ケルティックスウィング

和名:ケルティックスウィング

英名:Celtic Swing

1992年生

黒鹿

父:ダミスター

母:ケルティックリング

母父:ウェルシュページェント

レーシングポストトロフィーの大差勝ちにより欧州競馬史上最強の2歳馬という評価を獲得した仏ダービー馬

競走成績:2・3歳時に英仏愛で走り通算成績7戦5勝2着1回

誕生からデビュー前まで

ラヴィニア・ノーフォーク公爵夫人により生産された英国産馬で、彼女の娘である女性調教師ヘリス女史の調教を受けた。デビュー前調教を受ける本馬の姿が、英国競馬公社の会長ピーター・サヴィル氏の専属騎手ケヴィン・ダーレイ騎手の目に留まり、本馬はダーレイ騎手の薦めを受けたサヴィル氏により購入された。主戦はダーレイ騎手が務め、本馬の全レースに騎乗した。

競走生活(2歳時)

2歳7月に英国エアー競馬場で行われた芝7ハロンの未勝利ステークスでデビューした。後のジムクラックSの勝ち馬チリービリーが単勝オッズ1.5倍という断然の1番人気に支持されており、本馬は単勝オッズ4.5倍の2番人気だった。しかし先行して残り1ハロン地点で先頭に立った本馬が2着エイトシャープに4馬身差をつけて圧勝し、チリービリーはエイトシャープから1馬身1/4差の4着に終わった。

次走は10月にアスコット競馬場で行われたハイペリオンS(T7F)となり、ここでは単勝オッズ2.375倍の1番人気に支持された。しかしこの数字でも結果的にはオッズが高すぎたと言わざるを得ず、先行して残り3ハロン地点で先頭に立った本馬がどんどん後続を引き離していき、最後は2着に上がったシングスピールに8馬身差をつける快走を見せたのだった。後にジャパンC・ドバイワールドC・加国際S・コロネーションC・英国際Sに勝利するなど、世界有数の名馬として活躍する事になるシングスピールも、この時点における本馬の前では赤子同然であった。

本馬は、それから2週間後のレーシングポストトロフィー(英GⅠ・T8F)に向かった。ソマーヴィルタタソールSを勝ってきたアヌスミラビリス、ロイヤルロッジSで3着してきたジュユシュ、タタソールズホーソンセールズSを勝ってきたドンコルレオーネ、ソラリオS3着馬ファハルなど7頭が対戦相手となった。本馬が単勝オッズ2倍の1番人気に支持され、アヌスミラビリスが単勝オッズ5倍の2番人気、ジュユシュとドンコルレオーネが並んで単勝オッズ7.5倍の3番人気となった。この数字を見れば分かるように、本馬が勝つ可能性が1番高いだろうが、それでも絶対的な存在ではないというのが前評判だった。しかしレースでは他馬との圧倒的な実力差を見せつける。スタートからファハルが逃げを打ち、本馬はそれを見るように先行した。そして残り3ハロン地点で先頭に立つと、後は完全に本馬の独壇場。後続をひたすら引き離し続け、最後は2着アヌスミラビリスに12馬身もの大差をつけて大圧勝した。本馬がゴールするかなり以前から、観衆の間からは拍手が起こっていた。

このレースのスポンサーであるレーシングポスト紙の資料には“very impressive”と書かれている。この名馬列伝集を編むために筆者はレーシングポスト紙の資料を山のように見てきたが、どんな圧勝劇でも“impressive”と書かれているのが関の山であり、“very impressive”を本項執筆前に見たのは、1992年のデューハーストSを圧勝したザフォニックくらいしか記憶に無い(後には何度か目にしている)。

2歳時の成績は3戦3勝で、レーシングポストトロフィーの驚異的なパフォーマンスから、この年のカルティエ賞最優秀2歳牡馬のタイトルを受賞するとともに、国際クラシフィケーションでは2歳馬としては1978年のトロモス(131)に次ぐ史上2位タイの130ポンドのレーティングを獲得した(この3年前に2歳でカルティエ賞年度代表馬に輝いたアラジも同じ130)。なお、2013年にワールド・サラブレッド・レースホース・ランキングが実施した過去のレーティング見直しにより、トロモスは125ポンドに、アラジは129ポンドに下げられたが、本馬の数値は変更無しであり、本馬以降に本馬より高い数値を獲得した2歳馬もいないため、公式には本馬が1977年以降では欧州最強の2歳馬ということになっている。

また、英タイムフォーム社のレーティングでは、2歳馬としては1951年にウインディシティが獲得した142ポンドに次ぐ史上2位タイ(1955年のスターオブインディアと同値)となる138ポンドの評価を与えられた。ちなみにアラジは135ポンドだった。アラジの項でも書いたが、英タイムフォーム社の2歳馬に対するレーティングは、国際クラシフィケーションが開始された1977年頃から評価が辛くなっており、1976年までは毎年平均3.4頭の2歳馬が130ポンド以上の評価を受けていたのに対し、1977年以降は毎年平均0.87頭までに激減していることから、本馬の評価は2歳馬としては事実上歴代最高のものである。

この時点において、本馬は競馬史上に前例が無いほど偉大な馬になり得る器という評価を受けており、英2000ギニーや英ダービーの前売りオッズでも、前者は2.75倍、後者は4倍と、この時点としては圧倒的な支持を集めた。また、陣営は1970年のニジンスキー以来となる英国三冠馬を目指す旨を宣言したが、本馬なら容易に英国三冠を達成できるだろうとする意見が主流を占めており、英国の高級紙タイムズの社説でも同様の見解が示されたほどだった。

競走生活(3歳時以降)

3歳時はまず、英2000ギニーの前哨戦である4月のグリーナムS(英GⅢ・T7F)で戦線に復帰して、単勝オッズ1.44倍の1番人気に支持された。2番人気のピースエンヴォイという馬が単勝オッズ10倍だったから、まさしく圧倒的な人気だった。スタートから先行した本馬は、残り2ハロン地点で悠々と先頭に立った。ピースエンヴォイやクリテリウムドメゾンラフィットの勝ち馬ビショップオブカシェルが後方でもがいている中、唯一本馬を追撃してきたのは、後にセントジェームズパレスS・クイーンエリザベスⅡ世Sを勝つバーリだった。しかし残り1ハロン地点でダーレイ騎手が本馬に気合を入れるとさらに伸び、2着バーリに1馬身1/4差をつけて勝利した(3着ムーンキングはバーリから9馬身後方)。

続いて英2000ギニー(英GⅠ・T8F)に向かった。サラマンドル賞・デューハーストS・ジェベル賞など5戦全勝の仏国調教馬ペニカンプ、ヨーロピアンフリーHを勝ってきたディフィデント、バーリ、ホーリスヒルS・クレイヴンSの勝ち馬ペインターズロウ、クレイヴンS3着馬エヌワーミス、ミドルパークSとデューハーストSでいずれも2着だった独国のGⅡ競走モエエシャンドンレネンの勝ち馬グリーンパーヒューム、本馬がデビュー戦で一蹴したジムクラックSの勝ち馬チリービリーなどが対戦相手となったが、本馬が1947年のテューダーミンストレル(2.375倍)や1993年のザフォニック(1.83倍)を上回る(下回ると書くべきか)、単勝オッズ1.8倍という同競走史上有数の圧倒的1番人気に支持された(20世紀以降における史上1位は1974年のアパラチーの1.44倍。19世紀以前であれば、1885年にパラドックスが単勝オッズ1.33倍に、1896年にセントフラスキンが単勝オッズ1.12倍に支持された例がある)。レース前の予想コーナーにおいて、英国の競馬解説者ジョン・マククリリック氏は、このレースは本馬の勝利という結果に決まっていると主張していた英タイムフォーム社のジム・マクグラス氏に対して、「最低でも8馬身差はつけて勝たないと貴方の負けです」と言ったというから、大半の人間が本馬の勝利を確信していたようである。

レースではスタートでやや後手を踏んだが慌てず道中は中団につけ、残り3ハロン地点で抜け出して粘り込みを図った。しかし本馬を徹底マークしていた単勝オッズ5.5倍の2番人気馬ペニカンプに外側から一気にかわされた。それでもペニカンプに並びかけて叩き合いに持ち込み、ゴール前では差を縮めたが、頭差及ばずに初黒星を喫し、早くも英国三冠馬の夢は絶たれてしまった。

英2000ギニー当日のニューマーケット競馬場は堅良馬場であり、ペニカンプの勝ちタイム1分35秒16は同レース史上2番目に速いものであった。陣営は英2000ギニーの敗因を堅い馬場に求めていたようである。それでも馬主のサヴィル氏は英ダービーを次の目標に据えていたが、しばらくして本馬が膝に不安を抱えている事が判明。サヴィル氏は、脚部不安を抱える本馬には晴天続きで硬い馬場になりそうなエプソム競馬場は不向きであるという判断をしたために、英ダービーは回避となった(この年の英ダービーは予想どおりの堅良馬場となり、ラムタラがコースレコードで勝利している)。

代わりに馬場が渋りそうな仏ダービー(仏GⅠ・T2400m)に追加登録料を支払って出走した。対戦相手は、オカール賞を勝ってきたリファプール、グレフュール賞を勝ってきたダイヤモンドミックス、ノアイユ賞を勝ってきた仏グランクリテリウム2着馬ウォークオンミックス、スレーヌ賞を勝ってきたウイングドラヴ、ダンテSを勝ってきたクラシッククリシェ、リュパン賞を勝ってきたフレメンスファース、ドゥラヴル賞を勝ってきたアフィダビット、クリテリウムドサンクルー・コンデ賞の勝ち馬でオカール賞2着のポリグロートなどだった。愛国心が強くて地元馬を贔屓する傾向がある仏国の競馬ファンも、さすがに本馬を単勝オッズ2倍の1番人気に支持。リファプールが単勝オッズ3.8倍の2番人気、ダイヤモンドミックスとウォークオンミックスのカップリングが単勝オッズ4.8倍の3番人気と続いた。

レースは、単勝オッズ118倍の最低人気馬コモナーが先頭に立ち、本馬やポリグロートが2~3番手を先行する展開となった。そのまま直線に入ると、残り400m地点でポリグロートが先頭に立ち、それに本馬も並びかけていった。残り300m地点からこの2頭の一騎打ちとなったが、最後は本馬が競り勝って、半馬身差で勝利を収めた。しかし勝つには勝ったが、2歳時の圧倒的な強さと比べると物足りない内容だった。

次走候補は愛ダービーとサンクルー大賞の2競走だったが、競馬マスコミの圧力に屈したサヴィル氏の判断により、愛ダービー(愛GⅠ・T12F)の方に出走した。出走してくれば本馬と人気を分け合ったと思われる英ダービー馬ラムタラの姿は無く、仏ダービーで3着だったウイングドラヴ、仏ダービー4着後にキングエドワードⅦ世Sで2着してきたクラシッククリシェ、愛ナショナルSなど3戦無敗のデフィニットアーティクル、ダンテS・ジャンプラ賞で2着していたアヌスミラビリス、リングフィールドダービートライアルSの勝ち馬ムンウォー、伊ダービー2着馬コートオブオナー、レパーズタウン2000ギニートライアルS2着馬オスカーシンドラーなどが相手となった。本馬が単勝オッズ2.25倍の1番人気に支持され、ウイングドラヴとデフィニットアーティクルの2頭が並んで単勝オッズ6倍の3番人気となった。今回の本馬は馬群の中団好位を追走し、4番手で直線に入ってきた。しかしここから伸びずに、勝ったウイングドラヴから7馬身半差をつけられた8着に敗退。ウイングドラヴやクラシッククリシェ(5着)といった仏ダービーで負かした馬だけでなく、かつてレーシングポストトロフィーで全く相手にしなかったアヌスミラビリス(3着)にも遅れる結果となってしまった。

そしてレース後に靭帯を損傷している事が判明したために3歳時はその後全休となり、この年の成績は4戦2勝、英国三冠競走は未勝利に終わった。ちなみに愛ダービーは堅良馬場、サンクルー大賞は重馬場(カーネギーが勝利)となっており、結果論にはなるがサンクルー大賞に出走したほうが良かったようである。

4歳時も現役を続けて、秋の凱旋門賞を狙う予定であったが、故障の回復具合が思わしくなく、結局愛ダービー以降は1度もレースに出ることなく4歳7月に現役引退が発表された。1年半前に欧州競馬界を騒然とさせた“Wonder horse”はひっそりと現役生活に幕を下ろした。

馬名に関して

馬名を直訳すると「ケルト系のスウィング音楽」という意味で、北アイルランド出身の世界的ロック歌手ヴァン・モリソン氏の存在と、母ケルティックリングの馬名からの連想であるという(アイルランドはケルト文化の中心地であり、モリソン氏の音楽にはケルト文化の要素が強い)。本馬が出走したレースの映像を見ると、実況は「セルティックスウィング」と発音しているようだから、本項でもその表記にしようかとも思ったが、馬名由来となったケルト文化に揃えることにした。

血統

ダミスター Mr. Prospector Raise a Native Native Dancer Polynesian
Geisha
Raise You Case Ace
Lady Glory
Gold Digger Nashua Nasrullah
Segula
Sequence Count Fleet
Miss Dogwood
Batucada Roman Line Roman Sir Gallahad
Buckup
Lurline B. Alibhai
Belle Cane
Whistle a Tune Double Jay Balladier
Broomshot
Siama Tiger
China Face
Celtic Ring Welsh Pageant Tudor Melody Tudor Minstrel Owen Tudor
Sansonnet
Matelda Dante
Fairly Hot
Picture Light Court Martial Fair Trial
Instantaneous
Queen of Light Borealis
Picture Play
Pencuik Jewel Petingo Petition Fair Trial
Art Paper
Alcazar Alycidon
Quarterdeck
Fotheringay Right Royal Owen Tudor
Bastia
La Fresnes Court Martial
Pin Stripe

父ダミスターはミスタープロスペクターの直子で、現役成績代は16戦4勝。ダンテS(英GⅡ)・グレートヴォルティジュールS(英GⅡ)・サンダウンクラシックトライアル(英GⅢ)とグループ競走を3勝したが、英ダービー(英GⅠ)ではスリップアンカーの3着、愛ダービー(愛GⅠ)ではロウソサイエティの3着、BCターフ(米GⅠ)ではマニラの2着と、大レースでは勝ち切れなかった。引退後は英国で種牡馬入りしていたが、1994年に日本に輸入された。種牡馬入り当初はそれほど目立った種牡馬成績は残していなかったが、日本に輸入された年に本馬がカルティエ賞最優秀2歳牡馬になったため大きく注目された。日本でも後に名短距離馬トロットスターを輩出している。

母ケルティックリングは現役時代6戦1勝。本馬の半妹ケルティックフリング(父ライオンキャヴァーン)の子にレインボーピーク【伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ)】が、ケルティックリングの従兄弟にムーンマッドネス【英セントレジャー(英GⅠ)・サンクルー大賞(仏GⅠ)・ジェフリーフリアS(英GⅡ)・ヨークシャーC(英GⅡ)・カンバーランドロッジS(英GⅢ)】、シェリフズスター【コロネーションC(英GⅠ)・サンクルー大賞(仏GⅠ)・キングエドワードⅦ世S(英GⅡ)・グレートヴォルティジュールS(英GⅡ)】、ラッキームーン【グッドウッドC(英GⅢ)】の3兄弟が、ケルティックリングの伯父にラグストーン【アスコット金杯(英GⅠ)・ヘンリーⅡ世S(英GⅢ)】がおり、全体的にスタミナ色の強い牝系である。ケルティックリングの5代母ヘリングボーンは、英1000ギニー・英セントレジャーを勝った名牝。→牝系:F8号族②

母父ウェルシュページェントは現役成績20戦11勝。ロッキンジS2連覇・クイーンアンS・クイーンエリザベスⅡ世S・セントジェームズS(現ダイオメドS)・ハンガーフォードSを勝つなどマイル路線で活躍した。他に、英2000ギニー・エクリプスS・英チャンピオンSでいずれも3着の実績がある。ウェルシュページェントの父テューダーメロディは、テューダーミンストレルの直子で、2歳時にチェシャムS・プリンスオブウェールズSなど5連勝して2歳フリーハンデでトップにランクされたが、3歳時に米国に移籍して以降の成績は振るわず、通算成績17戦7勝に終わった。種牡馬としては英国ナショナルスタッドで供用され、2度の英愛2歳首位種牡馬に輝く活躍を見せた。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は英国ナショナルスタッドで種牡馬入りし、豪州コリングローヴスタッドにもシャトルされた(最初に種牡馬入りしたのは仏国エトレアム牧場であり、英国ナショナルスタッドに移動したのは後の話であるとする資料もある。また、英国ではなく愛国ナショナルスタッドだとする資料もあり、はっきりしない)。2010年に伊国ベスナテ飼育場に移動し、同年9月に大腸炎の激しい発作を起こしたために18歳で安楽死の措置が執られた。

産駒のステークスウイナーは23頭と並であり、種牡馬として大きな成功を収めたとは言い難いが、それでも、シックスパーフェクションズテイクオーバーターゲットという2頭の大物競走馬を出している。2002年にはシックスパーフェクションズの活躍により仏2歳首位種牡馬を獲得している。しかし牡馬の活躍馬がいないため後継種牡馬はいない。産駒はマイル戦を得意とし、また早熟傾向が強いが、テイクオーバーターゲットのように古馬になっても活躍する産駒もいる。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1998

Celtic Mill

テンプルS(英GⅡ)

1999

Celtus

CBコックスS(豪GⅡ)

1999

Takeover Target

スプリンターズS(日GⅠ)・VRCサリンジャーS(豪GⅠ)・ライトニングS(豪GⅠ)・ニューマーケットH(豪GⅠ)・ドゥーンベン10000(豪GⅠ)・TJスミスS(豪GⅠ)・グッドウッドH(豪GⅠ)・キングズスタンドS(英GⅡ)・WATCウインターボトムS(豪GⅡ)・サマーS(豪GⅢ)・クリスフライヤー国際スプリント(星GⅢ)・AJスカヒルS(豪GⅢ)

2000

Six Perfections

BCマイル(米GⅠ)・マルセルブサック賞(仏GⅠ)・ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)・カルヴァドス賞(仏GⅢ)

2003

Rattle and Hum

伊2000ギニー(伊GⅡ)

2004

Midnight Beauty

コンデ賞(仏GⅢ)

2007

Flowers of Spring

デニーコーデルラヴァラックフィリーズS(愛GⅢ)

2007

Midnight Soprano

ノーブレスS(愛GⅢ)

2008

Ansgar

キヴトンパークS(英GⅡ)・ミンストレスS(愛GⅢ)・スプリームS(英GⅢ)

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