アンブライドルド

和名:アンブライドルド

英名:Unbridled

1987年生

鹿毛

父:ファピアノ

母:ガナファシル

母父:ルファビュリュー

爆発的な追い込みを武器にケンタッキーダービーとBCクラシックの米国2大競走を制し、種牡馬としても米国三冠競走を完全制覇する成功を収める

競走成績:2~4歳時に米で走り通算成績24戦8勝2着6回3着6回

誕生からデビュー前まで

米国フロリダ州オカラのタータンファームにおいて生産された。しかし本馬が産まれた年の11月にタータンファームは所有馬の大半を手放してしまった。本馬も母ガナファシルと共に、ファシグティプトン社がケンタッキー州で行ったセリに出品され、タータンファームの経営者だったジョン・A・ネルド氏に誘われてセリに参加していたフランシス・A・ジェンター夫人により7万ドルで購入された。

ジェンター夫人は夫のハロルド・ジェンター氏と共に1940年代から競馬に興味を抱いて馬産を始め、1959年の米最優秀2歳牝馬マイディアガールや、その息子である名種牡馬インリアリティなどを所有した。1981年に夫を亡くして以降も、義理の息子ベントリー・スミス氏と共に馬産を続け、BCスプリント勝ち馬スマイルなどを生産・所有していた。本馬はカール・ナフツガー調教師に預けられた。ナフツガー師は若い頃には世界屈指のロデオ騎手として鳴らし、その後は調教師に転身してタータンファームの生産馬を多く預かっていた。

競走生活(3歳初期まで)

本馬は2歳8月にアーリントンパーク競馬場で行われたダート6ハロンの未勝利戦でデビューし、後のアーリントンクラシックS勝ち馬サウンドオブキャノンズを10馬身半差の2着に下して圧勝した。

3週間後のウォキーガンBCS(D6.5F)では当然のように1番人気に支持されたが、後にアーリントンワシントンフューチュリティ・セントポールダービーなどグレード競走4勝を挙げるシークレットハローの7馬身差3着に敗退。次走のアーチウォードS(D7F)でもシークレットハローとの対戦となったが、不良馬場を利したカレンズトムが圧勝し、シークレットハローは2着、本馬はカレンズトムから20馬身差も離された3着に敗れた。続くカンタベリージュヴェナイル(D8F)は、アピーリングブリーズの半馬身差2着と惜敗。次走のフロリダ州産馬限定戦インリアリティS(D8.5F)では、勝ったショットガンスコットから2馬身3/4差の2着だった。年末のワットアプレジャーS(D8.5F)は2着ファイアリーベストに5馬身差で圧勝して何とか格好をつけ、2歳時を6戦2勝で終えた。

3歳時は1月のトロピカルパークダービー(GⅢ・D9F)から始動したが、1番人気に応えられずに、単勝オッズ17倍の伏兵ランターンの5馬身3/4差5着に敗退した。次走のファウンテンオブユースS(GⅡ・D8.5F)では、パット・デイ騎手と初コンビを組んだ。ここでは直線で前が塞がる不利を受けながらも、トロピカルパークダービーで3着だったショットガンスコットの半馬身差3着に入り、前年のBCジュヴェナイルを勝ってエクリプス賞最優秀2歳牡馬に選ばれていたリズム(10着)には先着した。

2週間後のフロリダダービー(GⅠ・D9F)では、ブリーダーズフューチュリティ勝ち馬でBCジュヴェナイル3着のスラヴィックを4馬身差の2着に、ランターンを3着に破って圧勝し、GⅠ競走初勝利を飾った。しかし勝ちタイム1分52秒0は同レース史上でもかなり遅い部類(これより遅いタイムはレース創設4年目の1955年にナシュアが計時した1分53秒2まで遡らないと見つからない)だったため、本馬の実力にはまだ疑問符がついたままだった。

次走のブルーグラスS(GⅡ・D9F)では、デビューから7戦6勝、うちホープフルS・サラトガスペシャルS・ケンタッキーBCS・ジムビームSとグレード競走4勝を挙げていたサマースコールとの対戦となった。サマースコールの主戦でもあったデイ騎手がサマースコールを選択したため、本馬にはクレイグ・ペレット騎手が騎乗した。しかし結果はサマースコールが勝ち、本馬は3馬身3/4差の3着に敗れた。

競走生活(米国三冠競走)

次走のケンタッキーダービー(GⅠ・D10F)では、プエルトリコからやって来た16戦無敗のサンタアニタダービー・サンラファエルS・サンヴィンセントS勝ち馬ミスターフリスキーが単勝オッズ2.9倍の1番人気に推され、サマースコールが単勝オッズ3倍の2番人気、以下、ゴーサムS・ウッドメモリアルSを連勝してきたサーティシックスレッド、アーカンソーダービーを勝ってきたシルヴァーエンディングと人気が続き、本馬は単勝オッズ11倍の5番人気だった。ジェンター夫人にとっては、所有馬がケンタッキーダービーに出るのは初めての事だった。

スタートからミスターフリスキーなど5頭が激しく先頭争いを演じる中、サマースコールは好位、ペレット騎手騎乗の本馬は馬群の後方につけた。三角から四角にかけてサマースコールが先頭に並びかけていったが、サマースコールをマークしてさらに外から上がってきた本馬が直線入り口で先頭のサマースコールに並びかけると、その後は着実に引き離していき、最後は2着サマースコールに3馬身半差をつけて完勝した。

本馬が勝った瞬間、ナフツガー師がジェンター夫人を抱きしめながら「勝った!勝った!ケンタッキーダービーを勝った!おお、ジェンター夫人、愛しています!」と叫び、当時92歳だったジェンター夫人が口を手で覆いながら「おやまあ」と驚いている場面がテレビカメラに捉えられた。これはケンタッキーダービーのテレビ中継史上に残る名(迷?)シーンとして知られている。サマースコールと3着プレザントタップの差はさらに6馬身あり、本馬とサマースコール以外の人気馬勢は大敗した。

そのため、次走のプリークネスS(GⅠ・D9.5F)では本馬が1番人気に支持され、サマースコールが2番人気、前走8着のミスターフリスキーが3番人気となった。スタートが切られると、やはり本馬は馬群の後方につけたが、サマースコールも本馬に近い後方の位置取りとなった。三角から四角にかけて、本馬は馬群の外側から、サマースコールはインを突いてほぼ同時に上がっていき、直線入り口ではこの2頭がほぼ同時に逃げ馬をかわして先頭に立った。そして直線で叩き合いとなったが、今回はサマースコールがすぐに本馬を引き離して優勝。本馬は2馬身1/4差の2着に敗れたが、3着ミスターフリスキーには9馬身差をつけていた。

続くベルモントS(GⅠ・D12F)では、ラシックスを使用していたサマースコール陣営が、ラシックスが禁止されているニューヨーク州におけるレース出走を嫌って回避したため、本馬が単勝オッズ2倍の1番人気に支持された。レースでは馬群の中団好位を追走し、三角を回るところで外側から上がろうとしたが、行き脚が悪く先頭を捕らえられなかった。そして直線に入っても伸びず、4着を死守するのが精一杯だった。2着サーティシックスレッドに8馬身1/4差をつけて勝ったのは三冠競走最初の2戦に不参戦だった愛国調教馬ゴーアンドゴーであり、本馬はゴーアンドゴーから12馬身3/4差をつけられた。

競走生活(3歳後期)

次走はトラヴァーズSではなく、同日にアーリントンパーク競馬場で行われたダート8ハロンの一般競走となった。古馬相手のレースではあったが、さすがにここでは格が違いすぎ、2着ランプキンキャッシュに11馬身半差をつけて圧勝した。次走は何故か芝のセクレタリアトS(GⅠ・T10F)となった。単勝オッズ1.5倍の1番人気に支持されたが、スーパーアバウンドの3/4馬身差2着と惜敗した。続くスーパーダービー(GⅠ・D10F)では、米国三冠競走に不参戦だったレキシントンS勝ち馬ホームアットラストの3馬身半差2着に敗れた。

次走はベルモントパーク競馬場で行われたBCクラシック(GⅠ・D10F)となった。対戦相手は、春シーズンに不調だったため米国三冠競走には不参戦だったが前々走のトラヴァーズSを圧勝して復活の狼煙を上げた前年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬リズム、この年のチャールズHストラブS・ジョッキークラブ金杯・サンフェルナンドSを勝っていたフライングコンチネンタル、クイーンズプレート・プリンスオブウェールズS・ブリーダーズS・モルソンエクスポートミリオンなど8連勝を記録していたこの年の加国三冠馬イズヴェスティア、ホームアットラスト、ゴーアンドゴー、ウッドワードS・コーンハスカーH・カンタベリーカップHなど5連勝中のディスパーサル、オークローンH・サバーバンH・ジョッキークラブ金杯とこの年にGⅠ競走2着が3回あった前年のジェロームH勝ち馬ドローシュ、スワップスS・グッドウッドHなどの勝ち馬ライブリーワン、欧州から移籍してきてオークローンH・レイザーバックHを勝っていた後のBCマイル馬オープニングヴァーズ、ケンタッキーダービーでは9着だったがベルモントSでは本馬に先着する2着だったサーティシックスレッド、欧州から遠征してきたイタリア大賞・オイロパ賞・ベルリン銀行大賞・愛セントレジャーなどの勝ち馬イブンベイなど13頭だった。リズムが単勝オッズ3.6倍の1番人気に支持され、フライングコンチネンタルが単勝オッズ5.8倍の2番人気、イズヴェスティアが単勝オッズ6.1倍の3番人気で、本馬は単勝オッズ7.6倍の4番人気だった。

リズムの主戦でもあったペレット騎手がリズムを選択したため、本馬の鞍上にはフロリダダービー以来となるデイ騎手の姿があった。14頭立ての大外枠を引いた本馬は、スタートから後方待機策を選択。そして最終コーナーでインコースを突いて上がって行った。直線入り口では先頭のライブリーワンからまだ3馬身程度の差があったが、ここから前を行くライブリーワンとイブンベイの間を突いて伸び、ゴール前で先頭に踊り出ると2着イブンベイに1馬身差をつけて優勝した。

この年11戦4勝の成績ながら、ケンタッキーダービーとBCクラシックという米国最大のレースを両方制したため、エクリプス賞年度代表馬の有力候補と目された(最有力候補はBCディスタフのレース中に命を落とした名牝ゴーフォーワンドだった)が、翌年2月に発表されたエクリプス賞の結果は、BCクラシックを故障のため回避したが、サンデーサイレンスイージーゴアの2頭を破ってGⅠ競走を4連勝したクリミナルタイプが年度代表馬に選ばれ、本馬は最優秀3歳牡馬を受賞するに留まるというものだった。その代わりという訳でもないだろうが、ジェンター夫人はエクリプス賞最優秀馬主に、ナフツガー師はエクリプス賞最優秀調教師に選ばれている。

競走生活(4歳時)

4歳時は3月のデピュティミニスターH(D7F)から始動した。ここでは前年にジェロームH・ウィザーズSなどグレード競走8勝を挙げてエクリプス賞最優秀短距離馬に選ばれていた同世代馬ハウスバスターとの顔合わせとなった。距離と3ポンドの斤量差が影響したのか、単勝オッズ1.4倍という圧倒的な1番人気に支持されたのはハウスバスターで、本馬は単勝オッズ4.1倍の2番人気に留まった。しかしレースではお得意の最後方待機策から、前を行くハウスバスターを直線で完璧に差し切り、2着ハウスバスターに3馬身差をつけて快勝した。

次走のオークローンH(GⅠ・D9F)では、ドンH・ガルフストリームパークHを勝ってきたジョリーズヘイロー、サンカルロスH・サンパスカルH・サンアントニオH・サンタアニタHを勝ちまくってきたファーマウェイとの3強対決となった。しかしこのレースは不良馬場となり、それに対する適性が勝敗を分ける結果となった。勝ったのは前走サンタアニタHで2着していた亜国産馬フェスティンで、後方から伸びなかった本馬は6馬身差の5着と完敗した。

次走のピムリコスペシャルH(GⅠ・D9.5F)では、オークローンH3着のジョリーズヘイロー、オークローンH7着のファーマウェイに加えて、プリークネスS以来の対戦となるサマースコールとの顔合わせとなった。デイ騎手がサマースコールを選択したため久々にペレット騎手とコンビを組んだ。しかし本馬はレース中に鼻出血を発症してファーマウェイの10馬身差6着と惨敗してしまい(サマースコールは2着)、治療のために短期休養入りした。

そして8月にアーリントンパーク競馬場で行われたダート7ハロンの一般競走で復帰した。ここでは全く格が違い、直線だけで後続をちぎり捨てて、2着スパニッシュドラマーに6馬身半差で圧勝した。

続いて米国西海岸に向かい、創設1年目のパシフィッククラシックS(D10F)に出走した。しかしノーフォークS・ハリウッドフューチュリティ・デルマーフューチュリティ・スワップスSを勝ちケンタッキーダービーで2着だった地元の雄ベストパル、ベルエアH・サンディエゴHなど3連勝中のトワイライトアジェンダの2頭に後れを取って、ベストパルの3馬身3/4差3着に敗退し、この1戦のみで西海岸を後にした。

秋はファイエットH(GⅡ・D9F)から始動し、デイ騎手騎乗のサマースコールと対戦した。結果は人気どおりに単勝オッズ1.4倍のサマースコールが勝ち、単勝オッズ2.9倍の本馬は3馬身差の2着に敗れた。

それでも連覇を目指してチャーチルダウンズ競馬場で行われたBCクラシック(GⅠ・D10F)に参戦。サマースコール、オークローンH勝利後にジョッキークラブ金杯・ナッソーカウンティHを勝っていたフェスティン、フィリップHアイズリンH・スティーヴンフォスターH・ミシガンマイル&ワンエイスH・ワシントンパークHなど5連勝中のブラックタイアフェアー、この年のケンタッキーダービー・ブルーグラスS勝ち馬でベルモントS2着のストライクザゴールド、パシフィッククラシックS2着後にデルマーBCH・メドウランズCHを勝っていたトワイライトアジェンダ、ハリウッド金杯の勝ち馬マーケトリー、ジムダンディS・エクセルシオールHの勝ち馬で前走ジョッキークラブ金杯2着のチーフホンチョ、BCジュヴェナイル・シャンペンS・フロリダダービー・ハッチソンS・ファウンテンオブユースS・ジムダンディSなどを勝っていた前年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬フライソーフリーなどが対戦相手となった。フェスティンが単勝オッズ4.1倍の1番人気に支持され、サマースコールとブラックタイアフェアーが並んで単勝オッズ5倍の2番人気、本馬は単勝オッズ5.3倍の4番人気だった。

スタートからブラックタイアフェアーが先手を奪い、サマースコールが2~3番手、本馬はフェスティンと共に後方を追走した。三角を過ぎた辺りでサマースコールは早くも失速したが、マイペースで逃げたブラックタイアフェアーは順調に先頭を維持して直線に入っていった。それに対して直線入り口でもまだ後方だった本馬は、直線一気の豪脚を見せたが、2着トワイライトアジェンダを捕らえることも出来ず、勝ったブラックタイアフェアーから3馬身3/4差の3着に敗れた(サマースコールは9着)。

競走馬としての特徴

本馬はこのレースを最後に4歳時7戦2勝の成績で引退した。サマースコールもこのレースを最後に引退している。本馬とサマースコールの対戦成績は本馬の2勝4敗で、結局どちらが強かったのかは何とも言えない。走り方を比較すると、小柄なサマースコールはピッチ走法で小回りが利くため先行する事が多く、大柄な本馬は大跳びでやや不器用なため後方からレースを進めて最後に追い込む事が多かったようである。さしずめ、安定感ではサマースコールが上で、爆発力では本馬が上といったところだろうか。

ナフツガー師によると、本馬は利口な馬で、調教中に自分の意思を明確に示す事が出来たという。ナフツガー師は本馬の事を「温和な巨人」と呼んでいたという。

血統

Fappiano Mr. Prospector Raise a Native Native Dancer Polynesian
Geisha
Raise You Case Ace
Lady Glory
Gold Digger Nashua Nasrullah
Segula
Sequence Count Fleet
Miss Dogwood
Killaloe Dr. Fager Rough'n Tumble Free for All
Roused
Aspidistra Better Self
Tilly Rose
Grand Splendor Correlation Free America
Braydore
Cequillo Princequillo
Boldness
Gana Facil Le Fabuleux Wild Risk Rialto Rabelais
La Grelee
Wild Violet Blandford
Wood Violet
Anguar Verso Pinceau
Variete
La Rochelle Easton
Sans Tares
Charedi In Reality Intentionally Intent
My Recipe
My Dear Girl Rough'n Tumble
Iltis
Magic Buckpasser Tom Fool
Busanda
Aspidistra Better Self
Tilly Rose

ファピアノは当馬の項を参照。

母ガナファシルは本馬と同じくタータンファームの生産馬で、現役成績は19戦6勝。本馬が7万ドルで購入された同じセリにおいて、ジェンター夫人により27万5千ドルで購入されている。その翌年には本馬の1歳下の全弟ケイヒルロード【ウッドメモリアル招待S(米GⅠ)】を産んだ。なお、ケイヒルロードの1歳下の妹オルセノはインリアリティ産駒だが、ガナファシルの母シャレディもインリアリティ産駒なので、オルセノは祖父と孫の間に産まれた子という事になる。オルセノは競走馬としては不出走だったが繁殖牝馬として複数の子を産んでおり(オルセノの子孫にはアーリントンワシントンフューチュリティの勝ち馬ターレインや、ペルーのGⅠ競走ポージャデポトリージョス賞の勝ち馬ミスターダニーがいる)、一般的に言われる血の濃さによる繁殖への悪影響は無かったようだが、このような危険な交配を行った事情は不明である。シャレディの母マジックはドクターファーガータウィーの半妹であるのだが、インリアリティは、タウィーの父インテンショナリーを父に、ドクターファーガーの父ラフンタンブルを母父に持つため、その多重交配でドクターファーガーやタウィーの再現を試みたものだろうか。繋養されていたのが種牡馬の選択肢が少ないフロリダ州だったというのも影響しているのだろうが、やや不可解である。ガナファシルは後にクールモアグループによって135万ドルで購入されたが、その後はこれと言った繁殖成績を残せずに2006年に25歳で他界している。本馬の近親には前述したとおりドクターファーガーとタウィーの稀代の快速兄妹がいる他、シャレディの半妹マガロの子である東京優駿勝ち馬タヤスツヨシがいる。→牝系:F1号族④

母父ルファビュリューはマニラの項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、ジェンター夫人と親交があったケンタッキー州ゲインズウェイファームで種牡馬入りした(ジェンター夫人は本馬の種牡馬入り初年度の1992年11月に94歳で死去している)。初年度産駒からBCジュヴェナイル勝ち馬アンブライドルズソングとケンタッキーダービー馬グラインドストーンが登場して一躍注目種牡馬となった。1997年にセス・ハンコック氏のグループにより総額1900万ドルのシンジケートが組まれて、クレイボーンファームに移動した。2001年9月、腸に出来た腫瘍の摘出手術を受けたが、術後1か月後に激しい疝痛を起こしたために14歳の若さで安楽死の措置が執られた。

早世した影響もあって、産駒のステークスウイナーは44頭と少なめだが、かなり高い確率でGⅠ級まで出世している。競走馬としては爆発力型だった本馬だが、種牡馬としても爆発力型であったと言える。2015年現在、本馬は父としてケンタッキーダービー馬を出した最後のケンタッキーダービー馬である。また、産駒が米国三冠競走全てを制した最後の種牡馬でもあったが、2015年に米国三冠馬となったアメリカンファラオの父パイオニアオブザナイル(その父は本馬産駒のエンパイアメーカー)によりその座を取って代わられた。そのエンパイアメーカーだけでなく、アンブライドルズソング、グラインドストーンが共に後継種牡馬として成功している。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1993

Grindstone

ケンタッキーダービー(米GⅠ)・ルイジアナダービー(米GⅢ)

1993

Unbridled's Song

BCジュヴェナイル(米GⅠ)・フロリダダービー(米GⅠ)・ウッドメモリアルS(米GⅡ)

1994

Unbridled Hope

レディーズH(米GⅢ)

1995

Banshee Breeze

CCAオークス(米GⅠ)・アラバマS(米GⅠ)・スピンスターS(米GⅠ)・アップルブロッサムH(米GⅠ)・ゴーフォーワンドH(米GⅠ)・ボニーミスS(米GⅡ)・ランパートH(米GⅡ)・フルールドリスH(米GⅢ)

1995

Manistique

サンタマルガリータ招待H(米GⅠ)・ヴァニティ招待H(米GⅠ)・サンタマリアH(米GⅠ)・ハリウッドオークス(米GⅡ)・バヤコアH(米GⅡ)・エルエンシノS(米GⅡ)・ラカナダS(米GⅡ)・レディーズシークレットH(米GⅡ)・バヤコアH(米GⅡ)

1995

エイシンナポレオン

サマーC(SPⅡ)

1996

レッドチリペッパー

富士S(GⅢ)・中山牝馬S(GⅢ)

1997

Anees

BCジュヴェナイル(米GⅠ)

1997

Broken Vow

フィリップHアイズリンH(米GⅡ)・ベンアリS(米GⅢ)

1997

Malabar Gold

サンシメオンH(米GⅢ)

1997

Red Bullet

プリークネスS(米GⅠ)・ゴーサムS(米GⅢ)

1997

Unshaded

トラヴァーズS(米GⅠ)・レキシントンS(米GⅡ)

1997

レディバラード

クイーン賞(GⅢ)・TCK女王盃(GⅢ)

1998

Exogenous

ガゼルH(米GⅠ)・ベルデイムS(米GⅠ)

1998

Surya

ダリアH(米GⅡ)・ロイヤルヒロインS(米GⅢ)

1999

Belterra

ゴールデンロッドS(米GⅡ)

1999

Saarland

レムセンS(米GⅡ)

2000

Empire Maker

ベルモントS(米GⅠ)・フロリダダービー(米GⅠ)・ウッドメモリアルS(米GⅠ)

2000

Santa Catarina

ハリウッドオークス(米GⅡ)

2000

Symphony Sid

カールトンFバークH(米GⅢ)

2001

Connections

ケネディロードS(加GⅢ)

2001

Eddington

ピムリコスペシャルH(米GⅠ)・ガルフストリームパークH(米GⅡ)・コールダーダービー(米GⅢ)

2001

Halfbridled

BCジュヴェナイルフィリーズ(米GⅠ)・デルマーデビュータントS(米GⅠ)・オークリーフS(米GⅡ)

2001

Mustanfar

レキシントンS(米GⅢ)・シカモーBCS(米GⅢ)

2001

Navesink River

パンアメリカンH(米GⅡ)

2001

Niigon

クイーンズプレート

2001

フサイチバルドル

西日本グランプリ(福山)・二十四万石賞(高知)・福永洋一記念(高知)・トレノ賞(高知)・珊瑚冠賞(高知)・高知県知事賞(高知)

2002

Harlington

ガルフストリームパークH(米GⅡ)

2002

Smuggler

マザーグースS(米GⅠ)・CCAオークス(米GⅠ)

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