デトロワ
和名:デトロワ |
英名:Detroit |
1977年生 |
牝 |
黒鹿 |
父:リヴァーマン |
母:デルナ |
母父:サニーボーイ |
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1980年の凱旋門賞をコースレコードで制した名牝は母としても凱旋門賞馬を産んで史上初の凱旋門賞母子2代制覇を達成する |
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競走成績:3・4歳時に仏米で走り通算成績13戦8勝3着1回 |
誕生からデビュー前まで
ソシエテ・アラン氏により生産された仏国産馬で、1歳時に英国の名物馬主ロバート・サングスター氏により私的に10万ポンドで購入され、仏国オリビエ・ドゥイエブ調教師に預けられた。
競走生活(3歳時)
デビューはかなり遅くなり、仏1000ギニーが終わった後の3歳5月末にサンクルー競馬場で行われたティマンドラ賞(T2100m)だった。このレースは主戦となるアラン・ルクー騎手を鞍上に、2着トキーに5馬身差をつける圧勝で勝ち上がった。
それから2週間後の仏オークスには向かわず、そのさらに1週間後にサンクルー競馬場で行われたフィユドレール賞(仏GⅢ・T2100m)に向かった。オマール賞の勝ち馬インディジェンヌに加えて、やはり仏国クラシック競走不参戦ながらデビュー2連勝中だった同世代同父馬ゴールドリヴァーとの対戦となった。後から見れば凱旋門賞を勝つ女傑2頭の対決という豪華な勝負だったが、ここでは単勝オッズ3.1倍の1番人気に支持された本馬が、ゴールドリヴァーを2馬身半差の2着に、インディジェンヌをさらに1馬身半差の3着に退けて勝利した。
その後も裏街道を進み、7月にはエヴリ競馬場でクロエ賞(仏GⅢ・T1800m)に出走。単勝オッズ2.4倍の1番人気に応えて、2着リカラに1馬身半差をつけて勝利した。8月にはドーヴィル競馬場でノネット賞(仏GⅢ・T2000m)に出走。マルレ賞・ヴァントー賞の勝ち馬リュートドサロン、サンドランガン賞の勝ち馬インディアソングなどが対戦相手となった。このレースではルクー騎手ではなくフレデリック・ヘッド騎手とコンビを組んだ。そして単勝オッズ1.9倍の1番人気に支持された本馬が、2着インディアソングに2馬身差、3着リュートドサロンにはさらに短首差をつけて快勝した。
こうして裏街道で実力を磨いた本馬は、新しくパット・エデリー騎手を主戦として迎えて、ヴェルメイユ賞(仏GⅠ・T2400m)に出走した。対戦相手の層はさすがに過去のレースとは違っており、仏1000ギニー・クリテリウムデプーリッシュ・グロット賞の勝ち馬で仏オークス2着のアリアンヌ、仏オークス・チェヴァリーパークS・チェリーヒントンS・ロウザーSの勝ち馬でキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS2着・英1000ギニー・愛1000ギニー3着のミセスペニー、愛1000ギニー・コロネーションSの勝ち馬でベンソン&ヘッジズ金杯2着のカーンルージュ、フィユドレール賞2着後にポモーヌ賞を勝ってきたゴールドリヴァー、愛オークス2着馬リトルボニーなど強敵揃いであり、ヴェルメイユ賞の歴史上屈指ではないかと思えるほどの好メンバーとなっていた。しかしその中で単勝オッズ3.75倍の1番人気に支持されたのはGⅠ競走初出走の本馬だった。ところが本馬は馬群に包まれてしまい、直線に入っても後方のまま。直線半ばでようやく馬群を抜け出して猛然と追い上げてきたが、勝ったミセスペニーから1馬身1/4差、2着リトルボニーから3/4馬身差の3着までであり、初黒星を喫してしまった。ゴール前の豪脚からすると不利が無ければ勝っていたと思われ、非常に不運な敗者だったと言われた。
その後は凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)に出走した。さすがに凱旋門賞だけあって出走馬の層はヴェルメイユ賞よりさらに上であり、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS・エクリプスS・ロイヤルロッジS・キングエドワードⅦ世S・プリンスオブウェールズS・アールオブセフトンSの勝ち馬で前年のサンクルー大賞2着・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS3着のエラマナムー、ガネー賞・グレフュール賞・オカール賞・ロシェット賞・ニエル賞・フォワ賞の勝ち馬で前年の仏ダービー・凱旋門賞2着・ワシントンDC国際S3着のルマルモ、前年の凱旋門賞を筆頭に仏1000ギニー・サンタラリ賞・ヴェルメイユ賞・アルクール賞・ヴァントー賞を勝ち仏オークス・ガネー賞2着のスリートロイカス、ベルリン大賞2回・オイロパ賞・バーデン大賞・ウニオンレネン・デュッセルドルフ大賞・ドルトムント大賞2回の勝ち馬で独ダービー・アラルポカル2回2着の独国最強馬ネボス、この年の仏ダービーの勝ち馬でサンクルー大賞3着のポリスマン、ドーヴィル大賞・コートノルマンディ賞の勝ち馬グレノラム、前年の仏オークスの勝ち馬でサンクルー大賞・プランスドランジュ賞も勝っていたデュネット、愛セントレジャー・ロワイヤルオーク賞・ジェフリーフリアS・ジョンポーターS・オーモンドSの勝ち馬でコロネーションC2着・英セントレジャー3着のニニスキ、クリテリウムドサンクルー・グレフュール賞の勝ち馬で仏ダービー3着のプロヴィデンシャル、ミセスペニー、リトルボニー、プリンセスオブウェールズS・ジェフリーフリアS・ジョッキークラブCの勝ち馬ニコラスビル、プリンスローズ大賞の勝ち馬でリュパン賞2着・仏2000ギニー3着のアーギュメント、ジャンドショードネイ賞の勝ち馬ムールーキ、ジョンシェール賞の勝ち馬ルセリ、ニエル賞で2着してきたサティラ、ローマ賞・グレートヴォルティジュールS・ヨークシャーCの勝ち馬ノーブルセイントなど23頭が対戦相手となった。本馬は単勝オッズ7.7倍の4番人気での出走だった。
スタートが切られると多数出走していたペースメーカー役の馬達が先頭争いを展開し、本馬鞍上のエデリー騎手は前半を抑え気味に進めた。しかし当日のロンシャン競馬場は絶好の堅良馬場であり、ペースメーカー役の馬達がハイペースで飛ばしていた事もあって、高速決着になる事が予測された。そのためにエデリー騎手は早めに本馬を馬群の外側に持ち出して位置取りを上げていった。そして直線に入ると、先に抜け出していたエラマナムーとスリートロイカスの2頭に残り200m地点で並んで先頭に立った。そこへ後方から伏兵のアーギュメントが襲い掛かってきたが、本馬が押し切り、2着アーギュメントに半馬身差、3着エラマナムーにはさらに短頭差をつけて優勝。勝ちタイムの2分28秒0は、1971年の凱旋門賞でミルリーフが計時した2分28秒3を更新するコースレコードであり、6年後の凱旋門賞でダンシングブレーヴが2分27秒7を計時するまで保持された。3歳時の成績は6戦5勝で、この年の仏年度代表馬・仏最優秀3歳牝馬のタイトルを獲得している。
競走生活(4歳時)
4歳時は4月のアルクール賞(仏GⅡ・T2000m)から始動したが、前年暮れのワシントンDC国際SでGⅠ競走の勝ち馬となってきたアーギュメント、前年のムーランドロンシャン賞3着馬カトヴィツェ、ゴントービロン賞・エクスビュリ賞の勝ち馬アーミスティスデイの3頭の牡馬に屈して、勝ったアーギュメントから3馬身差の4着に終わった。次走のガネー賞(仏GⅠ・T2100m)でも、アーギュメント、前走3着のアーミスティスデイ、仏2000ギニー・シェーヌ賞・エドモンブラン賞の勝ち馬でリュパン賞・イスパーン賞3着のインフィジャー達に屈して、勝ったアーギュメントから4馬身半差の5着に敗退した。
その後はしばらく休養し、約4か月後の8月にクレールフォンテーヌ競馬場で行われたマイナー競走アロマンシェ賞(T2200m)で復帰した。鞍上はエデリー騎手からヘッド騎手に交代となっていた。春シーズンに比べると馬体はかなり改善していたように見受けられたが、脚にはバンテージが巻かれており、どうも脚部不安を発症していたのではないかと言われた。しかしこの復帰戦は勝利を収めた。
それから僅か4日後にはドーヴィル競馬場でリッジウェイ賞(T2000m)にヘッド騎手騎乗で出走して、前年の凱旋門賞で9着だったルセリを1馬身半差の2着に抑えて勝利した。引き続きフォワ賞(仏GⅢ・T2400m)に出走。前年のヴェルメイユ賞4着後にロワイヤルオーク賞・カドラン賞・ジャンプラ賞を勝っていたゴールドリヴァー、エヴリ大賞・リス賞・エドヴィル賞の勝ち馬ランカストリアンなどが対戦相手となったが、今回はエデリー騎手が騎乗した本馬が単勝オッズ2倍の1番人気に支持された。レースはスローペースの上がりの競馬となり、本馬が直線で楽に抜け出して、2着ランカストリアンに2馬身差、3着ゴールドリヴァーにはさらに1馬身半差をつけて勝利した。
そして連覇を目指して凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)に参戦した。対戦相手は、サンクルー大賞・ニエル賞の勝ち馬で仏ダービー2着のアカラッド、愛2000ギニー・サセックスS・ジョーマクグラス記念Sの勝ち馬キングスレイク、ロワイヨモン賞・フィユドレール賞の勝ち馬スノーデイ、アスコット金杯・ヨークシャーC・グッドウッドC・ジェフリーフリアS・ジョッキークラブCの勝ち馬アルドロス、ヴェルメイユ賞・クレオパトル賞・ポモーヌ賞の勝ち馬エイプリルラン、ウィリアムヒルフューチュリティS・ベンソン&ヘッジズ金杯・ダンテSの勝ち馬ベルデールフラッター、仏ダービーの勝ち馬でサンクルー大賞2着のビカラ、グレートヴォルティジュールS・ゴードンS・ニエル賞の勝ち馬で愛ダービー・コロネーションC2着のプリンスビー、英オークス・愛オークスの勝ち馬で愛1000ギニー2着のブルーウインド、ヨークシャーオークス・ムシドラSの勝ち馬で愛オークス2着のコンデッサ、オカール賞の勝ち馬ラーヘテプ、モーリスドニュイユ賞・ドーヴィル大賞・ラクープの勝ち馬ペロー、サンタラリ賞の勝ち馬トゥーテンズ、マルレ賞・ノネット賞の勝ち馬でヴェルメイユ賞2着のリアンドラ、バーデン大賞・ジョンポーターS・ハードウィックS・オーモンドSの勝ち馬ペルラン、英セントレジャー・ホワイトローズSの勝ち馬で愛ダービー2着のカットアバヴ、オセアニアから参戦してきた新ダービー・カンタベリーギニーの勝ち馬リングザベル、ガネー賞を勝った後は3連敗中だったアーギュメント、ランカストリアン、ゴールドリヴァーなどだった。エデリー騎手が事実上本馬と同馬主だったキングスレイクに騎乗したため、本馬にはヘッド騎手が騎乗した。そのキングスレイクとのカップリングで単勝オッズ4.5倍の2番人気での出走となった本馬は、レース序盤は馬群の好位の一番良い位置をキープ。しかし直線に入ったとたんに大失速し、17着と惨敗した。勝ったのは、フィユドレール賞・ヴェルメイユ賞・フォワ賞と本馬に3戦全敗だったゴールドリヴァーだった。
このままでは終われないとばかりに米国遠征を決行し、ターフクラシックS(米GⅠ・T12F)に出走。しかし、凱旋門賞で3着と好走していたエイプリルラン、マンノウォーS・サンセットH・サンマルコスH・ローリンググリーンHの勝ち馬ギャラクシーライブラ、サンタバーバラH・ディキシーH・シープスヘッドベイH・ブラックヘレンHなどの勝ち馬で前年のワシントンDC国際S2着のザベリワンなどに歯が立たず、エイプリルランの5着に敗退。そのまま4歳時7戦3勝の成績で競走馬を引退した。
血統
Riverman | Never Bend | Nasrullah | Nearco | Pharos |
Nogara | ||||
Mumtaz Begum | Blenheim | |||
Mumtaz Mahal | ||||
Lalun | Djeddah | Djebel | ||
Djezima | ||||
Be Faithful | Bimelech | |||
Bloodroot | ||||
River Lady | Prince John | Princequillo | Prince Rose | |
Cosquilla | ||||
Not Afraid | Count Fleet | |||
Banish Fear | ||||
Nile Lily | Roman | Sir Gallahad | ||
Buckup | ||||
Azalea | Sun Teddy | |||
Coquelicot | ||||
Derna | Sunny Boy | Jock | Asterus | Teddy |
Astrella | ||||
Naic | Gainsborough | |||
Only One | ||||
Fille de Soleil | Solario | Gainsborough | ||
Sun Worship | ||||
Fille de Salut | Sansovino | |||
Friar's Daughter | ||||
Miss Barberie | Norseman | Umidwar | Blandford | |
Uganda | ||||
Tara | Teddy | |||
Jean Gow | ||||
Vaneuse | Vatellor | Vatout | ||
Lady Elinor | ||||
Diseuse | Diomedes | |||
Boxeuse |
父リヴァーマンは当馬の項を参照。
母デルナは現役成績7戦未勝利。繁殖牝馬としては優秀な成績を収め、本馬の半姉ダータル(父リファール)【チェヴァリーパークS(英GⅠ)・フレッドダーリンS(英GⅢ)】も産んだ。本馬の半姉ヴァルダーナの孫には豪州の名種牡馬ザビール【オーストラリアンギニー(豪GⅠ)】、バリシュニコフ【オーストラリアンギニー(豪GⅠ)】、玄孫にはハロウドクラウン【ゴールデンローズS(豪GⅠ)・ランドウィックギニー(豪GⅠ)】が、ダータルの子にはギルドラン【アスコット金杯(英GⅠ)2回・グッドウッドC(英GⅡ)・サガロS(英GⅢ)】、曾孫にはロデリックオコナー【クリテリウム国際(仏GⅠ)・愛2000ギニー(愛GⅠ)】、マジクール【クイーンズランドダービー(豪GⅠ)】が、本馬の半妹デルリ(父リファール)の子にはフィラゴ【オークツリー招待H(米GⅠ)・アーリントンH(米GⅡ)】がいる。デルナの曾祖母ディズーズの半妹フィジェットの孫にはエルバジェ【仏ダービー・サンクルー大賞】、牝系子孫にはダホス【BCマイル(米GⅠ)2回】がいる。→牝系:F16号族①
母父サニーボーイは現役成績11戦4勝、ストラスバーグ賞の勝ち馬。1954年には凱旋門賞馬シカボーイなどの活躍により仏首位種牡馬に輝いている。サニーボーイの父ジョックは現役成績12戦7勝。マルセル・ブサック氏の所有馬で、ジェベルのペースメーカーとして使われながら走り、マレショー賞・ドーヴィル大賞を制した。ジョックの父アステリューはテディ産駒で、現役成績16戦7勝。英チャンピオンS・仏2000ギニー・グレフュール賞の勝ち馬で、1934年の仏首位種牡馬にもなっている。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は、サングスター氏が愛国に所有するスワッテナムスタッドで繁殖入りした。本馬は繁殖牝馬としても優れた実績を挙げた。
6歳時に産んだ初子の牡駒レイクエリー(父キングスレイク)はセントサイモンS(英GⅢ)に勝つなど13戦6勝。8歳時に産んだ2番子の牡駒ノルディックレジェンド(父ノーザンダンサー)は1戦未勝利。9歳時に産んだ3番子の牝駒ノクターナルソング(父ノーザンダンサー)は不出走。10歳時に産んだ4番子の牡駒アンティサー(父ノーザンダンサー)はギョームドルナノ賞(仏GⅡ)に勝つなど10戦3勝。13歳時に産んだ5番子の牡駒ウェインカウンティ(父サドラーズウェルズ)はジョンポーターS(英GⅢ)で2着するなど27戦4勝。
14歳時に産んだ6番子の牡駒カーネギー(父サドラーズウェルズ)は凱旋門賞(仏GⅠ)・サンクルー大賞(仏GⅠ)・ユジェーヌアダム賞(仏GⅡ)・ニエユ勝(仏GⅡ)・フォワ賞(仏GⅢ)に勝つなど13戦7勝(詳細は当馬の項を参照)。カーネギーの凱旋門賞制覇は史上初の同競走母子制覇でもあった(アーバンシーとシーザスターズが2例目)。
15歳時に産んだ7番子の牝駒オンフルール(父サドラーズウェルズ)は6戦2勝。17歳時に産んだ8番子の牝駒マイエンヌ(父ヌレイエフ)、18歳時に産んだ9番子の牝駒ラマルク(父ヌレイエフ)、19歳時に産んだ10番子の牝駒ヴァランセ(父サドラーズウェルズ)、21歳時に産んだ11番子の牝駒ロワールバレー(父サドラーズウェルズ)、24歳時に産んだ12番子の牝駒メンヌトゥ(父アントレプレナー)の5頭は全て不出走だった。2001年5月、最後の子であるメンヌトゥを産んだ直後に本馬は他界した。
カーネギーが種牡馬として主に豪州で活躍したほかに、マイエンヌの孫にバニンパイア【リブルスデールS(英GⅡ)・ロイヤルホイップS(愛GⅡ)・バリサックスS(愛GⅢ)・ブルーウインドS(愛GⅢ)・ノーブレスS(愛GⅢ)】、メンヌトゥの子にオバマルール【ダンスデザインS(愛GⅢ)】、オサイラ【プリンセスマーガレットS(英GⅢ)・ネルグウィンS(英GⅢ)】が出るなど、地味ながらも牝系を維持している。