リヴァーマン

和名:リヴァーマン

英名:Riverman

1969年生

鹿毛

父:ネヴァーベンド

母:リヴァーレディ

母父:プリンスジョン

種牡馬として大成功を収めて名馬ミルリーフと共に父ネヴァーベンドの血を後世に広める立役者となった仏2000ギニー馬

競走成績:2・3歳時に仏英で走り通算成績8戦5勝2着2回3着1回

誕生からデビュー前まで

ボールドイーグルアクアク、それに本馬の父ネヴァーベンドなどの生産者として知られるハリー・フランク・グッゲンハイム大尉により米国ケンタッキー州において生産された。ボールドイーグル、アクアク、ネヴァーベンドはいずれもグッゲンハイム大尉の所有馬として走ったが、本馬は1歳時のキーンランドセールで売りに出された。そしてジェルメーヌ・レベル・ウェルトハイマー夫人により4万1000ドルで購入された。

ウェルトハイマー夫人の夫ピエール・ウェルトハイマー氏はココ・シャネル女史と一緒に仏国の世界的ファッションブランド・シャネルの事業拡大に成功した実業家であっただけでなく、仏グランクリテリウム・フォレ賞・イスパーン賞の勝ち馬エピナードなどの名馬を所有していた馬主でもあったが、1965年に77歳で死去していた。ウェルトハイマー夫人は亡き夫の後を継いで馬主活動を続けており、ウェルトハイマー氏が懇意にしていた仏国アレック・ヘッド調教師に所有馬を預けていた。本馬と同世代のリファールもまたウェルトハイマー夫人の所有馬であり、共にヘッド師の管理馬となった。主戦はヘッド師の息子フレデリック・ヘッド騎手が務めた。

競走生活(2歳時)

2歳8月にドーヴィル競馬場で行われたリステッド競走ヤコウレフ賞(T1000m)でデビューして勝利。このヤコウレフ賞は仏国の2歳リステッド競走の中では最大の出世レースであり、本馬より以前には、仏1000ギニー馬バンシー(トウルビヨンの祖母)、仏ダービー・パリ大賞・仏共和国大統領賞の勝ち馬サルダナパル、エピナード、仏オークス・ジャックルマロワ賞の勝ち馬アンフロード、エクリプスS・英チャンピオンSの勝ち馬ジェダー、モルニ賞・サンクルー大賞の勝ち馬シンガクゴーク、仏グランクリテリウム・モルニ賞・仏1000ギニー・仏オークスの勝ち馬アポロニア、英1000ギニー・サラマンドル賞・仏グランクリテリウム・ジャックルマロワ賞・ムーランドロンシャン賞・英チャンピオンSの勝ち馬フラダンサーなどが、本馬の翌年にはキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS2連覇のダリアが、さらにその翌年には英2000ギニーなどGⅠ競走4勝のノノアルコが、そのまた翌年にはサラマンドル賞・仏グランクリテリウムの勝ち馬マナードが、その後もミスワキマキャヴェリアンが勝つなど、名馬の登竜門的レースとなっていた。このレースを勝った本馬もまた名馬への道を歩み始めたのだった。

次走のクリテリウムドメゾンラフィット(仏GⅡ・T1400m)では、後の愛ダービー馬スティールパルスの首差2着に破れたが、後の仏1000ギニー馬マタハリには先着した。2歳時は2戦1勝の成績だったが、英タイムフォーム社のレーティングでは128ポンドの数値が与えられた。これはこの年の仏国調教2歳馬の中では、仏グランクリテリウムでスティールパルスを2着に破って勝ったハードツービートの130ポンド、スティールパルスの129ポンドに次ぐ高い評価だった。

競走生活(3歳時)

3歳時は4月にサンクルー競馬場で行われたモンテニカ賞(T1500m)から始動して勝利。次走の仏2000ギニー(仏GⅠ・T1600m)では、フォンテーヌブロー賞を勝ってきたハードツービート、モルニ賞の勝ち馬ダーリングディスプレイなどとの対戦となった。ここではヘッド騎手ではなくジャン・クロード・ドサン騎手が騎乗した本馬は最後方を進み、直線入り口でもまだ最後方。ここで馬群の中団後方にいたギフトカードが直線一気の末脚を繰り出し、馬群の間を突き抜けて残り300m地点で先頭に立ったときには、そのままギフトカードが勝つと思われた。ところがギフトカードの直後から猛然と追い込んできた本馬が残り200m地点でギフトカードに並びかけると、叩き合いを3/4馬身差で制して勝利した。

その後はリュパン賞・仏ダービー路線には向かわず(仏2000ギニーで着外だったハードツービートが両競走とも勝っている)、ジャンプラ賞(仏GⅡ・T1800m)に出走した。そして2着マイスノッブに3馬身差、3着となったシェーヌ賞の勝ち馬バナルドにはさらに2馬身差をつけて完勝した。次走のイスパーン賞(仏GⅠ・T1850m)では、前月のウエストベリーSで無敗のブリガディアジェラードに半馬身差の2着まで迫ったバリーホット、サンロマン賞・ロシェット賞の勝ち馬シャラプールといった実力派の古馬勢が対戦相手となった。しかし本馬が2着シャラプールに2馬身差、3着バリーホットにはさらに3馬身差をつけて勝利した。

その後は、同馬主同厩のリファールが英ダービーと愛ダービーで敗れたリベンジの意味合いもあったのか、渡英してキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英GⅠ・T12F)に出走した。愛ダービーを勝ってきたスティールパルス、愛セントレジャー・ジャンプラ賞・クイーンズヴァーズの勝ち馬パーネル、伊グランクリテリウム・伊ダービーの勝ち馬ゲイルーザックなどの姿もあったが、対戦相手の筆頭格は、英2000ギニー・ミドルパークS・サセックスS・英チャンピオンS・エクリプスS・セントジェームズパレスS・グッドウッドマイル・クイーンエリザベスⅡ世S・ロッキンジS・プリンスオブウェールズS・ウエストベリーSなど14戦無敗のブリガディアジェラードを置いて他にはいなかった(ブリガディアジェラードと並ぶ現役欧州最強馬だった同父のミルリーフは体調不良のため回避していた)。結果は馬群の中団から抜け出したブリガディアジェラードが2着パーネルを1馬身半抑えて勝ち、本馬はパーネルからさらに5馬身半差の3着に敗退。ブリガディアジェラードの項に書いたとおり、ブリガディアジェラードにとっては会心のレースではなく、その理由は距離が長かったためだと思われるが、本馬にとっても距離が長かったように思われる。

その後は秋の英チャンピオンS(英GⅠ・T10F)に直行した。このレースには、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSの次走ベンソン&ヘッジズ金杯でロベルトの2着に敗れて連勝が15で止まったものの、その次走のクイーンエリザベスⅡ世Sを何事も無かったかのように圧勝してきたブリガディアジェラードも出走してきて、本馬とは2度目の対戦となった。レースではブリガディアジェラードが先行して本馬がそれをマークするように好位につけた。残り3ハロン地点でブリガディアジェラードが先頭に立つと本馬も仕掛けてブリガディアジェラードの横まで上がってきた。しかしブリガディアジェラードはやはり手強く、ここから徐々に差を広げられた。本馬は3着に入ったアールオブセフトンSの勝ち馬ロードデイビッドには4馬身差をつけたものの、ブリガディアジェラードから1馬身半差の2着に敗退。ブリガディアジェラードはこのレースを最後に競走馬を引退したが、本馬もこのレースを最後に3歳時6戦4勝の成績で競走馬を引退した。最後の2戦ではブリガディアジェラードの引き立て役になってしまったが、これは相手が悪かったためであり、本馬自身は一流と言える競走成績を残している。

血統

Never Bend Nasrullah Nearco Pharos Phalaris
Scapa Flow
Nogara Havresac
Catnip
Mumtaz Begum Blenheim Blandford
Malva
Mumtaz Mahal The Tetrarch
Lady Josephine
Lalun Djeddah Djebel Tourbillon
Loika
Djezima Asterus
Heldifann
Be Faithful Bimelech Black Toney
La Troienne
Bloodroot Blue Larkspur
Knockaney Bridge
River Lady Prince John Princequillo Prince Rose Rose Prince
Indolence
Cosquilla Papyrus
Quick Thought
Not Afraid Count Fleet Reigh Count
Quickly
Banish Fear Blue Larkspur
Herodiade
Nile Lily Roman Sir Gallahad Teddy
Plucky Liege
Buckup Buchan
Look Up
Azalea Sun Teddy Teddy
Sunmelia
Coquelicot Man o'War
Fleur

ネヴァーベンドは当馬の項を参照。

母リヴァーレディは米国産馬で、現役時代は米国で走り18戦3勝。本馬以外に特筆できる競走成績を挙げた子はいないのだが、孫世代以降からは活躍馬が続出。その中で最大の大物は、本馬の半妹プッシュアボタン(父ボールドラッドIRE)の孫であるロックオブジブラルタル【英2000ギニー(英GⅠ)・愛2000ギニー(愛GⅠ)・仏グランクリテリウム(仏GⅠ)・デューハーストS(英GⅠ)・セントジェームズパレスS(英GⅠ)・サセックスS(英GⅠ)・ムーランドロンシャン賞(仏GⅠ)】で決まりだろう。また、本馬の半妹フレンドリーファイナンス(父オークションリング)の子には日本で走ったケイウーマン【京都四歳特別(GⅢ)】がおり、ケイウーマンの子にはモンテクリスエス【ダイヤモンドS(GⅢ)】がいる。リヴァーレディの半姉アップオアーズ(父ターントゥ)の曾孫にはノーモアスピーディ【京成杯(GⅢ)】、ベストタイアップ【中山金杯(GⅢ)2回・東京新聞杯(GⅢ)】が、リヴァーレディの半妹リリーオブザナイル(父ネヴァーベンド)の子にはアスワン【京成杯・NHK杯】、孫にはセンリョウヤクシャ【阪急杯(GⅢ)】、曾孫にはイブキインターハイ【京都四歳特別(GⅢ)】、ユメノシルシ【新潟記念(GⅢ)】、ショウワモダン【安田記念(GⅠ)・ダービー卿チャレンジトロフィー(GⅢ)】、玄孫にはシャドウスケイプ【根岸S(GⅢ)・クラスターC(GⅢ)】、トーセンシャナオー【セントライト記念(GⅡ)】、ダンスアジョイ【小倉記念(GⅢ)】がいるなど、日本における活躍馬が結構出ている牝系である。リヴァーレディの祖母アザレアの半兄にはパヴォット【ベルモントS・サラトガスペシャルS・ベルモントフューチュリティS・ホープフルS・ジョッキークラブ金杯】がいる。→牝系:F10号族①

母父プリンスジョンは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、管理調教師のヘッド氏が所有していた仏国ケスネー牧場で種牡馬入りした。3年目産駒のアイリッシュリヴァーの大活躍で1978年の仏2歳首位種牡馬になった。アイリッシュリヴァーが翌1979年も大活躍したため、本馬は1800万ドル(当時の為替レートで約45億円)の種牡馬シンジケートが組まれ、1980年に米国ケンタッキー州ゲインズウェイファームに移動した。この1980年と翌1981年には、いずれも4年目産駒であるデトロワゴールドリヴァーが凱旋門賞を勝ち、2年連続で仏首位種牡馬に輝いている。1982年には2度目の仏2歳首位種牡馬を獲得。米国においても多くの活躍馬を送り出し、ミルリーフと共に父ネヴァーベンドの系統を後世に広げる原動力となった。産駒は仕上がり早く、スピードに優れ、大レース向きの底力やスタミナも持ち合わせていた。また、前述の凱旋門賞馬2頭や、鉄の女トリプティクなど、牡馬相手でも引けを取らない大物牝馬の活躍も目立った。牡馬はマイル戦で、牝馬は10~12ハロンの距離で活躍する傾向があった。1999年7月にゲインズウェイファームにおいて30歳の高齢で他界した。

アイリッシュリヴァーが後継種牡馬として成功し、直系は現在も残っているがそれほど繁栄はしていない。むしろ繁殖牝馬の父としての活躍が顕著で、ハイエストオナーヘクタープロテクターシャンハイボスラシャムカーネギーエルハーブスピニングワールドシックスパーフェクションズマカイビーディーヴァ、エリモエクセル、アロンダイトなど本馬を母の父に持つ活躍馬は枚挙に暇がないほどである。本馬自身ではないが、ウオッカの母父は本馬産駒のルションであり、日本の血統界に与えた影響も決して小さくない。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1974

Olantengy

フォルス賞(仏GⅢ)

1975

River Knight

ロシェット賞(仏GⅢ)

1975

Tarek

クリテリウムドサンクルー(仏GⅡ)・ミュゲ賞(仏GⅢ)

1976

Irish River

モルニ賞(仏GⅠ)・サラマンドル賞(仏GⅠ)・仏グランクリテリウム(仏GⅠ)・仏2000ギニー(仏GⅠ)・イスパーン賞(仏GⅠ)・ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)・ムーランドロンシャン賞(仏GⅠ)・フォンテーヌブロー賞(仏GⅢ)

1976

Ramanouche

エクリプス賞(仏GⅢ)

1976

Water Lily

ネクストムーヴH(米GⅢ)

1976

Waterway

カルヴァドス賞(仏GⅢ)

1977

Detroit

凱旋門賞(仏GⅠ)・フィユドレール賞(仏GⅢ)・クロエ賞(仏GⅢ)・ノネット賞(仏GⅢ)・フォワ賞(仏GⅢ)

1977

Gold River

凱旋門賞(仏GⅠ)・ロワイヤルオーク賞(仏GⅠ)・カドラン賞(仏GⅠ)・ジャンプラ賞(仏GⅡ)・ポモーヌ賞(仏GⅢ)

1977

Policeman

仏ダービー(仏GⅠ)

1978

Bellman

ユジェーヌアダム賞(仏GⅡ)・リス賞(仏GⅢ)

1978

Dunphy

シェーヌ賞(仏GⅢ)・ダフニ賞(仏GⅢ)

1978

Votre Altesse

レゼルヴォワ賞(仏GⅢ)・フロール賞(仏GⅢ)

1979

River Lady

仏1000ギニー(仏GⅠ)・グロット賞(仏GⅢ)

1980

Belka

レゼルヴォワ賞(仏GⅢ)

1981

Akabir

ブーゲンヴィリアH(米GⅡ)・ディキシーH(米GⅡ)

1981

Rousillon

サセックスS(英GⅠ)・ムーランドロンシャン賞(仏GⅠ)・クリスタルマイル(英GⅡ)・クイーンアンS(英GⅡ)

1982

Korveya

クロエ賞(仏GⅢ)

1982

Minneapple

セミノールH(米GⅡ)

1982

Rivlia

ハリウッドパーク招待ターフH(米GⅠ)・カールトンFバークH(米GⅠ)・サンルイレイS(米GⅠ)・ゴールデンゲートH(米GⅡ)・エスペランス賞(仏GⅢ)

1982

Sulaafah

モエエシャンドンレネン(独GⅡ)・バーデナーマイレ(独GⅢ)

1982

Triptych

マルセルブサック賞(仏GⅠ)・愛2000ギニー(愛GⅠ)・英チャンピオンS(英GⅠ)2回・ガネー賞(仏GⅠ)・コロネーションC(英GⅠ)2回・マッチメイカー国際S(英GⅠ)・愛チャンピオンS(愛GⅠ)・ラクープ(仏GⅢ)・プランスドランジュ賞(仏GⅢ)

1983

Adorable Micol

カウンテスファーガーH(米GⅢ)

1983

Barger

ヴァントー賞(仏GⅢ)

1983

Pillaster

レムセンS(米GⅠ)・ラトガーズH(米GⅡ)・ピリグリムS(米GⅢ)

1984

Bin Shaddad

シュプレティレネン(独GⅢ)・ゲルゼンキルヒェン経済大賞(独GⅢ)・バーデナーマイレ(独GⅢ)

1984

Dowsing

スプリントC(英GⅠ)・ダイアデムS(英GⅢ)

1984

Half a Year

セントジェームズパレスS(英GⅡ)

1984

River Memories

ロスマンズ国際S(加GⅠ)・フラワーボウルH(米GⅠ)・モーリスドニュイユ賞(仏GⅡ)・ポモーヌ賞(仏GⅡ)・ロワイヨモン賞(仏GⅢ)

1984

Wilderness Bound

カリフォルニアジュヴェナイルS(米GⅢ)

1986

Al Maheb

ケルゴルレイ賞(仏GⅡ)・ドンカスターC(英GⅢ)

1986

River Warden

ユジェーヌアダム賞(仏GⅡ)

1987

Houseproud

仏1000ギニー(仏GⅠ)・グロット賞(仏GⅢ)

1987

Marshua's River

スワニーリヴァーH(米GⅢ)・バックラムオークH(米GⅢ)

1987

Never Black

オールアメリカンH(米GⅢ)

1987

Qathif

サンセットH(米GⅡ)

1987

Qirmazi

カブール賞(仏GⅢ)・ヴァントー賞(仏GⅢ)

1987

Rami

コンコルドS(愛GⅢ)

1987

Riverullah

ナポリ市大賞(伊GⅢ)

1988

Ganges

クリテリウムドメゾンラフィット(仏GⅡ)・フォートハロッドS(米GⅢ)

1988

Hailsham

伊ダービー(伊GⅠ)・サンダウンクラシックトライアルS(英GⅢ)

1988

Lahib

クイーンエリザベスⅡ世S(英GⅠ)・クイーンアンS(英GⅡ)

1988

Latin American

カリフォルニアンS(米GⅠ)・ニューオーリンズH(米GⅢ)

1988

Treble

サンタラリ賞(仏GⅠ)

1989

All At Sea

ムーランドロンシャン賞(仏GⅠ)・ムシドラS(英GⅢ)

1989

Revasser

タイダルH(米GⅡ)

1989

River Nymph

ノネット賞(仏GⅢ)

1990

River Special

ノーフォークS(米GⅠ)・ハリウッドフューチュリティ(米GⅠ)・デルマーフューチュリティ(米GⅡ)

1990

Virginia Rapids

カーターH(米GⅠ)・ピーターパンS(米GⅡ)・トムフールS(米GⅡ)・ウエストチェスターH(米GⅢ)

1991

Allez Les Trois

フロール賞(仏GⅢ)

1991

River Deep

ジャージーS(英GⅢ)

1991

River Flyer

ハリウッドダービー(米GⅠ)・サンマルコスH(米GⅡ)・タンフォランH(米GⅢ)

1992

Bahri

セントジェームズパレスS(英GⅠ)・クイーンエリザベスⅡ世S(英GⅠ)

1992

Vetheuil

ミュゲ賞(仏GⅡ)

1993

Ahkaam

ベレスフォードS(愛GⅢ)

1993

Android

ジョンシェール賞(仏GⅢ)

1994

Keos

ゴールデネパイチェ(独GⅡ)・リゾランジ賞(仏GⅢ)・セーネワーズ賞(仏GⅢ)・リゾランジ賞(仏GⅢ)

1994

Kingfisher Mill

キングエドワードⅦ世S(英GⅡ)・カンバーランドロッジS(英GⅢ)

1994

Loup Sauvage

イスパーン賞(仏GⅠ)・プランスドランジュ賞(仏GⅢ)・エクスビュリ賞(仏GⅢ)

1996

Alabaq

バグッタ賞(伊GⅢ)

1996

Brancaster

ホーリスヒルS(英GⅢ)

1996

Worldly Manner

デルマーフューチュリティ(米GⅡ)・ベストパルS(米GⅢ)

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