マニラ

和名:マニラ

英名:Manila

1983年生

鹿毛

父:リファール

母:ドナイシドラ

母父:ルファビュリュー

BCターフでダンシングブレーヴを撃破するなど芝では無敵同然の強さを誇り米国調教の芝専門馬としては初めて米国顕彰馬に選ばれる

競走成績:2~4歳時に米で走り通算成績18戦12勝2着5回

米国の競馬は黎明期からダート競走が主流であり、それは21世紀に入っても変わっていない。言い換えれば芝競走は傍流であり、ダート競走で行き詰った馬の転向先という敗者復活戦的な意味合いが大きく、また、ダート競走のトップホースが出走してきて荒らしまわる文字どおりの草刈り場でもあった。1953年に米最優秀芝馬というタイトルが創設されてから1970年代までに、ラウンドテーブルドクターファーガーフォートマーシークーガーセクレタリアトダリアといった後の米国顕彰馬達が同タイトルを受賞しているが、ほとんど欧州で調教されたダリアを除くと上記の中で芝専門馬と言えるのはせいぜいフォートマーシーだけであり、後はダート競走でも大競走を勝った馬ばかりである。それにフォートマーシーも芝に専念したわけではなく、しばしばダート競走にも出ている。1980年代に入ると、同タイトルを4度も受賞したジョンヘンリーという米国競馬史上最強芝馬が出現したが、ジョンヘンリーも芝専門馬ではなくダート競走でも活躍している。

そうした状況下で登場した本馬は、歴代米国顕彰馬の中で初めて芝路線一本に絞って活躍した米国調教馬であり、米国芝路線の地位向上に一役買った存在である。そんな本馬も、当初はダート路線からの脱落組と好勝負を演じていた程度の存在であり、それほど評価が高いわけではなかった。本馬の名を高めたのは3歳暮れに非常にレベルが高いメンバー構成だったBCターフを制したのが契機である。

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州において、エドゥアルド・コファンコ・ジュニア氏により生産・所有された。フィリピン出身のコファンコ・ジュニア氏は母国の食品・飲料業界における大物実業家だった。米ブラッドホース誌の記事によると、やはり本馬はフィリピンの首都マニラにちなんで命名されたとの事である。米国ルロワ・ジョリー調教師に預けられた。

競走生活(3歳中期まで)

2歳8月にサラトガ競馬場で行われたダート6ハロンの未勝利戦でデビューしたが、7着に完敗した。同月に同コースで出た未勝利戦も、勝ったパーフェクトバイファーから2馬身差の2着に敗退。その後は10月にアケダクト競馬場で行われたダート8ハロンの未勝利戦に出走したが、勝ったファビュラスフライトから1馬身1/4差の2着。結局2歳時は3戦未勝利に終わった。

翌1986年の2月、フィリピンでエドゥサ革命が勃発し、当時の独裁者マルコス大統領夫妻が失脚する政争となった。それに巻き込まれたコファンコ氏は本馬を手放さざるを得なくなった。本馬は、新しい馬主ブラッドリー・M・シャノン氏の元で再スタートを切る事になった。

3歳3月にハイアリアパーク競馬場で行われたダート8.5ハロンの未勝利戦で復帰すると、2着ヌーディストコロニーに8馬身差をつけて圧勝した。しかし、本馬がダート競走を走ったのはこれが最後で、以降は芝路線に転向した。

4月にキーンランド競馬場で行われた芝8.5ハロンの一般競走で芝初戦を迎え、2着シャープジニストレーリに7馬身1/4差で圧勝した。その翌週には同コースで行われたフォアランナーS(T8.5F)に出走した。このレースには、前走エヴァーグレーズSで大差の3着に敗れたために芝路線に活路を見出そうとしていたグロウという馬も出走してきた。しかし勝ったのは本馬とグロウのいずれでもなく、後のホーソーンダービーの勝ち馬オートボットであり、本馬は2馬身半差の2着、グロウはさらに3馬身半差の3着に敗れた。

さらにその1か月後には、ベルモントパーク競馬場でサラナクS(GⅡ・T8F)に出走した。ここには、前走ダービートライアルSで完敗を喫して再び芝路線に向かってきたグロウ、レムセンS・ピリグリムSの勝ち馬だがブルーグラスS6着など3歳時3連敗を喫して芝路線に向かってきたピラスターといったケンタッキーダービー断念組の姿もあった。今回はグロウが勝利を収め、本馬は1馬身3/4差2着に敗れた。

その後は米国西海岸に遠征して、6月のシネマH(GⅡ・T9F)に出走した。ここではケンタッキーダービーで15着に惨敗したために芝路線に向かってきたカリフォルニアダービー馬ヴァーノンキャスルが強敵だったが、ヴァーノンキャスルを2馬身半差の2着に破って快勝した。

そして米国東海岸に戻って7月のレキシントンS(GⅡ・T10F)に出走して、ニューヨーク州に居残っていたグロウと再び顔を合わせた。そして初コンビを組んだホセ・サントス騎手を鞍上に、グロウを鼻差2着に破って勝利した。敗れたグロウはその後に芝とダート路線を交互に使い好走したが結局グレード競走勝ちを上積みできないまま引退していく事になった。

一方の本馬はグレード競走連勝の勢いを駆って、8月のユナイテッドネーションズH(GⅠ・T9.5F)に出走。ボーリンググリーンH・ディキシーHの勝ち馬でパンアメリカンH2着のアップタウンスウェル、ホーソーンバドワイザーBCHなど3連勝中のルーテナンツラークといった芝路線の有力馬勢が対戦相手となったが、2着アップタウンスウェルに1馬身1/4差をつけて1分52秒6のコースレコードで完勝し、GⅠ競走初勝利を挙げた。

さらにバレンタインズスコッチクラシックS(GⅢ・T11F)に出走。ここでは格の違いを見せ付けて2着アイムアバンカーに9馬身半差をつけて圧勝した。ちなみにこのバレンタインズスコッチクラシックSはこの年限りで僅か3年の歴史に幕を閉じている。

次走のターフクラシックS(GⅠ・T12F)では、ユナイテッドネーションズH2着後に出走したアーリントンミリオンで4着してきたアップタウンスウェル、前走のマンハッタンHでGⅠ競走の勝ち馬となっていたレキシントンS・ローレンスリアライゼーションS・ラトガーズH・ヒルプリンスS・ペンシルヴァニアガヴァナーズCの勝ち馬デンジャラスアワー、サンダウンクラシックトライアルS・ダンテS・グレートヴォルティジュールSを勝ちウィリアムヒルフューチュリティS2着・英ダービー・愛ダービー・愛チャンピオンS・英国際S3着の成績があった欧州からの遠征馬ダミスター(トロットスターの父)などが出走してきた。ゴール前では、本馬、ダミスター、デンジャラスアワーによる大激戦となったが、本馬が2着ダミスターに鼻差、3着デンジャラスアワーにはさらに首差をつけて勝利した。

BCターフ

そして再び西海岸に向かい、サンタアニタパーク競馬場で行われたBCターフ(GⅠ・T12F)に挑んだ。この年のアーリントンミリオンを筆頭にサンタアナH・ゲイムリーH・ラスパルマスH・イエローリボン招待S・オークツリー招待S・ビヴァリーヒルズH・クリテリウムドメゾンラフィットを勝ちヴェルメイユ賞・サンフアンカピストラーノH・サンタバーバラH・ゲイムリーH2着・イエローリボン招待S・ヴァニティ招待H3着の名牝エストラペイド、日本から遠征してきた皇帝シンボリルドルフを破った7か月前のサンルイレイSを筆頭にリュパン賞・センチュリーH・サンフアンカピストラーノ招待H・サンガブリエルH・サンマルコスHを勝ちハリウッド招待ターフH2回・サンセットH2着・愛ダービー・サンルイレイS3着のダハール、ヴェルメイユ賞・プシシェ賞の勝ち馬ダララ、デリンズタウンスタッドダービートライアルSの勝ち馬で愛ダービー・ベルリン大賞・オークツリー招待S2着のシアトリカル、前走のマンノウォーSで2着してきたダイアナH・ボーゲイHの勝ち馬デューティーダンス、本馬が2着したサラナクSでは3着だったがラトガーズHを勝ち前走のマンノウォーSで3着するなど芝に馴染んできていたピラスター、伊オークス・ドルメロ賞・EPテイラーSの勝ち馬でヨークシャーオークス3着のアイバーズイメージといった馬の姿もあったが、何と言っても最大の注目株は、英2000ギニー・エクリプスS・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS・凱旋門賞を勝ってきた現役欧州最強馬ダンシングブレーヴだった。この年のBCターフは同競走史上最高クラスのレベルだったと言われており、本馬を管理したジョリー師は「信じられないほど強力なメンバー構成でした」と述懐している。ダンシングブレーヴが単勝オッズ1.5倍という圧倒的な1番人気に支持され、エストラペイドとシアトリカルのカップリングが単勝オッズ3.7倍の2番人気、本馬が単勝オッズ9.8倍の3番人気、ダハールが単勝オッズ12.6倍の4番人気、ダララが単勝オッズ20倍の5番人気だった。

スタートが切られるとエストラペイドが単騎逃げに持ち込み、シアトリカルが少し離れた2番手で、ダララ、デューティーダンス、本馬などが3番手集団を形成し、ダンシングブレーヴは得意の後方待機策を採った。エストラペイドが刻んだペースは最初の半マイル通過が47秒4というスローペースとなった。向こう正面に入るところでダララが進出して単独2番手に上がり、それと時を同じくしてダンシングブレーヴが外側から仕掛けて4番手に上がった。ダンシングブレーヴが自分の前に出てきたのを見た本馬鞍上のサントス騎手も仕掛けて、三角から四角にかけて内側を通って上がっていった。大外を通った分だけダンシングブレーヴはコースロスが大きく、四角では本馬に抜き返されていた。最初に仕掛けたダララは伸びを欠いており、エストラペイドとシアトリカルが並んで最初に直線に入り、続いて本馬、ダンシングブレーヴの順で直線に入ってきた。直線ではエストラペイドとシアトリカルが叩き合いを演じ、その2頭が壁になった本馬は外側に持ち出した。さらに外側から来たダンシングブレーヴの伸びは無く、エストラペイドを競り落としたシアトリカルがそのまま先頭でゴールするかに思われた。しかし残り半ハロン地点から豪脚を繰り出した本馬がゴール直前でシアトリカルを際どくかわして首差で勝利。シアトリカルから3馬身3/4差の3着にエストラペイドが粘り、ダンシングブレーヴはさらに2馬身3/4差の4着と振るわなかった。

3歳時の成績は10戦8勝(うちGⅠ競走3勝)で、エクリプス賞最優秀芝牡馬に選出された。エクリプス賞最優秀3歳牡馬の有力候補にも挙がったが、プリークネスS・フロリダダービー・サンタアニタダービーとGⅠ競走3勝を含む9戦6勝のスノーチーフが選出されたため逃している。

競走生活(4歳時)

翌4歳時はサントス騎手に代わってファシント・ヴァスケス騎手を主戦に迎え、4月にキーンランド競馬場で行われたエルクホーンS(T9F)から始動した。ここでは、前年のユナイテッドネーションズHで本馬の3着だったが、暮れのワシントンDC国際Sを勝っていたルーテナンツラークとの再戦となった。しかし本馬がルーテナンツラークを3馬身差の2着に破って、1分48秒4のコースレコードで勝利した。

翌月にはこの年に新設されたETターフクラシックS(T9F)に出走。ルーテナンツラークや、この年の暮れにハリウッドターフCSを勝つ事になるヴィルザクなどが対戦相手となったが、本馬が2着ヴィルザクに3馬身差をつけて、1分48秒8のコースレコードで勝利した。

その後は少し間隔を空けて、夏のユナイテッドネーションズH(GⅠ・T9.5F)に出走。本馬にとって初の重馬場のレースとなったが、危なげない走りを披露して、カナディアンターフH・アップルトンHの勝ち馬レーシングスターを2馬身半差の2着に、ヴォランテHの勝ち馬でハリウッドダービー2着のエアディスプレイを3着に破って、1963年のモンゴ、1979年のノーブルダンサー以来8年ぶり史上3頭目の同競走2連覇を達成した。

しかし次走のバーナードバルークH(GⅡ・T9F)では127ポンドの斤量が響いたのか、サンルイオビスポH・セネカHの勝ち馬でソードダンサーH2年連続2着のタラケノの半馬身差2着に敗れてしまい、連勝は9で止まった。

続くレースはアーリントンミリオン(GⅠ・T10F)となった。ここにはハイアリアターフC・レッドスミスH・ボーリンググリーンH・ソードダンサーHと4連勝中だった絶好調のシアトリカルも参戦してきて、米国最強芝馬の座を賭けた2頭のリターンマッチとなった。しかし蓋を開けてみれば1番人気に支持された本馬の独壇場だった。スタートが切られるとシアトリカルなど3頭が先頭争いを演じ、本馬は4番手の好位を追走。三角に入ったところで満を持して仕掛けると、前を行く3頭の間を突き抜けて一気に先頭に踊り出た。そして2番手のシアトリカルに3馬身ほどの差をつけて直線に突入すると、後は危ない場面など一つも無かった。ゴール前では本馬がすり抜けた隙間から追い上げてきたシャルード(スターズ&ストライプスH・エディリードHと2連勝中だった。ビワハヤヒデの父と書いたほうが理解しやすいか)が追い上げてきたが影は踏ませず、1馬身半差をつけて快勝。シアトリカルはシャルードから3馬身差の3着に敗れた。

その後は凱旋門賞挑戦のプランもあったが、調教中に左前脚を骨折してしまい、そのまま競走馬を引退した。4歳時の成績は5戦4勝(うちGⅠ競走2勝)で、エクリプス賞最優秀芝牡馬の座は、アーリントンミリオン敗退後にターフクラシックS・マンノウォーS・BCターフを勝利して、年間成績9戦7勝(うちGⅠ競走6勝)としたシアトリカルに譲る事になった。

本馬は着外に敗れたのはデビュー戦のみ、芝では14戦全て2着以内という抜群の安定感を誇った名馬である。デイリーレーシングフォーム紙の記者スティーヴ・デヴィドウィッツ氏は著書“The Best and Worst of Thoroughbred Racing”の中において、芝長距離路線では米国競馬史上においてジョンヘンリーに次いで優れた馬であると評している。

血統

Lyphard Northern Dancer Nearctic Nearco Pharos
Nogara
Lady Angela Hyperion
Sister Sarah
Natalma Native Dancer Polynesian
Geisha
Almahmoud Mahmoud
Arbitrator
Goofed Court Martial Fair Trial Fairway
Lady Juror
Instantaneous Hurry On
Picture
Barra Formor Ksar
Formose
La Favorite Biribi
La Pompadour
Dona Ysidra Le Fabuleux Wild Risk Rialto Rabelais
La Grelee
Wild Violet Blandford
Wood Violet
Anguar Verso Pinceau
Variete
La Rochelle Easton
Sans Tares
Matriarch Bold Ruler Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Miss Disco Discovery
Outdone
Lyceum Bull Lea Bull Dog
Rose Leaves
Colosseum Ariel
Arena

リファールは当馬の項を参照。

母ドナイシドラは本馬の生産者コファンコ・ジュニア氏が自分の祖父の姉妹の名前を付けて米国で走らせた馬で、現役成績は19戦6勝。その産駒には、本馬の1歳下の半弟ステートリードン(父ヌレイエフ)【セクレタリアトS(米GⅠ)・ハリウッドダービー(米GⅠ)・コンコルドS(愛GⅢ)】がいる。ステートリードンは引退後に種牡馬として日本に輸入されたが失敗に終わった。ドナイシドラの半兄には、種牡馬として凱旋門賞馬オールアロングや天皇賞馬レッツゴーターキンなどを出したターゴワイス(父ラウンドテーブル)【エクリプス賞(仏GⅢ)・トーマブリョン賞(仏GⅢ)】がいる他、ドナイシドラの半姉ロイヤルオノリー(父ラウンドテーブル)の子にはホノリア【レイルウェイS(愛GⅢ)】、曾孫にはジェネラルクォーターズ【ブルーグラスS(米GⅠ)・ターフクラシックS(米GⅠ)】と日本で走ったエーシントップ【ニュージーランドトロフィー(GⅡ)・京王杯2歳S(GⅡ)・シンザン記念(GⅢ)】の兄弟が、ドナイシドラの半妹バックスベル(父バックパサー)の曾孫には日本で走ったニッタレヴュー【スプリング争覇・二十四万石賞】がいる。母系は無敗の英国三冠馬オーモンドの母リリーアグネスの全妹リジーアグネスからの流れである。→牝系:F16号族②

母父ルファビュリューはワイルドリスク産駒で、現役時代は仏ダービー・リュパン賞・ノアイユ賞・クリテリウムドサンクルー勝ちなど11戦8勝。種牡馬としてもなかなかの活躍を見せたが、むしろ繁殖牝馬の父として優秀で、本馬の他にもルグロリュージルザルアンブライドルド、フジキセキなどの母父として知られる。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、総額2000万ドル(当時の為替レートで約24億円)という巨額のシンジケートが組まれて米国ケンタッキー州レーンズエンドファームで種牡馬入りした。初年度産駒からビエンビエンという大物が出て期待されたが、その後が続かなかった。1996年の繁殖シーズン終了後にトルコジョッキークラブに売却され、トルコのイズミットにある国立牧場に輸出された。トルコにおいてはトップクラスの種牡馬として活躍し、一流馬を何頭も出したそうである。産駒のステークスウイナーは32頭となっている。2003年にはトルコの母父首位種牡馬になっている。

本馬の米国競馬殿堂入りについては長年に渡って議論の的であり、実に10回も最終候補馬リストに名を連ねながらも選出されなかったが、2008年に11回目にしてようやく殿堂入りを果たした。その翌年2009年2月に大動脈破裂のためにトルコにおいて26歳で他界した。ビエンビエンが種牡馬としてビエナマドを出し、本馬の直系を繋いだが、現在のところビエナマドは種牡馬として全く成功しておらず、本馬の直系は途絶えてしまいそうである。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1989

Bien Bien

ハリウッドターフCS(米GⅠ)・ハリウッドパークターフH(米GⅠ)・サンルイレイS(米GⅠ)・サンフアンカピストラーノ招待H(米GⅠ)・スワップスS(米GⅡ)・サンセットH(米GⅡ)・サンマルコスH(米GⅡ)・シネマH(米GⅢ)

1989

Great Palm

伊共和国大統領賞(伊GⅠ)・ギョームドルナノ賞(仏GⅡ)

1990

Concept Win

トリプルベンドH(米GⅡ)・パロスヴェルデスH(米GⅢ)・カウントフリートスプリントH(米GⅢ)

1991

Agathe

プシシェ賞(仏GⅢ)

1991

Manilaman

アーリントンH(米GⅡ)

1991

Star of Manila

WLマックナイトH(米GⅡ)

1991

Time Star

伊ダービー(伊GⅠ)・ゴールデンゲートH(米GⅡ)

1992

Montjoy

ギョームドルナノ賞(仏GⅡ)・スコティッシュクラシック(英GⅢ)・アップルトンH(米GⅢ)

1993

キングオブケン

クリスタルC(GⅢ)

1996

Fighting Falcon

シネマH(米GⅢ)

1996

Gritty Sandie

ローレンスリアライゼーションH(米GⅢ)

1996

Northerntown

リューテス賞(仏GⅢ)

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