レディーズシークレット

和名:レディーズシークレット

英名:Lady's Secret

1982年生

芦毛

父:セクレタリアト

母:グレートレディエム

母父:アイスカペイド

芦毛の小柄な馬体で逃げまくり、BCディスタフなどGⅠ競走11勝を挙げてエクリプス賞年度代表馬に選出された米国版「鉄の女」

競走成績:2~5歳時に米で走り通算成績45戦25勝2着9回3着3回

“The Iron Lady(鉄の女)”の異名を戴いた競走馬と言えば、読者の皆さんはどの馬を思い浮かべるだろうか。筆者の脳裏に浮かぶのは、日本ではイクノディクタス、欧州ではトリプティクである。そして米国においてこの異名で呼ばれた馬こそが本馬なのである。

誕生からデビュー前まで

米国オクラホマ州ルーカスファームにおいて、同牧場の所有者ロバート・H・スプリーン氏により生産され、ユージン・ヴィクター・クライン氏と妻のジョイス夫人により20万ドルで購入された。1982年に馬主業に参入したクライン氏は、NFL(ナショナルフットボールリーグ)に所属していたサンディエゴ・チャージャーズのオーナーでもあったが、本馬がデビューした1984年にチームを売却してNFLから撤退しており、馬主としての活動に本腰を入れていた。

クライン氏は自身が住んでいたカリフォルニア州サンディエゴにある高級住宅地ランチョサンタフェに厩舎を創設し、1980年のプリークネスSをコーデックスで制したダレル・ウェイン・ルーカス調教師を専属として雇った。そしてルーカス師のところには本馬を含む多くの実力馬が集い、後に調教師として米国競馬史上屈指の成績を挙げることになるルーカス師の才覚が冴え渡ることになった。

競走生活(2歳時)

小柄だが頑健であるとルーカス師に評された本馬は、2歳5月にベルモントパーク競馬場で行われたダート5ハロンの未勝利戦でデビューし、ボニーズアックスという馬と1着同着で勝ち上がった。次走は7月のアストリアS(D5.5F)となったが、ここではファスターザンファストの5馬身半差5着に敗れた。

その後は米国西海岸に転戦。前走アストリアSから僅か5日後にはハリウッドパーク競馬場に姿を現し、ランダルースS(GⅢ・D6F)に出走した。しかし後に分割競走デルマーデビュータントSを勝つフルオーウィズダム、ミスタープロスペクター産駒の期待馬レイズアプロスペクター、グレード競走4勝馬サンディブルーの娘ウインドウシートといった面々が相手ではこの時点の本馬では対抗できず、勝ったウインドウシートから9馬身差をつけられて4着に敗れた。しかし次走のウェーヴィウェーヴスS(D6F)では、前走で3着だったフルオーウィズダムを1馬身半差の2着に退けて勝利した。続くジュニアミスS(D7F)では、後にメイトロンS・分割競走デルマーデビュータントSを勝利する同父のフィエスタレディと顔を合わせた。しかし結果は前走のランダルースSで9着に沈んでいたドゥーンズベイビーという馬が勝利を収め、フィエスタレディは2着、本馬はドゥーンズベイビーから6馬身差の4着と共倒れになった。

その後はしばらく間隔を空け、10月にサンタアニタパーク競馬場でアノアキアS(GⅢ・D7F)に出走した。ここでは、本馬、フルオーウィズダムが勝った方の分割競走デルマーデビュータントSで2着してきたパイレーツグロウ、ソレントSでドゥーンズベイビーを2着に破った後に出走したデルマーデビュータントSでフルオーウィズダムの3着だったウェイワードパイレートの3頭が大接戦を演じた末に、ウェイワードパイレートが勝利を収め、パイレーツグロウが頭差2着、本馬はさらに鼻差の3着と惜敗した。

続いてオークリーフS(GⅠ・D8.5F)に出走した。前走で1・2着のウェイワードパイレートとパイレーツグロウとの再戦となり、借りを返すチャンスだったが、レースはフォークアートという馬が快勝し、2・3着にウェイワードパイレートとパイレーツグロウが入る一方で、本馬はフォークアートからから16馬身差の5着と大敗してしまった。なお、このレースではブラックスワンSなど3連勝中だったフランズヴァレンタインという馬が4着しているが、このフランズヴァレンタインは3歳になって急激に強くなり、ラスヴァージネスS・サンタスサナS・ケンタッキーオークス・プリンセスS・ハリウッドオークスを勝ちまくることになるし、後に本馬が生涯最高の勝利を手にしたレースの2着馬ともなる。さらに書けば、ソードダンサー招待H2回・マンノウォーS2回・ユナイテッドネーションズHとGⅠ競走を5勝したウィズアンティシペーションの母となる馬でもあった。

次走のモカシンS(D6F)では、2着ネシアに半馬身差ながらも1分11秒2のコースレコードを計時して勝ち、2歳戦を締めくくった。2歳時の成績は8戦3勝だった。

競走生活(3歳前半)

3歳になった本馬に休みが与えられることは無く、1月から早々に始動。まずはベイメドウズ競馬場でヘイルヒラリウスS(D6F)に出て、2着ミスアドゥーンに4馬身差で圧勝した。その僅か1週間後には牡馬相手のデターマインS(D6F)に出走。ここでは牡馬ベッドサイドプロミスの首差2着に敗れたが、ベッドサイドプロミスは後にGⅠ競走サンアントニオHやナショナルスプリントCS・パロスヴェルデスH・ロサンゼルスH・トリプルベンドHなど多くのステークス競走を勝つ強豪馬であり、健闘と言える結果だった。

しかし続くサンタイネスS(GⅢ・D7F)では、ワイジングアップの3馬身3/4差5着に敗れた。このレースで2着だったラスカルラスはラスヴァージネスS・サンタスサナSを2着した後にファンタジーSを制してケンタッキーオークスに駒を進めて3着に入ることになる(この4競走全てでワイジングアップに先着)が、3歳当初の本馬はそうした表舞台に進むような成績を残せなかった。

次走のヴァレーホS(D6F)では、後にグレード競走を2勝するサバンナスルー(GⅠ競走4勝馬アストラの母)の1馬身半差2着に敗退。ここで本馬は西海岸を後にした。

次走は4月に東海岸に移動する途中のアーカンソー州オークローンパーク競馬場で行われたプリマドンナS(D6F)だった。ここでは格が違ったようで、主戦となるジョン・ベラスケス騎手を鞍上に、2着テイクマイピクチャーに5馬身差をつけて圧勝した。

ニューヨーク州に到着した本馬は早速、プライオレスS(GⅢ・D6F)に出走した。結果はクロックスシークレットの1馬身1/4差2着だったが、後にGⅠ競走トップフライトHを勝つライドサリィに先着するなど、まずまずの内容だった。

次走のカムリーS(GⅢ・D7F)では、クロックスシークレット、前走3着のライドサリィに加えて、BCジュヴェナイルフィリーズ・ハリウッドスターレットSを勝って前年のエクリプス賞最優秀2歳牝馬に選ばれていたアウトスタンディングリー、そしてセリマS・アスタリタSを勝ちフリゼットSで3着していたモムズコマンドと顔を合わせた。本馬とモムズコマンドはいずれも後に米国競馬の殿堂入りを果たす事になるのだが、この段階ではモムズコマンドのほうが実力断然上位であり、後続馬を寄せ付けずに圧勝。本馬はモムズコマンドから11馬身差の4着に終わった。

しかしそのモムズコマンドがエイコーンSを勝利した翌日に同じベルモントパーク競馬場で行われたボウルオブフラワーズS(D6F)で本馬は突如目覚める。ここにはカムリーSで7着に終わっていたライドサリィも出走してきたが、本馬が2着ライドサリィに7馬身差をつけて圧勝した。それから4週間後(モムズコマンドがマザーグースSを勝利した1週間後)に出走したリグレットH(D6F)も、2着フラッシュフォリーに3馬身半差をつけて完勝。さらに2週間後、モムズコマンドがCCAオークスを制してニューヨーク牝馬三冠馬の栄誉を手にした同日に同じベルモントパーク競馬場で行われたローズS(D6F)に出走すると、2着となった4歳馬フーリッシュインテンションズに4馬身3/4差をつけて快勝した。

競走生活(3歳後半)

翌8月の初め、本馬はテストS(GⅡ・D7F)に出走した。このレースにはニューヨーク牝馬三冠を達成したばかりのモムズコマンドも出走しており、単勝オッズ1.5倍という断然の1番人気に支持されていた。モムズコマンドより2ポンドだけハンデを貰っていた本馬は単勝オッズ11倍の評価だった。しかし結果は本馬が2着モムズコマンドに2馬身差をつけて勝利を挙げた。モムズコマンドは直後のアラバマSを勝ったがそれを最後に故障引退してしまい、本馬と対戦する機会は2度と無かった。そして入れ代わりに本馬が同世代牝馬最強馬の地位へと駆け上っていくことになるのである。

まずはテストSから僅か8日後のバレリーナS(GⅡ・D7F)に出走した。このレースには、ジェニュインリスクHなど4連勝中だった同厩馬アラバマナナの姿もあったのだが、本馬が2着ミセスリヴィアとの着差は鼻差ながらも勝利した。

それから1か月後には少し距離を伸ばしてマスケットS(GⅠ・D8F)に出走。コティリオンHの勝ち馬ダウリーを5馬身半差の2着に、前走で接戦を演じたミセスリヴィアを3着に破る圧勝劇を演じて、GⅠ競走初勝利を挙げた。

その15日後にはさらに距離を伸ばしてラフィアンH(GⅠ・D9F)に出走。本馬と同馬主同厩でオークリーフS・マザーグースS・アラバマS・ベルデイムS・モンマスオークス・シュヴィーHを勝ちBCディスタフ・アーリントンワシントンラッシーS・フリゼットS・ノーフォークS・エイコーンS・CCAオークス・ヘンプステッドH・ブルックリンHで2着の実績もあった前年のエクリプス賞最優秀3歳牝馬ライフズマジック、この年にアップルブロッサムH・モリーピッチャーH・シックスティセイルズH・アクサーベンクイーンズHとグレード競走4勝を挙げアップルブロッサムH2着・ヘンプステッドH3着の実績もあったセファズビューティ、アフェクショネイトリーHの勝ち馬でトップフライトH2着・サンタマルガリータ招待H3着の実績もあった前年のソヴリン賞最優秀古馬牝馬シントリリウム、ブラックヘレンH・コロンビアナHの勝ち馬アイセイソーなど強敵揃いだったが、本馬が2着アイセイソーに4馬身差をつけて快勝した。

翌10月にはさらに距離を伸ばしてベルデイムS(GⅠ・D10F)に出走。アイセイソーに加えて、ガゼルH・レアパフュームSなど目下4連勝中のカミカゼリック、亜国のGⅡ競走フランシスコJビーズレイ賞を勝ちGⅠ競走セレクシオン大賞(亜オークス)で2着した後に米国に移籍して前年のマスケットHで2着していたパラディースが挑戦してきたが、本馬がアイセイソーを2馬身差の2着に、カミカゼリックを3着に、パラディースを4着に破って勝利した。

そして地元アケダクト競馬場で行われたBCディスタフ(GⅠ・D9F)に参戦。ルーカス師はこの競走に、本馬、ラフィアンH4着後にスピンスターSで2着してきたライフズマジック、バレリーナS6着・マスケットS7着といずれも本馬に歯が立たなかったが前走ファーストフライトHを勝ってきたアラバマナナの3頭出しで臨んでいた。他にも、ヴァニティ招待H・スピンスターS・シルヴァーベルズH・チュラヴィスタHの勝ち馬で目下4連勝中のドントストップザミュージック、本馬とはオークリーフS以来の顔合わせとなるケンタッキーオークス・サンタスサナS・ハリウッドオークス・ラスヴァージネスS・プリンセスSの勝ち馬でハリウッドスターレットS・アラバマS2着・ガゼルH3着のフランズヴァレンタイン、アイセイソー、クレオパトル賞・ヴァインランドHの勝ち馬でラモナH2着のイーストランドが出走していた。ルーカス師の管理馬が勝つ可能性が最も高そうであり、本馬を含む3頭がカップリングで単勝オッズ1.4倍の1番人気に支持され、ドントストップザミュージックが単勝オッズ3.6倍の2番人気、フランズヴァレンタインが単勝オッズ6.9倍の3番人気となった。スタートが切られるとベラスケス騎手騎乗の本馬がすかさず先頭を奪い、2番手集団に最大で5馬身ほどの差をつける逃げを打った。しかし三角で一息入れようとしたところに後続馬が一斉に押し寄せてきたため、先頭を維持するためにそのまま全力で走り続ける羽目になった。直線入り口ではまだ先頭にいたが、ここで外側からライフズマジックに突き抜かれてしまうと、もはや抵抗する事は出来ず、6馬身1/4差をつけられて2着に敗れた。本馬はラフィアンHでライフズマジックを6馬身1/4差の4着に破っており、同じ着差で借りを返される結果となった。

ライフズマジックはこのレースを最後に競走馬を引退したが、本馬はまだまだ現役を続行。まずは再度西海岸に向かい、暮れのラブレアS(GⅢ・D7F)に出走した。このレースから当面はベラスケス騎手に代わってクリス・マッキャロン騎手が本馬に騎乗する事になった。この年のラブレアSは分割競走となっており、対戦相手の層はやや薄かったはずなのだが、かつてヴァレーホSで本馬を2着に破った後にソロリティSを勝って挑んだケンタッキーオークスでは5着だったが前走リンダヴィスタHを勝ってきたサバンナスルーにまたも屈して、半馬身差の2着に敗退。サバンナスルーはこのレースを最後に競走馬を引退したために、本馬は借りを返せないままだった。

3歳時は17戦10勝(うちGⅠ競走3勝)の成績を挙げた本馬だが、エクリプス賞最優秀3歳牝馬の座は9戦7勝(うちGⅠ競走4勝)のモムズコマンドのものとなった。

競走生活(4歳前半)

4歳になった本馬にやはり休みが与えられることは無く、1月から早々に始動。まずはサンタアニタパーク競馬場でエルエンシノS(GⅢ・D8.5F)に出走。ハネムーンHの勝ち馬シャープアセントなどを一蹴し、2着シャイウイングに2馬身差で軽く勝利した。

翌月に出走したラカナダS(GⅠ・D9F)では、翌年にサンタマルガリータ招待H・アップルブロッサムH・マスケットSとGⅠ競走3勝を挙げてエクリプス賞最優秀古馬牝馬に選ばれるノースサイダーが出走してきた。ノースサイダーはこの時点で10戦して着外無し、サンタモニカHで2着、前走サンタマリアHで3着など安定した成績を挙げていた。それでもこの段階のノースサイダーは本馬の敵ではなく、本馬が2着シャイウイングに1馬身1/4差、3着ノースサイダーにはさらに4馬身差をつけて勝利した。

さらに2週間後に出たサンタマルガリータH(GⅠ・D9F)では、サンタマリアH・シルヴァーベルズHを連勝してきた前年のサンタバーバラH2着馬ラヴスミットゥン、BCディスタフで本馬から3馬身差の3着だったドントストップザミュージック、ウィルシャーH・ビヴァリーヒルズHの勝ち馬でゲイムリーH・前走サンタマリアH2着のジョニカなどが参戦してきたが、ベラスケス騎手が鞍上に戻ってきた本馬が2着ジョニカに2馬身3/4差をつけて、1分47秒0のレースレコードを計時して勝利した。

そして西海岸を後にした本馬は途中でオークローンパーク競馬場に立ち寄り、アップルブロッサムH(GⅠ・D8.5F)に出走した。ここには、前年のラフィアンHでは本馬の5着に終わっていたセファズビューティが連覇を目指して出走してきた他に、前走で7着に終わっていたラヴスミットゥンの姿もあった。しかしこのレースで本馬は127ポンドを課せられていた。牝馬としては少々過酷なこの斤量がゴール前の粘りに響いたようで、ゴール直前でラヴスミットゥンに差されて首差の2着に敗れた。このレースを最後に競走馬を引退したラヴスミットゥンは母として、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSを2連覇したスウェインを産むことになる。

一方、ニューヨーク州に到着した本馬は、ベラスケス騎手に代わってパット・デイ騎手を新たな主戦として迎え、5月のシュヴィーH(GⅠ・D8.5F)に出走。トップフライトH・ディスタフHなど6連勝中のライドサリィ、ミスグリオS・ランパートHの勝ち馬エンディアー(BCマイル2連覇のルアーの母)といった初顔合わせの実力馬達が待ち構えていた。しかし本馬がエンディアーを3馬身半差の2着に、ライドサリィを3着に破って完勝した。

この僅か9日後にはメトロポリタンH(GⅠ・D8F)に参戦した。久々の牡馬相手の競走であり、対戦相手も、前年のBCクラシックを筆頭にフロリダダービー・ピーターパンS・ファウンテンオブユースS・ディスカヴァリーHを勝ちフラミンゴS・ウッドメモリアル招待S・ガルフストリームパークHで2着していたプラウドトゥルース、ワイドナーH・オークローンH・アファームドHなど4連勝中だった前年のスワップスS・トラヴァーズS2着・BCクラシック3着馬ターコマン、アーリントンクラシックS・フェアマウントパークダービーの勝ち馬でBCスプリント2着・アメリカンダービー3着のスマイル、カーターHを勝ってきたばかりのラヴザットマック、スタイヴァサントH・ホーソーン金杯H・ウエストチェスターH・エクセルシオールHとグレード競走4連勝中のガーソーンといった強力メンバーだった。それでも結果は、勝ったガーソーンから1馬身1/4差の3着とまずまずの走りを見せた。牝馬が同競走で入着したのは、1965年に3着したアフェクショネイトリー以来21年ぶりだった。後にこの年のマールボロC招待Hを勝ちBCクラシックで2着してエクリプス賞最優秀古馬牡馬に選ばれるターコマン(4着)、プラウドトゥルース(5着)、この年の暮れのBCスプリントを制してエクリプス賞最優秀短距離馬に選ばれるスマイル(7着)といったトップクラスの牡馬達に先着しており、一流牡馬相手でも勝負になる事を示した。

続いて出走したのは牝馬限定競走のヘンプステッドH(GⅠ・D9F)だった。ここでは、いずれもシュヴィーHから直行してきたライドサリィ、エンディアーとの再戦となった。しかし今回はエンディアーが激走を見せて圧勝し、初めて経験する重馬場に戸惑ったのか、本馬は6馬身差をつけられて2着に敗れた。

しかし7月のモリーピッチャーH(GⅡ・D8.5F)では、ベッドオローゼズHの勝ち馬カルデアや、CCAオークス馬サマーゲストの娘キーウィットネス(トップフライトH・ジョンAモリスHの勝ち馬ユードビーサプライズド、サバーバンHの勝ち馬キーコンテンダーと2頭のGⅠ競走勝ち馬の母となる)などを全く寄せ付けず、2着カルデアに6馬身1/4差をつけて、1分41秒2のレースレコードタイで2連覇を達成した。

競走生活(4歳後半)

そして4週間後にはホイットニーH(GⅠ・D9F)に出走して、再度牡馬に挑戦状を叩き付けた。対戦相手は、ハスケル招待H・ガルフストリームパークH・オハイオダービー・ペンシルヴァニアダービー・ペガサスH・パターソンH・マサチューセッツH・ジョンBキャンベルHの勝ち馬スキップトライアル、ユナイテッドネーションズH・ラトガーズH・ミシガンマイル&ワンエイスHの勝ち馬エンズウェル、ケンタッキージョッキークラブSの勝ち馬ファジーなどの牡馬勢だった。レースは泥だらけの不良馬場で行われたが、デイ騎手騎乗の本馬はスタートから問答無用で先頭を飛ばし、最大で後続に5馬身差をつける大逃げを打った。本馬の逃げは非常に快調で、後続馬勢はなかなか追いつけながったが、四角に入る手前で遂に2番手のエンズウェルが直後まで迫ってきた。しかし直線に入ると本馬は二の脚を使ってエンズウェルを引き離しにかかった。そして最後は独走状態となり、2着エンズウェルに4馬身半差、3着ファジーにはさらに3馬身差をつけて優勝。1948年のギャロレット以来38年振り史上5頭目となる牝馬による同競走制覇を成し遂げた。

2週間後のフィリップHアイズリンH(GⅠ・D9F)も牡馬相手の競走となった。対戦相手筆頭格は、BCスプリント・スワップスS・サンフェルナンドS・チャールズHストラブS・カリフォルニアンS・サンラファエルS・デルマーH・マリブS・マーヴィンルロイH・サンパスカルH・サンバーナーディノHを勝ちサンタアニタダービー・スーパーダービー・カリフォルニアンS・ハリウッド金杯で2着していた前年のエクリプス賞最優秀短距離馬プレシジョニストで、サバーバンH・ナッソーカウンティH・アソールトHを勝ちブルックリンHで2着してきたルーアートの姿もあった。斤量は本馬が120ポンド、プレシジョニストが124ポンド、ルーアートが117ポンドで、同世代の牡馬であるルーアートより本馬のほうが重かった。今回もホイットニーHと同じく不良馬場だったが、斤量面で恵まれたルーアートが勝利を収め、プレシジョニストが2馬身1/4差の2着、本馬がさらに1馬身1/4差の3着だった。

さらに2週間後にはウッドワードS(GⅠ・D9F)に参戦した。定量戦だったが、今の本馬が牡馬相手に戦うにはむしろその方が良かったのかもしれない。対戦相手は、プレシジョニスト、ルーアート、この時点では無名だったパーソナルフラッグ(名牝パーソナルエンスンの1歳年上の全兄で、翌年以降にワイドナーH・サバーバンH・ナッソーカウンティHなどを勝利している)などだった。しかしデイ騎手の都合がつかなかったためにアンヘル・コルデロ・ジュニア騎手に乗り代わった本馬は、プレシジョニストに4馬身3/4差をつけられて2着に敗れた。しかしルーアート(4着)には先着して前走の借りは少し返した。

この後は牝馬限定競走路線を進む。まずはマスケットS(GⅠ・D8F)に出走。ここには、3か月前のヘンプステッドHで本馬を6馬身ちぎった後にデラウェアHで2着していたエンディアーの姿もあったが、牡馬相手の競走で鍛えられた本馬の実力は既にエンディアーの比ではなかった。本馬が2着となったBCジュヴェナイルフィリーズ・デモワゼルS3着馬スティールアキス(後のシープスヘッドベイHの勝ち馬)に7馬身差をつけて2連覇を達成し、エンディアーは3着に終わった。勝ちタイム1分33秒4は、1982年のメトロポリタンHでコンキスタドールシエロが計時した1分33秒0のコースレコードに0秒4まで迫る優秀なものだった。なお、コンキスタドールシエロがメトロポリタンHを勝った時の斤量111ポンドに対して、このレースの本馬は124ポンドだった事も付記しておく。

次走のラフィアンH(GⅠ・D9F)では、スティールアキス、エンディアーに加えて、そのエンディアーを7馬身半ちぎったデラウェアHに加えてブラックヘレンH・ジョンAモリスHなど4連勝中のショッカーティー、この時点では無名だったが翌年にデラウェアH・ジョンAモリスH・ラフィアンHとGⅠ競走3勝を挙げるクープドフュジルも参戦してきた。このレースはハンデ競走のため、本馬には前走より5ポンドも重い129ポンドという、牝馬としてはかなりの酷量を課せられた。それでも結果は前走と同様となり、本馬が2着スティールアキスに8馬身差をつけて2連覇を飾り、エンディアーは3着、ショッカーティーは4着だった。

次走のベルデイムS(GⅠ・D10F)では、アッシュランドS・アラバマS・ガゼルHとこの年だけでGⅠ競走3勝を挙げていたクラッシーキャシーが本馬に挑戦状を叩きつけてきた。しかし本馬を追い詰めたのはクラッシーキャシーではなく、ラフィアンHで5着に終わっていたクープドフュジルだった。しかし本馬が2着クープドフュジルに半馬身差、3着クラッシーキャシーにはさらに1馬身3/4差をつけて勝ち、3戦連続で2連覇を達成した。

そして次の目標は前年に果たせなかったBCディスタフ制覇だった。この年のブリーダーズカップはサンタアニタパーク競馬場で施行されたため、ベルデイムSを勝った本馬は半年ぶりに西海岸に飛び、BCディスタフ(GⅠ・D10F)に参戦した。対戦相手は、前年のカムリーSで本馬より下の5着に終わった後は不振に陥っていたがこの年になってウィルシャーH・ラスパルマスH・アグリームHを勝ちヴァニティHで3着など復調してきた一昨年のエクリプス賞最優秀2歳牝馬アウトスタンディングリー、前年のBCジュヴェナイルフィリーズ・アストリアSの勝ち馬でサンタアニタオークス2着・ハリウッドスターレットS3着のトワイライトリッジ、ヴァニティHの勝ち馬でハリウッドオークス・デルマーオークス・ミレイディH2着のマグニフィセントリンディ、この年にチュラヴィスタHを勝っていた前年のBCディスタフ5着馬フランズヴァレンタイン、クラッシーキャシー、ラカナダSで本馬の2着だったシャイウイング、前年のベルデイムSで本馬の4着に敗れた後は殆ど活躍していなかったパラディースの計7頭だった。本馬と同馬主同厩のトワイライトリッジのカップリングが単勝オッズ1.5倍という圧倒的な1番人気に支持され、前走ラスパルマスHを勝ってきたアウトスタンディングリーが単勝オッズ8.6倍の2番人気、マグニフィセントリンディが単勝オッズ9.5倍の3番人気、フランズヴァレンタインが単勝オッズ9.7倍の4番人気、クラッシーキャシーが単勝オッズ10.1倍の5番人気となった。

スタートが切られるとデイ騎手騎乗の本馬がやはり先頭に立ち、本馬と3度目の顔合わせとなるフランズヴァレンタインがマークするように2番手、アウトスタンディングリーが3番手につけた。当初は後続を引き付けながら逃げていた本馬だが、最初のコーナーを回るところで差を広げにかかり、向こう正面ではフランズヴァレンタインに5~6馬身差をつける得意の大逃げ戦法に出た。三角手前で少しだけ後続との差が縮まり、三角から四角にかけて本馬が少し外側に膨らんだ隙を突いて後続馬がさらに迫ってきた。それでも2番手のアウトスタンディングリーに2馬身ほどの差をつけて直線に入ってくると、着実にアウトスタンディングリーとの差を広げていった。最後はアウトスタンディングリーをかわして2着に上がったフランズヴァレンタインに2馬身半差をつけて優勝した。

同日直後に行われたBCクラシックで、エクリプス賞年度代表馬の有力候補だったターコマンとプレシジョニストが揃ってスカイウォーカーに敗れた(このレースには欧州版「鉄の女」トリプティクも出走していたが6着だった)。そのため本馬は228票中172票を集めてこの年のエクリプス賞年度代表馬のタイトルを獲得した(次点の41票がBCターフでダンシングブレーヴを破ったマニラで、ターコマンが8票、スノーチーフが4票、最優秀障害競走馬フラットレアが3票だった)。牝馬が同タイトルを獲得したのは1983年のオールアロング以来3年ぶり史上2頭目(エクリプス賞創設以前も含めると8頭目)だった。また、本馬はエクリプス賞最優秀古馬牝馬のタイトルも受賞したが、オールアロングはこのタイトルを受賞していない(エクリプス賞最優秀芝牝馬は受賞している)から、エクリプス賞年度代表馬と最優秀古馬牝馬を同時受賞したのは本馬が史上初となった。

この年の成績は15戦10勝(うちGⅠ競走8勝)だった。年間GⅠ競走8勝は北米記録であり、後の1995年にシガーも8勝を挙げたが更新は出来ず、現在も北米記録(グレード競走とグループ競走を同列とすれば世界記録である)として残っている。

競走生活(5歳時)

翌5歳時も現役を続け、この年は3月にフロリダ州ガルフストリームパーク競馬場で行われたドンH(GⅡ・D9F)から始動した。このレースには、前年のハスケル招待H・トラヴァーズS・スーパーダービー・レキシントンSを勝っていたワイズタイムズ、本馬が勝ったホイットニーHで4着に終わっていたスキップトライアルなどが出走していた。しかし勝ったのは単勝オッズ57倍のリトルボールドジョンという馬で、スキップトライアルが2年連続の2着、ワイズタイムズが3着で、本馬はリトルボールドジョンから32馬身差も離された6着と惨敗してしまった。

その後は3か月間休養し、6月にモンマスパーク競馬場で行われたダート6ハロンの一般競走で復帰して、2着ニックスナグに3馬身半差で勝利した。次走のモリーピッチャーH(GⅡ・D8.5F)では、本格化一歩手前だった前年のベルデイムS2着馬クープドフュジル、前走ヘンプステッドHを勝ってきたカタトニックといったGⅠ競走級の馬達が対戦相手となった。しかしここでは今まで一般競走で地道に走っていた単勝オッズ44倍のリールイージーという馬が現役最終戦で乾坤一擲の走りを見せて圧勝し、本馬は127ポンドの斤量が堪えたのか7馬身差の2着に敗退してしまった。

引き続きモンマスパーク競馬場で出たダート8.5ハロンの一般競走では格の違いを見せて、2着ブリーフリマークスに7馬身差で圧勝。しかしその10日後に出走したサラトガ競馬場ダート9ハロンの一般競走で競走中止。生命に別状は無かったが、これで本馬の長い競走生活は終わりのときを迎えた。5歳時の成績は5戦2勝だった。

獲得賞金総額は302万1325ドルで、オールアロングの301万8420ドルを上回り当時の世界賞金女王となった。

競走馬としての特徴

本馬は全盛期における馬体重が900ポンド(約410kg)程度と、非常に小柄な馬だった。しかし殆ど故障知らずの馬であり、とにかく頑健に走り続けた。そのため冒頭に書いたように米国競馬界で“The Iron Lady”と言えば本馬の事を指すのである。また、目立つ芦毛の馬体であり、それが競走になるといつも先陣を切っていた事から、「この小さくて可憐な牝馬は“Silver Bullet(銀の弾丸)”のようです」とも評された。

血統

Secretariat Bold Ruler Nasrullah Nearco Pharos
Nogara
Mumtaz Begum Blenheim
Mumtaz Mahal
Miss Disco Discovery Display
Ariadne
Outdone Pompey
Sweep Out
Somethingroyal Princequillo Prince Rose Rose Prince
Indolence
Cosquilla Papyrus
Quick Thought
Imperatrice Caruso Polymelian
Sweet Music
Cinquepace Brown Bud
Assignation
Great Lady M. Icecapade Nearctic Nearco Pharos
Nogara
Lady Angela Hyperion
Sister Sarah
Shenanigans Native Dancer Polynesian
Geisha
Bold Irish Fighting Fox
Erin
Sovereign Lady Young Emperor Grey Sovereign Nasrullah
Kong
Young Empress Petition
Jennifer
Sweety Kid Olympia Heliopolis
Miss Dolphin
Trustworthy My Babu
Implicit Trust

セクレタリアトは当馬の項を参照。

母グレートレディエムは競走馬として、ミッションヴィエホS・ラブレアS・オレンジコーストH・アグリームH・ラスシエネガスH・ランチョベルナルドH・オータムデイズH勝ちなど58戦14勝の成績を残した、娘と同様に頑健な馬だった。本馬以外に活躍馬を産むことは無かったが、牝系子孫は繁栄している。例えば、本馬の半妹グレートクリスティーヌ(父ダンチヒ)は日本に繁殖牝馬として輸入され、快速女王ビリーヴ【スプリンターズS(GⅠ)・高松宮記念(GⅠ)・セントウルS(GⅢ)・函館スプリントS(GⅢ)】を産んだし、やはり日本に輸入された半妹スターマイライフ(父ストームキャット)の孫にはスティールパス【スパーキングレディーC(GⅢ)】とトレンドハンター【フラワーC(GⅢ)】の姉妹がいる。グレートレディエムの半妹フリップズリトルガール(父フリップサル)の子にはドゥイットウィズスタイル【アッシュランドS(米GⅠ)】、孫には外国産馬として日本で走ったストーンステッパー【根岸S(GⅢ)・ガーネットS(GⅢ)・群馬記念(GⅢ)】がいる。

グレートレディエムの母ソヴリンレディの半妹クイーンオブコーンウォールの曾孫にはゴールドエディション【アスコットヴェイルS(豪GⅠ)・マニカトS(豪GⅠ)】がいる。快速種牡馬の血が入った馬が多いためでもあろうが、全体的に短距離の活躍馬が目立つ牝系である。その点では距離10ハロンのBCディスタフや牡馬相手の距離9ハロン競走ホイットニーHを勝った本馬は異端児であり、これはやはり父セクレタリアトの豊富なスタミナが影響しているのだろうか。→牝系:F22号族①

母父アイスカペイドは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、レバノンの実業家イサム・マイケル・ファレス氏(後にBCターフ勝ち馬ミスアレッジドの馬主となる)によって380万ドルで購入され、ケンタッキー州ファレスファーム(後に名馬カーリンが誕生する牧場)で繁殖入りした。初年度と2年目はアリダーと交配されて子をもうけた。その後にアリダーが謎の死を遂げると、今度はミスタープロスペクターやダンチヒとの間に子をもうけた。後にはシアトルスルーサンダーガルチスキップアウェイなどとの間にも子をもうけた。シアトルスルーとの間には3頭、スキップアウェイとの間には2頭の子がいるが、これらはいずれもエクリプス賞年度代表馬同士の間に誕生した馬であり、その中で最初に産まれた1995年産のシアトルスルー牝駒スリーピングインシアトルは史上初めてエクリプス賞年度代表馬同士の間に誕生した馬として注目された。

しかし本馬の産駒はいずれも競走馬として優れた成績を残す事は出来なかった。本馬の産駒には日本に競走馬又は繁殖牝馬として輸入された子が多く、初子のマチカネアイーダ(父アリダー)、2番子のシークレッツトールド(父アリダー)、3番子のグッドルックス(父ミスタープロスペクター)、4番子のレディダンジグ(父ダンチヒ)、6番子のスリーピングインシアトル、7番子のアグネスライナー(父シアトルスルー)の6頭の牝駒が来日しているが、これらも競走馬としては活躍できなかった。

1998年に本馬はケンタッキー州の馬産家キム・グレニー氏とジョン・グレニー氏の両名によって購入されたが、取引価格は75万ドルまで下落していた。そして2001年にはグレニー氏達が所有するカリフォルニア州バレークリークファームに移り住んだ。2003年3月にジェネラルミーティング牡駒を出産する際に合併症を起こして21歳で他界した。

1992年には米国競馬の殿堂入りを果たした。翌1993年には本馬の功績を讃えてサンタアニタパーク競馬場が「レディーズシークレットH」を創設。この競走はブリーダーズカップの前哨戦として年々価値が高まり、2007年にGⅠ競走に昇格するまでになったが、この競走の連覇をステップにBCレディーズクラシック(旧BCディスタフ)とBCクラシックを制覇したゼニヤッタの功績を讃えて同競走が「ゼニヤッタS」に改称される話が出てくるという皮肉な結果を招いた。このときは「レディーズシークレットに対する敬意を欠いている」と非難の声が上がり、いったんは現役引退を表明したゼニヤッタが一転して現役を続行した事もあって話は流れたが、同競走を3連覇したゼニヤッタが正式に引退した2年後の2012年に「ゼニヤッタS」に改称されてしまった。こうして本馬の名を冠した競走は無くなってしまったが、本馬の名前はモンマスパーク競馬場にあるカフェの名称「レディーズシークレットカフェ」や、所有者のクライン氏が住んでいたランチョサンタフェにある通りの名称「レディーズシークレットドライブ」に残されている。本馬が最後の日々を過ごしたバレークリークファームにも本馬を記念した庭園が建造されているらしい。米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選で第76位。

本馬の直子に活躍馬はいないが、孫世代からは活躍馬が出ている。グッドルックスの娘キョウワハピネスはファルコンS(GⅢ)を勝ったし、スリーピングインシアトルの娘サウンドバリアーはフィリーズレビュー(GⅡ)を勝っている。そんなわけで本馬の牝系は当面の間は安泰と思われる。

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