メルド
和名:メルド |
英名:Meld |
1952年生 |
牝 |
鹿毛 |
父:アリシドン |
母:デイリーダブル |
母父:フェアトライアル |
||
繁殖牝馬としても英ダービー馬を出して成功したスタミナ豊富な第8代英国牝馬三冠馬 |
||||
競走成績:2・3歳時に英で走り通算成績6戦5勝2着1回 |
誕生からデビュー前まで
史上8頭目の英国牝馬三冠馬。英国サマリーズスタッドの生産馬で、本馬の母デイリーダブルの伯父に当たる名馬プリシピテイションの生産者兼所有者でもあったレディ・ジーア・ワーナー女史の所有馬として、プリシピテイションも手掛けた英国セシル・ロッチフォート厩舎に預けられた。その力強くも美しい馬体から、2歳春の時点において既に英国競馬ファンの間では評判になっていた。当初は2歳夏にデビューする予定だったが、負傷のためデビューは2か月ほど遅れて秋にずれ込んだ。
競走生活(3歳前半まで)
2歳9月にニューマーケット競馬場で行われたフォールSでデビューしたが、調整不足だったらしく単勝オッズ21倍の人気薄で、勝ったコーポラル(本馬とは同厩だが、所有者は英国エリザベスⅡ世女王陛下だった)から2馬身差(1馬身差とする資料もある)の2着に敗れた。翌10月には同じくニューマーケット競馬場で行われた芝6ハロンの未勝利プレートに出走。主戦となるハリー・カー騎手を鞍上に、2着マーシャルローに2馬身差で勝ち上がった。2歳時は2戦1勝の成績に終わったが、初勝利を挙げた時点においてカー騎手は本馬が英オークスの有力候補であると確信していたという。
3歳時はぶっつけ本番で英1000ギニー(T8F)に出走した。前哨戦を使わなかった理由は、原田俊治氏の著書「世界の名馬―サイトサイモンからケルソまで」の中で、ワーナー女史が本馬をあまり格下相手の競走に出走させたくなかったからだと説明されている。ぶっつけ本番と言っても、カー騎手は定期的に朝の調教で本馬に跨っており、本馬の特徴や癖をしっかりと掴んだ上での出走だった。未勝利プレートを勝っただけで、しかも3歳初戦の本馬だったが、余程素質が見込まれていたのか、フレッドダーリンSを勝ってきたフェリアなどを抑えて単勝オッズ3.75倍の1番人気の評価を受けた。スタートでは出負けしたものの、後方の位置取りから徐々に進出して行き、レース中盤で先頭のエバーレディに並びかけると、そのまま叩き合いに持ち込み、粘るエバーレディに2馬身差をつけて勝利した。
次走の英オークス(T12F)でも、リングフィールドオークストライアルSを勝ってきたアークロイヤル(後にヨークシャーオークス・パークヒルSに勝利)、後にナッソーSを勝つリールインなどを抑えて、単勝オッズ2.75倍の1番人気に支持された。しかし、へそ曲りの評論家達の中には「メルドの卓越したスピード能力は長距離馬のものではない上に、過去3戦はいずれもニューマーケット競馬場におけるレースであり、(起伏が大きくてスタミナの消耗が激しい)エプソム競馬場では距離が保たない」と懐疑的な見解を述べる者がいたという。父アリシドンは完全な長距離馬だったが、母父フェアトライアルは9ハロンまでの馬であり、種牡馬としても10ハロン以下で活躍する馬ばかりを出していたのが評論家達のお気に召さなかったようである。しかし彼等はレース終了後に沈黙せざるを得なかった。スタートして素早く好位につけた本馬は、タッテナムコーナーを回って直線を向くと「発射台から打ち出されたミサイルのような勢い」で一気に抜け出し、2着アークロイヤルに6馬身差、3着リールインにはさらに3馬身差をつける圧勝劇を果たしたのだった。レース後の記念撮影においても、本馬の息はまるで乱れていなかったと言われている。
その後はコロネーションS(T8F)に向かった。このレースには、チェヴァリーパークSに勝利して前年の英最優秀2歳牝馬に選ばれていたグロリアニッキーの姿もあった。しかし単勝オッズ1.44倍の1番人気に支持された本馬はこのレースでも「発射台から打ち出されたミサイルのような勢い」でグロリアニッキーをちぎり捨て、最後は5馬身差をつけて圧勝した。レース後にグロリアニッキーに乗っていた豪州出身の名手アーサー・“スコビー”・ブリーズリー騎手は「レースでこんな加速力を見せる牝馬はかつて見たことがありません」と脱帽した。
競走生活(3歳後半)
しかしその後に本馬を奇禍が襲った。この年に英国中の厩舎で流行した喉の感染症に罹って、咳が止まらなくなってしまったのである。秋の英セントレジャー(T14F132Y)には出走したが、感染症のためまともに調教が出来ていなかった。そもそも病気自体が完治しておらず、レース前夜もまだ咳き込んでいたし、レース翌日の朝には華氏103度(摂氏39度以上)の熱を出して48時間に渡って寝込んだほどであり、体調は最悪に近かった。それでも本馬は、ジョッキークラブS・ウィンストンチャーチルS・キングエドワードⅦ世Sの勝ち馬ヌクレウス、仏グランクリテリウム・ユジェーヌアダム賞の勝ち馬でパリ大賞3着のボウプリンス(次走の凱旋門賞でリボーの2着している)などを抑えて、単勝オッズ2.1倍の1番人気に支持された。スタートが切られると、距離や体調を意識したのか、カー騎手は本馬を最後方に待機させた。レースはスローペースで進行し、本馬は徐々に位置取りを上げていった。そして4番手で直線に入ってくると、残り3ハロン地点で先頭に立って押し切りを図った。そこへ後方からレスター・ピゴット騎手の檄に応えたヌクレウスが襲い掛かってきた。しかしゴール前で「勇敢なる女王のように戦った」本馬がヌクレウスの追撃を3/4馬身差で凌いで勝利。1942年のサンチャリオット以来13年ぶり史上8頭目の英国牝馬三冠を達成した。ただ、残り半ハロン地点で本馬が内側に切れ込んで、ヌクレウスの進路を一瞬塞ぐ形になる場面があった。そのためレース後にヌクレウス鞍上のピゴット騎手は、知人から10ポンドを借りて進路妨害の裁定を申し込んだが、認められなかった。なお、この勝利により本馬を管理するロッチフォート師は、過去に手掛けてきた馬達の獲得賞金総額が100万ポンドを突破したが、これは英国競馬史上初の快挙だった。
前述のとおりレース後に本馬は体調を悪化させてしまい、これ以上の現役続行は酷であるとして、3歳時4戦全勝の成績で引退した。本馬の獲得賞金総額4万3051ポンドは英国調教牝馬としては当時最高記録だった。
競走馬としての評価
本馬の評価に関しては見る人によってかなり差があるようである。英タイムフォーム社のレーティングにおいては128ポンドで、同年の3歳馬トップだった牡馬パッパフォーウェイの139ポンドより11ポンドも低かった。短距離路線を進んだパッパフォーウェイと本馬を単純比較するのは無理があるとしても、英国クラシック路線を進んだ牡馬アクロポリス(父アリシドンの全弟。グレートヴォルティジュールS・ジョンポーターS・ニューマーケットSに勝ち、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSで2着、英ダービーで3着していた)の132ポンドや、同年の凱旋門賞を勝ったリボーの133ポンドと比べてもやはり低かった。一方で英国3歳馬フリーハンデでは、牡馬トップのアクロポリスより高い133ポンドが与えられている。英国競馬史上における最高の牝馬の1頭として評価する人もいれば、そこまで評価しない人もいるというわけである。古馬になっての成績や他世代馬との対戦成績を重視する筆者としても、なかなか本馬の評価は難しいのだが、あんな体調で長丁場の英セントレジャーを勝った(映像で見る限りでは本馬の斜行は進路妨害を取られてもおかしくないものではあったが)のだから、同世代馬の中では牡馬を含めてもトップクラスの実力を有していた事だけは確実だろう。
血統
Alycidon | Donatello | Blenheim | Blandford | Swynford |
Blanche | ||||
Malva | Charles O'Malley | |||
Wild Arum | ||||
Delleana | Clarissimus | Radium | ||
Quintessence | ||||
Duccia di Buoninsegna | Bridge of Earn | |||
Dutch Mary | ||||
Aurora | Hyperion | Gainsborough | Bayardo | |
Rosedrop | ||||
Selene | Chaucer | |||
Serenissima | ||||
Rose Red | Swynford | John o'Gaunt | ||
Canterbury Pilgrim | ||||
Marchetta | Marco | |||
Hettie Sorrel | ||||
Daily Double | Fair Trial | Fairway | Phalaris | Polymelus |
Bromus | ||||
Scapa Flow | Chaucer | |||
Anchora | ||||
Lady Juror | Son-in-Law | Dark Ronald | ||
Mother in Law | ||||
Lady Josephine | Sundridge | |||
Americus Girl | ||||
Doubleton | Bahram | Blandford | Swynford | |
Blanche | ||||
Friar's Daughter | Friar Marcus | |||
Garron Lass | ||||
Double Life | Bachelor's Double | Tredennis | ||
Lady Bawn | ||||
Saint Joan | Willbrook | |||
Flo Desmond |
父アリシドンは当馬の項を参照。
母デイリーダブルは競走馬としてはチャレンジSなど4勝を挙げている。本馬の半姉チオーネ(父ボレアリス)の曾孫にはオリンピックデュエル【パドックS(南GⅠ)2回・SAフィリーズギニー(南GⅠ)・ケープフィリーズギニー(南GⅠ)・J&Bメトロポリタン(南GⅠ)・グレイヴィルチャンピオンS(南GⅠ)・ターフフォンテンチャンピオンS(南GⅠ)・SAチャンピオンズC(南GⅠ)】がいる。
デイリーダブルの母ダブルトンは、デイリーダブルの半弟ダブルエクリプス(父ハイペリオン)【プリンセスオブウェールズS】を産んだ。また、デイリーダブルの半妹デュプリシティ(父ネアルコ)の子にはドゥプレーション【リングフィールドダービートライアルS】、玄孫世代以降には、カラグロウ【エクリプスS(英GⅠ)・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英GⅠ)】、アレイル【エイントリーハードル(英GⅠ)3回・ディセンバーフェスティバルハードル(愛GⅠ)】などがいる。ダブルトンの母ダブルライフは非常に優秀な繁殖牝馬で、ダブルトンの半兄プリシピテイション【アスコット金杯・ジョッキークラブS・キングエドワードⅦ世S】、半兄カサノヴァ【デューハーストS】、全弟パーシャンガルフ【コロネーションC】の母となっている。→牝系:F2号族②
母父フェアトライアルは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は英国で繁殖入りし、産駒は主にワーナー女史の所有馬として走った。本馬は繁殖牝馬としても優秀で、6頭の勝ち上がり馬を産んだ。その中における最高傑作は11歳時の1963年に産んだ5番子の牡駒シャーロットタウン(父シャーロットヴィル)【英ダービー・コロネーションC・ホーリスヒルS・オックスフォードシャーS(現ジェフリーフリアS)・ジョンポーターS・2着愛ダービー・2着英セントレジャー】である。英オークス馬が英ダービー馬の母となったのは20世紀に入ってからでは3例目(1910年の英オークス馬ローズドロップが1918年の英国三冠馬ゲインズボローを、1913年の英オークス馬ジェストが1921年の英ダービー馬ユーモリストを産んで以来)、19世紀以前も含めた通算では6例目で、この後は2例のみ(スノーブライドとラムタラ、ウィジャボードとオーストラリア)である。他の産駒には、豪州で種牡馬として活躍した初子の牡駒ライサンダー(父ネアルコ)、1戦1勝で繁殖入りし後に日本に繁殖牝馬として輸入された3番子の牝駒インタグリオ(父テネラニ)、不出走馬ながら新国で1973/74・77/78シーズンと2度の首位種牡馬に輝く成功を収めた4番子の牡駒メレイ(父ネヴァーセイダイ)などがいる。本馬は1983年に31歳の高齢で大往生した。本馬の名はイギリス国鉄のディーゼル機関車D9003号の名称として、1961年から1980年まで使用された。
本馬の牝系はインタグリオの1頭のみを通じて後世に伝えられた。インタグリオの子孫から出た日本の活躍馬には、ホワイトアロー【愛知杯(GⅢ)・京都金杯(GⅢ)】などがいるが、むしろインタグリオの牝系子孫が発展しているのは日本国外であり、その孫世代にはイージーリージェント【クリテリウムドサンクルー(仏GⅡ)・ダリュー賞(仏GⅡ)】、ムーンイングレイヴァー【アスタルテ賞(仏GⅢ)】が、曾孫世代にはキングズアイランド【サンセットH(米GⅠ)】、ベンガルファイア【ロイヤルロッジS(英GⅡ)】がいる。さらに後の世代にはラモンティ【ヴィットリオディカプア賞(伊GⅠ)・クイーンアンS(英GⅠ)・サセックスS(英GⅠ)・クイーンエリザベスⅡ世S(英GⅠ)・香港C(香GⅠ)】、チーキーチョイス【フライトS(豪GⅠ)】、ザブラシヴ【ローズヒルギニー(豪GⅠ)】などがいる。