レンベルグ

和名:レンベルグ

英名:Lemberg

1907年生

鹿毛

父:サイリーン

母:ガリシア

母父:ガロピン

名馬ベイヤードの半弟で兄が勝てなかった英ダービーの他、エクリプスSなど英国の著名レースを数多く制し英愛首位種牡馬にも輝いた一流馬

競走成績:2~4歳時に英仏で走り通算成績24戦17勝2着4回3着2回

誕生からデビュー前まで

英国の歴史的名馬ベイヤードの1歳年下の半弟である。生産・所有者はベイヤードと同じく匿名の馬主フェアリー(本名はアルフレッド・W・コックス)氏、管理調教師もベイヤードと同じく「マントンの魔法使い」アレック・テイラー師だった。

競走生活(2歳時)

アスコット競馬場で行われたプライベートレースで優れた走りを披露した後、同競馬場で6月に行われたニューS(T5F)で公式戦デビュー。単勝オッズ3倍の1番人気に応えて、2着キャットレイルに1馬身半差、3着サニングデールにはさらに4馬身差をつけて勝利を収めた。ニューマーケット競馬場で出走したチェスターフィールドS(T5F)も、2着キャットレイル以下に勝利。グッドウッド競馬場で出走したロウス記念S(T6F)では、単勝オッズ1.17倍という圧倒的な1番人気に応えて、後のジムクラックSの勝ち馬リリーローズを3馬身差の2着に破って完勝した。

さらに出走した英シャンペンS(T5F152Y)でも断然の1番人気に支持された。しかし本馬の主戦でもあったダニー・マハー騎手が騎乗するナショナルブリーダーズプロデュースSの勝ち馬ネイルゴー、コヴェントリーS・クリテリオンSの勝ち馬アドミラルホークの2頭に後れを取り、勝ったネイルゴーから2馬身半差、2着アドミラルホークから1馬身差の3着(4頭立て)と完敗した。

しかしニューマーケット競馬場に戻って出走したロウス記念S(T5F)では単勝オッズ1.5倍の1番人気に応えて、7ポンドのハンデを与えた2着ロチェスターに首差、6ポンドのハンデを与えた後のパークヒルS・ニューマーケットオークスの勝ち馬イエロースレイヴにはさらに3馬身差をつけて勝利を収め、勢いを取り戻した。

続いてミドルパークプレート(T6F)に出走。このレースには、アドミラルホークに加えて、後に史上初のニューヨークハンデキャップ三冠馬となるウィスクブルームが出走していた。米国産馬のウィスクブルームは当時米国で吹き荒れていた半賭博運動の煽りを受けて米国でデビューすることが出来ず、英国で競走馬デビューしていたのだった。しかし単勝オッズ2.75倍の1番人気に支持された本馬が、3ポンドのハンデを与えたウィスクブルームを首差の2着に、同斤量のアドミラルホークをさらに3/4馬身差の3着に抑えて勝利した。

その2週間後のデューハーストプレート(T7F)では単勝オッズ1.36倍の1番人気に支持されると、6ポンドのハンデを与えたウィスクブルームを今度は5馬身差の2着に下して完勝した。2歳時の成績は7戦6勝で、翌年の英国クラシック路線における最有力馬として認知された。

競走生活(3歳時)

3歳時は兄ベイヤードの主戦も務めたマハー騎手がそのまま本馬の主戦を続けるのではと言われていたが、本馬のライバルだったネイルゴー陣営が英ダービーを勝利した場合は5千ポンドを支払うという提案を出した(本馬陣営は3千ポンド)ため、マハー騎手はネイルゴーを選択。本馬はニューSやロウス記念S(2回目)で騎乗経験があるバーナード・ディロン騎手とコンビを組んで英国クラシック競走に臨むことになった。

3歳初戦はいきなり英2000ギニー(T8F)となった。単勝オッズ4.5倍の2番人気で出走した本馬はゴール前で先頭に立ったが、素晴らしい末脚を繰り出した単勝オッズ3倍の1番人気馬ネイルゴーに短頭差かわされて2着に敗れた(本馬から2馬身差の3着がウィスクブルームだった)。

しかし血統面やレース内容から距離が伸びて本領を発揮すると思われた本馬は、英ダービー(T12F29Y)では単勝オッズ2.75倍の1番人気に支持された。レースの1か月ほど前に英国王エドワードⅦ世が崩御していたため、エプソム競馬場に詰め掛けた25万人の観衆の多くは喪服を身に纏っていた。ディロン騎手が手綱を取る本馬は、逃げる後のプリンスオブウェールズSの勝ち馬グリーンバックを見るように先行。直線に入ってからグリーンバックに並びかけると、叩き合いを制し、2着グリーンバックに首差、3着となったリッチモンドS・シートンデラヴァルSの勝ち馬で後のアスコット金杯2着馬チャールズオマリーにはさらに2馬身差をつけて優勝。勝ちタイム2分35秒2はレースレコードだった。ネイルゴーは4着、後に本馬の好敵手となるスウィンフォードは11着に敗れた。

次走のセントジェームズパレスS(T8F)では、面の皮が厚いマハー騎手が本馬の鞍上に舞い戻ってきた。ここでは、ジュライSの勝ち馬プリンスルパートやスウィンフォードなどを抑えて単勝オッズ1.125倍という圧倒的な1番人気に支持されると、2着プリンスルパートに3馬身差をつけて完勝した。

続いて渡仏してパリ大賞(T3000m)に参戦。仏国民が毛嫌いする英国調教馬にも関わらず1番人気に支持されたが、重馬場に脚を取られて直線で失速し、クリテリウムドメゾンラフィット・ギシュ賞・グレフュール賞の勝ち馬で仏グランクリテリウム2着のヌアージュ、仏グランクリテリウム・仏ダービー3着のラインハルト(後のロワイヤルオーク賞の勝ち馬)、グリーナムSの勝ち馬で後にドンカスターCを勝ち英セントレジャーで2着するブロンズィーノの3頭に屈して、勝ったヌアージュから4馬身1/4差の4着と、生涯唯一の着外を喫した。

英国に戻って出走したエクリプスS(T10F)では、ネイルゴーとの再戦となった。レースは6頭立てだったが、戦前の予想どおり、ディロン騎手鞍上の本馬とマハー騎手鞍上のネイルゴーの一騎打ちとなった。3着馬プラキドゥスを5馬身引き離す死力を尽くした大激戦の結果は2頭の同着優勝だった。ネイルゴーはこの後に故障で引退し、本馬との対戦はこれが最後となった。ネイルゴーが競馬場を去ったためにマハー騎手が本馬の主戦として復帰する事になった。

秋には英セントレジャー(T14F132Y)に出走して、1番人気に支持された。本馬を見るために、英国内における競馬ファンの半数がドンカスター競馬場に詰めかけたと言われるほど本馬の評判は絶大なものとなっていた。しかしレース前から本調子では無かった本馬は道中で馬群に包まれた影響もあり、2着ブロンズィーノを頭差抑えて逃げ切ったスウィンフォードから1馬身半差の3着に終わった。

しかし次走のジョッキークラブS(T14F)では単勝オッズ1.33倍の1番人気に応えて、アスコットダービー・エボアHを勝っていた4歳馬ディブスを3馬身差の2着に、プリンスオブウェールズSを勝っていた3歳馬アルスターキングをさらに頭差の3着に破って勝利した。次走の英チャンピオンS(T10F)では単勝オッズ1.12倍の1番人気に支持されると、コロネーションC・トライアルS(現クイーンアンS)2回・シティ&サバーバンH2回・リヴァプールサマーC・セレクトSを勝っていた9歳馬ディーンスウィフトを6馬身差の2着に破って圧勝した。ロウザーS(T14F)では133ポンドを課せられながらも単勝オッズ1.25倍の1番人気に応えて、2着ニムロッドに2馬身差、前年のエクリプスSではベイヤードの2着だったジムクラックSの勝ち馬ロイヤルレレムにはさらに頭差をつけて勝利。さらにサンダウンフォールSも勝利を収め、3歳シーズンを締めくくった。3歳時の成績は10戦7勝だった。

競走生活(4歳時)

4歳時はマハー騎手から再びディロン騎手に主戦が交代となった。まずはコロネーションC(T12F29Y)から始動して、スウィンフォード、愛ダービー・レイルウェイS・シティ&サバーバンH・ロイヤルハントC・グレートジュビリーHを勝ち前年のアスコット金杯でベイヤードの3着だったバチェラーズダブルとの対戦となった。本馬とスウィンフォードが並んで単勝オッズ3.25倍の1番人気に支持された。レースでは本馬が追い上げてきたスウィンフォードを3/4馬身差の2着に、バチェラーズダブルをさらに頭差の3着に抑えて勝利を収めた。

次走のプリンセスオブウェールズS(T12F)では、スウィンフォードに加えて、デューハーストプレート・アスコットダービーを勝っていた3歳馬キングウィリアムとの対戦となった。ここでは逃げたスウィンフォードが、2着となった本馬に1馬身半差で勝利を収めたが、斤量は本馬のほうが5ポンド重い141ポンドだった。このレースの前に、本馬を5万5千ポンドで購入したいという申し出があったらしいが、コックス氏はそれを拒否した。

続くエクリプスS(T10F)ではスウィンフォードとの6度目の対戦となった。2頭は同斤量だったが、ここでスウィンフォードが生涯最高とも言える完璧な逃げ切りを披露し、本馬は4馬身差の2着に敗れた。それでも、3着となったリッチモンドS・ジムクラックS・英シャンペンSの勝ち馬ピエトリには15ポンドのハンデを与えていたにも関わらず4馬身差をつけており、本馬が凡走したのではなくこのレースのスウィンフォードが強かったというべきであろう。その後、スウィンフォードが調教中に故障して引退したため、2頭の対決はこれが最後となり、対戦成績は3勝3敗の五分となった。

秋にはドンカスターC(T18F)に出走。単勝オッズ1.44倍の1番人気に応えて、グッドウッドC・グレートメトロポリタンHの勝ち馬で愛ダービー2着のキルブロニーを首差の2着に抑えて勝利した。次走のジョッキークラブC(T14F)では、セントジェームズパレスS・プリンスオブウェールズS・サセックスSの勝ち馬で英2000ギニー・英ダービー2着の3歳馬ステッドファストとの対戦となった。斤量は本馬の144ポンドに対して、ステッドファストは116ポンド。この28ポンドもの斤量差が影響したようで、単勝オッズ1.5倍の1番人気に支持されたのはステッドファストのほうで、本馬は2番人気だった。そしてレースでもステッドファストに4馬身差をつけられて2着に敗れた。

しかし英チャンピオンS(T10F)では本馬以外の馬が1頭も出走しなかったため、同競走史上最初で最後となる単走となり、苦も無く2連覇を達成した。次走のロウザーS(T14F)では2頭立てで楽勝し、このレースを最後に4歳時7戦4勝の成績で競走馬を引退した。

血統

Cyllene Bona Vista Bend Or Doncaster Stockwell
Marigold
Rouge Rose Thormanby
Ellen Horne
Vista Macaroni Sweetmeat
Jocose
Verdure King Tom
May Bloom
Arcadia Isonomy Sterling Oxford
Whisper
Isola Bella Stockwell
Isoline
Distant Shore Hermit Newminster
Seclusion
Land's End Trumpeter
Faraway
Galicia Galopin Vedette Voltigeur Voltaire
Martha Lynn
Mrs. Ridgway Birdcatcher
Nan Darrell
Flying Duchess The Flying Dutchman Bay Middleton
Barbelle
Merope Voltaire
Juniper Mare
Isoletta Isonomy Sterling Oxford
Whisper
Isola Bella Stockwell
Isoline
Lady Muncaster Muncaster Doncaster
Windermere
Blue Light Rataplan
Borealis

サイリーンは当馬の項を参照。

母ガリシアは現役成績7戦1勝。故障がちで競走馬としては大成できず、唯一の勝利がバイエニアルSだった。母としては本馬の半兄ベイヤード(父ベイロナルド)【英セントレジャー・エクリプスS・英チャンピオンS・アスコット金杯・プリンスオブウェールズS・ミドルパークプレート・デューハーストプレート・チェスターヴァーズ・リッチモンドS・ニューS】、半弟グワンス(父キケロ)【2着英2000ギニー・2着英ダービー】などを産み、名繁殖牝馬となっている。近親の活躍馬については既にベイヤードの項に記載したので、そちらを参照してほしい。→牝系:F10号族②

母父ガロピンは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は英国ハミルトンスタッドで種牡馬入りした。兄のベイヤードと同様に本馬は種牡馬としても活躍し、1922年には英愛首位種牡馬に輝いた。1928年に21歳で他界した。繁殖牝馬の父としては、英ダービー馬フェルスティード、仏ダービー・凱旋門賞を勝ったモンタリスマンらを出している。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1914

Brigand

ケンブリッジシャーH

1917

The Alder

ゴードンS

1918

Lemonora

パリ大賞・英シャンペンS

1919

Lembach

デューハーストS・ジュライS・モールコームS

1919

Pogrom

英オークス・コロネーションS

1919

Sister-in-Law

ヨークシャーオークス

1919

Weathervane

グリーナムS・ロイヤルハントC

1920

Eastern Monarch

プリンスオブウェールズS

1920

Ellangowan

英2000ギニー・セントジェームズパレスS・英チャンピオンS

1921

Burslem

サセックスS

1922

Iceberg

コヴェントリーS

1922

Tatra

ジョッキークラブS

1923

Lex

ミドルパークS・ジムクラックS

1923

Ruthenia

テストS

1926

Necklace

ロベールパパン賞・モルニ賞

1926

Taj Mah

英1000ギニー

TOP