フサイチペガサス

和名:フサイチペガサス

英名:Fusaichi Pegasus

1997年生

鹿毛

父:ミスタープロスペクター

母:エンジェルフィーヴァー

母父:ダンチヒ

日本の名物馬主の所有馬としても知られた大種牡馬ミスタープロスペクター産駒唯一のケンタッキーダービー馬

競走成績:2・3歳時に米で走り通算成績9戦6勝2着2回

誕生からデビュー前まで

大種牡馬ミスタープロスペクターの最晩年の傑作で、父に唯一のケンタッキーダービーのタイトルをプレゼントした。サンデーサイレンスの生産・所有者として知られるアーサー・ブル・ハンコックⅢ世氏、及び彼の馬産仲間だったストーナーサイドファームのボブ・マクネア氏とジャニス・マクネア氏により、ハンコックⅢ世氏が所有するケンタッキー州ストーンファームにおいて共同生産された。かなり気性が激しい面があったが、父によく似た馬体で幼少期から絶大な期待を背負っていた。

1歳7月のキーンランドセールに出品され、日本人馬主の関口房朗氏により400万ドル(当時の為替レートで約5億6000万円)という同世代世界最高額で購入された。日本屈指の技術者人材派遣会社として知られるメイテックの創業者でもあった関口氏は、日本ではかなり有名な馬主であり、この名馬列伝集を読んでいる人の多くが知っていると思われる個性的な人物だったが、世界的には無名だった。彼は自分の所有馬に「房朗が1番」という意味で「フサイチ」の冠名を付けており、本馬にも冠名とギリシア神話に登場する翼を持つ馬ペガサスを組み合わせた名前をつけた。冠名が一般的である日本の競馬ファンにとっては違和感の無い名前であるが、米国の競馬ファンにとってはかなり珍妙な名前であったらしく、本馬が米国で紹介される場合には、名前の由来や日本語における発音などがいちいち解説される事態となっている。米国人にとっては非常に発音しづらい名前だったので、一般的には“FuPeg(フペグ)”と呼ばれていた。長い馬名をこのように略して呼ぶ事は日本(特にネット住民の間)では当たり前であるが、米国においては珍しい。

本馬を預かったのは、同じく日本人馬主の所有馬だったエーピーインディなどを手掛けたニール・ドライスデール調教師だった。調教においても乗り手を振り落とすなど気性難ぶりを発揮していた本馬だったが、ドライスデール師は「彼は神経質な馬でなく、単に明るい陽気な馬であるだけです」として、あせらずに本馬を育成していった。ちなみにドライスデール師は本馬の名前をきちんと発音できたらしく、他の人が「フーサーイーチー」と読むと、「フサイチです」と突っ込みを入れていたという。

競走生活(3歳初期まで)

2歳12月にハリウッドパーク競馬場で行われたダート6.5ハロンの未勝利戦でデビューした。このレースでは、後にサンタアニタHで3着するトリブナルという馬が単勝オッズ3.2倍の1番人気に支持されており、ヴィクター・エスピノーザ騎手とコンビを組んだ本馬が単勝オッズ4.3倍の2番人気、後にシネマH・ベイメドウズBCHを勝ちハリウッドダービーで2着するデビッドカッパーフィールドが単勝オッズ4.7倍の3番人気だった。スタートがあまりよくなかった本馬は、道中は馬群の中団好位を追走した。三角で仕掛けて四角で先頭に並びかけ、直線では先行して抜け出したデビッドカッパーフィールドとの叩き合いとなったが、首差屈して2着に敗れた。

2歳時は1戦のみで終え、年明けすぐにサンタアニタパーク競馬場で行われたダート6ハロンの未勝利戦に出走した。主戦となるケント・デザーモ騎手を鞍上に出走した本馬は、ここでは単勝オッズ1.2倍という圧倒的な1番人気に支持された。ここでは好スタートから2~3番手の好位につけた。そして直線入り口で先頭に立つとそのまま押し切り、2着となった単勝オッズ12.7倍の4番人気馬スパイシースタッフに2馬身差をつけて初勝利を挙げた。

翌2月にはサンタアニタパーク競馬場で行われたダート8.5ハロンの一般競走に出走した。ここでは、デビュー戦は1番人気に応えられずに8着に惨敗したが前走の未勝利戦を5馬身差で勝ち上がってきたトリブナルと再び顔を合わせた。人気は逆転しており、本馬が単勝オッズ2.2倍の1番人気、トリブナルが単勝オッズ3.2倍の2番人気となった。ここでも本馬は2~3番手の好位を追走。四角で先頭に並びかけると、直線では単独で先頭を走り続け、追い込んできた2着トリブナルに3馬身半差をつけて完勝した。

翌3月にはサンフェリペS(GⅡ・D8.5F)に出走した。前年のBCジュヴェナイルを人気薄ながらも完勝してエクリプス賞最優秀2歳牡馬に選ばれたアニーズ、ヒルライズH・サンタカタリナSを連勝してきたザデピュティ(キングカメハメハの半兄)、デルマーフューチュリティ・サンラファエルSで各4着と地味に走ってきたコメンダブル、ハリウッドプレビューSの勝ち馬グレイメモ、ヒルライズH2着馬プロモントリーゴールドなどが対戦相手となった。ステークス競走初出走となる本馬が116ポンドの最軽量も評価されて単勝オッズ2.3倍の1番人気に支持され、122ポンドのザデピュティが単勝オッズ3.3倍の2番人気、119ポンドのアニーズが単勝オッズ4.9倍の3番人気、118ポンドのコメンダブルが単勝オッズ8.9倍の4番人気となった。スタートが切られると、コメンダブルが先頭に立ち、本馬は2番手につけた。そのままコメンダブルをマークするように走り続け、直線入り口では先頭に立った。そこへ後方からザデピュティが追い上げてきて、直線ではこの2頭の争いになった。しかし本馬が2着ザデピュティを3/4馬身抑えて勝利した。もっとも、斤量ではザデピュティより本馬のほうが6ポンド軽く、内容的には完勝とは言い難かった。

その後はケンタッキーダービーを目指して東上した。まずは前哨戦のウッドメモリアルS(GⅡ・D9F)に出走。ゴーサムSを勝ってきた3戦無敗のレッドビュレット、ゴーサムSで2着してきたアプティテュード、ハリウッドジュヴェナイルCSS・ベストパルSで2着していたリズンスターSの勝ち馬エクスチェンジレイト、カウントフリートS・ワーラウェイSの勝ち馬カントリーオンリーなどが対戦相手となった。本馬が単勝オッズ1.9倍の1番人気、レッドビュレットが単勝オッズ4.35倍の2番人気、アプティテュードが単勝オッズ6.8倍の3番人気、エクスチェンジレイトが単勝オッズ8.5倍の4番人気、カントリーオンリーが単勝オッズ19.9倍の5番人気となった。スタートが切られると、カントリーオンリーが先頭に立ち、レッドビュレットが2番手、エクスチェンジレイトが3番手で、本馬は4~5番手の好位につけた。向こう正面まではそのまま好位で機会を伺い、三角で仕掛けて四角で先頭に並びかけた。そして直線に入ると堂々と突き抜けて、2着レッドビュレットに4馬身1/4差、3着アプティテュードにはさらに1馬身半差をつけて完勝した。

ケンタッキーダービー

そして迎えたケンタッキーダービー(GⅠ・D10F)では、サンフェリペS2着後にサンタアニタダービーを勝ってきたザデピュティ、ホープフルS・ファウンテンオブユースS・ブルーグラスSの勝ち馬でハリウッドフューチュリティ・サンタカタリナS・フロリダダービー2着・BCジュヴェナイル・シャンペンS3着のハイイールド、スウェイルS・フラミンゴSなど4戦無敗のトリッピ、ハリウッドフューチュリティ・ブリーダーズフューチュリティ・ケンタッキージョッキークラブSの勝ち馬でサンタアニタダービー・デルマーフューチュリティ・サンタカタリナS・ルイジアナダービー3着のキャプテンスティーヴ、サンラファエルSの勝ち馬でサンタアニタダービー2着のウォーチャント、トレモントS・サンフォードS・ハッチソンSの勝ち馬でルイジアナダービー・ブルーグラスS2着・ベルモントフューチュリティS3着のモアザンレディ、タンパベイダービー2着・アーカンソーダービー3着のインピーチメント、サンフェリペS3着後に出走したサンタアニタダービーで4着だったアニーズ、フロリダダービー・ホーリーブルSの勝ち馬でファウンテンオブユースS2着のハルズホープ、UAEダービーの勝ち馬チャイナヴィジット、UAEダービー3着のキュルール、アーカンソーダービーを勝ってきたブリーダーズフューチュリティ2着馬グレームホール、ブルーグラスSで3着してきたタンパベイダービーの勝ち馬ウィールアウェイ、ホーソーンジュヴェナイルSの勝ち馬デピュティウォーロック、ラッシュアウェイSの勝ち馬ロントン、アプティテュード、ウッドメモリアルSで9着だったエクスチェンジレイト、サンフェリペSで4着だったコメンダブルの合計18頭が対戦相手となった。

前走の圧勝ぶりが評価された本馬が単勝オッズ3.3倍の1番人気に支持され、ザデピュティが単勝オッズ5.6倍の2番人気、ハイイールド、トリッピ、インピーチメント、コメンダブルの4頭がカップリングでようやく単勝オッズ7.2倍の3番人気、キャプテンスティーヴが単勝オッズ9.1倍の4番人気、ウォーチャントが単勝オッズ10.9倍の5番人気であり、中身的には本馬とザデピュティの2強状態だった。

しかし不安材料もあった。それは本馬自身の状態ではなく、ケンタッキーダービーで1番人気に支持された馬は20連敗中(カップリングで1番人気になった馬を含む)というジンクスと、15番枠という不利な外枠発走である事だった。ドライスデール師は、このケンタッキーダービーでウォーチャント(この馬も本馬と同じくドライスデール師の管理馬だった)に騎乗することになっていたジェリー・ベイリー騎手が運転する車でチャーチルダウンズ競馬場に向かったが、車中で本馬が1番人気である事をかなり心配していたらしく、ベイリー騎手は彼を励ます必要があったという。

チャーチルダウンズ競馬場に詰め掛けた15万3204人の大観衆が見守る中でスタートが切られると、単勝オッズ23.7倍の10番人気馬ハルズホープが先頭に立ち、トリッピ、モアザンレディ、グレームホールなどがそれを追って先行。対抗馬のザデピュティは馬群の中団につけた。一方の本馬は、馬群の後方につけていた。本馬は今まで好位追走で勝ってきており、こんな後方待機策は初めてだった。ケンタッキーダービーは先行争いが激しくなりがちであり、外枠発走である本馬を無理に前に行かせるのを避けたデザーモ騎手の作戦だったと思われるが、それにしてもこの大舞台で1番人気馬に騎乗しながら思い切った作戦を採ったものである。デザーモ騎手の読みどおり、最初の2ハロン通過が22秒47、半マイル通過は45秒99というハイペースでレースは進んだ。さすがにいつまでも後方でぐずぐずしているわけにもいかず、向こう正面でじわじわと進出。そして三角から四角にかけて外側を通って前方に進出していった。そして6番手で直線を向くと、残り1ハロン地点で先頭に立ち、やはり後方からの末脚に賭けていた2着アプティテュードに1馬身半差、3着インピーチメントにはさらに4馬身差をつけて優勝。その瞬間、馬主席で喜びを顕わにしながら周囲の人から祝福を受ける関口氏の姿がテレビ画面上に映し出された。

同レースでは1979年のスペクタキュラービッド以来21年ぶりの1番人気馬による勝利となった。本馬が1歳時に取引された400万ドルという値段は、ケンタッキーダービー勝利馬としては史上最高額だった。また、馬主生活23年目だった関口氏は1996年にフサイチコンコルドで東京優駿を勝っており、日本と米国の両国で3歳馬の最高峰レースを勝利した事になった。なお、日本ではこれをもって「日米ダービー制覇」と紹介される事があるが、本場英国のザ・ダービー・ステークスや東京優駿の地位に相当する米国のレースは確かにケンタッキーダービーであるから間違いとは言い切れないが、米国各地でダービーと名がつくレースが数多く施行されている事実を考慮すると正しい表現とも言い切れない。まあ、優駿牝馬とアメリカンオークスをいずれも勝利したシーザリオを紹介する際に、日米オークス制覇と表現してしまうよりは正確だろう(本場英国のジ・オークス・ステークスや優駿牝馬に相当する米国のレースは歴史的に見てCCAオークスであり、少なくともアメリカンオークスではない)。

また、関口氏はアジア人として史上初めてのケンタッキーダービー優勝馬主という栄誉も手にした。彼はこの日のために日本から舞妓3人を呼んでおり、当日夜にチャーチルダウンズ競馬場で行われた後夜祭では、着物で着飾った舞妓による日本舞踊が披露された。この勝利は日本のマスコミでも大きく取り上げられ、筆者がたまたま乗っていた山陽新幹線内の電光ニュースでも速報として流れたほどだった。

競走生活(ケンタッキーダービー以降)

次走のプリークネスS(GⅠ・D9.5F)では、インピーチメント、前走8着のキャプテンスティーヴ、同15着のハイイールド、同16着のハルズホープ、ウッドメモリアルSで本馬の2着に敗れた後にケンタッキーダービーを回避してプリークネスSに狙いを絞ってきたレッドビュレット、レベルSの勝ち馬でアーカンソーダービー2着のスナックイン、カリフォルニアサイヤーズS勝ち馬ヒューヘフナーの7頭が対戦相手となった。既に本馬との勝負付けが済んだ馬や、実績的に本馬に遠く及ばない馬ばかりが相手であり、本馬が単勝オッズ1.3倍という圧倒的な1番人気に支持され、レッドビュレットが単勝オッズ7.2倍の2番人気、ハイイールドが単勝オッズ8.3倍の3番人気、キャプテンスティーヴが単勝オッズ12.5倍の4番人気となった。

スタートが切られると、単勝オッズ50.7倍の最低人気馬ヒューヘフナーが先頭に立ち、ハイイールドとハルズホープがそれを追って先行。本馬は後方3番手、レッドビュレットは後方2番手の位置取りだった。今回は前走のような多頭数の外枠ではなかったため、いつもの好位追走でも良かったのだが、実はスタート時に両隣のキャプテンスティーヴとハルズホープの2頭に挟まれて後退してしまったために、デザーモ騎手は仕方なく後方待機策を選択したようである。三角に入ったところで本馬とレッドビュレットがほぼ同時に仕掛けて上がっていった。そしてレッドビュレットが先に先頭に並びかけた段階で直線に突入した。ここから抜け出したのは本馬ではなくレッドビュレットのほうだった。さらに後方からはインピーチメントとキャプテンスティーヴの2頭が襲い掛かってきて、ゴール前では差される寸前だったが、なんとかこの2頭の追撃は凌ぎきった。しかしレッドビュレットには3馬身3/4差をつけられており、2着に敗れてしまった。

このレース後に本馬は馬房内で暴れて右前脚の蹄を負傷してしまった。ドライスデール師によると、10セント硬貨大の欠片が蹄から落ちていたとの事である。痛みを訴えることは無かったらしいが、調教が出来る状態ではなく、結局ベルモントSは回避した(距離不安とデビュー以降の過密日程も考慮されたとも言われる)。なお、本馬不在のベルモントSはケンタッキーダービー17着のコメンダブルが、アプティテュードを2着に、インピーチメントを5着に破って勝っている。

なお、この時期に日本の社台ファームが本馬の権利の一部(4割程度)を関口氏から買い取っており、プリークネスS時点では関口氏の単独所有だった本馬は、この後は関口氏と社台ファームの共同名義で走る事になった。

また、6月末には愛国クールモアスタッドから、関口氏の代理人との間で取引が成立し、本馬の種牡馬シンジケートを組んだことが発表された。クールモアスタッドの報道官リチャード・ヘンリー氏は、かつて1983年に4000万ドルの種牡馬シンジケートが組まれたシャリーフダンサーの金額を上回ったとだけ述べており、具体的な金額は明言しなかったが、この件について問われたハンコックⅢ世氏は「私は金額を言うことができない」としながらも、7000万ドルくらいかと聞かれて「それは良い推測でしょう」と回答している(本件を報じた6月28日付けタイム誌の記事による)。そのために、本馬の種牡馬シンジケート額は正確には不明ながらも、一般的には7000万ドル(少なく見積もっても6000万ドル)とされている。

この7000万ドルという金額は当時の為替レートで約4700万ポンド、日本円にして約73億5千万円という超高額であり、これを上回ったのは2012年に1億ポンド(当時の為替レートで約1億6000万ドル)の種牡馬シンジケートが組まれたと言われるフランケルだけのはずである(フランケル、本馬に次ぐ世界史上3位はディープインパクトの51億円で、これは当時の為替レートで約4400万ドルである)。この金額は、後継種牡馬を星の数ほど送り出していた大種牡馬ミスタープロスペクター(この前年1999年に他界)の産駒として最初のケンタッキーダービー馬という点が非常に高く評価されただけでなく、クールモアグループと、ドバイのシェイク・モハメド殿下、ケンタッキー州ダービーダンファームなどが壮絶なマネーゲームを演じた結果であるらしい。

秋はジェロームH(GⅡ・D8F)から始動した。トラヴァーズSで2着してきたドワイヤーSの勝ち馬アルバートザグレート、4連勝でデルマーBCHを勝ってきたエルコレドール、一般競走を7馬身差で勝ってきた後のガルフストリームパークBCスプリントCS・ミスタープロスペクターHの勝ち馬フックアンドラダー、ウィザーズSの勝ち馬ビッグイーイーなどが対戦相手となった。本馬が他馬勢より4~10ポンド重い124ポンドのトップハンデでも単勝オッズ2.2倍の1番人気に支持され、117ポンドのエルコレドールが単勝オッズ4.15倍の2番人気、120ポンドのアルバートザグレートが単勝オッズ5.2倍の3番人気、114ポンドのフックアンドラダーが単勝オッズ5.9倍の4番人気、114ポンドのビッグイーイーが単勝オッズ10.6倍の5番人気となった。レースではアルバートザグレートが逃げを打ち、今回もスタートがあまり良くなかった本馬は後方2番手につけた。そして三角から進出を開始して、直線入り口では先頭のアルバートザグレートに並びかけていた。直線では、本馬を追って上がってきたエルコレドールとの一騎打ちとなったが、本馬が7ポンドのハンデを与えたエルコレドールを3/4馬身差の2着に抑えて勝利した。

次走はジョッキークラブ金杯の予定だったが、調教中に蹄を負傷して回避し、チャーチルダウンズ競馬場で行われるBCクラシックに直行となった。

このBCクラシック(GⅠ・D10F)では、前年のベルモントS・トラヴァーズSと一昨年のベルモントフューチュリティSの勝ち馬でこの年にブルックリンH・サバーバンH・ホイットニーH・ウッドワードSの4連勝を達成して米国最強古馬として君臨していたレモンドロップキッド、ジェロームH3着後に出走したジョッキークラブ金杯を6馬身差で圧勝してきたアルバートザグレート、本馬がケンタッキーダービーを勝ったときには未勝利馬だったがこの4か月間でスーパーダービー・グッドウッドBCH・アファームドHに勝ちスワップスS・パシフィッククラシックSで2着するなど急上昇していたティズナウ、アメリカンダービー・ペンシルヴァニアダービーの勝ち馬で前走ペガサスH3着のパインダンス、前年のBCクラシックを筆頭にスワップスS・ブリーダーズフューチュリティを勝っていたがファウンテンオブユースS・ブルーグラスS・ハスケル招待H・ホイットニーH2着・ケンタッキーダービー・BCジュヴェナイル・フロリダダービー・マリブS・オークローンH3着と勝ち切れない事が多かったキャットシーフ、この年のピムリコスペシャルH・スティーヴンフォスターHを勝ちドンHで2着していた前年3着馬ゴールデンミサイル、プリークネスS4着後にスワップスS・ケンタッキーCクラシックHに勝ちハスケル招待H・グッドウッドBCHで2着していたキャプテンスティーヴ、前年のイリノイダービーの勝ち馬でベルモントS・トラヴァーズS2着・前走ジョッキークラブ金杯3着のヴィジョンアンドヴァース、ホーソーン金杯Hを勝ってきたダストオンザボトル、ウッドワードSで3着・ジョッキークラブ金杯で2着してきたガンダー、米国競馬名誉の殿堂博物館Sの勝ち馬で前走ホーソーン金杯2着のガイデッドツアー、そして類稀なる闘争心を武器にセントジェームスパレスS・エクリプスS・サセックスS・英国際S・愛チャンピオンSと欧州GⅠ競走を5連勝していたジャイアンツコーズウェイが対戦相手となった。

実績的には本馬よりレモンドロップキッドやジャイアンツコーズウェイのほうが上と言っても過言では無かったのだが、レモンドロップキッドは前走ジョッキークラブ金杯でアルバートザグレートの5着に完敗しており、ジャイアンツコーズウェイには欧州からの遠征と初ダートという不安材料があった。一方で本馬にとってはケンタッキーダービーと同じチャーチルダウンズ競馬場ダート10ハロンという舞台であり、前走も勝利と、特に不安材料は無かった。そんなわけで、本馬が単勝オッズ2.2倍の1番人気に支持され、レモンドロップキッドが単勝オッズ7.2倍の2番人気、ジャイアンツコーズウェイが単勝オッズ8.6倍の3番人気、アルバートザグレートが単勝オッズ10倍の4番人気、ティズナウが単勝オッズ10.2倍の5番人気となった。

スタートが切られると、ティズナウが先頭に立ち、アルバートザグレートやジャイアンツコーズウェイがそれを追って先行。レモンドロップキッドは好位につけ、ケンタッキーダービー以降に差し馬と化していた本馬は普通にスタートを切ったにも関わらず馬群の中団後方につけた。しかし本馬は三角でデザーモ騎手が仕掛けても反応が悪く、しかも一瞬進路が塞がった影響もあって、順位を上げられないまま7~8番手で直線に入ってきた。そして直線でも伸びずに、ジャイアンツコーズウェイとの壮絶な叩き合いを制して勝ったティズナウから7馬身半差の6着と完敗してしまった。

その後、関口氏が本馬をジャパンCに参戦させたい意向を示したが、体調が戻らず結局回避。そのまま競走馬引退となった。3歳時の成績は8戦6勝だったが、GⅠ競走の勝利はケンタッキーダービーのみであり、BCクラシック・スーパーダービーとGⅠ競走2勝を含む9戦5勝のティズナウに、エクリプス賞年度代表馬及び最優秀3歳牡馬の座を譲ることになった。

血統

Mr. Prospector Raise a Native Native Dancer Polynesian Unbreakable
Black Polly
Geisha Discovery
Miyako
Raise You Case Ace Teddy
Sweetheart
Lady Glory American Flag
Beloved 
Gold Digger Nashua Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Segula Johnstown
Sekhmet
Sequence Count Fleet Reigh Count
Quickly
Miss Dogwood Bull Dog
Myrtlewood
Angel Fever Danzig Northern Dancer Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
Pas de Nom Admiral's Voyage Crafty Admiral
Olympia Lou
Petitioner Petition
Steady Aim
Rowdy Angel Halo Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Cosmah Cosmic Bomb
Almahmoud
Ramhyde Rambunctious Rasper
Danae
Castle Hyde Tulyar
Bold Irish

ミスタープロスペクターは当馬の項を参照。米国の誇る世界的大種牡馬でありながら、なかなかケンタッキーダービーには縁が無かった。本馬がケンタッキーダービーを優勝する前年に他界しており、産駒のケンタッキーダービー馬は本馬のみである。

母エンジェルフィーバーは2戦1勝と競走馬としては目立たなかったが、半兄にデモンズビーゴーン(父エロキューショニスト)【アーカンソーダービー(米GⅠ)】、全兄にパインブラフ【プリークネスS(米GⅠ)・レムセンS(米GⅡ)・アーカンソーダービー(米GⅡ)・ナシュアS(米GⅢ)・レベルS(米GⅢ)】がいる良血馬。本馬の半姉フォーティナイナーフィーバー(父フォーティナイナー)の子にテキサスフィーバー【ケンタッキーカップジュヴェナイルS(米GⅢ)】、孫にストリートファンシー【スターレットS(米GⅠ)】、本馬の全妹ブレスの子にブレイヴティンソルジャー【クリフハンガーS(米GⅢ)】がいる。エンジェルフィーバーの曾祖母キャッスルハイドの半姉シェナニガンズは悲運の名牝ラフィアンの母であり、その近親にはかなりの数の活躍馬がいるが、その詳細はラフィアンの項を参照してほしい。→牝系:F8号族③

母父ダンチヒは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、クールモアグループが米国ケンタッキー州に所有するアッシュフォードスタッドで種牡馬入りした。また、クールモア繋養の種牡馬の例に違わず豪州ニューサウスウェールズ州クールモア・オーストラリアにもシャトルされた。初年度の種付け料は米国では15万ドル、豪州では10万豪ドル(米ドル換算では5万ドル)という高額に設定された。初年度産駒がデビューした2004年には米国と豪州で同年世界最多の346頭と交配した。

しかし初年度産駒からバンディニ、ローマンルーラーといったGⅠ競走勝ち馬こそ登場したものの、7000万ドルという巨額シンジケートに見合う成績を挙げたとは言い難かった。2008年にはチリ、2010年には亜国と、豪州ではなく南米にシャトルされたが、シャトル供用は2011年を最後に打ち切りとなり、この年以降はアッシュフォードスタッドに留まっている。2013年3月時点で産駒は世界各国で1735頭おり、競走馬として出走したのが1310頭、勝ち上がったのが881頭で、ステークス競走勝ちは69勝(勝ち馬数ではなく勝利数)、ステークスウイナー率は約4%(これだけは2014年時点の数字)となっている。少々のことでは失敗種牡馬という評価を下さない海外の資料においても、「種牡馬としては失望的だった」と評されてしまっている。2015年現在の種付け料は(無事出産条件で)7500ドルという価格である。

本馬に次ぐ史上2位の種牡馬シンジケートだったシャリーフダンサー、同3位のラムタラ(ドル換算で3840万ドル)、同4位のコンキスタドールシエロ(3640万ドル)などもそれに見合うだけの種牡馬成績は残せずじまいであり、過度の期待を受けて高額で種牡馬入りした馬は期待外れに終わるのが、もはや競馬界の常識になっている(その点においてディープインパクトは非常に優秀である)。

本馬の馬主だった関口氏は、本馬の産駒を450万ドルという当時の世界最高額で購入するなど、本馬に対する思い入れを見せていたが、上述の産駒(競走馬名フサイチサムライ)は米国で1勝に終わった。その後に関口氏は、高額で買った多くの馬が殆ど走らなかった事などもあって経済的に苦境に陥り、馬主としての活動を縮小、所有馬を裁判所に差し押さえられるなど、かつての名物馬主としての面影はどこにも無くなっている。北海道ノーザンホースパークには黄金製の本馬の像が建てられているが、バブルがはじけた後の末路を象徴しているようで逆に哀れを催す(別に本馬が悪いわけではなく、周囲の人間が騒ぎすぎただけである)。

それでもローマンルーラーが後継種牡馬としてベルモントSの勝ち馬ルーラーオンアイスなど多くの活躍馬を出して成功しており、本馬の血自体は残りそうである。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

2002

Andromeda's Hero

フレッドWフーパーH(米GⅢ)

2002

Bandini

ブルーグラスS(米GⅠ)・スキップアウェイH(米GⅢ)

2002

Floral Pegasus

香港クラシックマイル

2002

Flying Pegasus

ロイヤルソブリンS(豪GⅡ)・キンダーガーデンS(豪GⅢ)

2002

Roman Ruler

ハスケル招待H(米GⅠ)・ベストパルS(米GⅡ)・ノーフォークS(米GⅡ)・ドワイヤーS(米GⅡ)

2002

フィフティーワナー

アンタレスS(GⅢ)

2003

Haradasun

ジョージライダーS(豪GⅠ)・ドンカスターマイル(豪GⅠ)・クイーンアンS(英GⅠ)

2003

Just Dancing

フューリアスS(豪GⅡ)

2003

Race for the Stars

デニーコーデルラヴァラックフィリーズS(愛GⅢ)

2003

Tipungwuti

タロックS(豪GⅡ)

2004

Ravel

シャムS(米GⅢ)

2005

Cats Whisker

レッツイロープS(豪GⅡ)・ローズオブキングストンS(豪GⅡ)・WWコックラムS(豪GⅢ)

2005

Distinctive Dixie

チルッキS(米GⅡ)

2006

Champ Pegasus

クレメントLハーシュ記念ターフCSS(米GⅠ)・デルマーH(米GⅡ)・サンルイオビスポS(米GⅡ)

2006

フサイチセブン

ダイオライト記念(GⅡ)

2006

プリティゴールド

エトワール賞(H3)2回

2007

Falino

BTCクラシック(豪GⅢ)

2007

My Jen

ギャラントブルームH(米GⅡ)

2008

Premier Pegasus

サンフェリペS(米GⅡ)・ハリウッドプレビューS(米GⅢ)

2009

Bronzo

チリ競馬場大賞(智GⅠ)・コパデオロ賞(智GⅡ)・グランハンディキャップデチリ(智GⅢ)

2009

Flaco Simpatico

クリアドレスマチョス賞(智GⅡ)

2009

Telamon

フェルナンドモレルボルデウ賞(智GⅡ)

2009

Via Los Andes

チリ賞(亜GⅢ)

2012

International Star

リズンスターS(米GⅡ)・ルイジアナダービー(米GⅡ)・グレイS(加GⅢ)・ルコントS(米GⅢ)

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