エイプリルラン

和名:エイプリルラン

英名:April Run

1978年生

鹿毛

父:ランザガントレット

母:エイプリルファンシー

母父:ノーアーギュメント

第2回ジャパンCで名国の歴史的名馬ジョンヘンリーと人気を二分したエクリプス賞最優秀芝牝馬

競走成績:3・4歳時に仏米日で走り通算成績18戦8勝2着2回3着4回

誕生からデビュー前まで

米国の不動産業者バートラム・ファイアストーン氏がアガ・カーンⅣ世殿下から購入した愛国ギルタウンスタッドにおいて、F・フィーニー氏という人物により生産された。ファイアストーン氏の妻ダイアナ夫人名義で競走馬となり、仏国フランソワ・ブータン調教師に預けられた。

競走生活(3歳時)

デビューはやや遅く、3歳3月にサンクルー競馬場で行われたドリナ賞(T2000m)だった。不良馬場の中をよく走ったが、2馬身半差の2着に敗退した。しかし1か月後のダシュカ賞(T2400m)では良馬場となり、2着となった後のコリーダ賞の勝ち馬ラウギュに6馬身差をつけて圧勝した。次走のクレオパトル賞(仏GⅢ・T2100m)では重馬場を克服して、2着ランドレスに3馬身差、3着レアンドラにもさらに3馬身差をつけて勝利した。

そしてそのまま仏オークス(仏GⅠ・T2100m)に直行した。8日前の英オークスで勝ったブルーウインドに7馬身差をつけられながらも2着を確保してきたマダムゲイ、伊オークス・伊1000ギニー・ドルメロ賞を勝ってきたヴァルデリカ、サンタラリ賞を勝ってきたトゥーテンズ、仏1000ギニー・オマール賞の勝ち馬ユクレイヌガールなど強敵がすらりと顔を並べていた。それでも後から振り返ってみると実力的には本馬が一枚抜けていたはずだったが、主戦のフィリップ・パケ騎手が騎乗できずにグレヴィル・スターキー騎手に乗り代わっていたのが微妙に影響したのか、直線一気の競馬で圧勝したマダムゲイから4馬身差、2着ヴァルデリカから短首差の3着に敗れてしまった。

翌7月には古馬牡馬相手のサンクルー大賞(仏GⅠ・T2500m)に挑戦したが、同世代の仏ダービー馬ビカラ、その仏ダービーで2着していたアカラッド、エヴリ大賞・リス賞・エドヴィル賞を勝っていた4歳馬ランカストリアンといった牡馬勢に屈して、勝ったアカラッドから3馬身1/4差の4着に終わった。ロワイヤルオーク賞・カドラン賞・ジャンプラ賞・ポモーヌ賞を勝っていた4歳牝馬ゴールドリヴァーが本馬から2馬身差の5着だった。

その後は8月のポモーヌ賞(仏GⅢ・T2700m)に出走。ミネルヴ賞を勝ってきたアニトラズダンスなどが対戦相手となったが、アニトラズダンスを5馬身差の2着に破って圧勝した。続いてヴェルメイユ賞(仏GⅠ・T2400m)に出走。仏オークス勝利後にキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSでシャーガーの2着、第1回アーリントンミリオンでジョンヘンリーの3着していたマダムゲイ、クレオパトル賞で本馬の3着に敗れた後にマルレ賞・ノネット賞を勝っていたレアンドラなどが対戦相手となった。しかし本馬が2着レアンドラに1馬身半差、3着マダムゲイにはさらに頭差をつけて勝利を収め、GⅠ競走の勝ち馬となった。

その後は凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)に挑戦。サンクルー大賞勝利後に出走したニエル賞も勝ってきたアカラッド、サンクルー大賞2着後に出走したプランスドランジュ賞で2着だったビカラ、サンクルー大賞勝利後に出走したフォワ賞で2着だったランカストリアン、サンクルー大賞5着後に出走したフォワ賞で3着だったゴールドリヴァー、リアンドラ、仏オークスでは着外だったトゥーテンズ、前哨戦のフォワ賞を勝ってきた前年の凱旋門賞優勝馬デトロワ、アスコット金杯・ヨークシャーC・グッドウッドC・ジェフリーフリアS・ジョッキークラブCの勝ち馬アルドロス、愛2000ギニー・サセックスS・ジョーマクグラス記念Sの勝ち馬キングスレイク、バーデン大賞・ジョンポーターS・ハードウィックS・オーモンドSの勝ち馬ペルラン、グレートヴォルティジュールS・ゴードンS・ニエル賞の勝ち馬で愛ダービー・コロネーションC2着のプリンスビー、英オークス・愛オークスの勝ち馬で愛1000ギニー2着のブルーウインド、ヨークシャーオークス・ムシドラSの勝ち馬で愛オークス2着のコンデッサ、ワシントンDC国際S・ガネー賞・アルクール賞・プリンスローズ大賞の勝ち馬で前年の凱旋門賞2着のアーギュメント、ウィリアムヒルフューチュリティS・ベンソン&ヘッジズ金杯・ダンテSの勝ち馬ベルデールフラッター、英セントレジャーの勝ち馬で愛ダービー2着のカットアバヴ、モーリスドニュイユ賞・ドーヴィル大賞を連勝してきたペロー、オセアニアから参戦してきた新ダービー・カンタベリーギニーの勝ち馬リングザベルなどが対戦相手となった。しかし勝ったのはサンクルー大賞で本馬に先着されていた13番人気のゴールドリヴァーで、ビカラが3/4馬身差2着、4番人気で出走した本馬は健闘したもののビカラから鼻差の3着と惜敗した。

デビューしてからほとんど休む間もなく走ってきた本馬だが、陣営はこのまま休養入りする事を許さず、本馬は馬主ファイアストーン夫妻の地元米国に渡ってターフクラシックS(米GⅠ・T12F)に出走する事となった。対戦相手は、凱旋門賞で17着と惨敗していたデトロワ、マンノウォーS・サンセットH・サンマルコスH・ローリンググリーンHの勝ち馬ギャラクシーライブラ、サンタバーバラH・ディキシーH・シープスヘッドベイH・ブラックヘレンHなどの勝ち馬で前年のワシントンDC国際S2着のザベリワンなどだった。結果は本馬が2着ギャラクシーライブラに3/4馬身差、3着ザベリワンにはさらに3馬身差をつけて優勝し、凱旋門賞3着の実力の程を見せつけた。

本馬は続いてワシントンDC国際S(米GⅠ・T12F)に出走した。ここでは、クリテリウムドサンクルー・グレフュール賞を勝っていた前年の仏ダービー3着馬プロヴィデンシャルが勝利を収め、本馬は1馬身差の2着、ギャラクシーライブラがさらに3馬身1/4差の3着だった。ちなみに凱旋門賞で23着に終わっていたベルデールフラッターもこのレースに参戦していた(結果は7着)が、ザベリワンやデトロワはこのレースには不参戦だった。デトロワが不参戦だったのはターフクラシックS5着を最後に競走馬を引退したからだったが、ザベリワンが不参戦だったのはワシントンDC国際Sの15日後に開催された第1回ジャパンCに参戦するためだった。しかしこの第1回ジャパンCにはザベリワンを始めとする米国調教馬は招待されていたが、欧州調教馬は招待されていなかった。というわけで本馬はこの年はこれ以上出走するレースがなくなり、3歳時を10戦5勝の成績で終えた。この年は仏最優秀3歳牝馬に選ばれた。ちなみに本馬不在の第1回ジャパンCはザベリワンが1番人気に支持されたが、結果は米国調教馬メアジードーツが勝利を収め、加国調教馬フロストキングが2着、ザベリワンは3着だった。

競走生活(4歳時)

4歳時は4月にロンシャン競馬場で行われたエドヴィル賞(T2400m)から始動。新しい主戦には英国の名手レスター・ピゴット騎手を迎えた。ところが、前年の仏ダービー3着馬ギャップオブダンロー、前年の愛セントレジャー・ドンカスターC・エボアHの勝ち馬プロテクションラケット、前年のコンセイユドパリ賞2着馬トゥーステップの3頭に屈して、ギャップオブダンローの1馬身1/4差4着に敗れた。それでもまだこのレースは大敗というわけではなかった。

しかし次走のガネー賞(仏GⅠ・T2100m)では、ビカラ、前年の凱旋門賞で着外に終わるも前走アルクール賞を勝ってきたランカストリアン、フォルス賞・コートノルマンディ賞・エクスビュリ賞の勝ち馬アルナスルといった面々に屈して、勝ったビカラから9馬身差をつけられた9着と惨敗してしまった。

デビュー以来初の大敗に、さすがに陣営は再調整の必要性を感じたようで、この後は3か月間レースに出ず、8月のポモーヌ賞(仏GⅡ・T2700m)で復帰した。前年は勝ったレースだが、今回はクレオパトル賞・ミネルヴ賞2着馬ザラタイア、仏オークス2着馬アキーダの2頭の3歳牝馬に屈して、ザラタイアの2馬身差3着に敗退した。しかし次走のフォワ賞(仏GⅢ・T2400m)ではゴール前の接戦を制して、2着ノーアテンションに首差で勝利を収めた。

次走は前年に引き続き凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)となった。対戦相手は、ビカラ、仏ダービー・愛ダービー・ベンソン&ヘッジズ金杯・ジョーマクグラス記念S・ベレスフォードS・ガリニュールSの勝ち馬でキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS2着のアサート(ビカラの半弟)、ニエル賞を勝ってきたクリテリウムドサンクルーの勝ち馬ボンサン、前年の凱旋門賞5着後にロワイヤルオーク賞・ジョッキークラブS・ヨークシャーC・ヘンリーⅡ世S・アスコット金杯・ジェフリーフリアS・ドンカスターCを勝っていたアルドロス、この年の仏オークス・サンタラリ賞の勝ち馬ハーバー、ポモーヌ賞2着後に出走したヴェルメイユ賞でも2着だったアキーダ、モーリスドニュイユ賞・ヴェルメイユ賞を連勝してきたオールアロング、ヨークシャーオークスの勝ち馬アワーシフ、ドーヴィル大賞の勝ち馬で仏ダービー2着のリアルシャダイ、ノーアテンションなどだった。ピゴット騎手がアルドロスに騎乗したために、キャッシュ・アスムッセン騎手と初コンビを組んだ本馬は7番人気止まりだった。しかし本命視されたアサート以下、かなり人気が割れる大混戦模様だった。レースでは戦前の混戦予想を裏付けるように1番人気のアサートは伸びてこず、ゴール前では本馬、アキーダ、アルドロス、アワーシフの4頭が横一線の勝負となったが、本馬は僅かに遅れて、勝ったアキーダから3/4馬身差の4着に終わった。

続いて前年同様に渡米して、ターフクラシックS(米GⅠ・T12F)に出走した。そして前走からそのまま主戦となったアスムッセン騎手を鞍上に、この年にマンノウォーS・ユナイテッドネーションズHとGⅠ競走2勝を挙げていたナスクラズブリーズを6馬身半差の2着に破って圧勝した。

続いて前年は惜敗したワシントンDC国際S(米GⅠ・T12F)に出走した。ナスクラズブリーズは出走してこず、その代わりに前走の加国際Sを筆頭にヒルプリンスS・ランプライターH・レキシントンSを勝っていたマジェスティーズプリンス、ラトガーズHの勝ち馬で加国際S2着・マンノウォーS3着のサンダーパドルズ、英セントレジャー・オイロパ賞で連続3着してきたダイヤモンドショールといった馬達が対戦相手となった。しかし本馬が2着マジェスティーズプリンスに6馬身半差をつけて圧勝。2戦連続の圧勝で、世界的名牝の地位を確立した。

通常の年ならこれがシーズン最後の出走になるところだったが、この年は前年に創設されたばかりのジャパンC(T2400m)において欧州調教馬の招待が実現したため、本馬も来日する事となった。このレースには、米国西海岸の芝路線を主戦場としてサンタアニタH2回・アーリントンミリオン・サンルイレイS2回・サンフアンカピストラーノ招待H・ハリウッドパーク招待ターフH2回・オークツリー招待H3回・ジョッキークラブ金杯などを勝っていた当時の米国最強馬ジョンヘンリー、凱旋門賞15着惨敗の雪辱に燃えるオールアロング、前哨戦の富士Sを勝ってきた前年の2着馬フロストキング、新ダービー・ローズヒルギニーを勝っていたオセアニア代表のアイルオブマン、サンチャリオットS2着馬で翌年のジャパンCを勝つスタネーラ、本馬と同馬主(名義は夫のバートラム・ファイアストーン氏)だが米国で走っていたセクレタリアトS・ニッカーボッカーHの勝ち馬ハーフアイストなどが出走していた。

日本調教馬は前年に完膚なきまでに敗れたメンバーよりさらに一枚も二枚も格下と目されていたため殆ど蚊帳の外であり、人気は海外馬に集中。その中でもGⅠ競走を既に11勝していたジョンヘンリーが本命視され、本馬は2番人気での出走となった。本馬の米国における出走は全て東海岸におけるものであり、西海岸を主戦場としていたジョンヘンリーとは初対戦となり、世界的に大きく注目される一戦だった。

レースは日本代表の1頭カズシゲがスローペースで馬群を牽引。直線を向くとオールアロングがそれをかわして先頭に立った。さらに外側から本馬とハーフアイストが叩き合いながらそれを追撃した。最後はハーフアイストがゴール直前でオールアロングを首差かわして優勝し、本馬はオールアロングからさらに首差の3着と惜しくも敗れた。一方のジョンヘンリーは見せ場無く13着に惨敗し、期待されていた2頭の激闘は見られなかった。

本馬はこのレースを最後に、4歳時8戦3勝の成績で競走馬を引退した。この年は仏最優秀古馬牝馬だけでなく、エクリプス賞最優秀芝牝馬にも選ばれた。

血統

Run the Gantlet Tom Rolfe Ribot Tenerani Bellini
Tofanella
Romanella El Greco
Barbara Burrini
Pocahontas Roman Sir Gallahad
Buckup
How Princequillo
The Squaw
First Feather First Landing Turn-to Royal Charger
Source Sucree
Hildene Bubbling Over
Fancy Racket
Quill Princequillo Prince Rose
Cosquilla
Quick Touch Count Fleet
Alms
April Fancy No Argument Narrator Nearco Pharos
Nogara
Phase Windsor Lad
Lost Soul
Persuader Petition Fair Trial
Art Paper
Palma Rosa Mahmoud
Tsianina
April Slipper パナスリッパー Solar Slipper Windsor Slipper
Solar Flower
Panastrid Panorama
Astrid
April View Atout Maitre Vatout
Royal Mistress
Distant View Panorama
Maid of the Heath

父ランザガントレットはトムロルフ産駒で、現役時代は米国で走り21戦9勝。ダート路線では2歳時にガーデンステートSを勝った程度と芽が出なかったが、3歳夏に芝路線に転向すると素質が開花。タイダルH・ケリーオリンピックH・ユナイテッドネーションズH・マンノウォーS・ワシントンDC国際Sと5連勝して1971年のエクリプス賞最優秀芝馬に選出された。翌4歳時は不調でボーリンググリーンHの1勝のみで引退。引退後は米国で種牡馬入りした。

母エイプリルファンシーは現役成績5戦2勝。本馬以外に直子の活躍馬はいないが、本馬の全妹ベッキーブランチの子にはオナーグライド【セクレタリアトS(米GⅠ)・ソードダンサー招待H(米GⅠ)・アーリントンクラシックS(米GⅡ)・アメリカンダービー(米GⅡ)・ボーリンググリーンH(米GⅡ)・ナイアガラBCS(加GⅡ)】が、半妹シェザレイド(父トムロルフ)の子には日本で走ったルゼル【青葉賞(GⅡ)】がいる。エイプリルファンシーの半弟にはレアエイプリル(父ラリティ)【グラッドネスS(愛GⅢ)】がいる。エイプリルファンシーの母エイプリルスリッパーの半姉スプリングビューの牝系子孫にはボールパーク【イースターH(新GⅠ)・アヴォンデール金杯(新GⅠ)】が、エイプリルスリッパーの全姉パナビューの子にはフロントロウ【愛1000ギニー】、ブラックサティン【愛1000ギニー】、孫にはツァラヴィッチ【メトロポリタンH(米GⅠ)】、曾孫にはポゼッシヴダンサー【伊オークス(伊GⅠ)・愛オークス(愛GⅠ)】、玄孫にはミッドサマーミュージック【ストラドブロークH(豪GⅠ)】がいる。→牝系:F42号族

母父ノーアーギュメントは現役成績22戦3勝。これと言った勝ち鞍は無く、全妹に英1000ギニー馬ナイトオフがいるなどの血統が評価されて種牡馬入りしたようであるが、種牡馬としては殆ど実績を残していない。ノーアーギュメントの父ナレイターはネアルコ産駒で、現役成績13戦4勝、英チャンピオンS・コロネーションCを勝っている。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は愛国と米国を行き来しながら繁殖生活を送った。産駒は5頭いるが、その大半が不出走馬又は未勝利馬で、勝ち上がった産駒は12歳時に産んだ5番子の牡駒スプリングマラソン(父トップサイダー)のみである。このスプリングマラソンは38戦5勝の成績を残したがステークス競走は未勝利に終わった。直子から活躍馬を出すことが出来なかった本馬だが、孫世代には活躍馬が出ている。2番子の牝駒スプリングブレイク(父キュアザブルース)の子にウィークエンドマッドネス【キャピタルホールディングマイルS(米GⅢ)・キーンランドBCマイルS(米GⅢ)・サラトガBCH(米GⅢ)】が、4番子の牝駒デザートラン(父プライヴェートアカウント)の子にサーキャット【米国競馬名誉の殿堂博物館S(米GⅡ)・アップルトンH(米GⅡ)・ニッカーボッカーH(米GⅢ)・トロピカルターフH(米GⅢ)】がいる。本馬の子孫には繁殖牝馬、又は競走馬として日本に来た馬が複数おり、日本で産まれて競走馬になった子孫も少なくないが、スプリングブレイクの息子でウィークエンドマッドネスの半弟に当たるフルグラトルが岩手ダービーダイヤモンドCを勝った程度で、今ひとつ活躍していない。本馬自身も14歳時に日本に輸入されたが、日本では子を産むことなく1994年4月に16歳で他界した。

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