ジェニュインリスク
和名:ジェニュインリスク |
英名:Genuine Risk |
1977年生 |
牝 |
栗毛 |
父:エクスクルシヴネイティヴ |
母:ヴァーチャス |
母父:ギャラントマン |
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65年ぶり史上2頭目の牝馬のケンタッキーダービー馬は米国三冠競走全てで入着した史上唯一の牝馬ともなる |
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競走成績:2~4歳時に米で走り通算成績15戦10勝2着3回3着2回 |
誕生からデビュー前まで
米国ケンタッキー州でサリー・ハンフリー夫人により生産された。1歳7月にファシグ・ティプトン社がケンタッキー州で実施したセリに出品され、ヴァージニア州で馬産活動もしていた不動産業者バートラム・ファイアストーン氏とダイアナ・ファイアストーン夫人により3万2000ドルで落札された。本馬を気に入ったのはファイアストーン夫妻ではなく、ファイアストーン夫妻の息子で当時14歳のマシュー君だった。マシュー君は本馬が、その前月に米国三冠馬に輝いたアファームドと同じくエクスクルシブネイティヴ産駒であり、しかもエクスクルシブネイティヴとは流星や右後脚のストッキングまで同じだった事に感動して気に入ったらしい。そして両親を説得して本馬を買ってもらったのだという。
ルロイ・ジョリー調教師に預けられ、“Genny”の愛称で呼ばれた本馬だったが、非常に意志が強く、人間の指示にはなかなか従おうとしなかった。しかし調教助手のジョン・“バック”・ムーア氏は、本馬に幾度も跳ね落とされながらも辛抱強く信頼関係の構築に励み、本馬は徐々にその素質を開花させていった。
競走生活(2歳時)
2歳9月にベルモントパーク競馬場で行われたダート6.5ハロンの未勝利戦で、主戦となるファシント・ヴァスケス騎手を鞍上にデビュー。本馬にとってあまり得意ではない不良馬場となったが、1番人気に応えて2着リモートルーラーに1馬身3/4差で快勝した。翌月に出たアケダクト競馬場ダート8ハロンの一般競走では、2着ゴーイングイーストに7馬身1/4差をつけて圧勝した。11月に出たテンプテッドS(D8F)では、セリマSで3着してきたストリートバレエ(後にジャパンCダートの勝ち馬フリートストリートダンサーの母となる)、フリゼットSで3着してきたハードシップ、メイトロンS4着馬テルアシークレット(後にドバイワールドCの勝ち馬ロージズインメイの母となる)などが対戦相手となったが、2着ストリートバレエに3馬身差をつけて快勝した。
それから12日後のデモワゼルS(GⅡ・D9F)では、スピナウェイS・メイトロンS・フリゼットS・セリマSと既にGⅠ競走を4勝していたスマートアングル(この年のエクリプス賞最優秀2歳牝馬に選ばれる。後にサンデーサイレンスを破った数少ない馬の1頭ヒューストンの母となる)、オンタリオデビュータントS・プリンセスエリザベスS・ナタルマSの勝ち馬でセリマS2着のパーエクセランス(この年のソヴリン賞最優秀2歳牝馬に選ばれる)という強敵2頭との対戦となった。レースは本馬とスマートアングルが直線で激しい叩き合いを演じた末に、本馬が競り勝って鼻差で勝利した。2歳時は4戦全勝の成績だった。
競走生活(3歳初期)
3歳時は3月にガルフストリームパーク競馬場で行われたダート7ハロンの一般競走から始動して、2着ソーバージグに2馬身半差で楽勝した。続くアケダクト競馬場ダート8ハロンのハンデ競走も、テンプテッドSで3着だったテルアシークレットを2馬身1/4差の2着に抑えて勝利した。
この頃にヴァスケス騎手は、本馬は牡馬相手でも引けを取らない逸材であり、ケンタッキーダービーでも好勝負になると主張していた。この4年半前に自身が管理していたケンタッキーダービー馬フーリッシュプレジャーとのマッチレース中に故障を起こして命を落としたラフィアンの事が念頭にあったジョリー師は、牝馬を牡馬相手に戦わせる事に消極的だった。しかし当のマッチレースでラフィアンに騎乗していたヴァスケス騎手の主張をひとまず受け入れて、まずは1度牡馬相手に対戦をさせてみる事になり、本馬は前走から2週間後のウッドメモリアルS(GⅠ・D9F)に出走した。ローレルフューチュリティ・フロリダダービー・レムセンS・ハッチソンSの勝ち馬プラグドニックル、ベイショアS・ゴーサムSを連勝してきたコロネルモラン、シャンペンSの勝ち馬でファウンテンオブユースS2着のジョーニーズチーフ、レムセンS2着・ホープフルS・シャンペンS3着のグーゴルプレックス、ゴーサムSで2着してきたダンハムズギフト、ブリーダーズフューチュリティS2着馬ディジェナレイトジョンといった牡馬勢が対戦相手となった。スタートが切られると、プラグドニックルがこの年のエクリプス賞最優秀短距離馬に選ばれるほどの快速を活かして先頭に立ち、コロネルモランが2番手、本馬は3番手を追走した。そのままの態勢で直線に入ると、内埒沿いに逃げていたプラグドニックルがだんだん外側によれてきて、追いかけてきたコロネルモランと本馬の前方を塞ぐような形となった。それで追ってきた2頭は進路変更を余儀なくされ、結局プラグドニックルが逃げ切り、1馬身差の2着がコロネルモラン、本馬はさらに頭差の3着に敗れた(プラグドニックルの進路妨害はとられなかった)。
この敗戦を受けてジョリー師は、本馬をケンタッキーダービーではなくケンタッキーオークスに向かわせるべきだと主張したが、ウッドメモリアルSの直線でいったん進路を塞がれて体勢を崩しながらも再び盛り返してきた闘争心を評価したファイアストーン夫妻は、本馬をケンタッキーダービーに挑戦させることにした。なお、ウッドメモリアルSで牝馬が入着したのは、1937年に3着したジュエルドーセット、1945年に2着したギャロレット、1947年に2着したキャロラインエー以来33年ぶり史上4例目で、本馬以降には1例もない。
ケンタッキーダービー
そして迎えたケンタッキーダービー(GⅠ・D10F)では、プラグドニックル、前走4着のディジェナレイトジョンに加えて、サプリングS・ベルモントフューチュリティS・ブルーグラスS・カウディンS・エヴァーグレイズSを勝っていた前年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬ロックヒルネイティヴ、サンタアニタダービー・ハリウッドダービーと連続2着してきたサンタカタリナSの勝ち馬ルンボ、カリフォルニアダービー・カリフォルニアブリーダーズチャンピオンSの勝ち馬ジャクリンクラッグマン、ブルーグラスSで2着してきたスーパーモーメント、ブリーダーズフューチュリティSの勝ち馬でホープフルS・ローレルフューチュリティ・ヤングアメリカS2着・サプリングS・ベルモントフューチュリティS・ブルーグラスS3着のゴールドステージ、ブリーダーズフューチュリティS3着馬トンカワカン、アーカンソーダービー2着馬ボールドンルーリング、アーリントンワシントンフューチュリティの勝ち馬エグゼキューションズリーズンなど12頭の牡馬・騙馬が対戦相手となった。
ロックヒルネイティヴが1番人気、プラグドニックルが2番人気で、1959年に後の米国顕彰馬シルヴァースプーンが挑んで(結果は単勝オッズ11.8倍の8番人気で5着。ちなみにこの時の勝ち馬トミーリーは本馬の母の伯父である)以来、牝馬としては21年ぶりのケンタッキーダービー出走となった本馬は、単勝オッズ14倍で6番人気の評価だった。
スタートが切られると、ロックヒルネイティヴ、プラグドニックルなどが先頭争いを演じ、本馬は先行集団の直後7番手の好位につけた。最初の2ハロン通過は24秒、半マイル通過が48秒であり、厳しいペースになりがちなケンタッキーダービーとしては緩いペースだった。そのために先行馬勢には余力が十分あってもおかしくないはずだったが、三角手前で本馬が外側を通って仕掛けると、先行馬勢は次々に追い抜かれていった。本馬は四角途中で先頭に躍り出ると、そのまま直線を押し切ろうとした。後方からは、4番手で直線を向いたジャクリンクラッグマンと6番手で直線を向いたルンボの2頭が必死に追ってきた。しかし本馬が押し切り、2着ルンボに1馬身差、3着ジャクリンクラッグマンにはさらに1馬身差をつけて優勝した。
牝馬がケンタッキーダービーを勝ったのは1915年のリグレット以来65年ぶり史上2頭目だったが、リグレットの時期におけるケンタッキーダービーの格はずばぬけて高いというほどではなく、ケンタッキーダービーが文句なしに米国一の大競走となって以降では本馬が初の女王である。なお、ラスト2ハロンにおける本馬の走破タイム22秒6はケンタッキーダービー史上2番目の速さだった(1位はセクレタリアト)。元々牡馬路線と牝馬路線が明確に分かれていた上に、ラフィアンの事故以来、牝馬を牡馬と対戦させるべきではないとする風潮が強くなっていた米国競馬界に、本馬の勝利が与えた衝撃と驚きは非常に大きなものだった。
プリークネスS
陣営はこの後も本馬を米国三冠路線に挑戦させた。次走のプリークネスS(GⅠ・D9.5F)では、前走で完敗したロックヒルネイティヴとプラグドニックルに加えて、前走2着のルンボがいずれも回避したせいもあり、本馬が単勝オッズ3倍の1番人気に支持された。対戦相手は、ウッドメモリアルS2着後にケンタッキーダービーを回避してウィザーズSを勝ってきたコロネルモラン、サンタアニタダービー・ハリウッドダービーを連勝したがケンタッキーダービーには不参戦だったコーデックス(管理するウェイン・ルーカス調教師が故障を気にしてケンタッキーダービーを回避したが、プリークネスSにはルーカス師の息子で調教助手だったジェフ氏が勝手に登録したために参戦してきた)、前走3着のジャクリンクラッグマン、ウッドローンSで2着してきたナイトランディングなどだった。
スタートが切られると、人気薄のナイトランディングが先手を奪い、コーデックスなどがそれを追撃。本馬は前走よりもスタート直後の行き脚が鈍かったが、最初のコーナーで内側を利して位置取りを少し上げ、道中は4番手を進んだ。三角途中で先行集団からコーデックスが抜け出すと、本馬もそれを追って加速し、四角途中で外側からコーデックスに並びかけた。ところがこのとき、外側に膨らんだコーデックスに馬体をぶつけられた本馬は少し体勢を崩してしまった。直線に入ると体勢を立て直して、前を行くコーデックスを追ったが、逆に差を広げられてコーデックスから4馬身3/4差の2着に敗れた。
レース終了後、本馬陣営はコーデックスの進路妨害に加えて、コーデックス鞍上のアンヘル・コルデロ・ジュニア騎手が本馬の身体を鞭で叩いたとしてピムリコ競馬場側に異議申立てを行った。しかし馬体の接触は故意ではなく、鞭で叩いた証拠も無いとして着順の変更は認められなかった。その後、陣営はメリーランド州競馬委員会にも訴え出たが、これも認められなかった。筆者が映像で見た限りでは、コーデックスが四角で膨らんで本馬に接触しているのは確かだが、コルデロ・ジュニア騎手が本馬の身体を鞭で叩いたかどうかは判然としない。しかし別角度から撮られた写真を見ると、確かにコルデロ・ジュニア騎手の鞭が本馬の首を叩いているように見える。このこともあって、これはコルデロ・ジュニア騎手のラフプレイだったという意見が一般的となっているようであり、このプリークネスSが語られる際には「当時から現在に至るまで論争の的となっている」「馬体をぶつけられたためにジェニュインリスクは負けた」などと言われることがほとんどである。
ベルモントS
三冠最終戦のベルモントS(GⅠ・D12F)では、12ハロンという長距離に加えて、スタミナを消耗する重馬場が本馬には不利であるとして、コーデックス、ケンタッキーダービー2着後にゴールデンステートブリーダーズサイヤーズSを勝ってきたルンボに次ぐ3番人気となった。ケンタッキーダービー5着から直行してきたロックヒルネイティヴも参戦していたが5番人気とすっかり評価を落としていた。
レースはロックヒルネイティヴがスタート後しばらくして先頭に立ち、それをコーデックスなどが追撃。本馬はスタート直後こそ抑え気味に後方から進んだが、最初のコーナーで最内枠を利して馬群の好位5番手辺りまで押し上げてきた。そして向こう正面でじわじわと位置取りを上げて先頭に接近。コーデックスを内側からかわすと先頭のロックヒルネイティヴに並びかけた。そこへ外側からまくってきた8番人気の伏兵テンパランスヒル(アーカンソーダービーの勝ち馬だが三冠最初の2戦には参加せずに裏街道を進んできた)がさらに並びかけてきた。そしてロックヒルネイティヴ、本馬、テンパランスヒルの3頭が横一線で直線を向いて叩き合いとなったが、テンパランスヒルが徐々に前に出て優勝。本馬はロックヒルネイティヴには1馬身半先着したが、テンパランスヒルから2馬身差の2着に敗れた(コーデックスは7着)。
しかし、この年の3歳牡馬はこのように主役がころころ入れ代わる有様であり、そんな中で三冠競走に皆勤して全て2着以内に入った本馬の能力と安定感、体力は高く評価された。なお、米国三冠競走に皆勤した牝馬は本馬以外にはもう1頭、8年後のケンタッキーダービーを勝ったウイニングカラーズのみであるが、ウイニングカラーズはプリークネスSで3着、ベルモントSで6着最下位に終わっているため、米国三冠競走で全て入着した牝馬は今日に至るまで本馬のみである。
競走生活(3歳後半)
夏場は休養し、秋は9月のマスケットS(GⅡ・D8F)から始動した。このレースでは、この年にケンタッキーオークス・エイコーンS・CCAオークス・サンタスサナS・ファンタジーSとGⅠ競走5勝を挙げていた同世代馬ボールドンデターマインド、アラバマS・テストS・ガゼルHと3連勝中だった同世代馬ラヴサイン、ケンタッキーオークス・エイコーンS・マザーグースS・CCAオークス・ファンタジーS・ブラックアイドスーザンS・バレリーナSを勝っていた1歳年上のニューヨーク牝馬三冠馬ダヴォナデイルとの対戦となった。レースでは本馬、ダヴォナデイル、ボールドンデターマインドの後の米国顕彰馬3頭が揃って先頭で直線を向いた。まずダヴォナデイルが遅れ、本馬とボールドンデターマインドの壮絶な競り合いとなったが、本馬が鼻差敗れてしまい、初めて牝馬に先着を許す結果となった。
次走のラフィアンH(GⅠ・D9F)には、ボールドンデターマインドも前走3着のラヴサインも前走4着を最後に引退したダヴォナデイルの姿もなかったが、ヴァニティH2回・アラバマS・デラウェアオークスH・ラフィアンH・アーリントンワシントンラッシーS・オークリーフSなどを勝っていたイッツインジエア、ヘンプステッドH・バーバラフリッチーH・ディスタフH・ベッドオローゼズH・ロングルックHの勝ち馬でトップフライトH2着のミスティーガロアという新たな強敵2頭が出現した。今回は本馬、イッツインジエア、ミスティーガロアの3頭がゴールまで大激戦を演じたが、本馬が2着ミスティーガロアに鼻差、3着イッツインジエアにはさらに首差で勝利した。
この後にベルデイムSの出走も予定していたが回避(ラヴサインがミスティーガロアとイッツインジエアを抑えて勝っている)し、3歳時の成績は8戦4勝となった。エクリプス賞最優秀3歳牝馬のタイトルは、ボールドンデターマインドとの争いとなったが、三冠競走のパフォーマンスを評価された本馬が受賞した。
競走生活(4歳時)
翌4歳時は4月にアケダクト競馬場で行われたダート7ハロンの一般競走から始動して、2着バックトゥステイに9馬身半差をつけて圧勝し、格の違いを見せつけた。しかし5月に出たベルモントパ―ク競馬場芝8.5ハロンの一般競走では初の芝コースに戸惑ったのか、スミリンセラの2馬身差3着に敗れた。
その後はしばらくレースに出ず、8月にサラトガ競馬場で行われたダート7ハロンの一般競走に出走して、2着クラウンズドールに8馬身1/4差で圧勝。その後はウッドワードSに出走予定だったが、ベルモントパーク競馬場内における調教中に放馬した際、消火栓に激突して左膝を負傷したため、レース数日前に引退が発表された。4歳時の成績は3戦2勝だった。デビューから現役最後のレースまで1度も着外に敗れたことは無かった。
血統
Exclusive Native | Raise a Native | Native Dancer | Polynesian | Unbreakable |
Black Polly | ||||
Geisha | Discovery | |||
Miyako | ||||
Raise You | Case Ace | Teddy | ||
Sweetheart | ||||
Lady Glory | American Flag | |||
Beloved | ||||
Exclusive | Shut Out | Equipoise | Pennant | |
Swinging | ||||
Goose Egg | Chicle | |||
Oval | ||||
Good Example | Pilate | Friar Rock | ||
Herodias | ||||
Parade Girl | Display | |||
Panoply | ||||
Virtuous | Gallant Man | Migoli | Bois Roussel | Vatout |
Plucky Liege | ||||
Mah Iran | Bahram | |||
Mah Mahal | ||||
Majideh | Mahmoud | Blenheim | ||
Mah Mahal | ||||
Qurrat-Al-Ain | Buchan | |||
Harpsichord | ||||
Due Respect | ズクロ | Nasrullah | Nearco | |
Mumtaz Begum | ||||
Castagnola | Bois Roussel | |||
Queen of Scots | ||||
Auld Alliance | Brantome | Blandford | ||
Vitamine | ||||
Iona | Hyperion | |||
Jiffy |
父エクスクルシブネイティヴはアファームドの項を参照。
母ヴァーチャスは米国産馬で、競走馬としては仏米で走って10戦2勝、ヴァレドージュ賞を勝っている。ヴァーチャスの半兄にはシューラーヴィル(父キングオブザテューダーズ)【テンプルS(英GⅢ)】がいる。また、ヴァーチャスの半姉ウィムジー(父ホイッスラー)の娘である新国産馬トリクシーが日本に繁殖牝馬として輸入されている。トリクシーの子にはガバナスイセイ【キヨフジ記念】、曾孫にはヒノデチヨノオー【ジュニアC・王冠賞】、ヒノデティアラ【花吹雪賞】、玄孫にはスプリットメイド【リリーC・イノセントC】がおり、地方競馬の重賞勝ち馬が複数出ている。
ヴァーチャスの母デューリスペクトの半兄にはトミーリー【ケンタッキーダービー・ハリウッドジュヴェナイルCSS・デルマーフューチュリティ・ブルーグラスS】がいる。デューリスペクトの母オールドアライアンスの半妹スカイエの牝系子孫には、ロンドンニューズ【ダーバンジュライ(南GⅠ)・デイリーニューズ2000(南GⅠ)・SAクラシック(南GⅠ)・SAクイーンズプレート(南GⅠ)・J&Bメトロポリタン(南GⅠ)・クイーンエリザベスⅡ世C】、キャッシャーズドリーム【スピナウェイS(米GⅠ)】がいる。オールドアライアンスの母イオナの半兄にはオーシャンスウェル【英ダービー・アスコット金杯】、全妹にはスタッファ【伊オークス】がいる。→牝系:F1号族⑤
母父ギャラントマンは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は、米国ケンタッキー州スリーチムニーズファームで繁殖入りした。初年度の交配相手にはセクレタリアトが指名され、史上最強の米国三冠馬と、米国三冠馬に最も近づいた牝馬の組み合わせとなった。この子が無事に誕生していれば、両親共にケンタッキーダービー馬という史上初の馬となっていたのだが、残念ながら死産だった(ちなみにリグレットやウイニングカラーズもケンタッキーダービー馬との間に子はいないため、両親ともにケンタッキーダービー馬という馬は史上1頭も存在しない)。
その後も10年間にわたって死産や不受胎が相次ぎ、最初の子を産んだのは1993年、16歳時だった。しかしジェニュインリワードと命名されたこのラーイ産駒の牡駒は不出走に終わった。次に子を産んだのは1996年、19歳時で、チーフホンチョとの間に牡馬カウントアワーブレッシングを産んだ。しかしカウントアワーブレッシングも不出走に終わった。そして本馬が生涯で産んだ産駒は結局この2頭だけだった。
血統が評価されて種牡馬入りしたジェニュインリワードは基本的にポロ競技馬用種牡馬として供用され、何頭かの勝ち上がり馬こそ出したが活躍馬を出すことは出来なかった。また、カウントアワーブレッシングは去勢されて展示馬になっており、本馬の卓越した競走能力を受け継ぐ馬は残念ながら登場しなかった。
本馬は繁殖能力には問題があったが、それ以外の点ではすこぶる健康であり、2000年4月に正式に繁殖牝馬を引退した後もファイアストーン夫妻がヴァージニア州に所有するニューステッドファームで、牧場スタッフから溺愛されながら悠々自適の余生を送った。牧場では繁殖入りして日が浅いために子育てに慣れていない若い牝馬の育児をしばしば助けていたという。2008年8月、朝食を採った直後にパドックで倒れ、そのまま眠るように他界した。死因は老衰で、31歳という長命であり、存命中の当時最年長のケンタッキーダービー馬だった(本馬より8歳年下のウイニングカラーズは本馬より半年前に他界している)。1986年に米国競馬の殿堂入りを果たした。米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選で第91位。