ボールドンデターマインド

和名:ボールドンデターマインド

英名:Bold 'n Determined

1977年生

鹿毛

父:ボールドアンドブレーヴ

母:ピディ

母父:ディターミン

惜しくもニューヨーク牝馬三冠馬にはなれなかったがマスケットSで歴史的名牝2頭をまとめて撃破し米国競馬の殿堂入りも果たす

競走成績:2~4歳時に米で走り通算成績20戦16勝2着2回

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州においてゴードン・E・レイトン氏により生産され、コービン・ロバートソン氏の馬主団体サロンステーブルの所有馬となり、ニール・D・ドライスデール調教師に預けられた。後にプリンセスルーニープライズドエーピーインディハリウッドワイルドキャットフサイチペガサスなど多くの名馬を手掛けることになるドライスデール師だが、この当時はロジャー・ローリン厩舎やチャールズ・ウィッテンガム厩舎で修行した後に開業して日が浅かった新米調教師だった。

競走生活(2歳時)

2歳5月にハリウッドパーク競馬場で行われたダート5ハロンの未勝利戦で、エディ・デラフーセイ騎手を鞍上にデビュー。2着オーバードローンレディに頭差の辛勝ながら、デビュー勝ちを収めた。

その後は5か月間の調整期間を経て、10月にニュージャージー州メドウランズ競馬場で行われたダート6ハロンの一般競走で、アンヘル・コルデロ・ジュニア騎手を鞍上に復帰。不良馬場だったが、2着ローデッドガンに4馬身差をつけて圧勝した。この11日後に出走したベルモントパーク競馬場ダート8ハロンの一般競走でも不良馬場だったが、2着テルアシークレット(後にドバイワールドC勝ち馬ロージズインメイの母になる)に5馬身差で圧勝。この僅か9日後にはカリフォルニア州に戻り、オークリーフS(GⅡ・D8.5F)に出走した。アノアキアSの勝ち馬でデルマーデビュータントS2着のヘイゼルアール、アノアキアS2着のバックアットトゥー、デルマーデビュータントS・アノアキアSでいずれも3着だったアーケーズアンボなどが対戦相手となったが、コルデロ・ジュニア騎手が騎乗した本馬が2着ヘイゼルアールに3馬身差をつけて勝利した。2歳時は4戦全勝の成績だった。

競走生活(3歳前半)

3歳時はデラフーセイ騎手を正式な主戦として迎え、1月末のパサデナS(D6F)から始動した。ヘイゼルアール、オークリーフSで7着に終わっていたバックアットトゥーに加えて、タッセルS・フレッシュマンS・トゥマーケットSを勝っていたサンダーティーが挑んできたが、本馬が2着サンダーティーに2馬身差で快勝した。翌月のサンタイネスS(GⅡ・D7F)では、前走3着のバックアットトゥー、同4着のヘイゼルアールに加えて、セリマS3着馬ストリートバレット(後にジャパンCダート勝ち馬フリートストリートダンサーの母になる)、さらにはハリウッドラッシーS・デルマーデビュータントSなど5戦全勝のテーブルハンズも出走してきて、本馬との無敗馬対決となった。しかしここではテーブルハンズが勝利を収め、本馬は2馬身差の4着に負けてしまった。翌3月のサンタスサナS(GⅠ・D8.5F)では、テーブルハンズ、前走2着のストリートバレットが対戦相手となった。そして今回は本馬が2着ストリートバレットに半馬身差で勝利を収め、3着テーブルハンズに初黒星をつけた。

その後はカリフォルニア州を離れて東上し、4月にアーカンソー州オークローンパーク競馬場で行われたファンタジーS(GⅠ・D8.5F)に出走した。このレースには、スピナウェイS・メイトロンS・フリゼットS・セリマSとGⅠ競走4勝を挙げていた前年のエクリプス賞最優秀2歳牝馬スマートアングル、フェアグラウンズオークスを勝ってきたアネストアンドトゥルーなども出走していた。しかし本馬が1番人気に応えて、2着サテンリベラに2馬身1/4差で快勝。スマートアングルは7着最下位に終わった。

次走のケンタッキーオークス(GⅠ・D8.5F)では、アッシュランドSなど3戦無敗のシュガーアンドスパイス、レアパフュームSの勝ち馬マイティライヴリー、前走3着のアネストアンドトゥルーなどを抑えて1番人気に支持され、2着マイティライヴリーに1馬身半差で快勝した。

続いてニューヨーク牝馬三冠路線に進み、まずはエイコーンS(GⅠ・D8F)に出走。マイティライヴリー、前走6着のシュガーアンドスパイスなどが対戦相手となったが、本馬が2着マイティライヴリーに2馬身3/4差をつけて完勝した。

続いてマザーグースS(GⅠ・D9F)に出走したが、大外枠がいけなかったのか不良馬場が問題だったのか、前走で3着だったシュガーアンドスパイスの頭差2着に敗れてしまった。

次走のCCAオークス(GⅠ・D12F)では、シュガーアンドスパイスとの2強対決となった。しかし本馬が、マザーグースS3着後にウィストフルSを勝ってきたエリンズワードを頭差の2着に抑えて勝ち、シュガーアンドスパイスは4着に終わった。

競走生活(3歳後半)

夏場は休養に充て、秋はベルモントパーク競馬場で行われたマスケットS(GⅡ・D7F)から始動した。このレースは僅か5頭立てとなったが、本馬を含めて3頭の歴史的名牝が出走していた。1頭は、前年のケンタッキーオークスとニューヨーク牝馬三冠競走を全勝していたダヴォナデイル。そしてもう1頭は、5か月前のケンタッキーダービーを牝馬として65年ぶりに優勝し、プリークネスS・ベルモントSでも2着と好走していたジェニュインリスクだった。また、アラバマS・テストS・ガゼルHなど3連勝中の同世代馬ラヴサインも出走しており、事実上この年における米国最強牝馬を決める戦いになった。レースでは、本馬、ジェニュインリスク、ダヴォナデイルがほぼ並んで直線を向いた。ダヴォナデイルがまずは遅れて、内側の本馬と外側のジェニュインリスクの激しい叩き合いになった。そして本馬が鼻差で競り勝って勝利。3着にはラヴサインが入り、4着に敗れたダヴォナデイルはそのまま現役を引退していった。

次走のキーンランド競馬場ダート9ハロンの一般競走では首差で勝利。それから9日後に出走したスピンスターS(GⅠ・D9F)では、マスケットS3着後にアシーニアH・ベルデイムSを連勝してきたラヴサイン、前年のデラウェアHを勝っていた6歳牝馬ライクリーエクスチェンジ(後にベルモントS勝ち馬クレームフレッシュの母になる)などが対戦相手となった。ここでは本馬とラヴサインの大接戦となったが、本馬がラヴサインを首差抑えて勝利した。

その後はカリフォルニア州に戻り、イエローリボンS(GⅠ・T10F)に出走した。しかし初芝に戸惑ったのか、激闘の連続と遠征の疲労が出たのか、ムーランドロンシャン賞などを勝って渡米してきたキリジャロ、後にサンタマルガリータ招待H・サンタバーバラHとGⅠ競走を2勝するアクズシークレット、ラモナHの勝ち馬で翌年のイエローリボンSを勝つクイーントゥコンカーの3頭に後れを取り、キリジャロの5馬身差4着に敗れてしまった。

3歳時の成績は12戦9勝(うちGⅠ競走6勝)という見事なものだったが、エクリプス賞の選考では牡馬三冠競走で活躍したジェニュインリスクの方が高い評価を受け、本馬は直接対決で勝っていたにも関わらず最優秀3歳牝馬の座を逃してしまった。

競走生活(4歳時)

4歳時は1月初めのラブレアS(D7F)から始動したが、124ポンドの斤量が響いたのか、ダイナナイトの鼻差2着に敗退。その後はしばらく調整し、3月にオークローンパーク競馬場で行われたダート6ハロンの一般競走で復帰。このレースでは6馬身差で圧勝して格の違いを見せた。翌月のアップルブロッサムH(GⅡ・D8.5F)では、他馬勢に4~13ポンドのハンデを与えながらも、2着ラボンゾに頭差で勝利した。同月のビウィッチS(D8.5F)では、2着ライクリーエクスチェンジに首差で勝利した。しかしこの時期から脚首に不安を抱えるようになっていたため、このレースを最後に4歳時4戦3勝の成績で引退した。

本馬は16勝のうち半分の8勝が1馬身差以内の勝利であり、接戦に強い馬であった。牡馬との対戦は無いが、ジェニュインリスクを物差しにすれば、牡馬相手でも活躍できた可能性はある。

血統

Bold and Brave Bold Ruler Nasrullah Nearco Pharos
Nogara
Mumtaz Begum Blenheim
Mumtaz Mahal
Miss Disco Discovery Display
Ariadne
Outdone Pompey
Sweep Out
Bases Full Ambiorix Tourbillon Ksar
Durban
Lavendula Pharos
Sweet Lavender
Striking War Admiral Man o'War
Brushup
Baby League Bubbling Over
La Troienne
Pidi Determine Alibhai Hyperion Gainsborough
Selene
Teresina Tracery
Blue Tit
Koubis Mahmoud Blenheim
Mah Mahal
Brown Biscuit Sir Andrew
Swing On
Perillante Nigromante Embrujo Congreve
Encore
Nigua Songe
Nitouche
Perilla Alan Breck Sunstar
Joie de Vivre
Parragana Barragan
Renee

父ボールドアンドブレーヴはボールドルーラー直子(バリモス産駒でネヴァーベンドの半弟である同名の本邦輸入種牡馬とは別馬)。現役成績は21戦6勝で、ジェロームH・ロイヤルパームHを勝っている。種牡馬としては本馬が唯一にして最大の活躍馬だった。

母ピディは不出走馬。近親には殆ど活躍馬がおらず、ピディの祖母ペリーラの全姉パランデラの曾孫に南米ペルーの名馬マリジュライ【秘1000ギニー(秘GⅠ)・秘ダービー(秘GⅠ)・秘ジョッキークラブ大賞(秘GⅠ)・アウグストBレギーアナシオナル大賞典(秘GⅠ)】がいるのと、ペリーラの曾祖母ゲイシャ(ネイティヴダンサーの母ゲイシャとは同名の別馬)がレディーズH・ガゼルHを勝っているのが目立つ程度である。→牝系:F6号族①

母父ディターミンはユアホストの父アリバイ直子のケンタッキーダービー馬で、現役成績は44戦18勝。他には、サンタアニタダービー・サンガブリエルS・サンフェリペS・ベイメドウズダービー・ゴールデンゲートH・マリブS・サンタアニタマチュリティS・イングルウッドHを勝っている。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はケンタッキー州ゲインズボローファームで繁殖牝馬になったが、ジェニュインリスクやダヴォナデイルと同様に繁殖牝馬としては成功しなかった。産駒は10頭おり、14歳時に産んだ7番子の牡駒メドウミスチーフ(父メドウスター)が42戦9勝の成績を挙げているが、メドウミスチーフも含めてステークス競走を勝った馬は出なかった。本馬はジェニュインリスクやダヴォナデイルと異なりエクリプス賞のタイトルには縁が無く、米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選においても他2頭がランクインしているのに対して漏れている。海外の大手競馬サイト“Horse Racing Nation”において、本馬は「おそらくは近代における最も過小評価されている馬です」と評されている。しかし米国競馬の殿堂入りについては、1985年のダヴォナデイル、1986年のジェニュインリスクに遅れはしたが、1997年に果たしている。本馬は殿堂入りしたその年の7月に蹄葉炎のため、20歳で安楽死の措置が執られた。牝系子孫自体は現在も続いているが、活躍馬は登場していない。

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