スウィンフォード
和名:スウィンフォード |
英名:Swynford |
1907年生 |
牡 |
鹿毛 |
父:ジョンオゴーント |
母:カンタベリーピルグリム |
母父:トリスタン |
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20世紀初頭における英国で考え得る最高の血統を有する英セントレジャー・エクリプスSの勝ち馬は種牡馬としても優秀な成績を収める |
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競走成績:2~4歳時に英で走り通算成績12戦8勝2着1回3着1回 |
誕生からデビュー前まで
第16代ダービー伯爵フレデリック・アーサー・スタンリー卿により英国リンカンシャー州ノウスレイスタッドにおいて生産された。本馬が産まれた翌年の6月に第16代ダービー伯爵が死去したため、息子の第17代ダービー伯爵エドワード・スタンリー卿の所有馬となった。誕生月が1月と早かった影響があったのか産まれた直後は小柄だったが、順調に成長し、1歳時には標準以上の大柄な体格になっていた。
この1歳時に、第16代ダービー伯爵に続いて第17代ダービー伯爵の専属調教師も務める事となったジョージ・ラムトン師に預けられており、ラムトン師は「前年見た優れた子馬がさらに大きくなって私の元へとやってきた」と書いている。さらには超一流の血統、デビュー前調教において同斤量を背負った年上の快速馬ウェルドーンに先着するほどの優れた動き、丸一日走っていても平気なほどのスタミナから、ラムトン師から「全身が脚と翼で出来ている」と評されたほど将来を嘱望される期待馬だった。ただし気性面には問題があり、周囲の人間を手こずらせた。また、前脚に不安を抱えており、ライバル馬よりもむしろ自分自身と戦いながらの競走生活を送ることになった。
競走生活(3歳前半まで)
2歳7月にニューマーケット競馬場で行われたエクセターS(T6F)でデビューを果たすが、鞍上ダニー・マハー騎手の指示に逆らって暴走してしまい、牝馬ザジェイドの着外に沈んだ。しかも直後に飛節軟腫を発症してしまい、2歳時はこの1戦のみで休養入りした。
3歳5月になってようやく調教が再開された本馬の復帰戦は、調教再開から僅か1週間後の英ダービー(T12F29Y)だった。しかし道中で他馬と接触して負傷してしまい、11着と惨敗してしまった。同月のプリンスオブウェールズSを勝つグリーンバックを首差の2着に、リッチモンドSの勝ち馬チャールズオマリーをさらに2馬身差の3着に抑えて勝ったのは、名馬ベイヤードの1歳年下の半弟で、ニューS・ロウス記念S2回・デューハーストS・ミドルパークSを勝つなど2歳戦から断然の強さを誇っていた、後の好敵手レンベルグだった。
続くセントジェームズパレスS(T8F)でも、勝ったレンベルグから4馬身差、2着となったジュライSの勝ち馬プリンスルパートから1馬身差の3着に終わった。
その2日後のハードウィックS(T12F)では主戦となるフランク・ウートン騎手と初コンビを組んだ。ここで軽ハンデの恩恵もあって初勝利を挙げるが、2着マラヤクス(同月のプリンスオブウェールズSでグリーンバックの3着だった)との差は3/4馬身と僅差であり、まだまだ本格化には程遠かった。しかしその後に行われた同厩のアスコットダービー(現・キングエドワードⅦ世S)の勝ち馬ディシジョンとの併せ馬調教で完勝し、この辺りから徐々に素質を開花させていった。
競走生活(3歳後半以降)
次走のリヴァプールサマーC(T10F170Y)では、単勝オッズ2.375倍の1番人気に支持された。まだ気性的に青い面があり、鞍上のウートン騎手をまるで引き摺るように先頭を飛ばしまくった。しかし最後まで失速することなく、そのまま2着ラストコールに5馬身差(10馬身差とする資料もある)で逃げ切り勝ちを収め、改めてそのスタミナ能力を示した。
その2か月後に出走した英セントレジャー(T14F132Y)で、レンベルグと3度目の対戦となった。多少大げさだが「レンベルグ見たさに、英国内における競馬ファンの半数がドンカスター競馬場に詰めかけた」と言われるほど注目されたこのレースで、本馬はレンベルグに次ぐ単勝オッズ4.5倍の2番人気の支持を受けた。本馬はスタートからハイペースで快調に逃げた。そのまま直線に入り、レンベルグが馬群に包まれて抜け出せないのを尻目に逃げ込みを図った。そして最後はグリーナムSの勝ち馬でパリ大賞3着のブロンズィーノの追撃を頭差凌いで優勝した。レンベルグはさらに1馬身半差の3着だったが、レース前から本調子では無かった上に、馬群に包まれて脚を余すという鞍上ダニエル・マハー騎手の凡騎乗もあったため、本馬がレンベルグを実力で上回ったとは断定できなかった。次走のリヴァプールセントレジャーでは単走で勝ち、3歳シーズンを6戦4勝で終えた。
4歳になり、初戦のチッペナムプレート(T12F)を楽勝。次走のコロネーションC(T12F29Y)では、英セントレジャー3着後に英チャンピオンS・ロウザーS・ジョッキークラブSを勝つなど相変わらず活躍していたレンベルグとの対戦となった。本馬とレンベルグが並んで単勝オッズ3.25倍の1番人気に支持された。しかしレースでは珍しく抑える競馬を試みたのが逆に仇となり、一昨年の愛ダービー馬で前年のコロネーションC2着のバチェラーズダブルを頭差の3着に抑えるのが精一杯で、勝ったレンベルグから3/4馬身差の2着に敗れた。次走のハードウィックS(T12F)では4馬身差で完勝して2連覇を達成。
その後はプリンセスオブウェールズS(T12F)に向かい、レンベルグと5度目の対戦となった。レンベルグが1番人気で、本馬は単勝オッズ4倍の2番人気だった。コロネーションCの反省から今度は得意の逃げ戦法を採り、2着レンベルグに1馬身半差をつけて完勝した(前月のアスコットダービーを勝ってきたデューハーストプレートの勝ち馬キングウィリアムが3着だった)。しかし斤量面に目を向けると、本馬の斤量141ポンドに対して、レンベルグの斤量は146ポンドであり、まだ本馬がレンベルグを超えたとは言い切れなかった。
この半月後のエクリプスS(T10F)ではレンベルグとの最終決戦となった。斤量は2頭とも同じ140ポンド。やはり1番人気はレンベルグで、本馬は単勝オッズ3.25倍の2番人気だった。しかし結果は、スタートからゴールまで終始先頭を走り続けた本馬が2着レンベルグに4馬身差、3着となったリッチモンドS・ジムクラックS・英シャンペンSの勝ち馬ピエトリにもさらに4馬身差をつけて圧勝。完全に好敵手を追い越した瞬間となった(対戦成績は3勝3敗の五分だった)。
致命的な故障を起こすも九死に一生を得る
その後は秋のジョッキークラブSを目指して順調に調整されていた本馬だったが、9月のある日、突然の悪夢に襲われた。ニューマーケット競馬場で実施されていた朝の調教中に、右前脚の球節を粉砕骨折してしまったのである。この日のことについてラムトン師は次のように書き残している。「2頭の馬だけが調教で走っていました。馬場の近くに干草の山があり、走っていた2頭の馬はその陰になって私の視界から隠れました。しばらくすると、1頭の馬だけが陰から走ってきました。もう1頭は現れませんでした。慌てて駆けつけた私は、スウィンフォードが3本の脚だけで立っているのを目の当たりにしました。1時間半後に獣医のリヴォック氏が駆けつけてきました。さらに1時間後にスウィンフォードは救急車に乗せられて搬送されました。あんな大柄な馬が3本脚になってしまっては、とても救命の余地は無いように私には思えました。それでもリヴォック氏の素晴らしい対応によって救命は実行に移されました。それにしても、この日は私にとって生涯最悪の一日でした。」
ラムトン師が書いたとおり、本馬の怪我は通常なら予後不良確実の致命的なものだったが、リヴォック氏が施した緊急手術は見事に成功。この頃には気性が良化していた本馬も大人しく治療に専念してくれたため、奇跡的に一命を取り留めることができた。しかし現役を続行できるはずもなく、そのまま4歳時5戦4勝の成績で引退となった。
馬名は、父ジョンオゴーントの名前の由来となっているランカスター公爵ジョン・オブ・ゴーント卿の愛人で後に最後の妻となるキャサリン・スウィンフォード夫人に因む。
血統
John o'Gaunt | Isinglass | Isonomy | Sterling | Oxford |
Whisper | ||||
Isola Bella | Stockwell | |||
Isoline | ||||
Dead Lock | Wenlock | Lord Clifden | ||
Mineral | ||||
Malpractice | Chevalier d'Industrie | |||
The Dutchman's Daughter | ||||
La Fleche | St. Simon | Galopin | Vedette | |
Flying Duchess | ||||
St. Angela | King Tom | |||
Adeline | ||||
Quiver | Toxophilite | Longbow | ||
Legerdemain | ||||
Young Melbourne Mare | Young Melbourne | |||
Brown Bess | ||||
Canterbury Pilgrim | Tristan | Hermit | Newminster | Touchstone |
Beeswing | ||||
Seclusion | Tadmor | |||
Miss Sellon | ||||
Thrift | Stockwell | The Baron | ||
Pocahontas | ||||
Braxey | Moss Trooper | |||
Queen Mary | ||||
Pilgrimage | The Palmer | Beadsman | Weatherbit | |
Mendicant | ||||
Madame Eglentine | Cowl | |||
Diversion | ||||
Lady Audley | Macaroni | Sweetmeat | ||
Jocose | ||||
Secret | Melbourne | |||
Mystery |
父ジョンオゴーントは英国の名門牧場スレッドメアスタッドの生産馬で、英国三冠馬アイシングラスと英国牝馬三冠馬ラフレッチェの間に産まれた究極の良血馬。現役時代は骨瘤に悩まされた影響もあり、7戦して勝ち星は2歳時にハーストボーンSを勝っただけの1勝止まりだった。それでも英2000ギニーと英ダービーのいずれもセントアマントの2着に入っており、同世代の牡馬勢の中では上位に位置する競走能力を有していた。ただしこの世代の牡馬勢は同い年の名牝プリティポリーにまるで敵わなかった(ジョンオゴーントもドミニオン2歳プレートにおいてプリティポリーに大差をつけられて3着に敗れている)ため、それほど評価が高かったわけではない。
競走馬引退後はウィリアム・イアンソン氏のブリンクボニースタッドで種牡馬入りした。種牡馬としては初年度産駒である本馬以外に英2000ギニー・デューハーストSの勝ち馬ケニーモアなどを出している。しかし晩年は活躍馬に恵まれず、シェフィールドレーン牧場に移動した後の1924年に、当時の所有者ジョージ・サーズビー卿の指示により、まだ健康面で何の問題も無かったにも関わらず23歳で銃殺処分された。なお、本馬の前脚は元々難があったが、これはジョンオゴーントからの遺伝とされている。また、ジョンオゴーントの脚部不安はアイシングラスから受け継いだものだったという。
余談だが、ジョンオゴーントの名の由来となったジョン・オブ・ゴーント卿は、14世紀の英国王エドワードⅢ世(仏国の王位継承権を巡って百年戦争を引き起こした人物)の四男である。無能ではないにしてもそれほど有能というわけでもなかったようで、軍事・内政・外交面のいずれにおいてもあまり成果を残す事は出来なかったが、スウィンフォード夫人との間に産まれたジョアン・ボーフォート・ウェストモーランド伯爵夫人とその娘であるセシリー・ネヴィル公妃、さらにその息子である英国王エドワードⅣ世やリチャードⅢ世を経て、後の英王朝全てにその血を受け継がせていった人物である。ジョン・オブ・ゴーント卿のこの経歴は、優れた血統、二流ではないが一流とも言えない能力、(妻と息子の違いはあるが)スウィンフォードの力で後世に血を残したなどの点において、ジョンオゴーントと奇妙なほどよく似ている。
母カンタベリーピルグリムは当馬の項を参照。→牝系:F1号族⑥
母父トリスタンは当馬の項を参照。
本馬の血統はまさしく当時の英国で考え得る最高のものであった。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は英国ニューマーケットウッドランドスタッドで種牡馬生活を開始した。本馬は種牡馬として現役時代に勝るとも劣らない好成績を挙げ、半兄チョーサーと共に第17代ダービー伯爵の馬産を支えた。英国クラシック競走勝ち馬を6頭も送り出し、1923年には英愛首位種牡馬に輝いた。自身と同様に大柄で長距離戦を得意とする産駒が多かった。また、繁殖牝馬の父としても優秀で、1932年の英愛母父首位種牡馬に輝いている。1928年5月にウッドランドスタッドにおいて21歳で他界した。後継種牡馬としては英ダービー馬を4頭輩出して3度の英愛首位種牡馬となったブランドフォード、いずれも北米首位種牡馬となったセントジャーマンズとチャレンジャーが成功し、本馬の血脈を現在に伝えている。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1915 |
Ferry |
英1000ギニー |
1916 |
Keysoe |
英セントレジャー・ナッソーS |
1918 |
Bettina |
英1000ギニー |
1918 |
Donna Branca |
コロネーションS |
1919 |
プリンセスオブウェールズS |
|
1919 |
Silurian |
ドンカスターC |
1920 |
Bold and Bad |
アスコットダービー・ゴードンS |
1920 |
Top Gallant |
MRCフューチュリティS |
1920 |
Tranquil |
英1000ギニー・英セントレジャー・ジョッキークラブC |
1921 |
Blue Ice |
ヨークシャーオークス |
1921 |
Sansovino |
英ダービー・ジムクラックS・プリンスオブウェールズS |
1921 |
St. Germans |
コロネーションC・クレイヴンS・ドンカスターC |
1922 |
Brodick Bay |
ヨークシャーオークス |
1922 |
Saucy Sue |
英1000ギニー・英オークス・コロネーションS・ナッソーS |
1923 |
Lancegaye |
ハードウィックS |
1923 |
Swift and Sure |
チェスターヴァーズ |
1924 |
Bythorne |
ドンカスターC |
1925 |
Girandola |
パークヒルS |
1926 |
Lyme Regis |
プリンスオブウェールズS |
1927 |
Challenger |
リッチモンドS |
1927 |
Strongbow |
グリーナムS |