プリンセスルーニー

和名:プリンセスルーニー

英名:Princess Rooney

1980年生

芦毛

父:ヴェルベイティム

母:パリッシュプリンセス

母父:ドローン

無敗で制したケンタッキーオークス優勝後のスランプを脱出して記念すべき第1回BCディスタフを圧勝した芦毛の名牝

競走成績:2~4歳時に米で走り通算成績21戦17勝2着2回3着1回

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州のパリッシュヒルファームにおいて、ベン・ローチ博士とトム・ローチ氏により生産された。当歳時にケンタッキー州で行われたセリに出品され、マイアミ州在住のポーラ・J・タッカー氏により3万8千ドルで購入され、フランク・ゴメス調教師に預けられた。

競走生活(2歳時)

2歳5月にフロリダ州のコールダー競馬場で行われたダート5ハロンの未勝利戦で、F・ペンイージ騎手を鞍上にデビュー。単勝オッズ3倍の1番人気に支持されると、2着リリアに3馬身差をつける快勝でデビュー勝ちを飾った。翌月に出走した同コースの一般競走も4馬身差で楽勝。

その後は3か月ほど休養を取り、9月に出走したコールダー競馬場ダート7ハロンの一般競走では、2着コートユニオンに18馬身差をつけるという圧倒的な強さを見せた。10日後に同コースで行われた次走のメラールカS(D7F)でも、2着ヒウソアンソに12馬身差をつける圧勝。

もはやコールダー競馬場では敵無しの本馬はベルモントパーク競馬場に向かい、フリゼットS(GⅠ・D8F)に出走した。このレースには、スカイラヴィルSの勝ち馬で、後にサマースコールエーピーインディの母となるウィークエンドサプライズも出走していた。しかし本馬がコールダー競馬場で発揮していた強さは本物であり、後に加国競馬の殿堂入りを果たすジェフリー・フェル騎手を鞍上に、2着ウイニングタックに8馬身差をつけて圧勝した(ウィークエンドサプライズは3着だった)。

次走のガーデニアS(GⅡ・D8.5F)からは、かつてラフィアンの主戦だったファシント・ヴァスケス騎手を主戦に迎えた。ここでは、アーリントンワシントンラッシーSを勝ち、ソロリティSで2着していたフォーワンスンマイライフという強敵が出現したが、本馬が2着フォーワンスンマイライフに11馬身差をつけて大圧勝。

2歳時は6戦全勝で全てが圧勝という素晴らしい成績を挙げた。しかし、エクリプス賞最優秀2歳牝馬の座は、やはり圧勝に次ぐ圧勝でハリウッドラッシーS・デビュータントS・アノアキアS・オークリーフSなど5戦全勝の成績を挙げたランダルースのものとなった。

話が横道に逸れるが、ここでランダルースについて簡単に触れておく。ハリウッドラッシーSを21馬身差で圧勝するなど、圧倒的な強さを発揮して将来を嘱望されていたランダルースだったが、2歳6戦目に予定していたハリウッドスターレットSの直前にウイルス性の潰瘍性大腸炎を発症してしまった。これはランダルースの父シアトルスルーが現役時代に患ったものと同様の病気だった。シアトルスルーは生死の境を彷徨いながらも強靭な生命力で奇跡的に回復したが、ランダルースは残念ながら発症から僅か6日後の11月28日、ハリウッドスターレットSの当日に天国に旅立ってしまった。ランダルースが本馬を抑えてエクリプス賞最優秀2歳牝馬を受賞したのは、彼女の死後だった。

本馬は米国東部、ランダルースは米国西海岸を本拠地としていたために2頭の対戦機会は無かったが、もし対戦していればどのような結果になっていただろうか。そしてランダルースに余命があれば、どこまで活躍できたであろうか。これらもまた、競馬史における“If”の1つである。

競走生活(3歳時)

さて、ランダルースの分まで頑張る必要が生じた本馬は、3歳時は3月にガルフストリームパーク競馬場で行われたダート7ハロンの一般競走から始動した。これは牡馬相手のレースだったが、2着となった牡馬モーガンモーガンモーガンに半馬身差ながら勝利を収めた。

その後はケンタッキーオークスを目指して(ケンタッキーダービーに出るべきだという世論の声もあったが、ゴメス師はそれを否定している)、ケンタッキー州に向かった。まずはキーンランド競馬場ダート7ハロンの一般競走に出走して、2着フィエスティベルに10馬身差で圧勝。次走のアッシュランドS(GⅡ・D8.5F)では、初めて経験する不良馬場となった。しかし本馬には全く関係なく、ダヴォナデイルSで2着、フェアグラウンズオークスで3着してきたシャミヴァーを9馬身半差の2着に圧倒して勝利した。

次走のケンタッキーオークス(GⅠ・D9F)では、前哨戦のファンタジーSを勝ってきたブリンディブリンディ、ファンタジーS2着馬フィフスクエスチョン、メイヒルS・フェアグラウンズオークスの勝ち馬ブライトクロッカス、セリマS・ミスグリオSの勝ち馬ビーミスド、シャミヴァーの6頭の対戦相手を抑えて当然のように1番人気に支持された。レースでは道中で2度も躓いて体勢を崩す場面があり、さすがに今までのように圧勝とは行かなかったが、直線では後方から来たブライトクロッカスとビーミスドの追撃を完封し、2着ブライトクロッカスに1馬身1/4差をつけて勝利した。しかしゴメス師は、本馬がチャーチルダウンズ競馬場の堅い馬場に足を踏み入れた瞬間から拒絶反応を示していたとして、このレースにおける本馬の走りは過去最悪だったと語った。

続くエイコーンS(GⅠ・D8F)でも当然1番人気に支持された。ところがレースでは、サンタイサベルS・レイルバードSなど4戦無敗で挑んできたスキーゴーグルの激走に遭い、7馬身半差をつけられた2着に敗退。デビューからの無敗記録は10で止まってしまった。さらに悪い事に、その直後に前脚の骨折が判明したため、半年間の休養を余儀なくされた。なお、スキーゴーグルは後にスキーパラダイスやスキーキャプテンの母となる事で日本でも有名である。

12月にメドウランズ競馬場で行われたダート6ハロンの一般競走でようやく復帰した。レースではプリムデラプリムという馬が1位入線して、本馬は2位入線だったが、プリムデラプリムが失格になったために、本馬が繰り上がって勝利馬となった。

この年の3歳牝馬路線は本馬のリタイアで中心馬不在となり、エクリプス賞では、ハリウッドオークス・ラフィアンH・デルマーオークスを勝ち、ベルデイムSで2着するなど7戦5勝2着1回3着1回の成績を挙げたハートライトノーワンが最優秀3歳牝馬に選出され、3歳時に6戦5勝2着1回の成績だった本馬はタイトル獲得には至らなかった。

競走生活(4歳前半)

4歳時は1月にハイアリアパーク競馬場で行われたバルハーバーS(T8.5F)から始動した。しかし勝ったアスペンローズ(後のオーキッドH・ヴァイオレットHの勝ち馬)から3馬身差の4着に敗れ、生涯唯一の着外を喫した。

その後、本馬はニール・D・ドライスデイル厩舎に転厩し、本拠地を米国西海岸に移す事になった。ドライスデイル師は当時36歳だったが、この4年前にはボールドンデターマインドでケンタッキーオークス・エイコーンS・CCAオークスを勝つなど、既に実績を挙げ始めていた。そして本馬の新しい主戦となったのは、これまたボールドンデターマインドの主戦を務めていたエドワード・デラフーセイ騎手だった。

まずは3月にサンタアニタパーク競馬場で行われたスーザンズガールS(D8F)に出走。ここでは、ケンタッキーオークス6着後はいま一つのレースが続いていたブリンディブリンディと久々に顔を合わせた。しかしブリンディブリンディは馬群に沈み、本馬が辛うじて鼻差で勝利した。5月に出走したホーソーンH(GⅡ・D8.5F)では、グレード競走初出走だった前々走のサンタマルガリータ招待HでGⅠ競走初勝利を挙げて勢いに乗るアドアード、前月のアップルブロッサムHで3着してきたホリデーダンサーの2頭に後れを取り、勝ったアドアードから4馬身差の3着に敗退。続くミレイディH(GⅡ・D8.5F)では、テストSの勝ち馬でガゼルH2着のラストランプ(3着)、ホリデーダンサー(6着)、後にこの年のラモナHでロイヤルヒロインを2着に破って勝つフラグドルーン(7着)などには先着したが、勝ったアドアードから2馬身半差の2着に敗れた。

次走のヴァニティ招待H(GⅠ・D9F)では、アドアードに加えて、アップルブロッサムH・ヘンプステッドH・ビウィッチSの勝ち馬ヘザーテン、亜国のGⅠ競走コパデプラッタ大賞を勝った後に米国に移籍してきたソルトスプリング、一昨年のメイトロンS3着後にゴールデンロッドSを勝ちラカナダSで2着・フリゼットS・サンタマルガリータ招待Hで3着していたウィークエンドサプライズといった実力馬も対戦相手となった。しかし本馬が2着アドアードを頭差抑えて勝ち、久々のGⅠ競走勝利を飾った。

競走生活(4歳後半)

ここから本馬は長いスランプを脱出し、次走チュラヴィスタH(GⅢ・D8.5F)では、ハリウッドオークス・パロマーH・カリフォルニアオークス勝ちなど10戦9勝2着1回のモーメントトゥバイ、フラグドルーン、ヴァニティ招待Hで3着だったソルトスプリングを一蹴して、2着フラグドルーンに2馬身半差で快勝した。

その後は10月にケンタッキー州キーンランド競馬場で行われるスピンスターSを目標に据えた。まずは本番18日前に行われたダート7ハロンの一般競走に出走して、4馬身半差で快勝した。本番のスピンスターS(GⅠ・D9F)では、ヴァニティ招待H7着後にラフィアンHを勝っていたヘザーテン、ミレイディH3着後にバレリーナSを勝っていたラストランプに加えて、ケンタッキーオークス・メイトロンS・アルキビアデスS・ガーデニアS・ブラックアイドスーザンS・アーリントンオークスの勝ち馬でデモワゼルS・アラバマS2着・フリゼットS・ハリウッドオークス3着のラッキーラッキーラッキーも出走してきて、ケンタッキーオークス馬対決となった。しかし結果は呆気なく、本馬がラッキーラッキーラッキーを6馬身差の2着に下して圧勝した。

本馬の次なる目標は、この年に創設されたばかりのブリーダーズカップだった。この年のブリーダーズカップはハリウッドパーク競馬場で行われる事になっていたため、スピンスターSを勝った本馬は西海岸にとんぼ返り。そして前走から僅か2週間後のBCディスタフ(GⅠ・D10F)に参戦した。オークリーフS・マザーグースS・アラバマS・ベルデイムS・モンマスオークスの勝ち馬でアーリントンラッシーS・フリゼットS・ノーフォークS・ハリウッドスターレットS・エイコーンS・CCAオークス2着・ハリウッドフューチュリティ・サンタスサナS・ガゼルH3着のライフズマジックが最大の強敵だった。他にも、アーリントンワシントンラッシーS・フリゼットS・セリマS・エイコーンS・ガゼルH・マスケットSの勝ち馬でメイトロンS・ケンタッキーオークス・マザーグースS・ラフィアンH・デルデイムS2着・CCAオークス3着のミスオシアーナ、ヴァニティ招待H2着後にデラウェアHを勝ちラフィアンHで3着してきた好敵手アドアード、ラッキーラッキーラッキー、チュラヴィスタH4着後にラモナHで3着していたソルトスプリング、サンタバーバラHの勝ち馬コメディーアクトも参戦してきて、本馬を含めて合計7頭による戦いとなった。

本馬が単勝オッズ1.7倍の1番人気、ライフズマジックが単勝オッズ4.5倍の2番人気、アドアードが単勝オッズ5倍の3番人気、ミスオシアーナが単勝オッズ12.6倍の4番人気、ラッキーラッキーラッキーが単勝オッズ24.4倍の5番人気となった。

スタートが切られるとラッキーラッキーラッキーがハナに立ったが、本馬が外側から追走。道中は2頭が並んで先頭を走る展開となり、そのままの状態で直線を向いた。直線に入ってすぐラッキーラッキーラッキーは失速したが、本馬は失速する事なくそのまま独走態勢となり、最後は2着ライフズマジックに7馬身差をつけて圧勝。実力の違いをまざまざと見せつけると共に、記念すべき第1回BCディスタフの優勝馬としても歴史に名を刻むことになった。また、勝ちタイム2分02秒4は、同日同競馬場同距離で行われたBCクラシックにおけるワイルドアゲインの勝ちタイム2分03秒4より1秒も速く、本馬がBCクラシックに出ていたら勝っていたのではないかという意見も聞かれた。

このレースを最後に4歳時9戦6勝の成績で競走馬を引退した本馬は、この年のエクリプス賞最優秀古馬牝馬に選出され、過去2年に逃したエクリプス賞を受賞した。

BCディスタフで本馬に完敗したライフズマジックだったが、翌年のBCディスタフでは、2着レディーズシークレットに6馬身1/4差をつけて圧勝してエクリプス賞最優秀古馬牝馬に選出。そのレディーズシークレットはそのまた翌年にBCディスタフを含むGⅠ競走8勝を挙げ、その年のエクリプス賞最優秀古馬牝馬のみならず年度代表馬にも選出と、この時代の米国ダート古馬牝馬路線はかなりの高素質馬が揃っていた事が伺える。

血統

Verbatim Speak John Prince John Princequillo Prince Rose
Cosquilla
Not Afraid Count Fleet
Banish Fear
Nuit de Folies Tornado Tourbillon
Roseola
Folle Nuit Astrophel
Folle Passion
Well Kept Never Say Die Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Singing Grass War Admiral
Boreale
Bed o'Roses Preciptic Precipitation
Artistic
Pasquinade Pasch
Fur Tor
Parrish Princess Drone Sir Gaylord Turn-to Royal Charger
Source Sucree
Somethingroyal Princequillo
Imperatrice
Cap and Bells Tom Fool Menow
Gaga
Ghazni Mahmoud
Sun Miss
Puzzesca Law and Order Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
In Bloom Blue Larkspur
Gala Belle
Refurbish Bold Venture St. Germans
Possible
Renew Blue Larkspur
Be Like Mom

父ヴェルベイティムは現役成績51戦11勝。ホイットニーS・バハマズS・ベイショアS・ゴーサムS・エイモリーLハスケルHなどを勝ち、ブルックリンH・サバーバンHで2着、ウッドメモリアルS・ウッドワードSで3着している。本馬以外の代表産駒は、ベルモントSの勝ち馬サミング。ヴェルベイティムの父スピークジョンはプリンスジョン産駒で、デルマーダービー・ラスベガスH勝ちなど12戦4勝。種牡馬としては今ひとつだったが、1985年には母父として輩出したケンタッキーダービー馬スペンドアバックの活躍で北米母父首位種牡馬になっている。

母パリッシュプリンセスは不出走馬。パリッシュプリンセスの母プゼスカの半姉プゼスタイムズ(父オールデンタイムズ)の孫にはバイキングフラッグシップ【クイーンマザーチャンピオンチェイス(英GⅠ)2回・ティングルクリークチェイス(英GⅠ)・メリングチェイス(英GⅠ)2回】とフラッグシップユベラルズ【クイーンマザーチャンピオンチェイス(英GⅠ)・ティングルクリークチェイス(英GⅠ)3回・パンチェスタウンチャンピオンチェイス(愛GⅠ)】の兄弟が、プゼスカの半弟にはバッフル【サバーバンH】がいる。プゼスカの祖母リニューはトップフライトH・フィレンツェHの勝ち馬で、リニューの半姉には1947年の米最優秀3歳牝馬バットホワイノット【ピムリコオークス・エイコーンS・アーリントンクラシックS・アラバマS・アーリントンメイトロンH・ベルデイムH・トップフライトH・フィレンツェH・ワシントンバースデイH】がいる。バットホワイノットとリニューの祖母ブラックヘレンはフロリダダービー・CCAオークス・アメリカンダービーの勝ち馬で、1935年の米最優秀3歳牝馬及び米国顕彰馬。そしてブラックヘレンの母は言わずと知れた米国最高の名牝系の祖ラトロワンヌである。ラトロワンヌの牝系子孫と聞くと超名牝系に思えるかもしれないが、本馬自身の近親には平地の活躍馬がそれほど多くは無く、いくらラトロワンヌ系と言っても、優秀な牝系と呼ぶにはやや憚られるような状況である。→牝系:F1号族②

母父ドローンはダンシングブレーヴの項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は繁殖牝馬となり、初年度はダンチヒと交配され受胎した。その状態でキーンランド11月繁殖牝馬セールに上場され、繁殖牝馬としては当時史上3番目の高額となる550万ドルでジョージ・オービン氏に購買され、テキサス州で繁殖入りした。しかし本馬の繁殖成績は振るわず、1995年には僅か13万ドルでケンタッキー州のジェントリーブラザーズファームに売却された。2004年に最後の牡駒ハウスオブワーズ(父チェスターハウス)を産んだ後は不受胎が続いたために、2006年に繁殖牝馬を引退。非常に温厚で物静かな性格だったと牧場関係者から評された本馬は、その後もジェントリーブラザーズファームで他の牝馬が産んだ子の面倒を見ながら余生を送っていたが、2008年8月に馬原虫性脊髄脳炎(略称EPMの名で知られる。馬の中枢神経に寄生虫が感染して引き起こされる。以前は稀な病気だったが、最近は発症例が多く報告されている。症状は片後脚の運動機能低下で、やがて起立不能になり死に至る。馬から馬に感染する事は無い)を発症している事が判明。投薬治療が行われたが症状は改善せず、同年10月にジェントリーブラザーズファームにおいて28歳で安楽死の措置が執られた。遺体はケンタッキーホースパークに移され、“La reine de Longchamp(ロンシャンの女王)”ことアレフランスの隣に埋葬された。プリンセスの墓は女王の隣が相応しいと判断されたのであろうか。

本馬は1991年に米国競馬の殿堂入りを果たしている。ブリーダーズカップの勝ち馬が米国競馬の殿堂入りを果たしたのは本馬が史上初である(2番目が1992年に殿堂入りしたレディーズシークレット。3番目が1993年のアリシーバパーソナルエンスンの2頭)。また、1985年には本馬の名を冠したプリンセスルーニーH(3歳以上牝馬限定短距離戦)が、本馬がデビューした地であるコールダー競馬場において創設され、1999年にGⅢ競走、2002年にGⅡ競走と昇格を続け、2006年からはGⅠ競走になり、コールダー競馬場唯一のGⅠ競走となったが、2014年にGⅡ競走に降格となっている。歴代勝ち馬の中にはローミンレイチェル(中央競馬年度代表馬ゼンノロブロイの母)がいる。

本馬の初子である牡駒オーレ(父ダンチヒ)は16戦2勝の競走成績だったが良血が買われて種牡馬入りし、GⅠ競走マリブSを勝ったデボネアジョーを出したが、デボネアジョーは騙馬だったため血は残せなかった。本馬の最後の子ハウスオブワーズも騙馬であり、競走成績は15戦2勝に終わっている。また、本馬の牝駒レディインウェイティング(父ウッドマン)は現役時代19戦3勝の成績を残し、母としてフィフスシーズンS(米GⅢ)を勝ったキッドグラインドストーンを出したが、キッドグラインドストーンも騙馬だった。本馬は他にも7戦1勝のルーニープリンセス(父デピュティミニスター)、4戦未勝利のローズティアラ(父セントジョヴァイト)の牝駒2頭を産んでおり、いずれもジェントリーブラザーズファームで繁殖入りしている。レディインウェイティングも何頭かの牝駒を産んでいるので、本馬の牝系は続いているようだが、残念ながら繁栄はしていない。

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