デピュティミニスター

和名:デピュティミニスター

英名:Deputy Minister

1979年生

黒鹿

父:ヴァイスリージェント

母:ミントコピー

母父:バンティーズフライト

エクリプス賞最優秀2歳牡馬に輝きながら米国競馬関係者の評価が低かったが、種牡馬としての大活躍で見事見返した加国血統の名馬

競走成績:2~4歳時に加米で走り通算成績22戦12勝2着2回3着2回

誕生からデビュー前まで

加国センチュリオンファームの生産・所有馬で、加国のビル・マルコ調教師に預けられた。

競走生活(2歳時)

2歳5月にウッドバイン競馬場で行われたダート5ハロンの未勝利戦で、主戦となるL・ダフィー騎手を鞍上にデビューし、2着となった同父馬ブレイヴリージェント(後のカップ&ソーサーS・クイーンストンS・マリーンSの勝ち馬)に4馬身差をつけて快勝した。それから8日後に出走したヴィクトリアS(D5F)では、57秒2のコースレコードを計時して、2着ヤングシップに3馬身3/4差、3着となった後のトレモントSの勝ち馬リーガルストーンにはさらに4馬身半差をつけて勝利を収めた。

続いて米国ベルモントパーク競馬場に向かい、6月のユースフルS(D5.5F)に出走。フラッシュSを勝ってきたリンガロ(後に亜国で種牡馬として活躍している)を1馬身1/4差の2着に、後にフラミンゴSで2着するニューディスカヴァリーを3着に破って勝利した。

その後はいったん地元に戻って、同月のクラレンドンS(D5.5F)に出走。2着リッチソウルに4馬身3/4差、3着ロイヤルフリージアンにはさらに1馬身1/4差をつけて勝利した。翌7月のコリンS(D6F)でも、2着リッチソウルに1馬身半差、3着メープルクリークにはさらに1馬身差をつけて勝利した。さらに翌8月のブルページS(D6F)では、4歳時にランパートS・ハイランダーSなどに勝ってソヴリン賞最優秀短距離馬に選ばれるフラウドスカッドを2馬身半差の2着に、メープルクリークをさらに2馬身半差の3着に破って完勝。これで地元加国では本馬に敵う2歳馬はいなくなった。

そこで再度ベルモントパーク競馬場に向かい、10月のシャンペンS(米GⅠ・D8F)にアンヘル・コルデロ・ジュニア騎手を鞍上に参戦。しかしウイルス性疾患から回復したばかりで調子が良くなく、ホープフルSの勝ち馬でカウディンS2着・サラトガスペシャルS・ベルモントフューチュリティS3着のタイムリーライター、ファッションS・スピナウェイS・アスタリタS・メイトロンSなど5戦全勝で臨んできたビフォアドーン(この年のエクリプス賞最優秀2歳牝馬)、ユースフルSで3着に破っていたニューディスカヴァリーの3頭に屈して、勝ったタイムリーライターから8馬身差の4着と完敗し、デビューからの連勝は6で止まった。

しかし米国にそのまま滞在して出走したローレルフューチュリティ(米GⅠ・D8.5F)では、新たに主戦となったD・マクベス騎手を鞍上に、後にレムセンSを勝ちケンタッキーダービーで2着するレーザーライト、後に加国際S2回・ソードダンサーH2回・マンノウォーS2回・レキシントンSなどを勝つマジェスティーズプリンス達を撃破。2着レーザーライトを鼻差抑えて勝利した。

翌11月に出走したヤングアメリカS(米GⅠ・D8.5F)も、2着レーザーライトに今度は3馬身差、3着リアルツイスター(9日後のレムセンSでレーザーライトの2着している)にはさらに1馬身差をつける完勝を収めた。

2歳時は9戦8勝の見事な成績で、ソヴリン賞年度代表馬・最優秀2歳牡馬だけでなく、ホープフルS・シャンペンSの勝ち馬タイムリーライターを抑えてエクリプス賞最優秀2歳牡馬のタイトルも獲得した。また、加国産馬として史上初めて2歳時フリーハンデ(エクスペリメンタルフリーハンデ)でトップにランクされた。ただし、米国の競馬関係者の中には加国産の本馬を軽視する者も多かったようで、加藤栄氏の著書「世界の種牡馬」によると、スピード指数の開発者として知られる競馬評論家アンドリュー・ベイヤー氏は「エクリプス賞最優秀2歳牡馬に値しないのは歴史が証明するだろう」と本馬を揶揄したそうである。

競走生活(3歳時)

3歳時は加国の名門牧場キングヘイヴンファームとセンチュリオンファームの共同所有馬となり、キングヘイヴンファームの専属調教師ジョン・J・タンマロ・ジュニア師の管理馬として、本格的に米国に腰を据えて走ることになった。米国競馬関係者からの酷評を自らの走りで払拭したい本馬だったが、3歳時はまるで別馬のようになってしまった。

1月のバハマズS(D7F)では、後にプリークネスS・ウィザーズSを勝利するアロマズルーラーの9馬身半差5着と大敗。翌月に出走したハイアリアパーク競馬場ダート7ハロンの一般競走では、前走バハマズSで頭差の2着だったディスティンクティヴプロの9馬身差9着最下位に沈んだ。

どうやらこの時期の本馬は、バハマズSのレース中に右前脚を誤って自分の右後脚で蹴って負傷してしまっていたようである。この怪我がなかなか治らなかったために米国三冠競走には出走さえできなかった。ただ、この怪我の理由はいわゆる後突症(下半身の力が強く、かつ前脚を掻きこむようにして走るタイプの競走能力が高い馬が起こしやすく、稀代の快速馬ザテトラークや、日本の名馬シンザンやタケシバオーもこれに悩まされていた)であると思われ、むしろ本馬の競走能力の高さを示すものでもあった。

3歳10月に地元ウッドバイン競馬場で行われたダート6ハロンの一般競走でようやく復帰に漕ぎ着けた。そして前走のニアークティックHで2着してきた4歳馬トゥーウリヤンを6馬身半差の2着に破る圧勝で復帰戦を飾った。しかし米国アケダクト競馬場に移動して出走したスポートページH(D6F)では、前走ヴォスバーグSで3着してきたモードリンに8馬身1/4差をつけられて7着に大敗。結局3歳時は4戦1勝の成績で終わってしまった。

競走生活(4歳時)

4歳時は米国の公認会計士兼株式仲買人ロバート・ブレナン氏が率いるデュープロセスステーブルに権利の一部(最終的には全部)が売却され、レナルド・H・ノーブルス調教師の管理馬として引き続き米国で走ることになった。

まずは1月にガルフストリームパーク競馬場で行われたスプリントチャンピオンH(D7F)に出走して、2着ワイプエムアウトに半馬身差、3着センターカットにはさらに2馬身半差をつけて勝利。続くドンH(米GⅡ・D9F)では、一般競走を3連勝してきた上がり馬キーカウントを1馬身1/4差の2着に、ローマーH・フェイエットS・クリスマスデイHの勝ち馬でルイジアナダービー2着・ワイドナーH3着のリヴァレロを3着に破って勝利した。

その後は5か月間レースに使えず、7月のトムフールS(米GⅡ・D7F)で復帰した。そしてジェロームHの勝ち馬フィットトゥファイト(翌年に23年ぶり史上4頭目のニューヨークハンデキャップ三冠馬になっている)を4馬身3/4差の2着に、前年のスポートページHで本馬を破った後にボールドルーラーSを勝っていたモードリンを3着に破って快勝した。

次走は1年9か月ぶりのGⅠ競走出走となるホイットニーH(米GⅠ・D9F)となった。しかし、ウッドワードS・ハリウッド金杯・マリブS・スーパーダービーを勝っていたアイランドワール、オークローンH・イングルウッドHの勝ち馬でアーカンソーダービー3着のボールドスタイル、この年のケンタッキーダービー・アーカンソーダービー・スーパーダービーを勝っていたサニーズヘイローの3頭に屈して、勝ったアイランドワールから2馬身3/4差の4着に敗れた(ブルーグラスSの勝ち馬でプリークネスS2着のリンケージには先着した)。

次走のウッドワードS(米GⅠ・D9F)では、アイランドワールに加えて、ウッドメモリアルS・ピーターパンSの勝ち馬でベルモントS・トラヴァーズS2着のスルーオゴールド、サンタアニタH・サンアントニオH・モンマスH・サンディエゴHの勝ち馬ベイツモーテル、セクレタリアトS・スタイミーH・グレイラグHの勝ち馬でサバーバンH・ブルックリンH2着のシングシングといった強豪馬勢が対戦相手となった。レースはこの年のエクリプス賞最優秀3歳牡馬に選ばれるスルーオゴールドが、この年のエクリプス賞最優秀古馬牡馬に選ばれるベイツモーテルを鼻差の2着に抑えて勝ち、本馬はこの2頭の接戦を後方から眺めるだけで、勝ったスルーオゴールドから12馬身差も離された6着に惨敗した。

次走のベルモントパーク競馬場ダート8ハロンの一般競走では、フィットトゥファイト、スーパーダービー・タンパベイダービーの勝ち馬でケンタッキーダービー3着のレインヴェステッドの2頭に敗れて、勝ったフィットトゥファイトから2馬身1/4差、2着レインヴェステッドから首差の3着だった。

次走のヴォスバーグS(米GⅠ・D7F)では、ジムダンディS・ジェロームHを勝ってきたアフェノメノン、フィットトゥファイトの2頭に敗れて、勝ったアフェノメノンから2馬身1/4差、2着フィットトゥファイトから半馬身差の3着だった。次走のスタイヴァサントH(米GⅡ・D9F)では、またしてもフィットトゥファイトに敗れて、1馬身1/4差の2着に終わった(ウッドワードSで3着だったシングシングには先着した)。

続くメドウランズC(米GⅠ・D10F)では、ヤングアメリカS・パターソンHの勝ち馬スルーピーとゴールまで先頭争いを演じたが、最後に首差遅れて2着。これが最後のレースとなり、4歳時9戦3勝の成績で競走馬を引退した。

米国競馬関係者からの評価が低かった本馬だが、米国の競馬ファンからの評価はそれほど低くは無かったようで、加国競馬名誉の殿堂博物館のウェブサイトには「その驚くべきスピードと不屈の闘志は、加国と米国双方の競馬ファンを魅了し、シンデレラのように扱われていました」と記載されている。

血統

Vice Regent Northern Dancer Nearctic Nearco Pharos
Nogara
Lady Angela Hyperion
Sister Sarah
Natalma Native Dancer Polynesian
Geisha
Almahmoud Mahmoud
Arbitrator
Victoria Regina Menetrier Fair Copy Fairway
Composure
La Melodie Gold Bridge
La Souriciere
Victoriana Windfields Bunty Lawless
Nandi
Iribelle Osiris
Belmona
Mint Copy Bunty's Flight Bunty Lawless Ladder Ladkin
Panoply
Mintwina Mint Briar
Edwina
Broomflight Deil Diavolo
Gallant Lady
Air Post Ariel
Posted
Shakney Jabneh Bimelech Black Toney
La Troienne
Bellesoeur Beau Pere
Donatrice
Grass Shack Polynesian Unbreakable
Black Polly
Good Example Pilate
Parade Girl

ヴァイスリージェントは当馬の項を参照。

母ミントコピーは現役時代2歳から6歳まで走りまくり、76戦11勝の成績を挙げた頑健な馬。現役途中のクレーミング競走においてセンチュリオンファームにより6250ドルで購入されていた。母としては7頭の子を産んだが、ステークスウイナーは本馬のみだった。ミントコピーの母シェイクニーは8戦未勝利。

シェイクニーの母グラスシャックは優秀な牝系を構築しており、シェイクニーの半姉ウェルスタックドの曾孫にクラウディーズナイト【加国際S(加GⅠ)】が、半姉グラスルーツの曾孫にナイツバロネス【愛オークス(愛GⅠ)】が、半妹クローバーレーン【アーリントンワシントンラッシーS】の曾孫にコレクトザキャッシュ【クイーンエリザベスⅡ世CSS(米GⅠ)】、玄孫世代以降にミュージカルロマンス【BCフィリー&メアスプリント(米GⅠ)・プリンセスルーニーH(米GⅠ)】などが、半妹カムアショアの曾孫にドワイルドキャット【フランクJドフランシス記念ダッシュS(米GⅠ)】が、半妹ポリネシアンチャームの孫に1999年のエクリプス賞年度代表馬カリズマティック【ケンタッキーダービー(米GⅠ)・プリークネスS(米GⅠ)】、ミレニアムウインド【ブルーグラスS(米GⅠ)】がいる。

グラスシャックの半妹イクスクルシヴもかなり優秀な牝系を構築しており、子にアーヴカプ【ジェロームH】、エクスクルシヴネイティヴ(アファームドジェニュインリスクの父)【アーリントンクラシックS】、イクスクルシヴダンサー 【プライオレスS】、孫にジェネラルアセンブリー【ホープフルS(米GⅠ)・トラヴァーズS(米GⅠ)】、曾孫にインターコ【サンタアニタH(米GⅠ)・サンフェルナンドS(米GⅠ)・サンルイレイS(米GⅠ)・センチュリーH(米GⅠ)】、ヴェルサイユトリーティ【テストS(米GⅠ)・アラバマS(米GⅠ)・ガゼルH(米GⅠ)・ラフィアンH(米GⅠ)】など、玄孫世代以降にセントヒラリオン【イタリア大賞(伊GⅠ)・伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ)】、ムータラム【愛チャンピオンS(愛GⅠ)・伊共和国大統領賞(伊GⅠ)】、ジョージバンクーバー【BCジュヴェナイルターフ(米GⅠ)】、日本で走ったゴールドティアラ【マイルCS南部杯(GⅠ)】などがいる。→牝系:F10号族①

母父バンティーズフライトは現役時代、加国を主戦場として走り43戦13勝。主な勝ち鞍はサマーS・ヴィクトリアS・アイオープナーS。バンティーズフライトの父バンティロウレスも加国で走り通算成績47戦19勝、加CSS2回・クラレンドンプレート・キングズプレートS・ハレ記念H・ロングブランチCSS・マッキンタイア&ラウドン記念Hなどの勝ち馬。種牡馬としても優秀な成績を収め、1951年にカナディアンプレスが実施した加国の20世紀前半代表馬選出投票において堂々の第1位に選ばれたほどの名馬であり、1976年には加国競馬の殿堂入りも初年度で果たしている。

バンティーズフライトの父ラダーは米国で走り、ジェニングスH・ピムリコホームブレッドHに勝ち、ウィザーズS2着、プリークネスS3着など44戦8勝の中級競走馬。ラダーの父ラドキンはフェアプレイ産駒で、現役成績は25戦9勝、レムセンH・ドワイヤーS・エッジメアH・カールトンS・ブロードウェイSなどを勝ち、1924年に米国で行われた国際競走インターナショナルスペシャル第2戦では仏国から参戦してきた名馬エピナードを2着に破って勝っている。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、父ノーザンダンサーを生産した加国の名門牧場ウインドフィールズファームにより権利の過半数が購入され、ノーザンダンサーが過ごしていたウインドフィールズファーム米国メリーランド州支場で種牡馬入りした。しかし父ノーザンダンサーはともかくとして母方の血統が米国では馴染みが無かった上に、前述のように米国の競馬関係者からの評価は低く、あまり期待されていなかった。

しかし本馬はそうした状況を自らの子出しの良さで覆してみせた。2年目産駒からニューヨーク牝馬三冠馬オープンマインドを輩出。3年目産駒からは悲劇の名牝ゴーフォーワンドを出した。オープンマインドがニューヨーク牝馬三冠馬となり、ゴーフォーワンドがエクリプス賞最優秀2歳牝馬に選ばれた1989年からはケンタッキー州ブルックデールファームで種牡馬生活を開始し、繁殖牝馬の質も一層向上。1997・98年にはBCクラシックの勝ち馬オーサムアゲイン、ベルモントSの勝ち馬タッチゴールド、トラヴァーズSの勝ち馬デピュティコマンダーなどの大活躍で2年連続北米首位種牡馬の座を獲得。エクリプス賞最優秀2歳牡馬に十分すぎるほど値していたことを歴史が証明してくれた。

ブルックデールファームに移動する前年の1988年には加国競馬の殿堂入りを果たしている。全盛期の種付け料は15万ドルで、産駒のステークスウイナーは90頭となっている。25歳となった2004年においても種付け料10万ドルを誇り、71頭の牝馬と交配して64頭を受胎させるほどであり、年齢を感じさせない活躍を見せていた。しかし同年に鼻腔に悪性腫瘍を発症してしまい、オハイオ州立大学獣医病院で治療を受けていたが、悪性腫瘍に起因する心不全のために9月に他界し、ブルックデールファームに埋葬された。

繁殖牝馬の父としては108頭のステークスウイナーを出し、カーリンラグストゥリッチズの2頭が大活躍した2007年には北米母父首位種牡馬に輝いている。オーサムアゲインが既に後継種牡馬として成功している。日本では直子フレンチデピュティがクロフネの父としてお馴染みであるし、カネヒキリの母父も本馬である。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1985

King's Deputy

加ブリーダーズS

1986

Open Mind

BCジュヴェナイルフィリーズ(米GⅠ)・デモワゼルS(米GⅠ)・ケンタッキーオークス(米GⅠ)・エイコーンS(米GⅠ)・マザーグースS(米GⅠ)・CCAオークス(米GⅠ)・アラバマS(米GⅠ)・ボニーミスS(米GⅡ)・フォワードギャルS(米GⅢ)

1987

Go for Wand

BCジュヴェナイルフィリーズ(米GⅠ)・アッシュランドS(米GⅠ)・マザーグースS(米GⅠ)・テストS(米GⅠ)・アラバマS(米GⅠ)・マスケットS(米GⅠ)・ベルデイムS(米GⅠ)・ボーモントS(米GⅢ)

1987

The Prime Minister

グッドウッドH(米GⅡ)

1988

Visible Gold

サンタアニタBCH(米GⅢ)

1989

Deputation

テンプテッドS(米GⅢ)

1989

Salt Lake

ホープフルS(米GⅠ)・カウディンS(米GⅡ)・キングズビショップS(米GⅡ)・フォールハイウェイトH(米GⅡ)・トレモントBCS(米GⅢ)

1989

Star Minister

コティリオンH(米GⅡ)

1989

Stolen Beauty

デモワゼルS(米GⅡ)

1990

Flag Down

レッドスミスH(米GⅡ)・WLマックナイトH(米GⅡ)・ボーリンググリーンH(米GⅡ)・パンアメリカンH(米GⅡ)・ガルフストリームパークBCターフS(米GⅡ)・エドモンブラン賞(仏GⅢ)・ラクープ(仏GⅢ)

1991

Dehere

ホープフルS(米GⅠ)・シャンペンS(米GⅠ)・サラトガスペシャルS(米GⅡ)・ファウンテンオブユースS(米GⅡ)・サンフォードS(米GⅢ)

1991

Run Softly

ヴォランテH(米GⅢ)

1991

War Deputy

ケンタッキージョッキークラブS(米GⅢ)

1992

Clear Mandate

シュヴィーH(米GⅠ)・ジョンAモリスH(米GⅠ)・スピンスターS(米GⅠ)・コティリオンH(米GⅡ)

1992

French Deputy

ジェロームH(米GⅡ)

1992

Minister Wife

デモワゼルS(米GⅡ)

1992

Mr. Purple

サンタアニタH(米GⅠ)・ハリウッドジュヴェナイルCSS(米GⅡ)・アファームドH(米GⅢ)

1993

Always a Classic

ETターフクラシックS(米GⅡ)・エクスプローシヴビッドH(米GⅢ)

1993

Da Dean

ローレンスリアライゼーションH(米GⅢ)

1993

Mongol Warrior

ドイツ大賞(独GⅡ)

1993

Victory Speech

ストラブS(米GⅠ)・ドワイヤーS(米GⅡ)・スワップスS(米GⅡ)・ラザロSバレラH(米GⅢ)

1993

トーヨーシアトル

東京大賞典(GⅠ)・東海菊花賞(GⅡ)・ウインターS(GⅢ)・平安S(GⅢ)

1994

Awesome Again

BCクラシック(米GⅠ)・ホイットニーH(米GⅠ)・クイーンズプレート・ジムダンディS(米GⅡ)・スティーヴンフォスターH(米GⅡ)・サラトガBCH(米GⅡ)・ホーソーン金杯(米GⅢ)

1994

Deputy Commander

トラヴァーズS(米GⅠ)・スーパーダービー(米GⅠ)・アファームドH(米GⅢ)

1994

Fabulously Fast

テストS(米GⅠ)

1994

Minister's Melody

アーリントンオークス(米GⅢ)

1994

Touch Gold

ベルモントS(米GⅠ)・ハスケル招待H(米GⅠ)・レキシントンS(米GⅡ)

1994

トーヨーレインボー

シリウスS(GⅢ)・中京記念(GⅢ)

1995

Keeper Hill

ラスヴァージネスS(米GⅠ)・ケンタッキーオークス(米GⅠ)・スピンスターS(米GⅠ)

1995

Well Chosen

アッシュランドS(米GⅠ)

1995

Yarrow Brae

イリノイダービー(米GⅡ)

1996

Better Than Honour

デモワゼルS(米GⅡ)

1997

Atelier

モリーピッチャーBCH(米GⅡ)・ターンバックジアラームH(米GⅢ)・ネクストムーヴH(米GⅢ)

1997

Forest Camp

デルマーフューチュリティ(米GⅡ)

1997

Hello Seattle

マザリーンBCS(加GⅠ)

1998

Minister's Baby

ガーデニアH(米GⅢ)

1998

Turnberry Isle

ベレスフォードS(愛GⅢ)

1999

Trial by Jury

ダラスターフCH(米GⅢ)

2000

Fast Cookie

コティリオンH(米GⅡ)

2000

Go Deputy

ソードダンサー招待S(米GⅠ)・ボーリンググリーンH(米GⅡ)

2000

Miss Fortunate

ターフウェイBCS(米GⅢ)

2002

Evil Minister

サプリングS(米GⅢ)

2003

Miss Shop

パーソナルエンスンS(米GⅠ)・ランパートH(米GⅡ)・ターンバックジアラームH(米GⅢ)

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