アサティス

和名:アサティス

英名:Assatis

1985年生

鹿毛

父:トップサイダー

母:シークレットアセット

母父:グロースターク

競走馬としては欧州芝12ハロン路線を主戦場として活躍したにも関わらず、日本ではダート巧者を続出させた個性派種牡馬

競走成績:2~5歳時に英伊日仏で走り通算成績16戦6勝2着3回3着2回

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州クレイボーンファームにおいて名馬産家オグデン・フィップス氏により生産された馬で、最初はサウジアラビアの王族ハーリド・ビン・アブドゥッラー殿下(ダンシングブレーヴの馬主として知られる)の所有馬だったが、4歳シーズン後半から日本人馬主の原田享氏(「カリスタ」の冠名で知られる)の所有馬となった。管理調教師は一貫して英国ガイ・ハーウッド師(ダンシングブレーヴの調教師として知られる)が務めた。

競走生活(2・3歳時)

2歳10月にニューマーケット競馬場で行われた芝7ハロンの未勝利ステークスでデビューしたが、2馬身3/4差の4着に敗退。同月末のソーハムハウスS(T8F)では、カヤージの3馬身差2着と好走するも、2歳時は結局2戦未勝利に終わり、その後長期休養に入った。

3歳7月にニューマーケット競馬場で行われたモアオフェロールS(T10F)で復帰。前年のソーハムハウスSで本馬を2着に破ったカヤージがその後に無敗のまま英ダービーを勝ち、さらにモアオフェロールSの10日前には愛ダービーを勝つ大活躍を見せていた。そのため本馬の評判も上がっており、ここでは単勝オッズ1.67倍という断然の1番人気に支持された。そしてパット・エデリー騎手を鞍上に、その期待に違わない走りを見せ、馬群の中団から一気に突き抜けて7馬身差で圧勝した。

続くゴードンS(英GⅢ・T12F)は僅か5頭立てのレースだったが、後の英セントレジャー馬ミンスターサン、キングエドワードⅦ世S2着馬ポーラーギャップ、ホワイトローズSを勝ってきたアルワウーシュ(翌年に伊共和国大統領賞・ミラノ大賞・カールトンFバークHとGⅠ競走を3勝している)、チェスターヴァーズ2着馬カラケイトと強敵揃いだった。ミンスターサンが単勝オッズ3倍の1番人気で、本馬が単勝オッズ3.75倍の2番人気となった。レースではカラケイトが逃げを打ち、本馬は2番手を追走。そして残り2ハロン地点で先頭に立ったが、ミンスターサンに差されて2馬身差の2着に敗れた。

9月のカンバーランドロッジS(英GⅢ・T12F)では、愛ダービーでカヤージの短頭差2着だったベレスフォードS勝ち馬インサン、アラルポカル・ケルゴルレイ賞・ドーヴィル大賞・ジョッキークラブS・ハードウィックSの勝ち馬アルマーラド(後に豪州に移籍してコックスプレートなどGⅠ競走3勝を上積みして豪州年度代表馬に選出)、ジェフリーフリアS勝ち馬トップクラスなど、ゴードンSに匹敵する強力なメンバー構成となり、本馬は前走と同じ単勝オッズ3.75倍ながら3番人気となった。しかし3番手追走から残り1ハロン地点で先頭に立つと、瞬く間に後続馬をちぎり捨て、2着トップクラスに8馬身差をつけて圧勝。インサンは本馬から14馬身差の5着に沈んでおり、そんな単純なものではないのを承知の上で書けば、愛ダービーでインサンに短頭差で勝利したカヤージよりも本馬のほうが実力上位になったとも言える。

このまま10日後の凱旋門賞に向かっても面白い存在だったかも知れないが、またも長期休養を余儀なくされることとなってしまい、3歳時の成績は3戦2勝となった。

競走生活(4歳時)

9か月の休養を経て、4歳時は6月のハードウィックS(英GⅡ・T12F)から始動。ここでは前年の愛ダービー3着馬グラシアルストーム、ウィリアムヒルフューチュリティS勝ち馬で前年の仏ダービー3着馬エムソン、豪州に遠征してGⅠ競走タンクレッドSで2着してきたトップクラスなど3頭が対戦相手となったが、本馬が単勝オッズ1.36倍という断然の1番人気に支持された。そしてレースでもお得意の2番手追走抜け出し戦法で、2着トップクラスに3馬身差で勝利した。

次走のプリンセスオブウェールズS(英GⅡ・T12F)でも、単勝オッズ1.36倍で断然の1番人気に支持された。ここでは前走と異なり中団待機策を採り、直線に入ると先に抜け出した単勝オッズ11倍の伏兵キャロルハウスを追撃したが、首差及ばずに2着に敗れた(3馬身差の3着が後の英セントレジャー馬ミケロッツォ)。

それでも次走のセプテンバーS(英GⅡ・T11F30Y)では、それほど目立つ相手がいなかったため、単勝オッズ1.67倍の1番人気に支持された。このレースからエデリー騎手に代わって主戦となったレイ・コクレーン騎手は、後方2番手を追走して直線で追い上げるという作戦に出た。そしてゴール直前の一完歩でリリーフピッチャーを頭差かわして勝利した。

この後は凱旋門賞に向かうと思われたが、結局は出走しなかった。理由はよく分からないが、馬主が原田氏に代わったのはこの時期である(前走セプテンバーSではアブドゥッラー殿下の名義で出走していたが、次走の伊ジョッキークラブ大賞では既に原田氏の名義で出走している)から、それが何らかの影響を及ぼしたとも考えられる。なお、本馬不在の凱旋門賞は、プリンセスオブウェールズSで本馬を破ったキャロルハウスが勝利している。

本馬の次走は伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ・T2400m)となった。最大の強敵は、愛オークスを勝ち、ヨークシャーオークスで2着してきたアリダレスだったが、レースでは2着アリダレスに半馬身差で勝利してGⅠ競走勝ち馬となった。

次走は来日してのジャパンC(日GⅠ・T2400m)となった。この年のジャパンCは、日本における競馬人気の絶頂期に相応しい豪華メンバーが揃っていた。スーパークリーク、オグリキャップ、イナリワンのいわゆる平成元年の3強を筆頭に、オークツリー招待Hで芝12ハロンの世界レコードを樹立してきたホークスター、前年の覇者ペイザバトラー、オイロパ賞など4連勝中の上昇馬イブンベイ、マッキノンSを勝って挑んできたオセアニア最強馬ホーリックス、凱旋門賞を勝ってきたばかりのキャロルハウスなどが出走していたのである。本馬は単勝オッズ7.5倍で、15頭中5番人気の穴人気となった。しかしレースではイブンベイが刻む悪魔的ハイペースについていけず、中団から後退してホーリックスの11馬身差12着と惨敗してしまった。4歳時の成績は5戦3勝だった。

競走生活(5歳時)

5歳時は5月のジョッキークラブS(英GⅡ・T12F)から始動。ここでは前走ジョンポーターSを8馬身差で圧勝してきたブラッシュアサイドが単勝オッズ1.4倍という断然の1番人気に支持されており、本馬は単勝オッズ8倍の2番人気だった。レースではブラッシュアサイドが先頭を飛ばし、本馬もそれを意識してか積極的に先行した。そしてブラッシュアサイドが先に潰れて失速したが、本馬も直線で失速してしまい、後続馬に次々に差されて、ロジートターン(ヨークシャーオークスの勝ち馬)の7馬身半差4着と完敗した。

この敗戦が嫌われたようで、次走のハードウィックS(英GⅡ・T12F)では前年の勝ち馬にも関わらず、単勝オッズ51倍の最低人気となってしまった。もっとも、このレースにおける出走馬の層はかなり厚かった。キャロルハウス、前年の英セントレジャー馬ミケロッツォ、ブリガディアジェラードSを勝ってきたハスヤンの他に、この当時の欧州最強馬と評価されていたオールドヴィックも参戦していたのである。前年の仏ダービーと愛ダービーを共に逃げて圧勝していたオールドヴィックは、このハードウィックSが愛ダービー以来の実戦登板だったが、それでも単勝オッズ1.8倍の1番人気に支持されていた。スタートが切られると、やはりオールドヴィックが先頭に立ち、ミケロッツォも英セントレジャーを勝ったスタミナを活かすべく積極的に先行。一方の本馬は後方待機策を採った。そして5番手で直線を向くと、失速するオールドヴィックやミケロッツォを尻目に追い込んできた。最後はやはり自分のペースで走って追い上げてきたイルドニスキー(この馬も単勝オッズ51倍の最低人気だった)との一騎打ちとなったが、3/4馬身差で本馬が勝利を収めた。オールドヴィックはイルドニスキーから10馬身も後方の3着に終わった。

次走のプリンセスオブウェールズS(英GⅡ・T12F)では、英チャンピオンS勝ち馬リーガルケース、キングエドワードⅦ世Sを勝ってきたプライヴェートテンダー、ヨークシャーC勝ち馬で英セントレジャー2着のサピエンス、イルドニスキーなどが対戦相手となった。本馬は単勝オッズ7.5倍の4番人気止まりだった。今回は3番手を先行したものの、ゴール前で失速してサピエンスの3馬身1/4差3着に敗れた。

次走は、欧州における初の一線級競走となるキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS(英GⅠ・T12F)となった。さすがに出走馬のレベルは非常に高く、コロネーションC・サンクルー大賞を連勝してきたインザウイングス、オールドヴィック、前年の2着馬カコイーシーズ、英ダービーで前売りオッズ1番人気に推されながら怪我で回避した素質馬ベルメッツ、翌年のカルティエ賞最優秀古馬テリモン、サピエンス、リーガルケースなどが出走していた。そのために本馬は単勝オッズ17倍で8番人気の低評価だった。主戦のコクレーン騎手がカコイーシーズに騎乗した事や、本馬の所有者が日本人馬主の原田氏だった事などから、本馬の鞍上にはこの時期に海外遠征を積極的に推進していた日本の名手柴田政人騎手の姿があった。スタートが切られると予想どおりにオールドヴィックが先頭に立ち、ベルメッツやカコイーシーズなどがそれを追撃。柴田騎手は冷静に本馬を中団の好位に位置取らせた。そして直線に入るとインザウイングスを置き去りにして、先頭を争うオールドヴィックとベルメッツの2頭を猛追。結局はベルメッツがオールドヴィックとの叩き合いを首差で制して優勝したが、本馬もオールドヴィックから1馬身半差の3着に食い込み(4着カコイーシーズには5馬身差をつけた)、欧州の一線級と戦っても遜色ない実力を改めて証明してみせた(もっとも、この好走は柴田騎手の手腕による部分も大きいだろう)。

再びコクレーン騎手と組んで出走した3週間後のジェフリーフリアS(英GⅡ・T13F60Y)では、オーモンドS・ヨークシャーC勝ち馬マウンテンキングダムなどが対戦相手となったが、実績的に一枚抜けている本馬が単勝オッズ2.625倍の1番人気に支持された。しかし134ポンドのトップハンデが響いたのか、それともキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSにおける激走の反動が出たのか、直線入り口4番手から伸びずに、チャーマーの5馬身半差4着に敗れた。

次走が引退レースとなる凱旋門賞(仏GⅠ・2400m)となった。愛ダービーを筆頭にマルセルブサック賞・英1000ギニー・英オークス・ヴェルメイユ賞なども勝っていた名牝サルサビル、ベルメッツ、インザウイングス、リュパン賞勝ち馬エペルヴィエブルー、英セントレジャー馬スナージ、愛1000ギニー・英国際S勝ち馬インザグルーヴ、ヨークシャーオークス勝ち馬ヘレニック、パリ大賞勝ち馬ソーマレズ、リーガルケースなどが出走しており、本馬は21頭立て9番人気の評価だった。本馬の鞍上には再び柴田騎手の姿があった。しかし柴田騎手の手腕をもってしても今回は本馬の実力を発揮させることは出来ず、ソーマレズの9馬身半差12着に終わった。5歳時の成績は6戦1勝だった。

血統

Topsider Northern Dancer Nearctic Nearco Pharos
Nogara
Lady Angela Hyperion
Sister Sarah
Natalma Native Dancer Polynesian
Geisha
Almahmoud Mahmoud
Arbitrator
Drumtop Round Table Princequillo Prince Rose
Cosquilla
Knight's Daughter Sir Cosmo
Feola
Zonah Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Gambetta My Babu
Rough Shod
Secret Asset Graustark Ribot Tenerani Bellini
Tofanella
Romanella El Greco
Barbara Burrini
Flower Bowl Alibhai Hyperion
Teresina
Flower Bed Beau Pere
Boudoir
Numbered Account Buckpasser Tom Fool Menow
Gaga
Busanda War Admiral
Businesslike
Intriguing Swaps Khaled
Iron Reward
Glamour Nasrullah
Striking

父トップサイダーは米国の名馬産家ポール・メロン氏の生産馬。現役時代は英米で走り18戦8勝、主な勝ち鞍はスポートページHという程度だったが、サラトガ競馬場ダート6.5ハロンのコースレコード1分14秒4を樹立した事もあるスピード馬だった。父が大種牡馬ノーザンダンサー、母ドラムトップは加国際CSSなどステークス競走を何勝もした名牝という血統が評価されてクレイボーンファームで種牡馬入りした。種牡馬としての成績は、大物種牡馬が多いノーザンダンサー産駒の中では並といったところだったが、それでも60頭以上のステークスウイナーを出して成功している。その産駒は本馬の他にデュラブが日本に輸入されておりGⅠ競走勝ち馬を出している。トップサイダーには退屈すると自分の頭を壁に叩き付ける不思議かつ厄介な癖があり、顔には壁に塗られていた黄色の塗料が付いている事が多かったという。この逸話から分かるとおり、あまり気性が良くない馬だったようで、産駒にもその傾向が受け継がれているようである。

母シークレットアセットは不出走馬だが、その産駒には本馬の半弟ワルシャン(父ノーザンダンサー)【ゴードンS(英GⅢ)】もいる。シークレットアセットの母は1971年のエクリプス賞最優秀2歳牝馬ナンバードアカウント【スカイラヴィルS・スピナウェイS・メイトロンS・フリゼットS・セリマS・プライオレスS・テストS・マスケットH・マッチメイカーS・スピンスターS】で、母系にはシークレットアセットの半兄である名種牡馬プライヴェートアカウント(父ダマスカス)【ワイドナーH(米GⅠ)・ガルフストリームパークH(米GⅠ)・ジムダンディS(米GⅢ)】、シークレットアセットの半妹であるダンスナンバー(父ノーザンダンサー)【ベルデイムS(米GⅠ)・シュヴィーH(米GⅡ)】、ダンスナンバーの子である1989年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬リズム【BCジュヴェナイル(米GⅠ)・トラヴァースS(米GⅠ)】、ダンスナンバーの孫であるジローラモ【ヴォスバーグS(米GⅠ)】、ダンスナンバーの曾孫であるブルーグラスキャット【ハスケル招待H(米GⅠ)】、フロストジャイアント【サバーバンH(米GⅠ)】、スーパーセイヴァー【ケンタッキーダービー(米GⅠ)】、イマジニング【マンノウォーS(米GⅠ)】など多くの活躍馬がいるから、かなりの名門牝系である。→牝系:F1号族②

母父グロースタークは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は日本に輸入され、静内スタリオンステーションで種牡馬入りした。初年度は62頭、2年目は61頭とまずまずの数の繁殖牝馬を集め、3年目は83頭、4年目は79頭、5年目も79頭と安定して交配数が確保された。しかし当初の産駒成績は、シンザン記念を勝ち、マイルCSで世間をあっと言わせたメイショウテゾロが目立つ程度で、今ひとつパンチ不足だった。そのため、6年目は47頭、7年目は57頭、8年目の1998年は42頭と交配数は下落傾向となった。しかしこの1998年に産駒のウイングアローが中央競馬最優秀ダート馬に選ばれる活躍を見せ、ビクトリーアップも中山大障害を勝利するなどしたため人気急上昇。1999年には101頭の繁殖牝馬が集まり、2000年はウイングアローがフェブラリーSを勝った直後に繁殖シーズンが到来した事もあって、自身最多となる116頭の繁殖牝馬が集まった。その後も活躍馬を出し続けたが、年齢的な影響もあって交配数自体は減少傾向となり、種牡馬生活11年目の2001年は65頭、その後は70頭、65頭、48頭、35頭、13頭となった。2007年にもアロースタッドにおいて現役種牡馬として活動し、4頭と交配したが、同年5月に病気のため22歳で他界した。全日本種牡馬ランキングは1998年の14位が最高で、2000・01年にも15位になっている。

産駒のデビュー当初はメイショウテゾロのように芝で走る産駒もいたが、以降はダートのマイル~中距離戦を得意とする産駒が大半となっており、芝における産駒成績は極めて不振となっている。本馬は現役時代に欧州の芝12ハロン路線を主戦場として走っていたことを考えると、この傾向はなかなか興味深いものがある。自身も気性に難がある馬だったようだが、産駒にもその傾向が受け継がれているようである。母父としては、2度のNARグランプリ年度代表馬に選ばれた地方競馬の名牝ラブミーチャンや、そのラブミーチャンが勝った全日本2歳優駿で2着したブンブイチドウなどを出している。やはり母父としてもダートにおける活躍傾向が強いようである。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1992

インタータイムリー

花笠まつり賞(上山)・上山城大賞(上山)・大阿蘇大賞(荒尾)

1992

メイショウテゾロ

シンザン記念(GⅢ)

1993

ビクトリーアップ

中山大障害秋

1994

リキアイフルパワー

尊氏賞(足利)・高崎大賞(高崎)2回・織姫賞(足利)・足利記念(足利)

1995

ウイングアロー

フェブラリーS(GⅠ)・ジャパンCダート(GⅠ)・スーパーダートダービー(GⅡ)・ブリーダーズゴールドC(GⅡ)2回・名古屋優駿(GⅢ)・グランシャリオC(GⅢ)・ユニコーンS(GⅢ)

1995

スナークレイアース

白山大賞典(GⅢ)・マーキュリーC(GⅢ)

1995

スマートボーイ

アンタレスS(GⅢ)2回・平安S(GⅢ)2回・マーチS(GⅢ)

1998

ブラックパワー

金杯(福山)

1999

アサティスダイオー

栄冠賞(旭川)

1999

フェスティバル

エーデルワイス賞(GⅢ)・北海道2歳優駿(GⅢ)・ダリアH(米GⅢ)

2000

アクティブワンダー

楠賞(園田)

2001

テットウテツビ

九州記念(KJ3)・大阿蘇大賞(荒尾)

2002

アサティスジョオー

東京2歳優駿牝馬(南関GⅠ)

2002

ボンネビルレコード

帝王賞(GⅠ)・かしわ記念(GⅠ)・日本テレビ盃(GⅡ)・黒潮盃(南関GⅡ)・東京記念(南関GⅡ)・金盃(SⅡ)・サンタアニタトロフィー(南関GⅢ)

2004

アサティスボーイ

新潟ジャンプS(JGⅢ)

2004

エンタノメガミ

園田クイーンセレクション(園田)・のじぎく賞(園田)・秋桜賞(SPⅠ)・兵庫クイーンC(園田)

2005

ダイバクフ

華月賞(H3)

2007

ネオアサティス

九州ジュニアチャンピオン(KJ1)

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