エクスビュリ

和名:エクスビュリ

英名:Exbury

1959年生

栗毛

父:ルアール

母:グリーンスウォード

母父:モスボロー

古馬になって開花し強烈な末脚を武器に凱旋門賞・コロネーションC・サンクルー大賞などの大レースを次々に制覇し仏国最強馬に上り詰める

競走成績:2~4歳時に仏英で走り通算成績16戦8勝2着3回3着3回

誕生からデビュー前まで

仏国ノルマンディーのモートリー牧場において、ガイ・エドワール・アルフォンス・ポール・ド・ロートシルト男爵により生産・所有された。彼は有名なロスチャイルド一族の一員(ロスチャイルドの独語読みがロートシルト)で、仏国の銀行家として活躍しただけでなく有力な馬産家・馬主でもあり、仏国内における大競走は仏ダービーを除いてほぼ全て制覇している。そんな彼の最高傑作と呼ばれるのが本馬である。

馬名はロートシルト男爵の従兄弟で英国ロスチャイルド家第6代当主のエドモンド・レオポルド・ド・ロスチャイルド男爵が英国ハンプシャー州に所有していた有名な庭園エクスベリー・ガーデンにちなんでいる。

5月というサラブレッドとしては遅生まれだった影響だったのか、幼少期は非常に小柄な馬であり、成長してもそれほど大きくはならなかったようである。仏国ジェフリー・ワトソン調教師(エドモンド・レオポルド・ド・ロスチャイルド男爵の専属調教師を40年間務めたジョン・ワトソン師の息子)に預けられた。

競走生活(2・3歳時)

2歳7月にトレンブレー競馬場で行われたレースでデビューしたが、ここでいきなり強敵ヴァルドロワールと顔を合わせてしまい、ヴァルドロワールの3着に敗れた。次走で2着した後、ドーヴィル競馬場で行われたレーヌマティルデ賞で勝ち上がった。続くシェーヌ賞(T1600m)ではトレイシーの3着とまずまずの走りを見せ、2歳時の成績は4戦1勝となった。

3歳時は3月にサンクルー競馬場で行われたラグランジュ賞(T2000m)から始動したが、クロッセンの2着に敗退。次走のダリュー賞(T2100m)では13頭中6番人気の低評価だったが、後方待機策から四角で位置取りを上げて先頭に立ち、追い込んできた2着セネシャルに1馬身差をつけて勝利した。このレースぶりが評価されて次走のリュパン賞(T2100m)では、コンデ賞・ダフニ賞の勝ち馬モンフルールなどを抑えて1番人気に支持された。ところが結果はモンフルールの8着と大敗してしまった。

続く仏ダービー(T2400m)では、ノアイユ賞・オカール賞を勝ってきたヴァルドロワールとの再戦となった。レースでは、本馬より人気を集めていた同厩馬ヴィオロンダングレ(リュティエの半兄)が早仕掛けで先頭に立ち、逆に本馬は後方待機策からの追い込みを狙った。しかし勝ったのはヴァルドロワールで、1馬身差の2着にピックフォールが入り、本馬はさらに首差の3着、ヴィオロンダングレは本馬から3馬身1/4差の6着に終わった。

続いて出走したのは古馬相手のサンクルー大賞(T2500m)となった。今回もやはり大外から猛然と追い込んだが、前年のリュパン賞・仏ダービー・パリ大賞で全て2着だったロワイヤルオーク賞勝ち馬マッチ(次走のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSや暮れのワシントンDC国際Sを勝っている)に届かず、1馬身半差の2着に敗退した。

夏場は休養に充て、秋は凱旋門賞を目指して前哨戦のフォワ賞(T2200m)から始動。ここでは直線で馬群に包まれる不利がありながら、外側に持ち出すと驚異的な末脚を見せて、プランタン大賞・メシドール賞勝ち馬カティリナやコンセイユミュニシパル賞勝ち馬カルトレなどを鮮やかに差し切り、2着カティリナに頭差で勝利した。

本番の凱旋門賞(T2400m)では、ヴァルドロワールやマッチに加えて、米国から遠征してきたケンタッキーダービー・プリークネスS・フロリダダービー・ジェロームH・メトロポリタンH・ホイットニーHなどの勝ち馬キャリーバック、英セントレジャー・キングエドワードⅦ世S・ハードウィックSの勝ち馬でキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS2着のオレリアス、前年の凱旋門賞で3着だったガネー賞勝ち馬ミスティ、英オークス・ヴェルメイユ賞勝ち馬モナードといった実力馬達が相手となった。マッチが1番人気で、本馬が2番人気、以下、キャリーバック、オレリアス、ミスティ、ヴァルドロワールの順で支持を集めた。ところが上位人気馬総崩れの中、勝ったのは本馬が惨敗したリュパン賞で3着だった11番人気馬ソルティコフだった。本馬は直線で追い込んだが届かず、ソルティコフから2馬身差の6着に敗退。ヴァルドロワール(3着)やマッチ(5着)にはまたも勝てなかった。3歳時の成績は7戦2勝止まりで、ヴァルドロワールやマッチの陰に隠れた存在だった。

競走生活(4歳時)

3歳時までは追い込んで届かないレースが多かった本馬だが、4歳になった本馬は急激に力をつけ、届かないレースなど皆無となる。まずは3月にサンクルー競馬場で行われたボイアール賞(T2000m)から始動して、前年の凱旋門賞で本馬に先着する4着だったスノッブを残り100mで捕らえて半馬身差で勝利した。

3週間後のガネー賞(T2000m)では、ソルティコフやヴァルドロワールとの顔合わせとなった。しかしこの段階で既に本馬の実力は他2頭を上回っていた。本馬が残り200m地点で大外からヴァルドロワールを並ぶ間もなく差し切り、ヴァルドロワールを4馬身差の2着に下して圧勝した。

さらに英国に遠征してコロネーションC(T12F)に出走。4歳になってからの本馬の充実ぶりは既に英国にも知れ渡っており、単勝オッズ2.375倍の1番人気に支持された。ここでも後方からレースを進めた本馬は、タッテナムコーナーを回って直線を向いても9頭立ての8番手という位置取りだった。しかしここから弾丸のような勢いで伸び、前年の英セントレジャー・グレートヴォルティジュールS勝ち馬ヘザーセット、前年の仏ダービーで本馬に先着していたピックフォールなどを一気に差し切った。そしてゴール前では流す余裕ぶりで、2着ヘザーセットに6馬身差をつける圧勝劇を演じた。

仏国に戻ってきた本馬は、前年に2着だったサンクルー大賞(T2500m)に出走。ここではヴァルドロワールと後続馬を6馬身も引き離す一騎打ちを演じた末に、半馬身差で勝利を収めた。

そして前年の雪辱を期して凱旋門賞(T2400m)に直行した。対戦相手は、レルコ、仏ダービー・パリ大賞の勝ち馬サンクタス、グレフュール賞・オカール賞・シャンティ賞の勝ち馬ルメニル、前年の凱旋門賞では7着だったがその後に伊ジョッキークラブ大賞・フォワ賞を勝ちカドラン賞・アスコット金杯で2着していたミスティ、ガネー賞3着後にフォワ賞でミスティの2着してきた前年の覇者ソルティコフ、プランタン大賞の勝ち馬ブランブルー、モーリスドニュイユ賞の勝ち馬トゥルヌヴァン、ノネット賞勝ち馬で仏オークス3着のロイヤルガール、ロワイヤルオーク賞で2着してきたデブール、仏ダービー2着・ロワイヤルオーク賞3着のニルコス、ロベールパパン賞勝ち馬で仏グランクリテリウム・サラマンドル賞2着のクイクイ、リュパン賞2着馬ボランなど14頭だったが、その中でも最大の強敵はレルコだった。本馬より1歳年下のレルコは前年に本馬が敵わなかったマッチの半弟で、この年の仏2000ギニー・英ダービー・ロワイヤルオーク賞を制していた。1番人気に支持されたのはレルコの方で、主戦のJ・ドフォルジュ騎手が騎乗する本馬は2番人気だった。しかしスタート前から焦れ込んでいたレルコは序盤のハイペースも災いして直線で伸びを欠いた。それとは対照的に本馬は自分のペースで後方を追走し、直線を向くと残り400m地点から満を持して自慢の追い込みをかけた。瞬く間に他馬を抜き去ると、最後は2着ルメニルに2馬身差をつけて完勝した。これが現役最後のレースとなり、この年の成績は5戦無敗で、仏最優秀古馬に選ばれた。

英国立競馬博物館は本馬を「この年の欧州調教馬における最高の中距離馬」と評し、英タイムフォーム社のレーティングにおいても138ポンドというかなり高い評価を得た(レルコは136ポンド)。1969年には、ボイアール賞(本馬も含めてロートシルト男爵の所有馬は6回勝利している)が本馬の名を冠したエクスビュリ賞に改名された。

血統

Le Haar Vieux Manoir Brantome Blandford Swynford
Blanche
Vitamine Clarissimus
Viridiflora
Vieille Maison Finglas Bruleur
Fair Simone
Vieille Canaille Zionist
Ficelle
Mince Pie Teleferique Bacteriophage Tetratema
Pharmacie
Beaute de Neige Saint Just
Bellezza
Cannelle Biribi Rabelais
La Bidouze
Armoise Blandford
Coriandre
Greensward Mossborough Nearco Pharos Phalaris
Scapa Flow
Nogara Havresac
Catnip
All Moonshine Bobsleigh Gainsborough
Toboggan
Selene Chaucer
Serenissima
Stargrass Noble Star Hapsburg Desmond
Altesse
Hesper Herodote
Amourette
Grass Widow Son-in-Law Dark Ronald
Mother in Law
Silver Grass Phalaris
Silver Spray

父ルアールは現役成績10戦3勝。ジャンプラ賞を勝っているが、モルニ賞とサラマンドル賞で2着、仏ダービーで3着などやや勝ち切れない傾向があった。種牡馬としては本馬の活躍により1963年の仏首位種牡馬になっている。ルアールの父ヴューマノワールはブラントーム産駒で、現役成績は5戦3勝。パリ大賞を勝ち、英セントレジャーで2着している。種牡馬としては本馬の好敵手ヴァルドロワールなどを出し、1958年の仏首位種牡馬になっている。

母グリーンスウォードは現役成績13戦2勝。その産駒には、本馬の半妹パパイア(父トロピーク)【ダリュー賞】、半弟モートリー(父ライオネル)【バーデン大賞(独GⅠ)】がいる。グリーンスウォードの半姉アストラル(父ワトリングストリート)の子にはアリヨン【オイロパ賞】がいる。また、グリーンスウォードの半姉アルペンローザ(父チャモセア)は日本に繁殖牝馬として輸入され、1964年の啓衆社賞最優秀三歳牝馬及び1966年の最優秀五歳以上牝馬に選ばれたエイトクラウン【宝塚記念・阪神3歳S・鳴尾記念】を産んだ。エイトクラウンの子にはナオキ【宝塚記念・鳴尾記念・中京記念2回・京都金杯】とクラウンピラード【2着天皇賞春・2着天皇賞秋】が、曾孫にはロングアポロン【阪神障害S・京都大障害】がいる。公営競馬で活躍したサブリナチェリーやホクセツサンデーもアルペンローザの牝系子孫出身馬。→牝系:F2号族②

母父モスボローはバリモスの項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は生まれ故郷のモートリー牧場で種牡馬入りした。初期の種牡馬成績は今ひとつ足りなかったが、晩年になって優秀な産駒を出すという、比較的珍しいタイプの種牡馬だった。現役時代も追い込み馬だったが種牡馬としても追い込み馬だったというところだろうか。1979年に20歳で他界した。

後継種牡馬としては新国で種牡馬入りしたザマザーンが58頭のステークスウイナーを出して新国と豪州で首位種牡馬に輝く成功を収めた。ザマザーンの代表産駒ボーザムは、AJCダービー・スプリングチャンピオンS・セジェンホーS2回・タンクレッドSなど豪州のGⅠ競走を数多く勝ったが、日本で種牡馬入りするも鳴かず飛ばずのまま新国に戻されて2000年に他界しており、本馬の直系子孫はほぼ絶滅状態である。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1965

Zamazaan

コンセイユミュニシパル賞・ジャンプラ賞

1966

Belbury

シャンティ賞

1966

Ex Libris

コンセイユミュニシパル賞(仏GⅡ)

1966

Gambola

ランカシャーオークス

1966

Hickleton

グラディアトゥール賞(仏GⅡ)

1967

Experio

シェーヌ賞

1968

Arlequino

シャンティ賞(仏GⅢ)・バルブヴィル賞(仏GⅢ)

1968

Example

パークヒルS(英GⅡ)・ジャンドショードネイ賞(仏GⅡ)・ロワイヤリュー賞(仏GⅢ)

1968

Madison Palace

サンルイオビスポH(米GⅡ)

1968

Sophora

ヴィシー大賞(仏GⅢ)

1971

Poil de Chameau

オカール賞(仏GⅡ)

1973

Crow

英セントレジャー(英GⅠ)・コロネーションC(英GⅠ)・ユジェーヌアダム賞(仏GⅡ)・オーモンドS(英GⅢ)

1973

Smuggler

ヨークシャーC(英GⅡ)・ゴードンS(英GⅢ)・プリンセスオブウェールズS(英GⅢ)・ヘンリーⅡ世S(英GⅢ)

1974

Dekeleia

ヴァントー賞(仏GⅢ)

1975

Xibury

伊セントレジャー(伊GⅡ)

1976

Expansive

リブルスデールS(英GⅡ)

1976

Soleil Noir

パリ大賞(仏GⅠ)・エスペランス賞(仏GⅢ)

1977

Ataxerxes

オイロパ賞(独GⅠ)

1977

Chicbury

エスペランス賞(仏GⅢ)

1977

Julius Caesar

ノアイユ賞(仏GⅡ)

1977

What a Joy

リューテス賞(仏GⅢ)

1978

Halsbury

シザレウィッチH

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