ゴーフォーワンド
和名:ゴーフォーワンド |
英名:Go for Wand |
1987年生 |
牝 |
鹿毛 |
父:デピュティミニスター |
母:オベア |
母父:シアン |
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圧倒的な強さで1990年の米国牝馬戦線を席巻するも暮れのBCディスタフのレース中に命を散らした「ラフィアンの再来」 |
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競走成績:2・3歳時に米で走り通算成績13戦10勝2着2回 |
誕生からデビュー前まで
米国三大財閥の一つにも数えられる世界的化学メーカーであるデュポン社の創業者一族に生まれたジェーン・デュポン・ランガー夫人が所有する、米国ニューヨーク州サラトガスプリング市にあるクリスティアナステーブルの生産・所有馬で、クリスティアナステーブル産馬の最高傑作と呼ばれている。管理調教師はウィリアム・バジェット・ジュニア師、主戦はランディ・ロメロ騎手で、本馬の全レースに騎乗した。
競走生活(2歳時)
2歳9月にベルモントパーク競馬場で行われたダート6ハロンの未勝利戦でデビューして、2着ニナに4馬身差で快勝した。翌月にベルモントパーク競馬場で行われたダート8ハロンの一般競走では、アディロンダックSの2着馬インフルクライも出走してきた。シアトルスルー産駒のインフルクライは、サセックスS・セントジェームズパレスSの勝ち馬ポッセの半妹という期待馬だった。レースは不良馬場で行われたが、本馬には全く問題なかったようで、2着インフルクライに18馬身1/4差をつけて大圧勝した。
次走のフリゼットS(GⅠ・D8F)では、スピナウェイS・メイトロンSとGⅠ競走を2連勝してきたステラマドリッド、アディロンダックS・アスタリタSのGⅡ競走2勝を含む4戦無敗のダンスコロニー、アスタリタS2着馬チャージングファイアなどが対戦相手となった。ここではステラマドリッドが勝利を収め、本馬は半馬身差の2着に敗れた。
続いてガルフストリームパーク競馬場で行われたBCジュヴェナイルフィリーズ(GⅠ・D8.5F)に参戦。このレースには、ステラマドリッド、前走3着のダンスコロニー、インフルクライに加えて、アーリントンワシントンラッシーSの勝ち馬トランペッツブレア、セリマSなど2戦2勝のスイートロベルタ、アルキビアデスSの勝ち馬でアーリントンワシントンラッシーS2着のスペシャルハプニング、ソレントSの勝ち馬シュバルヴォラント、マイディアガールSを勝ってきたミスランニングヴァニー、デザートヴィクスンS・スーザンスガールSの勝ち馬ステイシーズトイ、欧州から遠征してきたマルセルブサック賞3着馬アルチ、マイディアガールS3着馬ブードゥーリリーが参戦してきて、本馬を含めて12頭による戦いとなった。ステラマドリッドが単勝オッズ3.2倍の1番人気に支持され、グレード競走未勝利の本馬が単勝オッズ3.5倍の2番人気、トランペッツブレアが単勝オッズ5.3倍の3番人気、イートロベルタが単勝オッズ5.5倍の4番人気、ダンスコロニーが単勝オッズ12.2倍の5番人気であり、上位人気4頭による争いと目されていた。レースではステラマドリッドを見るように好位を進み、四角でステラマドリッドが仕掛けるとそれを追って上がって行った。直線で逃げ粘るスペシャルハプニングをステラマドリッドが捕らえたところに後方から本馬がその2頭を一気にかわして先頭に立った。そして最後は追い込んできた2着スイートロベルタに2馬身3/4差で快勝した(ステラマドリッドはさらに半馬身差の3着だった)。
2歳時の成績は4戦3勝、グレード競走勝ちはBCジュヴェナイルフィリーズのみだった本馬だが、エクリプス賞の年度表彰では、GⅠ競走3勝のステラマドリッドを抑えて最優秀2歳牝馬に選出された。
競走生活(3歳前半)
3歳時は4月にキーンランド競馬場で行われたボーモントS(GⅢ・D7F)から始動した。BCジュヴェナイルフィリーズ6着後にフォワードギャルS・ボニーミスSと連続2着してきたトランペッツブレア、ゴールデンロッドSの勝ち馬デラデヴィルの姿もあったが、レースは本馬の得意な不良馬場で施行されたこともあり、トランペッツブレアを8馬身半差の2着に破って圧勝した。
その11日後に出走したアッシュランドS(GⅠ・D8.5F)では、トランペッツブレアに加えて、フォワードギャルS・ボニーミスSなど4戦全勝のシャロンという強敵が現れた。本馬が単勝オッズ1.3倍という断然の1番人気に支持され、シャロンは単勝オッズ4倍の2番人気だった。レースではシャロンが先行し、本馬は3番手を進んだ。しかし本馬は向こう正面で加速して早くも先頭に立った。本馬に抜かれたシャロンも加速を始めたが、本馬に徐々に引き離されていった。最後は本馬が2着シャロンに5馬身差をつけて、1分43秒6の好タイムで圧勝した。
次走のケンタッキーオークス(GⅠ・D9F)では、BCジュヴェナイルフィリーズ5着後にフロリダオークスを勝ちピムリコオークスで2着してきたダンスコロニー、ボーモントSで3着だったシーサイドアトラクション、サンタアニタオークスとサンタイネスSで2着していたサンタイサベルSの勝ち馬ブライトキャンドルズ(種牡馬としても成功したベルモントフューチュリティS・シャンペンSの勝ち馬グランドスラムの母)、ボーモントSで4着だったデラデヴィル、ファンタジーS2着馬ロンリーガール、サンタイネスSの勝ち馬でサンタアニタオークス3着のフィットトゥスカウトなどが対戦相手となった。本馬が単勝オッズ1.4倍という断然の1番人気に支持され、ダンスコロニーが単勝オッズ4.5倍の2番人気、シーサイドアトラクション、ブライトキャンドルズ、ペーパーマネーの3頭カップリングが単勝オッズ8倍の3番人気となった。レースではシーサイドアトラクションが馬群を引っ張り、本馬は4番手の好位につけた。そして四角で外側を駆け上がり、逃げるシーサイドアトラクションに並びかけようとした。しかし四角途中でシーサイドアトラクションがさらに加速したために、並びかけることは出来なかった。直線ではシーサイドアトラクションに逆に差を広げられ、3馬身差をつけられて2着に敗れた。
次走のマザーグースS(GⅠ・D9F)では、アッシュランドS2着後にブラックアイドスーザンSを勝ってきたシャロン、エイコーンSを勝ってきたステラマドリッド、前走で本馬から3馬身差の3着だったブライトキャンドルズ、前走5着だったダンスコロニー、ガーデニアSの勝ち馬でエイコーンS2着のダンチヒズビューティが対戦相手となった。しかし今回の本馬は期待を裏切らず、2着シャロンに1馬身1/4差、3着ステラマドリッドにはさらに4馬身1/4差をつけて快勝した。
競走生活(3歳後半)
その後のCCAオークスには出走せず、次走は8月のテストS(GⅠ・D7F)となった。ここでもステラマドリッドとの対戦となったが、結果は1分21秒0の好タイムで駆け抜けた本馬が2着スクリーンプロスペクトに2馬身差をつけて勝利を収め、ステラマドリッドは7着に沈んだ。
それから9日後に出走したアラバマS(GⅠ・D10F)で本馬に挑んできたのは、本馬が不参加だったCCAオークスを制したシャロンなど2頭だけだった。レースは本馬がスタートから先頭に立ち、シャロンが1馬身ほど後方の2番手を追いかけてくる展開となった。しかし三角に入ってシャロンが仕掛けても、本馬は馬なりのまま1馬身ほどの差を維持し続けた。そして直線に入ってから満を持して仕掛けると瞬く間にシャロンを突き放し、最後は7馬身差をつけて圧勝した。
勝ちタイム2分00秒8は現在も破られていないレースレコードであり、1979年のトラヴァーズSでジェネラルアセンブリーが記録したコースレコード2分フラットに0秒8差まで迫る優秀なものだった。なお、前年1989年のトラヴァーズSを制したイージーゴアの勝ちタイムも2分00秒8だった。この年から2015年に至るまでトラヴァーズSが2分00秒8を切るタイムで決着したことは1度もなく、タイムだけで言えば本馬は近年の米国トップクラスの3歳牡馬に匹敵する能力を有していた事になる。負けたシャロンを管理するユージーン・ナヴァロ調教師は「(負けた事を)気にしていません。ゴーフォーワンドを負かすには最高の馬が必要となるでしょう」と語った。
次走は初の古馬相手となるマスケットH(GⅠ・D8F)となった。このレースには、BCジュヴェナイルフィリーズ・デモワゼルS・ケンタッキーオークス・エイコーンS・マザーグースS・CCAオークス・アラバマSを勝っていた前年のニューヨーク牝馬三冠馬オープンマインド、前走のバレリーナSでオープンマインドを破ってGⅠ競走勝ち馬となっていたフィールザビート、フェアグラウンズオークス・ヴェイグランシーHの勝ち馬でヘンプステッドH2着のミストーリアンといった有力古馬牝馬勢が出走していた。スタートが切られるとフィールザビートが先頭に立ち、ややスタートが悪かった本馬もすぐに加速して2番手につけた。向こう正面途中からフィールザビートと本馬のマッチレースの様相を呈し始め、オープンマインドなど他4頭の出走馬はどんどん引き離されていった。本馬は四角途中で外側からフィールザビートに並びかけると、しばらく叩き合った後に突き放し、2着フィールザビートに2馬身半差をつけて快勝。その一方で6着最下位に終わったオープンマインドはそのまま現役生活に終止符を打った。
次走のベルデイムS(GⅠ・D9F)では、ジョンAモリスH・ジョニーウォーカークラシックHの勝ち馬で前年にトップフライトH・デラウェアH・ラフィアンH・ベルデイムSと4度のGⅠ競走2着があったコロニアルウォーターズが本馬に挑んできた。レースは途中まで本馬とコロニアルウォーターズの一騎打ちとなったが、直線で突き放した本馬が、コロニアルウォーターズを4馬身3/4差の2着に破って完勝した。勝ちタイム1分45秒8は、1973年のマールボロC招待Hでセクレタリアトが樹立したコースレコード1分45秒4に0秒4及ばないだけという見事なものであり、ニューヨーク・タイムズ紙のスティーヴン・クリスト記者は「この年行われたあらゆるレースの中で最も素晴らしい勝利」と讃えた。
この強さから、本馬はBCクラシックに出るべきだという声も多数挙がった。バジェット・ジュニア師もそれを全く考えないわけではなかったようだが、「牡馬に牝馬を挑ませろとは誰でも簡単に言いますが、もし負けたら、なぜ牡馬と対戦させたのかと文句を言われるでしょう」として、BCクラシック参戦を否定した。
BCディスタフ
ランガー夫人も同じ考えだったため、結局、本馬の次走はベルモントパーク競馬場で行われたBCディスタフ(GⅠ・D9F)となった。このレースにはコロニアルウォーターズなども出走していたが、何と言っても最大の強敵は、亜国のGⅠ競走パレルモ大賞を勝った後に米国に移籍して、前年のBCディスタフを筆頭に、サンタマルガリータH2回・アップルブロッサムH・ミレイディH2回・ヴァニティH・ラフィアンH・スピンスターS2回・サンタマリアHを勝ち、通算でGⅠ競走12勝を挙げていた現役米国最強古馬牝馬バヤコアだった。本馬が単勝オッズ1.7倍の1番人気で、バヤコアが単勝オッズ2.1倍の2番人気となった。3番人気コロニアルウォーターズは単勝オッズ15.2倍であり、完全に本馬とバヤコアの一騎打ちムードであった。
スタートしてすぐにバヤコアが先頭に立ったが、しばらくして本馬が先頭を奪い取り、内側の本馬が外側のバヤコアを半馬身ほどリードする形でレースは進んだ。レースはそのまま2頭のマッチレースの様相を呈し、相変わらず本馬がバヤコアを半馬身ほどリードした状態で直線を向いた。直線でもしばらく2頭の激しい一騎打ちが続き、どちらが勝つかと観衆が手に汗を握った次の瞬間、残り1ハロンを切った地点で突然本馬が前のめりになって転倒し、ロメロ騎手は地面に叩きつけられた。単騎となったバヤコアがそのまま後続を寄せ付けず2着コロニアルウォーターズに6馬身3/4差で圧勝したが、5万1236人の観衆が詰め掛けた競馬場全体が静まりかえっていた。
倒れたまま動かないロメロ騎手はすぐに担架で運ばれて行き、苦しみながら歩き回る本馬の元にはすぐにバジェット・ジュニア師と、彼の新婚の妻で本馬の調教助手を務めていたローズ夫人が駆けつけた。ロメロ騎手は大事には至らなかったが、本馬は右前脚複雑骨折で予後不良の診断が下され、ローズ夫人の腕に抱かれながらその場で安楽死の措置が執られた。バヤコア陣営は喜ぶことも出来ず、涙を流しながら優勝トロフィーを受け取った。バジェット・ジュニア師とローズ夫人はレース後に新婚旅行に出発する予定だったらしく、幸福の絶頂の中でこの悲劇を迎えることになってしまった。本馬の遺体はこの翌日にサラトガ競馬場に運ばれて場内に埋葬された。この一件はブリーダーズカップ史上最大の悲劇として今でも語り継がれている。
故障の原因については色々言われており、この年のブリーダーズカップに何頭もの管理馬を出走させていたダレル・ウェイン・ルーカス調教師は、過去2日間の強風により馬場が極端に乾燥した事を原因として挙げているが、本当のところは不明である。この年のブリーダーズカップでは、BCスプリントにおいてもミスターニッカーソンという馬がレース中に心臓発作を起こして倒れ、後方を走っていたシェイカーニットという馬がそれに激突して2頭とも命を落とす事故や、同じBCスプリントで勝利目前だったデイジュールがゴール直前でスタンドの影に驚いてジャンプして敗れるなど、全体的に後味が悪い大会となってしまった。
悲劇的な結末だったが、事故発生前までの本馬とバヤコアの一騎打ちは名勝負として知られており、2002年に英オブザーヴァー紙のショーン・マギー氏が選出した「競馬史上最も素晴らしかった競走ベスト10」においても第9位に入っている。
3歳時の成績は9戦7勝で、この年のエクリプス賞最優秀3歳牝馬に選ばれた(年度代表馬選考でも最有力候補だったが、選出されたのはクリミナルタイプだった)。
競走馬としての評価
本馬はその圧倒的な強さと、同じベルモントパーク競馬場で故障して予後不良となった点から、ラフィアンと比較されることが多く、“ラフィアンの再来”として紹介されることがある。本馬が1996年に米国競馬の殿堂入りを果たしたとき、クリスティアナステーブルの代表ランガー夫人は「彼女は喜びに満ち、自由奔放に走りました。それが彼女について私が皆さんに覚えておいてほしいと思うことです。私はあんな愛らしい牝馬を所有できた事を感謝します」と語った(米ブラッドホース誌発行の“Thoroughbred Champions(20世紀米国名馬100選)”より引用)。なお、本馬が勝ったマスケットSは1994年にゴーフォーワンドHと改名され、ベルモントパーク競馬場からサラトガ競馬場に開催場所が移された。米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選で第72位。
血統
Deputy Minister | Vice Regent | Northern Dancer | Nearctic | Nearco |
Lady Angela | ||||
Natalma | Native Dancer | |||
Almahmoud | ||||
Victoria Regina | Menetrier | Fair Copy | ||
La Melodie | ||||
Victoriana | Windfields | |||
Iribelle | ||||
Mint Copy | Bunty's Flight | Bunty Lawless | Ladder | |
Mintwina | ||||
Broomflight | Deil | |||
Air Post | ||||
Shakney | Jabneh | Bimelech | ||
Bellesoeur | ||||
Grass Shack | Polynesian | |||
Good Example | ||||
Obeah | Cyane | Turn-to | Royal Charger | Nearco |
Sun Princess | ||||
Source Sucree | Admiral Drake | |||
Lavendula | ||||
Your Game | Beau Pere | Son-in-Law | ||
Cinna | ||||
Winkle | Windsor Lad | |||
Cora Pearl | ||||
Book of Verse | One Count | Count Fleet | Reigh Count | |
Quickly | ||||
Ace Card | Case Ace | |||
Furlough | ||||
Persian Maid | Tehran | Bois Roussel | ||
Stafaralla | ||||
Aroma | Fairway | |||
Aloe |
父デピュティミニスターは当馬の項を参照。
母オベアは、デラウェアH2回・ヴァインランドH・フィレンツェH・ブルーヘンSなど46戦11勝を挙げた活躍馬。ちなみに“Thoroughbred Champions”によると、オベアという馬名はアフリカおよび西インド諸島で行われる呪術一般の総称であり、本馬の馬名ゴーフォーワンドが“going for a wand to protect yourself from an obeah or voodoo curse.(呪術から貴方を守るために魔法の杖を取りに行きます)”という言葉に由来するのは母の名前にちなんでいるという。繁殖牝馬としては、本馬の半兄ダンススペル(父ノーザンダンサー)【サラナクS(米GⅡ)・ジェロームH(米GⅡ)・ジャマイカH】、半姉ディスコラマ(父ノーザンダンサー)【ガゼルH(米GⅡ)】などを産んだ。オベアの半姉アメリヴァース(父アメリゴ)の子にはガーデンヴァース【モリーピッチャーH(米GⅡ)】、その子にはガーソーン【メトロポリタンH(米GⅠ)・スタイヴァサントH(米GⅡ)・ホーソーン金杯H(米GⅡ)・エクセルシオールH(米GⅡ)・ウエストチェスターH(米GⅢ)】、孫にはクロロフィル【クールモアクラシック(豪GⅠ)】が、オベアの半妹ターガ(父キャノネイド)【サンタマリアH(米GⅡ)】の子にはマムゼルベベット【ラブレアS(米GⅢ)・モンロヴィアH(米GⅢ)・ラスフローレスBCH(米GⅢ)・ラスシエネガスBCH(米GⅢ)】がいる。
オベアの母ブックオブヴァースの半姉ミックスドマリアージュの子にはネイティヴダンサーの後継種牡馬として知られるエタン、孫にはテンタム【メトロポリタンH(米GⅠ)・ガヴァナーS(米GⅠ)・ユナイテッドネーションズH(米GⅠ)】とノウンファクト【英2000ギニー(英GⅠ)・ミドルパークS(英GⅠ)】の兄弟、曾孫にはタピアノ【スピナウェイS(米GⅠ)・メイトロンS(米GⅠ)・デモワゼルS(米GⅠ)】、ゴーンウエスト【ドワイヤーS(米GⅠ)】がいる。→牝系:F2号族②
母父シアンはターントゥの直子で、現役成績14戦6勝。ベルモントフューチュリティS・ドワイヤーSの優勝馬。