シアトリカル

和名:シアトリカル

英名:Theatrical

1982年生

鹿毛

父:ヌレイエフ

母:ツリーオブノレッジ

母父:ササフラ

4歳時までは勝ち切れなかったが5歳になって本格化してBCターフを制して米国芝路線の頂点に君臨し、種牡馬としても芝の活躍馬を多く出して成功する

競走成績:2~5歳時に愛英独米で走り通算成績22戦10勝2着4回3着2回

誕生からデビュー前まで

米国の名馬産家として知られるバートラム・ファイアストーン氏とダイアナ・ファイアストーン夫人により、愛国ギルタウンスタッドにおいて生産・所有され、愛国ダーモット・K・ウェルド調教師に預けられた。

競走生活(2・3歳時)

若年期の本馬はゲート入りを嫌がる事が多かったため、2歳10月のデビュー戦となったのは、スタートにゲートを使用しない愛国ゴウランパーク競馬場で行われる芝8ハロン120ヤードの未勝利戦だった。そして名手マイケル・キネーン騎手を鞍上に、2着パラチーフに1馬身差で勝ち上がった。レース後に英タイムフォーム社は「この馬は距離が延びた方が良さそうです」という見解を示した。

その後はしばらくレースに出ず、3歳4月にカラー競馬場で行われたバリサックスS(T11F)で復帰した。そして、レスター・ピゴット騎手を鞍上に、後の愛セントレジャー馬リーディングカウンセルを2馬身差の2着に破って勝利した。

次走のデリンズタウンスタッドダービートライアルS(愛GⅡ・T10F)では、キネーン騎手とコンビを組んだ。そして前月のテトラークSを勝ってきたノーザンプレインを4馬身差の2着に、ガリニュールSの勝ち馬ロードデュークをさらに2馬身差の3着に破って圧勝した。

そして3戦全勝の成績を引っさげて、英ダービー(英GⅠ・T12F)にピゴット騎手と共に参戦した。対戦相手は、リングフィールドダービートライアルSを10馬身差で圧勝してきたスリップアンカー、英2000ギニー・クレイヴンSの勝ち馬シャディード、愛ナショナルS・アングルシーS・チェスターヴァーズの勝ち馬でデューハーストS2着のロウソサイエティ、ウィリアムヒルフューチュリティSの勝ち馬ランフランコ、ダンテS・サンダウンクラシックトライアルSの勝ち馬でウィリアムヒルフューチュリティS2着のダミスター、ヴィンテージSの勝ち馬でサンダウンクラシックトライアルS・チェスターヴァーズ2着のペトスキなどだった。スタートが切られると、単勝オッズ3.25倍の1番人気に支持されていたスリップアンカーが先頭に立ち、本馬は後方からの競馬となった。道中で後続馬に優に10馬身以上の差をつける大逃げを打ったスリップアンカーの勢いは直線に入っても衰えず、そのまま2着ロウソサイエティに7馬身差をつけて圧勝。本馬はスリップアンカーから25馬身差もつけられた7着に敗退した。

次走の愛ダービー(愛GⅠ・T12F)では、ピゴット騎手が英ダービーで3着だったダミスターに騎乗したため、本馬はキネーン騎手とコンビを組んだ。レースでは馬群の好位を進み、直線に入ってすぐに先頭に立つと、内埒沿いに先頭をひた走った。しかし残り半ハロン地点で単勝オッズ2.875倍の1番人気に支持されていたロウソサイエティが外側から強襲してきて、ゴール前でかわされた本馬は半馬身差の2着に敗れた。なお、このレースにはマルセルブサック賞・愛2000ギニーを勝ち英オークスで2着していたトリプティクも参戦していたが、5着に終わっている。

夏場は休養に充て、秋は愛チャンピオンS(愛GⅠ・T10F)にキネーン騎手と共に臨んだ。しかし前年の英セントレジャーやこの年のベンソン&ヘッジズ金杯を勝っていたピゴット騎手騎乗のコマンチランが勝利を収め、愛ダービーで本馬から2馬身半差の3着後にグレートヴォルティジュールSを勝っていたダミスター(3着)にも後れを取った本馬は、勝ったコマンチランから7馬身半差の7着に敗れた。

この頃、本馬の権利の半分を米国の名馬主アレン・E・ポールソン氏が購入している。そのためか、今度は北米に遠征してアケダクト競馬場で行われたBCターフ(米GⅠ・T12F)に、ピゴット騎手と共に参戦した。本馬と同じくポールソン氏の所有馬となっていた豪州出身のローズヒルギニー・AJCダービー・クイーンズランドダービー・コックスプレート・バーデン大賞・サンクルー大賞の勝ち馬ストロベリーロード、英1000ギニー・エクリプスS・英チャンピオンSなどを勝っていた名牝ペブルス、カリフォルニアンS・ハリウッド金杯・サンバーナーディノHの勝ち馬グレイントン、前年の第1回BCターフの勝ち馬ラシュカリ、バドワイザーミリオン・クイーンエリザベスⅡ世Sなどの勝ち馬テレプロンプター、本馬が敗れた愛チャンピオンSで2着だった伊共和国大統領賞・プリンスオブウェールズSの勝ち馬ボブバック、ジェフリーフリアS・セプテンバーSの勝ち馬シェルナザール、レキシントンS・ローレンスリアライゼーションS・ラトガーズHなどの勝ち馬デンジャーズアワー、ジャンプラ賞の勝ち馬バイアモンなどが対戦相手となった。ペブルスが単勝オッズ3.2倍の1番人気、グレイントンが単勝オッズ3.6倍の2番人気、本馬とストロベリーロードのカップリングが単勝オッズ4.8倍の3番人気となった。大外14番枠発走の本馬は、道中は馬群の中団外側を追走した。しかし終始外側を通らされたためなのか、直線に入っても伸びずに、勝ったペブルスから7馬身差をつけられた11着に沈んだ。3歳時の成績は6戦2勝だった。

競走生活(4歳時)

4歳時は6月にアスコット競馬場で行われたハードウィックS(英GⅡ・T12F)から始動した。キネーン騎手を鞍上に仕切り直しのスタートとなるはずだったが、道中で大きく右側によれて失速し、勝ったディヒスタンから12馬身差をつけられた7着という結果に終わった。

次走は独国に移動してのベルリン大賞(独GⅠ・T2400m)となった。しかし、独ダービー・アラルポカル・サンクルー大賞・ヘルティー国際大賞・ウニオンレネン・メルセデスベンツ大賞など目下9連勝中だった独国最強馬アカテナンゴに敗れて、2馬身差の2着だった。

その後は再度米国に遠征して、アーリントンミリオン(米GⅠ・T10F)に出走した。スティーブ・コーゼン騎手を鞍上に迎えた本馬は1番人気に支持されたが、サンタアナH・ゲイムリーH・ラスパルマスH・イエローリボン招待Sと既にGⅠ競走を4勝していた名牝エストラペイドとのカップリングによるものだった。他の主な出走馬は、ベルモントS・アメリカンダービー・ジェロームH・スーパーダービー・ドンHなどを勝っていたクレームフレーシュ、英チャンピオンS・ジョンヘンリーHの勝ち馬パレスミュージック、ウィリアムヒルフューチュリティS・ハリウッドターフカップSの勝ち馬アルファベイティム、ハリウッドパーク招待ターフH・WLマックナイトH2回・ブーゲンヴィリアH2回の勝ち馬フライングピジョン、ハリウッドターフカップS・サンセットHなどの勝ち馬ゾファニー、ボーリンググリーンH・ディキシーHの勝ち馬アップタウンスウェル、アメリカンH・エディリードHの勝ち馬アルマムーン、レッドスミスHの勝ち馬ダイヴァルジ、クイーンアンSの勝ち馬ペナインウォークなどだった。結果は、先行して直線で後続馬を突き放して5馬身差で勝ったエストラペイドとは対照的に、本馬は何の見せ場も無く、エストラペイドから11馬身差の10着と惨敗してしまった。

この頃、ポールソン氏は本馬の権利の残り半分も購入して、本馬はポールソン氏の単独所有馬となった。そして本馬は米国ロバート・フランケル厩舎へと転厩し、このまま米国を主戦場とすることになった。

転厩初戦のオークツリー招待H(米GⅠ・T12F)では、ゲイリー・スティーヴンス騎手とコンビを組んだ。ここではアーリントンミリオンで4着だったアップタウンスウェル(3着)には先着したものの、カップリングで1番人気に推されていたエストラペイドに再度屈して、2馬身1/4差の2着に終わった。

次走はサンタアニタパーク競馬場で行われたBCターフ(米GⅠ・T12F)となった。ここでもエストラペイドとのカップリングだったが、今回は単勝オッズ3.7倍の2番人気だった。単勝オッズ1.5倍という圧倒的な1番人気に支持されたのは、1980年代欧州最強馬の名声を不動のものとしていた英2000ギニー・エクリプスS・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS・凱旋門賞の勝ち馬で英ダービー2着のダンシングブレーヴだった。他にも、ユナイテッドネーションズH・ターフクラシックS・シネマH・レキシントンS・スコッチクラシックSと5連勝中だった単勝オッズ9.8倍の3番人気馬マニラ、日本から遠征してきた皇帝シンボリルドルフを破ったサンルイレイSを筆頭にリュパン賞・センチュリーH・サンフアンカピストラーノ招待Hを勝っていた単勝オッズ12.6倍の4番人気馬ダハール、ヴェルメイユ賞の勝ち馬ダララ、ダイアナHの勝ち馬デューティダンス、レムセンS・ラトガーズHの勝ち馬ピラスター、伊オークス・EPテイラーSなどの勝ち馬アイバーズイメージなども参戦し、かなり高レベルな一戦となった。スタートが切られるとエストラペイドが猛然と飛ばして先頭に立った。前年とは異なり最内枠発走の本馬は2番手を追走。道中でダララが一気に上がってきたために3番手となったが、エストラペイドが作るスローペースの中を落ち着いて走っていた。三角手前で本馬がダララをかわして2番手に上がったところに、後方外側からダンシングブレーヴがやって来て本馬に並びかけようとした。しかしダンシングブレーヴにはいつもの爆発的な伸びが無く、内側を突いて上がってきたマニラの勢いのほうが上だった。そしてエストラペイド、本馬、マニラ、ダンシングブレーヴの順で直線に入ってきた。まずはエストラペイドと本馬の叩き合いとなり、そして本馬が競り勝って一目散にゴールを目指したが、そこへ外側に持ち出したマニラが猛然と追い上げてきて、最後は首差かわされて2着に惜敗した。それでも、3着エストラペイドには3馬身3/4差、4着ダンシングブレーヴにはさらに2馬身3/4差をつけており、実力を示す事は出来た。

翌月にはハリウッドターフC招待H(米GⅠ・T12F)に参戦。対戦相手は、エストラペイド、前走5着のダハール、前走BCクラシックを勝ってきたサンタアニタダービー・マーヴィンルロイH・ロングエーカーズマイルH・サンディエゴHの勝ち馬スカイウォーカー、アーリントンミリオンで12着だったアルファベイティム、同14着だったゾファニーなどだった。今回もエストラペイドとのカップリングで1番人気に推された。しかし結果は2年前の同競走を勝っていたアルファベイティム、ダハールとのゴール前の接戦で後れを取り、勝ったアルファベイティムから僅か首差の3着に惜敗した(エストラペイドは6着だった)。4歳時はGⅠ競走2着が3回あったが結局は6戦未勝利に終わった。

競走生活(5歳時)

ここまで本馬に騎乗したのはキネーン騎手、ピゴット騎手、コーゼン騎手、スティーヴンス騎手と欧米を代表する名手ばかりであり、彼等が入れ代わり立ち代わり騎乗したくらいだから本馬の実力は誰もが認めるところだったはずだが、どうにも実力を発揮しきれないレースが続いていた。そうした状況からの脱却を試みたのか、5歳になった本馬はウィリアム・“ビル”・モット厩舎に再転厩した。主戦にはこれまた米国を代表する名手パット・デイ騎手を迎えることになった。

5歳時は1月にハイアリアパーク競馬場で行われたブーゲンヴィリアH(米GⅡ・T9.5F)から始動した。アカビールの2位入線と転厩初戦としてはまずまずの結果と思われたのも束の間、進路妨害で14着最下位に降着となってしまった。しかしこの降着で全ての不運を使い切ったのか、以降は上昇気流に乗る。

3週間後のハイアリアターフC(米GⅠ・T12F)では、アカビール、アーリントンミリオン11着後にジョッキークラブ金杯・パターソンH・WLマックナイトHを勝っていたクレームフレーシュ、BCターフで9着だったピラスター、前走のブーゲンヴィリアHで2着に繰り上がっていた前年のアーリントンミリオン6着馬フライングピジョン、仏国でエヴリ大賞などを勝った後に米国に移籍していたロングミックなどが対戦相手となった。しかし本馬が2着ロングミックに首差、3着クレームフレーシュにさらに1馬身半差をつけて勝利を収め、遂にGⅠ競走タイトルを獲得した。

3か月の休養後、5月にベルモントパーク競馬場で行われたレッドスミスH(米GⅡ・T10F)に出走。前年のマンノウォーSの勝ち馬でワシントンDC国際S2着のダンスオブライフ、サラナクS・レッドスミスHの勝ち馬エクワライズ、前年のオークツリー招待H3着以降は凡走が続いていたアップタウンスウェルなどが対戦相手となったが、本馬が2着ダンスオブライフに1馬身3/4差をつけて快勝した。

6月のボーリンググリーンH(GⅠ・T11F)では、ダンスオブライフ、ハイアリアターフCで4着だったアカビール、レッドスミスHで5着だったアップタウンスウェルなどを一蹴。2着アカビールに1馬身差、3着ダンスオブライフにはさらに首差をつけて勝利した。

8月のソードダンサーH(米GⅠ・T12F)でも、アカビール、ダンスオブライフとの顔合わせとなった。ここではダンスオブライフがトップゴールして本馬は2位入線だったが、ダンスオブライフが本馬に対する進路妨害を取られて2着に降着となったため繰り上がって、GⅠ競走3勝目を挙げた。

9月のアーリントンミリオン(米GⅠ・T10F)では、前年のエクリプス賞最優秀芝牡馬に選ばれたマニラと、BCターフ以来の対戦となった。マニラは前走のバーナードバルークHで不覚を取って2着に敗れて連勝が止まっていたが、それでもユナイテッドネーションズH勝ちなどこの年も好調を維持していた。レースは本馬が先行して、マニラが中団を追走する展開となった。そして本馬が三角で先頭に立ったところに、内側を掬ったマニラが瞬く間に本馬を抜き去って先頭を奪い、そのまま後続を引き離していった。本馬は直線半ばでスターズ&ストライプスH・エディリードHを連勝してきたシャルード(ビワハヤヒデの父)にも抜き去られ、勝ったマニラから4馬身3/4差の3着に終わった。

同月末のターフクラシックS(米GⅠ・T12F)では、オイロパ賞・ゴードンS・ゴードンリチャーズSの勝ち馬で前年のジャパンC2着の英国調教馬アレミロード、仏国でモーリスドニュイユ賞・ポモーヌ賞を勝って遠征してきたリヴァーメモリーズ、サンルイオビスポH・セネカH・バーナードバルークHの勝ち馬で前走マンハッタンH2着のタラケノなどが対戦相手となったが、2着リヴァーメモリーズに3馬身3/4差をつけて完勝した。

次走のマンノウォーS(GⅠ・T11F)では、ベルリン大賞・ヘルティー国際大賞の勝ち馬でオイロパ賞2着のルグロリュー(この1か月後にジャパンCを優勝する)が挑んできたが、本馬がルグロリューを2馬身1/4差の2着に破って危なげない勝利を挙げた。

そして1年ぶりに米国西海岸に向かい、ハリウッドパーク競馬場で行われたBCターフ(米GⅠ・T12F)を引退レースとして選んだ。前走の凱旋門賞を驚異的コースレコードで勝ってきたトランポリノ、カールトンFバークH・サンルイオビスポHの勝ち馬で前走オークツリー招待H2着のルイルグラン、ハリウッドパーク招待ターフH・カールトンFバークH・ゴールデンゲートHの勝ち馬リヴリア、パリ大賞・サンセットH・デルマー招待Hの勝ち馬スウィンク、ターフクラシックS6着最下位後に正式に米国に移籍して前走オークツリー招待Hを勝ってきたアレミロード、ヨークシャーオークス・ヴェルメイユ賞・プリティポリーSの勝ち馬ビントパシャ、愛ダービー馬サーハリールイス、コンセイユドパリ賞の勝ち馬ヴィレッジスター、ワシントンDC国際Sでルグロリューの2着してきた翌年のBCターフ勝ち馬グレートコミュニケーター、ラスパルマスHを勝ってきたオータムグリッター、ローレルターフカップS・ロイヤルパームHの勝ち馬ストームオンザルースなどが対戦相手となった。本馬とルイルグランのカップリングが単勝オッズ2.8倍の1番人気に支持され、トランポリノが単勝オッズ3.6倍の2番人気、リヴリアとスウィンクのカップリングが単勝オッズ5.2倍の3番人気となった。

スタートからグレートコミュニケーターが猛然と先頭を飛ばし、本馬はサーハリールイス、ビントパシャに続く4番手を追走した。向こう正面でグレートコミュニケーターが失速して後続との差が見る見る縮まった。サーハリールイス、ビントパシャ、本馬の3頭がグレートコミュニケーターに並んできたが、ビントパシャはここで突然失速して後退し、本馬、サーハリールイス、粘るグレートコミュニケーターの3頭が先頭を争いながら三角に入ってきた。そして本馬が単独で先頭に立ったところに後方外側からトランポリノが一気に上がってきた。そして本馬の半馬身後方までトランポリノが上がってきた状態で直線を向いた。直線では内側の本馬と外側のトランポリノの叩き合いが繰り広げられたが、本馬が半馬身リードした状態を維持したままゴールラインを駆け抜け、3度目の挑戦で遂にBCターフを制覇して引退の花道を飾った。5歳時は9戦7勝の好成績で、この年のエクリプス賞最優秀芝牡馬に選出された。

血統

Nureyev Northern Dancer Nearctic Nearco Pharos
Nogara
Lady Angela Hyperion
Sister Sarah
Natalma Native Dancer Polynesian
Geisha
Almahmoud Mahmoud
Arbitrator
Special Forli Aristophanes Hyperion
Commotion
Trevisa Advocate
Veneta
Thong Nantallah Nasrullah
Shimmer
Rough Shod Gold Bridge
Dalmary
ツリーオブノレッジ Sassafras Sheshoon Precipitation Hurry On
Double Life
Noorani Nearco
Empire Glory
Ruta ラティフィケイション Court Martial
Solesa
Dame d'Atour Cranach
Barley Corn
Sensibility Hail to Reason Turn-to Royal Charger
Source Sucree
Nothirdchance Blue Swords
Galla Colors
Pange キングスベンチ Court Martial
King's Cross
York Gala His Grace
Princess Galahad

ヌレイエフは当馬の項を参照。

母ツリーオブノレッジは現役成績7戦1勝だが、繁殖牝馬としては優秀な成績を収めた。本馬の半弟には日本で走ったタイキブリザード(父シアトルスルー)【安田記念(GⅠ)・大阪杯(GⅡ)・京王杯スプリングC(GⅡ)】がいる他、本馬の半妹ノースオブエデン(父ノースフィールズ)の子には1994年のエクリプス賞最優秀芝牡馬パラダイスクリーク【ハリウッドダービー(米GⅠ)・マンハッタンH(米GⅠ)・アーリントンミリオン(米GⅠ)・ワシントンDC国際S(米GⅠ)・米国競馬名誉の殿堂博物館S(米GⅡ)・カナディアンターフH(米GⅡ)・ターフクラシックH(米GⅡ)・ディキシーH(米GⅡ)・アップルトンH(米GⅢ)】、ワイルドイベント【ターフクラシックS(米GⅠ)・アーリントンH(米GⅡ)・マックナイトH(米GⅡ)・キーンランドBCマイルS(米GⅢ)・フォースターデイヴH(米GⅢ)・リバーシティH(米GⅢ)】、フォービドンアップル【マンハッタンH(米GⅠ)・ベルモントBCH(米GⅡ)・ケルソH(米GⅡ)2回】、孫にはデビッドジュニア【英チャンピオンS(英GⅠ)・ドバイデューティーフリー(首GⅠ)・エクリプスS(英GⅠ)】、エデンズムーン【ラスヴァージネスS(米GⅠ)】、曾孫にはボビーズキトゥン【BCターフスプリント(米GⅠ)】がいる。ツリーオブノレッジは後に繁殖牝馬として来日したが、日本では産駒を出すことは出来なかった。

ツリーオブノレッジの半妹レイクシャンプレイン(父キングズレイク)の子にはサラナクレイク【デビュータントS(愛GⅢ)】、曾孫には日本で走ったサンレイジャスパー【小倉記念(GⅢ)】、サンレイデューク【阪神スプリングジャンプ(JGⅡ)・東京ハイジャンプ(JGⅢ)】、スズカウインダー【クイーンカップ(SPⅢ)】が、ツリーオブノレッジの半妹センスオブリズム(父キュアザブルース)の曾孫にはナカヤマフェスタ【宝塚記念(GⅠ)・セントライト記念(GⅡ)・東京スポーツ杯2歳S(GⅢ)・2着凱旋門賞(仏GⅠ)】がいる。ツリーオブノレッジの母センシビリティの半兄にはプリンスロイヤル【凱旋門賞・ミラノ大賞】が、センシビリティの半姉ストリップポーカーの子には1982年のエクリプス賞最優秀2歳牝馬ランダルース【オークリーフS(米GⅠ)】がいる。→牝系:F3号族③

母父ササフラは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はポールソン氏が所有していた米国ケンタッキー州ブルックサイドファームで種牡馬入りした。本馬は種牡馬としても優秀で、81頭のステークスウイナーを出した。日本にもヒシアマゾンを筆頭に数多くの産駒が輸入されて活躍した。産駒は全体的に中長距離を得意とする傾向が強かった。また、明らかにダートよりも芝向きだった。2000年にポールソン氏の死去した後の2002年に、ケンタッキー州ヒルンデイルファームに移動した。2009年10月に受精率低下を理由に種牡馬を引退した。その後はヒルンデイルファームで余生を過ごしていたが、2012年8月に老衰のため30歳で他界した。

後継種牡馬は何頭かいるが、散発的に活躍馬を出す馬が多く(しかもその活躍馬には牝馬や騙馬が多い)、本馬自身のように安定して活躍馬を送り出す後継種牡馬には恵まれていない。繁殖牝馬の父としては、BCターフ勝ち馬イングリッシュチャンネルや凱旋門賞馬レイルリンクなどを出している。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1989

Dahlia's Dreamer

フラワーボウル招待H(米GⅠ)

1989

Golden Treat

サンタアニタオークス(米GⅠ)

1989

Misako-Togo

キラヴーランS(愛GⅢ)

1989

Miss Lenora

ビウィッチS(米GⅢ)

1989

Sing for Free

アクサーベンオークス(米GⅢ)

1990

Asema

キラヴーランS(愛GⅢ)・ウェルドパークS(愛GⅢ)・デズモンドS(愛GⅢ)

1990

Madeleine's Dream

仏1000ギニー(仏GⅠ)

1990

Marchand de Sable

クリテリウムドサンクルー(仏GⅠ)

1990

Symphony Lady

ヴァイオレットH(米GⅢ)

1991

Apolda

カーディナルH(米GⅢ)・ジョーネイマスH(米GⅢ)・ジェニーワイリーS(米GⅢ)

1991

Broadway Flyer

ソードダンサー招待H(米GⅠ)・チェスターヴァーズ(英GⅢ)・ゴードンS(英GⅢ)

1991

Duda

メイトリアークS(米GⅠ)・シープスヘッドベイH(米GⅡ)

1991

Pharma

サンタアナH(米GⅠ)・ウィルシャーH(米GⅡ)

1991

Vaudeville

セクレタリアトS(米GⅠ)・アメリカンダービー(米GⅡ)

1991

Yokohama

フォワ賞(仏GⅢ)

1991

ヒシアマゾン

阪神三歳牝馬S(GⅠ)・エリザベス女王杯(GⅠ)・ニュージーランドトロフィー四歳S(GⅡ)・ローズS(GⅡ)・オールカマー(GⅡ)・京都大賞典(GⅡ)・クイーンC(GⅢ)・クリスタルC(GⅢ)・クイーンS(GⅢ)

1992

Geri

オークローンH(米GⅠ)・ウッドバインマイル(加GⅠ)・サイテーションH(米GⅡ)・クレームフレーシュH(米GⅢ)

1992

Humbel

ブランドフォードS(愛GⅡ)・デリンズタウンスタッドダービートライアルS(愛GⅢ)

1993

Cachet Noir

リス賞(仏GⅢ)

1993

Gordi

クイーンズヴァーズ(英GⅢ)

1993

Portland Player

ヴィクトリアダービー(豪GⅠ)

1993

Zagreb

愛ダービー(愛GⅠ)

1994

Auntie Mame

フラワーボウル招待H(米GⅠ)・レアパフュームBCH(米GⅡ)・ニューヨークH(米GⅡ)

1994

タイキエルドラド

アルゼンチン共和国杯(GⅡ)

1995

Royal Anthem

加国際S(加GⅠ)・英国際S(英GⅠ)・ガルフストリームパークBCターフS(米GⅠ)・キングエドワードⅦ世S(英GⅡ)

1995

Run Man Run

マリブS(米GⅠ)

1996

Astra

ゲイムリーS(米GⅠ)2回・ビヴァリーヒルズH(米GⅠ)2回・サンタバーバラH(米GⅡ)2回・ジェニーワイリーS(米GⅢ)

1996

Drama Critic

エルクホーンS(米GⅢ)

1996

Glick

サンシメオンH(米GⅢ)

1996

Hap

バーナードバルークH(米GⅡ)2回・フォースターデイヴH(米GⅡ)・ディキシーS(米GⅡ)・キーンランドターフマイルS(米GⅡ)・ニューハンプシャースウィープH(米GⅢ)

1996

Rize

フィリップHアイズリンH(米GⅡ)

1996

ヒシピナクル

ローズS(GⅡ)

1996

ビッグバイキング

京都四歳特別(GⅢ)

1997

Del Mar Show

ハイアリアターフCH(米GⅡ)・バーナードバルークH(米GⅡ)・コノートC(加GⅢ)・フォートローダーデールH(米GⅢ)・ニューハンプシャースウィープH(米GⅢ)

1997

Media Puzzle

メルボルンC(豪GⅠ)

1997

Rob's Spirit

レキシントンS(米GⅢ)・サラナクH(米GⅢ)

1997

Theoretically

ウェルドパークS(愛GⅢ)

1997

ゲイリーファンキー

新潟三歳S(GⅢ)

1998

Startac

セクレタリアトS(米GⅠ)・ベルモントBCH(米GⅡ)・ジェネラスS(米GⅢ)

1998

Strut the Stage

ディキシーS(米GⅡ)・スカイクラシックH(加GⅡ)・ニジンスキーS(加GⅡ)・ナイアガラBCS(加GⅡ)2回

1998

セイウンリンクス

山形記念樹氷賞(上山)

1999

Balakheri

キングエドワードⅦ世S(英GⅡ)

1999

Showlady

ボイリングスプリングスBCS(米GⅢ)

2000

Theater R. N.

ラスパルマスH(米GⅡ)

2001

Duke of Venice

クイーンズヴァーズ(英GⅢ)

2001

Laura's Lucky Boy

ウィルロジャーズS(米GⅢ)

2001

Shakespeare

ジョーハーシュターフクラシック招待S(米GⅠ)・ウッドバインマイル(加GⅠ)・ベルモントBCH(米GⅡ)

2002

Olaya

ロングアイランドH(米GⅡ)

2003

Roman Dynasty

ディスカヴァリーH(米GⅢ)

2004

Mrs. Lindsay

ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)・EPテイラーS(加GⅠ)・ペネロープ賞(仏GⅢ)

2005

Winchester

セクレタリアトS(米GⅠ)・マンハッタンH(米GⅠ)・ジョーハーシュターフクラシック招待S(米GⅠ)・ソードダンサー招待S(米GⅠ)

2006

Acting Lady

プロヴィデンシアS(米GⅡ)

2006

Lady Shakespeare

ニューヨークS(米GⅡ)・ビウィッチS(米GⅢ)

2009

Aldous Snow

シングスピールS(加GⅢ)2回

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