バリモス

和名:バリモス

英名:Ballymoss

1954年生

栗毛

父:モスボロー

母:インディアンコール

母父:シンガポール

凱旋門賞・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSなどを勝ち愛国史上最高の名伯楽ヴィンセント・オブライエン師が最初に手掛けた平地競走の超大物競走馬となる

競走成績:2~4歳時に愛英仏で走り通算成績17戦8勝2着5回3着1回

誕生からデビュー前まで

愛国の馬産家リチャード・ボール氏により生産された愛国産馬である。1歳時のドンカスターセールに出品され、愛国のヴィンセント・オブライエン調教師により4500ギニーで購入された。

1917年に愛国コーク州で生を受けたオブライエン師は、20歳代で障害競走の調教師となっていた。本馬を購入した1955年までに英グランドナショナルを3勝、チェルトナム金杯を4勝(管理馬コテージレークの3連覇を含む)するなど障害の大競走を何度も勝ち、既に愛国の障害調教師としてはトップに君臨していたが、平地競走には進出してまだ数年であり、それほどの活躍馬には恵まれていなかった。オブライエン師は、ペンタゴンやホワイトハウスの全面改修をも手掛けた米国最大手の建築業者ジョン・マクシャイン氏の代理人としてドンカスターセールに参加しており、本馬はマクシャイン氏の所有馬となった。マクシャイン氏は1952年に米国ニュージャージー州でバークレーステーブルを設立して馬主活動も行っており、ちょうど愛国にも進出してきたばかりだった。本馬は成長しても体高16ハンド弱と並の体格であり、デビュー前の評価もやはり並といったところだった。

競走生活(3歳初期まで)

2歳7月にカラー競馬場で行われた芝6ハロンの未勝利プレートでデビューしたが、後に障害競走で活躍する事になるスティールフラッシュが勝利を収め、本馬は着外に終わった。次走は9月にマロウ競馬場で行われた芝5ハロンの未勝利プレートとなったが、ベルバードの1馬身差2着に敗れた。同月にレパーズタウン競馬場で出走した芝7ハロンの未勝利プレートでは、翌月の愛ナショナルSを勝利する事になるエルミンザを2馬身差の2着に破って初勝利を挙げた。しかし10月にカラー競馬場で出走したステイヤーズプレート(T7F)では、後に加国際Sを勝つことになるマルティーニの2馬身半差2着に敗退。2歳時は結局4戦1勝という目立たない成績に終わった。しかしオブライエン師は本馬の素質を評価していたようで、来年のクラシック競走で期待できる旨の手紙を米国にいるマクシャイン氏に書き送っている。

3歳時は4月にカラー競馬場で行われたマドリードフリーH(T7F)から始動したが、フューエルの着外に敗れた。翌5月にレパーズタウン競馬場で出走したトリゴS(T12F)では、後のセントジェームズパレスSの勝ち馬シェバストリッドを首差2着に抑えて勝利した。初の12ハロンで勝った事から、オブライエン師は、本馬は距離が伸びて良いタイプで、同距離の英ダービーでも勝負になると判断。翌月の英ダービー参戦を正式に表明した。英国に出発する直前に負傷を負ったため、マクシャイン氏は本馬の英ダービー出走を断念しようとしたが、負傷が軽度だった事もあって、結局は渡英することになった。

競走生活(3歳中期と後期)

そして迎えた英ダービー(T12F)では、英2000ギニー・デューハーストSの勝ち馬クレペロ、仏2000ギニー3着馬プリンスタジ、ミドルパークS・グリーナムSの勝ち馬で英2000ギニー3着のパイプオブピース、リングフィールドダービートライアルS・ケンプトンパーク2000ギニートライアルSの勝ち馬でデューハーストS2着のドーテル、トーマブリョン賞の勝ち馬アポストル、コヴェントリーSの勝ち馬でディーS2着のメスメイト、ブルーリバンドトライアルSを勝ってきたテンペストなどが対戦相手となった。トミー・バーンズ騎手騎乗の本馬は、トリゴS勝利前の前売りオッズ101倍からは少し評価を上げていたが、それでも単勝オッズ34倍で11番人気という人気薄だった。しかしレースでは先行して残り2ハロン地点で先頭に立つという見せ場を作り、最後にクレペロに差されたものの、単勝オッズ2.5倍の1番人気に応えて勝ったクレペロから1馬身半差の2着に粘り込み、本馬から1馬身差の3着だったパイプオブピースを始めとする有力馬の大半に先着して前評判の低さを覆した。

次走の愛ダービー(T12F)には、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSへと直行したクレペロは不在であり、地元愛国所属の本馬が単勝オッズ3.25倍の1番人気に支持された。直前の負傷を懸念して英ダービーを観戦に来なかったマクシャイン氏も、今回は米国からやってきていた。そして期待どおりに、2着となったオーモンドSの勝ち馬で愛2000ギニー3着のヒンズーフェスティバルに4馬身差をつける圧勝劇を演じた。

次走のグレートヴォルティジュールS(T12F)では単勝オッズ2倍の1番人気に支持されたが、重馬場に脚を取られて、ロイヤルロッジS・キングエドワードⅦ世S2着のブリオッシュに4馬身差をつけられた2着と完敗した。

秋の英セントレジャー(T14F132Y)では、クレペロが故障のため既に引退して不在であり、当初は本馬が単勝オッズ6倍の1番人気に支持されていた。しかし雨で馬場状態が悪化したために、本馬は単勝オッズ9倍の3番人気まで評価を下げてしまった。しかしそれでもこのレースで本馬に太刀打ちできる馬はいなかった。好位追走から5番手で直線に入ると残り2ハロン地点で悠々と抜け出して、2着となったオックスフォードシャーSの勝ち馬コートハーウェルに1馬身差、3着ブリオッシュにはさらに3/4馬身差をつけて勝利を収め、同レース史上初の愛国調教馬による優勝を成し遂げた。

次走の英チャンピオンS(T10F)では、発走直前に暴れて脚を負傷してしまった。それでもレースには出走したが、英1000ギニー・ムーランドロンシャン賞を勝ち英オークスで3着していたロゼロワイヤル、イスパーン賞2回・コロネーションC・フォワ賞・ボイアール賞・ハードウィックSを勝ち前年の英チャンピオンSとこの年のガネー賞で2着していたフリックといった仏国調教馬勢に屈して、勝ったロゼロワイヤルから20馬身差をつけられた6着と大敗。その後に予定されていたワシントンDC国際Sへの遠征を断念し、3歳時を7戦3勝の成績で終えた。

競走生活(4歳前半)

4歳時も現役を続け、まずは5月のオーモンドS(T13F75Y)から始動した。しかしここでは前年の英ダービー着外後にカンバーランドロッジS・ライムキルンS・ジョンポーターSを勝っていたドーテルの2馬身差2着に敗れた。

次走のコロネーションC(T12F)からは、バーンズ騎手に代わって、前年の英平地首位騎手に輝いていた豪州出身の名手アーサー・“スコビー”・ブリーズリー騎手が本馬の主戦を務めることになった。ここでは、前年の英チャンピオンSで本馬に先着する3着だったフリック、前年の愛セントレジャー馬オメヤドなどが対戦相手となった。しかし単勝オッズ2倍の1番人気に支持された本馬が、2着フリックに2馬身差、3着オメヤドにはさらに1馬身差をつけて快勝した。

次走はエクリプスS(T10F)となった。前年のエクリプスS・キングエドワードⅦ世Sとこの年のコロネーションS(現ブリガディアジェラードS)を勝っていたアークティックエクスプローラー、キングエドワードⅦ世Sを勝ってきたレストレーションなどが出走していた。本馬にとってはやや距離不足とも思われたが、既に全盛期を迎えていた本馬には何の問題も無かったようだった。周囲もそれは理解していたようで、単勝オッズ1.73倍という断然の1番人気で本馬を迎えた。そしてレースでは期待どおり、いやそれ以上の走りを見せて、2着レストレーションに6馬身差、3着アークティックエクスプローラーにはさらに短頭差をつけて圧勝した。

そして迎えたキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(T12F)では、単勝オッズ2.75倍の1番人気に支持された。そして残り1ハロン半地点で先頭に立つと、2着となったヨークシャーオークス・リブルスデールS・パークヒルSの勝ち馬アルメリアに3馬身差、アスコット金杯で3着してきたドーテルにはさらに3/4馬身差をつけて楽勝した。

競走生活(4歳後半)

夏場は休養に充て、秋は凱旋門賞(T2400m)に直行した。ここでは、仏グランクリテリウム・クリテリウムドメゾンラフィット・英1000ギニー・英オークス・ヴェルメイユ賞を勝ち仏ダービーで2着していた仏国の歴史的名牝ベラパオラ、リュパン賞・ガネー賞2回・サンクルー大賞2回・プランスドランジュ賞2回・ノアイユ賞・アルクール賞を勝ち一昨年の凱旋門賞でリボーの3着していた現役仏国最強古馬タネルコ、伊ダービー・イタリア大賞・ミラノ大賞を勝っていた伊国最強3歳馬セダン、ロワイヤルオーク賞・コートノルマンディ賞を勝ってきたワラビー、ロワイヤルオーク賞・カドラン賞・ドーヴィル大賞の勝ち馬でローマ賞・ジャンプラ賞2着のスコット、パリ大賞・オカール賞の勝ち馬サンロマン、クリテリウムドサンクルー・グレフュール賞・リス賞の勝ち馬でロワイヤルオーク賞2着・リュパン賞3着のアップスタート、前年のリュパン賞の勝ち馬で仏グランクリテリム・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS2着のアルマプソー、ジャックルマロワ賞・ユジェーヌアダム賞・ポルトマイヨ賞の勝ち馬で前年の凱旋門賞3着のバルボ、フリック、ユジェーヌアダム賞・ヴェルメイユ賞で2着してきたブイアイピー、ドーヴィル大賞2着・仏グランクリテリウム3着のケラスコなどが対戦相手となった。ベラパオラとタネルコのカップリングが1番人気で、レース前に降った雨で馬場状態が悪化していた事が懸念された本馬は単勝オッズ4.9倍の2番人気となった。しかしこの段階における本馬にとっては馬場状態が良かろうと悪かろうと関係なかった。直線で早めに先頭に立った本馬に追いつける馬はおらず、2着フリックに2馬身差、3着ケラスコにはさらに2馬身半差をつけて快勝。ここでもレース史上初の愛国調教馬による優勝となった。また、愛ダービー・エクリプスS・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・凱旋門賞の4競走を全て勝った馬は現在でも本馬のみである。

地元米国で本馬の走りを見たいと考えたマクシャイン氏の希望により、引退レースは米国のワシントンDC国際S(T12F)となった。当然のように単勝オッズ2.1倍の1番人気に支持されたのだが、レース前にオブライエン師が小回りと短い直線は本馬に不適ではないかと懸念したとおりに、1位入線の米国調教馬テューダーエラ(後のマンノウォーS勝ち馬)と頭差の2位入線だった豪州調教馬セイラーズガイド(ヴィクトリアダービー・シドニーC・マッキノンSの勝ち馬)の2頭から3馬身半差をつけられた3着に敗れた。なお、テューダーエラは道中で外側に膨らんだとして進路妨害で2着に降着となり、セイラーズガイドが繰り上がって勝利馬となったが、セイラーズガイドだけでなく本馬を含む他の多くの馬もテューダーエラの斜行による不利を受けており、本馬が繰り上がって2着にならなかった事に関しては議論を呼んだ。

それでも4歳時6戦4勝の成績を残し、この年の英年度代表馬に選出されている。また、英タイムフォーム社のレーティングでも136ポンドを獲得し、英セントレジャー馬アルサイドと、ジュライC・ナンソープSの勝ち馬ライトボーイの135ポンドを上回り、この年最高の評価を得た。獲得賞金総額は11万4150ポンドに達し、これは英愛調教馬としては、1952年に引退したタルヤーの7万6577ポンドを大きく上回る新記録であり、後の1963年にラグーザによって更新されるまで英愛賞金王に君臨した。

本馬は後にサーアイヴァーニジンスキーロベルト、アパラチー、アレッジドザミンストレルエルグランセニョールサドラーズウェルズカーリアンロイヤルアカデミーなど数々の名馬を手掛け、愛国競馬史上最高の名調教師と言われるようになるオブライエン師が最初に手掛けた平地競走の歴史的名馬としても名を残している。

血統

Mossborough Nearco Pharos Phalaris Polymelus
Bromus
Scapa Flow Chaucer
Anchora
Nogara Havresac Rabelais
Hors Concours
Catnip Spearmint
Sibola
All Moonshine Bobsleigh Gainsborough Bayardo
Rosedrop
Toboggan Hurry On
Glacier
Selene Chaucer St. Simon
Canterbury Pilgrim
Serenissima Minoru
Gondolette
Indian Call Singapore Gainsborough Bayardo Bay Ronald
Galicia
Rosedrop St. Frusquin
Rosaline
Tetrabbazia The Tetrarch Roi Herode
Vahren
Abbazia Isinglass
Mrs. Butterwick
Flittemere Buchan Sunstar Sundridge
Doris
Hamoaze Torpoint
Maid of the Mist
Keysoe Swynford John o'Gaunt
Canterbury Pilgrim
Keystone Persimmon
Lock and Key

父モスボローはネアルコの直子で、現役成績は17戦5勝。ノーズリーディナーS・リヴァプールオータムC・ウィンストンチャーチルSを勝ち、エクリプスS・プリンセスオブウェールズS・ロウス記念Sで2着している。競走馬としては二流だったが、ハイペリオンの甥に当たる良血を買われて種牡馬入りすると、かなりの成功を収めた。

母インディアンコールはヨークシャーオークスの勝ち馬フリットメアの娘。フリットメアの母は英セントレジャー・ナッソーSを勝ちアスコット金杯で3着した名牝キーソー。キーソーの母は英オークス・コロネーションS・リヴァプールセントレジャーの勝ち馬キーストーン。フリットメアの半兄にはプリンスオブウェールズSの勝ち馬カイソット(後にハンガリーで種牡馬として大成功している)がいるなど、血統的には優秀だったのだが、しかしインディアンコールは競走馬としては2戦していずれも着外と活躍できず、3歳時に僅か15ギニーで取引されてボール氏の元で繁殖入りしていた。本馬以外に活躍馬は出せなかったが、本馬の半姉パプース(父マイバブー)の娘イシュクーダーが日本に繁殖牝馬として輸入されて牝系を伸ばし、イシュクーダーの孫であるタニノブーケ【デイリー杯三歳S(GⅡ)】、その子であるタニノボレロ【新潟記念(GⅢ)】、タニノクリエイト【神戸新聞杯(GⅡ)】、孫であるビッグウィーク【菊花賞(GⅠ)】などが登場している。→牝系:F2号族④

母父シンガポールはゲインズボローの直子で、英セントレジャー・ドンカスターCを制している。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、英国ハンプシャー州ホワイツバリーマナースタッドで種牡馬入りした。種牡馬としても好成績を収め、英愛種牡馬ランキングでは1967年に2位、1968年に3位に入った。繁殖牝馬の父としても活躍しており、凱旋門賞馬レヴモス、ベルモントSの勝ち馬ステージドアジョニー、英国長距離三冠馬レモス、英ダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSの勝ち馬ティーノソ、1985年のケンタッキー州最優秀繁殖牝馬ノーザンサンセット(セントジョヴァイトの母)などを出している。1979年に25歳で他界した。本馬の名はイギリス国鉄のディーゼル機関車D9018号の名称として、1961年から1981年まで使用された。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1960

Feemoss

ブランドフォードS

1960

Follow Suit

デューハーストS

1961

Ancasta

愛オークス・プリティポリーS

1961

Bally Joy

ロイヤルホイップS

1961

I Titan

クイーンズヴァーズ

1961

Sweet Moss

ダンテS・ディーS・ゴードンS

1961

バリモスニセイ

朝日チャレンジC・京都盃・中日盃・阪急盃・鳴尾記念・大阪盃・スワンS・京阪盃

1962

Bally Russe

クイーンズヴァーズ

1962

Ballymarais

ダンテS

1962

Biomydrin

オーモンドS

1962

O'Hara

サンセットH

1963

Grey Moss

ディーS

1963

Merry Mate

愛オークス

1963

Radbrook

バリモスS

1964

Dancing Moss

ジョッキークラブC

1964

Royal Palace

英2000ギニー・英ダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・エクリプスS・コロネーションC・プリンスオブウェールズS・ロイヤルロッジS

1964

Sun Rock

ロイヤルS・ゴードンS

1967

Parmelia

パークヒルS

1967

Parmelia

リブルスデールS

1974

Capo Bon

伊共和国大統領賞(伊GⅠ)・エミリオトゥラティ賞(伊GⅠ)・伊2000ギニー(伊GⅡ)・ベスナーテ賞(伊GⅡ)2回

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