オーエンテューダー

和名:オーエンテューダー

英名:Owen Tudor

1938年生

青鹿

父:ハイペリオン

母:メアリーテューダー

母父:ファロス

種牡馬として自身の競走能力とは異なる歴史的快速馬を続出させた第二次世界大戦中の英ダービー馬

競走成績:2~4歳時に英で走り通算成績13戦6勝2着2回

誕生からデビュー前まで

キャサリン・マクドナルド・ブキャナン夫人により生産・所有された英国産馬である。ブキャナン夫人はハリーオンなどの生産・所有者として知られる初代ウーラビントン男爵ジェームズ・ブキャナン卿の娘で、父が1935年に死去した後に馬産を引き継いでいた。本馬は父が名種牡馬ハイペリオン、母は仏国の名牝メアリーテューダーという良血馬で、成長後の体高は16.1ハンドで小柄な父に比べると立派な体格の持ち主だったが、僅かに膝の湾曲があったという。既に英ダービーで6勝を挙げていたフレッド・ダーリン調教師に預けられた。

競走生活(3歳初期まで)

2歳5月にソールスベリー競馬場で行われたソールスベリーS(T5F)でデビューして4馬身差で圧勝。その後はニューマーケット競馬場に向かい、クリテリオンS(T6F)に出走したが、スターワートの5着に敗れた。同じくニューマーケット競馬場で出たボスコーエンS(T5F)では、シティオブフリントの頭差2着に敗れた。2歳時の成績は3戦1勝で、英国の2歳馬フリーハンデでは第8位という評価だった(第1位のポアズは騙馬だったため英国クラシック競走への出走権は無かった)。

3歳時は4月にニューマーケット競馬場で行われたコラムプロデュースSから始動して、2着バスティルに3馬身差で快勝。

次走の英2000ギニー(T8F)では、ミドルパークSで2着していた同厩馬モロゴロ、デューハーストS2着馬ランバートシムネルなどを抑えて、堂々の1番人気に支持された。ところが結果はランバートシムネルの5着に敗退。その後はソールスベリー競馬場で行われたトライアルSに出走。ここでも人気を集めたがフェアリープリンスの2馬身差2着に敗れた。

英ダービー

それでも陣営は本馬を英ダービーに向かわせた。本馬が競走馬生活を送った当時は第二次世界大戦の最中であり、ニューマーケット競馬場やソールスベリー競馬場など一部を除く多くの英国の競馬場が軍事利用のため、又は安全上の理由のために閉鎖されていた。英ダービーが本来行われるエプソム競馬場も独国から飛来する爆撃機の迎撃部隊が駐屯していたため競馬場としては使用できず、この年の英ダービーはニューマーケット競馬場においてニューダービー(T12F)という名称で開催された。本馬はレース2週間前の公開調教でも平凡な動きだった上に、主戦を務めていた名手ゴードン・リチャーズ騎手が負傷のため騎乗できなかった事もあって、英2000ギニーから一転して単勝オッズ26倍の最低人気だった。

本馬にはリチャーズ騎手の代わりに英国陸軍の武器補給部隊に所属していた現役兵士のウィリアム・“ビリー”ネヴェット騎手が休暇を貰って騎乗することになった。戦時中にも関わらず、ニューマーケット競馬場には徹夜組を含む5万人の観衆が詰め掛けた。これはニューマーケット競馬場史上最高の観衆であり、同競馬場の収容人員を超える人数だったため、警備のために英国空軍の飛行機が上空を旋回していたという。道中は後方を進んだ本馬は、直線に入ると爆発的な末脚を繰り出し、残り2ハロン地点で先頭に立つと、英2000ギニーで2馬身差の2着だったモロゴロを1馬身半差の2着に抑えて優勝した。これは祖父ゲインズボロー、父ハイペリオンに続く親子三代の英ダービー制覇だった。また、ブキャナン夫人は女性として史上3人目の英ダービー馬の馬主となった。また、ダーリン師にとっては7度目にして最後の英ダービー制覇となった。

競走生活(英ダービー以降)

その後は2か月間の休養を経て、8月にニューベリー競馬場で行われたセントサイモンSで復帰した。しかし結果はサンキャッスルの4着に敗退。翌月にはマンチェスター競馬場で行われた英セントレジャーの代替競走ニューセントレジャー(T14F)に出走したが、ここでもサンキャッスルの8着に敗れた。しかし次走のニューマーケットセントレジャー(前走のニューセントレジャーと異なり、英セントレジャーの公式代替競走ではなかった)では、ニューセントレジャーで頭差2着だったシャトーラローズを2馬身差の2着に破って勝利した。3歳時の成績は7戦3勝で、英国の公式ハンデキャッパーは本馬をこの年の3歳馬としては最上位と評価した(2位のサンキャッスルより3ポンド上位)。

4歳時もアスコット金杯を目指して現役を続行。まずは4月にソールスベリー競馬場で行われたトライアルプレート(T12F)から始動。リチャーズ騎手とコンビを組んで、2着マザリンに8馬身差をつけて圧勝した。しかし5月にソールスベリー競馬場で行われたトライアルプレート(T14F)では7頭立ての6着(勝ったのは前走で一蹴したマザリン)と惨敗した。

それでも6月にニューマーケット競馬場で行われたアスコット金杯の代替競走ニューマーケット金杯(T18F)では単勝オッズ3.5倍の1番人気に支持された。リチャーズ騎手鞍上の本馬はレース中盤で早々に先頭に立つと、そのまま2着となった3歳牝馬アフターソート(同年のニューオークスでサンチャリオットの1馬身差2着だった)や3着ラヴリートリム以下に3馬身差をつけて快勝。このレースを最後に4歳時3戦2勝の成績で現役を引退した。

馬名に関して

馬名のオーエン・テューダーは、16世紀英国の王朝テューダー朝の祖である実在の人物名。彼は元々ランカスター朝の絶頂期を築いた英国王ヘンリーⅤ世の未亡人キャサリンの秘書だったが、彼女と愛人関係となって四人の子どもを授かった。後にヘンリーⅤ世とキャサリンの間に産まれた英国王ヘンリーⅥ世に対してヨーク公リチャードが反乱を起こして薔薇戦争(ランカスター家が赤薔薇、ヨーク家が白薔薇を記章としていたためにこの名で呼ばれる)が勃発すると、オーエン・テューダーはランカスター派として参戦したが敗れて捕らえられ処刑された。しかしキャサリンとの間に産まれたリッチモンド伯エドマンド・テューダーの息子ヘンリー・テューダー(ヘンリーⅥ世とその息子の死によりランカスター朝唯一の男子となった)が薔薇戦争を終結させてヘンリーⅦ世として即位し新たにテューダー王朝を建てたのである。

英国の名馬の中には、ジョンオゴーントとスウィンフォード父子やウィリアムザサード、本馬と同世代のランバートシムネル(ランバート・シムネルは英王室とは何の関係も無い平凡な少年だったが、実はヨーク家の血を引く者であるとしてヘンリーⅦ世と対立する人々により担ぎ出されて、ヘンリーⅦ世に対する反乱の中心人物となった。反乱は失敗に終わったが本人は子どもだったために無罪となっている)など英国歴代王朝に縁がある名前を戴いた馬が少なくないが、本馬もその中の1頭なのである。

血統

Hyperion Gainsborough Bayardo Bay Ronald Hampton
Black Duchess
Galicia Galopin
Isoletta
Rosedrop St. Frusquin St. Simon
Isabel
Rosaline Trenton
Rosalys
Selene Chaucer St. Simon Galopin
St. Angela
Canterbury Pilgrim Tristan
Pilgrimage
Serenissima Minoru Cyllene
Mother Siegel
Gondolette Loved One
Dongola
Mary Tudor Pharos Phalaris Polymelus Cyllene
Maid Marian
Bromus Sainfoin
Cheery
Scapa Flow Chaucer St. Simon
Canterbury Pilgrim
Anchora Love Wisely
Eryholme
Anna Bolena Teddy Ajax Flying Fox
Amie
Rondeau Bay Ronald
Doremi
Queen Elizabeth Wargrave  Carbine
Warble
New Guinea Minting
Newhaven

ハイペリオンは当馬の項を参照。

母メアリーテューダーは仏1000ギニー・ヴェルメイユ賞・クロエ賞・アルクール賞を制し、仏オークスで2着した名牝。繁殖牝馬としても活躍しており、本馬の全弟エドワードテューダー【チェスターヴァーズ】など、本馬以外に5頭の勝ち上がり馬を産んでいる。ちなみにメアリー・テューダーとは、本馬の名の由来となったオーエン・テューダーの孫であるヘンリーⅦ世の娘で一時的に仏国王ルイ12世の王妃だった実在の人物名で、ロンドン塔に幽閉されて処刑された悲劇の英国女王ジェーン・グレイの祖母である。本馬の全妹テューダーメイドの子にはロイヤルフォレスト【デューハーストS・コヴェントリーS・サンダウンパークトライアルS・ゴードンS】が、半妹ソーラープリンセス(父ソラリオ)の子にはインデュナ【リングフィールドダービートライアルS】がいる。

メアリーテューダーの母アンナボレナも仏1000ギニー・クロエ賞を勝った名牝で、メアリーテューダーの半兄ジャンボ(父サンボ)【ロワイヤルオーク賞・ダフニ賞】を産んでいる。本馬の牝系を遡ると、英ダービーと英オークスを勝った名牝ブリンクボニーの半妹ボニーベルへと行きつく。→牝系:F10号族②

母父ファロスは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は英国で種牡馬入りした。首位種牡馬には縁が無かった(1961年に仏種牡馬ランキングで2位になったのが最高)が、かなり優秀な種牡馬成績を収めた。本来スタミナ豊富なハイペリオン系であり、自身も英ダービー馬でありながら、不思議な事に本馬の産駒はスピード色が強かった。マイル以下では無敵を誇ったテューダーミンストレルや英国競馬史に残る名短距離馬アバーナントなどはその筆頭格である。ただし、スピード馬だけではなく、ライトロイヤルやエルペナーのような長距離得意の馬も出しているなど産駒のタイプは幅広く、繁殖牝馬の長所を活かすタイプの種牡馬だったのかもしれない(テューダーミンストレルもアバーナントも母系がスピード血統である)。1960年に種牡馬を引退し、1966年に28歳で他界した。

後継種牡馬としてはテューダーミンストレルが最も成功し、日本でも直系のテュデナムやモバリッズが活躍したが、現在では本馬の直系は衰退傾向である。日本においてはほぼ完全に滅亡しているが、欧州ではカドゥージェネルーの系統が何とか頑張っている。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1944

Tudor Minstrel

英2000ギニー・コヴェントリーS・セントジェームズパレスS

1945

Goblet

チャイルドS・ナッソーS

1946

Abernant

ミドルパークS・キングズスタンドプレート・英シャンペンS・キングジョージS2回・ジュライC2回・ナンソープS2回

1948

Absolve

ゴールドヴァーズ

1949

Bibi Toori

モートリー賞

1950

Airelle

フロール賞

1950

Elpenor

アスコット金杯・カドラン賞・リューテス賞

1950

Omelia

チェリーヒントンS

1951

Le Geographe

仏グランクリテリウム・ドラール賞

1952

Theodorica

伊1000ギニー・伊オークス・イタリア大賞・ドルメロ賞

1953

Edmundo

ジュライS

1953

Tudor Era

マンノウォーS・ロングフェローH・ハイアリアターフCH・ロングアイランドH・ニューオーリンズH

1955

Dalaba

ロワイヤリュー賞

1955

Owen Glendower

オックスフォードシャーS

1955

Owenello

プリティポリーS

1956

Lovely Rose

サラマンドル賞

1957

Tudor Period

ホワイトローズS

1958

Right Royal

キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・仏2000ギニー・仏ダービー・サラマンドル賞・仏グランクリテリウム・リュパン賞・フォワ賞

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