シガー

和名:シガー

英名:Cigar

1990年生

鹿毛

父:パレスミュージック

母:ソーラースルー

母父:シアトルスルー

芝からダートに転向した途端に開花してBCクラシックやドバイワールドCなど16連勝を達成した1990年代米国最強馬だが無精子症のため子孫は残せず

競走成績:3~6歳時に米首加で走り通算成績33戦19勝2着4回3着5回

誕生からデビュー前まで

米国メリーランド州ベルエア近郊のカントリーライフファームにおいて、母ソーラースルーの馬主でもあったアレン・E・ポールソン氏により生産され、アレックス・ハッシンガー・ジュニア調教師に預けられた。当初はポールソン氏の妻マドレーヌ夫人の名義だったが、ポールソン氏の生産・所有馬で本馬と同世代の牝馬イライザ(BCジュヴェナイルフィリーズを勝ち、エクリプス賞最優秀2歳牝馬に選ばれている)と交換する形でポールソン氏の名義となっている。

馬名のシガーはメキシコ湾にある航空チェックポイントの名前である。中古飛行機の転売業で財を成し、航空機メーカーであるガルフストリーム・エアロスペース社のオーナーも務め、自身パイロットでもあったポールソン氏は、所有馬に航空チェックポイントの名前を付ける事が多く、本馬より1歳年上のアラジも同様であった。もっとも、2歳にしてカルティエ賞年度代表馬に選ばれたアラジとは異なり本馬の仕上がりは遅く、デビューは3歳になってからだった。

競走生活(3歳時)

2月にサンタアニタパーク競馬場で行われたダート6ハロンの未勝利戦で、パトリック・ヴァレンズエラ騎手を鞍上にデビューした。このレースでは後のポトレログランデHの勝ち馬サーハッチが単勝オッズ2倍の1番人気に支持されており、本馬は単勝オッズ6.1倍で9頭立ての3番人気という程度の評価だった。レースでは馬群の中団後方を追走したが、最後まで順位を上げることが出来ずに、勝った単勝オッズ20.6倍の6番人気馬デミゴッドから13馬身差をつけられた7着と大敗した。

その2か月半後の5月にハリウッドパーク競馬場で行われたダート6ハロンの未勝利戦が2戦目となった。ここでは単勝オッズ6.2倍で6頭立ての4番人気という低評価だった。しかもスタート後の加速が悪かったが、鞍上のヴァレンズエラ騎手が必死に追って、すぐに馬群に取り付いた。そして直線であっさりと抜け出し、2着ゴールデンスルーピーに2馬身1/4差をつけて初勝利を挙げた。

その後は父系の血統から芝向きと判断され、芝のレースを中心に使われることになった。

初勝利から2週間後にハリウッドパーク競馬場で出走した芝8.5ハロンの一般競走が3戦目となった。単勝オッズ4.8倍の2番人気での出走となった本馬は、3番手追走から直線入り口でいったんは先頭に立つも、残り1ハロン地点で後続馬勢に次々と差されて、勝った単勝オッズ5.1倍の4番人気馬プリーズドントエクスプレインから1馬身3/4差の4着に終わった。

その3週間後にも同コースの一般競走に出走。ここでは、ウッドメモリアル招待Sで2着してケンタッキーダービーに駒を進めるもシーヒーローの19着と惨敗していたトスオブザコインが単勝オッズ2倍の1番人気に支持されており、本馬は単勝オッズ3.9倍の2番人気だった。レースではトスオブザコインが先頭を引っ張り、本馬は馬群の中団後方につけた。そして三角で仕掛けて追い上げていったが、本馬より後方から来た単勝オッズ16.4倍の6番人気ノンプロダクティヴアセットに差され、トスオブザコインにも届かずで、勝ったノンプロダクティヴアセットから1馬身3/4差の3着に敗れた。

8月にはデルマー競馬場で行われた芝8.5ハロンの一般競走に出走。ステークス競走の勝ち馬が何頭か出走していたが、目立つ勝ち鞍がある馬はおらず、ステークス競走の勝ちが無い本馬は彼等より7ポンドのハンデを貰っていた事もあり、単勝オッズ2.9倍の1番人気に支持された。初騎乗となるクリス・マッキャロン騎手鞍上の本馬は、馬群の好位4番手を進み、直線入り口で先頭に立って押し切るというスマートなレースぶりで、2着アワモーショングランテッドに2馬身3/4差をつけて勝利した。しかしネタばれになるが、結果的にはこれが本馬の芝における唯一の勝利となってしまうのだった。

9月にはデルマー競馬場芝8ハロンの一般競走に出走。前走以上に実績馬はいなかったが、今回は斤量面でそれほど優遇されていなかった(それでも他馬より2~4ポンド軽い115ポンドで単独の最軽量)ため、単勝オッズ4.3倍の3番人気止まりだった。今回もマッキャロン騎手とコンビを組んだ本馬は、2番手の好位を進み、直線に入ったところで先頭に立つという前走と似たような走りを披露したが、後方から来た単勝オッズ5.9倍の4番人気馬キングダムオブスペインにゴール前で差されて、半馬身差の2着に敗れた。

同月末にベイメドウズ競馬場で出走したアスコットH(米GⅢ・T8.5F)が、グレード競走初出走となった。マッキャロン騎手が単勝オッズ3.6倍の1番人気だったラホヤHの勝ち馬マニーズプロスペクトに騎乗したため、再びヴァレンズエラ騎手とコンビを組んだ本馬は単勝オッズ5.1倍の2番人気だった。ここでは2番手を進むマニーズプロスペクトをマークするように5番手の好位につけ、四角で一気に加速して先頭に立った。そのまま後続を引き離して直線に入ってきたが、ゴール前で単勝オッズ29.4倍の9番人気馬ジーベと、単勝オッズ10.7倍の6番人気馬ノンプロダクティヴアセットの2頭に差されて、勝ったジーベから半馬身差の3着と惜敗した。

その後は11月にサンタアニタパーク競馬場で行われたヴォランテH(米GⅢ・T9F)に向かった。ここでは、仏国のGⅠ競走フォレ賞で3着した直後に米国に移籍してきたティナーズウェイ、ラウンドテーブルS・ホーソーンダービーを勝ってきたスネークアイズという有力馬2頭が参戦してきて、前者は単勝オッズ2.1倍、後者は単勝オッズ3.4倍と人気を集め、本馬は単勝オッズ8.7倍の4番人気だった。レースでは単勝オッズ19.1倍の7番人気馬イースタンメモリーズが先頭を引っ張り、好位の4番手につけた本馬は、自身から6馬身ほど離れた中団馬群につけていたティナーズウェイやスネークアイズの動きを睨みながらレースを進めた。そしてティナーズウェイやスネークアイズが差を縮めてくるのを見計らってから仕掛けると、その2頭の追撃をゴールまで凌ぎきった。しかし後方を気にしすぎたためか、逃げていたイースタンメモリーズを捕まえるのに失敗しており、2馬身差の2着に敗れた。

2週間後のハリウッドダービー(米GⅠ・T9F)がGⅠ競走初出走となった。対戦相手は、イースタンメモリーズ、デルマー招待ダービーを勝ってきたガイド、愛ナショナルS・愛フューチュリティSの勝ち馬で愛2000ギニー2着のファザーランド、アメリカンダービーの勝ち馬エクスプローシヴレッド、シネマHの勝ち馬でアメリカンダービー2着のアールオブバーキング、ノンプロダクティヴアセット、マニーズプロスペクトなどだった。中核馬不在の混戦模様であり、イースタンメモリーズとガイドのカップリングが単勝オッズ2.6倍の1番人気となった。一方の本馬は単勝オッズ25.8倍で、14頭立て10番人気(下から3番目)という人気薄だった。スタートが切られるとイースタンメモリーズが先頭に立ち、本馬は5番手につけた。三角に入るところでイースタンメモリーズが失速して、2番手につけていたエクスプローシヴレッドが先頭に立った。本馬も追撃を開始した、と書きたいところだが、イースタンメモリーズに付き合うかのように失速。レースは結局エクスプローシヴレッドが2着ジューンオムや3着アールオブバーキングの追撃を抑えて勝ち、本馬はエクスプローシヴレッドから13馬身3/4差の11着に大敗してしまった。上位2頭は共に単勝オッズ23.3倍の8番人気馬であり、上位人気馬勢はほぼ総崩れだった。しかもファザーランドはレース中に故障して予後不良となってしまった。本馬もレース後に四肢の膝の骨全てが欠損するという故障が判明。手術と治療のために長期休養入りした。

3歳時の成績は9戦2勝で、獲得賞金額は8万9175ドルであり、平凡としか言いようの無い成績だった。なお、この休養中にウィリアム・I・モット厩舎に転厩している。

競走生活(4歳初期と中期)

8か月の休養を経て、4歳7月にベルモントパーク競馬場で行われた芝8.5ハロンの一般競走で復帰した。このレースでは、ヴァレンズエラ騎手に代わってマイク・スミス騎手が本馬の手綱を取った。これといった馬は他に出走しておらず、本馬が単勝オッズ2.7倍の1番人気に支持された。今回は試みにスタートから先頭争いを演じてみたが、直線に入ると大きく失速。勝った単勝オッズ9倍の最低人気馬ダンシングハンターから9馬身差の4着に敗退した。

翌8月にはサラトガ競馬場芝9ハロンの一般競走に出走。ここでもスミス騎手とコンビを組んだ本馬は、単勝オッズ4.2倍の2番人気だった。前走の逃げは本当に試しだったようで、今回は4番手の好位追走という普段どおりの競馬を見せた。しかし直線で突き抜けるだけの勢いは無く、勝った単勝オッズ11.6倍の6番人気馬マイモーグルから3馬身差の3着に敗れた。

9月に出走したベルモントパーク競馬場芝8ハロンの一般競走では、ジェリー・ベイリー騎手と初コンビを組み、単勝オッズ2.9倍の1番人気に支持された。しかしスタートが今ひとつだった事もあり、今回は馬群の中団後方を進むことになった。道中でいったんは3番手まで上がったが、直線に入るとぱったり止まり、勝った単勝オッズ4.4倍の2番人気馬ジドーから8馬身半差の7着と惨敗してしまった。後に本馬との名コンビで米国競馬界を荒らしまわるベイリー騎手の手腕を持ってしても、芝競走で本馬を勝たせる事は出来なかった。

10月7日に出走したベルモントパーク競馬場芝8.5ハロンの一般競走では、女性騎手ジュリー・クローン騎手とコンビを組んだ。このレースにはジムダンディSの勝ち馬アナカウンティドフォー、後のケルソH・リバーシティH2回の勝ち馬セイムオールドウィッシュという実力馬2頭が出走してきていた。セイムオールドウィッシュが単勝オッズ2.7倍の1番人気、アナカウンティドフォーが単勝オッズ2.8倍の2番人気で、本馬は単勝オッズ4.4倍の3番人気だった。レースではアナカウンティドフォーが逃げを打ち、本馬は4番手の好位につけた。そして三角でアナカウンティドフォーに詰め寄っていったが、直線に入ると逆に引き離され、後方から来たセイムオールドウィッシュにも差されて、勝ったアナカウンティドフォーから8馬身半差、2着セイムオールドウィッシュからも6馬身差の3着に終わった。

競走生活(4歳後期):連勝の始まり

こんな感じで見せ場が無いレースばかり続いているから、読者もそろそろ退屈してきたかもしれない。正直言って筆者も退屈してきたのだが、それは本馬陣営も同様だったようで、気分転換でもさせるつもりだったのか、次走は12戦ぶりのダート競走となる、10月28日にアケダクト競馬場で行われた距離8ハロンの一般競走となった。このレースが米国競馬史上に燦然と残る大記録の始まりになると事前に想像していた人は間違いなく皆無だっただろう。ここで単勝オッズ3.15倍の1番人気に支持されていたのはゴールデンプローヴァーという馬で、前走の一般競走と8走前の未勝利戦を勝ったのみの9戦2勝馬であり、ステークス競走出走歴も無かった。その程度のメンバー構成だったが、スミス騎手騎乗の本馬は単勝オッズ4.5倍で、6頭立ての3番人気だった。スタートが切られるとゴールデンプローヴァーが先頭に立ったが、あまりスタートがよろしくなかった本馬も猛然とそれに競りかけて先頭争いを展開した。そして向こう正面で単騎先頭に立つと、まるで水を得た魚のような伸び伸びとした走りを続け、ゴールデンプローヴァーを8馬身差の2着に葬り去って圧勝してしまった。

これが本馬の連勝記録のスタート地点であり、米国競馬名誉の殿堂博物館のウェブサイトでは、本馬の名前と葉巻煙草(英語では本馬の名前と全く同じ“cigar”)を掛けて、「(このレースで)煙草(の経歴)に火がついた」と表現している。そしてこれ以降の本馬は全てダート競走を走ることになる。結局、芝では11戦して僅か1勝だった。

今までは負けてばかりで読者には退屈だったと思うが、今後は逆に勝ってばかりで読者を退屈にさせないように気を配りながら執筆しようと思う。

久々の勝利から4週間後には、NYRAマイルH(米GⅠ・D8F)に出走した。このレースには、サバーバンH2連覇・ウッドメモリアル招待S・ガルフストリームパークH・ピムリコスペシャルHとGⅠ競走で5勝を挙げていたデヴィルヒズデュー、パシフィッククラシックS・ウッドワードS・ノーフォークS・デルマーフューチュリティ・サンフェリペS・サンフェルナンドS・グッドウッドHの勝ち馬で前年のBCクラシックで2着してエクリプス賞最優秀古馬牡馬に選ばれていたバートランド、ヴォスバーグSの勝ち馬ハーラン、ホイットニーHの勝ち馬でジョッキークラブ金杯3着のブランズウィックといったGⅠ競走勝ち馬達が出走してきた。

前走のBCクラシックこそ2番人気で11着と惨敗していたデヴィルヒズデューだったが、紛れも無く米国競馬界におけるトップホースの1頭であり、124ポンドのトップハンデでも単勝オッズ3.35倍の1番人気に支持されていた。近走不振のため114ポンドまで斤量が下がっていたブランズウィックが単勝オッズ5.6倍の2番人気、121ポンドのバートランドが単勝オッズ6倍の3番人気、120ポンドのハーランが単勝オッズ6.4倍の4番人気と続いていた。デヴィルヒズデューもそうだが、ブランズウィックにしろ、バートランドにしろ、ハーランにしろ、ステークス競走の勝ちさえも無いこの時点における本馬にとっては雲の上の存在であったから、前走の圧勝にも関わらず本馬の斤量が111ポンドだったのは当然で、単勝オッズ9.9倍で12頭立ての6番人気というのは、この段階ではむしろ評価された方かもしれない。デヴィルヒズデューの主戦だったスミス騎手は当然デヴィルヒズデューに騎乗したため、本馬はベイリー騎手と2度目のコンビを組んだ。もっとも、ベイリー騎手もこの年のデヴィルヒズデューに何度か騎乗していたから、場合によっては本馬とデヴィルヒズデューの鞍上は逆になっていたかもしれず、そうなると本馬と共に米国競馬界を制圧するのはスミス騎手だったかも知れない。

さてスタートが切られると、まずはバートランドが先頭に立ち、本馬は4番手の好位、その直後の5番手にデヴィルヒズデューがつけた。向こう正面で早くも本馬が先頭に立つと、デヴィルヒズデューもそれを追って2番手に進出してきた。その様子を見る限りでは、スミス騎手は前走で騎乗した本馬が実は一番手強い事を認識していたようである。しかし本馬とデヴィルヒズデューの差は縮まらず、三角からは逆にどんどん広がり始めた。直線に入ったときには既に勝負は決着しており、本馬が2着デヴィルヒズデューに7馬身差をつけてGⅠ競走を初勝利した。そしてこれ以降の本馬の全競走でベイリー騎手が騎乗することになる。4歳時の成績は6戦2勝だった。

競走生活(5歳初期)

5歳時は1月にガルフストリームパーク競馬場で行われたダート8.5ハロンの一般競走から始動した。はっきり言ってたいした対戦相手はおらず、本馬が単勝オッズ1.5倍という圧倒的な1番人気に支持された。レースではスタートから先頭を走り続け、ゴール前では流して、最後方からの追い込みに賭けて2着に突っ込んだ単勝オッズ13.2倍の4番人気馬アッピングジアンテに2馬身差をつけて勝利した。

次走は2月のドンH(米GⅠ・D9F)となった。ここには、一昨年のハスケル招待Hの勝ち馬キッシンクリス、前年のドンHの3着馬でもあるスーパーダービー・カウディンSなどの勝ち馬ワレンダーなども出走していたが、なんと言っても最大の強敵は、ベルモントフューチュリティS・フロリダダービー・メトロポリタンH・ハスケル招待H・トラヴァーズS・ウッドワードSとGⅠ競走で6勝を挙げていた前年のエクリプス賞年度代表馬ホーリーブルだった。

ホーリーブルの主戦はスミス騎手であり、ここでも当然ホーリーブルと共に本馬の前に立ち塞がってきた。先のNYRAマイルHで、スミス騎手がデヴィルヒズデューでなく本馬に乗っていたら云々と書いたが、どちらにしてもここでスミス騎手がホーリーブルを手放すわけはないから、ここで本馬に乗るのはどのみちベイリー騎手になっていた事になり、先の筆者の発言は的外れだったかもしれない。

ホーリーブルが他馬勢より11ポンド以上も重い127ポンドのトップハンデでも単勝オッズ1.3倍という断然の1番人気に支持され、115ポンドの本馬が単勝オッズ5倍の2番人気、113ポンドのキッシンクリスが単勝オッズ15.8倍の3番人気だった。

スタートが切られると、ホーリーブルの後方を走るつもりは無いと言わんばかりに本馬が先頭に立ち、ホーリーブルが2番手を追ってくる展開となった。このまま何事も無ければ結果はどうなっていたかは誰にも分からないが、向こう正面でホーリーブルは左前脚浅屈腱に故障を発生して競走を中止してしまった。ホーリーブルの代わりに単勝オッズ70.1倍の7番人気馬プリミティヴホールが2番手に上がってきたが、ホーリーブル以外に今の本馬の勢いを止められる馬がいるはずもなく、本馬が直線で後続を引き離し、2着プリミティヴホールに5馬身半差をつけて圧勝した。

ホーリーブルの故障は生命に関わるものではなかったが、競走生命においては致命的であり、そのまま現役引退。おそらくこの年の本馬に対抗しうる唯一の存在だったホーリーブルは、こうして本馬との対決初戦にしていなくなってしまった。なお、この時点ではホーリーブルの故障引退の方が話題になっており、本馬の勝利は二の次の話題だったようである。

次走は3月のガルフストリームパークH(米GⅠ・D10F)となった。プリミティヴホール、ブルーグラスS3着馬マホガニーホール、ブラワードHの勝ち馬ファイトフォーラヴなどが出走してきたが、対戦相手のレベルは前走より下がっていた。本馬が他馬勢より3~6ポンド重い118ポンドのトップハンデでも単勝オッズ1.5倍の1番人気に支持され、113ポンドのマホガニーホールが単勝オッズ6.2倍の2番人気となった。そしてやはりこの程度の斤量差で本馬を止められる馬はこのレースにはおらず、4番手追走から三角で仕掛けて四角で先頭に立った本馬が、2着に突っ込んだ単勝オッズ37.5倍の8番人気馬プライドオブバルカンに7馬身半差をつけて圧勝した。

その後はフロリダ州から米国中南部のアーカンソー州オークローンパーク競馬場に向かい、4月のオークローンH(米GⅠ・D9F)に出走した。ガルフストリームパークHに比べると対戦相手のレベルは格段に上昇しており、前年のBCクラシックを優勝したコンサーン、ノーフォークS・ハリウッドフューチュリティ・チャールズHストラブS・サンタアニタH・オークローンH・ハリウッド金杯とGⅠ競走で6勝を挙げていた米国西海岸の雄ベストパル、前走サンタアニタHでベストパルを2着に破って勝っていたアージェントリクエスト、オマハ金杯S・フェアマウントダービー・エセックスH・レイザーバックHなど8連勝中のシルバーゴブリン、前年のBCマイルで2着していたリュパン賞の勝ち馬ヨハンクアッツなどが出走してきた。前走ニューオーリンズHを勝ってきたコンサーンが122ポンドのトップハンデで、ベストパルが121ポンド、本馬が120ポンド、シルバーゴブリンが119ポンド、アージェントリクエストが118ポンドというハンデキャッパーの評価だった。また、本馬は1番人気に支持されたが、単勝オッズは2.7倍であり、この段階ではまだ本馬こそがホーリーブルに代わる最強馬であると評価されていたわけではない事が分かる。コンサーンが単勝オッズ4倍の2番人気、ベストパルが単勝オッズ5倍の3番人気、アージェントリクエストが単勝オッズ5.5倍の4番人気、シルバーゴブリンが単勝オッズ5.6倍の5番人気と、人気は結構割れていた。

スタートが切られると、典型的な追い込み馬だったコンサーン陣営が用意したペースメーカー役のスティックスアンドブリンクスが先頭に立ち、アージェントリクエストが2番手、シルバーゴブリンが3番手、本馬が4番手、ベストパルが5番手、ヨハンクアッツが6番手、コンサーンが最後方7番手という位置取りとなった。やがてスティックスアンドブリンクスとアージェントリクエストが失速すると、シルバーゴブリンが先頭に立ち、本馬も2番手に上がってきた。しかしシルバーゴブリン鞍上のデール・コルドヴァ騎手が振るった鞭が本馬の顔面に当たるというアクシデントがあった。しかし本馬はそれで走る気を失くすようなことは無く、直線入り口でシルバーゴブリンに並びかけると、直線では悠々と突き放し、2着シルバーゴブリンに2馬身半差、3着コンサーンにはさらに4馬身差をつけて完勝した。この辺りでようやく米国競馬界は、ホーリーブルに代わる新たな英雄が誕生していたことに気付き始めた。

競走生活(5歳中期)

その後はニューヨーク州に戻り、5月のピムリコスペシャルH(米GⅠ・D9.5F)に出走した。ここでは、コンサーン、前年のNYRAマイルHで2着した後は2戦未勝利だったデヴィルヒズデュー、ドンH4着から直行してきたキッシンクリスなどとの対戦となった。過去の対戦結果から、コンサーンやデヴィルヒズデューより本馬のほうが強いのは既に明白であり、本馬が122ポンドのトップハンデとなり、デヴィルヒズデューとコンサーンの2頭が121ポンドとなった。しかしこんな斤量差では結果的には小さすぎたと言わざるを得ない。単勝オッズ1.4倍という断然の1番人気に支持された本馬がスタートから逃げを打ち、単勝オッズ6.3倍の3番人気だったデヴィルヒズデューが2番手、単勝オッズ4.7倍の2番人気だったコンサーンが後方2番手につけた。向こう正面ではデヴィルヒズデューが、四角ではコンサーンが本馬に詰め寄ろうとしてきたが、本馬はいずれも子どもを相手にするかのようにあしらい、直線でも悠々と先頭を走り、2着デヴィルヒズデューに2馬身1/4差、3着コンサーンにはさらに2馬身3/4差をつけて勝利した。完全に子ども扱いされたデヴィルヒズデューはこのレースを最後に現役引退してしまうほどの完勝ぶりだった。

次走はボストン郊外のサフォークダウンズ競馬場で6月に行われるノングレード競走のマサチューセッツH(D9F)となった。なぜ本馬がこんなノングレード競走に出たのかというと、おそらくそれは賞金の高さである。このレースの1着賞金は65万ドルであり、本馬が過去に勝ってきたどのGⅠ競走よりも高かったのである。何故このレースの賞金がこんなに高かったのかというと、サフォークダウンズ競馬場は財政難で閉鎖されていた時期があり、この3年前にリニューアルオープンしていた。そして集客のために本馬のような実力馬を呼ぶ必要があり、こんな高額賞金競走を準備したのである。失礼な言い方だが、本馬以外にはろくな成績の馬が出走しておらず、他馬勢より11~17ポンド重い124ポンドのトップハンデだった本馬が単勝オッズ1.2倍という断然の1番人気に支持された。そしてレースでは3番手追走から四角で先頭に立つという優等生の走りで、17ポンドのハンデを与えた2着プアーバットアネストに4馬身差をつけて快勝した。

その後は米国西海岸に遠征して、7月のハリウッド金杯(米GⅠ・D10F)に出走した。元々西海岸遠征は当初の予定には無かったらしいが、ポールソン氏が自宅のあるカリフォルニア州の人々に本馬の強さを披露したいと考えたために遠征決行となったようである。米国東海岸を本拠地とする馬が西海岸に遠征して勝つのは意外と困難であり、かつてはケルソシアトルスルーといった超一流馬でも惨敗に終わっていた。さらにこのレースには、ピムリコスペシャルH3着後にカリフォルニアンSを勝ってきたコンサーン、オークローンHで4着だったベストパル、同6着だったアージェントリクエスト、本馬とは一昨年のヴォランテH以来の顔合わせとなるパシフィッククラシックSの勝ち馬ティナーズウェイ(ヴォランテHでは4着であり、2着だった本馬が先着している)など、同競走史上最高と言われたほどのメンバーが揃っていた。

本馬が126ポンドのトップハンデでも単勝オッズ1.9倍の1番人気に支持され、斤量2位の123ポンドのコンサーンが単勝オッズ4.1倍の2番人気、斤量3位の118ポンドのティナーズウェイが単勝オッズ7.7倍の3番人気となった。もっとも、8連勝中の勢いからすればもっと本馬が圧倒的に人気を集めても不思議では無く、西海岸遠征という不安材料がやや影響したようである。しかし蓋を開けてみれば本馬の強さばかりが目立つレースとなった。逃げるアージェントリクエストを4番手の好位で追走すると、三角で先頭に立ち、そのまま押し切って2着ティナーズウェイに3馬身半差で完勝したのである。

競走生活(5歳後期):BCクラシックの制覇

米国東海岸に戻った本馬は2か月ほどの短期休養を経て、9月のウッドワードS(米GⅠ・D9F)に出走した。定量戦であるこのレースで本馬を倒せるはずが無いと考えた有力他馬陣営の大半は回避してしまい、本馬に敢然と挑んできたのは、ジェロームH・サルヴェイターマイルH・フィリップHアイズリンHを勝っていたショスバーグ、レキシントンSの勝ち馬スタースタンダードなど5頭だった。本馬が単勝オッズ1.1倍の圧倒的な1番人気に支持され、2連勝中の勢いが買われたショスバーグが単勝オッズ6.9倍の2番人気、スタースタンダードが単勝オッズ15.4倍の3番人気となった。レースではスタースタンダードが先頭に立ち、ショスバーグが2番手、本馬が3番手につけた。そして三角で本馬が先頭に立つと、直線入り口では後続を引き離して既に勝負を決めてしまった。直線ではまったくの馬なり“Cruised in hand”で走り、2着スタースタンダードに2馬身3/4差で快勝した。

次走のジョッキークラブ金杯(米GⅠ・D10F)もウッドワードSと同じく定量戦だったが、このレースには1頭の強豪馬が出走してきた。それは、この年のケンタッキーダービー・ベルモントS・トラヴァーズS・フロリダダービー・ファウンテンオブユースS・スワップスSなどを勝っていた3歳最強馬サンダーガルチだった。他にも、ちょうど1年前の同じ日に同じベルモントパーク競馬場で行われた芝の一般競走で本馬を歯牙にも掛けなかったアナカウンティドフォーも、前々走のホイットニーHでGⅠ競走初制覇を果たして参戦してきた。さらに、スタースタンダード、前年の英チャンピオンSの勝ち馬デルニエアンプルールなども出走していたが、やはり注目は本馬とサンダーガルチの対戦であり、この年の全米最強馬を決めるレースとして大きく盛り上がった。本馬が単勝オッズ1.35倍の1番人気、サンダーガルチが単勝オッズ4.05倍の2番人気、アナカウンティドフォーが単勝オッズ12.6倍の3番人気となった。

スタートが切られるとスタースタンダードが逃げ、サンダーガルチと本馬が並んで2~3番手を追走した。サンダーガルチは三角途中で失速し、本馬が直線入り口でスタースタンダードを捕らえて先頭に立った。しかしそこへ後方からアナカウンティドフォーが襲い掛かってきた。実はこのレースは稍重馬場で行われており、本馬は2度目となる湿った馬場(1度目は7着に惨敗したデビュー戦)にてこずり、アナカウンティドフォーをなかなか引き離せなかった。それでもベイリー騎手の必死の鞭に応えて、最後は1馬身差で勝利した。アナカウンティドフォーから9馬身3/4差の3着がスタースタンダードで、さらに3馬身1/4差の5着に敗れたサンダーガルチは左前脚の骨折が判明してそのまま引退してしまった。こうして、ホーリーブルに続いてサンダーガルチまでも本馬との対決初戦で故障して引退してしまったのだが、それが単なる偶然なのか、本馬と張り合った事による故障なのか(ホーリーブルもサンダーガルチも故障の瞬間は本馬と併走している)、それとも何か見えざる力が働いていたのかは定かではない。

そして本馬はこの年の総決算として、ベルモントパーク競馬場で行われたBCクラシック(米GⅠ・D10F)に参戦した。アナカウンティドフォー、エクリプスS・英国際Sなど8連勝で臨んできた欧州10ハロン路線の雄ホーリング、スーパーダービー・サンフェリペS・ベルエアH・グッドウッドHの勝ち馬ソウルオブザマター、ジェロームH勝ちなど5戦4勝の3歳馬フレンチデピュティ(クロフネの父)、モルソンエクスポートミリオン・メドウランズCHを連勝してきたピークスアンドヴァレーズ、パシフィッククラシックSを2連覇してきたティナーズウェイ、前年の覇者コンサーン、ホイットニーH2着馬エルカリエレ、スタースタンダードなどが本馬の連勝を阻むべく出走してきた。

レース前に降り続いた雨によって、馬場状態は本馬にとって初めてとなる重馬場となった。それでも本馬の勝利を疑う者は少なく、単勝オッズ1.7倍の1番人気に支持されたが、ポールソン氏やモット師は、稍重馬場でも苦戦した本馬にとって重馬場では厳しいと考えており、出走取消も検討したという。前走で本馬を苦しめたアナカウンティドフォーが単勝オッズ6.5倍の2番人気、ホーリングが単勝オッズ9.9倍の3番人気、ソウルオブザマターが単勝オッズ12.8倍の4番人気と続いていた。

スタートが切られると、単勝オッズ54.75倍の10番人気馬スタースタンダードと、単勝オッズ52倍の9番人気馬エルカリエレの人気薄2頭が逃げ、本馬は3番手を追走した。レースはそのまま淡々と進み、三角に入ったところで本馬が仕掛けて、三角途中で先頭に立った。その後は他馬に影を踏ませることは無く、そのまま直線を単独で走り続けた。陣営が出走取消を検討したのは何だったのかというほどの内容で、2着エルカリエレに2馬身半差をつけて快勝。

重馬場にも関わらず、勝ちタイムはBCクラシック史上初めて2分の壁を破る1分59秒58のレースレコードだった。BCクラシックで2分を切るタイムで勝った馬はこの後に、スキップアウェイキャットシーフプレザントリーパーフェクトゴーストザッパーレイヴンズパスバイエルンの6頭がいる(この中で最速はゴーストザッパーの1分59秒02。レイヴンズパスが勝った年はダートではなくオールウェザーで施行)が、本馬以外の5頭は全て良馬場におけるものであり、重馬場のBCクラシックで2分を切るタイムで勝った馬は本馬以外に1頭も出現していない事は特筆すべきだろう。本馬がゴールインしたとき、実況担当のトム・ダーキン氏は「レーシング・スーパースター!」と絶叫した。

この年はGⅠ競走8勝を含む10戦全勝という完璧な成績を残し、306票中304票という圧倒的な得票(それでも満票ではなかった。米国にも奇怪な判断をする競馬関係者・記者はいるものである)で、エクリプス賞年度代表馬・最優秀古馬牡馬に選ばれた。メリーランド州産馬が米年度代表馬に選ばれたのは1939・40年のシャルドン以来55年ぶり2頭目だった。本馬だけでなく、ポールソン氏は最優秀馬主に、モット師は最優秀調教師に、ベイリー騎手は最優秀騎手に選出され、本馬陣営がエクリプス賞を制圧した。この年の獲得賞金額は481万9000ドルで、サンデーサイレンスが保持していた、1頭の競走馬が1シーズンで稼いだ賞金の北米記録457万8454ドルを更新した。

競走生活(6歳前半):第1回ドバイワールドCの制覇

6歳時は2月のドンH(米GⅠ・D9F)から始動した。ここで本馬に挑んできたのは、フリゼットS・アラバマS・ガゼルH・ベルデイムS・アップルブロッサムH・ヘンプステッドH・ゴーフォーワンドH・ジョンAモリスHとGⅠ競走で8勝を挙げBCディスタフで2年連続2着していた名牝ヘヴンリープライズ、前年のNYRAマイルH・ペガサスHを勝っていたフライングシェヴロン、サンフェルナンドSの勝ち馬で前年のNYRAマイルHで2着だった同厩馬ウェキヴァスプリングズ、BCクラシックで5着だったスタースタンダードなどだった。前年の同競走ではホーリーブルが127ポンドを課せられていたが、この年は本馬が前年勝利時より13ポンド重い128ポンドのトップハンデを課せられる番だった。斤量2位のウェキヴァスプリングズは117ポンド、斤量3位のヘヴンリープライズが115ポンド(性差を考慮すると実質2位)であり、本馬とは11ポンド以上の差があった。それでも本馬が単勝オッズ1.2倍という断然の1番人気に支持され、デビューから1度も着外が無かったヘヴンリープライズが単勝オッズ7.5倍の2番人気、ウェキヴァスプリングズが単勝オッズ9.2倍の3番人気となった。スタートが切られると、フライングシェヴロンとスタースタンダードの2頭が先頭に立ち、本馬は3番手を追走した。そして三角で仕掛けて四角で先頭に立ち、直線では悠々と流すという着差以上の強さを感じさせる内容で、2着に突っ込んできたウェキヴァスプリングズに2馬身差で勝利した。

この後にウェキヴァスプリングズはガルフストリームパークHに向かって勝利するのだが、ドンHのレース中に右前脚の蹄を負傷した本馬は出走せず、しばらく調教を休むことになった。

しかし本馬が休んでいたのはごく僅かな期間だった。その理由は、この年にアラブ首長国連邦のドバイにおいて、総額賞金500万ドル、1着賞金240万ドルという世界最高賞金競走ドバイワールドCが創設されており、本馬は記念すべき第1回競走の目玉として招待を受けたからだった。米国競馬におけるトップホースが他の大陸に遠征することは当時ほとんど無かった上に、前述のとおり負傷して調教を休んでいた本馬は万全とは言い難い状態だったのだが、それでもシェイク・モハメド殿下の熱心な誘致に応じて陣営は招待を受諾。本馬の名の由来となったシガー航空チェックポイントを経由してドバイに渡った。

そして迎えた3月27日のドバイワールドC(D2000m)では、愛チャンピオンS・キングエドワードⅦ世S・グレートヴォルティジュールSの勝ち馬でキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSでラムタラの2着だったペンタイア、BCクラシック最下位の雪辱に燃えるホーリング、スプリングチャンピオンS・ローズヒルギニー・ドゥーンベンC・コーフィールドS・マッキノンSと豪州GⅠ競走5勝のデーンウイン、ガルフストリームパークHで4着してきたエルカリエレ、BCクラシック4着後にサンアントニオHで2着していたソウルオブザマター、ジャンプラ賞の勝ち馬トーレンシャル、前哨戦のアルマクトゥームチャレンジを2連勝してきた翌年のドバイデューティーフリーの勝ち馬タマヤズ、香港国際ヴァーズで2着していたメルドSの勝ち馬ニードルガン、ヴェルメイユ賞3着馬ラローチャ、ウインターS・平安S・フェブラリーS・帝王賞・ブリーダーズゴールドC・マイルCS南部杯とダート重賞6連勝を達成していた日本調教馬ライブリマウントの10頭が対戦相手となった。イスラム圏では馬券の発売が禁止されているため、海外のブックメーカーがこのレースのオッズをつけたが、本馬は単勝オッズ1.2倍という断然の1番人気となっていた。

レースはエルカリエレとライブリマウントの2頭が先頭を引っ張り、本馬は4番手を追走。そして四角で位置取りを上げて先頭に並びかけ、直線で堂々と先頭に立った。しかしここで後方からソウルオブザマターが襲い掛かってきた。残り300m地点で並びかけられ、かなりの危機的状況となったが、ここから本馬が粘りを見せてソウルオブザマターに決して抜かさせず、叩き合いを半馬身差で制して優勝(ライブリマウントは6着だった)。世界最強の実力を持つことを証明した。

この勝利は本馬の連勝中における最小着差だったが、ナドアルシバ競馬場の長い直線で発揮した素晴らしい粘り腰は特筆物であり、米国競馬における過去の伝説的名馬達に比べると背負った斤量が軽い、コースレコードを1度も樹立していない、接戦を一度も経験しておらず勇敢さを証明できていないなどの理由で、米国競馬史上に残る偉大な名馬達の域には本馬は達していないと主張していた古参の米国競馬関係者達の声を封じるには十分だった。創設されたばかりでレースの格に対する疑問の声が多かったドバイワールドCを世界最高峰のレースにしたのは、本馬が第1回を優勝したことに寄与する部分が大きい。

競走生活(6歳中期):16連勝の達成

帰国した本馬に対しては、全米各地の競馬場が出走誘致のために活動を繰り広げ、本馬が出走する競走に限って賞金を増額すると発表する競馬場が相次いだ。しかしとりあえずの帰国後初戦は、前年に勝利していた6月のマサチューセッツH(D9F)となった。前年に大盤振る舞いし過ぎたためか、サフォークダウンズ競馬場は1着賞金を65万ドルから40万ドルに下げていたが、それでも並のGⅠ競走よりは高額である事には変わりが無かった。そしてまた失礼な言い方だが、本馬以外にろくな成績の馬が出走していなかった事にも変わりが無かった。レースを成立させるために本馬には近年の米国競馬では滅多に見られない130ポンドが課せられ、これは他馬勢より16~21ポンドも重いものだった。それでも単勝オッズ1.1倍の1番人気に支持された本馬は、酷量を考慮したベイリー騎手の判断か、スタート後は抑え気味に走り、しばらくは先頭からかなり離された4番手を進んだ。しかし向こう正面でスパートすると、瞬く間に先頭に立ち、後はまったくの馬なりのまま、2着パーソナルメリットに2馬身1/4差をつけて難なく勝利し、連勝記録を15に伸ばした。

その後は連覇を目指して6月末のハリウッド金杯に向かう予定だったが、軽度の負傷のために見送りとなった。そのために本馬が1950年に米国三冠馬サイテーションが樹立した米国近代競馬における連勝記録16に並ぶべく挑んだレースは、7月13日に、本馬の記録達成のためにアーリントンパーク競馬場が特別に用意した、その名もサイテーションチャレンジ招待S(D9F)だった。

アーリントンパーク競馬場はこのレースのために総額107万5千ドルの賞金を用意しており、勝利馬には75万ドル、2着馬には15万ドル、3着馬には8万2500ドル、4着馬には4万5千ドル、5着馬には2万2500ドル、普通は賞金が貰えない6着以下の馬にも一律5千ドルを出すという大盤振る舞いだった。本馬が出走した2回とも2着賞金が5万ドルだったマサチューセッツHと異なり、2着でもかなり魅力的な賞金が貰えるとあって、BCジュヴェナイル・フロリダダービー・ウッドメモリアルSの勝ち馬アンブライドルズソング、メトロポリタンH・ブリーダーズフューチュリティ・サンラファエルSを勝っていたオナーアンドグローリー、一昨年のBCジュヴェナイル2着馬エルティシュ、モルソンエクスポートミリオンの勝ち馬で一昨年のBCクラシック3着のドラマティックゴールド、アーリントンワシントンフューチュリティ・ブリーダーズフューチュリティS・ジムビームS・ワシントンパークHに勝っていた地元シカゴの有力馬ポーラーエクスペディション、スティーヴンフォスターHを勝ってきたテナンツハーバーといった実力馬9頭が本馬以外に参戦。単勝オッズ1.3倍の1番人気だった本馬には130ポンドが課せられ、単勝オッズ5.7倍の2番人気だった対抗馬アンブライドルズソングとは12ポンドの斤量差があった。

レースは全国中継されており、全米中の競馬ファンが固唾を呑んで見つめる中でスタートが切られると、まずはオナーアンドグローリーが先頭に立ち、ポーラーエクスペディション、エルティシュ、ドラマティックゴールドなどが先行。本馬はアンブライドルズソングと共に5~6番手の好位につけた。しかしアンブライドルズソングの手応えが悪いと見るや進出を開始。四角で先頭のドラマティックゴールドに並びかけると、直線に入って突き放し、2着ドラマティックゴールドに3馬身半差で勝利して16連勝を達成。観衆から20分間にも及ぶ拍手喝采で迎えられた。

競走生活(6歳後期):連勝の終焉

続いて西海岸に遠征して、8月10日のパシフィッククラシックS(米GⅠ・D10F)に参戦。ブラジルのGⅠ競走ジュリアノマルティンス大賞を勝った後に米国に移籍してマーヴィンルロイH・ハリウッド金杯など4連勝してきたサイフォン、前年のBCクラシック7着後にカリフォルニアンSを勝っていたティナーズウェイ、ドラマティックゴールド、仏国でそこそこ活躍した後に米国に移籍してストラブSに勝つなど活躍していたデアアンドゴーなど5頭が対戦相手となった。このレースは定量戦のため斤量は全馬同じ124ポンドであり、単勝オッズ1.1倍の1番人気に支持された本馬が17連勝の新記録を樹立するのはほぼ確実と思われていた。

スタートが切られると、単勝オッズ7.8倍の2番人気だったサイフォンが逃げを打ち、本馬とドラマティックゴールドがそれを追撃。最初の2ハロン通過が23秒、半マイル通過は45秒4、6ハロン通過に至っては1分09秒1と、非常に速いペースで逃げるサイフォンだったが、サイフォンはこうしたレースぶりで勝ってきただけに、本馬もそれをマークして徹底的に追いかけた。そして三角でサイフォンに外側から並びかけていったが、そこへ後方から何かがやって来た。4番手で機会を伺っていた単勝オッズ39倍の5番人気馬デアアンドゴーだった。先頭で直線に入った本馬だったが、外側からすぐにデアアンドゴーに並びかけられ、そのまま一気にかわされてしまった。もはや本馬に反撃する余力は無く、3着サイフォンには7馬身差、4着ドラマティックゴールドにはさらに8馬身差をつけるも、デアアンドゴーの3馬身半差2着に敗退し、連勝は16で止まってしまった。

デアアンドゴー鞍上のアレックス・ソリス騎手や管理するリチャード・マンデラ調教師が喜びを顕わにするのとは対照的に、本馬の新記録達成を一目見ようとデルマー競馬場に詰めかけた4万人以上の大観衆達は静まり返ってしまった。敗因は“Killer Pace”とレース後に評されたほどのハイペースで逃げるサイフォンを深追いし過ぎた(1マイル通過タイムは1分33秒3だった)事が挙げられており、サイフォンとデアアンドゴーの両馬を管理していたマンデラ師の策に嵌ったような感じであった。しかし、それ自体は対抗馬をマークした結果であり止むを得ないだろう。むしろ4歳夏から2年間にわたって連戦・遠征を繰り返していた疲労や、ドバイ遠征前に負傷した蹄が完治していなかったこと(前走サイテーションチャレンジ招待Sの時点で既に蹄を痛がる素振りを見せていた)のほうが問題だったと思われる。

気を取り直して出走したウッドワードS(米GⅠ・D9F)では、フィリップHアイズリンH・サルヴェイターマイルHなど6連勝中のスマートストライク(後に本馬の賞金記録を更新するカーリンの父)、ドバイワールドC3着後にサラトガカップHを勝つなど活躍していたエルカリエレ、サイテーションチャレンジ招待S3着後にフィリップHアイズリンHで2着してきたエルティシュなど4頭が対戦相手となった。本馬が単勝オッズ1.35倍の1番人気、スマートストライクが単勝オッズ4.6倍の2番人気、エルティシュが単勝オッズ9.5倍の3番人気、エルカリエレが単勝オッズ9.7倍の4番人気となった。スタートが切られると、エルティシュ、スマートストライク、エルカリエレが先頭争いを演じ、本馬は前走の反省からか少し離れた4番手を追走。そして三角で仕掛けると四角途中で先頭に立ち、そのまま2着エルカリエレに4馬身差をつけて圧勝し、王者健在を印象付けた。

次走のジョッキークラブ金杯(米GⅠ・D10F)では、ハスケル招待H・ウッドバインミリオンS・ブルーグラスS・オハイオダービーの勝ち馬でプリークネスS・ベルモントS2着のスキップアウェイ、プリークネスS・ジムダンディSの勝ち馬でホープフルS・ベルモントフューチュリティS・トラヴァーズS2着のルイカトルズ、ベルモントS・スーパーダービーの勝ち馬エディターズノートといった有力3歳馬勢との対戦となった。それでも本馬は単勝オッズ1.2倍という断然の1番人気に支持され、スキップアウェイが単勝オッズ6.8倍の2番人気、ルイカトルズが単勝オッズ11.4倍の3番人気、エディターズノートが単勝オッズ12.4倍の4番人気となった。

スタートが切られるとルイカトルズが逃げ、スキップアウェイがそれに絡んで、この2頭が後続を大きく引き離して逃げた。一方の本馬は離れた3番手を追走した。しかし最初の2ハロン通過が24秒、半マイル通過は47秒6と、それほど速いペースではなかった。そのため前の2頭には余力があり、三角で本馬が仕掛けてもなかなか差が縮まらなかった。直線に入るとスキップアウェイとルイカトルズが競り合い、やがてスキップアウェイが抜け出した。そこへ後方から本馬が必死に追ってきたが、スキップアウェイに頭差届かず2着に敗退。このレースの敗因はパシフィッククラシックSとは反対に、マイペースで逃げた前の2頭をあまり積極的に追いかけなかった事だと思われるが、本馬の後を受け継いで米国最強馬に上り詰めることになるスキップアウェイとの世代交代という一面も持っていた。

本馬の引退レースは、この年は加国のウッドバイン競馬場で行われたBCクラシック(加GⅠ・D10F)となった。スキップアウェイは不在だったが、本馬の連勝記録を阻止したデアアンドゴー、前走3着のルイカトルズ、同4着のエディターズノート、パシフィッククラシックS4着後にデルマーBCH・メドウランズCHを連勝してきたドラマティックゴールド、ドバイワールドCで5着だったタマヤズといった対戦経験がある馬達に加えて、トラヴァーズSの勝ち馬ウィルズウェイ、デルマーBCH・サンパスカルH・サンアントニオHなどの勝ち馬アルファベットスープ、メドウランズCHで2着してきたフォーマルゴールド、フォンテーヌブロー賞・ケンタッキーCクラシックHの勝ち馬で仏2000ギニー2着のアティキャス、エクリプスH・ドミニオンデイHを勝っていた加国の有力馬マウントササフラ、宝塚記念・有馬記念・安田記念で2着していた日本調教馬タイキブリザードなどの実力馬が顔を揃えた。近走やや不振の本馬だったが、それでも実績的には群を抜いており、前年の1.7倍より低い単勝オッズ1.65倍という断然の1番人気に支持された。デアアンドゴーとアティキャスのカップリングが単勝オッズ8.55倍の2番人気、ウィルズウェイが単勝オッズ9倍の3番人気、エディターズノートが単勝オッズ11.95倍の4番人気と続いた。

スタートが切られると、デアアンドゴーのペースメーカー役としての出走でもあったアティキャスが逃げを打った。ルイカトルズ、アルファベットスープ、マウントササフラなどがそれを追撃して、本馬は7番手を追走した。アティキャスのペースは2ハロン通過が22秒8と最初はかなり速かったが、半マイル通過が46秒4、6ハロン通過は1分10秒8と、中盤は落ち着いていた。三角に入ると本馬が仕掛けて外側から先行馬群に並びかけていった。そして直線に入ると、マウントササフラ、ルイカトルズ、アルファベットスープ、そして大外の本馬の4頭による叩き合いとなったのだが、アルファベットスープがルイカトルズを鼻差押さえ込んで優勝し、本馬はルイカトルズから頭差の3着に終わった。

引退レースを勝利で飾る事は出来ず、獲得賞金総額も夢の1000万ドルには僅かに及ばず999万9815ドル(何故か999万9015ドルとなっている資料が複数あったり、「競馬 感涙劇場」では1000万3163ドルとなっていたりするが、筆者が米ブラッドホース誌の資料に基づいて本馬の出走競走全部の獲得賞金を合計してみると、やはり999万9815ドルが正しい)となったが、それでも当時の世界賞金王に君臨した。また、この年の獲得賞金額は491万ドルで、自身が前年に樹立した1シーズン獲得賞金記録をさらに更新した。また、この年8戦5勝の成績ながら、292票中267票を獲得して、2年連続でエクリプス賞年度代表馬・最優秀古馬牡馬に選ばれた。

BCクラシックの1週間後には、ニューヨークのマディソンスクェアガーデンでパレードを行い、1万6千人のファンから拍手喝采で迎えられた。翌1997年には、ガルフストリームパーク競馬場に等身大の本馬の銅像が作られ、本馬が初めて勝ったGⅠ競走であるNYRAマイルHはシガーマイルHと改称された。

血統

パレスミュージック The Minstrel Northern Dancer Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
Fleur Victoria Park Chop Chop
Victoriana
Flaming Page Bull Page
Flaring Top
Come My Prince Prince John Princequillo Prince Rose
Cosquilla
Not Afraid Count Fleet
Banish Fear
Come Hither Look Turn-to Royal Charger
Source Sucree
Mumtaz Mahmoud
Motto
Solar Slew Seattle Slew Bold Reasoning Boldnesian Bold Ruler
Alanesian
Reason to Earn Hail to Reason
Sailing Home
My Charmer Poker Round Table
Glamour
Fair Charmer Jet Action
Myrtle Charm
Gold Sun Solazo Beau Max Bull Lea
Bee Mac
Solar System Hyperion
Jury
Jungle Queen Claro Colombo
Clovelly
Agrippine Foxhunter
Vipsania

パレスミュージックは当馬の項を参照。

母ソーラースルーは米国ケンタッキー州産馬で、競走馬としても米国で走ったが7戦未勝利に終わった。競走馬引退後は米国で繁殖入りしていたが、本馬を産んですぐに南米の亜国に輸出された。これは元々ソーラースルーの牝系が亜国の土着血統だったためである。本馬が10戦全勝の成績を残した1995年にソーラースルーは米国に呼び戻された。その後はシアトリカルストームキャットデピュティミニスターなどの一流種牡馬との間に子をもうけた。本馬の弟や妹に当たるこれらの馬はいずれもかなり期待されたが、良くて未勝利を脱出するのが精一杯という結果に終わった。本馬の半姉にはプエルトリコで走り43戦18勝の成績を挙げて同国の最優秀3歳牝馬に選ばれたムルカ(父レイズドソーシャリー)がいるが、ムルカは4歳で夭折したため子孫はいない。本馬の半妹コリドーラスルー(父コリドールキー)の子にローラズラッキーボーイ【ウィルロジャーズS(米GⅢ)】が、半妹アルカディアナ(父デピュティミニスター)の子にシガーストリート【スキップアウェイS(米GⅢ)】がいるが、ソーラースルーの牝系子孫はあまり発展していない。

ソーラースルーの母ゴールドサンは亜国産馬で、現役成績は48戦14勝。ブエノスアイレス国際大賞(亜GⅠ)を2度勝利するなど同国のグレード競走を8勝した活躍馬だった。ゴールドサンの半姉にはジャングルダッチェス【セレクシオン大賞・サトゥルニーノJウンスエ大賞・ホルヘデアトゥーチャ大賞】、全姉にはサニーデイ【サトゥルニーノJウンスエ大賞(亜GⅠ)】がいる他、ゴールドサンの半姉ジャングルプリンセスの子にジュエレリー【コパデプラタ大賞(亜GⅠ)】、孫にジャストインケース【ポージャデポトリジョス大賞(亜GⅠ)】、曾孫にエクリプスウエスト【サンティアゴルーロ大賞(亜GⅠ)・モンテビデオ大賞(亜GⅠ)・パレルモ大賞(亜GⅠ)・ホアキンVゴンザレス大賞(亜GⅠ)】、ジョリー【ブエノスアイレス市大賞(亜GⅠ)】が、ジャングルダッチェスの曾孫にミスターフォン【エストレージャス大賞フニオールスプリント(亜GⅠ)・エストレージャス大賞スプリント(亜GⅠ)・マイプ大賞(亜GⅠ)・スイパチャ大賞(亜GⅠ)】、ジャングルフィッツ【5月25日大賞(亜GⅠ)】が、ゴールドサンの半姉ジャングルミソロジックの子にソルトスプリング【コパデプラタ大賞(亜GⅠ)】、曾孫に2年連続でエクリプス賞最優秀芝牡馬に選ばれたジオポンティ【フランクEキルローマイルH(米GⅠ)・マンハッタンH(米GⅠ)・マンノウォーS(米GⅠ)2回・アーリントンミリオン(米GⅠ)・シャドウェルターフマイルS(米GⅠ)2回】、マングース【ドンH(米GⅠ)】、玄孫にオキシジェナダ【ホアキンVゴンザレス大賞(亜GⅠ)】がいる。本馬の牝系は先に書いた通りに亜国の土着血統で、ゴールドサンの曾祖母である仏国産馬ウィプサニアが亜国に輸入されて発展したものである。→牝系:F2号族②

母父シアトルスルーは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬に対しては、世界各国から種牡馬の誘致合戦が繰り広げられた。日本も2000万ドルを提示したが、本馬にはそれ以上の価値があると考えたポールソン氏はその提示を断った。最終的に権利の75%を愛国のクールモアグループとマイケル・テイバー氏が取得。種牡馬シンジケート額は2500万ドル(当時の為替レートで約30億円)に達した。

そしてクールモアグループが所有する米国ケンタッキー州アッシュフォードスタッドにおいて種付け料7万5千ドルで種牡馬入りした本馬だったが、34頭の繁殖牝馬と交配して1頭も受胎しないという事態が発生。検査の結果、本馬は無精子症のため生殖能力が欠如していることが判明した。保険で補填されたために、クールモアグループ側の損失はそれほどでもなかったが、2年にわたり行われた不妊治療は実を結ばず、子孫を残すことは叶わなかった。

本馬の生殖能力欠如の原因については、薬物使用の影響ではないかと噂されたが、真相は定かではない。しかし実際に利尿剤のラシックスを使用していた時期はあったようである。なお、ラシックスは本馬の現役生活前半においては、ニューヨーク州など複数の州で使用禁止となっていたが、本馬が連勝街道爆走中の1995年9月に、最後に残っていたニューヨーク州においても解禁され、米国全州で使用許可された(ドバイでも使用禁止にはなっていない)。もっとも、本馬の連勝が始まった最初の2戦である一般競走とNYRAマイルH(いずれもニューヨーク州アケダクト競馬場で施行)の時期は解禁前だったから、本馬の競走能力の高さが薬物使用によるものとは考えにくい。

種牡馬になれなかった本馬は、ケンタッキー州レキシントンにあるケンタッキーホースパークに移り住んだ。本馬はジョンヘンリー(2007年に他界)と並ぶケンタッキーホースパークの目玉的な存在であり、毎日のように多くのファンが訪れた。2014年の4月頃、以前から患っていた変形性関節症の状態が悪化。手術が施されたが状態は改善せず、同年10月8日に24歳で他界した。

競走馬としての評価

本馬の知名度は日本でも高いが、どちらかと言えば生殖能力欠如による種牡馬失格が語られることが多く、破竹の16連勝については十把一絡げに扱われがちであり、その内容が詳しく語られる事は少ない。本馬の16連勝は先行して抜け出す優等生的な、別の言い方をすれば面白みが無い勝ち方が多く、あまり語るべき内容が無いと思われているのかもしれない。その点においては、勝ったレースよりも負けたレースの方が語られる機会が多いシンボリルドルフなどと通じるものがある。しかし米国競馬のトップクラスで戦い続け、しかも地球の裏側のドバイまで遠征しながら16連勝というのは普通の馬にできる芸当ではない。本馬と並んで語られる機会が多いサイテーションなどの米国の伝説的な名馬と比べると、現役当初はまったく振るわなかった点などで評価が分かれる部分もあるようだが、史上初めて世界を股にかけて活躍した米国のスーパーホースとして認められたのは紛れも無く本馬であり、北米大陸以外で走る機会がなかった馬達と比較することは出来ない。2002年に米国競馬の殿堂入りを果たした。米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選で第18位。

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