ライトロイヤル
和名:ライトロイヤル |
英名:Right Royal |
1958年生 |
牡 |
黒鹿 |
父:オーエンテューダー |
母:バスティア |
母父:ヴィクトリクス |
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仏グランクリテリウム・仏2000ギニー・仏ダービーなどを制した仏国最強馬の実力を如何なく発揮してキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSも完勝 |
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競走成績:2・3歳時に仏英で走り通算成績11戦8勝2着2回 |
誕生からデビュー前まで
仏国の馬産家エリザベス・クチュリエ夫人により生産・所有された。クチュリエ夫人の夫ジャン・クチュリエ氏は仏国の名門牧場メニル牧場の創設者であり、英国の名馬産家である第17代ダービー伯爵エドワード・スタンリー卿とは親しく、スタンリー卿との間で所有馬をやり取りして馬産を行っていた。1948年にスタンリー卿が、1949年にクチュリエ氏が相次いで死去した後も続いた両家の馬産交流は後世に少なからず影響を与えており、例えばスタンリー卿が最後に送り出した名馬アリシドンと、クチュリエ夫人が夫から受け継いだ繁殖牝馬グラディスカの間に産まれた牝馬サマンダはカルティエ賞年度代表馬に2度輝いたウィジャボードの曾祖母であるし、サマンダの1歳年下の全妹アルマーは豪州の歴史的名馬キングストンタウンの祖母となっている。
クチュリエ夫人が生産・所有した馬としては最高傑作となった本馬は、後にシーバードを手掛ける仏国エチエンヌ・ポレ調教師に預けられ、主戦はロジェ・ポワンスレ騎手が務めた。
競走生活(2歳時)
2歳9月にシャンティ競馬場で行われたオマール賞(T1600m)でデビューしたが、ここではスターの5着に敗れた。その後すぐにトランブレパーク競馬場で行われたフリスキーマトロン賞という競走に出走して初勝利を挙げた。さらにサラマンドル賞(T1400m)に出走。ここではロシェット賞の勝ち馬ココメルが強敵だったが、本馬が、後にクレオパトル賞を勝ち仏オークスで3着するカルペディエムを3馬身差の2着に、ココメルをさらに2馬身差の3着に破って快勝した。
次走の仏グランクリテリウム(T1600m)では、エクリプス賞を勝ち古馬相手のフォレ賞で3着してきたモスコヴァ、シェーヌ賞の勝ち馬ミスティ達を、直線の鮮やかな差し切りで一蹴。2着モスコヴァに2馬身差、3着ミスティにもさらに2馬身差をつけて勝利した。2歳時の成績は4戦3勝で、この年の仏最優秀2歳牡馬に選ばれた。
競走生活(3歳前半)
3歳時は4月のフォンテーヌブロー賞(T1600m)から始動した。しかしここではエアロダイナミックという馬が大逃げを打ってそのまま逃げ切ってしまい、本馬は10馬身差もつけられた2着に敗退。これはエアロダイナミックを過小評価した騎手の油断であるとして、ポワンスレ騎手は非難を受けた。
しかし次走の仏2000ギニー(T1600m)でポワンスレ騎手は同じ轍を踏まなかった。逃げるエアロダイナミックを徹底マークする積極策に転換し、直線でエアロダイナミックをかわすと、追い上げてきた2着ココメルに3馬身差をつけて完勝した。
次走のリュパン賞(T2100m)では、かつてオマール賞で屈した相手であるクリテリウムドメゾンラフィットの勝ち馬スターに加えて、ノアイユ賞を勝ってきたマッチとの対戦となったが、マッチを2馬身半差の2着に、スターをさらに3馬身差の3着に下して完勝した。
そして迎えた仏ダービー(T2400m)では、単勝オッズ2.8倍の1番人気に支持された。そして期待に応えて、2着マッチに3馬身差、3着マイプリンスにもさらに3馬身差をつけて快勝した。
競走生活(3歳後半)
仏国内では敵なしとなった本馬の次走は、英国のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(T12F)となった。対戦相手は僅か3頭だった。この年の英2000ギニー馬ロッカヴォン、ジョッキークラブC・プリンセスオブウェールズSを勝ってきた前年の英チャンピオンS3着馬アポッスルも出走していたが、何と言っても最大の強敵は、前年の英ダービー・英セントレジャー・ダンテS・グレートヴォルティジュールSの勝ち馬で、この年もコーンブS・ハードウィックS・エクリプスSを勝っていたセントパディだった。セントパディが単勝オッズ1.8倍の1番人気、本馬が単勝オッズ2.5倍の2番人気で、この2頭による一騎打ちムードだった。雨で馬場状態が悪化する中でスタートが切られるとセントパディが果敢に先頭に立ち、本馬がそれを追いかける展開となった。直線に入ると予想どおりこの2頭の叩き合いとなったが、残り1ハロン地点で外側の本馬が一気に突き抜けて、2着セントパディに3馬身差、3着ロッカヴォンにはさらに4馬身差、4着最下位のアポッスルにはさらに15馬身差をつけて快勝した。
その後は凱旋門賞を目指して、フォア賞(T2200m)に向かった。仏2000ギニーで本馬から3馬身差の3着だった後のコンセイユミュニシパル賞の勝ち馬カータレット、モーリスドニュイユ賞2連覇のオールデュランなどが対戦相手となったが、本馬が2着カータレットに1馬身半差、3着オールデュランにはさらに1馬身差をつけて難なく勝利を収めた。
そして迎えた凱旋門賞(T2400m)では、ロワイヤルオーク賞を勝ってきたマッチ、パリ大賞でマッチを2着に破って勝っていたロワイヤルオーク賞2着馬バルト、前年の凱旋門賞を筆頭にロワイヤルオーク賞・ジャンプラ賞・カドラン賞・フォルス賞・シャンティ賞にも勝っていたピュイサンシェフ、サンクルー大賞・プランタン大賞の勝ち馬で英ダービー2着・英セントレジャー3着のディクタドレーク、仏グランクリテリウムで本馬の3着だったミスティ(後にガネー賞・伊ジョッキークラブ大賞などに勝利。アスコット金杯・カドラン賞でも2着している)、ヨークシャーオークスを勝ってきたテナシティ、オールデュラン、それに伊グランクリテリウム・ドーヴィル大賞・伊ジョッキークラブ大賞の勝ち馬モルヴェド、伊グランクリテリウム・伊ダービー・伊ジョッキークラブ大賞・バーデン大賞・エミリオトゥラティ賞の勝ち馬で伊共和国大統領賞2回・ミラノ大賞・伊ジョッキークラブ大賞2着のリオマリン、伊オークス・ローマ賞の勝ち馬で伊ダービー2着のカオルリナの伊国調教馬3頭などが対戦相手となった。スタートが切られると、後に英国や日本で種牡馬として活躍するオックスフォードシャーS・ウィンストンチャーチルS・アリカーン国際記念金杯の勝ち馬ハイハットが逃げを打ち、1番人気に支持されていた本馬、マッチ、モルヴェドなどがそれを追撃した。直線に入るとモルヴェドが真っ先に抜け出し、本馬がそれを追撃した。しかし最後までモルヴェドを捕まえることが出来ず、2馬身差の2着に敗退。これを最後に3歳時7戦5勝の成績で競走馬を引退した。
最後の大一番に敗れてしまった本馬だが、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSの勝ち方が評価されて、ブラッドストックブリーダーズレビューによりこの年の英年度代表馬に選出された。
馬名は、20世紀前半に活躍した英国の桂冠詩人ジョン・エドワード・メイスフィールド氏が1920年代に発表した、人間と自然の関係を詠った“Right Royal”という詩にちなんでいる。
血統
Owen Tudor | Hyperion | Gainsborough | Bayardo | Bay Ronald |
Galicia | ||||
Rosedrop | St. Frusquin | |||
Rosaline | ||||
Selene | Chaucer | St. Simon | ||
Canterbury Pilgrim | ||||
Serenissima | Minoru | |||
Gondolette | ||||
Mary Tudor | Pharos | Phalaris | Polymelus | |
Bromus | ||||
Scapa Flow | Chaucer | |||
Anchora | ||||
Anna Bolena | Teddy | Ajax | ||
Rondeau | ||||
Queen Elizabeth | Wargrave | |||
New Guinea | ||||
Bastia | Victrix | Kantar | Alcantara | Perth |
Toison d'or | ||||
Karabe | Chouberski | |||
Kizil Sou | ||||
Victory | Swynford | John o'Gaunt | ||
Canterbury Pilgrim | ||||
Lineage | Tracery | |||
Baronin | ||||
Barberybush | Ksar | Bruleur | Chouberski | |
Basse Terre | ||||
Kizil Kourgan | Omnium | |||
Kasbah | ||||
Pervencheres | Maboul | Perth | ||
Mad | ||||
Poet's Star | Chaucer | |||
Lady Cynosure |
父オーエンテューダーは当馬の項を参照。血統的にはスタミナ型なのだが、その産駒はテューダーミンストレルやアバーナントなどスピード色が強い傾向があった。父の晩年の子である本馬は、アスコット金杯・カドラン賞の勝ち馬エルペノールと並んで、父の産駒の中で例外的に長距離も克服した馬である。
母バスティアは本馬と同じくクチュリエ夫人の生産・所有馬。競走馬としては未勝利に終わったが、1954年の仏オークスを同厩馬タヒチが勝利した際にペースメーカー役として貢献しており、全く平凡な競走成績ではなかった(凡馬ではペースメーカー役は務まらない)。母としては本馬の半弟ネプテューヌス(父ネプテューン)【仏2000ギニー・仏グランクリテリウム・フォンテーヌブロー賞】も産んでいる。ネプテューヌスは後に日本に種牡馬として輸入され、八大競走勝ち馬こそ出せなかったが多くの活躍馬を出した。本馬の半妹アリス(父アリシドン)の娘タナリスは日本に繁殖牝馬として輸入され、ロングアーチ【中日スポーツ賞四歳S(GⅢ)】の曾祖母となった。バスティアの半姉にはブルーベリー(父ブルースカイズ)【マルレ賞】、全兄にはバシルー【ドーヴィル大賞・コンデ賞・コンセイユミュニシパル賞・サブロン賞】がいる。
バスティアの母バーベリーブッシュの全姉ウッドヴァイオレットの孫には仏国を代表するスタミナ型種牡馬ワイルドリスクがいる。遠縁には1940年の英ダービー馬ポンレヴェク、日本を代表するスタミナ型種牡馬シーホーク、天皇賞秋の勝ち馬メジロタイヨウ、優駿牝馬の勝ち馬エイシンサニーなどの名前も見られ、全体的にスタミナ色が強い牝系である。バーベリーブッシュの曾祖母レディサイノシュアは、大種牡馬ポリメラスの1歳年下の全妹である。→牝系:F3号族③
母父ヴィクトリクスは、ロワイヤルオーク賞・仏共和国大統領賞(現サンクルー大賞)・サブロン賞(現ガネー賞)・ダリュー賞・アルクール賞に勝利した名長距離馬で、第二次世界大戦前夜の仏国古馬戦線で最強と言われていた馬だった。競走馬引退後は仏国で種牡馬入りしたが、第二次世界大戦で仏国に侵攻してきた独国軍により独国内に連行されてしまった。しかし不幸中の幸いで大戦終結後に仏国に帰還できた。帰国後に一定の種牡馬成績を残している。ヴィクトリクスの父カンタールは凱旋門賞・モルニ賞・仏グランクリテリウム・イスパーン賞・プランスドランジュ賞などを勝った名馬。カンタールの父アルカンタラは19世紀末における仏国最強馬と言われたパースの息子で、仏ダービー・リュパン賞・エクリプス賞・プランスドランジュ賞の勝ち馬。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は仏国で種牡馬入りした。英国の大競走を勝った産駒が出なかったためか、英国の資料では種牡馬として不成功だったと評されているのだが、仏国・愛国・伊国・独国では産駒が大競走を制しており、言われるほど失敗だったわけではない。1973年に15歳で他界した。直系からは菊花賞馬ノースガストや天皇賞馬テンメイなどが出ているが、その後が続かず現在ではほぼ本馬の直系は残っていない。母系では時々本馬の名を見かける事があり、例えばケルティックスウィングの曾祖母の父は本馬である。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1963 |
Right Away |
仏1000ギニー |
1963 |
Right Noble |
ホワイトローズS |
1963 |
Salvo |
バーデン大賞・クレイヴンS・ヨークシャーC・ハードウィックS |
1964 |
Ruysdael |
伊ダービー・イタリア大賞・伊ジョッキークラブ大賞 |
1965 |
Golden Eagle |
サンバーナーディノH |
1965 |
Rangong |
ヨークシャーC(英GⅡ)・ジェフリーフリアS・セントサイモンS |
1966 |
In the Purple |
バルブヴィル賞 |
1966 |
Lastarria |
クレオパトル賞 |
1966 |
Prince Consort |
プリンセスオブウェールズS |
1966 |
Prince Regent |
リュパン賞・愛ダービー・サンロマン賞・グレフュール賞・エヴリ賞 |
1967 |
Politico |
チェスターヴァーズ・セントサイモンS |
1968 |
Falkland |
クイーンズヴァーズ(英GⅢ)・プリンセスオブウェールズS(英GⅢ) |
1968 |
Wenceslas |
ブランドフォードS(愛GⅡ) |
1969 |
Ormindo |
チェスターヴァーズ(英GⅢ)・オーモンドS(英GⅢ) |
1969 |
Sang Bleu |
伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ)・ローマ賞(伊GⅠ)・ラクープ(仏GⅢ) |
1971 |
Royal Aura |
クイーンズヴァーズ(英GⅢ) |
1974 |
Rex Magna |
ロワイヤルオーク賞(仏GⅠ)・グレフュール賞(仏GⅡ)・エドヴィル賞(仏GⅢ) |