ホーリーブル

和名:ホーリーブル

英名:Holy Bull

1991年生

芦毛

父:グレイトアバヴ

母:シャロンブラウン

母父:アルハタブ

芦毛の馬体で先頭を爆走し、そのまま後続をちぎり捨てるレースぶりで人気を博したフロリダ州出身のアイドルホース

競走成績:2~4歳時に米で走り通算成績16戦13勝

誕生からデビュー前まで

米国フロリダ州ペリカンステーブルにおいて、同牧場の所有者レイチェル・カーペンター女史により生産された。カーペンター女史はニューヨーク・ヤンキースの大ファンだったため、現役時代につけていた背番号10がヤンキースの永久欠番になるほどの名選手にして、引退後は長年に渡りヤンキース戦の名物解説者として名を馳せていたフィル・リズート氏が、野球解説において多用した名調子の1つ“Holy Cow!(すげえ!)”のスラングにちなんで本馬を命名した。“Cow”は雌牛を意味したため、本馬の性別に合わせて“Bull(雄牛)”に変更され、「ホーリーブル」となった。

ペリカンステーブル名義で競走馬となり、カーペンター女史が38年もの長きに渡って懇意にしていたウォーレン・A・“ジミー”・クロール・ジュニア調教師に預けられた。クロール・ジュニア師は、かつて大種牡馬ミスタープロスペクター、ベルモントSの勝ち馬ベットトゥワイス、2年連続エクリプス賞最優秀短距離馬になったハウスバスターなどを管理していた、当時既に70歳を過ぎていた大ベテランだった。

競走生活(2歳時)

本馬は2歳時の8月14日にモンマスパーク競馬場で行われたダート5.5ハロンの未勝利戦で、ルイス・リヴェラ・ジュニア騎手を鞍上にデビューして、単勝オッズ2.1倍の1番人気に支持された。ところがレースの直前になって、クロール・ジュニア師に一本の電話が入った。その内容は、本馬の所有者カーペンター女史がこの日の朝に78歳で亡くなったというものだった。クロール・ジュニア師は本馬の出走回避を検討したが、それはおそらくカーペンター女史の意思に背くものだと考えて出走に踏み切った。本馬はスタートすると即座に先頭に立ち、そのまま後続を1~2馬身ほど離して単騎で逃げ続けた。本馬の少し後方を単勝オッズ2.8倍の2番人気馬パランスが追いかけてきたが、直線に入っても寄せ付けず、パランスを2馬身半差の2着に退けて快勝した。

このレースから数日後、カーペンター女史の遺言により彼女の所有馬のうち本馬を含む6頭がクロール・ジュニア師に遺贈される事が決まり、クロール・ジュニア師が本馬の所有者兼調教師となった。

次走は9月初めにベルモントパーク競馬場で行われたダート6.5ハロンの一般競走となった。主戦となるマイク・スミス騎手を鞍上に迎えた本馬が単勝オッズ1.9倍の1番人気に支持され、前走の未勝利戦を7馬身差で圧勝してきたエンドスウィープ(後に日本に種牡馬として輸入されて大活躍する)が単勝オッズ2.7倍の2番人気となった。今回も本馬はスタートから先手を取ったが、対抗馬のエンドスウィープも本馬を楽に逃がすまいと競りかけてきた。そのために最初の2ハロン通過が22秒05というハイペースとなったが、このペースに潰されたのは本馬ではなくエンドスウィープのほうであり、四角では本馬に付いていけなくなってしまった。一方の本馬は直線に入った後も後続馬をどんどん引き離し、最後は2着となった単勝オッズ6.6倍の3番人気馬グッバイドーニーに7馬身差をつけて圧勝。エンドスウィープはグッバイドーニーからさらに3馬身差の3着に終わった。

次走は16日後のベルモントフューチュリティS(GⅠ・D7F)となった。このレースには、サラトガスペシャルS・サンフォードS・ホープフルSなど4戦全勝のデヒアが出走しており、単勝オッズ1.4倍という断然の1番人気に支持されていた。本馬が単勝オッズ4.1倍の2番人気で、サラトガスペシャルSとホープフルSで連続2着してきたスルージンフィズが単勝オッズ6.3倍の3番人気、サプリングS・タイロSなど4戦無敗のセイクリッドオナーが単勝オッズ13.9倍の4番人気、サンフォードS2着馬プレナップ(後のジェロームHの勝ち馬)が単勝オッズ35.4倍の5番人気となった。泥だらけの不良馬場の中でスタートが切られると、本馬はすぐに先頭に立って逃げた。そこへプレナップが絡んできたが、本馬は頑張って先頭を死守していた。そして四角に入ってプレナップが遅れ始め、本馬が単独先頭で直線に入ってきた。そこへ後方から猛追してきたのはデヒアだった。サラトガスペシャルSであり得ないほどの末脚をゴール前で披露して勝ってきたデヒアの豪脚は今回も健在であり、本馬との差は着実に縮まってきた。しかし最後は本馬が半馬身差で逃げ切って勝利を収め、無敗馬対決は本馬に軍配が上がった。

普通であれば次の目標はBCジュヴェナイルになるところだったが、本馬はブリーダーズカップ登録が無かった上に、この年のブリーダーズカップは本馬の本拠地ニューヨーク州から遠く離れたカリフォルニア州サンタアニタパーク競馬場で行われる事になっていたため、本馬は不参加となった。

その代わりに、BCジュヴェナイルの2週間前にフロリダ州コールダー競馬場で行われたインリアリティS(D8.5F)に向かった。このレースはノングレード競走であるが、1着賞金24万ドルはベルモントフューチュリティSのそれより3.5倍近く高く、クロール・ジュニア師にとっては魅力的なレースだった。本馬が単勝オッズ1.5倍の1番人気に支持され、インリアリティS・ドクターファーガーSと共にフロリダスタリオンシリーズの1戦に位置付けられるアファームドSを勝ってきたラスティックライトが単勝オッズ5倍の2番人気だった。スタートが切られると予想どおり本馬が先頭に立って単騎で逃げを打った。下手に本馬を追いかけると自分が潰されることが分かっている他馬勢は、無理に本馬を追いかけようとしなかった。首に鈴を付けられることなく快調に先頭を飛ばした本馬は、直線入り口で後続を一気に引き離し、最後は2着ラスティックライトに7馬身半差をつけて圧勝した。

2歳時の成績は4戦全勝であり、エクリプス賞最優秀2歳牡馬の座こそベルモントフューチュリティS2着後にシャンペンSを勝っていたデヒアに譲ったが、同世代ではトップクラスの実力馬という評価を獲得した。

競走生活(3歳前半)

3歳時は1月末にフロリダ州ガルフストリームパーク競馬場で行われたハッチソンS(GⅡ・D7F)から始動した。カウディンSなど3戦無敗のユーアンドアイ(翌年のメトロポリタンH勝ち馬)など4頭を抑えて、単勝オッズ1.5倍の1番人気に支持された本馬だったが、ここでは思わぬ苦戦を強いられた。その理由は他馬勢より3~9ポンド重い122ポンドのトップハンデにあった。スタートから先頭に立って逃げた本馬だったが、直線に入ったところで、9ポンドのハンデを与えたパットンという馬に並びかけられてしまった。パットンはステークス競走初出走だったために軽量だったが、前走の一般競走を11馬身差で圧勝していた実力馬であり、このレースにおいても単勝オッズ3.7倍の2番人気に推されていた。直線半ばでは完全にパットンが前に出て、本馬の敗北は濃厚となった。ところがゴール前で本馬がものの見事に差し返し、結局はパットンを3/4馬身差の2着に破って勝利した。着差は僅かだったが、この勝ち方は衝撃的かつ印象的と評された。

次走のファウンテンオブユースS(GⅡ・D8.5F)では、デヒア、レムセンSの勝ち馬ゴーフォージン、ワットアプレジャーS2着馬ライドザレイルズ、スペクタキュラービッドBCSの勝ち馬ヘイローズイメージなど5頭が対戦相手となった。本馬が単勝オッズ2.3倍の1番人気、4連勝中のゴーフォージンが単勝オッズ2.6倍の2番人気、エクリプス賞最優秀2歳牡馬を受賞したと言っても大一番のBCジュヴェナイルで8着に惨敗していたデヒアは同馬主同厩馬ウォームウェインとのカップリングでようやく単勝オッズ3.4倍の3番人気だった。本馬は今回もスタートから先頭に立ったのだが、インリアリティSのときと異なり、今回はヘイローズイメージが競りかけてきて、単騎で逃げることは出来なかった。そして向こう正面で一杯になってしまい、そのまま一気に失速。勝ったデヒアから24馬身1/4差、5着ヘイローズイメージからも7馬身1/4差をつけられた6着最下位と惨敗した。敗因は単騎で逃げられなかっただけでなく、口蓋に炎症を起こしていた事や、馬場状態が湿っていた事も挙げられている。

次走のフロリダダービー(GⅠ・D9F)では、調教中に骨折して競走生命を絶たれたデヒアは不在だったが、ファウンテンオブユースSで2着だったゴーフォージン、同3着だったライドザレイルズ、同5着だったヘイローズイメージ、ブラッドベリーSを勝ってきたドラマティックゴールド(後にメドウランズCHなどを勝利)、前走の一般競走を4馬身1/4差で勝ってきたラヒントなどが出走してきた。ゴーフォージンが単勝オッズ3.4倍の1番人気に支持され、前走の惨敗で評価を下げた本馬が単勝オッズ3.7倍の2番人気、ライドザレイルズが単勝オッズ6.4倍の3番人気、ラヒントが単勝オッズ7.8倍の4番人気、ドラマティックゴールドが単勝オッズ8.6倍の5番人気となった。

前走があまりにも不甲斐なかったとは言え、本馬にとっては逃げる以外の道はなく、好スタートからハイペースで先頭を飛ばした。最初の2ハロン通過が22秒52(今回より少し距離が短い前走ファウンテンオブユースSでは22秒99)だったからかなり速いペースだったが、前走と異なるのは単騎で逃げられたことだった。2番手を追ってきたヘイローズイメージとは常に2馬身ほどの差をキープしながら逃げ続けた。気分良く逃げられたようで、今回は三角に入っても後続に差を詰められることは無かったし、むしろ四角からは後続をさらに突き放した。最後は2着ライドザレイルズに5馬身1/4差をつけて圧勝し、前走の汚名を返上することに成功した。

こうなれば次の目標はケンタッキーダービー。本馬はケンタッキー州に向かい、前哨戦のブルーグラスS(GⅡ・D9F)に出走した。ルイジアナダービーを勝ってきたカンダリー、ハリウッドフューチュリティの勝ち馬でサンフェリペS3着のヴァリアントネイチャーの2頭が強敵だった。本馬が単勝オッズ1.6倍の1番人気に支持され、カンダリーが単勝オッズ4.3倍の2番人気、ヴァリアントネイチャーが単勝オッズ4.6倍の3番人気となった。ここでも好スタートを切った本馬は、そのまま得意の単騎逃げに持ち込んだ。2番手を追ってきたヴァリアントネイチャーとは常に2~3馬身ほどの差を保ちながら逃げ続けたが、最初の2ハロン通過は23秒81と、前走より明らかに遅かった。こうなれば貰ったも同然。直線でスミス騎手は鞭を使わずに手だけで本馬を追い、2着ヴァリアントネイチャーに3馬身半差をつけて完勝。これでケンタッキーダービーの大本命となった。

そして迎えたケンタッキーダービー(GⅠ・D10F)では、前年のBCジュヴェナイルと前走のサンタアニタダービーの勝ち馬でハリウッドフューチュリティ・サンフェリペS2着のブロッコ、エルカミノリアルダービー・サンラファエルSの勝ち馬でサンタアニタダービー2着・BCジュヴェナイル3着のタバスコキャット、サンタアニタダービー3着馬ストローズクリーク、フロリダダービー4着後にウッドメモリアルSで2着してきたゴーフォージン、ヴァリアントネイチャー、BCジュヴェナイルとアーカンソーダービーで2着のブルミンアフェアー、サンフェリペSの勝ち馬でレキシントンS2着のソウルオブザマター、レキシントンSを勝ってきたサザンリズム、サンラファエルSとジムビームSで連続2着してきたポイスキャッスル、フラミンゴSの勝ち馬でサプリングS2着のメドウフライトなどが対戦相手となった。本馬が単勝オッズ3.2倍の1番人気に支持され、ブロッコが単勝オッズ5.3倍の2番人気、タバスコキャットが単勝オッズ7.1倍の3番人気、ストローズクリークが単勝オッズ8.9倍の4番人気、ゴーフォージンが単勝オッズ10.1倍の5番人気と続いた。

ところが何としたことか、この生涯最高の大舞台で本馬は珍しくスタートに失敗。先頭に立って逃げることは出来ず、道中は5~6番手を走る羽目になってしまった。スタートで出遅れた時点で本馬のケンタッキーダービーは事実上終わっており、三角から四角にかけてどんどん後退。レースは逃げたゴーフォージンが直線入り口で後続を引き離してそのまま逃げ切り勝ちを収め、本馬はゴーフォージンから18馬身1/4差をつけられた12着と大惨敗を喫してしまった。

本馬が肝心なところで出遅れた理由は定かではないが、ケンタッキーダービーは米国で行われる星の数ほどのレースの中でも最大の観衆が詰め掛けるレースであり、今までそんな大観衆が来るようなレースに出た事が無い本馬は精神的に怯えてしまっていたのではないかというのが筆者の意見である。ファウンテンオブユースSで競りかけられて惨敗したところからしても、本馬には精神的に脆弱な一面があった事はほぼ間違いないだろうからである。また、もう1つ本馬の敗因として挙げられる事が多いのは、当日の馬場状態が不良だった事である。確かに、やはり馬場が湿っていたベルモントフューチュリティSやファウンテンオブユースSでも本馬本来の走りは出来ていなかった。クロール・ジュニア師も同様の認識だったのか、この後の本馬の出走スケジュールにおいては、良馬場になるレースのみを選択するようになった(そのために本馬が重馬場で走ったのはこれが最後となった)。

いずれにしてもこの惨敗を受けて、プリークネスSの回避が決定。次走はプリークネスSの9日後に行われたメトロポリタンH(GⅠ・D8F)となった。このレースは言うまでも無く古馬混合戦であり、ウッドメモリアル招待S・ガルフストリームパークH・ピムリコスペシャルH・サバーバンH・ゴーサムS・エクセルシオールHなどの勝ち馬でトラヴァーズS・フィリップHアイズリンH・ウッドワードS・オークローンH・ピムリコスペシャルH2着のデヴィルヒズデュー、前走カーターHの他にピーターパンS・ウエストチェスターHも勝っていたヴァージニアラピッヅ、前走のエクセルシオールBCHを勝ってきた前年のベルモントSの勝ち馬コロニアルアッフェアー、ナッソーカウンティH・ジャマイカH・ワイドナーHの勝ち馬でウッドメモリアルS・ホイットニーH2着・サバーバンH3着のウエストバイウエスト、欧州でフォレ賞3着などの成績を挙げた後に米国に移籍して前走マーヴィンルロイHで2着してきたティナーズウェイ、ドワイヤーS・ラファイエットS・ダービートライアルSの勝ち馬で前年のプリークネスS2着・前走のカーターH3着のチェロキーラン(この年暮れのBCスプリントを制してエクリプス賞最優秀短距離馬に選出)など、歴戦の古馬達が出走してきた。しかしファンが単勝オッズ2倍の1番人気に支持したのは本馬であった。その理由は本馬の素質が評価されていただけでなく、斤量面で恵まれていたためでもあった。本馬は112ポンドで、122ポンドのトップハンデだったデヴィルヒズデューとコロニアルアッフェアーの2頭より10ポンドも軽かったのである。デヴィルヒズデューと120ポンドのヴァージニアラピッヅのカップリングが単勝オッズ4.1倍の2番人気、コロニアルアッフェアーが単勝オッズ5.9倍の3番人気、114ポンドのウエストバイウエストが単勝オッズ9.8倍の4番人気、114ポンドのティナーズウェイが単勝オッズ10.4倍の5番人気、118ポンドのチェロキーランが単勝オッズ17.7倍の6番人気と続いていた。

今回は普通にスタートを切った本馬は、得意の逃げ戦法に持ち込むことに成功した。しかし本馬をあっさりと単騎で行かせてくれるほど古馬勢は甘くは無く、ティナーズウェイが本馬にプレッシャーをかけてきた。しかしティナーズウェイは先にスタミナが切れて失速。代わりにデヴィルヒズデューを先頭とする後方待機馬勢が四角で本馬目掛けて押し寄せてきた。デヴィルヒズデューに半分並ばれた状態で直線を向いた本馬だったが、ここから後続馬をどんどん引き離していった。そして2着に追い上げてきたチェロキーランと3着に粘ったデヴィルヒズデューの鼻差接戦から5馬身半も前方でゴールイン。これでケンタッキーダービーの汚名を返上することに成功した。

競走生活(3歳後半)

12日後のベルモントSには出走せず、次走は7月のドワイヤーS(GⅡ・D8.5F)となった。対戦相手は僅か3頭だったが、そのうちの1頭トワイニングは3歳デビューで裏街道を進みながらも、ウィザーズSを5馬身差、ピーターパンSを7馬身半差で圧勝するなど5戦全勝の戦績を誇っていた。124ポンドの本馬が単勝オッズ1.3倍の1番人気、122ポンドのトワイニングが単勝オッズ3.4倍の2番人気で、コリンSを勝ってきたフラミンゴS2着馬ベイストリートスターが119ポンドで単勝オッズ8.1倍の3番人気だった。スタートが切られるとすかさず本馬が先頭に立ち、対抗馬のトワイニングが1馬身ほど後方の2番手で追いかけてきた。最初の2ハロンを22秒58という速いペースで逃げる本馬。そして四角では先にトワイニングが遅れ始め、そのまま本馬の独走態勢に入った。最後は2着トワイニングに6馬身3/4差、3着ベイストリートスターにはさらに5馬身差をつけて圧勝した。敗れたトワイニングはそのまま現役引退となった。

次走はハスケル招待H(GⅠ・D9F)となった。ケンタッキーダービー11着後にバドワイザーBCSで2着してロングブランチBCSを勝っていたメドウフライト、アーカンソーダービーの勝ち馬でプリークネスS3着のコンサーン、ブルーグラスSで本馬の4着に敗れた次走のプリークネスSで4着していたカンダリーなどが出走してきたが、本馬がその実力を発揮しさえすれば、とてもそれに敵いそうな馬はいなかった。むしろ強敵は斤量のほうであり、他馬勢より8~14ポンド重い126ポンドのトップハンデを課せられていた。それでも本馬が単勝オッズ1.2倍の1番人気に支持され、118ポンドのメドウフライトが単勝オッズ6.9倍の2番人気、118ポンドのコンサーンが単勝オッズ11.7倍の3番人気、117ポンドのカンダリーが単勝オッズ11.9倍の4番人気と続いた。斤量が厳しくても本馬のレースぶりはいつもと変わらず、好スタートからすぐに先頭に立った。そのまま後続に2馬身ほどの差をつけて逃げ続けた本馬は、さすがに斤量が厳しいために直線で後続を大きく引き離す事こそ出来なかったが、四角で並びかけてきたメドウフライトを突き放して1馬身3/4差の2着に破り、3着コンサーンにはさらに1馬身3/4差をつけて勝利した。

続くトラヴァーズS(GⅠ・D10F)では、ケンタッキーダービー6着後にプリークネスSとベルモントSを連勝していたタバスコキャット、コンサーン、前走ジムダンディSでタバスコキャットを2着に破って勝ってきたアナカウンティドフォーなど4頭が対戦相手となった。本馬とタバスコキャットの対決は事実上の同世代最強馬決定戦であり、本馬が単勝オッズ1.8倍の1番人気、タバスコキャットが同厩馬コマンチェトレイルとのカップリングで単勝オッズ2.6倍の2番人気、コンサーンが単勝オッズ6.5倍の3番人気、アナカウンティドフォーが単勝オッズ7倍の最低人気と、2強ムードとなった。

スタートが切られると先頭に立ったのは本馬、ではなくコマンチェトレイルだった。ステークス競走における入着歴が無い平凡な馬だったコマンチェトレイルがこのレースに出走してきたのは、紛れも無くタバスコキャット陣営が本馬潰しのためのラビット役として用意したためだった。逃げられなければ駄目である事がケンタッキーダービーで立証されていた本馬も譲るわけにはいかず、コマンチェトレイルに競りかけていった。本馬から3馬身ほど後方にタバスコキャットがつけ、さらにアナカウンティドフォー、コンサーンの順で追走してきた。距離10ハロンで僅か5頭立てのレースであるにも関わらず、最初の2ハロン通過が22秒83というハイペースでレースが推移した。向こう正面でコマンチェトレイルは失速して瞬く間に最後方まで落ちていき、本馬が単独で先頭に立った。ここから後続馬勢が本馬の追撃にかかってきた。しかしラビット役を用意した当のタバスコキャットには伸びが無く、本馬との差は徐々に開いていった。アナカウンティドフォーにも伸びは無く、唯一後方から本馬を追いかけてきたのは最後方から凄まじい勢いで上がってきたコンサーンだった。そして直線半ばでコンサーンが本馬にほぼ追いついた。ハイペースで逃げてきた馬と最後方から追い上げてきた馬が直線で並べば、後者が有利なのは競馬の常識であり、以前の精神的に脆弱な本馬であればおそらく差されていただろう。実際に実況のトム・ダーキン氏は「これはコンサーンが勝つ!」とゴール前に言ってしまったし、鞍上のスミス騎手も「これは負ける」と思ったと、後に本馬が米国競馬の殿堂入りを果たした際におけるデイリーレーシングフォーム社のインタビューで語っている。しかし既にこの時点における本馬は以前と同じ馬ではなく、スミス騎手の檄に応えると最後に一伸びして首差で勝利。3着タバスコキャットはコンサーンから実に17馬身も後方であり、この瞬間に本馬とタバスコキャットのどちらが世代最強馬なのかが確定された。

続くウッドワードS(GⅠ・D9F)では、ケンタッキーダービー勝利後にプリークネスS・ベルモントSでいずれも2着していたゴーフォージン、メトロポリタンH3着後にブルックリンH・サバーバンHを連勝していたデヴィルヒズデュー、メトロポリタンHでは7着だったが前走パシフィッククラシックSでGⅠ競走初勝利を挙げてきたティナーズウェイ、メトロポリタンHでは8着だったが前走ホイットニーHでデヴィルヒズデューを鼻差の2着に破ってきたコロニアルアッフェアーといった既対戦組の他に、前年のホイットニーHの勝ち馬でジョッキークラブ金杯3着のブランズウィック、ドンH2回・フラミンゴS・ブルーグラスS・ベンアリSの勝ち馬でフロリダダービー・ガルフストリームパークH・ピムリコスペシャルH3着のピストルズアンドローゼズ、前年のウッドワードSを筆頭にノーフォークS・パシフィッククラシックS・デルマーフューチュリティ・サンフェリペS・サンフェルナンドS・グッドウッドHを勝ちBCジュヴェナイル・サンタアニタダービー・チャールズHストラブS・メトロポリタンH・ハリウッド金杯と前年のBCクラシックで2着してエクリプス賞最優秀古馬牡馬に選ばれていたバートランドも参戦してきた。既に同世代だけでなく古馬を含めても現役米国最強馬だろうと思われていた本馬が単勝オッズ1.9倍の1番人気に支持され、デヴィルヒズデューが単勝オッズ4.6倍の2番人気、ゴーフォージンが単勝オッズ8倍の3番人気、ティナーズウェイとブランズウィックが並んで単勝オッズ9倍の4番人気、コロニアルアッフェアーが単勝オッズ12.8倍の6番人気となった。

バートランドは本馬と同じく完全な逃げ馬だったし、ゴーフォージンも絶対に先頭でないといけないほどではないがやはり逃げたほうが強い馬だったから、最初にどの馬が先手を取るのか注目されていたが、スタートから先頭に立ったのは、この年に順調に使えていなかったため単勝オッズ24.5倍の7番人気まで評価を下げていたバートランドで、本馬は1馬身ほど後方の2番手、ゴーフォージンは3番手につけた。以前の本馬であれば折り合いを欠くところだったかも知れないが、今の本馬はそんな柔な馬ではなく、しっかりと2番手で折り合っていた。バートランドが刻んだペースは最初の2ハロン通過が23秒58とそれほど速いものではなかった。四角でバートランドやゴーフォージンが後退し始めると、本馬が先頭に立ってそのまま後続を引き離しにかかった。ハイペースになる事を見越して後方に待機していたデヴィルヒズデューやコロニアルアッフェアーが四角で仕掛けて必死に追い上げてきたが、本馬との差は直線で逆にどんどん広がっていった。最後は2着デヴィルヒズデューに5馬身差、3着コロニアルアッフェアーにさらに1馬身半差をつけて圧勝。ゴール直前に実況が「ホーリーブルこそがチャンピオンです!」と絶叫したとおり、これで本馬は名実共に米国最強馬の地位を確たるものとした。

次走は当然BCクラシックになるのが普通だったが、前述のとおりブリーダーズカップ登録が無かった本馬は不参戦(この年のブリーダーズカップが行われるのが、本馬が惨敗したケンタッキーダービーと同じチャーチルダウンズ競馬場だったのも影響していたのかもしれない)となり、3歳時の出走はウッドワードSが最後となった。本馬不在のBCクラシックは、いずれも本馬に敗れていたコンサーンとタバスコキャットがワンツーフィニッシュを決めており、本馬が出走していたらどのような結果になっていただろうか。

この年の成績は10戦8勝(うちGⅠ競走5勝)で、エクリプス賞年度代表馬・最優秀3歳牡馬のタイトルを獲得した。米国三冠競走に勝たなかった3歳馬が米年度代表馬に選ばれたのは1966年のバックパサー以来28年ぶりであり、1971年のエクリプス賞創設以降では初めてだった(本馬以降も2000年のティズナウしかいない)。デイリーレーシングフォーム社はこの年の本馬に130ポンドのレーティングを与えたが、これは3歳馬としては1979年のスペクタキュラービッド以来となる高評価だった。

競走生活(4歳時)

4歳時も現役を続行し、1月に故郷フロリダ州のガルフストリームパーク競馬場で行われたオリンピックH(D7F)から始動した。賞金も安くたいしたレースでは無かったのだが、とりあえず後の大競走に向けた一叩きとしての出走だったと思われる。だからと言って楽なレースだったわけではなく、ヴォスバーグS・トムフールS・フォアゴーHの勝ち馬バードオンザワイア、前年のハッチソンSで本馬を苦しめたパットンが出走していた。斤量面でも本馬の126ポンドに対して、バードオンザワイアは119ポンド、パットンは115ポンドと、本馬にとってかなり不利だった。本馬は単勝オッズ1.4倍の1番人気に支持されたが、バードオンザワイアは単勝オッズ4.5倍の2番人気、パットンは単勝オッズ4.6倍の3番人気と、いずれも勝ち目ありと判断されていた。スタートが切られると、アップルトンHを勝ってきた単勝オッズ21.7倍の4番人気馬ダスティスクリーンが先頭を奪い、別に先頭でなくとも良くなっていた本馬は2番手につけた。そして直線入り口で先頭に立つと、追い上げてきた2着バードオンザワイアに2馬身半差をつけて楽勝した。

次走のドンH(GⅠ・D9F)では、NYRAマイルHなど3連勝中の上がり馬シガー、一昨年のハスケル招待H・パームビーチSの勝ち馬でベルモントS・トラヴァーズS2着のキッシンクリス、スーパーダービー・カウディンS・ペンシルヴァニアダービーの勝ち馬でフロリダダービー・ドンH・ガルフストリームパークH3着のワレンダー、クラークH・ブロワードHで連続2着してきたラウンドテーブルSの勝ち馬ダンビル、前年のメトロポリタンHで本馬の4着に敗れた後にトムフールSを勝っていたヴァージニアラピッヅなどが対戦相手となった。本馬とまともに張り合う事が出来そうな馬はおらず、あえて言うならばNYRAマイルHで2着デヴィルヒズデューを7馬身ちぎり捨てたシガーが気になる相手だったが、NYRAマイルHにおけるシガーの斤量はデヴィルヒズデューより13ポンドも軽く、デヴィルヒズデューを物差しにして本馬とシガーの実力差を測ると、本馬のほうが断然上位と判断されていた。そんなわけで、他馬勢よりも11~15ポンドも重い127ポンドを課せられた本馬が単勝オッズ1.3倍という断然の1番人気に支持され、115ポンドのシガーが単勝オッズ5倍の2番人気、113ポンドのキッシンクリスが単勝オッズ15.8倍の3番人気となった。

スタートが切られると本馬が先頭に立ったが、最初のコーナーで内枠を利したシガーが先頭を奪った。しかし本馬もすぐさまシガーに並びかけていった。そのまま2頭が並んで向こう正面に入ってきたのだが、ここで本馬は左前脚に異常を起こして失速。スミス騎手は本馬を外側によせて競走を中止した。レースはシガーがそのまま逃げ切って勝ったが、大半の人は勝負の結果よりも本馬の状態を気に掛けていた。

馬運車に乗せられて病院に担ぎ込まれた本馬の診断結果は左前脚の靱帯損傷だった。獣医師のピーター・ホール博士の適切な手当てが功を奏して、不幸中の幸いで生命に別状は無かったが、そのまま競走馬引退を余儀なくされた。

この年の本馬は、翌月のサンタアニタHに出た後に、メトロポリタンH・ウッドワードSを経て、本馬の地元ベルモントパーク競馬場で行われる事になっていたBCクラシックに出て引退する予定だった(本馬の引退を伝えるニューヨーク・タイムズ紙の記事に明記されている)のだが、残念ながら実現できなかった。

一方、このドンHを勝ったシガーは、その後も勝ち続けて連勝を16まで伸ばし、押しも押されもしない1990年代米国最強馬の座へと駆け上がっていく事になるのだが、本馬が無事に現役を続行していたら果たしてシガーは16連勝することが出来たであろうか。その答えが出る事は無い(クロール・ジュニア師は「故障が無ければドンHでホーリーブルはシガーに勝っていた」とニューヨーク・タイムズ紙の記者に語ったが、身贔屓があるだろうからそのまま受け入れることは出来ない)が、本馬がシガーの一強独裁体制に待ったをかけられる最有力候補だった事は確実であり、個人的には本馬とシガーのガチンコ勝負を1度現地で見てみたかった気はする。その場合、筆者はどちらの単勝を買おうと思うのだろうか。

競走馬としての特徴

本馬は芦毛の馬体だった事、無名種牡馬を父に持つ事、高い人気を誇った事など、日本のアイドルホースであるオグリキャップと共通点が多く、日本において本馬は“米国版オグリキャップ”として紹介される事が多いと書かれている資料がある。

しかし、レースぶり(本馬は逃げ馬だがオグリキャップはそうではない)、精神面(オグリキャップは精神的に非常に強い馬だったが本馬はそれほどでもない)、競走馬経歴の終焉(本馬は故障のため不完全燃焼のまま引退したがオグリキャップはそうではない)、種牡馬成績(本馬はなかなかの好成績を残したがオグリキャップは完全な失敗に終わった)など2頭には相違点も多く、あまり的確な表現であるとは筆者には思えない。米国においてオグリキャップに一番近い馬をあえて挙げれば、それはスペクタキュラービッド(競走馬経歴の終焉はウッドワードSの単走でありオグリキャップのような復活勝利ではないが、上記に挙げた要素のほぼ全てが共通している)か、シービスケット(上記に挙げた要素のうち異なるのは毛色のみで、それ以外は概ね共通している)だろう。

なお、地元米国における本馬の愛称は“Gray Wander(脅威の灰色)”又は単純に“The Bull”だった。

血統

Great Above Minnesota Mac Rough'n Tumble Free for All Questionnaire
Panay
Roused Bull Dog
Rude Awakening
Cow Girl Mustang Mieuxce
Buzz Fuzz
Ate Phideas
Messe
Ta Wee Intentionally Intent War Relic
Liz F.
My Recipe Discovery
Perlette
Aspidistra Better Self Bimelech
Bee Mac
Tilly Rose Bull Brier
Tilly Kate
Sharon Brown Al Hattab The Axe Mahmoud Blenheim
Mah Mahal
Blackball Shut Out
Big Event
Abyssinia Abernant Owen Tudor
Rustom Mahal
Serengeti Big Game
Mercy
Agathea's Dawn Grey Dawn Herbager Vandale
Flagette
Polamia Mahmoud
Ampola
Agathea I Will Roman
Breathless
Alxanth Questionnaire
Xanthina

父グレイトアバヴは現役成績63戦13勝、ポーモノクH(米GⅢ)・トボガンHなどを勝ち、グレーヴセンドH・ボールドルーラーHで2着、ヘロームH(米GⅡ)・ヴォスバーグH(米GⅡ)で3着している。どちらかと言えば短距離馬だったらしく、アケダクト競馬場のダート6ハロン戦でコースレコードを2回樹立している。グレイトアバヴの父ミネソタマックは稀代の快速馬ドクターファーガーを輩出したラフンタンブル直子種牡馬、グレイトアバヴの母タウィーはドクターファーガーの半妹で2度米最優秀短距離馬に輝き米国競馬の殿堂入りも果たしている名牝であるから、グレイトアバヴはドクターファーガーを髣髴とさせる血統の持ち主である。この血統が買われてフロリダ州ハイマークファームで種牡馬入りしたグレイトアバヴだったが、父ミネソタマックも含めてそれほど目立つ競走成績を収めたわけではなかったため、種牡馬としてのブリーダーズカップ登録をしなかった。本馬がBCジュヴェナイルやBCクラシックに出走しなかったのはその為である(20万ドルもの莫大な追加登録料を支払えば出走することは可能だったが)。しかしグレイトアバヴは39頭のステークスウイナー(その中で大物は本馬のみだが)を出し、母父としてもハウスバスターを出すなど、決して平凡な種牡馬では無かった。グレイトアバヴの父ミネソタマックは現役成績11戦4勝で、主な勝ち鞍はシカゴアンH。ミネソタマックの父は前述のラフンタンブルである。

母シャロンブラウンは現役成績32戦3勝。ケンタッキー州産馬だが繁殖入りしたのはフロリダ州であり、本馬が活躍した後も2007年に27歳で他界するまでフロリダ州に残っていた。本馬の半妹ブランディローズ(父ディスティンクティヴプロ)の子にスウィートシンフォニー【アラバマS(米GⅠ)】がいるが、近親には殆ど活躍馬がいない地味な血統である。シャロンブラウンの5代母キリミックの半妹にはスウィートヴァーベナ【CCAオークス】がおり、キリミックの4代母リジーアグネスは無敗の英国三冠馬オーモンドの母リリーアグネスの全妹で、多くの活躍馬を出した名門牝系の始祖でもあるが、いずれにしても本馬からは遠く離れている。→牝系:F16号族②

母父アルハタブは、ブラックタイアフェアーの母父でもあるので、詳細はそちらを参照。アルハタブは非常に強い芦毛の遺伝子(遡ると驚異の斑点の異名をとった名馬ザテトラークに由来する)を持ち、産駒は全て芦毛馬で、本馬やブラックタイアフェアーにもその毛色が伝わっている。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、米国ケンタッキー州ジョナベルファームで種牡馬入りした。こういうマイナーな血統の馬は、いくら現役時代が華々しくても種牡馬としては失敗しがちだが、本馬はそのような事はなかった。初年度産駒がデビューした1998年にはコンフェッショナルがフリゼットSを制して早くも産駒のGⅠ競走勝ちを達成。2000年には3年目産駒のマッチョウノがBCジュヴェナイルを勝利して、自身には縁が無かったブリーダーズカップ制覇も達成した。翌2001年に米国競馬の殿堂入りを果たした。同じ2001年にジョナベルファームはドバイのシェイク・モハメド殿下に購入されてダーレーグループの傘下に入ったが、その後も本馬はダーレーグループ所有のもと、ジョナベルファームで種牡馬生活を続行した。2005年には7年目産駒のジャコモが単勝オッズ51.3倍の人気薄ながらもケンタッキーダービーを勝利(このときの鞍上は本馬の主戦スミス騎手だった)して、これまた自身に縁が無かった同競走制覇を達成した。2012年の繁殖シーズン終了後の7月に受精率低下のために種牡馬を引退し、以降はジョナベルファームで関係者やファンに大切にされながら余生を送っている。米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選で第64位。

ジャコモの種牡馬成績は振るわないが、マッチョウノが後継種牡馬としてかなりの活躍を示しており、マッチョウノの代表産駒ムーチョマッチョマンは祖父には縁が無かったBCクラシックを制覇している。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1996

Confessional

フリゼットS(米GⅠ)・ロイヤルノースH(加GⅢ)2回

1996

Crash Course

クリフハンガーH(米GⅢ)・マックディアーミダH(米GⅢ)

1996

Holywood Picture

サンタイザベルS(米GⅢ)

1997

Turnofthecentury

米国競馬名誉の殿堂博物館S(米GⅡ)

1997

スターキングブル

大阿蘇大賞(荒尾)

1998

Macho Uno

BCジュヴェナイル(米GⅠ)・グレイBCS(加GⅠ)・マサチューセッツH(米GⅡ)・ペンシルヴァニアダービー(米GⅢ)

1998

Pohave

トリプルベンドBC招待H(米GⅠ)・ロサンゼルスH(米GⅢ)

1998

Thunder Blitz

フラミンゴS(米GⅢ)・クイーンズカウンティH(米GⅢ)

2000

Bishop Court Hill

カーターH(米GⅠ)・グレーヴセンドH(米GⅢ)

2000

Woke Up Dreamin

トゥルーノースBCH(米GⅡ)・スマイルスプリントH(米GⅡ)

2002

Giacomo

ケンタッキーダービー(米GⅠ)・サンディエゴH(米GⅡ)

2003

Flashy Bull

スティーヴンフォスターH(米GⅠ)・ウィリアムドナルドシェイファーH(米GⅢ)

2004

Bwana Bull

エルカミノリアルダービー(米GⅢ)

2006

Hull

ダービートライアルS(米GⅢ)

2010

City of Weston

ギャラントボブS(米GⅢ)

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