マイバブー

和名:マイバブー

英名:My Babu

1945年生

鹿毛

父:ジェベル

母:パフューム

母父:バドルディン

仏国産馬ながらその快速で英2000ギニーを驚異的レコードタイムで圧勝し、種牡馬としても成功した日本の名種牡馬パーソロンの直系祖父

競走成績:2~4歳時に英で走り通算成績16戦11勝2着2回

誕生からデビュー前まで

ピーター・ビーティー氏という人物により生産された仏国産馬で、インドのバローダ藩王国のマハラジャ(国王)だったプラタップ・シン・ガエクワッド殿下(本馬より1歳年上の名馬サヤジラオの所有馬でもあった)の所有馬となり、英国サム・アームストロング調教師に預けられた。デビュー当初は“Lerins(レランス)”という名前だった。走る際に前肢と後肢の蹄がぶつかるほどに、非常に後肢の蹴る力が強い馬だった。同様の逸話は稀代の快速馬ザテトラークや日本の五冠馬シンザンにも伝わっており、抜群のスピード能力を誇る馬に特有のものだった。後に本馬の実力を知ったガエクワッド殿下は、現役途中で名前を“My Babu(私の尊敬するインド人)”に改名した。

競走生活(2歳時)

2歳4月に競走馬デビュー。デビュー戦は、後のモルニ賞の勝ち馬デリリウム(ミスターシービーの母父である凱旋門賞馬トピオの母父)の4着に敗れてしまった。アスコット競馬場で出走した次走のニューS(T5F)でもデリリウムとの対戦となった。前走の結果にも関わらず、本馬が単勝オッズ1.62倍の1番人気に支持され、デリリウムは単勝オッズ8倍の評価に過ぎなかった。結果は本馬とデリリウムが同着で勝利した。初勝利をステークス競走で挙げたのだから十分な結果とも言えたが、人気の差を考えると勝利を半分攫われたとも言えた。同月にはさらにエプソム競馬場でウッドコートS(T6F)に出走。このレースには後に米国に移籍して米国三冠馬サイテーションの宿敵となるヌーアの姿もあったが、本馬が勝利を収め、フェアフライアーという馬にも後れを取ったヌーアは3着に終わった。9月にはドンカスター競馬場に向かい、英シャンペンS(T6F)に出走。単勝オッズ2.05倍の1番人気に応えて勝利を収めた。

その後は休養入りしたためにデューハーストSやミドルパークSには出走せず、2歳時を6戦5勝の成績で終えた。ここまで書いた2歳戦の出走は4戦しかなく数が合わないが、上記に書いた以外にもノーフォークSとネルグウィンSという競走に勝っているようである。ノーフォークSは1973年に改名されたニューSの現在の名前、ネルグウィンSは1961年に創設された英1000ギニーの前哨戦と同名であるが、いずれも同名異競走のようである。

デューハーストSやミドルパークSに出なかった本馬だが、英シャンペンSで2着だったプライドオブインディアがデューハーストSを勝った(さらに書けば英シャンペンSで3着だったクイーンポットが翌春の英1000ギニーを勝っている)ため、本馬の株も上昇し、この年の英国2歳フリーハンデではトップとなる133ポンドの評価を得た。

競走生活(3歳前半)

3歳時は4月にニューマーケット競馬場で行われたクレイヴンS(T8F)から始動して、プライドオブインディアを半馬身差の2着に退けて勝利した。そして迎えた英2000ギニー(T8F)では、プライドオブインディア、ミドルパークS・ナショナルブリーダーズプロデュースS・コヴェントリーSの勝ち馬ザコブラー、ヌーアなどが対戦相手となった。しかし本馬が単勝オッズ3倍の1番人気に応えて、2着ザコブラーに頭差、3着プライドオブインディアにはさらに4馬身差で勝利。ザコブラーとの着差は僅かだったが、勝ちタイム1分35秒8は、1911年の同競走でサンスターが計時した1分37秒6を更新するレースレコードであり、1993年の同競走でザフォニックが1分35秒32を計時するまで実に45年間も保持されたという驚異的なコースレコードでもあった。単純比較は出来ないが、前年に同競走史上最大の圧勝劇を演じたテューダーミンストレルの勝ちタイムより本馬のそれのほうがちょうど2秒速い。現在の英2000ギニーにおいても、本馬が勝った年より速いタイムで決着することは珍しいのである。

しかしこのレース直後に破傷風罹患を防ぐための予防接種を行ったところ、疲労で免疫力が落ちていたのか、脚を腫らしてしまった。それでも英ダービー(T12F10Y)には出走した。このレースには本馬の父ジェベルの生産・所有者だった仏国のマルセル・ブサック氏が送り込んできたクリテリウムドメゾンラフィットの勝ち馬ジェダー、ギシュ賞の勝ち馬ロイヤルドレイク、オカール賞の勝ち馬マイラヴといった仏国調教馬が大挙して出走しており、さらにはジムクラックS・ロイヤルロッジS・リングフィールドダービートライアルSを勝ってきた米国出身の良血馬ブラックターキン、ヌーアなども出てきて、34頭が出走した1862年以降では最多となる32頭立てとなった。この多頭数の中で本馬はジェダーと並んで単勝オッズ4.5倍の1番人気に支持された。時の英国王ジョージⅥ世や、時の英国首相だった初代アトリー伯爵クレメント・アトリー卿(大学で福祉を勉強した者にとっては常識となっている当時の英国の社会福祉政策の代名詞「ゆりかごから墓場まで」のスローガンを推進した人物)を含む100万人(!)の大観衆がエプソム競馬場に詰め掛けていた。スタートが切られるとトリーという馬が馬群を牽引したが、あまりにも出走馬が多かったためか、タッテナムコーナーを回る際に本馬とブラックターキンが衝突して2頭揃って体勢を崩す場面があった。そして本馬が体勢を立て直そうとしている間にロイヤルドレイクが先頭に立ち、さらに外側から追い上げてきたマイラヴが瞬く間にロイヤルドレイクを抜き去っていった。本馬も直線で猛追したものの、マイラヴ、ロイヤルドレイク、ヌーアの3頭に後れを取って4着に敗れた。しかしこの年の英ダービーは非常にレベルが高く、次走のパリ大賞を勝つマイラヴ、米国に移籍して活躍するヌーア、後の英セントレジャー馬ブラックターキン、後にエクリプスS・英チャンピオンSを勝つジェダーなど歴史に名を残す名馬が顔を連ねており、体調不良や道中の不利というハンデを抱えながらも4着に入った本馬は健闘したといえる。

競走生活(3歳後半以降)

その後はサセックスS(T8F)に向かった。そして単勝オッズ1.33倍の1番人気に応えて、英2000ギニーで本馬の3着だったプライドオブインディアを2着に破って勝利した。しかし次走のトライアルS(T12F)では5馬身差の2着に敗退。セレクトS(1965年に創設された同名の競走とは別競走)では4着に敗れ、3歳時を6戦3勝の成績で終えた。

4歳時も現役を続けたが、距離不安があったためか、表舞台ではなく裏路線の短距離競走に向かった。まずは4月のクロフォードS(T6F)から始動して2着。続くウェルタープレートは勝利。さらにヴィクトリアカップハンデS(T7F)を5馬身差で勝利。さらにクレイヴンプレート(T6F)も1馬身半差で勝利して、4歳時4戦3勝の成績で競走馬を引退した。

血統

Djebel Tourbillon Ksar Bruleur Chouberski
Basse Terre
Kizil Kourgan Omnium
Kasbah
Durban Durbar Rabelais
Armenia
Banshee Irish Lad
Frizette
Loika Gay Crusader Bayardo Bay Ronald
Galicia
Gay Laura Beppo
Galeottia
Coeur a Coeur Teddy Ajax
Rondeau
Ballantrae Ayrshire
Abeyance
Perfume Badruddin Blandford Swynford John o'Gaunt
Canterbury Pilgrim
Blanche White Eagle
Black Cherry
Mumtaz Mahal The Tetrarch Roi Herode
Vahren
Lady Josephine Sundridge
Americus Girl
Lavendula Pharos Phalaris Polymelus
Bromus
Scapa Flow Chaucer
Anchora
Sweet Lavender Swynford John o'Gaunt
Canterbury Pilgrim
Marchetta Marco
Hettie Sorrel

ジェベルは当馬の項を参照。

母パフュームは不出走馬だが、繁殖牝馬としては優秀な成績を収め、1953年の仏首位種牡馬に輝いた本馬の半兄サヤニ(父フェアコピー)【ジャックルマロワ賞・アランベール賞・エドモンブラン賞・ダフニ賞】、豪州で種牡馬入りしてメルボルンCの勝ち馬を2頭出した半弟マルコポーロ(父ルパシャ)などを産んだ。また、本馬の半姉ヴィレル(父キャステラリ)の孫にはイングリッシュプリンス【愛ダービー(愛GⅠ)】が、半妹パシュミナ(父ルパシャ)の曾孫には日本で走ったイクノディクタス【京阪杯(GⅢ)・金鯱賞(GⅢ)2回・小倉記念(GⅢ)・オールカマー(GⅢ)】、玄孫世代以降には、ジャガーメイル【天皇賞春(GⅠ)】、ハタノヴァンクール【ジャパンダートダービー(GⅠ)・川崎記念(GⅠ)】などが、半妹フレグラントニンフ(父オーシャンスウェル)の牝系子孫には日本で走ったケイキロク【優駿牝馬】、ナリタタイシン【皐月賞(GⅠ)】などが、半妹ヴェルティジュ(父プリシピテイション)の子にはロマンチカ【プリンセスロイヤルS】、曾孫にはテレーノ【ミラノ大賞(伊GⅠ)】、玄孫世代以降には、ミルネイティヴ【アーリントンミリオンS(米GⅠ)】、ファーストアイランド【サセックスS(英GⅠ)・ロッキンジS(英GⅠ)】などがいる。

パフュームの半弟には、仏グランクリテリウム・リュパン賞・グレフュール賞の勝ち馬で種牡馬としても1961年の北米首位種牡馬になるなど成功したアンビオリクス(父トウルビヨン)がいる他、パフュームの半姉ワイルドラベンダー(父ミスタージンクス)の牝系子孫にはボブズリターン【英セントレジャー(英GⅠ)】などが、半姉シンガデュラ(父シンガポール)の子にはシングルスピーラー【独ダービー・ダルマイヤー大賞】が、半妹ソースサクリー(父アドミラルドレイク)の子には名種牡馬ターントゥ【サラトガスペシャルS・フラミンゴS】、牝系子孫には、アイリッシュリヴァー【モルニ賞(仏GⅠ)・サラマンドル賞(仏GⅠ)・仏グランクリテリウム(仏GⅠ)・仏2000ギニー(仏GⅠ)・イスパーン賞(仏GⅠ)・ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)・ムーランドロンシャン賞(仏GⅠ)】、ノーベンバーレイン【クラウンオークス(豪GⅠ)・AJCオークス(豪GⅠ)・クイーンズランドオークス(豪GⅠ)】、カードマニア【BCスプリント(米GⅠ)】、サラファン【エディリードH(米GⅠ)】などがいる。パフュームの従兄弟にはクレイロン【仏2000ギニー・ジャックルマロワ賞】もおり、仏国の名門牝系の1つとなっている。→牝系:F1号族①

母父バドルディンはブランドフォードの直子で、アガ・カーンⅢ世殿下の生産馬。競走馬としては、サセックスS・ミッドサマーS・ウォーターフォードSを勝ち、英2000ギニーで3着している。競走馬引退直後は仏国で種牡馬生活を送っていたが、7歳時の1938年に亜国に輸出され、亜種牡馬ランキングでは1943/44シーズンに最高4位、亜母父種牡馬ランキングでは1965/66シーズンに最高3位となるなど一定の成功を収めた。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は英国で種牡馬入りした。2年目産駒のアワバブーが1954年のミドルパークSや英シャンペンS、翌年の英2000ギニーを勝つ活躍を見せた。それに目をつけた米国の馬産家レスリー・W・コムズⅡ世氏(後にミスタープロスペクターを生産した事で有名)とジョン・W・ヘインズ氏の両名によって本馬は60万ドルで購入され、1955年の繁殖シーズン終了後に米国に旅立った。この60万ドルという金額は、欧州から米国に輸入された種牡馬の取引価格としては当時史上最高額だった。コムズⅡ世氏が所有していた米国ケンタッキー州スペンドスリフトファームで種牡馬入りした本馬は、1960年の北米2歳首位種牡馬を獲得するなど米国でも一定の種牡馬成績を残した。産駒のステークスウイナーは欧米通算で47頭である。1970年に25歳で他界した。

後世に与えた影響

本馬の後継種牡馬として成功して直系を伸ばしたのは、豪州に輸出されて4度の豪首位種牡馬に輝いた初年度産駒ベターボーイ、米国で競走馬・種牡馬として安定した成績を残したクロジール、英国で23頭のステークスウイナーを出したマイリージャンの3頭であり、生国の仏国では直系が伸びなかった。ベターボーイの直系からは21世紀に入ってコックスプレート2勝のフィールズオブオマーが出ているが、フィールズオブオマーは騙馬であるから直系を伸ばす役割は担えず、現在はかなり厳しい状況にある。クロジールは直子最大の大物である米国顕彰馬プレシジョニストが受精率の低さが原因で種牡馬として成功できなかった事もあり、これまた直系は殆ど残っていない様子である。マイリージャンの直系は英国では伸びなかったが、その代わりにその直子パーソロンが日本に輸入されて大成功した。パーソロンは七冠馬シンボリルドルフや天皇賞馬メジロアサマを出し、さらにその直系からはトウカイテイオーやメジロマックイーンが出た。しかしその後が続かずに今日ではやはり断絶寸前の状態である。

もっとも本馬は繁殖牝馬の父としても一級品で、米国の歴史的名馬ダマスカスゲイムリー、ケンタッキーオークス馬ネイティヴストリート、カーターHの勝ち馬タイラント、1980年の北米首位種牡馬ラジャババ、プリークネスS・ベルモントSの勝ち馬リトルカレント、愛ダービー馬マラケート、エクリプスSの勝ち馬アーティアスなど95頭のステークスウイナーを送り出しているから、直系が途絶えても血が途絶える事はなさそうである。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1952

Eubulides

リッチモンドS

1952

Our Babu

英2000ギニー・ミドルパークS・英シャンペンS

1952

Our Betters

ロウザーS・サンタマルガリータ招待H2回

1954

King Babar

チェスターヴァーズ

1954

Shearwater

クレイヴンS

1954

Primera

オーモンドS・プリンセスオブウェールズS2回・エボアH

1956

Babu

ナショナルS

1956

Be Careful

ジムクラックS・英シャンペンS

1957

Panga

チェリーヒントンS

1958

Bronze Babu

ブーゲンヴィリアH・ラウンドテーブルH

1958

Colfax Maid

アーリントンラッシーS

1958

Crozier

サンタアニタH・パロスヴェルデスH・サンカルロスH・サンバーナーディノH

1958

Garwol

ピムリコフューチュリティ・ナッソーカウンティH

1959

Green Hornet

ニューオーリンズH

1959

Prudent

モルニ賞・サラマンドル賞・フォンテーヌブロー賞

1960

Pack Trip

フォールハイウェイトH

1961

My Card

セリマS

1962

Ginger Fizz

ケリーオリンピックH・ブランディワインターフH・エッジミアH

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