リファール

和名:リファール

英名:Lyphard

1969年生

鹿毛

父:ノーザンダンサー

母:グーフド

母父:コートマーシャル

名馬ダンシングブレーヴを筆頭に数々の優駿を送り出し、父ノーザンダンサーの後継種牡馬として活躍した名マイラー

競走成績:2・3歳時に仏英愛で走り通算成績12戦6勝2着1回

誕生からデビュー前まで

米国ペンシルヴァニア州でJ・O・バーグウィン夫人により生産された。当歳時のキーンランド11月セールに出品され、愛国エアリースタッドの所有者ティム・ロジャース氏により3万5千ドル(当時の為替レートで約1260万円)で購買された。この価格は当時としては決して安いものではないが、本馬が当歳時の1969年は、父ノーザンダンサーが種牡馬として大ブレイクする寸前(当歳時に8万4千ドルで取引された同父のニジンスキーが英国三冠馬となるのは翌1970年)だったため、まだ掘り出し物の類だったと言える。このセリには名馬主ロバート・サングスター氏も参加していたのだが、本馬の小柄な馬体を嫌ったのか入札に加わらなかった。

ロジャース氏は1歳になった本馬を、今度はタタソールズ社が英国ニューマーケットで10月に実施したセリに出品した。ニジンスキーが競走馬として猛威を振るった直後の時期だったが、しかし素晴らしい馬体の持ち主だったニジンスキーと異なり、本馬は父ノーザンダンサーに似て小柄でずんぐりしていたため、このセリの参加者からの評価は軒並み低かった。世界的名伯楽ヴィンセント・オブライエン調教師もこのセリに参加していたが、本馬には興味を示さなかった。本馬の落札価格は1万5千ギニー(当時の為替レートで約1300万円)で、ロジャース氏が最初に購入したときと大差なかった(育成費用などを考慮するとロジャース氏は結局損をしたことになる)。

本馬を購入したのは、ジェルメーヌ・レベル・ウェルトハイマー夫人の代理人だった仏国アレック・ヘッド調教師だった(ウェルトハイマー夫人の経歴については、本馬と同世代同馬主同厩のリヴァーマンの項を参照してほしい)。そして本馬はウェルトハイマー夫人の所有馬として、ヘッド師の管理馬となった。成長しても体高15.2ハンド(これは父ノーザンダンサーの体高と同じ数値である)にしかならなかった本馬だが、ノーザンダンサーから受け継いだ気性の強さを良い方向に発揮し、調教では闘争心を顕わにしたという。本馬とリヴァーマンは共に育成され、2歳時のデビュー時期にはリヴァーマンが厩舎1番手で、本馬が厩舎2番手の評価を受けるようになった。しかし最初からマイラーとしての資質を見出されていたリヴァーマンと異なり、本馬に対しては10ハロン前後の距離がベストだろうという見立てだった。

競走生活(3歳初期まで)

2歳9月にロンシャン競馬場で行われたサンフィルミン賞(T1000m)でデビューしたが4着に敗退。すぐにメゾンラフィット競馬場に移動して出たハドソンリバー賞(T1500m)で勝ち上がった。次走はトランブレパーク競馬場で行われたヘロド賞(T1600m)となった。ここでは古馬顔負けの驚異的な末脚で勝利した。しかし続くトーマブリョン賞(仏GⅢ・T1500m)では、牝馬ファーストブルーム、ジャンプラ賞の勝ち馬ロクリの半弟ファウヌス、後の仏1000ギニー馬マタハリなどに敗れて、ファーストブルームの6着に敗退。2歳時の成績は4戦2勝となった。

3歳時は3月にメゾンラフィット競馬場で行われたラグランジュ賞(T2000m)から始動した。例年はサンクルー競馬場で行われるこのラグランジュ賞、かつては凱旋門賞馬ジェベルササフラが3歳シーズン初戦として選択した競走であり、レースの距離からしても、この時点で陣営は本馬を2000m以上の路線に進ませる腹積もりだった事が容易に推察できる(同厩のリヴァーマンと使い分ける方針もあったのだろう)。結果は本馬が、後にジャンドショードネイ賞・フォワ賞を勝ちサンクルー大賞でラインゴールドの2着するダイレクトフライトを2着に破って勝利した。次走のダリュー賞(仏GⅡ・T2100m)では、後のパリ大賞2着馬スカワを4馬身差の2着に破って勝利。

続いてリュパン賞(仏GⅠ・T2100m)に出走した。ここでは仏グランクリテリウム・フォンテーヌブロー賞の勝ち馬ハードツービート、ギシュ賞の勝ち馬ヴィタネール、仏2000ギニー2着馬ギフトカードなどが対戦相手となった。実績最上位のハードツービートは前走の仏2000ギニーでリヴァーマンの着外に終わっており、本馬が優勢かと思われたのだが、結果はハードツービートが勝ち、本馬は2馬身3/4差の4着と完敗した。トニー・モリス氏はこの敗因を、騎手の自信過剰によるものだとしているが、具体的にどのような騎乗をしたのかまでモリス氏は書いていないため詳細は不明である。

競走生活(3歳中期以降)

次走は仏ダービー(ハードツービートが勝っている)ではなく、英ダービー(英GⅠ・T12F)となった。愛ナショナルS・アングルシーSなどの勝ち馬で英2000ギニー2着のロベルト、ロイヤルロッジSの勝ち馬ヤロスラフ、クリテリウムドメゾンラフィットの勝ち馬で仏グランクリテリウム・オブザーヴァー金杯2着のスティールパルス、チェスターヴァーズの勝ち馬オーミンド、ダンテSの勝ち馬ラインゴールド、ブルーリバンドトライアルS2着馬スコティッシュライフル、リングフィールドダービートライアルSの勝ち馬チャリング、ホワイトローズSの勝ち馬でダンテS2着のモールトン、サンダウンクラシックトライアルSの勝ち馬でオブザーヴァー金杯3着のペントランドファースなどが対戦相手となった。ロベルトが1番人気で、本馬が2番人気となった。しかしレースでは何の見せ場も無く、ロベルトの15着と大惨敗を喫してしまった。

その後は愛ダービー(愛GⅠ・T12F)に向かった。ロベルトに加えて、英ダービーでいずれも着外だったスティールパルスとスコティッシュライフル、愛2000ギニーを勝ってきたバリモアなどが対戦相手だった。結果は前走プリンスオブウェールズSでブリガディアジェラードの2着と健闘していたスティールパルスが勝ち、本馬は5着に敗退(12着に沈んだロベルトには一応先着した)。

この段階で陣営は本馬をマイル路線へ、リヴァーマンを10ハロン以上の路線へと、2頭の進む道を入れ代えることにした。

まずはジャックルマロワ賞(仏GⅠ・T1600m)に出走。英2000ギニー・オブザーヴァー金杯の勝ち馬でサセックスS2着のハイトップ、後にクイーンエリザベスⅡ世Sを勝つジャンエケルズといったマイル路線の強豪馬が参戦してきたが、強烈な末脚を披露した本馬が2着ハイトップに鼻差で勝ち、マイラーとしての資質を証明した。

次走のムーランドロンシャン賞(仏GⅠ・T1600m)では、サセックスS・リッチモンドS・グッドウッドマイル・ポルトマイヨ賞・ダイオメドSを勝っていたサルストに屈して3/4馬身差の2着に敗れたが、モルニ賞・ジョンシェール賞の勝ち馬で仏2000ギニー3着のダーリングディスプレイなどには先着した。

その後は距離をさらに一段階縮めて、フォレ賞(仏GⅠ・T1400m)に向かった。そして豪快な追い込みを決めて、2着となったグリーナムSの勝ち馬で愛2000ギニー2着のマルティマスに1馬身半差で快勝し、仏国最強マイラーの座に上り詰めた。そしてこのレースを最後に、3歳時8戦4勝の成績で競走馬を引退した。

馬名に関して

馬名はウェルトハイマー夫人の命名によるもので、ウクライナ出身の名バレエダンサー兼振付師であるセルジュ・リファール(ヴァツラフ・ニジンスキーの妹ブロニスラヴァ・ニジンスカの下で学び、ロシアや仏国で活躍した)に由来していると海外の資料にも明記されている。もっとも、セルジュ・リファールは仏語で“Serge Lifar”と書くから、ウェルトハイマー夫人は“Lyphard”に綴りを変えた事になる。

あと、日本では殆ど知られていないが、本馬の馬名の読み方に関しては論争があるらしい。日本では「リファール」が一般的とされているが、実は「リーファード(Lee-Fard)」と読むのが海外では一般的なのだという。もっとも、この説が書かれているのは英国の資料であり、英国の人は何でもかんでも英語読みをする傾向があるから、あまり当てにしないほうが良いだろう。本馬は仏国調教馬であるし、由来となった人物の名前“Lifar”からしても「リファール」のほうが自然である。

血統

Northern Dancer Nearctic Nearco Pharos Phalaris
Scapa Flow
Nogara Havresac
Catnip
Lady Angela Hyperion Gainsborough
Selene
Sister Sarah Abbots Trace
Sarita
Natalma Native Dancer Polynesian Unbreakable
Black Polly
Geisha Discovery
Miyako
Almahmoud Mahmoud Blenheim
Mah Mahal
Arbitrator Peace Chance
Mother Goose 
Goofed Court Martial Fair Trial Fairway Phalaris
Scapa Flow
Lady Juror Son-in-Law
Lady Josephine
Instantaneous Hurry On Marcovil
Tout Suite
Picture Gainsborough
Plymstock
Barra Formor Ksar Bruleur
Kizil Kourgan
Formose Clarissimus
Terre Neuve
La Favorite Biribi Rabelais
La Bidouze
La Pompadour La Farina
Fly Away

ノーザンダンサーは当馬の項を参照。

母グーフドは現役時代に米国で走り、レディーズHに勝つなど23戦4勝の成績を挙げた。繁殖牝馬としてはかなり優秀で、本馬の半弟バルカス(父セイラー)【ボーリンググリーンH(米GⅡ)・ディキシーH(米GⅡ)】、半妹ノビリアリー(父ヴェイグリーノーブル)【サンタラリ賞(仏GⅠ)・ワシントンDC国際S(米GⅠ)・グロット賞(仏GⅢ)】も産んでいる。牝系子孫も相当に発展しており、本馬の半妹ダムフライズ(父レヴュワー)の孫にはノーレヴュー【サンタバーバラH(米GⅠ)・サンゴルゴーニオH(米GⅡ)】、ダンスコロニー【アディロンダックS(米GⅡ)・アスタリタS(米GⅡ)】、アナザーレビュー【カリフォルニアンS(米GⅠ)・サンバーナーディノH(米GⅡ)・マーヴィンルロイH(米GⅡ)】、アーベーン【アッシュランドS(米GⅠ)・ジョンAモリスH(米GⅠ)】、曾孫には日本で走ったキングリファール【しらさぎ賞・アフター5スター賞・テレビ埼玉杯】、玄孫にはアシュカルウェイ【サイテーションH(米GⅠ)】、フラワーアレイ【トラヴァーズS(米GⅠ)】、カヴォーティング【テストS(米GⅠ)】、日本で走ったトーセンラー【マイルCS(GⅠ)・京都記念(GⅡ)・きさらぎ賞(GⅢ)】とスピルバーグ【天皇賞秋(GⅠ)】の兄弟がいる。また、本馬の半妹バーブスボールドの孫にはマジカルミス【MRC1000ギニー(豪GⅠ)・クラウンオークス(豪GⅠ)】、日本と海外で活躍したシーキングザパール【NHKマイルC(GⅠ)・モーリスドギース賞(仏GⅠ)・デイリー杯三歳S(GⅡ)・ニュージーランドトロフィー四歳S(GⅡ)・シンザン記念(GⅢ)・フラワーC(GⅢ)・シルクロードS(GⅢ)】、マヤノスターダム【阪神ジャンプS(JGⅢ)】、曾孫にはシーキングザダイヤ【ニュージーランドトロフィー(GⅡ)・日本テレビ盃(GⅡ)・浦和記念(GⅡ)・アーリントンC(GⅢ)・兵庫ゴールドトロフィー(GⅢ)】がいる。本馬の半妹インスローラー(父ボールドフォーブス)の孫には日本で走ったジュビレーション【JTB賞】がいる。グーフドの母バーラの半姉ロクスラーヌの子にはルルーガルー【クリテリウムドサンクルー・カドラン賞】がいる。→牝系:F17号族

母父コートマーシャルは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、仏国ノルマンディー郡バイユーの近郊にあるエトラム牧場で種牡馬入りした。本馬が種牡馬生活を開始した1973年は、父ノーザンダンサーの評価が固まりつつあった時期であり、ノーザンダンサーとよく似た体格の持ち主だった本馬は当初から人気種牡馬だった。幼少期の本馬の評価を下げたその体格は、種牡馬入りして逆に評価を高める要因となったわけである。

1976年に初年度産駒がデビュー。この年にデュルタルがチェヴァリーパークSを、ファーリーがフォレ賞を勝ち、英愛新種牡馬ランキングでは1位になった。これに先立つ1974年にウェルトハイマー夫人が死去していた事もあり、翌1977年に米国ケンタッキー州ゲインズウェイファームに移動して、翌年から米国で種牡馬生活を続けた。1980年には同僚だったリヴァーマンもゲインズウェイファームにやってきて、競走馬としては1度も対戦しなかった2頭が同じ牧場で凌ぎを削り、2頭揃って大成功を収めた。本馬は1978・79年に仏首位種牡馬に輝き、1980・81年にはリヴァーマンが仏首位種牡馬を獲得した。

最も本馬の名を高めたのは1983年に産まれた10年目産駒である。欧州ではダンシングブレーヴ、米国ではマニラというチャンピオンホースが出現し、超一流種牡馬としての地位を確立した。1986年には北米首位種牡馬に輝き、1985・86年には仏母父首位種牡馬にもなっている。

父としては115頭、母父としては206頭のステークスウイナーを出した。自身のスピードに加え、母系のスタミナも活かした産駒が多く、10~12ハロンを得意とする産駒が多かった。ダートの活躍馬もいないわけではないが、明らかに芝向きの種牡馬であり、米国でも芝競走の活躍馬が目立った。闘争心と瞬発力は超一流で、しかもパワフルなため重馬場も苦にしなかった。

1996年に受精率低下を理由に種牡馬を引退。その後もゲインズウェイファームで悠々自適の余生を送り、2005年6月10日に老衰のため安楽死の措置が執られた。生年月日は1969年5月10日であるから、その寿命は実に36年31日に及んだ。歴史上には本馬より長生きしたサラブレッドもいないわけではない(例えば1965年に米国で産まれてビングクロスビーH・サンバーナーディノHを勝ったバーゲンデイという馬は2002年に他界するまで37年17日生きた。また、豪州で1935年に生まれたタンゴデュークは1978年が没年なので42歳まで生きた計算になる。もっともタンゴデュークのほうは伝説めいているとされている)が、記録的な長寿だった事には間違いが無く、当時世界最長寿の馬だったと各記事で言われている。ちなみに日本のサラブレッドで最長寿だった五冠馬シンザンは35年3か月11日生きた。2014年8月にその記録を更新したアローハマキヨ(現名シャルロット)は2015年5月14日に36歳の誕生日を迎え、現在は本馬の寿命を超えている。

日本では直子のモガミとリイフォー、後年にはダンシングブレーヴが種牡馬として輸入されて成功を収め、仏国では直系のリナミックスが成功、ブラジルでは直子のガディアーが成功しているが、最近はやや衰退気味である。むしろ母系に入って影響力を保っていきそうである。繁殖牝馬の父としてはベーリング、バブルガムフェローなどが出ている。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1974

Durtal

チェヴァリーパークS(英GⅠ)・フレッドダーリンS(英GⅢ)

1974

Pharly

フォレ賞(仏GⅠ)・リュパン賞(仏GⅠ)・ムーランドロンシャン賞(仏GⅠ)・ロンポワン賞(仏GⅢ)

1974

President

ギシュ賞(仏GⅢ)

1975

Calderina

マルレ賞(仏GⅡ)・サンドランガン賞(仏GⅢ)・ギャロレットH(米GⅢ)

1975

Dancing Maid

仏1000ギニー(仏GⅠ)・ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)・ヴァントー賞(仏GⅢ)・クロエ賞(仏GⅢ)

1975

Iron Ruler

ゴールデネパイチェ(独GⅢ)

1975

Lypheor

クインシー賞(仏GⅢ)

1975

North Sea

フロール賞(仏GⅢ)

1975

Reine de Saba

仏オークス(仏GⅠ)・サンタラリ賞(仏GⅠ)

1976

Bellypha

トーマブリョン賞(仏GⅢ)・ジョンシェール賞(仏GⅢ)・ダフニ賞(仏GⅢ)・クインシー賞(仏GⅢ)

1976

Lyphard's Wish

ユナイテッドネーションズH(米GⅠ)・クレイヴンS(英GⅢ)・ダンテS(英GⅢ)

1976

Mogami

1976

Singapore Girl

モーリスドニュイユ賞(仏GⅡ)

1976

Three Troikas

凱旋門賞(仏GⅠ)・仏1000ギニー(仏GⅠ)・サンタラリ賞(仏GⅠ)・ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)・アルクール賞(仏GⅡ)・ヴァントー賞(仏GⅢ)

1977

Benicia

フロール賞(仏GⅢ)

1977

Chain Bracelet

トップフライトH(米GⅠ)・シュヴィーH(米GⅡ)・ベッドオローゼズH(米GⅢ)

1977

Monteverdi

デューハーストS(英GⅠ)・愛ナショナルS(愛GⅡ)

1978

Al Nasr

イスパーン賞(仏GⅠ)・ドラール賞(仏GⅡ)・フォルス賞(仏GⅢ)・コートノルマンディ賞(仏GⅢ)・エクスビュリ賞(仏GⅢ)

1978

Euclid

ベレスフォードS(愛GⅡ)

1978

Lydian

ミラノ大賞(伊GⅠ)・ベルリン大賞(独GⅠ)・ノアイユ賞(仏GⅡ)

1978

Phydilla

エクリプス賞(仏GⅢ)・クインシー賞(仏GⅢ)

1978

Sangue

ヴァニティ招待H(米GⅠ)・イエローリボンS(米GⅠ)・メイトリアークS(米GⅠ)・イエルバブエナH(米GⅡ)・ビヴァリーヒルズH(米GⅡ)・サンタマリアH(米GⅡ)・ラモナH(米GⅡ)・プシシェ賞(仏GⅢ)・チュラヴィスタH(米GⅢ)・ゴールデンハーヴェストH(米GⅢ)

1980

Alzao

エリントン賞(伊GⅢ)

1980

Au Point

ドワイヤーS(米GⅠ)

1980

Esprit du Nord

オイロパ賞(独GⅠ)・ミラノ大賞(伊GⅠ)

1980

Legend of France

アールオブセフトンS(英GⅢ)

1980

Lyphard's Special

セプテンバーS(英GⅢ)

1980

Sabin

ゲイムリーH(米GⅠ)・イエローリボンS(米GⅠ)・サラナクS(米GⅡ)・ニューヨークH(米GⅡ)・シープスヘッドベイH(米GⅡ)2回・ブラックヘレンH(米GⅡ)・オーキッドH(米GⅡ)・マッチメイカーS(米GⅡ)・ボイリングスプリングスH(米GⅢ)・ラプレヴォヤンテH(米GⅢ)2回

1981

Dahar

リュパン賞(仏GⅠ)・センチュリーH(米GⅠ)・サンルイレイS(米GⅠ)・サンフアンカピストラーノ招待H(米GⅠ)・サンガブリエルH(米GⅢ)・サンマルコスH(米GⅢ)

1981

Ends Well

ユナイテッドネーションズH(米GⅠ)・ラトガーズH(米GⅡ)・ミシガンマイル&ワンエイスH(米GⅡ)・ホーソーン金杯(米GⅡ)

1981

Sicyos

アランベール賞(仏GⅢ)・サンジョルジュ賞(仏GⅢ)

1981

Vacarme

ミルリーフS(英GⅡ)

1982

Heraldiste

クインシー賞(仏GⅢ)

1982

Proud Debonair

グレイラグH(米GⅢ)

1983

Dancing Brave

英2000ギニー(英GⅠ)・エクリプスS(英GⅠ)・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英GⅠ)・凱旋門賞(仏GⅠ)・クレイヴンS(英GⅢ)・セレクトS(英GⅢ)

1983

Lesotho

ラクープ(仏GⅢ)2回

1983

Manila

BCターフ(米GⅠ)・アーリントンミリオンS(米GⅠ)・ユナイテッドネーションズH(米GⅠ)2回・ターフクラシックS(米GⅠ)・シネマH(米GⅡ)・レキシントンS(米GⅡ)・バランタインズスコッチクラシック(米GⅢ)

1983

Storm on the Loose

ローレルターフCS(米GⅢ)・ロイヤルパームH(米GⅢ)

1984

Mazilier

サンシメオンH(米GⅢ)

1984

Tenue de Soiree

サンジョルジュ賞(仏GⅢ)・グロシェーヌ賞(仏GⅢ)

1985

Andaleeb

ランカシャーオークス(英GⅢ)

1985

Riviere d'Or

サンタラリ賞(仏GⅠ)・オマール賞(仏GⅢ)・ヴァントー賞(仏GⅢ)

1986

Ensconse

愛1000ギニー(愛GⅠ)・ネルグウィンS(英GⅢ)

1986

Pearl Bracelet

仏1000ギニー(仏GⅠ)

1987

Funambule

シェーヌ賞(仏GⅢ)・パレロワイヤル賞(仏GⅢ)・ポルトマイヨ賞(仏GⅢ)

1987

Goofalik

ユーロC(独GⅡ)・シュマンドフェルデュノール賞(仏GⅢ)・ヴィシー大賞(仏GⅢ)

1987

Witness Box

カラーC(愛GⅢ)

1988

Fairy Garden

オーキッドH(米GⅡ)・マッチメイカーS(米GⅡ)・アシーニアH(米GⅢ)・セネカH(米GⅢ)

1988

Rainbows for Life

コノートC(加GⅡ)・サマーS(加GⅢ)・ホーソーンダービー(米GⅢ)・リグスH(米GⅢ)・ニューハンプシャースウィープH(米GⅢ)・ドミニオンデイH(加GⅢ)

1989

Jolypha

仏オークス(仏GⅠ)・ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)

1989

Queens Court Queen

サンタマリアH(米GⅠ)・サンタマルガリータ招待H(米GⅠ)・サンゴルゴーニオH(米GⅡ)・ベイメドウズオークス(米GⅢ)・カリフォルニアジョッキークラブH(米GⅢ)

1989

Skimble

ウィルシャーH(米GⅡ)・ダリアH(米GⅡ)・リヴァーシティーズBCS(米GⅢ)2回・ブエナビスタH(米GⅢ)

1990

Llandaff

ジャージーダービー(米GⅡ)・レキシントンS(米GⅢ)

1990

Lyphard's Delta

ナッソーS(英GⅡ)

1990

Pracer

リディアテシオ賞(伊GⅡ)

1990

Ski Paradise

ムーランドロンシャン賞(仏GⅠ)・京王杯スプリングC(日GⅡ)・アスタルテ賞(仏GⅡ)・サンドランガン賞(仏GⅢ)

1990

Tara Roma

レディーズH(米GⅡ)

1991

Linney Head

サンダウンクラシックトライアルS(英GⅢ)

1991

Tatami

ホーリスヒルS(英GⅢ)

1991

Waldoboro

トゥルーノースH(米GⅡ)

1992

Goldmark

仏グランクリテリウム(仏GⅠ)

1992

Labibeh

プリンセスロイヤルS(英GⅢ)

1994

Memorise

カラーC(愛GⅢ)

1994

Tresoriere

ギャロレットH(米GⅢ)

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