ウインザーラッド

和名:ウインザーラッド

英名:Windsor Lad

1931年生

鹿毛

父:ブランドフォード

母:レスプレンデント

母父:バイジョージ

距離が伸びるに従い能力を開花させたブランドフォード直子の英ダービー・英セントレジャー優勝馬だが病気のため種牡馬としてはその能力を発揮できず

競走成績:2~4歳時に英で走り通算成績13戦10勝3着1回

誕生からデビュー前まで

愛国の馬産家ダン・サリヴァン氏の生産馬である。優れた配置の肩と幅広の腰を有し、気性は物静かだが強い意思を持った馬だったという。しかもかなりの良血馬だったが、その割には、1歳時のセリに出された本馬についた価格は1300ギニーという安値だった(幼少期は骨がごつごつして見栄えがしない体格だったとする資料もある)。本馬を購入したマハラジャ(インドの地方領主)のラジピプラ殿下は、本馬を英国マーカス・マスケル・マーシュ調教師に委ねた。デビュー前調教で騎乗したチャールズ・ジェームズ・ウィリアム・“チャーリー”・スマーク騎手(1928年8月にガトウィック競馬場において行われたレースで騎乗馬をきちんとスタートさせなかったとして5年間騎手免許を剥奪されており、この年に騎手復帰したばかりだった)は本馬の素質を高く評価し、本馬が英ダービーに出走した際は自分に騎乗させてもらいたいと申し出たという。

競走生活(3歳前半まで)

2歳7月にニューマーケット競馬場で行われたセールS(T5F140Y)でデビューしたが11着と惨敗。次走のリッチモンドS(T6F)ではスマーク騎手と初コンビを組んだが、ニューS・ナショナルブリーダーズプロデュースSなど5戦無敗のコロンボの前に6着(4着とする資料もある)に敗れ去った。その後は少し休養し、10月のクリテリオンS(T6F)に出走。単勝オッズ13.5倍の伏兵扱いだったが、後のゴードンS・プリンセスオブウェールズS勝ち馬ブライトバードを鼻差の2着に抑えて勝利を収め、2歳時の成績を3戦1勝とした。

3歳時は英2000ギニーには目もくれず、英ダービーを目指して4月のニューマーケットS(T10F)から始動。後のセントジェームズパレスS勝ち馬フラメンコを1馬身差の2着に抑えて勝利した。5月に出たチェスターヴァーズ(T12F)でも、後のナッソーS勝ち馬ゼリナを半馬身差の2着に抑えて勝利を収めた。

そして英ダービー(T12F5Y)に駒を進めた。この年の英ダービーでは、デビュー以来無敗の9連勝中という英2000ギニー馬コロンボが単勝オッズ2.375倍の1番人気に支持され、デビュー前の申し出どおりにスマーク騎手が騎乗した本馬は、後の英チャンピオンS勝ち馬ウミッドウォーと並んで単勝オッズ8.5倍の2番人気に推された。30万人とも50万人とも言われる大観衆がエプソム競馬場に集まっていた。絶好の良馬場で行われたレースではミドルパークS勝ち馬メディエヴァルナイトが逃げを打ち、コロンボはその後方、本馬は中団を追走した。直線に入り失速したメディエヴァルナイトに進路を塞がれて外に持ち出すのに手間取るコロンボとは対照的に、タッテナムコーナーで外側を回って2番手で直線を向いた本馬が先に抜け出し、英2000ギニー2着馬イーストンの追撃を1馬身差で封じて栄冠を手にした(コロンボはさらに首差の3着だった)。勝ちタイム2分34秒0は前年にハイペリオンが樹立したレースレコードと同タイムだった。ロンドンのサヴォイホテルで行われた祝賀会において、本馬の馬主であるラジピプラ殿下は、自身の勝負服と同じ紫とクリーム色で彩られた象によるパフォーマンスを披露したという。

競走生活(3歳後半)

続くエクリプスS(T10F)では古馬との初対戦となった。1番人気に支持されたが、英ダービーにおけるコロンボと同じように、今回は本馬が直線で進路が開かなかった。ようやくゴール前で追い込んできた時には既に遅く、コロネーションCを勝ってきた4歳馬キングサーモンとウミッドウォーの2頭に及ばず、キングサーモンから1馬身差、ウミッドウォーから半馬身差の3着に敗れた。

エクリプスSの後、本馬は英国のブックメーカーであるマーティン・ベンソン氏に5万ポンドで売却された。この頃、本馬に加えて、パリ大賞勝ち馬アドミラルドレイク、仏2000ギニー馬ブラントームを米国に招待してケンタッキーダービー馬カヴァルケイドと対戦させる国際競走がベルモントパーク競馬場で企画されたが、結局実現しなかった。

秋にはグレートヨークシャーS(T14F)を勝ち、それを叩き台として英セントレジャー(T14F132Y)に出走。単勝オッズ1.44倍という断然の1番人気に支持された。25万人の観衆が見守る中、スマーク騎手鞍上の本馬は残り3ハロン地点で先頭に立つと、そのまま押し切って2着ティベリウスに2馬身差をつけて勝利した。勝ちタイム3分01秒6はレースレコードであり、2011年にマスクドマーヴェルが3分00秒44を計時するまで実に77年間も破られなかった(別競馬場における代替開催を除く)。レース後に本馬は「英国競馬界において見られた最上級の馬の一頭」と評された。3歳時の成績は6戦5勝だった。

競走生活(4歳時)

4歳になっても現役を続けた本馬は、5月にニューマーケット競馬場で行われたバーウェルS(T12F)から始動して、前年にゴードンS・プリンセスオブウェールズSを勝っていたブライトバードを5馬身差の2着に破って余裕勝ち。次走のコロネーションC(T12F5Y)では、英ダービー2着後にパリ大賞でアドミラルドレイクの3着していたイーストンとの2強対決とみなされ、2頭が並んで単勝オッズ2倍の1番人気に支持された。スピードに長けるイーストンとスタミナに長ける本馬のどちらが有力かは事前に盛んに議論されたが、本馬が2着イーストンに1馬身半差で快勝して議論に終止符を打った。

その後はアスコット金杯に出走を予定していたが、ベンソン氏の意向で回避。同競走に参戦を表明していた11戦無敗の凱旋門賞馬ブラントームとの夢の対決は実現しなかった(英セントレジャーで本馬の2着だったティベリウスが勝利し、ブラントームは5着に敗れている)。その代わりに出走したロウス記念S(T7F155Y)では25ポンドもの斤量差を克服して、2着パンパスグラスに半馬身差で勝利した(1歳年下のデューハーストS勝ち馬ハイランが3着だった)。

次走のエクリプスS(T10F)では、単勝オッズ1.57倍の1番人気に支持された。スタートから果敢に先行すると、先に仕掛けて先頭に立ったクイーンアンS勝ち馬フェアトライアルを直線でかわした。しかしこの直線半ばでレース前から不安を抱えていた前脚に異常が発生したため失速。それにも関わらず驚異的な粘りを見せて、同年の英2000ギニー2着馬セフトの追い上げを3/4馬身差で封じ、前年3着の借りを見事に返した。当初からエクリプスSが引退レースとして発表されていたため、そのまま4歳時4戦全勝の成績で競走馬引退となった。

英タイムフォーム社の記者だったトニー・モリス氏とジョン・ランドール氏が出した1999年に出版した“A Century of Champions”において、本馬は20世紀中の英ダービー馬としてはシーバード、ハイペリオン、ミルリーフニジンスキーシャーガーに次ぐ馬と評価されている。1歳年下の無敗の英国三冠馬バーラムとの対戦は無かった(バーラム自身が他世代と一度も対戦していない)が、英国タイムズ紙は本馬の方がバーラムより上であると評している。

血統

Blandford Swynford John o'Gaunt Isinglass Isonomy
Dead Lock
La Fleche St. Simon
Quiver
Canterbury Pilgrim Tristan Hermit
Thrift
Pilgrimage The Palmer
Lady Audley
Blanche White Eagle Gallinule Isonomy
Moorhen
Merry Gal Galopin
Mary Seaton
Black Cherry Bendigo Ben Battle
Hasty Girl
Black Duchess Galliard
Black Corrie
Resplendent By George Lally Amphion Rosebery
Suicide
Miss Hoyden Galliard
Miss Elma
Queen's Holiday Royal Hampton Hampton
Princess
Cimiez St. Simon
Antibes
Sunbridge Bridge of Earn Cyllene Bona Vista
Arcadia
Santa Brigida St. Simon
Bridget
Sunshot Carbine Musket
Mersey
Stream of Gold St. Angelo
Goldstream

ブランドフォードは当馬の項を参照。

母レスプレンデントは愛1000ギニー・愛オークスを勝ち、英オークスで2着した名牝。繁殖牝馬としても優秀で、本馬の半妹レディガブリアル(父テトラテーマ)【チェヴァリーパークS】、全妹ラディアント【2着英オークス】も産んだ。また、本馬の半妹ウインザーレディ(父ベレスフォード)の娘メードンスグリーンは日本に繁殖牝馬として輸入され、1959年の啓衆社賞年度代表馬に選ばれたウイルデイール【皐月賞・NHK杯・京都盃・クモハタ記念・大阪盃】、メーデンスレディ【京阪盃】、シードラゴン【阪神牝馬特別】と3頭の重賞勝ち馬を産んだ。また、本馬の半妹パラティアル(父ブレニム)の牝系子孫は21世紀にも残っており、ロードトゥロック【ジョージメインS(豪GⅠ)・AJCクイーンエリザベスS(豪GⅠ)】などが出ている。

レスプレンデントの半兄にはソルドゥメノ(父ディアドゥメノス)【愛2000ギニー】、半妹にはフェリーブリッジ(父バリフェリス)【チェヴァリーパークS】とソルスペランザ(父バリフェリス)【愛1000ギニー・愛オークス】がいる。ソルスペランザの子にはソルフェリーノ【愛セントレジャー】がいる。また、レスプレンデントの半妹クイーンスコティア(父テトラテーマ)の曾孫にはキングオブザテューダーズ【エクリプスS・サセックスS】とアワバブー【英2000ギニー・ミドルパークS】の兄弟などがいる。→牝系:F19号族①

母父バイジョージはインペリアルプロデュースSなど2勝を挙げている。1934年には本馬の活躍により英愛母父首位種牡馬となっている。遡ると、エクリプスS勝ち馬ラリー、英チャンピオンS勝ち馬アンフィオン、ケンブリッジシャーH・セザレウィッチH勝ち馬ローズベリー、グッドウッドC勝ち馬スペキュラムを経てヴェデットに至る血統。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は英国で種牡馬入りしたが、蓄膿症を患ってしまい、加療により何とか生命を繋ぎ止めるような状態となってしまった。このような状態で種牡馬として成功できるはずもなく、愛2000ギニー・愛ダービー・愛セントレジャーを制した1942年の愛国三冠馬ウインザースリッパーを出した程度に留まった。1943年に蓄膿症の症状が悪化したために12歳の若さで他界した。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1939

Windsor Slipper

愛2000ギニー・愛ダービー・愛セントレジャー

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