アルカセット
和名:アルカセット |
英名:Alkaased |
2000年生 |
牡 |
鹿毛 |
父:キングマンボ |
母:チェサプラナ |
母父:ニニスキ |
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デビュー当初は芽が出なかったが古馬になって成長し、ハーツクライとの大接戦を制してホーリックスの記録を更新する日本レコードでジャパンCを優勝 |
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競走成績:2~5歳時に英仏日で走り通算成績16戦6勝2着7回 |
誕生からデビュー前まで
米国ケンタッキー州クローバリーファームの生産馬で、ドバイのシェイク・ハムダン殿下により35万ドルで購入され、英国サー・マイケル・スタウト調教師に預けられた。
競走生活(2・3歳時)
2歳9月にドンカスター競馬場で行われたセントローレンス条件S(T7F)でデビューした。単勝オッズ9倍の3番人気だったが、スタートで出遅れて後方からのレースとなり、ゴール前の追い込み及ばず、単勝オッズ1.8倍の1番人気に応えて勝ったマグハニムから3馬身1/4差の4着に敗退した。
翌月にはニューマーケット競馬場で行われた芝8ハロンの未勝利ステークスに出走した。前走でゴール前に見せた末脚が評価されたのか、ここでは単勝オッズ2.75倍の1番人気に支持された。ところが今回は普通にスタートを切ってそのまま逃げを打ち、ゴール前で失速して、勝ち馬パーシャンマジェスティーから4馬身半差の4着に敗退。2歳時は2戦未勝利に終わった。
3歳時は6月にヤーマウス競馬場で行われた芝11ハロン101ヤードの未勝利ステークスから始動。単勝オッズ2.25倍の1番人気に支持された。ここでは馬群の中団後方を追走し、先頭を飛ばしていた後のパークヒルS2着馬フロリーダを追撃したが、届かずに2馬身半差の2着に敗れた。
次走は8月にリボン競馬場で行われた芝12ハロン60ヤードの未勝利ステークスとなった。ここでは単勝オッズ1.125倍という圧倒的な1番人気に支持された。そして先行してレース中盤で先頭に立つと、そのまま2着ラホブに4馬身差をつけて快勝し、4戦目でようやく未勝利を脱出した。
その後は10月にニューマーケット競馬場で行われたプラグスH(T14F)に出走した。130ポンドのトップハンデが課され、単勝オッズ5倍の2番人気となった。そしてレースでもスタートからゴールまでずっと2番手のままで、勝ったテンカラット(斤量129ポンドで単勝オッズ3.5倍の1番人気だった)から1馬身差の2着に終わった。
その9日後のレイティドS(T11F183Y)では、133ポンドのトップハンデながらも、単勝オッズ2.875倍の1番人気に支持された。ここでも2番手を追走し、直線ではいったん先頭に立ったのだが、ゴール前で13ポンドのハンデを与えた単勝オッズ21倍の伏兵ダヴドンヒーローに差されて、短頭差の2着に敗れた。
デビューから6戦して1勝止まりという状況に見切りをつけたハムダン殿下は、本馬を同月のタターソルズオータムセールに出品した。ここで本馬はマイケル・R・チャールトン氏により4万2千ギニーで購入され、ルカ・クマーニ厩舎に転厩した。このとき本馬は脚部不安を抱えており、再度走れる確率は半分と言われていたため、チャールトン氏は購入を迷ったが、友人であるジョン・ハモンド調教師が強く薦めたために購入を決断したという。本馬の世話は日本人厩務員の古川大輔氏が担当することになり、彼は本馬の事を「太郎」と呼んでいたという。
競走生活(4歳時)
3歳時は4戦1勝の成績で終え、4歳時は6月にニューマーケット競馬場で行われたクラシファイドS(T12F)から始動した。ここでは単勝オッズ4.5倍の2番人気であり、やはり2番手追走からそのまま前に追いつけずに、勝ったヴンダーウッドから頭差の2着に敗れた。
次走はヘイドックパーク競馬場で行われたヘリテージH(T11F200Y)となった。ハンデ競走らしく非常に人気が割れており、本馬は単勝オッズ8倍ながら2番人気となった。しかし初コンビを組んだジミー・フォーチュン騎手を鞍上に、2番手追走から残り2ハロン地点で先頭に立つと、その後に左側によれながらも後続馬を突き放し、2着クロウウッドに4馬身差で圧勝した。この結果により、フォーチュン騎手が本馬の主戦となった。
次走はグッドウッド競馬場で行われたリステッド競走グロリアスS(T12F)となった。デビュー2戦目の本馬を負かしたハードウィックS3着馬パーシャンマジェスティーや、後のロンズデールS勝ち馬ファーストチャーターなどの姿があったが、本馬が単勝オッズ3.75倍の1番人気に支持された。ここでは3番手を追走し、残り1ハロン地点からは4番手を走っていたファーストチャーターとの叩き合いとなった。そして本馬が首差で勝利を収めた。
次走はグループ競走初出走となるセプテンバーS(英GⅢ・T12F)となった。出走馬は本馬を含めて僅か4頭だったが、グレートヴォルティジュールS・プリンセスオブウェールズS・リングフィールドダービートライアルS・ゴードンS・ブリガディアジェラードSとグループ競走5勝を挙げていた英セントレジャー3着馬バンダリ、バーデン大賞・オイロパ賞・ヨークシャーC・クイーンズヴァーズとグループ競走4勝を挙げていたマムールが出走しており、レベル自体は決して低くなかった。それでも本馬は勢いが買われたのか、単勝オッズ2.5倍の1番人気に支持された。レースはバンダリが逃げて、マムールが2番手、本馬が3番手につけた。そして先に抜け出したマムールを直線で追いかけたが、半馬身届かず2着に敗れた。4歳時は4戦2勝2着2回の成績だった。
競走生活(5歳時)
5歳になるとさらに実力をつけた。シーズン初戦のジョッキークラブS(英GⅡ・T12F)では、前年のサンクルー大賞・ジョッキークラブS勝ち馬で愛セントレジャー2着のガマット、コロネーションC2回・バーデン大賞・ジョッキークラブSなどを勝っていたウォーサン、前年のセプテンバーSで本馬から1馬身1/4差の3着だったバンダリなどを抑えて、単勝オッズ3倍の1番人気に支持された。ここではスタートがあまり良くなく後方からのレースとなったが、焦らずに他馬を追走し、残り2ハロン地点で仕掛けると、右側に切れ込みながらも残り1ハロン地点で先頭に立ち、2着ガマットに1馬身半差をつけて勝利した。
次走はGⅠ競走初登場となるコロネーションC(英GⅠ・T12F10Y)となった。対戦相手は、前走で4着だったウォーサン、前年の英ダービーで本命視されながらも直前の故障で本番を回避していたデリンズタウンスタッドダービートライアルS・バリサックスS勝ち馬イェーツ、前走ガネー賞で凱旋門賞馬バゴの短首差2着していたショードネイ賞勝ち馬リーフスケープ、コンセイユドパリ賞勝ち馬プライド、前走でガマットから短頭差の3着だったバンダリなどだった。本馬は3連覇がかかるウォーサンを抑えて、単勝オッズ3倍の1番人気に支持された。ここでは馬群の最後方に陣取り、タッテナムコーナーで少し位置取りを上げると、5番手で直線に入ってきた。そして残り2ハロン地点で仕掛けて追い上げてきたが、スタートからずっと逃げていたイェーツが、後に史上初のアスコット金杯4連覇を果たして4年連続でカルティエ賞最優秀長距離馬に選出されるほどのスタミナ能力を存分に発揮して粘り切り、本馬は2馬身半差2着に敗れた。
次走のサンクルー大賞(仏GⅠ・2400m)では、前年の凱旋門賞を筆頭にクリテリウム国際・ジャンプラ賞・パリ大賞・ガネー賞とGⅠ競走で5勝を挙げていたバゴという強敵が出現した。他にも、イェーツ、前走で本馬から3馬身差の3着だったリーフスケープ、シャンティ大賞を勝ってきたジョージーランド、前年のサンクルー大賞でガマットの2着だったドーヴィル大賞・シャンティ大賞・フォワ賞勝ち馬ポリシーメイカー、豪州でヴィクトリアダービー・アンダーウッドS・コーフィールドC・CFオーアSとGⅠ競走4勝を挙げた後に海外遠征してドバイデューティーフリーを勝っていたエルヴストロームなどが出走していた。
ここでフォーチュン騎手はイェーツに騎乗する事になったため、本馬には初コンビとなるランフランコ・デットーリ騎手が騎乗した。バゴが単勝オッズ2.25倍の1番人気、イェーツが単勝オッズ4倍の2番人気で、本馬は単勝オッズ7倍の3番人気だった。スタートが切られるとバゴ陣営が用意したペースメーカー役のイマゴムンディが逃げを打ち、イェーツは今回3番手につけ、本馬は中団待機、バゴは後方待機策を採った。本馬はバゴより先に仕掛けると2番手で直線に入り、残り300m地点で先頭に立った。そして後方から来たポリシーメイカーとバゴの追撃を完封。2着ポリシーメイカーに2馬身差、3着バゴにはさらに2馬身差をつけて、GⅠ競走勝ち馬となった。
秋は凱旋門賞を目指して前哨戦のフォア賞(仏GⅡ・2400m)から始動した。このレースにおける強敵は、独ダービー・伊ジョッキークラブ大賞の勝ち馬シロッコと、コロネーションC6着後にジャンロマネ賞を勝ってきたプライドの2頭だった。単勝オッズ1.91倍の1番人気に支持された本馬は後方2番手につけ、直線に入ると末脚を伸ばしてきた。しかしやはり後方待機策から直線で先に抜け出していたプライドを捕らえる事が出来ず、2馬身半差の2着に敗れてしまった。
この結果を受けて凱旋門賞は回避となり、代わりに英チャンピオンS(英GⅠ・T10F)に出走した。ここでは、ジャンリュックラガルデール賞・エクリプスS・愛チャンピオンS・愛フューチュリティSなどの勝ち馬オラトリオ、オペラ賞・香港C・プリティポリーS・ナッソーSとGⅠ競走4勝の名牝アレクサンダーゴールドラン、凱旋門賞でハリケーンランの7着だったプライド、伊ダービー・伊共和国大統領賞・英チャンピオンS・プリンスオブウェールズS・クイーンエリザベスⅡ世S・ロッキンジSとGⅠ競走6勝を挙げていたラクティ、ギョームドルナノ賞の勝ち馬ピンソン、ジョエルSを勝ってきたロブロイ、ラクープドメゾンラフィットを勝ってきたプロスペクトパーク、カブール賞・ソヴリンSの勝ち馬でモルニ賞2着のレイマン、英国際S3着馬マラーヘル、セレブレーションマイル2連覇のシックなどが対戦相手となった。エクリプスS・愛チャンピオンSを連勝してきた勢いが買われたオラトリオが単勝オッズ3.25倍の1番人気となり、本馬は単勝オッズ7倍の2番人気となった。ここでは本馬は後方から早い段階で進出する作戦に出た。しかし仕掛けが早すぎたのかゴール前では脚が止まってしまい、単勝オッズ26倍の人気薄を覆して勝ったデビッドジュニアから4馬身1/4差の5着に敗れた。
その後はベルモントパーク競馬場で行われるBCターフ出走を目指して渡米したが、現地入厩後に血球数の異常が判明して出走を回避することになってしまった。本馬不在のBCターフは、フォア賞で本馬から2馬身差の3着、凱旋門賞で4着だったシロッコが勝利した。
ジャパンC
その後、かつてクマーニ師の元で見習い騎手として修行を積んだデットーリ騎手の進言により、本馬は来日してジャパンC(日GⅠ・2400m)に参戦することになった。前年のジャパンCは海外馬の層が薄かったが、この年はなかなかの好メンバーが参戦していた。前年の英オークス・愛オークス・BCフィリー&メアターフを制してカルティエ賞年度代表馬に選ばれていたウィジャボード、サンクルー大賞で本馬の3着に敗れた後にキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSと凱旋門賞で3着、BCターフで4着してきたバゴ、BCターフ・ソードダンサー招待H・ユナイテッドネーションズS・マンノウォーSとGⅠ競走4勝のベタートークナウ、ソードダンサー招待S・レッドスミスHの勝ち馬でマンノウォーS2着のキングスドラマ、コロネーションCで4着に敗れて3連覇を逃したが、その後にバーデン大賞の2連覇を達成してきたウォーサンが出走していた。対する日本馬勢は、前年の天皇賞秋・ジャパンC・有馬記念を3連勝して中央競馬年度代表馬に選出されたゼンノロブロイ、東京優駿と宝塚記念で2着していた京都新聞杯勝ち馬ハーツクライ、前走の菊花賞で三冠馬ディープインパクトの2着に入った良血馬アドマイヤジャパン、2年前のジャパンCを9馬身差で圧勝していた宝塚記念・金鯱賞3回・京都大賞典などの勝ち馬タップダンスシチー、札幌記念と天皇賞秋を連勝してきたヘヴンリーロマンス、阪神大賞典・京都大賞典の勝ち馬で菊花賞・有馬記念2着のリンカーン、半年前の天皇賞春を勝っていたスズカマンボ、前年の皐月賞とジャパンCで2着していた弥生賞・セントライト記念勝ち馬コスモバルクなどが出走していた。
本馬は順調さを欠いた臨戦過程ながらも日本向きの血統が評価されたようで、単勝オッズ10.6倍で3番人気の支持を受けた。単勝オッズ2.1倍の1番人気はゼンノロブロイ、単勝オッズ7.2倍の2番人気はハーツクライで、アドマイヤジャパンが単勝オッズ11.9倍の4番人気、前走BCフィリー&メアターフで2着に敗れて2連覇を逃していたウィジャボードが単勝オッズ12.8倍の5番人気、バゴが単勝オッズ12.9倍の6番人気と続いていた。
本馬の鞍上は2度目のコンビとなるデットーリ騎手だった。スタートが切られるとタップダンスシチーが逃げを打ち、それをストーミーカフェが追撃。アドマイヤジャパンは4番手につけ、ウィジャボードやバゴは馬群の中団。その直後に本馬がつけ、さらにその直後をゼンノロブロイが追走。ハーツクライはさらに後方からレースを進めた。タップダンスシチーが刻んだペースは最初の1000m通過が58秒3という、かなり速いものだった。三角に入ったところでデットーリ騎手は本馬を馬群の中に突っ込ませて、位置取りを上げていった。直線に入ってしばらくはタップダンスシチーが先頭で粘っていたが、2年前の再現は成らずにやがて失速。そこへ好位から差してきたウィジャボードがやって来て、さらにその外側から本馬も伸びてきた。本馬がタップダンスシチーとウィジャボードをまとめてかわして先頭に立ったところに、今度は外側からゼンノロブロイが追い上げてきた。しかしゼンノロブロイに並ばれそうになった本馬は二段階ロケットのように伸びて、ゼンノロブロイに抜かさせなかった。そのまま本馬が押し切って勝つと思われたゴール前で、ウィジャボードと本馬の間からハーツクライが猛然と追い込んできた。脚色は明らかにハーツクライが優勢であり、そのままなら順位が逆転していたところだったが、ここで本馬が三段階ロケットのような粘りを発揮し、2頭がほぼ当時にゴールイン。そして写真判定の結果、本馬が鼻差先着しており、2002年のファルブラヴ以来3年ぶりとなる海外馬によるジャパンC制覇を成し遂げた。なお2015年現在、本馬以降にジャパンCを海外馬が制した例は無い。
勝ちタイム2分22秒1は1989年のジャパンCでホーリックスが記録した日本レコードを0秒1更新する素晴らしいものだった。デットーリ騎手は1996年のシングスピール、2002年のファルブラヴに続いてジャパンC最多となる3勝目を挙げた(3勝全てが鼻差の勝利だった)。
その後、香港ヴァーズに出走するために1度日本を出国したが、本馬の能力を評価したドバイのシェイク・モハメド殿下により購入されて日本で種牡馬入りする事が決定したため、香港ヴァーズには出ずにそのまま5歳時6戦3勝の成績で競走馬を引退する事になった。
血統
Kingmambo | Mr. Prospector | Raise a Native | Native Dancer | Polynesian |
Geisha | ||||
Raise You | Case Ace | |||
Lady Glory | ||||
Gold Digger | Nashua | Nasrullah | ||
Segula | ||||
Sequence | Count Fleet | |||
Miss Dogwood | ||||
Miesque | Nureyev | Northern Dancer | Nearctic | |
Natalma | ||||
Special | Forli | |||
Thong | ||||
Pasadoble | Prove Out | Graustark | ||
Equal Venture | ||||
Santa Quilla | Sanctus | |||
Neriad | ||||
チェサプラナ | Niniski | Nijinsky | Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | ||||
Flaming Page | Bull Page | |||
Flaring Top | ||||
Virginia Hills | Tom Rolfe | Ribot | ||
Pocahontas | ||||
Ridin' Easy | Ridan | |||
Easy Eight | ||||
Top of the League | High Top | Derring-Do | Darius | |
Sipsey Bridge | ||||
Camenae | ヴィミー | |||
Madrilene | ||||
Home and Away | Home Guard | Forli | ||
Stay at Home | ||||
Garden of Eden | Exbury | |||
Mesopotamia |
父キングマンボは当馬の項を参照。
母チェサプラナは現役成績22戦3勝。グループ競走勝ちは無かったが、メルクフィンク銀行賞(独GⅠ)・独1000ギニー(独GⅡ)・独セントレジャー(独GⅡ)で2着、アラルポカル(独GⅠ)・ハンザ賞(独GⅡ)で3着するなどした活躍馬。チェサプラナの全弟にはサンセバスチャン【カドラン賞(仏GⅠ)】、半妹にはノウシュキー(父ポリッシュプレシデント)【ランカシャーオークス(英GⅢ)・2着英オークス(英GⅠ)】がいる。ノウシュキーの孫にはサッジャー【ドバイデューティーフリー(首GⅠ)・ジェベルハッタ(首GⅠ)】がいる。チェサプラナの祖母ホームアンドアウェイの半兄にはギャラクシーライブラ【サンセットH(米GⅠ)・マンノウォーS(米GⅠ)】が、ホームアンドアウェイの半姉ウェルシュガーデンの孫にはチェロキーローズ【モーリスドギース賞(仏GⅠ)・スプリントC(英GⅠ)】がいる。→牝系:F10号族②
母父ニニスキはニジンスキーの直子で、現役成績は14戦6勝。愛セントレジャー(愛GⅠ)・ロワイヤルオーク賞(仏GⅠ)・ジェフリーフリアS(英GⅡ)・ジョンポーターS(英GⅡ)・オーモンドS(英GⅢ)に勝利している。競走成績だけ見れば典型的な長距離馬だったが、種牡馬としては1984年の英新種牡馬ランキング1位になるなど、仕上がり早い産駒も送り出して成功している。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は、北海道門別町(同年に日高町と合併)に新設されたダーレージャパンスタリオンコンプレックスで種牡馬生活を開始した。初年度の種付け料は250万円に設定された。エルコンドルパサーやキングカメハメハと同じキングマンボ産駒という事で生産者の人気は高く、初年度は183頭もの繁殖牝馬を集めた。その後も2年目は152頭、3年目は107頭、4年目は92頭と多くの繁殖牝馬を集めていた。しかしこの4年目の2009年にデビューした初年度産駒の成績が不振だったために、5年目の交配数は46頭に減少。6年目の2011年には種付け料を80万円まで値下げしたが、交配数は17頭に留まった。そのために同年暮れに英国へ輸出され、翌年からケラニースタッドで供用されている。現在のところ重賞勝ち馬は出ておらず、種牡馬としては失敗だったと判断せざるを得ない。