ホーリング
和名:ホーリング |
英名:Halling |
1991年生 |
牡 |
栗毛 |
父:ダイイシス |
母:ダンスマシーン |
母父:グリーンダンサー |
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エクリプスS・英国際Sをいずれも2連覇した他にイスパーン賞も勝利した欧州芝10ハロン路線のスペシャリスト |
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競走成績:3~5歳時に英首米仏で走り通算成績18戦12勝2着1回 |
短距離戦の王者サクラバクシンオー、マイルの鬼トロットサンダー、3000m以上の長距離戦では無敗のライスシャワーなど、距離別のスペシャリストと呼ばれる馬は確かにいるものである。2000m前後の中距離戦においても、サクラユタカオー、ネーハイシーザー、サイレンススズカなどのスペシャリストが存在していた。欧州においても、芝の10ハロン戦では非常に強いが、それ以外の条件では振るわないというタイプの馬がおり、本馬はその最たる例である。
誕生からデビュー前まで
英国産まれで英国在住の画商シリル・ハンフリーズ氏により米国ケンタッキー州において生産・所有された。ハンフリーズ氏は30代の頃に美術の仕事でたまたま会う機会があった仏国の馬産家コント・ローラン・ドゥ・シャンビュール氏と仏国の調教師アレック・ヘッド師(この両名は後に共同で凱旋門賞馬デトロワを生産している)に影響を受けて、1969年から馬産を開始していた。主に英国と愛国で馬産を行っており、過去にパリ大賞・ローマ賞の勝ち馬ヤワ、伊オークス馬レディベントレーなどを送り出してきたが、自他共に認める彼の最高傑作が彼にとっては少数派の米国産だった本馬である。英国ジョン・ゴスデン調教師に預けられた。
競走生活(3歳時)
デビューは遅く、3歳7月にヤーマウス競馬場で行われた芝7ハロン3ヤードの未勝利ステークスとなった。名手ランフランコ・デットーリ騎手とコンビを組み、単勝オッズ6.5倍で11頭立ての4番人気とまずまずの評価を受けた。しかしスタートで出遅れて終始後方のままという酷い内容で、単勝オッズ2.625倍の1番人気に応えて勝ったインゴジ(2011年のEPテイラーSを勝ったミスケラーの母)から18馬身差の7着と惨敗した。
それから僅か10日後には、サースク競馬場で行われた芝8ハロンの未勝利ステークスに出走。デイル・ギブソン騎手が騎乗した本馬は、単勝オッズ21倍で13頭立ての8番人気まで評価を下げていた。今回は普通にスタートを切って先行したのだが、そのまま順位が上がることも下がることも無く、単勝オッズ2.25倍の1番人気に応えて勝ったピュイサンから4馬身半差の4着に敗れた。
さらに9日後に出走したウインザー競馬場芝8ハロン67ヤードの未勝利ステークスでは、B・トムソン騎手とコンビを組んだが、単勝オッズ11倍で16頭立ての6番人気とあまり評価されていなかった。レースでは馬群の中団につけて、残り2ハロン地点でスパートをかけたが伸びは無く、勝った単勝オッズ6.5倍の3番人気馬グリーシャンスリッパー(愛オークス馬ヘレンストリートの娘で、ドバイワールドCの勝ち馬ストリートクライの半姉)から11馬身差の6着と人気どおりの着順に終わった。
3連敗という結果を受けて、陣営は本馬の活路をハンデ競走路線に見出すことにした。
ハンデ競走初戦は、前走から僅か12日後にリポン競馬場で行われたハロゲートH(T10F)だった。本馬に課せられた斤量は130ポンドであり、出走10頭中では4番目の重さだったが、最軽量馬とは20ポンド以上の差があり、それほど楽な斤量では無かった。それでもデットーリ騎手騎乗の本馬は単勝オッズ2.75倍の1番人気に支持されると、先行して残り3ハロン地点で抜け出してそのまま押し切るという、過去3戦とはまるで別馬のような走りを披露して、25ポンドのハンデを与えた2着ブロンズマケットに2馬身半差をつけて完勝を収め、ようやく勝ち上がった。
本馬に長い休みは与えられず、次走はそれから3週間後にドンカスター競馬場で行われたラドブロークH(T10F60Y)となった。トムソン騎手が騎乗した本馬の斤量は133ポンドだったが、これでも出走15頭中では6番目だった。人気はかなり割れており、本馬は単勝オッズ7倍だったが、それでも2番人気だった。レースでは先行して残り3ハロン地点で先頭に立つという、前走と同様の走りを見せたが、前走と違ったのは同斤量の単勝オッズ8倍の3番人気馬グリーンクルセイダーが残り1ハロン地点で並びかけてきた事だった。しかしゴール前でもう一伸びした本馬が頭差で勝利を収めた。
次走はさらに3週間後にニューマーケット競馬場で行われた、150年以上の伝統を誇る英国の名物ハンデ競走ケンブリッジシャーH(T9F)だった。このレースは10月のシザレウィッチHと並ぶ英国ハンデキャップホースの目標競走であるが、シザレウィッチHの距離は18ハロンもあるので、スタミナにそこまで自信が無いハンデキャップホースは挙ってケンブリッジシャーHに矛先を向けてくるのが常だった。この年も本馬を含む30頭が参戦してきた。ハンデ競走の醍醐味は、斤量を設定したハンデキャッパーの評価と自分から見た評価を比較(英国のようなブックメーカー方式であれば、ブックメーカーが設定したオッズとの比較も必要)して、実力の割には斤量に恵まれていると思った馬に賭けるというその検討過程にあるのだが、各人の検討結果はばらばらになりやすく、人気は割れがちになる。今回も3頭の馬が単勝オッズ9倍の1番人気で並んだのだが、そのうちの1頭は本馬だった。本馬の斤量は120ポンドであり、トップハンデの馬からは16ポンドも低く、斤量面では恵まれていたと言える。さて、スタートが切られると本馬よりさらに7ポンド斤量が軽い単勝オッズ26倍の13番人気馬ハンターズオブブローラが先手を取り、デットーリ騎手が騎乗する本馬はそれを見るように先行した。そして残り2ハロン地点で仕掛けると、残り1ハロン地点でハンターズオブブローラを抜き去り、そのまま2着ハンターズオブブローラに2馬身半差をつけて完勝した。
このままハンデ競走の実力馬としての道を歩むのかと思われたが、本馬のハンデ競走出走はこれが最後だった。ドバイのシェイク・モハメド殿下に見初められて購入され、12月に正式にゴドルフィンの所属馬となったのである。
ドバイのサイード・ビン・スルール厩舎に転厩した本馬は、早速ドバイに移動して調教が施され、12月末に地元ドバイで行われたマダガンズレースなるダート1800mの競走に出走。ジョン・キャロル騎手を鞍上に、2着アルファウズアルワシークに2馬身半差で勝利を収めた。3歳時の出走はこれが最後で、この年の成績は7戦4勝となった。
競走生活(4歳時)
4歳時は、1月のマクトゥームチャレンジR1(D1600m)から始動した。今回もキャロル騎手とコンビを組んだ本馬は、2着ロウアーエジプトに3/4馬身差で勝利した。さらに翌月のマクトゥームチャレンジR2(D2000m)でもキャロル騎手を鞍上に、2着レインボーハイツに4馬身差で圧勝し、このシーズンのドバイ王者となった。
こうして裏街道で地道に実力を磨いてきた本馬が表舞台に飛び出したのは、7月に行われたエクリプスS(英GⅠ・T10F7Y)だった。6連勝中の本馬ではあったが、その内訳はハンデ競走とドバイのダート競走だけであり、常識的には英国伝統のGⅠ競走エクリプスSで勝ち負けになるとは考えられなかった。もっとも未知の魅力があった事も確かで、8頭立ての5番人気ながらも単勝オッズは8倍であり、それなりに評価されていた。対戦相手は、ヴィンテージS・ロイヤルロッジSの勝ち馬でBCジュヴェナイル・プリンスオブウェールズS2着・デューハーストS3着のエルティシュ、サンフアンカピストラーノ招待H・ブリガディアジェラードS・香港国際ヴァーズ・クイーンエリザベスⅡ世Cを勝っていた同馬主同厩のレッドビショップ、愛チャンピオンS・伊共和国大統領賞・プリンスオブウェールズS2回の勝ち馬でイスパーン賞・サンクルー大賞・英国際S2着・アーリントンミリオン・英チャンピオンS3着のムータラム、前走のパリ大賞で2着してきた3歳馬シングスピール、タタソールズ金杯・カンバーランドロッジS・ゴードンリチャーズSの勝ち馬プリンスオブアンドロス、仏オークスで3着してきた独1000ギニー馬トリフォサ、種牡馬と競走馬の両立を図るという珍しい試みを実施中だった4年前のエクリプスS・ダンテSの勝ち馬で愛チャンピオンS・コロネーションC2回2着・英チャンピオンS3着のエンヴァイロンメントフレンドの計7頭で、本馬とシングスピールの2頭だけがグループ競走勝ちが無かった。エルティシュが単勝オッズ4.33倍の1番人気、3連勝中のレッドビショップとムータラムが並んで単勝オッズ5倍の2番人気、シングスピールが単勝オッズ5.5倍の4番人気、プリンスオブアンドロスが単勝オッズ10倍の6番人気となっていた。
スタートが切られると、ウォルター・スウィンバーン騎手騎乗の本馬がすかさず先頭に立ち、シングスピールが2番手を追いかけてきた。前の2頭がグループ競走未勝利馬だから甘く見たわけでもあるまいが、直線に入っても後続馬勢はなかなか差を詰めてくる事が出来なかった。結局は残り2ハロン地点から二の脚を使って後続を引き離しにかかった本馬と、残り1ハロン地点から猛然と差を詰めてきたシングスピールの2頭で決着がつくことになった。後に全盛期を迎えた頃のシングスピールであればともかく、この時点におけるシングスピールは全くの善戦馬であり、ここでも本馬を抜いて前に出る事は出来なかった。本馬が首差で逃げ切って勝利を収め、グループ競走初出走でGⅠ競走制覇を果たした。
その後は色々な選択肢が考えられたが、陣営が選んだのは一番無難な翌月の英国際S(英GⅠ・T10F85Y)だった。セントジェームズパレスSの勝ち馬でサセックスS2着・英2000ギニー・愛2000ギニー3着のバーリ、レーシングポストトロフィー・ジャンプラ賞2着・愛ダービー3着のアヌスミラビリス、前走で5着だったエルティシュ、メルドSを勝ってきた伊ダービー・セントジェームズパレスS・伊共和国大統領賞2着のニードルガン、本馬と同じくハンデ競走から転向してきたエラアリストクラティの計6頭が対戦相手だった。はっきり言ってエクリプスSよりレベルが低く、結果として本馬が単勝オッズ3.25倍の1番人気となった。それでも2番人気のバーリが単勝オッズ3.75倍、3番人気のアヌスミラビリスが単勝オッズ4.33倍、4番人気のエルティシュが単勝オッズ4.5倍だったから、飛び抜けた人気では無かったのだが、いざレースが始まると大本命であるかのような見事な走りを披露。逃げるエルティシュを3番手で追走すると、残り2ハロン地点で先頭に立って後続を突き放した。残り1ハロン地点で後方を振り向いたスウィンバーン騎手は本馬の首を軽く叩きながら余裕を持ってゴールイン。最後方から追い上げてきた2着バーリに3馬身半差をつける完勝だった。
その後は渡米してベルモントパーク競馬場で行われたブリーダーズカップに挑戦。しかし残念な事に、当時も今もブリーダーズカップには牡馬が出走できる芝10ハロン戦が存在していなかった。そこで本馬が出走したのはBCクラシック(米GⅠ・D10F)となった。ドバイでは3回ダート競走を走って全て勝っているから、下手にBCマイルやBCターフに向かうよりも無難な選択だった。このBCクラシックには、NYRAマイルH・ドンH・ガルフストリームパークH・オークローンH・ピムリコスペシャルH・ハリウッド金杯・ウッドワードS・ジョッキークラブ金杯とGⅠ競走8勝を含む11連勝中だったシガーという超大物が出走していた。明らかにシガーVSその他大勢の構図であり、シガーが単勝オッズ1.7倍の1番人気で、前走ジョッキークラブ金杯でシガーに1馬身差まで肉薄したホイットニーH・ジムダンディSの勝ち馬アナカウンティドフォーが対抗馬として単勝オッズ6.5倍の2番人気となっていたが、単勝オッズ9.9倍の3番人気に推されたのは本馬だった。距離的にも問題ないし、ダートで3戦無敗を含む8連勝中とくれば、評価されるのは当然だった。他の出走馬は、スーパーダービー・サンフェリペS・ベルエアH・グッドウッドHの勝ち馬でパシフィッククラシックS2着のソウルオブザマター、ジェロームHの勝ち馬フレンチデピュティ、モルソンエクスポートミリオン・メドウランズCH・イリノイダービー・ダービートライアルSの勝ち馬ピークスアンドヴァレーズ、パシフィッククラシックSを2連覇してきたティナーズウェイ、前年のBCクラシックを筆頭にカリフォルニアンS・アーカンソーダービー・ニューオーリンズHを勝っていたコンサーン、ホイットニーH2着馬エルカリエレ、レキシントンSの勝ち馬でベルモントS・ウッドワードS2着のスタースタンダードなどだった。
ところが肝心のレースでは、いつものように先行することが出来ずに、馬群の中団やや後方を追走することになった。それでも途中までは何とか馬群にしがみついていたが、向こう正面で他馬が仕掛けると付いていけずにどんどん後退。勝負を諦めたスウィンバーン騎手は本馬を追うのを止め、最後は走るというよりも歩くようにゴールインした。勝ったシガーから47馬身3/4差、10着だった単勝オッズ117倍の最低人気馬ジェドフォレストからも26馬身差をつけられた11着最下位と、目も当てられない大惨敗となってしまった。
この年のBCクラシックは重馬場で行われており、砂ではなく泥の馬場状態となっていた。本馬が過去に勝っていたダート競走3戦はいずれも乾燥した馬場状態であり、今回馬場に脚を取られて先手を取れなかった本馬は道中で泥をかぶって走る気を完全に無くしてしまったのだろうと推察されている。しかし本馬のそれまでの実績からすれば、ブリーダーズカップに出るとしたらBCクラシックが最善の選択だったのは間違いなく、これは致し方ないだろう。4歳時の成績は5戦4勝となった。
競走生活(5歳時)
翌5歳時は3月に地元ドバイで行われたアルフタイムトロフィー(D2000m)から始動した。実はこの24日後に記念すべき第1回ドバイワールドCが開催されることになっており、モハメド殿下の頭の中には、出来れば自分の持ち馬で第1回を勝ちたいという考えがあり(本人に直接聞いてみた訳ではないので推測だが)、その希望を本馬に託したのだった。このアルフタイムトロフィーには、やはりゴドルフィンの所属馬であるジャンプラ賞の勝ち馬トーレンシャルも出走していたのだが、トーレンシャルの主戦だったデットーリ騎手が本馬に騎乗することになったのも、陣営の本馬に対する期待を示している。そしてレースでは本馬がトーレンシャルを全く寄せ付けない走りを見せ、8馬身差の2着に切り捨てて圧勝した。
そして迎えたドバイワールドC(D2000m)。このレースには第1回競走における最大の目玉としてシガーが米国から招待されており、デットーリ騎手騎乗の本馬は、英国ブックメーカーのオッズでシガー(単勝1.2倍)に次ぐ2番人気(単勝5倍)に支持された。他の主な出走馬は、トーレンシャル、英国から招待された愛チャンピオンS・キングエドワードⅦ世S・グレートヴォルティジュールS・サンダウンクラシックトライアルの勝ち馬でキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS2着のペンタイア、前年の英国際Sで4着だったニードルガン、米国から招待された前年のBCクラシック2着馬エルカリエレ、同4着馬ソウルオブザマター、豪州から招待されたスプリングチャンピオンS・ローズヒルギニー・ドゥーンベンC・コーフィールドS・マッキノンSとGⅠ競走5勝のデーンウイン、日本から招待された帝王賞・マイルCS南部杯・ブリーダーズゴールドC・フェブラリーS・ウインターS・平安Sの勝ち馬ライブリマウントなどだった。
スタートが切られると、ライブリマウント、エルカリエレ、デーンウインの3頭が先頭争いを展開し、シガーは4番手の好位、本馬はその少し後方を追走した。そして最終コーナーでシガーと共に仕掛けて先行馬群に取り付こうとした。しかしシガーがすんなりと先頭に並びかけたのに対して、本馬は行き脚が悪かった。それでも4番手で直線を向いたのだが、ナドアルシバ競馬場の長い直線でどんどん後続馬に追い抜かれていった。レースはシガーが勝利を収めて14連勝目を飾り、本馬はシガーから23馬身半差をつけられた10着に大敗。逃げて失速したデーンウインに先着しただけだった。
BCクラシックと異なり今回の馬場は乾燥していたにも関わらず、前走で8馬身切り捨てたトーレンシャル(本馬から3馬身3/4差前の8着)に先着されるという、言い訳出来ないあまりに不甲斐ないレースぶりだった。この結果を受けて陣営はさすがに本馬をダート競走で走らせる事を諦めて、得意の芝10ハロン路線に進ませる事にした。
ドバイワールドCから1か月後のガネー賞、2か月後のタタソールズ金杯とイスパーン賞が候補として考えられたが、日程的に厳しいガネー賞や、当時はGⅡ競走だったタタソールズ金杯ではなく、イスパーン賞(仏GⅠ・T1850m)に向かうことになった。イスパーン賞は120年以上の歴史を誇る仏国の伝統競走だったが、この年の出走馬の層は、1971年のグループ制導入と同時にGⅠ競走に格付けられた以降ではおそらく最も薄いものだった。対戦相手は僅か3頭で、その内訳は、ギョームドルナノ賞の勝ち馬でサラマンドル賞2着・仏グランクリテリウム・英チャンピオンS・ローマ賞・伊共和国大統領賞3着のモントジョイ、GⅠ競走入着歴が無かったノアイユ賞・シェーヌ賞・ラクープドメゾンラフィット・エクスビュリ賞の勝ち馬ガンボートディプロマシー、GⅠ競走出走歴が無かったミュゲ賞の勝ち馬ヴェトイユだった。普通であれば本馬が断然の1番人気に支持されるメンバー構成だったのだが、前走の大敗が影響したのか、単勝オッズ2.1倍ながら2番人気止まり。単勝オッズ1.8倍の1番人気はガンボートディプロマシーとヴェトイユのカップリングだったから、単独では1番人気と言えなくもないが、少なくとも圧倒的な人気では無かった。さらに馬場状態は不良となっており、BCクラシックの苦い思い出が蘇る状況だった。しかし芝である限りは重馬場でも問題なかったようで、スタートして即座に先頭に立って馬群を牽引。残り400m地点でデットーリ騎手が仕掛けるとゴール前では流して走り、2着ガンボートディプロマシーに1馬身半差をつけて勝利した。
その後はエクリプスS(英GⅠ・T10F7Y)で連覇を目指すことになった。イスパーン賞よりは明らかに対戦相手の層が厚くなっており、前走ドバイワールドCで4着だったペンタイア、愛ナショナルS・タタソールズ金杯の勝ち馬で愛ダービー2着のデフィニットアーティクル、パリ大賞・ガネー賞・アルクール賞・ギシュ賞の勝ち馬ヴァラヌール、前走セントジェームズパレスSを勝ってきた愛フューチュリティSの勝ち馬で英2000ギニー3着のビジューダンド、レーシングポストトロフィー・クレイヴンSの勝ち馬で愛2000ギニー3着のボーシャンキング、前年の英国際Sで本馬の6着最下位に終わっていたエラアリストクラティの6頭が対戦相手となった。前年の覇者で前走も勝っていたにも関わらず、テン乗りのジョン・リード騎手騎乗の本馬は単勝オッズ4.33倍の2番人気。単勝オッズ3倍の1番人気に推されたのはペンタイアで、デフィニットアーティクルが単勝オッズ4.5倍の3番人気、ヴァラヌールが単勝オッズ8倍の4番人気、ビジューダンドが単勝オッズ13倍の5番人気と続いていた。イスパーン賞は相手が弱すぎたと判断されたのか、ブックメーカーがBCクラシックやドバイワールドCにおける不甲斐なさをまだ引き摺っていたのか。
レースは大方の予想どおりに本馬が先手を取って逃げ、ペンタイアは中団につけた。そのままの態勢で直線に入り、残り2ハロン地点で本馬が二の脚を使って逃げ切り態勢に入った。そこへ本馬をマークするように追走してきたビジューダンド、さらにはペンタイアもやってきて本馬に並びかけようとしてきた。ペンタイアよりもビジューダンドのほうが脚色は良く、残り1ハロン地点で本馬とビジューダンドの2頭が殆ど並んで大接戦となったが、ゴール前で一伸びした本馬が首差で勝利を収め、1988年のムトト以来8年ぶり史上5頭目の同競走2連覇を果たした。
続いてこれまた連覇を目指して英国際S(英GⅠ・T10F85Y)に出走。同じくエクリプスSから直行してきたビジューダンドに加えて、プリンスオブウェールズS・サセックスSなど3連勝してきたファーストアイランド、前年の愛2000ギニー・英チャンピオンSの勝ち馬で前走ロッキンジS3着のスペクトラム、パリ大賞を勝ってきたグレープツリーロードなど5頭が対戦相手となった。デットーリ騎手が鞍上に戻ってきた本馬が単勝オッズ2.5倍の1番人気に支持され、ファーストアイランドが単勝オッズ4倍の2番人気、ビジューダンドが単勝オッズ5倍の3番人気、スペクトラムが単勝オッズ7倍の4番人気、グレープツリーロードが単勝オッズ10倍の5番人気となった。
スタートが切られるとやはり本馬が先頭に立ち、やはりビジューダンドが2番手で追ってくる展開となった。残り2ハロン地点でビジューダンドが仕掛けて本馬に並びかけようとしたが、ほぼ同時に二の脚を使って伸びた本馬には追いつけず、先にスタミナが切れて失速。代わりに2番手に上がってきたのは、馬群の中団につけていたファーストアイランドだったが、これも本馬に追いつくような勢いは無かった。前年のスウィンバーン騎手と同じように残り1ハロン地点で後方を振り向いたデットーリ騎手はゴール前で流し、2着ファーストアイランドに3馬身差をつけて完勝。1975年のダリア(その当時のレース名はベンソン&ヘッジズ金杯)、1994年のエズードに次ぐ史上3頭目の同競走連覇を果たした。
この年はブリーダーズカップに向かうような真似はせず、次走は英チャンピオンS(英GⅠ・T10F)となった。対戦相手は、英国際S2着後に出走したクイーンエリザベスⅡ世Sで3着だったファーストアイランドに加えて、英1000ギニー・フィリーズマイル・フレッドダーリンSの勝ち馬で前走クイーンエリザベスⅡ世S2着のボスラシャム、ダルマイヤー大賞・ビヴァリーDS・愛チャンピオンS・オペラ賞・EPテイラーS・愛メイトロンSの勝ち馬で現在GⅠ競走3連勝中のティマリダ、レーシングポストトロフィー・英2000ギニー2着のイーヴントップ、伊グランクリテリウム・ダンテSの勝ち馬でパリ大賞2着・愛チャンピオンS3着のグローリーオブダンサーの合計5頭であり、実力馬のみのレースとなった。本馬が単勝オッズ2倍の1番人気に支持され、その素質を非常に高く評価されていたボスラシャムが単勝オッズ3.25倍の2番人気、ティマリダが単勝オッズ8.5倍の3番人気、ファーストアイランドとイーヴントップが並んで単勝オッズ15倍の4番人気となった。
スタートが切られると、どちらかと言えば逃げ馬だったイーヴントップが先頭を奪い、本馬が2番手、ボスラシャムが3番手につけた。残り3ハロン地点で本馬がイーヴントップをかわして先頭に立ったが、ここで後方から上がってきたボスラシャムとティマリダの牝馬2頭に並びかけられた。特にボスラシャムの末脚は抜群で、残り2ハロン地点で瞬く間に本馬は抜き去られてしまった。いったんはティマリダにもかわされそうになったが、残り1ハロン地点で差し返して2着は確保。しかし勝ったボスラシャムからは2馬身半差をつけられる完敗だった。
こうして芝の10ハロン前後の距離では生涯最初で最後の敗戦を喫してしまった本馬は、このレースを最後に5歳時6戦4勝の成績で引退した。しかしこの年のカルティエ賞最優秀古馬のタイトルを受賞した。
競走馬としての特徴
デビューからの3連敗はマイル以下のレースであり、芝の10ハロン前後の距離では9戦8勝2着1回と抜群の安定感を誇った。
勝ったレース映像を見ると、淀みないペースで先行して直線で二の脚を使って後続馬を引き離すという内容が多い。前述のサクラユタカオーやネーハイシーザーも似たようなレース運びを得意としていた(サイレンススズカは少し違うが)し、この距離ではそれが一番強い走法なのかもしれない。
一方、ダート競走でも4勝を挙げているのだから、全然ダートが駄目というわけでもないはずだが、BCクラシックやドバイワールドCの印象が強すぎてダートは不得手という評価が一般的なようである。勝ったダート競走はいずれも対戦相手の層が薄く、芝と同じようにすんなりと先行できたために好走したようだが、対戦相手の質量共にそれらとは桁が違うダートの大競走では先行できずに惨敗という結果になっている。
血統
Diesis | Sharpen Up | エタン | Native Dancer | Polynesian |
Geisha | ||||
Mixed Marriage | Tudor Minstrel | |||
Persian Maid | ||||
Rocchetta | Rockefella | Hyperion | ||
Rockfel | ||||
Chambiges | Majano | |||
Chanterelle | ||||
Doubly Sure | Reliance | Tantieme | Deux-Pour-Cent | |
Terka | ||||
Relance | Relic | |||
Polaire | ||||
Soft Angels | Crepello | Donatello | ||
Crepuscule | ||||
Sweet Angel | Honeyway | |||
No Angel | ||||
Dance Machine | Green Dancer | Nijinsky | Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | ||||
Flaming Page | Bull Page | |||
Flaring Top | ||||
Green Valley | Val de Loir | Vieux Manoir | ||
Vali | ||||
Sly Pola | Spy Song | |||
Ampola | ||||
Never a Lady | Pontifex | Jaipur | Nasrullah | |
Rare Perfume | ||||
Pontivy | Battlefield | |||
Mahari | ||||
Camogie | セルティックアッシュ | Sicambre | ||
Ash Plant | ||||
Mesopotamia | ザラズーストラ | |||
Agar's Plough |
父ダイイシスは当馬の項を参照。
母ダンスマシーンは現役成績4戦2勝、スイートソレラSを勝っている。近親にはダンスマシーンの従姉妹の子であるストローベアー【ファイティングフィフスハードル(英GⅠ)・クリスマスハードル(英GⅠ)】程度しか活躍馬がおらず、ある程度離れなければ平地の活躍馬の名前が出てこない。遠縁であれば、ギャラクシーライブラ【サンセットH(米GⅠ)・マンノウォーS(米GⅠ)】、ダニッシュ【クイーンエリザベスⅡ世CSS(米GⅠ)】、モレーネ【カドラン賞(仏GⅠ)】、チェロキーローズ【モーリスドギース賞(仏GⅠ)・スプリントC(英GⅠ)】、サンセバスチャン【カドラン賞(仏GⅠ)】、アルカセット【ジャパンC(日GⅠ)・サンクルー大賞(仏GⅠ)】、マスタリー【英セントレジャー(英GⅠ)・香港ヴァーズ(香GⅠ)】、キングズバーンズ【レーシングポストトロフィー(英GⅠ)】、リップヴァンウィンクル【サセックスS(英GⅠ)・クイーンエリザベスⅡ世S(英GⅠ)・英国際S(英GⅠ)】、サッジャー【ジェベルハッタ(首GⅠ)・ドバイデューティーフリー(首GⅠ)】、ジャストザジャッジ【愛1000ギニー(愛GⅠ)・EPテイラーS(加GⅠ)】、アフリカンストーリー【ドバイワールドC(首GⅠ)・マクトゥームチャレンジR3(首GⅠ)】、ムカドラム【エクリプスS(英GⅠ)】といった名前が出てくる。全体的に最近10年くらいの活躍馬が目立っており、割と今が旬の牝系である。→牝系:F10号族②
母父グリーンダンサーは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は、ゴドルフィン(ダーレーグループ)が所有する英国ダルハムホールスタッドで種牡馬入りし、2005年にドバイのエミレーツスタッドに移動した。複数のGⅠ競走勝ち馬を含む多くのグループ競走勝ち馬を出しており、一定の成功を収めている。産駒は12ハロン以上の長距離戦における活躍が目立っており、自身の競走成績とは異なる傾向となっている。もっとも、本馬自身は11ハロン以上のレースに出たことが1度も無いので、長距離をこなせなかったという証拠があるわけではない。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1998 |
Chancellor |
ロイヤルホイップS(愛GⅡ)・サンダウンクラシックトライアルS(英GⅢ)・ゴードンリチャーズS(英GⅢ)2回 |
1998 |
Dandoun |
ミュゲ賞(仏GⅡ) |
1998 |
Giovane Imperatore |
伊2000ギニー(伊GⅡ)・リボー賞(伊GⅡ) |
1999 |
Fisich |
グイドベラルデリ賞(伊GⅡ) |
1999 |
Mkuzi |
カラーC(愛GⅢ)2回 |
1999 |
Nordhal |
エミリオトゥラティ賞(伊GⅡ) |
1999 |
Vanderlin |
プレイザキングH(加GⅡ) |
2000 |
Franklins Gardens |
ヨークシャーC(英GⅡ)・リングフィールドダービートライアルS(英GⅢ) |
2000 |
Norse Dancer |
ソヴリンS(英GⅢ)・アールオブセフトンS(英GⅢ) |
2002 |
Hattan |
チェスターヴァーズ(英GⅢ)・ウインターダービー(英GⅢ)・セプテンバーS(英GⅢ) |
2002 |
Pinson |
ギョームドルナノ賞(仏GⅡ)・ダフニ賞(仏GⅢ) |
2002 |
The Geezer |
ゴードンS(英GⅢ) |
2003 |
An Tadh |
バリーコーラスS(愛GⅢ) |
2004 |
Boscobel |
キングエドワードⅦ世S(英GⅡ) |
2004 |
Coastal Path |
ショードネイ賞(仏GⅡ)・ヴィコンテスヴィジェ賞(仏GⅡ)・リューテス賞(仏GⅢ)・バルブヴィル賞(仏GⅢ) |
2004 |
Harland |
ユジェーヌアダム賞(仏GⅡ) |
2006 |
Cavalryman |
パリ大賞(仏GⅠ)・ニエル賞(仏GⅡ)・プリンセスオブウェールズS(英GⅡ)・グッドウッドC(英GⅡ)・ドバイ金杯(首GⅢ)・ナドアルシバトロフィー(首GⅢ) |
2006 |
Cutlass Bay |
ガネー賞(仏GⅠ)・グレフュール賞(仏GⅡ)・アルクール賞(仏GⅡ) |
2006 |
Eastern Aria |
パークヒルS(英GⅡ)・ヘネシーフィリーズS(英GⅢ) |
2006 |
Holberg |
クイーンズヴァーズ(英GⅢ) |
2006 |
Opinion Poll |
ロンズデールC(英GⅡ)2回・グッドウッドC(英GⅡ)・ドバイ金杯(首GⅢ)・ヘンリーⅡ世S(英GⅢ) |
2007 |
Jutland |
アブダビCS(首GⅢ) |
2008 |
Certerach |
ドバイ金杯(首GⅡ) |
2008 |
Donn Halling |
伊セントレジャー(伊GⅢ) |
2008 |
Havant |
オーソーシャープS(英GⅢ) |
2008 |
King's Hall |
ヘッセンポカル(独GⅢ)・デュッセルドルフ大賞(独GⅢ) |
2010 |
Empoli |
オイロパ賞(独GⅠ) |
2011 |
Loresho |
ルー賞(仏GⅢ) |
2012 |
Jack Hobbs |
愛ダービー(愛GⅠ)・セプテンバーS(英GⅢ) |