プリシピテイション
和名:プリシピテイション |
英名:Precipitation |
1933年生 |
牡 |
栗毛 |
父:ハリーオン |
母:ダブルライフ |
母父:バチェラーズダブル |
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アスコット金杯などに勝利した名長距離馬にして、父ハリーオンの最良の後継種牡馬ともなった「優しい巨人」 |
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競走成績:3・4歳時に英で走り通算成績10戦7勝 |
父ハリーオンが晩年に出した最後の傑作で、父の最良の後継種牡馬としても活躍し、ハリーオンの直系が今日まで残る功労馬となった。
誕生からデビュー前まで
英国サメリーズスタッドにおいて本馬を生産・所有した同牧場の所有者レディ・ジーア・ワーナー女史は、本名をアナスタシア・ド・トービーというロシア系英国人女性で、ロシア皇帝アレクサンドルⅢ世(ロシア最後の皇帝ロマノフⅡ世の父)の従弟ミハイル・ミハイロヴィチ大公と、その妻のメーレンベルク伯爵夫人ゾフィーの間の長女として産まれた。つまりロシア帝室の親族に当たるわけだが、両親がロシア帝室の家内法に抵触する貴賤結婚だったため、彼女は正式なロシア帝室の一員として認められず、英国に渡った。そこでハロルド・ワーナー卿と結婚し、時の英国王ジョージⅤ世の指示で、単なる伯爵夫人ではなく、伯爵令嬢として扱われるようになった。彼女の愛称がジーアだったため、レディ・ジーア・ワーナーと呼ばれるようになっていた。夫のワーナー卿は名馬ブラウンジャックを所有していた馬主であり、彼女もまた競走馬の生産と所有に興味を抱き、愛国からダブルライフという牝馬を600ギニーで購入。競走馬を引退したダブルライフはワーナー女史の元で繁殖入りし、2番子として誕生したのが本馬である。ワーナー女史は英国セシル・ロッチフォート調教師に本馬を預けた。
競走生活
本馬は巨漢馬として有名だった父に似て非常に大柄な馬だった。そして父と同様に仕上がりも遅く、結局2歳時は一度も走ることなく終わった(蹄に問題を抱えていたからという理由もあったらしい)。3歳時にようやく初戦を迎えたが、着外に終わった。2戦目のロイヤルスタンダードS(T10F)では先頭でゴールしたが、進路妨害を取られて失格となった。その後はハイペリオンS(T12F)・キングエドワードⅦ世S(T12F)を含む距離12ハロンのレースを3連勝したが、蹄にダニが媒介する感染症を患ったため、英セントレジャーにも出走できず、英国クラシック競走は未参戦に終わった。しかし英セントレジャーの3週間後に行われたジョッキークラブS(T14F)では、英セントレジャー勝ち馬ボスウェルを撃破して勝利。3歳馬フリーハンデでは、トップの英ダービー馬マームード、2位の英2000ギニー馬ペイアップに次ぐ第3位(マームードとは2ポンド差)にランクされた。
4歳時にはアスコット金杯(T20F)に出走。最大の強敵は、前年に米国三冠馬オマハとの大激闘を制して名牝ラフレッチェ以来42年ぶりに牝馬によるアスコット金杯制覇を果たした英オークス馬クワッシュド(20世紀では牝馬初の快挙。セプターやプリティポリーさえも成し得なかった)で、他にもコロネーションC勝ち馬セシルなどの実力馬が参戦していた。しかしレースでは本馬が長距離適性を如何なく発揮。2着セシルに2馬身差をつけて完勝を収め、クワッシュドはセシルからさらに4馬身後方の3着だった。
本馬は以上に記載した以外にも3回レースに出走して2回勝利を挙げているはずだが、詳細は不明である。グラトウィックS・クイーンズプライズ(T16F)という2競走に勝っているらしいが、勝った時期はよく分からない。5歳時の1938年から種牡馬供用開始とする資料があったので、おそらく4歳限りで競走馬を引退したと思われるが、これも確証は持てない。
本馬は父に似て大柄な馬体だった事は前述したが、気性は父に全く似ていなかった。気性が非常に激しかった父とは異なり、本馬は非常におっとりとした性格の持ち主で、“Gentle Giant(優しい巨人)”の愛称で親しまれた。
血統
Hurry On | Marcovil | Marco | Barcaldine | Solon |
Ballyroe | ||||
Novitiate | Hermit | |||
Retty | ||||
Lady Villikins | Hagioscope | Speculum | ||
Sophia | ||||
Dinah | Hermit | |||
The Ratcatcher's Daughter | ||||
Tout Suite | Sainfoin | Springfield | St. Albans | |
Viridis | ||||
Sanda | Wenlock | |||
Sandal | ||||
Star | Thurio | Cremorne | ||
Verona | ||||
Meteor | Thunderbolt | |||
Duty | ||||
Double Life | Bachelor's Double | Tredennis | Kendal | Bend Or |
Windermere | ||||
St. Marguerite | Hermit | |||
Devotion | ||||
Lady Bawn | Le Noir | Isonomy | ||
Knavery | ||||
Milady | Kisber HUN | |||
Alone | ||||
Saint Joan | Willbrook | Grebe | Bend Or | |
Greeba | ||||
Nora Gough | Royal Emperor | |||
Countess Gough | ||||
Flo Desmond | Desmond | St. Simon | ||
L'Abbesse de Jouarre | ||||
Flighty Flo | Flying Hackle | |||
Timothy Mare |
父ハリーオンは当馬の項を参照。
母ダブルライフはドゥークオブヨークH・ケンブリッジシャーHなど4勝(資料によっては6勝)を挙げた。息子とは異なり小柄な馬だったが、ケンブリッジシャーHでは他馬より10ポンド重いハンデ差を克服して勝利(同レース史上最大級のハンデ差勝利だったらしい)するなど、かなりの実力馬だったようである。繁殖牝馬としても優秀で、本馬の半弟カサノヴァ(父ハイペリオン)【デューハーストS】、半弟パーシャンガルフ(父バーラム)【コロネーションC】などを産んだ。また、本馬の半妹ダブルトン(父バーラム)の孫には英国牝馬三冠馬メルド【英1000ギニー・英オークス・英セントレジャー・コロネーションS】、メルドの子にはシャーロットタウン【英ダービー・コロネーションC】が、本馬の半妹フェアリー(父フェアウェイ)の子にはジュディケイト【愛セントレジャー】がおり、ダブルライフはワーナー女史の馬産における基礎繁殖牝馬となった。
ダブルトンの牝系子孫は現在も残っており、カラグロウ【キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英GⅠ)・エクリプスS(英GⅠ)】、シャトゥーシュ【英オークス(英GⅠ)】、アレイル【エイントリーハードル(英GⅠ)3回・ディセンバーフェスティバルハードル(愛GⅠ)】、ラモンティ【ヴィットリオディカプア賞(伊GⅠ)・クイーンアンS(英GⅠ)・サセックスS(英GⅠ)・クイーンエリザベスⅡ世S(英GⅠ)・香港C(香GⅠ)】、オリンピックデュエル【パドックS(南GⅠ)2回・SAフィリーズギニー(南GⅠ)・ケープフィリーズギニー(南GⅠ)・J&Bメトロポリタン(南GⅠ)・グレイヴィルチャンピオンS(南GⅠ)・ターフフォンテンチャンピオンS(南GⅠ)・SAチャンピオンズC(南GⅠ)】などが出ている。
ダブルライフの9代母は、英1000ギニー・英2000ギニー・英オークスを勝った名牝クルシフィックスである。→牝系:F2号族②
母父バチェラーズダブルは愛ダービー・レイルウェイS・シティ&サバーバンH・ロイヤルハントC勝ちなど16戦9勝。バチェラーズダブルの父トレデニスは不出走馬だが、種牡馬としてはかなりの活躍を示した。バチェラーズダブルの父ケンドアはガルティモアの項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は生まれ故郷のサメリーズスタッドで種牡馬入りした。初年度の種付け料は300ギニーと比較的安値で、向こう3年間の種付け予約が瞬く間に埋まってしまったほどの人気だったという。そして実際に本馬は種牡馬としても父の産駒の中で最高の成績を挙げた。本馬の産駒はスタミナ豊富であり、中長距離戦で非常な強さを発揮した。惜しくも英愛首位種牡馬にはなれなかった(1946年の2位が最高)が、50頭以上のステークスウイナーを出し、長年に渡り英愛種牡馬ランキング上位の常連だった。1957年3月にサメリーズスタッドにおいて24歳で他界した。
本馬の直子には、英愛首位種牡馬シャモセイル、仏首位種牡馬シェシューン、豪州首位種牡馬アグリコラ、いずれも新国首位種牡馬となったサマータイムとカウントレンダードなど、各国で種牡馬として活躍した産駒が多く、ハリーオン直系の発展に大きく寄与した。しかし世界各国の競馬がスタミナ重視からスピード重視に変革する中で勢力を失い、現在ではシェシューンの代表産駒ササフラの直系が南米で生き残っている程度である。ただし、馬術競技用馬の世界では本馬の直系は未だ繁栄している。本馬の直子のフリオーソは競走馬としては21戦未勝利だったが、本馬から受け継いだ馬体や温厚な性格を見込まれて仏国で馬術競技用種牡馬となり、大成功を収めた。東京オリンピックで金メダルを獲得したリュトゥールBもフリオーソ産駒である。現在もフリオーソの直系子孫は馬術競技用種牡馬界の一大勢力になっている。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1940 |
Why Hurry |
英オークス |
1942 |
Amber Flash |
ジョッキークラブC |
1942 |
Chamossaire |
英セントレジャー |
1943 |
Airborne |
英ダービー・英セントレジャー・プリンセスオブウェールズS |
1946 |
Suntime |
チャイルドS |
1948 |
Supreme Court |
キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・ホーリスヒルS・チェスターヴァーズ・キングエドワードⅦ世S |
1949 |
Hortentia |
ナッソーS |
1949 |
Summer Rain |
チェスターヴァーズ |
1950 |
Baldaquin |
ホーリスヒルS |
1950 |
Brolly |
チェシャーオークス |
1950 |
Premonition |
英セントレジャー・グレートヴォルティジュールS・ヨークシャーC |
1951 |
Dust Storm |
プリンセスロイヤルS |
1951 |
Giambellina |
伊1000ギニー・ドルメロ賞 |
1951 |
Prescription |
ゴールドヴァーズ |
1951 |
Rashleigh |
キングエドワードⅦ世S |
1951 |
Taw Valley |
ロイヤルS |
1952 |
Precast |
ジムクラックS |
1952 |
Tippecanoe |
ディーS |
1953 |
Court Command |
キングエドワードⅦ世S・オックスフォードシャーS |
1953 |
Prelone |
シザレウィッチH |
1955 |
Impatient |
ハードウィックS |
1955 |
Scryer |
チェシャーオークス |
1956 |
Dickens |
コヴェントリーS・ダンテS・グッドウッドC・ヨークシャーC |
1956 |
Sheshoon |
アスコット金杯・サンクルー大賞・バーデン大賞・バルブヴィル賞・ゴントービロン賞 |