ガロピン

和名:ガロピン

英名:Galopin

1872年生

黒鹿

父:ヴェデット

母:フライングダッチェス

母父:ザフライングダッチマン

大種牡馬セントサイモンを送り出した他に自身も種牡馬として大活躍しサラブレッド血統界に圧倒的な影響力を及ぼした英ダービー馬

競走成績:2・3歳時に英で走り通算成績11戦10勝(異説あり)

誕生からデビュー前まで

英国リンカンシャー州において、ウィリアム・テイラー・シャープ氏により生産された。当歳時にタタソールズ社が主催したセリに母フライングダッチェスとセットで出品され、ミドルパークスタッドの所有者ウィリアム・ブレンキロン氏に購入されたが、このときの取引価格は僅か100ギニーだった。その1年後に本馬は再度売りに出され、ハンガリーの貴族グスターヴ・バッチャーニ公により520ギニーで購入された。9世紀末にハンガリー王国最初の王朝アールパード朝を成立させた大首長アールパードの末裔だったバッチャーニ公は、政情不安のハンガリーから英国に移住し、その後英国に帰化した人物だった。乗馬や競馬を含むスポーツ全般が趣味で、50歳まで自身で乗馬を嗜んでおり、英国ジョッキークラブのメンバーにもなっていた。

本馬は体高こそ15.875ハンド(15ハンド3.5インチ。なお、15.3ハンドとする資料もあり、どちらが正しいかは判然としない)と並であったが、バッチャーニ公に本馬の購入を薦めた彼の専属調教師ジョン・ドーソン師によって施された調教により、「美しい肩、筋肉質の身体、力強い四肢」と評されるほど逞しく均整が取れた馬体の持ち主に成長した。

競走生活(2歳時)

2歳4月にエプソム競馬場で行われたハイドパークプレート(T4F)でデビュー。レディローズベリー、ボニーブルーアイなど15頭には先着したが、カシミアという牝馬に頭差遅れて2位入線だった。しかしカシミアに道中で馬体をぶつけられる場面があり、本馬に乗っていた騎手の申し出によりカシミアは失格となり、本馬が繰り上がって勝利馬となった。その後の6月にはアスコット競馬場に向かい、ファーンヒルS(T5F)に出走。レディグレノーキー、リトルボーイブルーといった同世代の馬だけでなく、スランバー、クヮントックといった年上の馬も出走するレースだったが、2着となった6歳馬スランバーに5馬身差をつけて圧勝した。もっともこのレースにおいて、スランバーの斤量が123ポンドだったのに対して、本馬の斤量は100ポンドであり、斤量の恩恵は大きかった。翌日のニューS(T5F)では一転して131ポンドという酷量を課せられたが、それでも12ポンドのハンデを与えたワエウィクティスや、後にプリンスオブウェールズSを勝ち英セントレジャーで3着するアールオブダートリー、ドレッドノート、ポッピンジャイ、ハンティンドンといった他馬10頭を蹴散らして、2着ワエウィクティスに1馬身半差で勝利した。

その後は約4か月の休養を経て、10月のミドルパークプレート(T6F)に出走。しかし残り1ハロン地点からゴールまで進路妨害を受け続けた結果、7ポンドのハンデを与えたプレビーアン、10ポンドのハンデを与えたパーセの2頭に遅れを取って、頭差・頭差の3着に敗退してしまった。着順に変更は無く、非常に不運な敗戦と言われた。それでも、仏ダービー馬パトリシアンの半妹パルミレ、後のコロネーションS勝ち馬モードヴィクトリア、ストレーショット(後に英2000ギニー・英ダービーを制した女傑ショットオーヴァーの母となる)、センパーデュラス、ドレッドノートなど21頭には先着して実力は示した。ちなみにプレビーアンはこのミドルパークプレートがデビュー戦かつ現役最後のレースであり、風のように現れて風のように去っていった馬だった(後に本馬の孫であるセントフラスキンの母父となっている)。翌日には50ソヴリンスウィープSに出走して、2着トレゾリエに2馬身差で勝利。さらにニューマーケット競馬場で行われた50ソヴリンスウィープSを単走で勝利した。さらにドーソン師は本馬を試みに5歳馬プリンスチャーリー(英2000ギニーやミドルパークプレートの勝ち馬で、古馬になってもオールエイジドS3連覇など英国短距離界のトップホースとして君臨していた)とマッチレースで対戦させてみる事を提案したが、それはまだ2歳の本馬には厳しすぎると考えたバッチャーニ公によりその提案は却下され、2歳時は6戦5勝で終えた(最後の2戦を公式な本馬の競走成績に含めない資料もある)。

競走生活(3歳時)

英2000ギニーには登録が無かったため、3歳時の目標は英ダービーだった。まずはニューマーケット競馬場1マイルで行われたストレーショットとの500ポンドマッチレースから始動。10ポンドのハンデを与えたが、8馬身差(10馬身差とする資料もある)で圧勝した。

次走の英ダービー(T12F29Y)では、英2000ギニー・ジュライS・英シャンペンSを勝っていたカンバロ、クレアモント、ガーターリーベル、テレスコープ、バルフェなど17頭が対戦相手となったが、本馬が単勝オッズ3倍の1番人気に支持された。しかしレース前夜に本馬は陣営の不注意で冷たい水を飲まされてしまい、体調を崩してしまっていた。当時のバッチャーニ公は心臓病を患っており、この事を伝えることがバッチャーニ公の心臓に致命的な悪影響を与える事を懸念したドーソン師はバッチャーニ公には知らせずに、本馬の身体を毛布で包んで暖めることにより体調の改善を図ったという。ドーソン師の対応が功を奏したのか、ジョン・モリス騎手が騎乗した本馬は、2着クレアモントに1馬身差、3着となったマカロニ産駒の無名馬にはさらに6馬身差をつけて優勝。2着馬との着差はそれほど大きくなかったが、ゴール前では馬なりで走っており、内容的には楽勝と言えるものだった。

2週間後には前年に勝利したファーンヒルS(T5F)に出走したが、本馬陣営が英ダービーの次走にわざわざこんな短距離戦を選択した理由は不明であり、「普通ではない日程」と評された。対戦相手はベラ(後に仏2000ギニー・仏ダービー勝ち馬オームの母となっている)、ロザリータ、コロネラ、エクレアといった2歳馬ばかりだった。前年は本馬が100ポンドという軽量の恩恵を受けて勝ったが、この年の本馬の斤量は126ポンドであり、前年とは逆に本馬が他馬に斤量の恩恵を与える側に回った。それでも2着ベラに4馬身差をつけて圧勝した。

英2000ギニーだけでなく英セントレジャーにも登録が無かったこともあり、その後はしばらくレースに出なかった。次走は10月にニューマーケット競馬場で行われた5歳馬ロウランダー(ロイヤルハントC・オールエイジドSを勝っていた)との1000ポンドマッチレースとなった。斤量はロウランダーが126ポンド、本馬が112ポンドに設定されていた。これだけ斤量の恩恵を受ければ負けるわけにはいかず、単勝オッズ1.67倍の1番人気に応えて、1馬身差で勝利を収めた。その2日後にはニューマーケットダービー(T12F)に出走。本馬が不参戦だった英セントレジャーを制したクレイグミラー(翌年にはドンカスターCを勝っている)や、バルフェ、ピクニック、セントレジャーといった馬達が対戦相手となったが、単勝オッズ1.4倍の1番人気に支持された本馬が2着クレイグミラーに4馬身差をつけて圧勝した。この頃にバッチャーニ公の心臓病は悪化しており、競馬を見る興奮がバッチャーニ公の生命に危機を及ぼす事を危惧したドーソン師は、ここで本馬の競走馬引退を決断した(既に本馬はバッチャーニ公が所有した馬の中で最良の競走成績を残しており、これ以上走らせて敗戦を喫する危険を冒すことを望まなかったためだともいう)。3歳時の成績は5戦全勝だった。

1886年6月に英スポーティングタイムズ誌が競馬関係者100人に対してアンケートを行うことにより作成した19世紀の名馬ランキングにおいては、第19位にランクインした。

なお、本馬は息子のセントサイモン同様に非常に気性が激しい馬だったと日本では紹介される事が多いが、筆者が調べた範囲内における海外の資料では、本馬の気性について明確に触れたものがなく、真相は不明である(セントサイモンの気性難については海外の資料にも明記されている)。海外の資料で明記されているのは「ガロピンは気性難で知られたブラックロックの血が血統表内に複数入っていたために当初の種牡馬人気が低かった」という内容である。本当に本馬が気性難であれば、それをそのまま書くのが当然であり、こんな回りくどい書き方をする以上は、本馬自身の気性にはそれほど問題がなかったとも考えられる。

血統

Vedette Voltigeur Voltaire Blacklock Whitelock
Coriander Mare
Phantom Mare Phantom
Overton Mare
Martha Lynn Mulatto Catton
Desdemona
Leda Filho da Puta
Treasure
Mrs. Ridgway Birdcatcher Sir Hercules Whalebone
Peri
Guiccioli Bob Booty
Flight
Nan Darrell Inheritor Lottery
Handmaiden
Nell Blacklock
Madame Vestris
Flying Duchess The Flying Dutchman Bay Middleton Sultan Selim
Bacchante
Cobweb Phantom
Filagree
Barbelle Sandbeck Catton
Orvillina
Darioletta Amadis
Selima
Merope Voltaire Blacklock Whitelock
Coriander Mare
Phantom Mare Phantom
Overton Mare
Juniper Mare Juniper Whiskey
Jenny Spinner 
Sorcerer Mare Sorcerer
Virgin

ヴェデットは当馬の項を参照。

母フライングダッチェスは英で走り現役成績15戦2勝。ヴェデッドを種牡馬供用していたディススタッドの所有者ザカリア・シンプソン氏の生産馬である。本馬を産む以前に、本馬の全姉ヴェックス【ドンカスターホープフルS・スチュワーズC】など3頭の下級ステークス競走勝ち馬を産んでいる。18歳時にヴェデッドと交配されてすぐに、本馬の生産者シャープ氏に購入され、翌年に産んだのが本馬である。

ヴェックスの孫にはマックギー(米国の歴史的名馬エクスターミネーターの父)がいる他、牝系子孫にはパントマイムクイーン【愛1000ギニー・愛オークス】、レスカルゴ【チェルトナム金杯2回・英グランドナショナル・愛チャンピオンハードル】などがいる。ヴェックスの牝系子孫は欧米では殆ど見かけなくなったが、南半球では現在も活躍馬が出ている。

フライングダッチェスの半姉ベシカ(父ベイラム)の子にはモスレム【英2000ギニー】が、牝系子孫にはローズオブイングランド【英オークス】、チャルムリー【英セントレジャー】、イリデセンス【ウーラヴィントン2200(南GⅠ)・クイーンエリザベスⅡ世C(香GⅠ)】、ビリーヴユーキャン【ケンタッキーオークス(米GⅠ)】などがいる。→牝系:F3号族④

母父ザフライングダッチマンは当馬の項を参照。ヴェデッドの父はヴォルティジュールであるから、本馬は1851年に世紀のマッチレースを戦った“The Flyer”と“Volti”双方の孫に当たる。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は自身で馬産も行っていたバッチャーニ公の所有のもと、英国バロウズスタッドで種牡馬入りした。初年度の種付け料は100ギニーに設定された。しかし前述したように、気性難で知られたブラックロックの血が血統表内に複数入っていたために本馬の種牡馬人気は低く、初年度に集まった繁殖牝馬は僅か12頭だった。デビューした産駒の競走成績も振るわなかったため、1881年頃には本馬の種付け料は50ギニーまで下がっていた。その後、ようやく産駒のガリアードが1883年の英2000ギニーを勝利する活躍を見せたが、ガリアードの英2000ギニー勝利を見て興奮したバッチャーニ公は心臓発作を起こして死去してしまった(バッチャーニ公が死去した直後にガリアードが英2000ギニーを制したとする資料もある。どちらが正しいのかは調べても分からなかった)。そしてバッチャーニ公が所有していた馬は彼の遺言執行者により全て売りに出され、本馬は既に種牡馬として大成功を収めていた英ダービー馬ハーミットの所有者ヘンリー・チャップリン氏により8000ギニーで購入され、ハーミットも供用されていたブランクニーホールスタッドで種牡馬生活を続けた。

ちょうどこの頃、本馬と共にバッチャーニ公の遺言執行者により売りに出され、第6代ポートランド公爵ウィリアム・キャベンディッシュ・ベンティンク卿により購入されていた本馬産駒のセントサイモンが競走年齢に達していた。最初はバッチャーニ公の所有馬だったセントサイモンはバッチャーニ公の死により英国クラシック競走への参戦資格を失っていたが、それでも圧倒的な強さでアスコット金杯やグッドウッドCに勝つなど9戦無敗の成績を残し、ガリアードの活躍で見直されていた本馬の種牡馬としての名声をさらに高めた。そして本馬は、代表産駒の1頭ドノヴァンなどの活躍により、1888・89年と2年連続で英首位種牡馬の座を獲得。翌年には息子セントサイモンに英首位種牡馬の座を譲ったが、その後もセントサイモンと種牡馬成績で凌ぎを削り、1898年には3度目の英首位種牡馬に返り咲いた。翌1899年6月に老衰のため27歳で他界した。

本馬は繁殖牝馬の父としても優秀で、エアシャーフライングフォックスオームベイヤードレンベルグなど多くの活躍馬を出し、1899・1909・10年と3度の英母父首位種牡馬に輝いている。1925年にロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道は所有する機関車のうち1台に本馬の名を付けた。本馬の名を冠したこの60076号は1962年まで現役で運行を続けた。

本馬の後継種牡馬としては、セントサイモンが記録的な大成功を収めたほか、ガリアードも成功し、本馬の直系は一時期大きく繁栄したが、英国のサラブレッドがセントサイモンの血を引く馬ばかりになり血統の袋小路に陥る、いわゆる「セントサイモンの悲劇」の影響で衰退し、英国内では一時期滅亡した。しかし伊国の歴史的名馬リボーの活躍で息を吹き返し、現在でもリボー系として本馬の直系は生き残っている。また、セントサイモンの血を有さないサラブレッドは今日1頭たりとも存在しないわけだから、本馬の血を有さないサラブレッドも当然1頭たりとも存在しない。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1878

Corrie Roy

ジョッキークラブC・シザレウィッチH・エボアH

1880

Galliard

英2000ギニー・プリンスオブウェールズS

1881

St. Simon

アスコット金杯・グッドウッドC

1883

Modwena

グレートチャレンジS

1885

Galore

セントジェームズパレスS

1885

Grafton

ドンカスターC

1885

Halbran

ロンポワン賞

1886

Donovan

英ダービー・英セントレジャー・ニューS・ジュライS・ミドルパークS・デューハーストS・プリンスオブウェールズS

1886

Napoleon

オールエイジドS

1886

Pioneer

セントジェームズパレスS

1887

Wild Monk

ジョッキークラブC

1889

Flyaway

ジュライS

1889

Gantlet

パークヒルS・ヨークシャーオークス

1889

Lady Hermit

コロネーションS

1889

St. Angelo

セントジェームズパレスS・チャレンジS

1890

Harbinger

モールコームS・クレイヴンS・サセックスS

1891

Brisk

仏オークス

1891

Galloping Dick

リッチモンドS

1892

Chasseur

チャレンジS・スチュワーズC

1892

Galeottia

英1000ギニー

1892

Nighean

ヨークシャーオークス

1892

Solaro

英シャンペンS

1893

Intermission

ガゼルH

1894

Galatia

パークヒルS

1894

Goletta

コヴェントリーS・コロネーションS・プリンセスオブウェールズS

1895

Disraeli

英2000ギニー

1896

St. Gris

リッチモンドS

1897

Merry Gal

プリンセスオブウェールズS・ナッソーS・ハードウィックS・ドンカスターC

1897

Nattie

オールエイジドS

1898

Aida

英1000ギニー

TOP