サンチャリオット

和名:サンチャリオット

英名:Sun Chariot

1939年生

黒鹿

父:ハイペリオン

母:クラレンス

母父:ディリジェンス

時の英国王ジョージⅥ世の所有馬として第二次世界大戦中に英国牝馬三冠を達成した激しい気性と高い身体能力を兼ね備えた名牝

競走成績:2・3歳時に英で走り通算成績9戦8勝3着1回

誕生からデビュー前まで

愛国ナショナルスタッドの生産馬で、同じくナショナルスタッドで産まれた同い年の牡馬ビッグゲームと共に、時の英国王ジョージⅥ世にリースされて国王の所有馬となった。ビッグゲームと一緒にジョージⅥ世の専属調教師フレッド・ダーリン師の管理馬となったが、大柄なビッグゲームと対照的に本馬は華奢な体格で当初は調教の動きも悪かった。しかも極めて激しい気性の持ち主だったという。そのため本馬の将来性に疑問を抱いたダーリン師は、本馬を愛国ナショナルスタッドに送り返そうとした。しかし、ちょうど第二次世界大戦中だったため、輸送の許可がなかなか降りなかった。そうこうしているうちに調教の動きが急激に良くなってきたので、ダーリン師は結局そのまま本馬を管理することにしたという。

競走生活(2歳時)

2歳6月にニューベリー競馬場で行われたエイコーンプレート(T5F)でハリー・ラッグ騎手を鞍上にデビューして、2馬身差で勝利した。続いて出走した7月初めのクイーンメアリーS(T5F)は、2着パーフェクトピースに頭差の辛勝だった。しかし7月末のエイムスバリーS(T6F)は10馬身差の圧勝で実力の違いを見せつけた。この後、独国軍による英国本土への空襲が激しくなったことから、しばらくレースへの出走は控えられた。

10月のミドルパークS(T6F)でレースに復帰。ジュライS・ウッドコートSの勝ち馬ウジジ、コヴェントリーSと英シャンペンSでいずれもビッグゲームの2着だったワトリングストリートといった強豪牡馬勢が相手となったが、2着ウジジに3馬身差をつける完勝を収めた。2歳時は4戦全勝の成績で、2歳馬フリーハンデでは英シャンペンSなど5戦全勝のビッグゲームを1ポンド上回る133ポンドでトップにランクされた。

競走生活(3歳時)

3歳時は4月末にソールスベリー競馬場で行われたサウザンS(T6F)から始動した。このレースで初めて本馬に英国競馬界の誇る名手ゴードン・リチャーズ騎手が騎乗した(彼は前年5月に馬に蹴られて負傷したためしばらく騎乗を控えていた)。しかし休み明けの影響もあったのか、いつも以上に不機嫌だった本馬は、レースで勝つためのあらゆる努力を放棄し、勝ったウジジから4馬身差の3着に敗れた。しかし翌週に出走したサラムS(T7F)では、2着フェベリオンに1馬身差で勝利した。そして英国クラシック路線に駒を進めることになった。なお、第二次世界大戦の最中だったため、この年の英国クラシック競走は全てニューマーケット競馬場で行われている。

サラムSの2週間後に出走した英1000ギニー(T8F)では、クイーンメアリーS2着後にチェヴァリーパークSを勝っていたパーフェクトピースなどを抑えて、単勝オッズ2倍の1番人気に支持された。そして期待に応えて、パーフェクトピースを4馬身差の2着に下して圧勝した。

続いて出走した英オークスの代替競走ニューオークス(T12F)では、第二次世界大戦勃発以降しばらく競馬場に姿を見せていなかったジョージⅥ世が、直前に行われた英ダービーの代替競走ニューダービーに続いて、エリザベス王妃を伴って観戦に訪れていた。本馬は単勝オッズ1.25倍という圧倒的な1番人気に支持されたが、このレースで本馬はその気性の悪さと身体能力の高さを存分に発揮してみせた。3度もスタートをやり直した挙句、正規のスタート直後には左によれて後方からのレースとなってしまった。最終コーナーでもまだ後方だったが、直線に入ると大外を突き抜けて残り1ハロン地点で先頭に立った。最後は気抜き癖を出しながらも、2着アフターソート(後のジョッキークラブCの勝ち馬で、同月末のアスコット金杯の代替競走ニューマーケット金杯でオーエンテューダーの2着、秋の英チャンピオンSでビッグゲームの2着している)の追撃を1馬身差で封じて優勝した。

この後、本馬の陣営は独国軍の空襲を警戒して夏場のレース出走は差し控えた。秋はぶっつけ本番で英セントレジャーの代替競走ニューセントレジャー(T14F150Y)に出走した。これはニューダービーで同厩のビッグゲームがワトリングストリートの4着に敗れた雪辱戦という意味合いもあった(ビッグゲームは距離不安を理由に回避して代わりに英チャンピオンSに向かっている)。このレースには、ワトリングストリート、後のコロネーションCの勝ち馬ハイペリデス、後のニューマーケット金杯の勝ち馬ウジジという、ニューダービーの上位3頭が揃って出走してきた。本馬は中団待機から徐々に進出するという、珍しく落ち着いた走りを見せて、2着ワトリングストリートに3馬身差をつけて優勝し、1904年のプリティポリー以来38年ぶり史上7頭目の英国牝馬三冠を達成した。

3歳時の成績は5戦4勝で、同年の3歳馬フリーハンデでは、英2000ギニーや英チャンピオンSを制したビッグゲームと並んでトップにランクされた。翌4歳時も調教が続けられたが、第二次世界大戦中で大半の大競走が中止されていたこともあり、結局4歳時には一度もレースに出ることなく競走馬を引退した。

競走馬としての評価と特徴

本馬の英国牝馬三冠は第二次世界大戦中に代替開催により実施されたレースで達成したものであるが、第一次世界大戦中に同じく代替開催で英国三冠を達成したポマーンゲイクルセイダーゲインズボローの3頭に関しては正式な英国三冠馬として認めるべきではないという意見もあったのに対して、本馬に関しては特にそうした意見があったという話は聞かない。既にゲインズボローが本馬の父ハイペリオンを出すなど種牡馬として英国三冠馬に恥ずかしくない功績を残していた事もあっただろうが、本馬自身の卓越した競走能力によるところも大きいのではないかと思われる。

“A Century of Champions”には、今まで騎乗した中で最も優れた馬はどれかと尋ねられたリチャーズ騎手が本馬の名を挙げた上で「しかしあの気性は私の髪を白髪に変えるほど凄まじかった」と苦笑交じりに語ったという逸話が載っている。本馬の功績を讃えて1966年にニューマーケット競馬場でサンチャリオットSが創設され、現在はGⅠ競走として施行されている。

血統

Hyperion Gainsborough Bayardo Bay Ronald Hampton
Black Duchess
Galicia Galopin
Isoletta
Rosedrop St. Frusquin St. Simon
Isabel
Rosaline Trenton
Rosalys
Selene Chaucer St. Simon Galopin
St. Angela
Canterbury Pilgrim Tristan
Pilgrimage
Serenissima Minoru Cyllene
Mother Siegel
Gondolette Loved One
Dongola
Clarence Diligence Hurry On Marcovil Marco
Lady Villikins
Tout Suite Sainfoin
Star
Ecurie Radium Bend Or
Taia
Cheshire Cat Tarporley
Lady Sneerwell
Nun's Veil Friar Marcus Cicero Cyllene
Gas
Prim Nun Persimmon
Nunsuch
Blanche White Eagle Gallinule
Merry Gal
Black Cherry Bendigo
Black Duchess

ハイペリオンは当馬の項を参照。

母クラレンスは不出走馬。本馬の半姉シスタークララ(父スカーレットタイガー)の孫にサンタクロース【英ダービー・愛2000ギニー・愛ダービー・愛ナショナルS】、牝系子孫に日本で走ったビゼンニシキ【スプリングS(GⅡ)・NHK杯(GⅡ)・共同通信杯四歳S(GⅢ)】が、全妹ゴールデンコーチの牝系子孫にサンフロンティエール【愛セントレジャー(愛GⅠ)】が、全妹カラシュの子にカロッツァ【英オークス】、亜国の名種牡馬となったスノーキャット【ロウス記念S・ロイヤルS】、孫に新国の名種牡馬となったバトルワゴン、智国の名種牡馬となったセメネンコ、曾孫にマタホーク【パリ大賞(仏GⅠ)】、玄孫に日本で走ったキョウエイレア【高松宮杯(GⅡ)】、牝系子孫にヘレノス【コーフィールドギニー(豪GⅠ)・ヴィクトリアダービー(豪GⅠ)・ローズヒルギニー(豪GⅠ)】などがいる。

クラレンスの半妹メイドンズチョイス(父ミスタージンクス)の曾孫に、アスカの名前で出走した皐月賞で五冠馬シンザンを苦しめて2着に入り、後に地方競馬に移籍して川崎記念を勝ったエイコウザンがいる。

クラレンスの母ナンズヴェイルは大種牡馬ブランドフォード【プリンセスオブウェールズS】の半妹。ナンズヴェイルの母ブランシュの半姉にはチェリーラス【英1000ギニー・英オークス・セントジェームズパレスS・ナッソーS】、半兄にはブラックアロー【セントジェームズパレスS・コヴェントリーS】、叔父には名種牡馬ベイロナルド【ハードウィックS・シティ&サバーバンH】がいる。→牝系:F3号族②

母父ディリジェンスはハリーオンの直子で、サセックスSなどの勝ち馬。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は英国ギリンガムにあるナショナルスタッドで繁殖入りした。自身に匹敵するような大物産駒こそ出なかったが、繁殖牝馬としてはまずまずの成績を残した。主な産駒は、体質が弱く競走馬として大成はできなかったが種牡馬として愛オークス馬ファイヴスポッツなどを出した初子の牡駒ブルートレイン(父ブルーピーター)【ニューマーケットS】、後に新国で種牡馬入りした2番子の牡駒ギガンティック(父ビッグゲーム)【インペリアルプロデュースS】、後に豪州で種牡馬入りして一定の成功を収めた4番子の牡駒ランドウ(父ダンテ)【サセックスS・ロウス記念S】、8番子の牡駒ピンダリ(父ピンザ)【クレイヴンS・キングエドワードⅦ世S・グレートヴォルティジュールS・ソラリオS】、後に日本で種牡馬入りしてカツラノハイセイコの母父となった9番子の牡駒ジャヴリン(父タルヤー)などである。1963年7月に24歳で他界した。

本馬の牝系子孫はそれほど発展していないが、日本に繁殖牝馬として輸入された3番子の牝駒ゲイムカート(父ビッグゲーム)の牝系子孫からは、ラウンドファーザー【福島大賞典】、ダイハードコトブキ【羽田盃・NTV盃】、マックスファイアー【北海道三歳S】、優駿牝馬でコスモドリームの2着に入ったマルシゲアトラスなどが出ており、今世紀に入っても日本で本馬の牝系が残っている。

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