勝利するブラウンローヴァーを1馬身半差の2着に、後にデスモンドS・ブランドフォードSを勝つピンクラークスパーを3着に退けて、この大舞台で初勝利を挙げた。もっとも、今日ではかなりレベルが高い戦いが繰り広げられる事が多い愛ダービーも、その当時は英ダービーより遥かに格下であり、英ダービーでは実力が足りない馬の敗者復活戦に近い状態だった(愛ダービーの格が上がったのは1962年に賞金が増額されてからである)。

それでも欧州クラシック競走勝ち馬となった本馬は、続いてエクリプスS(T10F)に参戦した。ニンバスやアバーナントといった強敵の姿は無く、好機かと思われた。しかし結果は仏国から遠征してきたクリテリウムドメゾンラフィット・エドヴィル賞の勝ち馬ジェダーが勝ち、本馬は5着に敗れた。その後はリヴァプール競馬場に向かい、セントジョージS(T13F)というマイナー競走に出走して3馬身差で勝利した。

しかしその後、この年の英平地首位調教師に輝くバターズ師が、自転車事故のため負傷してしまった。既に71歳という老齢だった彼はこれ以上調教師を続けられなくなり厩舎は閉鎖。本馬もそのまま3歳時6戦2勝の成績で競走馬引退となってしまった。馬名はインドのヒンドスタン平原に由来していると思われる。

血統

Bois Roussel Vatout Prince Chimay Chaucer St. Simon
Canterbury Pilgrim
Gallorette Gallinule
Orlet 
Vashti Sans Souci Le Roi Soleil
Sanctimony
Vaya Beppo
Waterhen
Plucky Liege Spearmint Carbine Musket
Mersey
Maid of the Mint Minting
Warble
Concertina St. Simon Galopin
St. Angela
Comic Song Petrarch
Frivolity
Sonibai Solario Gainsborough Bayardo Bay Ronald
Galicia
Rosedrop St. Frusquin
Rosaline
Sun Worship Sundridge Amphion
Sierra
Doctrine Ayrshire
Axiom
Udaipur Blandford Swynford John o'Gaunt
Canterbury Pilgrim
Blanche White Eagle
Black Cherry
Uganda Bridaine Gorgos
Bitter Orange
Hush St. Serf
Silent Lady

ボワルセルは当馬の項を参照。

母ソニバイもアガ・カーンⅢ世殿下の生産・所有馬で、現役成績は13戦2勝、グラスゴーS・プリンセスSを勝っている。本馬の半妹ニザリア(父ネアルコ)の孫にはファルハナ【アベイドロンシャン賞】が、本馬の半妹インシャープ(父サヤジラオ)の孫には、日本産馬として史上初めて米国で種牡馬入りした事で知られるホオカノ【新潟記念】がいる。

ソニバイの半弟にはウミッダッド(父ダスター)【デューハーストS・アスコット金杯】、半弟にはダストデビル(父スターダスト)【ジョッキークラブS】がいる。また、ソニバイの半姉クローヴリー(父マームード)の子にはクラロ【愛2000ギニー】、曾孫にはワイルドアゲイン【BCクラシック(米GⅠ)・メドウランズCH(米GⅠ)】、日本で走ったミオソチス【オールカマー・東京盃】、アローエクスプレス【朝日杯三歳S・京成杯三歳S・京成杯・NHK杯】、ファストバンブー【スワンS・阪急杯】、玄孫世代以降にはミズエロイーズ【トップフライトH(米GⅠ)・シュヴィーH(米GⅠ)】、オクターヴ【マザーグースS(米GⅠ)・CCAオークス(米GⅠ)】、日本で走ったファンタスト【皐月賞】、バンブーアトラス【東京優駿】、プリモディーネ【桜花賞(GⅠ)】などが出ている。ソニバイの半妹ネイシャプール(父ネアルコ)の子には、豪州の歴史的名馬タラックの父となったコラサン【ディーS】と、名馬ピンザに黒星を付けたニーマー【ロイヤルロッジS】の兄妹、牝系子孫にはマウントササフラ【ガルフストリームパークH(米GⅠ)】がいる。

ソニバイの母ウダイパーは、英オークス・コロネーションSを勝った名牝。ウダイパーの半姉にはウクラニア【仏オークス】、全弟にはウミッドウォー【ジョッキークラブS・英チャンピオンS】がいる。ウダイパーの母ウガンダも仏オークス・ロワイヤルオーク賞を勝った名牝で、ウダイパーの半妹ウナの子にはパレスタイン【英2000ギニー・コヴェントリーS・リッチモンドS・ジムクラックS・シャンペンS・セントジェームズパレスS・サセックスS】がいる。こうしてみると、本馬はかなりの良血馬であると言える。→牝系:F3号族③

母父ソラリオは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は愛国ゴルグランスタッドで種牡馬入りしたが、それほどの成績を収めることができなかった。1955年に日本の日高軽種馬振興会が、日本競馬史上初めての種牡馬シンジケート組織として、本馬を1200万円という当時としてはかなり高額の価格で輸入(この時、後に二冠馬コダマの父となるブッフラーもセットで輸入されており、2頭合わせて1350万円の価格だった)し、本馬は北海道浦河町の荻伏種馬所で供用されることになった。当時は欧米のクラシック競走勝ち馬がほとんど日本に輸入されていなかった時期であり、愛ダービー馬である本馬は注目された。

組まれたシンジケート価格はかなりの高額(30万円×40株で、輸入額1200万円と同額)だったが、それでも初年度の1956年は46頭、2年目は54頭、3年目は65頭と順調に交配数を増やし続けた。日本における初年度産駒がデビューした4年目の1959年は50頭、5年目は51頭と交配数はやや減少したが、6年目の1961年に産駒が大爆発。ヤマニンモアーが天皇賞春を、スギヒメが桜花賞を、シンツバメが皐月賞を、ハクショウが東京優駿を勝利するという凄まじさで、この年の全日本首位種牡馬に輝いた。これにより本馬は人気種牡馬としての地位を確立した。ただし年齢や種付け料の関係もあって、その後に交配数が増えることはあまり無く、6年目は55頭、7年目は43頭、8年目は51頭、9年目は45頭、10年目は51頭、11年目は45頭、12年目は40頭、13年目の1968年も40頭の交配数だった。

交配数は増えなくても産駒の勢いは留まるところを知らず、五冠馬シンザンを筆頭に数々の名馬を輩出し、1960年代の日本競馬をリードした。全日本首位種牡馬の座は1961~65年と、67・68年の合計7度獲得した。産駒の中央競馬重賞勝利数は113勝に達し、現在でも史上第2位(1位はサンデーサイレンス)となっている。1967年には当時の日本中央競馬会理事長だった清井正氏により最優秀種牡馬としての表彰を受けた。翌1968年10月に横隔膜破裂により22歳(旧表記で二十三歳)で他界。翌1969年には浦河町の日高軽種馬農業協同組合会館に本馬の銅像が建てられた。また、本馬の遺体は剥製となり、現在でも浦河町馬事資料館にて展示されている。産駒は短距離馬から長距離馬までバラエティに富んでおり、万能型の種牡馬であったと言える。

後継種牡馬としては、代表産駒シンザンが内国産種牡馬冷遇期の中で気を吐いて活躍し、他にもダイコーターやリュウファーロスも重賞勝ち馬を出して活躍した。しかし直系を伸ばせたのはシンザンのみで、そのシンザンの直系もミホシンザン~マイシンザンと続いたが現在では完全に途絶えており、本馬の直系は滅亡した。勿論、血統表に本馬の血を有する馬は現在でも数多く、本馬の血の影響力が無くなったわけではない。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1954

Hindu Festival

オーモンドS

1955

Epsom Victory

グラディアトゥール賞2回

1957

オンワードスタン

中山記念

1957

クインオンワード

神戸盃・阪神牝馬特別

1957

グレイトスタン

鳴尾記念

1957

ケンマルチカラ

NHK杯

1957

ソウルユートピア

ダイオライト記念(船橋)

1957

メーデンスレディ

京阪盃

1957

ヤマニンモアー

天皇賞春・京都特別・阪神大賞典・中山金杯

1958

ギントシ

クモハタ記念・中山記念

1958

クサブエ

東京障害特別春

1958

ケンロクオー

セントライト記念

1958

シンツバメ

皐月賞

1958

スギヒメ

桜花賞・きさらぎ賞・神戸盃・大阪盃

1958

トウコン

カブトヤマ記念・東京盃・安田記念・目黒記念

1958

ハクショウII

東京優駿・朝日杯三歳S

1958

ヤマサカエ

毎日盃

1958

ユキロウ

全日本三歳優駿(川崎)・ニューイヤーH(浦和)・スプリングS・大井記念(大井)

1959

オーハヤブサ

優駿牝馬・京成盃

1959

ケンホウ

桜花賞・カブトヤマ記念

1959

ゴウカイ

阪急盃・京都記念・鳴尾記念・東京大賞典(大井)

1959

ダイコージ

東海桜花賞 (名古屋)

1959

ヒカルポーラ

天皇賞春・阪神大賞典・宝塚記念・京都記念

1959

ヤマジョシイ

京都大障害秋

1959

リュウフォーレル

天皇賞秋・有馬記念・神戸盃・日本経済新春盃・鳴尾記念・宝塚記念・京都記念

1960

コウタロー

阪神三歳S・愛知盃・阪神大賞典

1960

ヒンドソネラ

東京牝馬特別・クイーン賞(船橋)

1960

ミハルカス

ダイヤモンドS・オールカマー

1960

ヤマトキョウダイ

天皇賞秋・有馬記念・日本経済賞・目黒記念

1961

ウメノチカラ

朝日杯三歳S・NHK杯・セントライト記念・新潟記念・毎日王冠

1961

オーヒメ

京都記念・日本経済新春杯

1961

シンザン

皐月賞・東京優駿・菊花賞・天皇賞秋・有馬記念・スプリングS・宝塚記念・目黒記念

1962

エイトクラウン

阪神三歳S・鳴尾記念・宝塚記念

1962

セントスタン

道営記念(札幌)

1962

ダイコーター

菊花賞・きさらぎ賞・スプリングS・NHK杯・神戸盃

1962

パワーラッスル

日本経済新春杯

1963

タマクイン

関屋記念・毎日王冠

1963

ミスコウライ

阪神牝馬特別

1963

リュウファーロス

阪神大賞典・大阪盃・日本経済新春杯・スワンS

1964

ヒリュウシンゲキ

東海菊花賞(名古屋)・大平原賞(帯広)・農林大臣賞典(函館)・葵賞典(紀三井寺)2回

1964

ヒンドタイム

クイーン賞(船橋)

1965

アサカオー

菊花賞・弥生賞・日本短波賞・セントライト記念・アメリカジョッキークラブC

1965

ジンライ

シルバーC(岩見沢)

1965

ブラックバトー

クイーンC

1965

ランドエース

京都記念

1966

ヒロズキ

阪急杯

1966

ブルボン

北海道三歳S

1966

ミノル

朝日杯三歳S・東京四歳S・京王盃スプリングH

1966

メイジアスター

クイーンS・カブトヤマ記念

1966

リュウスパーション

京都記念

1966

ワイルドモア

皐月賞・弥生賞・スプリングS

1967

オウジャ

CBC賞・愛知盃

1968

エリモカップ

中京記念・函館記念

1968

ヒデチカラ

東京大賞典(大井)

1969

ハクホオショウ

カブトヤマ記念・安田記念・札幌記念・オールカマー

1969

ハシエース

日本中央競馬会理事長賞典(新潟)2回

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