アルドロス

和名:アルドロス

英名:Ardross

1976年生

鹿毛

父:ランザガントレット

母:レメロディ

母父:レヴモス

アスコット金杯2連覇など欧州タイ記録のグループ競走13勝を挙げ、時代の欧州最強馬としての評価を得た最後の名長距離馬

競走成績:3~6歳時に愛英仏で走り通算成績24戦14勝2着4回3着2回

誕生からデビュー前まで

愛国平地首位調教師に6回輝いただけでなく、英国平地首位調教師にも3度輝き、英国平地競走に多大な影響を与えた史上初の愛国の調教師と言われた、パトリック・ジョセフ・プレンダーガスト師が、懇意にしていた米国の馬主エリザベス・アイルランド・ポー女史の所有馬とするべく自身で生産した愛国産馬で、ポー女史の所有馬、プレンダーガスト師の管理馬となった。

競走生活(3・4歳時)

デビューは遅く3歳5月であり、そのデビュー戦はレパーズタウン競馬場で行われたニジンスキーS(愛GⅡ・T10F)だった。しかしさすがに荷が重かったようで、勝ったノエリーノから10馬身以上の差をつけられた6着に終わった。次走は同月末にカラー競馬場で行われたガリニュールS(愛GⅡ・T12F)となった。S・ムーア騎手が騎乗する本馬は単勝オッズ51倍の低評価だった。しかし2着パレスダンに2馬身差、3着ボヘミアングローブ(前走のガリニュールSではノエリーノから1馬身半差の2着だった)にはさらに20馬身差をつけて勝利を収めた。するとプレンダーガスト師は本馬を英国アスコット競馬場に送り、キングエドワードⅦ世S(英GⅡ・T12F)に出走させた。しかし結果は、勝ったエラマナムーから大差をつけられた7着に敗退。3歳時はこれが最後のレースで、この年の成績は3戦1勝だった。

4歳時は3月にフェニックスパーク競馬場で行われたランクC(T10F)から始動したが、クロガンヒルの5着に敗れた。しかし5月にレパーズタウン競馬場で出たサヴァルベグS(T16F)では、クロガンヒルを6馬身差の2着に破って勝利した。

次走は6月のアスコット金杯(英GⅠ・T20F)となった。前年のアスコット金杯・グッドウッドC・ドンカスターCを勝利して史上4頭目の英国長距離三冠馬になっていたルモスが単勝オッズ4倍の1番人気に支持され、前走の内容から距離が伸びれば伸びるほど良いと判断されていた本馬は単勝オッズ7倍の2番人気となった。レースではルモスと共に先行して、そのまま直線ではルモスとの一騎打ちとなった。後続を6馬身引き離す激戦だったが、ルモスが勝利して2連覇を達成し、本馬は3/4馬身差の2着に敗れた。

このアスコット金杯の翌日にプレンダーガスト師は79歳で死去。本馬はプレンダーガスト師の息子ケヴィン・プレンダーガスト調教師の管理馬となった。

7月のグッドウッドC(英GⅡ・T21F)でもルモスとの対戦となった。今回もルモスと本馬の一騎打ちとなったが、今度もルモスが勝利を収め、本馬は首差の2着に敗れた。

9月のドンカスターC(英GⅢ・T18F)でもルモスとの対戦となった。今回もルモスと本馬の一騎打ちとなったが、またしてもルモスが勝利を収めて2年連続の英国長距離三冠を達成。本馬は3着馬ヴィコントには15馬身差をつけたものの、首差の2着に惜敗した。

10月に出たジョッキークラブC(英GⅢ・T16F)には、既に競走馬生活から退いていたルモスの姿は無く、主戦となる名手レスター・ピゴット騎手と初コンビを組んだ本馬が単勝オッズ1.83倍の1番人気に支持された。レースでは残り2ハロン地点まで敗北確実と思えるほど後方の位置取りだったが、ここから強烈な末脚を繰り出して差し切り、2着となったゴードンS・ジョッキークラブSの勝ち馬モアライトに1馬身半差で勝利した。その後は渡仏してロワイヤルオーク賞(仏GⅠ・T3100m)に出走したが、ポモーヌ賞を勝っていた牝馬ゴールドリヴァーに3馬身差をつけられ、ムッシュマーセルとの2着争いにも短頭差遅れて3着に敗退。4歳時の成績は7戦2勝となった。

競走生活(5歳時)

5歳になった本馬はチャールズ・セントジョージ氏に購入され、ルモスを管理していた英国ヘンリー・セシル調教師の元に転厩した。5歳時は5月のヨークシャーC(英GⅡ・T14F)から始動した。プリンセスオブウェールズS・ジェフリーフリアS・ジョッキークラブCなどを勝っていたニコラスビル、セントサイモンSの勝ち馬シャイニングフィニッシュなどを抑えて単勝オッズ3倍の1番人気に支持されると、2着ニコラスビルに3馬身差をつけて勝利した。

翌月のアスコット金杯(英GⅠ・T20F)では、愛オークス・ヨークシャーオークス・リブルスデールS・パークヒルSなどを勝っていたシュートアラインなど3頭だけが対戦相手となり、出走頭数4頭というのは、第二次世界大戦終了後から2015年現在までにおける同競走最少出走頭数となった。本馬は単勝オッズ1.3倍という圧倒的な1番人気に支持された。レースは直線に入って残り2ハロン地点で先頭に立った本馬に、外側から来たシュートアラインが必死に食らいついてくる展開となった。ピゴット騎手は横目でシュートアラインの様子をちらちら見ながら本馬を走らせ続けるという、シュートアラインの立場からすれば馬鹿にされたような騎乗を見せた。結局最後までシュートアラインが本馬の横に並ぶ場面は無く、本馬が2着シュートアラインに1馬身差、2着アヤバーンにはさらに10馬身差をつけて勝利した。

グッドウッドC(英GⅡ・T21F)では、クイーンアレクサンドラSの勝ち馬ドニゴールプリンス、前年のシザレウィッチHの勝ち馬ポプシーズジョイ、この年のシザレウィッチHを勝つホールズベリーなどを抑えて、単勝オッズ1.22倍という同競走史上最高クラスとなる圧倒的な1番人気に支持された。そして期待に応えて、7ポンドのハンデを与えた2着ドニゴールプリンスに1馬身差、25ポンドのハンデを与えた3着ホールズベリーにはさらに3馬身差をつけて勝利した。

次走は8月のジェフリーフリアS(英GⅡ・T13F60Y)となった。距離が短くなった分だけ単勝オッズは少し高くなったが、それでも単勝オッズ1.91倍の1番人気に支持された。レースはスローペースで進行し、消耗戦にはならなかったために、スタミナを武器とする本馬には不利かとも思われたが、直線に入ると残り2ハロン地点で馬群の中から瞬く間に抜け出し、6ポンドのハンデを与えた2着キャッスルキープに5馬身差、16ポンドのハンデを与えた3着カットアバヴ(英ダービーで名馬シャーガーの2着だった馬で、翌月の英セントレジャーでシャーガーを破って勝つことになる)にはさらに1馬身半差をつけて完勝した。

その後はドンカスターCで長距離三冠を目指すのではなく、渡仏して凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)に出走した。主な対戦相手は、サンクルー大賞・ニエル賞の勝ち馬で仏ダービー2着のアカラッド、前年の凱旋門賞やノネット賞・フォワ賞などを勝っていたデトロワ、愛2000ギニー・サセックスS・ジョーマクグラス記念Sの勝ち馬キングスレイク、バーデン大賞・ジョンポーターS・ハードウィックS・オーモンドSの勝ち馬ペルラン、グレートヴォルティジュールS・ゴードンS・ニエル賞の勝ち馬で愛ダービー・コロネーションC2着のプリンスビー、ポモーヌ賞・ヴェルメイユ賞を連勝してきた同父馬エイプリルラン、英オークス・愛オークスの勝ち馬で愛1000ギニー2着のブルーウインド、ヨークシャーオークス・ムシドラSの勝ち馬で愛オークス2着のコンデッサ、ワシントンDC国際S・ガネー賞・アルクール賞・プリンスローズ大賞の勝ち馬で前年の凱旋門賞2着のアーギュメント、ウィリアムヒルフューチュリティS・ベンソン&ヘッジズ金杯・ダンテSの勝ち馬ベルデールフラッター、仏ダービーの勝ち馬でサンクルー大賞2着のビカラ、英セントレジャーを勝ってきたカットアバヴ、前年のロワイヤルオーク賞で本馬を破った後にカドラン賞・ジャンプラ賞を勝っていたゴールドリヴァー、モーリスドニュイユ賞・ドーヴィル大賞を連勝してきたペロー、エヴリ大賞などの勝ち馬ランカストリアン、サンタラリ賞の勝ち馬トゥーテンズ、マルレ賞・ノネット賞の勝ち馬でヴェルメイユ賞2着のリアンドラ、ロワイヨモン賞・フィユドレール賞の勝ち馬スノーデイ、オセアニアから参戦してきた新ダービー・カンタベリーギニーの勝ち馬リングザベルなどだった。本馬は単勝オッズ6.5倍の3番人気に推されたのだが、勝ったゴールドリヴァーから4馬身3/4差をつけられた5着に敗れた。

そのままロンシャン競馬場に留まって出走したロワイヤルオーク賞(仏GⅠ・T3100m)では、早くもゴールドリヴァーとの再戦となった。今回は最終コーナーで先頭に立った本馬が、2着プルスティーユに4馬身差、3着ゴールドリヴァーにはさらに2馬身半差をつけて勝利を収め、前年の同競走と前走の借りを返した。1979年まで3歳馬限定競走だった同競走を古馬が勝ったのはこれが初めてだった。5歳時の成績は6戦5勝だった。

競走生活(6歳時)

6歳時は4月のジョッキークラブS(英GⅢ・T12F)から始動した。伊グランクリテリウム・伊ダービー・パリ大賞・オイロパ賞・グレートヴォルティジュールSを勝っていたグリントオブゴールドが挑んできたが、単勝オッズ2倍の1番人気に支持された本馬が、グリントオブゴールドを半馬身差の2着に抑えて勝利した。

翌月のヨークシャーC(英GⅡ・T14F)では、単勝オッズ1.44倍の1番人気に支持された。そして8ポンドのハンデを与えたキャプスタン、翌年のアスコット金杯を勝つリトルウルフとの三つ巴の争いを制して、2着キャプスタンに1馬身差で勝利した。

その後は6月のヘンリーⅡ世S(英GⅡ・T16F)に向かった。ここでは単勝オッズ1.29倍の1番人気に支持された。レースではキャプスタンが直線で先頭に立って逃げ込もうとしたが、後方から来た本馬が残り1ハロン地点でキャプスタンを抜き去り、9ポンドのハンデを与えたキャプスタンに2馬身差、同じく9ポンドのハンデを与えた3着ハイリンにはさらに4馬身差をつけて、3分31秒16のコースレコードで勝利した。

そして同月のアスコット金杯(英GⅠ・T20F)に参戦した。前年より対戦相手は1頭増えていたが、それでも第二次世界大戦以降では2番目に少ない5頭という少頭数となった。本馬がデビューしたニジンスキーSの他にバリモスSも勝っていたノエリーノの姿もあったが、カドラン賞とバルブヴィル賞をそれぞれ2回勝っていたエルバドル、ケルゴルレイ賞・エスペランス賞・リューテス賞の勝ち馬でパリ大賞・カドラン賞2着のティペラリーフィクサーといった仏国からの参戦組が強敵だった。単勝オッズ1.2倍の1番人気に支持された本馬は道中を4番手で追走。直線に入ってからインコースを突いて、残り2ハロン地点でノエリーノを抜き去って先頭に立ち、2着ティペラリーフィクサーに3馬身差をつけて同競走の2連覇を達成した。セシル師はルモスでも同競走を2連覇していたから、これで同競走4連覇となった。

その後は翌7月のプリンセスオブウェールズS(英GⅡ・T12F)に出走した。しかしここでは26ポンドのハンデを与えた3歳牝馬ハイトオブファッション(アンフワインナシュワンネイエフの母である)、9ポンドのハンデを与えた4歳牡馬アミンダスの2頭に屈して、勝ったハイトオブファッションから6馬身差の3着に敗れた。翌月に出たジェフリーフリアS(英GⅡ・T13F60Y)では、単勝オッズ1.33倍の1番人気に支持された。そして、8ポンドのハンデを与えた2着バフィンに4馬身差をつけて快勝した。

その後は前年に出走しなかったドンカスターC(英GⅢ・T18F)に向かった。単勝オッズ1.44倍の1番人気に支持された本馬は、ヘンリーⅡ世S3着後にグッドウッドCを勝っていたハイリンを1馬身半差の2着に抑えて勝利。これで本馬のグループ競走勝利は13勝となり、ブリガディアジェラードが保持していた欧州記録に並んだ。

その後は前年の雪辱を期して凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)に向かった。主な対戦相手は、この年のガネー賞を勝っていた前年の凱旋門賞2着馬ビカラ、前年の凱旋門賞3着後にターフクラシックS・フォワ賞を勝ちワシントンDC国際Sで2着していたエイプリルラン、仏ダービー・愛ダービー・ベンソン&ヘッジズ金杯・ジョーマクグラス記念Sの勝ち馬アサート、クリテリウムドサンクルー・ニエル賞の勝ち馬ボンサン、仏オークス・サンタラリ賞の勝ち馬ハーバー、ヴェルメイユ賞・モーリスドニュイユ賞・ペネロープ賞の勝ち馬でサンタラリ賞2着のオールアロング、仏オークス・ポモーヌ賞・ヴェルメイユ賞と3戦連続2着のアキーダ、ヨークシャーオークスの勝ち馬アワーシフ、ドーヴィル大賞を勝ってきたリアルシャダイなどだった。レースは本馬、アキーダ、エイプリルランの3頭がゴール前で大接戦を演じたが、アキーダが勝利を収め、本馬は頭差の2着に惜敗。このレースを最後に、6歳時8戦6勝の成績で競走馬を引退した。同年の英年度代表馬に選出されている。また、この6歳時における英タイムフォーム社のレーティングは134ポンドで、古馬勢では単独1位だった(3歳馬を含めてもアサート、ムーランドロンシャン賞を3馬身差で快勝したグリーンフォレストと並んでトップタイ)。

競走馬としての評価

本馬は長距離馬としては20世紀有数の名馬であると評価されており、長距離の枠外を越えても同時代屈指の実力馬としての評判を得ていた。近年は長距離競走の格が下がり、長距離競走でどんなに活躍した馬であっても、その馬が時代の最強馬としての名声を得る事は無い。本馬はおそらく、時代の最強馬としての名声を得た欧州競馬史上最後の長距離馬である。

血統

Run the Gantlet Tom Rolfe Ribot Tenerani Bellini
Tofanella
Romanella El Greco
Barbara Burrini
Pocahontas Roman Sir Gallahad
Buckup
How Princequillo
The Squaw
First Feather First Landing Turn-to Royal Charger
Source Sucree
Hildene Bubbling Over
Fancy Racket
Quill Princequillo Prince Rose
Cosquilla
Quick Touch Count Fleet
Alms
Le Melody Levmoss Le Levanstell Le Lavandou Djebel
Lavande
Stella's Sister Ballyogan
My Aid
Feemoss Ballymoss Mossborough
Indian Call
Feevagh Solar Slipper
Astrid Wood
Arctic Melody Arctic Slave Arctic Star Nearco
Serena
Roman Galley Man o'War
Messaline
Bell Bird Mustang Mieuxce
Buzz Fuzz
Belpatrick Khosro
British Queen

父ランザガントレットはトムロルフ産駒で、競走馬としては米国で走り21戦9勝。ガーデンステートS・タイダルH・ケリーオリンピックH・ユナイテッドネーションズH・マンノウォーS・ワシントンDC国際S・ボーリンググリーンHを勝ち、3歳時の1971年には記念すべき初代のエクリプス賞最優秀芝馬に選出された。種牡馬としても成功を収め、トムロルフの後継種牡馬の1頭として活躍した。

母レメロディは本馬と同じくプレンダーガスト師の生産馬で、デビューから2連勝したが故障のため2戦のみで競走生活を終えた。本馬の半妹シスルウッド(父カラムーン)の孫にスコーピオン【パリ大賞(仏GⅠ)・英セントレジャー(英GⅠ)・コロネーションC(英GⅠ)】、曾孫にジッピング【オーストラリアンC(豪GⅠ)・ターンブルS(豪GⅠ)】が、本馬の半妹アドラナ(父ボールドラッドIRA)の子にアルフローラ【クイーンアンS(英GⅡ)・エミリオトゥラティ賞(伊GⅡ)・愛国際S(愛GⅡ)】が、本馬の半妹ゲセデー(父エラマナムー)【フロール賞(仏GⅢ)】の孫にロベルティコ【独ダービー(独GⅠ)】、エレクトロキューショニスト【ドバイワールドC(首GⅠ)・ミラノ大賞(伊GⅠ)・英国際S(英GⅠ)】、ロイヤルハイネス【ビヴァリーDS(米GⅠ)】がいるなど、レメロディはかなり優れた牝系を構築している。

レメロディの半姉ニリー(父レルコ)の子にポレルトン【プリンセスオブウェールズS(英GⅡ)・ゴードンS(英GⅢ)】、孫にキャッスルタウン【新ダービー(新GⅠ)・オークランドC(新GⅠ)・コーフィールドS(豪GⅠ)】が、レメロディの半妹ラケット(父バリーモア)の子にスプレンディドモーメント【シェーヌ賞(仏GⅢ)】、グランシュレム【ロシェット賞(仏GⅢ)】、イヴニングキス【バグッタ賞(伊GⅢ)】、孫にエパロ【シンガポール航空国際C(星GⅠ)】が、レメロディの半妹アークティックロイヤル(父ロイヤルアンドリーガル)【愛1000ギニー(愛GⅠ)・モイグレアスタッドS(愛GⅡ)】の子にトゥルーリースペシャル【ロワイヨモン賞(仏GⅢ)】、モディッシュ【ドーヴィル大賞(仏GⅡ)・ジャンドショードネイ賞(仏GⅡ)】、ルシアンスノウズ【ロワイヤリュー賞(仏GⅡ)】、曾孫にセルリアンスカイ【サンタラリ賞(仏GⅠ)】、ムーンストーン【愛オークス(愛GⅠ)】がいる。レメロディの従姉妹の孫には、凱旋門賞とジャパンCで2着した名牝マジックナイト【ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)】もおり、マジックナイトの息子である日本で走ったマグナーテン【毎日王冠(GⅡ)・アメリカジョッキークラブC(GⅡ)・関屋記念(GⅢ)2回】は遠縁。→牝系:F23号族①

母父レヴモスは当馬の項を参照。ちなみに4歳時における本馬の目の上のたんこぶだったルモスはレヴモスの10歳年下の全弟である。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、200万ポンドの種牡馬シンジケートが組まれて、英国ベッドフォードシャー州サウスコートスタッドで種牡馬入りした。しかし種牡馬としての成績は今ひとつで、平地GⅠ競走の勝ち馬を出すことは無かった(障害GⅠ競走の勝ち馬は出している)。1994年2月に心臓発作のため18歳で他界した。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1986

Aahsaylad

シザレウィッチH

1986

Filia Ardross

アラク賞(独GⅡ)・独オークス(独GⅡ)・ハンザ賞(独GⅡ)・セレクトS(英GⅢ)

1987

Karinga Bay

ゴードンS(英GⅢ)・シュプレティレネン(独GⅢ)2回・バーデナーマイレ(独GⅢ)・ドルトムント経済大賞(独GⅢ)

1989

Alderbrook

英チャンピオンハードル(英GⅠ)・ドラール賞(仏GⅡ)・セレクトS(英GⅢ)

1990

Azzilfi

ジェフリーフリアS(英GⅡ)

1991

Anzum

ワールドハードル(英GⅠ)

TOP