アヌスミラビリス

和名:アヌスミラビリス

英名:Annus Mirabilis

1992年生

鹿毛

父:ウォーニング

母:アンナペトロヴナ

母父:ワッスル

GⅠ競走制覇には手が届かなかったが毎日王冠を制した思い出の地日本で種牡馬入りする事になるもそこで待ち受けていた思いもよらない悲惨な運命

競走成績:2~7歳時に英仏愛首日香米伊豪で走り通算成績30戦9勝2着7回3着6回

誕生からデビュー前まで

ドバイのシェイク・モハメド殿下が率いる馬産団体ダーレースタッドマネージメント社により生産された仏国産馬で、モハメド殿下の所有馬として英国サー・マイケル・ロナルド・スタウト調教師に預けられた。

競走生活(2歳時)

2歳9月にケンプトンパーク競走場で行われたチェルシーロックS(T7F)でデビューした。ここでは単勝オッズ34倍の9番人気と全く評価されていなかったが、後方待機策から追い上げて、勝ち馬スティレットブレードから3馬身差の4着と人気以上の好走を見せた。

それから12日後にヤーマウス競馬場において出走したライフボートS(T7F)では前走の内容が評価されたようで、単勝オッズ3倍の1番人気に支持された。ここでも序盤は馬群の最後方に陣取ってレース後半で追い上げ、残り2ハロン地点で先頭に立って、2着ニューウエストに3馬身差で勝利した。

それから16日後にはニューマーケット競馬場で行われたタタソールズS(T7F)に出走。ここでも単勝オッズ3.5倍の1番人気に支持されると、過去2戦とは異なり積極的に逃げ馬を追走。そして残り3ハロン地点で早くも先頭に立つと、そのままゴールまで粘り切り、2着ムハブに1馬身1/4差で勝利した。

次走のレーシングポストトロフィー(英GⅠ・T8F)では、単勝オッズ5倍の2番人気となった。単勝オッズ2倍の1番人気に推されていたのは未勝利ステークスとハイペリオンSを連続圧勝してきたケルティックスウィングだった。ここでは本馬が逃げ馬を見るように先行して、その少し後方をケルティックスウィングが追いかける展開となった。しかし残り3ハロン地点でケルティックスウィングが本馬をかわして先頭に立つと、そのままどんどん後続を引き離していった。本馬も最終的に2着には粘ったが、勝ったケルティックスウィングには実に12馬身差をつけられてしまった。ケルティックスウィングはこのパフォーマンスにより国際クラシフィケーションにおいて2歳馬としては現在史上最高値となっている130ポンドの評価が与えられ、欧州競馬史上最強の2歳馬として公式に認められる事になった。2歳時の本馬の成績は4戦2勝だった。

競走生活(3歳時)

3歳時は5月のダンテS(英GⅡ・T10F85Y)から始動した。休養明けという事もあってか少し評価が落ちており、単勝オッズ7.5倍の3番人気だった。今回は最後方待機策に戻し、残り2ハロン地点で仕掛けて追い上げてきたが、後の英セントレジャー・アスコット金杯勝ち馬クラシッククリシェに半馬身届かず2着に敗れた。

次走ジャンプラ賞(仏GⅠ・T1800m)では、後のパリ大賞勝ち馬ヴァラヌールが単勝オッズ2倍の1番人気で、本馬は単勝オッズ3.6倍の3番人気だった。ここでは馬群の中団やや後方を追走し、残り400m地点から追い上げていったが、3番手から先に抜け出していたトーレンシャルに鼻差及ばず2着に惜敗した。

次走はセントジェームズパレスS(英GⅠ・T8F)となった。ここでは後に名マイラーとして鳴らすバーリが単勝オッズ3.75倍の1番人気に推されており、本馬も仏2000ギニー馬ヴェットーリやチャーンウッドフォレストと並ぶ単勝オッズ7倍の3番人気とそれなりの評価を受けていた。今回も馬群の中団後方からレースを進めるも、肝心なところで前が開かずに、脚を余してバーリの5馬身半差5着に敗れた。

その12日後には、前走からいきなり4ハロンも距離が伸びた愛ダービー(愛GⅠ・T12F)に出走。このレースで単勝オッズ2.25倍の1番人気に支持されていたのは、仏ダービーを勝ってきたケルティックスウィングで、本馬は単勝オッズ10倍の5番人気だった。他の対戦相手は仏ダービー3着馬ウイングドラヴ、同4着だったクラシッククリシェ、愛ナショナルS勝ち馬デフィニットアーティクル、後に愛セントレジャーを2連覇するオスカーシンドラーなどだった。

レースではケルティックスウィングが馬群の中団後方につけ、本馬もそれをマークするように中団後方につけた。そしてケルティックスウィングが上がっていくとそれを追って上がっていった。2歳時の強さが影を潜めていたケルティックスウィングは4番手で直線を向くが、ここから伸びずに失速。一方の本馬はケルティックスウィングを尻目に直線で末脚を伸ばしたが、またしても途中で不利を受けてしまい、3番手から抜け出して勝ったウイングドラヴとデフィニットアーティクルの2頭に届かず、3/4馬身差の3着に敗れた(本馬から6馬身3/4差の8着に終わったケルティックスウィングはそのまま引退)。直線で不利を受けなければ勝っていた可能性は十分にあり、そうすると本馬の運命は変わっていたかもしれない。

その後は1か月空けて英国際S(英GⅠ・T10F85Y)に出走。このあたり、本馬の距離適性を見極めるべく陣営が試行錯誤している事が伺える。ここではエクリプスSなど7連勝中のホーリング、バーリに次ぐ3番人気(単勝オッズ4.33倍)となった。ここでは好位を追走して抜け出そうとしたが、勝負どころで右側によれてしまい、ホーリングとバーリの2頭に後れを取り、ホーリングの5馬身1/4差3着に終わった。

その後は出走するレースのレベルを落として、エアー競馬場で行われたドゥーンサイドC(T10F)に出走。さすがにここでは格が違っており、単勝オッズ1.73倍の1番人気に応えて、2番手追走から直線であっさりと抜け出して2着キャプテンホレイシャスに5馬身差をつけて1年ぶりの勝ち星を挙げた。

3歳時はこれを最後に休養入りして、この年の成績は6戦1勝となった。この休養中にドバイのサイード・ビン・スルール厩舎に転厩し、馬主名義もゴドルフィンになっている。

競走生活(4歳時)

4歳時は3月に地元ドバイのナドアルシバ競馬場で行われたキーンランドマイル(D1600m)で、ダート戦に初挑戦した。しかし勝ち馬イズティンザーから12馬身差の4着と惨敗。

その後は欧州に戻り、タタソールズ金杯(愛GⅠ・T10F)に出走。2番手を追走するも直線で今ひとつ伸びずに、単勝オッズ6倍の3番人気どおりに、デフィニットアーティクルの4馬身差3着に敗れた。

次走のハードウィックS(英GⅡ・T12F)でも、単勝オッズ6倍の3番人気となった。今回も2番手を走り、前走とは異なり直線でもよく粘ったが、オスカーシンドラーに競り負けて半馬身差2着だった。

続いてプリンセスオブウェールズS(英GⅢ・T12F)に出走。ここでは前走コロネーションCでスウェインの2着してきたシングスピールと顔を合わせた。もっとも、単勝オッズ2.625倍の1番人気に推されていたのは2連勝中のビクィースという馬で、シングスピールは単勝オッズ2.75倍の2番人気、本馬は単勝オッズ5.5倍の3番人気だった。ここでも2番手を追走したが、ゴールまでまだ4ハロンもある段階で早くも先頭に押し出されてしまった。そして直線で単勝オッズ21倍の伏兵ポジドナスとシングスピールの2頭に差されて、ポジドナスの3馬身3/4差3着に敗退した。

次走のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS(英GⅠ・T12F)では、単勝オッズ34倍で8頭立ての最低人気となってしまった。本馬の出走は同馬主同厩の英セントレジャー・アスコット金杯勝ち馬クラシッククリシェのペースメーカー役としてのものだったようで、ここではスタートから先頭に立って馬群を先導。そして残り3ハロン地点で馬群に飲み込まれ、勝ったペンタイアから23馬身も離された5着に敗れた(クラシッククリシェは2着に入っており、ペースメーカーとしての役割は十分に果たした)。

その1か月後にはウインターヒルS(英GⅢ・T10F)に出走。単勝オッズ3.125倍の2番人気での出走となった。ここでは後方待機策から残り4ハロン地点で仕掛けて、直線では単勝オッズ2.75倍の1番人気馬ストームトルーパー、単勝オッズ3.25倍の3番人気馬サーモンラダーとの三つ巴の勝負となった。そして本馬が2着サーモンラダーに3/4馬身差で勝利し、グループ競走出走11戦目にして初勝利を挙げた。

次走は、この年から国際競走となった日本の毎日王冠(日GⅡ・T1800m)となった。GⅢ競走を1勝しているだけの本馬は単勝オッズ10.2倍で12頭立ての6番人気と人気薄であり、上位人気は人気順にNHKマイルC勝ち馬タイキフォーチュン(単勝オッズ3.6倍)、朝日杯三歳S勝ち馬バブルガムフェロー(単勝オッズ5倍)、この年のダイヤモンドSと目黒記念を連勝していたユウセンショウ(単勝オッズ5.1倍)、前走函館記念で1位入線(進路妨害で4着降着)していたマイヨジョンヌ(単勝オッズ5.8倍)、中山金杯勝ち馬ベストタイアップ(単勝オッズ5.9倍)となっていた。短期免許を取得して来日中だったダリル・ホランド騎手を鞍上に迎えた本馬は、トーヨーリファールの逃げを2~3番手で追走。インコースで粘るトーヨーリファールをゴール前で捕らえると、最後は1馬身半差をつけて勝利した。

当時は外国馬に天皇賞への出走権が無かったため本馬もこのまま日本を去ることとなった(4歳時7戦2勝の成績で休養入り)が、この時の3着馬バブルガムフェローが続く天皇賞秋を優勝している。また、この勝利をきっかけに本馬の主戦場は10ハロン前後の距離に絞られることとなる。

競走生活(5歳時)

半年間の休養を経て、5歳時は4月に香港の沙田競馬場で行われたクイーンエリザベスⅡ世C(T2000m)で復帰。オリエンタルエクスプレスやインディジェナスといった日本でもお馴染みの馬達を抑えて1番人気の評価を受けるも、ロンドンニューズの1馬身差3着に敗れた。

欧州に戻り、8月にニューマーケット競馬場で行われたリチャードボルトン保険グループ条件S(T10F)で復帰。ここではさすがに格が違い、単勝オッズ1.73倍の1番人気に応えて、2番手から抜け出して2着サライール(名馬ナシュワンの半妹。後に英1000ギニー・コロネーションS勝ち馬ガナーティの母となる)に1馬身半差で勝利した。

続くウインターヒルS(英GⅢ・T10F)では、前年の勝ち馬という事もあって、134ポンドのトップハンデながらも単勝オッズ2.375倍の1番人気に支持された。ここでは後方待機策に戻し、残り3ハロン地点で仕掛けて残り1ハロン地点で先頭に立ち、2着イーヴントップに3馬身半差をつける快勝で2連覇を達成した。

すると今度は米国に遠征してマンノウォーS(米GⅠ・T11F)に出走。シーザーズ国際HやボーリンググリーンHなどを勝っていたインフルーエントが単勝オッズ2.9倍の1番人気に支持され、本馬は対抗馬として単勝オッズ3.65倍の2番人気となり、ソードダンサー招待Hを勝ってきたGⅠ競走4勝馬アワッドや米国芝路線で堅実に走っていたヴァルスプリンスよりも人気を集めた。レースではインフルーエントが問答無用で逃げまくり、本馬は3番手を追走。そのままの体勢で直線に入ってきたが、ゴール前でヴァルスプリンスやアワッドなどに差されて、インフルーエントの3馬身差5着に敗れた。

続いてこの年2回目の香港に向かい、香港国際C(香GⅡ・T1800m)に参戦。4番人気ながらも単勝オッズ6.8倍と、それなりに評価されていた。しかしゴール前で伸びを欠き、マンノウォーS2着後にターフクラシック招待Sを勝っていたヴァルスプリンスの3馬身半差7着に敗北。5歳時の成績は5戦2勝となった。

競走生活(6・7歳時)

6歳時は1月にナドアルシバ競馬場で行われたANZ銀行S(D1800m)から始動して、シャラフカビールの半馬身差2着。次走のアルタジールグラス競走(D1800m)では、先行してよく粘り、インティカブの1馬身1/4差2着に入った。

ダート中距離戦を2度使って足慣らしをした本馬は、そのままドバイデューティーフリー(D2000m)に出走。先行して直線で後続を突き放し、前走で敗れたインティカブを6馬身差の2着に置き去りにする圧勝で実力の高さを示した。

その後は地球各地を飛び回るかのように転戦。まずは5月に伊共和国大統領賞(伊GⅠ・T2000m)に出走。単勝オッズ1.2倍という圧倒的な1番人気に支持されたが、先行して粘り切れずにポーラープリンスの1馬身1/4差2着に敗れた。

続いて再度来日して鳴尾記念(日GⅡ・T2000m)に出走。横山典弘騎手とコンビを組んだ本馬は、単勝オッズ1.3倍のエアグルーヴに次ぐ2番人気(単勝オッズ6.6倍)に支持された。レースは不良馬場で行われ、重巧者サンライズフラッグが2着エアグルーヴに3馬身差をつけて勝利したが、3番手を追走した本馬も直線でよく粘り、エアグルーヴから1馬身半差の3着とまずまずの走りを見せた。

いったん欧州に戻って、3年連続でウインターヒルS(英GⅢ・T10F)に出走。130ポンドのトップハンデが課されたが、3連覇がかかるだけに単勝オッズ2.25倍の1番人気に支持された。そしてスタートから先行してレースを支配すると直線でも粘り切って首差で勝利し、同競走史上唯一の3連覇を達成した。

そして今度は南半球に向かい、マッキノンS(豪GⅠ・T2000m)に参戦。アンダーウッドSなどGⅠ競走で既に4勝を挙げていたタイザノットが単勝オッズ3.75倍の1番人気に支持され、本馬が単勝オッズ4.75倍の2番人気となった。ここではスタートから先手を取って逃げたが、最後に失速してシャンペンの4馬身差4着に敗れた。6歳時の成績は7戦2勝だった。

7歳時は5月のシャーガーCクラシックS(T9F)のみの出走であり、ここでハンサムリッジの23馬身差10着最下位に敗れたのを最後に、現役生活にピリオドを打った。

実力的にはGⅠ競走の1つや2つは勝っても何らおかしくなかったのだが、全体的に運に恵まれない競走生活だった。しかし本馬の不運はそれだけでは終わらなかったのである。

日本の馬場適性を買われて、日本のレックススタッドで種牡馬入りが決まった本馬は、競走馬引退から5か月後の1999年10月12日、北海道の胆振動物検疫所に到着した。しかし本馬は到着時、長距離輸送の疲れのために高熱を出していた。しかし検疫所は抗生物質等の投与により、伝染病の発現が抑えられる恐れがあるとして関係者からの治療要求を拒否した。本馬は結局なんの治療も施されないまま3週間を検疫所で過ごし、検疫が終わった11月2日に社台クリニックに運ばれ治療が行われたが時すでに遅く、2日後の11月4日に他界した。この結果、検疫所の対応に批判が集まることとなった。このような事態は競馬の盛んな国ではまず考えられず、日本が競馬後進国であることを証明した形となった。国際化が進む現在、検疫の在り方などが問われる事となりそうである。

馬名に関して

馬名はラテン語で「驚異の(Mirabilis)年(Annus)」という意味である(一部には“アヌス”を“肛門”という意味と捉えて揶揄する向きがいるようだが、“肛門”はラテン語で“Anus”という別の単語であり、これは校門と肛門をかけて喜ぶ小学生低学年レベルの話である)。この「驚異の年」とはロンドン大火、ペスト流行、第二次英蘭戦争など大事件が相次いだ(故郷に避難していたアイザック・ニュートンが木から林檎が落ちるのを見て万有引力の法則のヒントにしたとされるのもこの時期である)西暦1666年のことで、ジョン・ドライデン(王政復古時代の英国文学を支配し、その時代が「ドライデンの時代」として知られるほど影響力を有した詩人)がその年について記した歴史詩の題名でもある。また、アルバート・アインシュタインが特殊相対性理論、ブラウン運動に関する分子運動論、光電効果の光電子理論という世界を変えるような3つの論文を発表した西暦1905年を指すこともある。

血統

ウォーニング Known Fact In Reality Intentionally Intent
My Recipe
My Dear Girl Rough'n Tumble
Iltis
Tamerett Tim Tam Tom Fool
Two Lea
Mixed Marriage Tudor Minstrel
Persian Maid
Slightly Dangerous Roberto Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Bramalea Nashua
Rarelea
Where You Lead Raise a Native Native Dancer
Raise You
Noblesse Mossborough
Duke's Delight
Anna Petrovna ワッスル Mill Reef Never Bend Nasrullah
Lalun
Milan Mill Princequillo
Virginia Water
Hayloft Tudor Melody Tudor Minstrel
Matelda
Haymaking Galivanter
Haytime
Anna Paola Prince Ippi Imperial HUN Imi HUN
Hurry
Prinzess Addi Agamemnon
Pindarella
Antwerpen Waldcanter Caran D'Ache
Wappenau
Adelsweihe Wahnfried
Addis Abeba

ウォーニングは当馬の項を参照。

母アンナペトロヴナは英で走り11戦2勝。母としては4頭の子を産み、うち3頭が競走馬として勝ち上がったが、ステークスウイナーは本馬のみである。アンナペトロヴナの母アンナパオラは現役成績8戦5勝。2歳時にヴィンターファヴォリート賞(独GⅢ)を勝って独最優秀2歳馬に選ばれ、3歳時には独オークス(独GⅡ)を勝って独最優秀3歳牝馬にも選ばれた活躍馬。アンナペトロヴナの半姉アンナマトリョーシカ(父ミルリーフ)の子にアンナオブサクソニー【パークヒルS(英GⅢ)】、アナバ【ロワイヤリュー賞(仏GⅡ)・コンセイユドパリ賞(仏GⅡ)】、ポザリカ【ショードネイ賞(仏GⅡ)・ベルトゥー賞(仏GⅢ)】、孫にアンナモンダ【ヴィットーリオディカープア賞(伊GⅠ)・独1000ギニー(独GⅡ)・オイロパマイレ(独GⅡ)】、ヘルメット【AJCサイアーズプロデュースS(豪GⅠ)・豪シャンペンS(豪GⅠ)・コーフィールドギニー(豪GⅠ)】、エポーレット【ゴールデンローズS(豪GⅠ)・ドゥーンベン10000(豪GⅠ)】、曾孫にアーヴェイ【フラワーボウル招待S(米GⅠ)】がいる。また、アンナペトロヴナの半妹にはアンノルーチェ(父オールドヴィック)【ドイツ牝馬賞(独GⅢ)】がおり、アンノルーチェの子にはアニーパワー【メアズチャンピオンハードル(愛GⅠ)2回】がいる。さらに、アンナペトロヴナの半妹アンナオレアンダ(父オールドヴィック)の子には、ミドルクラブ【オマール賞(仏GⅢ)】とパイピングロック【ホーリスヒルS(英GⅢ)】がいる。→牝系:F7号族①

母父ワッスルはミルリーフ直子で現役成績15戦4勝、愛2000ギニー(愛GⅠ)・グリーナムS(英GⅢ)・ロッキンジS(英GⅢ)の勝ち馬。本邦輸入種牡馬だが、メイショウアムール【ブリーダーズゴールドC2回・名古屋大賞典】を出した程度に終わった。

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