マッチ

和名:マッチ

英名:Match

1958年生

鹿毛

父:タンティエーム

母:リランス

母父:レリック

4歳時に欧米を股にかけて活躍しキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・ワシントンDC国際Sを勝つが、種牡馬供用3年目で惜しくも早世する

競走成績:3・4歳時に仏英米で走り通算成績14戦7勝2着3回

誕生からデビュー前まで

仏国ポンドウィリイにあるウィリイ牧場において、同牧場の所有者だった仏国の名馬産家フランソワ・デュプレ氏により生産・所有された。父タンティエーム、母リランスのいずれもデュプレ氏の生産馬であり、完全な自家生産馬だった。仏国フランソワ・マテ調教師に預けられた本馬のデビューはやや遅く、3歳になってからだった。主戦はイヴ・サンマルタン騎手が務めた。

競走生活(3歳時)

デビュー戦を3馬身差で難なく勝ち上がると、次走のノアイユ賞(T2200m)ではギシュ賞の勝ち馬フライブルクを4馬身差の2着に下して圧勝し、一躍仏ダービーの有力候補となった。

デビュー3戦目のリュパン賞(T2100m)では、サラマンドル賞・仏グランクリテリウム・仏2000ギニーを勝ってきたライトロイヤル、クリテリウムドメゾンラフィット・オマール賞の勝ち馬スターなどとの顔合わせとなった。しかし結果はライトロイヤルが勝ち、本馬は2馬身半差の2着に敗退した(3着スターには3馬身差をつけていた)。次走の仏ダービー(T2400m)でも、勝ったライトロイヤルから3馬身差の2着に敗退してしまった。続くパリ大賞(T3100m)では、翌年にアスコット金杯を勝つ名長距離馬バルトに4馬身差をつけられた2着に敗れた。

夏場は休養し、秋はロワイヤルオーク賞(T3100m)から始動。バルトを1馬身半差の2着、クリテリウムドサンクルー2着馬シフェアをさらに4馬身差の3着に破って勝利し、ようやくビッグタイトルを手中に収めた。

次走の凱旋門賞(T2400m)では、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・フォワ賞を勝ってきたライトロイヤルと3度目の対戦となった。さらには、バルト、ロワイヤルオーク賞・ジャンプラ賞・カドラン賞・フォルス賞・シャンティ賞にも勝利していた前年の凱旋門賞勝ち馬ピュイサンシェフ、サンクルー大賞・プランタン大賞の勝ち馬で英ダービー2着・前走の英セントレジャー3着のディクタドレーク、グレートヴォルティジュールS・ロイヤルSの勝ち馬ジャストグレート、シェーヌ賞の勝ち馬で仏グランクリテリウム3着のミスティ、モーリスドニュイユ賞を2連覇していた前年のロワイヤルオーク賞3着馬オールデュラン、ヨークシャーオークスを勝ってきたテナシティ、オックスフォードシャーS・ウィンストンチャーチルS・アリカーン国際記念金杯を勝っていた後の本邦輸入種牡馬ハイハット、それに伊国から参戦してきた伊グランクリテリウム・ドーヴィル大賞・伊ジョッキークラブ大賞の勝ち馬モルヴェド、伊グランクリテリウム・伊ダービー・伊ジョッキークラブ大賞・バーデン大賞・エミリオトゥラティ賞の勝ち馬で伊共和国大統領賞2回・ミラノ大賞・伊ジョッキークラブ大賞2着のリオマリン、伊オークス・ローマ賞の勝ち馬で伊ダービー2着のカオルリナの3頭の姿もあった。この年の凱旋門賞の主役は結局、6年前と5年前に同競走を連覇したリボーの息子モルヴェドであり、2着ライトロイヤルに2馬身差をつけて快勝。本馬はライトロイヤルからさらに2馬身3/4差の5着に敗れてしまった。ライトロイヤルはこのレースを最後に引退したため、対戦成績は本馬の3戦全敗となってしまった。3歳時の成績は7戦3勝だった。

競走生活(4歳時)

4歳時は3月のボイアール賞(T2000m)から始動して、前年のリュパン賞3着後にユジェーヌアダム賞を勝っていたスターを2馬身半差の2着に、前年の英チャンピオンS・ジャンプラ賞を勝っていたボバーを3着に破って快勝。しかし次走のアルクール賞(T2000m)では、一昨年の英セントレジャー3着・前年のコロネーションC2着のヴィエナ(後に凱旋門賞馬ヴェイグリーノーブルの父となる)、前年のユジェーヌアダム賞でスターの首差2着だったコートノルマンディ賞の勝ち馬ティフォージュ、一昨年のジャックルマロワ賞・ダフニ賞の勝ち馬ジェベルトラフィックなどに完膚なきまでに叩きのめされ、勝ったヴィエナから8馬身以上の差をつけられた10着と惨敗。続くガネー賞(T2000m)では、ヴィエナ、前年の凱旋門賞3着馬ミスティ、ジャンプラ賞・グラディアトゥール賞の勝ち馬で後にカドラン賞を2連覇するテーヌといった面々に屈して、勝ったミスティから5馬身半差の5着に終わった。

しかし夏場になると調子が上がり、サンクルー大賞(T2500m)では1歳年下のダリュー賞の勝ち馬で仏ダービー3着のエクスビュリを1馬身半差の2着に下して勝利。

続いて英国に遠征して、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(T12F)に参戦した。対戦相手は、前年の英セントレジャーを筆頭にクレイヴンS・キングエドワードⅦ世S・ハードウィックSを勝っていたオレリアス、愛2000ギニーを勝ち愛ダービーで短頭差2着してきたアークティックストームなどだった。結果は単勝オッズ5.5倍の1番人気に支持された本馬が2着オレリアスに3/4馬身差で勝利を収め、前年のライトロイヤルに続く仏国調教馬の勝利となった。なお、本馬と同名の馬が過去に英国に存在したため、英国において本馬の馬名には「Ⅱ」が付せられて「Match Ⅱ」と表記される事が多い。

その後はしばらく休養し、秋はぶっつけ本番で凱旋門賞(T2400m)に参戦。本馬は出走24頭中堂々の1番人気に支持され、サンクルー大賞2着後に前哨戦フォワ賞を勝ってきたエクスビュリが2番人気、米国から遠征してきたケンタッキーダービー・プリークネスS・フロリダダービー・ジェロームH・メトロポリタンH・ホイットニーSなどの勝ち馬キャリーバックが3番人気、オレリアスが4番人気、ミスティが5番人気に支持された。ところがレースではこれら上位人気馬勢は総崩れとなってしまい、レコードタイムで勝ったのは11番人気の伏兵だったリュパン賞3着馬ソルティコフ。2着に8番人気の英オークス・ヴェルメイユ賞・ペネロープ賞の勝ち馬モナード、3着に6番人気の仏ダービー・ノアイユ賞・オカール賞の勝ち馬ヴァルドロワール、4着に12番人気のフォレ賞の勝ち馬スノッブ(メジロティターンの母でメジロライアンの祖母であるシェリルの父)が入った。上位4頭は全て3歳馬であり、本馬は古馬勢の中では一応最先着だったが、ソルティコフから1馬身半差の5着に終わった。

次走は米国のワシントンDC国際S(T12F)となった。このレースには、ジョッキークラブ金杯3回・ウッドワードS2回・メトロポリタンH・サバーバンH・ブルックリンH・ジェロームH・ホイットニーHなどを勝っていた現役米国最強馬ケルソが前年2着の雪辱を期して参戦してきた。他にも、凱旋門賞10着の汚名を返上したいキャリーバック、ケルソやキャリーバックと何度も戦ってきたブルックリンH・サバーバンH・マンノウォーSの勝ち馬ボーパープル、日本からも前年の天皇賞秋を筆頭に東京杯・東京記念・目黒記念秋・アメリカジョッキークラブCを勝っていたタカマガハラが参戦していた。レースでは平坦小回りの米国競馬場らしくボーパープルが先手を奪い、それにケルソやキャリーバックが積極的に並びかける激しい展開になった。しかし本馬鞍上のサンマルタン騎手は慌てずに後方で我慢していた。直線に突入するとケルソがキャリーバックを振り切って先頭に立ったが、それも束の間、インコースから本馬が強襲。ケルソを一気にかわすと1馬身半差をつけて優勝した。仏国調教馬の同競走優勝は、1956年のマスターボーイング以来6年ぶり史上3頭目となった。なお、キャリーバックは3着、タカマガハラは10着、ボーパープルは11着に敗れている。なお、本馬と同名の馬が過去に米国にも2頭存在した(そのうち1頭は本馬と同世代)ため、米国において本馬の馬名には「Ⅲ」が付せられて「Match Ⅲ」と表記される事もある。

本馬はワシントンDC国際S制覇を手土産に、4歳時7戦4勝の成績で競走馬を引退した。この年は英仏の両国で最優秀古馬牡馬に選ばれた他、英国では年度代表馬にも選ばれている。本馬が勝った当時のワシントンDC国際Sは米国唯一の国際競走で、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSや凱旋門賞にも引けを取らないほどの世界的大競走だった。そして同競走でケルソを破った本馬は「世界で一番強い馬」の称号を得たという。

血統

Tantieme Deux-Pour-Cent Deiri Aethelstan Teddy
Dedicace
Desra Corcyra
Desna
Dix Pour Cent Feridoon Hurry On
Ecurie
La Chansonnerie Mesilim
La Francaise
Terka Indus Alcantara Perth
Toison d'or
Himalaya Sardanapale
Mountain Lass
La Furka Blandford Swynford
Blanche
Brenta Sans Souci
Beaute de Neige
Relance Relic War Relic Man o'War Fair Play
Mahubah
Friar's Carse Friar Rock
Problem
Bridal Colors Black Toney Peter Pan
Belgravia
Vaila Fariman
Padilla
Polaire Le Volcan Tourbillon Ksar
Durban
Eroica Banstar
Macedonienne
Stella Polaris Papyrus Tracery
Miss Matty
Crepuscule Galloper Light
Terra Dombra

タンティエームは当馬の項を参照。

母リランスは現役成績11戦6勝、カマルゴ賞を勝ち、サンロマン賞で2着している。繁殖牝馬としての成績は素晴らしく、本馬の半弟レルコ(父タネルコ)【仏2000ギニー・英ダービー・ロワイヤルオーク賞・ガネー賞・コロネーションC・サンクルー大賞】、全弟リライアンス【仏ダービー・パリ大賞・ロワイヤルオーク賞・オカール賞】と、本馬も含めてチャンピオン級の馬を3頭も産んでいる。また、この3頭の競走成績には遠く及ばないが、イスパーン賞2着など6戦2勝の成績を残した半弟レベルコ(父タネルコ)は血統が評価されて日本に種牡馬として輸入された。もっとも、2年連続中央競馬最優秀ダート馬に選ばれたアンドレアモンの母父となった以外には今ひとつ実績を残せなかった。素晴らしい繁殖成績を残したリランスではあるが、牝駒より牡駒のほうが多かった影響なのか、牝系子孫はあまり発展しておらず活躍馬は殆どいない。本馬の半妹マリスカ(父タネルコ)の子であるムダヒム【クリーブハードル(英GⅠ)・愛グランドナショナル(愛GA)】、本馬の全妹ロジカの子であるゴルディコ【ルイジアナダウンズH(米GⅢ)】のほか、GⅢ競走の勝ち馬が何頭かいる程度である。

リランスの母ポレールも優秀な繁殖牝馬であり、リランスの全弟ポリック(本邦輸入種牡馬で、ヒシアマゾンの祖母の父でもある)【アランベール賞・ダフニ賞・サンジョルジュ賞】、1959年の凱旋門賞で1位同位入線しながら進路妨害で2着に降着となった半弟ミッドナイトサン(父サニ-ボーイ)【リュパン賞】、半弟エスキモー(父フィルドレイク)【モーリスドニュイユ賞】を産んでいる。ポレールの半姉ティーポレッタの玄孫にはティスランド【伊ダービー(伊GⅠ)・伊共和国大統領賞(伊GⅠ)・ミラノ大賞(伊GⅠ)】がいる。ポレールの4代母コロネーションは英国クラシック競走を4勝した稀代の名牝セプターの3番子である。→牝系:F16号族②

母父レリックは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は英国で種牡馬入りしたが、1965年に7歳という若さで早世してしまった。産駒は僅か3世代しかおらず、活躍馬は少ない。日本には、現役成績2戦1勝のマッチウォンが種牡馬として輸入され、母父として弥生賞勝ち馬レインボーアンバーを出した。また、本馬の娘ヴェスタルファイアは日本に繁殖牝馬として輸入され、岩手の帝王トウケイニセイの母エースツバキを産んでいる。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1964

Good Match

クイーンアンS

1964

Ovaltine

グッドウッドC・エボアH

1964

Palatch

ヨークシャーオークス・ムシドラS

1965

Safety Match

ロイヤルS

1965

Torpid

ホワイトローズS・ジョッキークラブS・ジョンポーターS

1965

World Cup

クイーンエリザベスⅡ世S

1966

Murrayfield

コヴェントリーS

1966

Vital Match

チャイルドS

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