ロイヤルパレス

和名:ロイヤルパレス

英名:Royal Palace

1964年生

鹿毛

父:バリモス

母:クリスタルパレス

母父:ソーラースリッパー

英2000ギニー・英ダービー・エクリプスS・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSなど英国牡馬主要競走の大半を制覇したが英セントレジャーには出走できず

競走成績:2~4歳時に英で走り通算成績11戦9勝3着1回

誕生からデビュー前まで

南アフリカのダイヤモンド採掘で財を成した事で知られる馬産家ソロモン・バーナート・ジョエル氏の兄で自身も馬産家だったジャック・バーナート・ジョエル氏の息子ジェームズ・ジョエル氏により生産・所有された英国産馬で、英国ノエル・マーレス調教師に預けられた。

競走生活(2歳時)

2歳6月にアスコット競馬場で行われたコヴェントリーS(T6F)でデビューしたが、後に英シャンペンSやミドルパークSを制する愛国産馬ボールドラッドから4馬身半以上の差をつけられて着外に敗北した。しかし敗れたとは言え、優秀なスピード能力を示したとされている。怪我のため少し間隔が空き、8月にヨーク競馬場で出走したエイコムS(T6F)で勝ち上がった。

翌月にはアスコット競馬場に戻ってロイヤルロッジS(T6F)に出走。スタートで後手を踏んでしまった本馬は、最終コーナーでもまだ最後方だったが、ここから一気に追い込んで2着スリップステッチに1馬身半差をつけて勝利した。スリップステッチから4馬身差の3着だったスターリーヘイローはその後に出たオブザーヴァー金杯でリボッコの3/4馬身差2着に入っており、間接的に本馬の評価を押し上げることになった。2歳時の本馬はこの3戦のみで終えたが、この年の2歳馬フリーハンデにおいては、トップのボールドラッドからは3ポンド差をつけられたものの第2位の評価を得た。

なお、この時期にマーレス師が本馬のペースメーカー役として目をつけたのが、ジェームズ・ジョエル氏の従兄弟スタンホープ・ジョエル氏が所有していた1歳年上のバステッドだった。マーレス厩舎の一員となったバステッドはペースメーカー役の枠内に収まりきらない素質を披露し始めたため、本馬とバステッドは良き調教相手として切磋琢磨し、揃って歴史的名馬への階段を昇っていく事になる。

競走生活(3歳時)

バステッドとの調教で鍛えられた本馬は、3歳時は前哨戦を使わずに英2000ギニー(T8F)に出走した。テトラークSを勝ってきたボールドラッドと並んで単勝オッズ4.33倍の1番人気に支持された。パドックでは汗をかいてあまり状態が良いようには見えなかったらしいが、ジョージ・ムーア騎手を鞍上に残り2ハロン地点で先頭に立つと、2着となった仏国調教馬タージデュワン(ロベールパパン賞とサラマンドル賞で2着、モルニ賞と仏グランクリテリウムで3着していた)の追撃を短頭差で凌いで勝利した。なお、この英2000ギニーは英国クラシック競走において初めてスターティングゲートが導入されたレースでもあった。

次走の英ダービー(T12F)では、英2000ギニーで着外に敗れたボールドラッドが回避したため、単独で単勝オッズ2.75倍の1番人気に支持された。レースでは単勝オッズ26倍の6番人気馬エルマイティが一か八かの大逃げを打ち、そのまま直線に突入したが、本馬鞍上のムーア騎手は惑わされること無かった。そして好位から抜け出して、2着リボッコに2馬身半差、3着となったデューハーストSの勝ち馬ダートボードにはさらに2馬身差をつけて優勝し、1957年のクレペロ以来10年ぶりに英2000ギニー・英ダービーの2競走制覇を達成した。

その後は1935年のバーラム以来となる英国三冠馬になるべく秋の英セントレジャーに向けて調整されていた。バーラム以降には、ブルーピーター、ニンバス、クレペロの3頭が英2000ギニー・英ダービーを制していたが、ブルーピーターは第二次世界大戦の影響で英セントレジャーが中止されたため、ニンバスとクレペロは故障のため、3頭全てが3歳秋には既に引退しており、英セントレジャーに参戦する事は出来なかった。そのため本馬にかかる期待は大きかったが、8月の調教中に故障して調整が遅れてしまった。英セントレジャーの直前になっても調子が上がらなかったため、結局本馬は英セントレジャーを回避することになった(本馬不在の英セントレジャーは、英ダービー2着後に愛ダービーを勝ちキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSでバステッドの3着していたリボッコが勝利している)。

英セントレジャーを見送った本馬はその代わりに英チャンピオンS(T10F)に出走した。しかしセントジェームズパレスS・サセックスS・クイーンエリザベスⅡ世Sを勝っていた同世代馬のリフォームが勝ち、英2000ギニー2着後に仏ダービーとサンクルー大賞でいずれも3着と勝ち切れていなかったタージデュワンが2馬身差の2着で、本馬はタージデュワンから1馬身半差の3着に敗退。3歳時は3戦のみの出走となった。

なお、本馬の翌年に英2000ギニー・英ダービーを勝利したサーアイヴァーも英セントレジャーは回避して凱旋門賞に出走しており、春の英国牡馬クラシック競走2勝馬が英セントレジャーに出走しないのは常態化してしまっていた。結局本馬の3歳年下のニジンスキーが英国三冠馬となったが、その後の凱旋門賞で敗れた理由の1つが英セントレジャー出走による疲労とみなされたために、その後に英国三冠馬を目指す陣営は極めて稀になってしまった。

競走生活(4歳時)

4歳時は主戦がまだ10代の若者だったサンディ・バークレー騎手に代わり、サンダウンパーク競馬場で行われたコロネーションS(T10F)から始動した。ここでは単勝オッズ1.53倍の1番人気に応えて、2着シドンに1馬身差で勝利した。次走のコロネーションC(T12F)でも単勝オッズ1.44倍の1番人気に応えて、2着となったプリンセスロイヤルSの勝ち馬バンブーズルに2馬身差、3着となった前年の愛セントレジャー馬ダンカノにはさらに首差をつけて快勝した。さらにプリンスオブウェールズS(T10F)を2着ジェハドに2馬身差で勝利。

そしてエクリプスS(T10F)に出走した。このレースには、ガネー賞で惜敗街道を脱出してきたタージデュワンの他に、英2000ギニー・英ダービー・仏グランクリテリウム・愛ナショナルSを勝ってきたサーアイヴァーも参戦してきて、1903年にアードパトリックセプターロックサンドが対戦したエクリプスSと比較されるほど盛り上がった。そしてレースは事前の盛り上がりどおりの名勝負となった。タージデュワンが直線で先頭に立って逃げ込みを図るところに、単勝オッズ1.8倍の1番人気に推されていたサーアイヴァーと、単勝オッズ3.25倍の2番人気だった本馬の2頭が襲い掛かって、大接戦のゴール前となった。サーアイヴァーが僅かに遅れたのは判ったが、本馬とタージデュワンの差は一見して判らずに写真判定に縺れ込んだ。体勢はタージデュワン有利に見えたが、結果は本馬が短頭差先着していた。

次走のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(T12F)では、前年の凱旋門賞馬トピオ、愛ダービーでサーアイヴァーを2着に下して勝ってきたリベロ、リュパン賞で2着してきたフェリシオなどが対戦相手となったが、単勝オッズ1.57倍の1番人気に支持された本馬が2着フェリシオに半馬身差で勝利した。しかし最後の直線で本馬は左前脚の靱帯を損傷しており、これが現役最後のレースとなった。4歳時の成績は5戦全勝となった。

競走馬としての評価

本馬は英チャンピオンSを除く英国内における牡馬が出走可能な当時の大レースをほとんど勝っている。英2000ギニー・英ダービー・エクリプスS・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSの4レースを全て制したのは本馬が史上初で、その後もナシュワン1頭しかいない。歴史的名馬と言えるだけの実績はあるのだが、英タイムフォーム社の本馬に対する評価は今ひとつで、3・4歳時共に131ポンドに留まっている。3歳時は132ポンドの同世代馬リフォームより低い世代2位(同厩の4歳馬バステッドは135ポンド)。4歳時は古馬勢では単独最上位だったが、この年トップの3歳馬ヴェイグリーノーブルの140ポンドや、同2位のサーアイヴァーの135ポンドよりかなり低かった。勝ち馬との着差が全体的に小さかった事が影響したものと推察される。

血統

Ballymoss Mossborough Nearco Pharos Phalaris
Scapa Flow
Nogara Havresac
Catnip
All Moonshine Bobsleigh Gainsborough
Toboggan
Selene Chaucer
Serenissima
Indian Call Singapore Gainsborough Bayardo
Rosedrop
Tetrabbazia The Tetrarch
Abbazia
Flittemere Buchan Sunstar
Hamoaze
Keysoe Swynford
Keystone
Crystal Palace Solar Slipper Windsor Slipper Windsor Lad Blandford
Resplendent
Carpet Slipper Phalaris
Simons Shoes
Solar Flower Solario Gainsborough
Sun Worship
Serena Winalot
Charmione
Queen of Light Borealis Brumeux Teddy
La Brume
Aurora Hyperion
Rose Red
Picture Play Donatello Blenheim
Delleana
Amuse Phalaris
Gesture

バリモスは当馬の項を参照。

母クリスタルパレスは現役成績9戦5勝。フォールS・チャイルドS(現ファルマスS)・ナッソーSを制した活躍馬だった。繁殖牝馬としても活躍し、本馬の半弟プリンスコンソルト(父ライトロイヤル)【プリンセスオブウェールズS】、半弟セルハースト(父シャルロットヴィル)【ハードウィックS(英GⅡ)・オーモンドS(英GⅢ)】などを産んだ。牝系子孫もかなり発展しており、本馬の半姉ルミナ(父ニンバス)の玄孫にはスタイリッシュセンチュリー【スプリングチャンピオンS(豪GⅠ)・ヴィクトリアダービー(豪GⅠ)・AJCクイーンエリザベスS(豪GⅠ)】が、本馬の半妹アッシュローン(父シャーロットヴィル)の牝系子孫には、タンテローズ【スプリントC(英GⅠ)】、ドバウィハイツ【ゲイムリーS(米GⅠ)・イエローリボンS(米GⅠ)】、メイクビリーヴ【仏2000ギニー(仏GⅠ)・フォレ賞(仏GⅠ)】が、本馬の半妹グラススリッパー(父レルコ)の子にはライトキャヴァリー【英セントレジャー(英GⅠ)・キングエドワードⅦ世S(英GⅡ)・プリンセスオブウェールズS(英GⅡ)】、フェアリーフットステップス【英1000ギニー(英GⅠ)・ネルグウィンS(英GⅢ)】、曾孫にはデザートプリンス【愛2000ギニー(愛GⅠ)・ムーランドロンシャン賞(仏GⅠ)・クイーンエリザベスⅡ世S(英GⅠ)】が、本馬の半妹クリスタルファウンテン(父グレートネフュー)の子にはクリスタルハーテッド【フランクフルトトロフィ(独GⅡ)・スコティッシュクラシック(英GⅢ)】、孫にはクリスタルミュージック【フィリーズマイル(英GⅠ)】がいる。

クリスタルパレスの母クイーンオブライトはチャイルドSの勝ち馬で、その母ピクチャープレイは英1000ギニー馬。クイーンオブライトもやはり牝系子孫を発展させており、クリスタルパレスの半姉ピクチャーライト(父コートマーシャル)【ハンガーフォードS】の子にはウェルシュページェント【ロッキンジS・クイーンアンS・クイーンエリザベスⅡ世S・ロッキンジS(英GⅡ)・ハンガーフォードS(英GⅢ)】、ミスピンキー【フィリーズマイル(英GⅢ)】、孫には日本では走ったシャンデリー【オークストライアル四歳牝馬特別】、曾孫にはメイボール【モーリスドギース賞(仏GⅠ)】、玄孫にはエッソテリーク【ロートシルト賞(仏GⅠ)・ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)・サンチャリオットS(英GⅠ)】などが、クリスタルパレスの半姉シャンデリア(父ゴヤマ)の子にはクロケット【ミドルパークS・コヴェントリーS・ジムクラックS・クレイヴンS・セントジェームズパレスS】、孫にはニゾン【ローマ賞(伊GⅠ)】、曾孫にはグレイントン【サンタアニタH(米GⅠ)・ハリウッド金杯(米GⅠ)・カリフォルニアンS(米GⅠ)】、クール【マンハッタンH(米GⅠ)】、玄孫にはウェルシュガイド【イタリア大賞(伊GⅠ)・ローマ賞(伊GⅠ)】、日本で走ったベストウォーリア【マイルCS南部杯(GⅠ)2回】、牝系子孫には、ロウマン【仏ダービー(仏GⅠ)・ジャンプラ賞(仏GⅠ)】、ケープブランコ【愛ダービー(愛GⅠ)・愛チャンピオンS(愛GⅠ)・マンノウォーS(米GⅠ)・アーリントンミリオンS(米GⅠ)・ジョーハーシュターフクラシック招待S(米GⅠ)】などが、クリスタルパレスの半弟にはエインシェントライツ(父シュプリームコート)【デューハーストS】が、クリスタルパレスの半妹ラヴリーライト(父ヘンリーザセブンス)の子にはムーンライトナイト【ムシドラS(英GⅢ)】、メインリーフ【ジュライS(英GⅢ)・カンバーランドロッジS(英GⅢ)・セントサイモンS(英GⅢ)】、玄孫にはドワイエン【キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英GⅠ)】などが、牝系子孫には、ミスフィンランド【ゴールデンスリッパー(豪GⅠ)・MRC1000ギニー(豪GⅠ)・クラウンオークス(豪GⅠ)・オーストラリアンギニー(豪GⅠ)・アローフィールドスタッドS(豪GⅠ)】などがいる。→牝系:F1号族②

母父ソーラースリッパーは現役成績7戦5勝、英チャンピオンS・ジョンポーターS・ウォーレンSの勝ち馬。その父ウインザースリッパーは愛2000ギニー・愛ダービー・愛セントレジャーを制した愛国三冠馬で、その父はウインザーラッドである。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は馬主のジョエル氏と他2名による共同所有馬として種牡馬入りした。種牡馬としては、英国エリザベスⅡ世女王陛下の所有馬として英オークスと英セントレジャーを制したダンファームリンなど15頭のステークスウイナーを出したが、あまり期待に応える成績とは言えなかった。障害レースで活躍馬を多く出しているようで、豊富なスタミナを伝えているようである(本馬が万全の状態で英セントレジャーに出ていたら勝算十分だったと思われる)。1991年に老衰のため英国ナショナルスタッドにおいて27歳で安楽死の措置が執られ、ナショナルスタッドに埋葬された。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1971

Escorial

フィリーズマイル(英GⅢ)・ムシドラS(英GⅢ)

1973

Antrona

マルレ賞(仏GⅢ)

1974

Dunfermline

英オークス(英GⅠ)・英セントレジャー(英GⅠ)

1974

Royal Hive

パークヒルS(英GⅡ)

1980

See You Then

英チャンピオンハードル3回

TOP