ナシュワン
和名:ナシュワン |
英名:Nashwan |
1986年生 |
牡 |
栗毛 |
父:ブラッシンググルーム |
母:ハイトオブファッション |
母父:バスティノ |
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英2000ギニー・英ダービー・エクリプスS・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSの英国主要4大競走を史上初めて無敗で全勝した超大物競走馬 |
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競走成績:2・3歳時に英仏で走り通算成績7戦6勝3着1回 |
誕生からデビュー前まで
ドバイの王族シェイク・ハムダン殿下により、米国ケンタッキー州シャドウェルファームにおいて生産・所有された。大柄でがっしりとした馬体の持ち主であり、四肢が非常に長かったために大跳びで走る馬だった。それにも関わらず、「飛ぶカモメか、泳ぐアザラシを想起させる」と評されるほど非常に優雅な動きを見せる馬であり、幼少期からかなり期待される馬だった(アザラシと聞くと鈍重な印象を抱く人もいるかもしれないが、水族館に行って見れば分かるとおり、水中では非常に素早く華麗に泳ぐ生き物である)。
本馬は英国のウィリアム・リチャード・“ディック”・ハーン調教師に預けられた。かつてブリガディアジェラード、トロイ、バスティノ、ダンファームリンなどの歴史的名馬を手掛け、英国クラシック競走も5つ全て勝っていたハーン師は、英国エリザベスⅡ世女王陛下の専属調教師としても活躍していた。しかし本馬が産まれる2年前の1984年12月、狩猟中の落馬事故で下半身不随となり、車椅子での生活を余儀なくされていた。しかも心臓病を患ってしまい、1988年に心臓の手術を受けた直後に、エリザベスⅡ世女王陛下の競馬マネージャーだった第7代カーナヴォン伯爵から、女王の専属調教師を解任する旨の通告を受けていた。本馬がハーン師の元へとやってきたのは、まさにその時期だった。御年67歳の老調教師は本馬の素質を評価し、不自由な自身の身体に鞭打って本馬を育て上げた。主戦はウィリー・カーソン騎手で、本馬の全レースに騎乗した。
競走生活(2歳時)
2歳8月にニューベリー競馬場で行われた芝7ハロンの未勝利ステークスでデビューした。将来の伊ダービー馬プロルトリなどを含む27頭立てという多頭数だったが、本馬が単勝オッズ2.5倍の1番人気に支持された。スタートから先行策を採ると、残り1ハロン地点で先頭に立ち、2着に逃げ粘った単勝オッズ15倍の6番人気馬ヤングターピンに3/4馬身差をつけて初勝利を挙げた。
次走は2か月後に同じニューベリー競馬場で行われたリステッド競走オータムS(T8F)となった。このレースは後に本馬と何度か顔を合わせる事になるカコイーシーズのデビュー戦でもあったのだが、本馬が単勝オッズ1.67倍という断然の1番人気に支持された。レースでは逃げる単勝オッズ12倍の3番人気馬オプティミストを見るように先行策を採り、2番手で直線に入ると残り1ハロン地点で先頭に立って後続を引き離し、2着オプティミストに4馬身差、3着カコイーシーズにはさらに1馬身半差をつけて完勝した。2歳時は無理使いせずに、この2戦で終了した。
英2000ギニー
3歳時は英2000ギニーの1か月前の調教中に負傷してしまい、結局は前哨戦を使わずに英2000ギニー(英GⅠ・T8F)に直行することになった。本馬以外の出走馬は、テトラークSを勝ってきたデューハーストS3着馬サラトガン、クレイヴンSなど3戦無敗のシャーディー、ヨーロピアンフリーHを勝ってきたデインヒル、グリーナムSを勝ってきたザヤーニ、クレイヴンS2着のエクスボーン、素質馬マークオブディスティンクション、ミドルパークS2着馬ピュアジーニアス、ミドルパークS・モエエシャンドンレネンの勝ち馬モントレゾール、グリーナムS2着馬ルナムーヴァーなど13頭だった。
本馬は7か月ぶりの実戦とあって、当初ブックメーカーの評価は低かった。しかし直前の調教で抜群の動きを披露したために評価が急上昇し、最終的には単勝オッズ4倍の1番人気に支持された。サラトガンが単勝オッズ4.5倍の2番人気、シャーディーが単勝オッズ6倍の3番人気、デインヒルとザヤーニが並んで単勝オッズ10倍の4番人気、エクスボーンが単勝オッズ11倍の6番人気と続き、実績だけ見れば一番と言えるモントレゾールはウィリアムヒルフューチュリティSの惨敗ぶりや前走ヨーロピアンフリーHの3着などで見限られて単勝オッズ41倍の10番人気だった。
スタートが切られると単勝オッズ101倍の12番人気馬グリーンスミスが先頭に立ち、本馬はいつもの先行策を採った。そして残り2ハロン地点で先頭に立ったが、ここでデインヒルやマークオブディスティンクションが並びかけてきて、3頭が横一線となった。しかし抜群の瞬発力ですぐに引き離し、最後は追い込んできた2着エクスボーンに1馬身半差をつけて勝利した。
勝ちタイム1分36秒44は、同競走のタイムが電子計測器で測られるようになった1950年代以降では最速だった。引き合いに出して申し訳ないが、前年のドユーンの勝ちタイムより5秒29も速く、3年前のダンシングブレーヴの勝ちタイムより3秒96速いものだった。この年の英2000ギニーはレベルが高く、2着のエクスボーンは後に米国に移籍して開花し、シューメーカーH・ハリウッドパークターフH・シーザーズ国際H・エルリンコンHに勝利した。3着のデインヒルは4か月後のスプリントCを勝ち、後に種牡馬として記録的大成功を収めた。4着のマークオブディスティンクションは後にクイーンアンSとクイーンエリザベスⅡ世Sを勝利して、日本で種牡馬として活躍した。11着と惨敗したシャーディーも、この後の愛2000ギニーとセントジェームズパレスSを連勝している。
英ダービー
本馬の次走は英ダービー(英GⅠ・T12F)となった。対戦相手は、2歳時はオータムS3着のみで終わったが3歳になってグラデュエーションS・リングフィールドダービートライアルSを連続圧勝してきたカコイーシーズ、かつてハーン師が手掛けた英オークス・ヨークシャーオークス・英セントレジャーの勝ち馬サンプリンセスと大種牡馬サドラーズウェルズの間に産まれたデューハーストS・英シャンペンS・ニューマーケットSの勝ち馬プリンスオブダンス、ダンテSを勝ってきたトルジョーン、名種牡馬プライヴェートアカウントの甥でアサティスの半弟に当たるプリドミネートSの勝ち馬ワルシャン、ジャンドショードネイ賞の勝ち馬ガルドロワイヤルの全弟に当たるミルリーフ産駒のミルポンド、グラデュエーションSを圧勝してきたイルドニスキー、愛ナショナルS・ベレスフォードSの勝ち馬クラシックフェイムなど11頭だった。
英2000ギニーで強い勝ち方をした馬は、英ダービーで距離不安が囁かれる事が多くなるものだが、本馬の場合はそうした意見はそれほど見受けられなかった。父ブラッシンググルーム自身はマイラーであったが、種牡馬としては既に凱旋門賞馬レインボークエストを出すなど長距離適性を証明していたし、本馬の母系もスタミナ面には問題が無さそうな血統構成だったのがその理由であろう。レース前にむしろ不安視されていたのは、エプソム競馬場のコース形態が本馬に適合するかどうかであった。エプソム競馬場はピッチ走法で走る中型馬に向いているとされており、長い四肢を豪快に伸ばして大跳びで走る本馬には不向きではないかと言われていたのである。本馬の母ハイトオブファッションも、その走り方がエプソム競馬場には向かないという理由で英オークスを回避していたという事実も不安に拍車をかけていた。
しかしハーン師とカーソン騎手に対する信頼性の高さ、そして大物の誉れ高かったオールドヴィックが仏ダービーに向かったために不在となった事も重なり、本馬が単勝オッズ2.25倍の1番人気に支持された。カコイーシーズが単勝オッズ4倍の2番人気、プリンスオブダンスが単勝オッズ6.5倍の3番人気、トルジョーンが単勝オッズ12倍の4番人気、ワルシャンが単勝オッズ14倍の5番人気と続いていた。当日のエプソム競馬場は季節外れの寒さに見舞われていたが、それでもエリザベスⅡ世女王陛下を始めとする50万人もの大観衆が詰め掛けていた。
スタートが切られるとカコイーシーズ陣営が送り込んできたペースメーカー役のポーラーランが先頭に立ち、カコイーシーズはその僚馬を見るように先行態勢を採った。一方の本馬は中団に付けると、道中で徐々に位置取りを上げていき、4番手で直線に入ってきた。直線では先にカコイーシーズが抜け出し、本馬もそれに並びかけていった。そして残り2ハロン地点でカーソン騎手が鞭を振るうと、大きなストライドで瞬く間にカコイーシーズを抜き去った。最後には、追い上げてきた2着テリモン(このレースでは単勝オッズ501倍という超人気薄だったが、後の5歳時に英国際Sなどに勝ってカルティエ賞最優秀古馬に選ばれる)に5馬身差、3着カコイーシーズにはさらに2馬身差をつけて圧勝した。英2000ギニー・英ダービーを連覇したのは1970年のニジンスキー以来19年ぶりで、無敗での両競走制覇もニジンスキー以来だった。
エクリプスS
愛ダービーには向かわず、次走は古馬との対戦となるエクリプスS(英GⅠ・T10F)となった。対戦相手は、サセックスS・クイーンエリザベスⅡ世S・クイーンアンS・リッチモンドS・英シャンペンSの勝ち馬でジャックルマロワ賞2着の欧州マイル王ウォーニング、サンタラリ賞・仏オークス・愛チャンピオンS・英チャンピオンS・イスパーン賞・サンチャリオットS・ムシドラS・ゴードンリチャーズSの勝ち馬で英国際S2着・BCターフ3着の名牝インディアンスキマー、英2000ギニー12着後にハンデ競走を2連勝して前走セントジェームズパレスSでシャーディーの2着してきたグリーンスミス、タタソールSの勝ち馬オープニングヴァーズ、サンダウンクラシックトライアルSでオールドヴィックの2着・前走のキングエドワードⅦ世Sでカコイーシーズの3着していたスプリングヘイの計5頭だった。
本馬は英ダービー後に脚に感染症を患っており、それが回復した直後だったのだが、それでも単勝オッズ1.4倍という圧倒的1番人気に支持された。ウォーニングが単勝オッズ4.5倍の2番人気、インディアンスキマーが単勝オッズ6.5倍の3番人気、グリーンスミスが単勝オッズ81倍の4番人気、オープニングヴァーズとスプリングヘイがいずれも単勝オッズ201倍の最低人気で、上位人気3頭以外はほぼ蚊帳の外といった雰囲気だった。
スタートが切られると、ウォーニングの僚馬グリーンスミスが先頭に立ち、オープニングヴァーズとスプリングヘイの2頭がそれを追って先行。人気馬勢は3頭とも後方だったが、本馬がその中で一番前、ウォーニングが後方2番手、インディアンスキマーが最後方だった。そのままの態勢で直線に入ると、本馬がウォーニングを置き去りにしてぐいぐいと伸び、先頭に立っていたオープニングヴァーズを残り2ハロン地点でかわしてゴールへと突き進んだ。最後は2着に粘ったオープニングヴァーズに5馬身差、追い上げて3着に入ったインディアンスキマーにはさらに短頭差をつけて快勝した。オープニングヴァーズはこのレースでは超人気薄だったが、この2年後にBCマイルを勝つ実力馬となった。エクリプスS史上でも屈指のパフォーマンスと評されたこのレースにより、本馬の名声はさらに向上し、ニジンスキーやミルリーフの領域に達しつつあると評価された。
キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS
続くキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS(英GⅠ・T12F)では、英ダービー3着後にキングエドワードⅦ世Sを勝ってきたカコイーシーズ、コロネーションC・サンクルー大賞・キングエドワードⅦ世S・グレートヴォルティジュールSの勝ち馬シェリフズスター、バーデン大賞・プリンセスオブウェールズSの勝ち馬で伊ダービー2着のキャロルハウス、ジェフリーフリアSの勝ち馬で豪州のGⅠ競走タンクレッドS2着のトップクラス、伊ダービーの勝ち馬でミラノ大賞2着2回のティスランなど6頭が本馬に挑戦してきたが、出走が噂されていた仏ダービー・愛ダービーの勝ち馬オールドヴィックは愛ダービー直前に発症した背中の腫れ物が完治しなかったために不在だった。そのため、本馬が1972年に単勝オッズ1.62倍となったミルリーフを上回る(下回ると書くべきか)同レース史上最高評価となる単勝オッズ1.22倍という圧倒的1番人気に支持され、カコイーシーズが単勝オッズ7倍の2番人気、コロネーションC・サンクルー大賞を連勝してきたシェリフズスターが単勝オッズ11倍の3番人気、キャロルハウスが単勝オッズ34倍の4番人気、トップクラスとティスランが並んで単勝オッズ51倍の5番人気となった。
スタートが切られると、単勝オッズ501倍の最低人気馬ポレモス、トップクラス、キャロルハウスなどが先行して、本馬が4番手、カコイーシーズが5番手、シェリフズスターが6番手につけた。本馬は3番手で直線に入ると、トップクラスをかわして一気に先頭に立った。しかし残り1ハロン地点で後方からカコイーシーズがやって来て叩き合いに持ち込まれた。しかし本馬は最後までカコイーシーズに抜かさせず、この一騎打ちを首差で制して勝利した。僅差での勝利だったために、本馬の一流馬としてのステータスに疑問符が付いたと主張する専門家もいたらしいが、それでもこのレースにおける本馬とカコイーシーズの激闘は、この14年前に本馬の母父バスティノとグランディが死闘を演じた同競走を想起させたとも評された。
これにより、本馬は英2000ギニー・英ダービー・エクリプスS・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSという、英国の主要競走4つを全て制したことになった。これは1966年に前2競走を、翌1967年に後2競走を制したロイヤルパレス以来史上2頭目の快挙であるが、ロイヤルパレスは4競走を全て勝つ前に2回負けているから、無敗でこの4競走を全て制したのは本馬が初となった(同一年制覇も本馬が初)。なお、無敗であるなしに関わらず、2015年現在でこの4競走を全て制した競走馬はロイヤルパレスと本馬の2頭のみである。
凱旋門賞に出走せずに引退
さて、英国の競馬ファン達は、本馬にはぜひとも英セントレジャーに出走してニジンスキー以来の英国三冠馬になってほしいと願った。しかしハムダン殿下が、英セントレジャーではなく凱旋門賞を目標とすることを発表したため、英国の競馬ファン達は落胆した。
凱旋門賞に出る前に、まずは前哨戦のニエル賞(仏GⅡ・T2400m)へ向かった。チェスターヴァーズ・リス賞・サンクルー大賞と3戦連続2着だった後のジャパンC勝ち馬ゴールデンフェザント、仏国のリステッド競走ミシェルフワヴェ賞を勝ってきたフレンチグローリー、名牝オールアロングの息子でシェーヌ賞・グレフュール賞を勝っていたアロングオールなどが対戦相手となったが、実績的には本馬より遥かに格下の馬ばかりであり、本馬の勝利を疑う者は少なかった。レースはナドエルシバという馬が先頭に立ち、得意の先行策を採った本馬は3番手で直線に入ってきた。しかしここから伸びを欠き、2番手から抜け出したフレンチグローリーをなかなか捕らえられなかった。やがて本馬の直後で直線に入ってきたゴールデンフェザントに抜かれてしまい、最後は勝ったゴールデンフェザントから2馬身差、2着フレンチグローリーから半馬身差の3着に敗れてしまった。まさかの敗戦に欧州競馬界は大衝撃を受けたという。レース後に実施された血液検査でも何の異常も無く、その後の調教でも好調を維持していたから、この敗因は現在でも不明のままである。ただしこのレースは過去に本馬が経験した事がない重馬場で行われていたから、大跳びで走る本馬にそれが悪影響を及ぼした可能性はある。
凱旋門賞10日前にニューベリー競馬場で行われた調教でも絶好調の走りを見せていた本馬だが、何故か本番直前になって凱旋門賞の回避が発表された。この理由もよく分かっておらず、海外の資料でも“Strangely(不思議なことである)”と記載されている。日本の海外馬紹介サイト「コンドルは飛んでゆく」には、後にカーソン騎手が本馬のベスト距離は10ハロンであり、12ハロンは長すぎたと語ったという内容の話が紹介されており、ニエル賞の敗戦や凱旋門賞回避の理由はその辺りに隠されている可能性はあるだろう。
凱旋門賞を回避した本馬は、英チャンピオンSに出走する事になった。しかしレース当日に熱発してしまったために回避となった。そしてそのままレースに出ることなく、3歳時5戦4勝の成績で競走馬を引退した。
競走馬としての評価と特徴
この年における国際クラシフィケーションの評価は131ポンドであり、134ポンドの評価を受けた同世代のオールドヴィックやジルザルより低かった。英タイムフォーム社のレーティングでは135ポンドの評価を受けているが、それでも137ポンドのジルザルや136ポンドのオールドヴィックより低かった。この評価を耳にしたカーソン騎手は激怒したという。
本馬の評価が抑えられた理由に関しては色々な憶測がされており、凱旋門賞にも英セントレジャーにも出ずに引退したのが競馬関係者の機嫌を損ねたという穿った説も流れた。現実的には、対戦した相手が弱かった、又はその能力を出し切っていなかったと判断されたというのが妥当であろう。圧勝した英ダービーとエクリプスSは共に2着馬が超人気薄の馬(このテリモンとオープニングヴァーズはいずれも前述のとおり後に活躍馬となるが、それはこの年の話ではない)であるし、エクリプスSでウォーニングを負かしていると言っても、明らかに距離適性外だったウォーニングのようにその能力を出し切れなかったと判断された馬はレーティング算出の際には基準にならないとされている。その結果として、仏ダービーを後のパリ大賞勝ち馬ダンスホール以下に7馬身差で圧勝したオールドヴィックや、サセックスSやクイーンエリザベスⅡ世Sを、マークオブディスティンクション、ポリッシュプレシデント、ウォーニング、シャーディーなどを相手に完勝したジルザルの方が、評価が高くなってしまったものであろう。ジルザルが国際クラシフィケーションにおいて134ポンドの評価を受けたサセックスSの2着馬グリーンラインエクスプレスも超人気薄だったが、それでも123ポンドの評価を受けており、120ポンドのオープニングヴァーズや119ポンドのテリモンより高かった。ダンスホールの国際クラシフィケーションは125ポンドであるから、本馬が圧勝したレースの2着馬よりも、ジルザルやオールドヴィックが圧勝したレースの2着馬の方が高評価となっている。レーティングの算出方法としては特に不自然な点は無いわけだが、それが逆に競走馬の能力をレーティングだけでは測れないという筆者の見解を裏付ける結果となっている。
レーティングの評価はともかくとして、本馬はマイル戦から12ハロンまで幅広い距離で勝てるスピードとスタミナを兼備した紛れも無い名馬だった。ブリガディアジェラードやトロイなど数々の名馬を育てた名匠ハーン師は「ナシュワンの競走馬としての経歴は他の多くの名馬より短かったですが、それでも私が手掛けた馬の中では最高の馬でした」と語った。また、名手カーソン騎手は「ナシュワンは抜群の速さを誇った偉大な馬で、私は彼を“Nash The Dash”という愛称で呼んでいました。その大きなストライドで地面を踏みしめると、瞬間的にトップスピードに乗る事が出来ました。彼に乗るということは私にとって非常な喜びでした。」と語っている。なお、カーソン騎手が意識してこの発言をしたのかは定かではないが、本馬の馬名はアラビア語で「喜びに包まれている」という意味である。
血統
Blushing Groom | Red God | Nasrullah | Nearco | Pharos |
Nogara | ||||
Mumtaz Begum | Blenheim | |||
Mumtaz Mahal | ||||
Spring Run | Menow | Pharamond | ||
Alcibiades | ||||
Boola Brook | Bull Dog | |||
Brookdale | ||||
Runaway Bride | Wild Risk | Rialto | Rabelais | |
La Grelee | ||||
Wild Violet | Blandford | |||
Wood Violet | ||||
Aimee | Tudor Minstrel | Owen Tudor | ||
Sansonnet | ||||
Emali | Umidwar | |||
Eclair | ||||
Height of Fashion | Bustino | Busted | Crepello | Donatello |
Crepuscule | ||||
Sans le Sou | ヴィミー | |||
Martial Loan | ||||
Ship Yard | Doutelle | Prince Chevalier | ||
Above Board | ||||
Paving Stone | Fairway | |||
Rosetta | ||||
Highclere | Queen's Hussar | March Past | Petition | |
Marcelette | ||||
Jojo | Vilmorin | |||
Fairy Jane | ||||
Highlight | Borealis | Brumeux | ||
Aurora | ||||
Hypericum | Hyperion | |||
Feola |
父ブラッシンググルームは当馬の項を参照。
母ハイトオブファッションはエリザベスⅡ世女王陛下の所有馬、ハーン師の管理馬として走った。2歳時はデビュー戦のエイコムS・メイヒルS(英GⅢ)・フィリーズマイル(英GⅢ)と3戦全勝。3歳時は5月のルーペSから始動して勝利したが、有力候補と目されていた英オークスは、その走法がエプソム競馬場には不適合であるという理由で回避となった。7月に出走したプリンセスオブウェールズS(英GⅡ)では、名長距離馬のアルドロス以下を一蹴してコースレコード勝ち。その後にハムダン殿下によって150万ポンドで購入され、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS(英GⅠ)とヨークシャーオークス(英GⅠ)に出たが共に敗れて、7戦5勝の成績で引退した。競走馬引退後はシャドウェルファームで繁殖入りしていた。繁殖牝馬としては非常に優秀で、本馬の半兄アルワスミ(父ノーザンダンサー)【ジョンポーターS(英GⅢ)】、半兄アンフワイン(父ノーザンダンサー)【プリンセスオブウェールズS(英GⅡ)・ジョッキークラブS(英GⅡ)・チェスターヴァーズ(英GⅢ)・ジョンポーターS(英GⅢ)】、半弟ネイエフ(父ガルチ)【英チャンピオンS(英GⅠ)・ドバイシーマクラシック(首GⅠ)・英国際S(英GⅠ)・プリンスオブウェールズS(英GⅠ)・ローズオブランカスターS(英GⅢ)・セレクトS(英GⅢ)・カンバーランドロッジS(英GⅢ)】などを産み、2000年7月に21歳で他界している。本馬の半妹バシャイエル(父ミスタープロスペクター)の孫にはラフドゥード【BCフィリー&メアターフ(米GⅠ)・フラワーボウル招待S(米GⅠ)】が、半妹サライール(父ミスタープロスペクター)の子にはガナーティ【英1000ギニー(英GⅠ)・コロネーションS(英GⅠ)】、曾孫にはイルフォルナイオ【サンイシドロ大賞(亜GⅠ)】がいる。
ハイトオブファッションの母ハイクレアもエリザベスⅡ世女王陛下の所有馬、ハーン師の管理馬として走り、英1000ギニーや仏オークスを勝った名牝。ハイトオブファッションの半兄にはミルフォード(父ミルリーフ)【プリンセスオブウェールズS(英GⅡ)・ホワイトローズS(英GⅢ)・リングフィールドダービートライアルS(英GⅢ)】がいる他、ハイトオブファッションの全姉バーグクレアの子にはウインドインハーヘア【アラルポカル(独GⅠ)】、そしてウインドインハーヘアの子には日本の七冠馬ディープインパクト【皐月賞(GⅠ)・東京優駿(GⅠ)・菊花賞(GⅠ)・天皇賞春(GⅠ)・宝塚記念(GⅠ)・ジャパンC(GⅠ)・有馬記念(GⅠ)】がいる。他にも近親には多くの活躍馬がいるが、その詳細はハイクレアの項を参照してほしい。→牝系:F2号族②
母父バスティノは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬はハムダン殿下所有の英国ナネリースタッド(シャドウェルスタッド)で種牡馬入りした。種牡馬シンジケート額は1800万ポンド(当時の為替レートで約43億円)であり、これは欧州繋養種牡馬としては史上最高額だった。種牡馬としても25頭のステークスウイナーを出して、欧州繋養種牡馬としては優秀な成績を残した。2002年7月に右後脚を負傷してしまい、手術が行われた。しかし術後に合併症を起こしてしまい、7月19日に16歳で他界した。同じナネリースタッドで種牡馬生活を送っていた半兄アンフワインが神経障害のために17歳で他界した半年後の事であった。ところで、日本語版ウィキペディアには本馬の死から10日後の2002年7月29日に母ハイトオブファッションも死去したという記載があるが、レーシングポスト紙や米ブラッドホース誌など信用できる海外の資料には例外なく「ハイトオブファッションの死は2000年7月29日である」と書かれているから、日本語版ウィキペディアの記載は誤りである。一方、本馬の死から2年後、遺児のバゴが父と同じくニエル賞で3着した後、父が出走しなかった凱旋門賞に向かい、見事にこのレースを制覇してみせたのだった。後継種牡馬にはあまり恵まれておらず、バゴが日本で奮闘しているのが目立つ程度である。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1991 |
Wandesta |
サンタアナH(米GⅠ)・サンタバーバラH(米GⅠ)・メイトリアークS(米GⅠ)・サンゴルゴーニオH(米GⅡ)・ラスパルマスH(米GⅡ) |
1992 |
Aqaarid |
フィリーズマイル(英GⅠ)・フレッドダーリンS(英GⅢ) |
1992 |
Didina |
ダリアH(米GⅡ) |
1992 |
Myself |
ネルグウィンS(英GⅢ) |
1992 |
Silent Warrior |
ダフニ賞(仏GⅢ) |
1992 |
キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英GⅠ)2回・コロネーションC(英GⅠ)・愛チャンピオンS(愛GⅠ)・ドーヴィル大賞(仏GⅡ)・リス賞(仏GⅢ)・フォワ賞(仏GⅢ) |
|
1993 |
Bint Salsabil |
ロックフェルS(英GⅡ) |
1993 |
Bint Shadayid |
プレステージS(英GⅢ) |
1994 |
One So Wonderful |
英国際S(英GⅠ)・サンチャリオットS(英GⅡ) |
1995 |
Elhayq |
ボーリンググリーンH(米GⅡ) |
1995 |
Haami |
デズモンドS(愛GⅢ) |
1995 |
Rabah |
ゴードンS(英GⅢ) |
1995 |
Special Nash |
グイドベラルデリ賞(伊GⅡ) |
1996 |
Mistle Song |
パークヒルS(英GⅢ) |
1998 |
Nadia |
サンタラリ賞(仏GⅠ) |
1998 |
Najah |
リディアテシオ賞(伊GⅡ) |
1998 |
With Reason |
ハンガーフォードS(英GⅢ)・スプリームS(英GⅢ) |
2000 |
Miss Nashwan |
カルロキエザ賞(伊GⅢ) |
2001 |
凱旋門賞(仏GⅠ)・クリテリウム国際(仏GⅠ)・ジャンプラ賞(仏GⅠ)・パリ大賞(仏GⅠ)・ガネー賞(仏GⅠ)・シェーヌ賞(仏GⅢ) |
|
2002 |
Fair Nashwan |
フェデリコテシオ賞(伊GⅢ) |