ボスラシャム

和名:ボスラシャム

英名:Bosra Sham

1993年生

栗毛

父:ウッドマン

母:コルヴェヤ

母父:リヴァーマン

英1000ギニー・英チャンピオンS・プリンスオブウェールズSなどに勝ち、牝馬としては1990年代における世界最高の評価を得る

競走成績:2~4歳時に英で走り通算成績10戦7勝2着1回3着1回

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州において愛国の馬産家ジェラルド・W・レイ氏により生産された。額に形が良い流星が走った栗毛の美しい馬だっただけでなく、仏2000ギニーなどGⅠ競走5勝を挙げた名馬ヘクタープロテクターの5歳年下の全妹、仏2000ギニー馬シャンハイの4歳年下の半妹という事もあり、幼少期から大変な評判馬だった。

1歳時のタタソールズホーソンセールに出品され、実業家ワフィク・サイード氏により、この年に欧州で取引された1歳馬の中では最高価格となる53万ギニー(当時の為替レートで約8700万円)で購入された。億の単位が飛び交う競馬界においてはそれほどの価格ではないと思う人もいるかもしれないが、タタソールズホーソンセールにおける過去最高取引価格は、1945年に2万8千ギニーで購入されたサヤジラオ(英ダービー馬ダンテの全弟で、愛ダービー・英セントレジャーに勝利した)だったらしい(さすがに桁が違いすぎるが、貨幣価値の変動を考慮に入れているのだろうか)から、破格の値段だった。

サイード氏はシリア出身で、20代の頃に英国に移住し、スイスの銀行で働いた後にサウジアラビアの建設業で成功した人物だったため、母国シリアの南部にある古代都市ボスラアッシャーム(“Bosra ash-Sham”又は“Busra ash-Sham”と書く。紀元前2世紀頃にアラビア半島北部を支配したナバテア王国が最初に作った都市で、イスラム教の開祖ムハンマドが預言者となる事を告げられた場所でもある。歴史的に価値がある建物が多く残されており、ユネスコの世界文化遺産にも指定されているが、現在はシリア内戦が影響して訪れることは出来ない)にちなんで本馬を命名し、英国サー・ヘンリー・セシル調教師に預けた。

前評判に見合うだけの素晴らしい素質の持ち主であり、デビュー前から非常に期待されていたが、脚部不安を抱えていたのが唯一かつ最大の欠点だった。

競走生活(2歳時)

2歳8月にニューベリー競馬場で行われた芝6ハロンの未勝利ステークスでデビュー。牝馬限定戦ではあったが、22頭立ての多頭数だった。しかしマイケル・キネーン騎手騎乗の本馬が単勝オッズ1.8倍の1番人気に支持された。2番人気のウォッチミーという馬が単勝オッズ12倍だったから、まさしく一本かぶりの人気だった。レースでは先行して残り2ハロン地点で先頭に立つと、後はゴールまで悠々と走り続けて、先行して2着に粘った単勝オッズ67倍の19番人気馬ファラウェイウォーターズに3馬身半差をつけて快勝した。

2戦目は9月のフィリーズマイル(GⅠ・T8F)となった。プレステージSを勝ってきたビントシャディード、ロックフェルSの勝ち馬ネグリジェントの娘であるシャワンニ、後の愛1000ギニー馬マティヤなど5頭が対戦相手となった。主戦となるパット・エデリー騎手と初コンビを組んだ本馬が単勝オッズ1.91倍の1番人気に支持され、前走で本馬とコンビを組んだキネーン騎手が騎乗するシャワンニが単勝オッズ3.5倍の2番人気、ビントシャディードが単勝オッズ6倍の3番人気となった。スタートが切られると単勝オッズ21倍の最低人気馬マティヤが先頭に立ち、ビントシャディードと本馬がその後ろを追走した。残り2ハロン地点でビントシャディードが先に仕掛けて先頭に立ったが、外側から来た本馬が残り1ハロン地点で並ぶ間もなく差し切った。ちらりと後方を確認したエデリー騎手はあまり鞭を使わずに主に手だけで本馬を追ったが、それでも2着ビントシャディードに3馬身半差、3着マティヤにもさらに3馬身半差をつけて完勝。

2歳時の成績は2戦2勝で、さすがにカルティエ賞最優秀2歳牝馬は獲得できなかった(チェヴァリーパークS・クイーンメアリーS・プリンセスマーガレットSなど4戦全て楽勝したブルーダスターが受賞)が、ブルーダスターと共に翌年の英1000ギニーの有力候補と見なされた。しかしブルーダスターはスタミナ面に疑問があると評されており(インデペンデント紙の記事による)、同競走の前売りオッズでは本馬が5倍の1番人気で、ブルーダスターは7倍の2番人気だった。本馬の1歳年上に当たる近親のラムタラ(本馬の母コルヴェヤの従姉妹の子)がこの年に大活躍したのも、本馬に対する期待値上昇に一役買ったのかもしれない。

競走生活(3歳時)

3歳時は4月のフレッドダーリンS(GⅢ・T7.5F)から始動して、単勝オッズ1.22倍という圧倒的な1番人気に支持された。2番人気のシルクマスクという馬が単勝オッズ11倍だった。ここでは自由気儘に先頭を走り、そのまま2着となった単勝オッズ67倍の最低人気馬キーパーズドーンに6馬身差をつけて圧勝した。

そして迎えた英1000ギニー(GⅠ・T8F)では、本馬との対決で冬場の話題をさらっていたブルーダスターが、調教の動きが悪すぎる事を理由に回避してしまっていた(そのまま短距離路線に向かったため本馬と対戦する機会は無かった)。いずれもフィリーズマイルから直行してきたビントシャディードとマティヤ、ロックフェルSを勝ちネルグウィンSで2着してきたビントサルサビル、ロウザーSの勝ち馬ダンスシークェンス、チェヴァリーパークS2着馬マイブランチ、ネルグウィンS3着馬アネストゲスト、キーパーズドーンなどが対戦相手となったが、順当に行けば本馬の勝ちは揺るぎそうに無かった。しかし好事魔多しで、本馬は直前調教において脚を痛めてしまっていた。その情報が広まったために、単勝オッズは1.4倍から1.91倍まで上昇したが、それでも断然の1番人気。ビントシャディードが単勝オッズ6.5倍の2番人気、6年前の同競走の覇者である愛ダービー馬サルサビルの娘であるビントサルサビルが単勝オッズ7倍の3番人気、ダンスシークェンスが単勝オッズ13倍の4番人気と続いた。

スタートが切られると、単勝オッズ34倍の8番人気馬ペーパーリングが先頭に立ち、本馬はビントサルサビルや単勝オッズ26倍の7番人気馬マティヤと共に先行。残り1ハロン地点で先頭に立ったが、ここで左側によれてしまった。しかし鞍上のエデリー騎手がフィリーズマイルでは殆ど使わなかった鞭を使用して必死で追ったために、後続に抜かれる事は無く、2着に粘ったマティヤに1馬身半差、追い込んできた3着ビントシャディードにさらに頭差をつけて勝利した。

だが、フィリーズマイルと比べると2頭との差は縮まっており、内容的には今ひとつと評された。レース後にセシル師は、本馬の脚の怪我は事前の発表よりも重度だった旨を明らかにした(勝ったから良いようなものの、馬券を買う人間の立場をもう少し考えて欲しいものである)。エデリー騎手も「今日は彼女の能力を全て見せることが出来ませんでした」とレース後に語った。

ここで無理をしたことが影響して脚の状態はさらに悪化してしまい、半年近くレースに出る事が出来なかった。なお、英1000ギニーの直後に行われた愛1000ギニーでは、マティヤが3馬身差で快勝している。

本馬の復帰初戦は9月のクイーンエリザベスⅡ世S(GⅠ・T8F)となった。故障休養明けで初の牡馬・古馬相手のレースであり、さすがに苦戦も予想された。この年の同競走は対戦相手もかなり高レベルであり、仏2000ギニー・ムーランドロンシャン賞・トーマブリョン賞・フォンテーヌブロー賞の勝ち馬でセントジェームズパレスS2着のアシュカラニ、英2000ギニー・セレブレーションマイルの勝ち馬マークオブエスティーム、サセックスS・プリンスオブウェールズSの勝ち馬で前走英国際S2着のファーストアイランド、セントジェームズパレスS・愛フューチュリティSの勝ち馬でエクリプスS2着・英2000ギニー・英国際S3着のビジューダンド、クイーンアンSの勝ち馬でセントジェームズパレスS・ロッキンジS・サセックスS2着のチャーンウッドフォレスト、ロッキンジS2回・キヴトンパークS・スプリームS・香港国際ボウルの勝ち馬で前年の同競走3着のソヴィエトラインが出走しており、愛2000ギニー・ジャックルマロワ賞の勝ち馬スピニングワールドの姿こそ無かったが、この年の欧州競馬におけるマイル路線の強豪馬が一堂に会するレースとなった。アシュカラニが単勝オッズ3.25倍の1番人気に支持され、本馬とマークオブエスティームが並んで単勝オッズ4.33倍の2番人気、ファーストアイランドが単勝オッズ6.5倍の4番人気、ビジューダンドが単勝オッズ11倍の5番人気となった。

レースではビジューダンドが先頭を引っ張り、本馬はそれを追って先行した。そして伸びを欠くアシュカラニを尻目に、残り1ハロン地点で先頭に立った。しかしここで後方から一気に突っ込んできたマークオブエスティームに並ぶ間もなくかわされてしまった。3着ファーストアイランドには4馬身差をつけたものの、勝ったマークオブエスティームには1馬身1/4差をつけられて2着に敗れた本馬は初黒星を喫した。

マークオブエスティームはこの勝利により英タイムフォーム社のレーティングで137ポンド(この年の欧州調教馬では凱旋門賞馬エリシオの136ポンドを上回る第1位)、国際クラシフィケーションにおいても133ポンド(シガー、エリシオに次ぐ世界第3位)の高評価を獲得するのだが、それは本馬相手に完勝した事が大きい。

なお、マークオブエスティームはドバイのシェイク・モハメド殿下の所有馬であり、2歳当初は本馬と同じくセシル師が管理していた。ところがマークオブエスティームの調教方針や故障を巡って2人の間に決定的な亀裂が入ったため、モハメド殿下がセシル師に預けていた馬を全て引き揚げるという有名な事件があり、マークオブエスティームはゴドルフィンのサイード・ビン・スルール厩舎に移籍していた。そのマークオブエスティームに負けてしまったわけであるから、セシル師の心中は推して知るべしである。

その後は英チャンピオンS(GⅠ・T10F)に向かった。1戦使ったという強みはあるものの、今度は初の10ハロンという距離が問題となった。対戦相手も手強く、エクリプスS2連覇・英国際S2連覇・イスパーン賞とGⅠ競走で5勝を挙げていた欧州10ハロン路線の雄ホーリング、愛チャンピオンS・ビヴァリーDS・ダルマイヤー大賞・EPテイラーS・オペラ賞・愛メイトロンSを勝っていた4歳牝馬ティマリダ、英2000ギニーでマークオブエスティームの短頭差2着だったレーシングポストトロフィー2着馬イーヴントップ、伊グランクリテリウム・ダンテSの勝ち馬でパリ大賞2着・愛チャンピオンS3着のグローリーオブダンサー、ファーストアイランドが出走してきた。芝の10ハロン路線では無敗を誇っていたホーリングが単勝オッズ2倍の1番人気に支持され、本馬が単勝オッズ3.25倍の2番人気、GⅠ競走3連勝中のティマリダが単勝オッズ8.5倍の3番人気、イーヴントップとファーストアイランドが並んで単勝オッズ15倍の4番人気となった。

スタートが切られるとイーヴントップが先頭に立ち、ホーリングが2番手、ティマリダが3番手、本馬が4番手につけた。残り3ハロン地点でホーリングが先頭に立ったが、そこへ後方から本馬がティマリダと一緒に襲い掛かった。残り2ハロン地点ではこの3頭が一瞬だけ横一線となったが、ここから本馬が素晴らしい伸びを見せて一気に突き抜けた。ゴール前では左側に大きくよれたが、それでも最後は2着ホーリングに2馬身半差をつけて完勝した。

ホーリングが因縁あるゴドルフィンの所属馬だったため、セシル師は溜飲を下げる思いだっただろうし、ニューマーケット競馬場に詰め掛けていた事情を知る観衆達も、本馬の勝利を熱狂的に歓迎した。本馬がホーリングに完勝したという事実は、そうした因縁にひとまず決着をつけたという事だけでなく、芝の10ハロン路線で無敗を誇っていたホーリングに同路線で生涯唯一の黒星を付けたという事でもあり、本馬の評価が著しく向上する要因ともなった。

3歳時の成績は4戦3勝だった本馬だが、この年のカルティエ賞最優秀3歳牝馬のタイトルを獲得。英タイムフォーム社のレーティングでは132ポンド、国際クラシフィケーションでも131ポンドの評価が与えられた。これは前者が131ポンド、後者が130ポンドだった1994年の愛ダービー馬バランシーンを上回るもので、1990年代における3歳牝馬としては単独最高の評価である(全世代の牝馬を通じても1990年代単独トップ)。

競走生活(4歳時)

4歳時の主戦はエデリー騎手から、前年にセシル厩舎の主戦騎手になったばかりのキーレン・ファロン騎手に交代となった。この年はドバイワールドCに出走する計画があったが、結局は出走しなかった。脚部不安で回避したのか、ダート競走や遠征競馬であるため見送ったのかは不明である(まさかモハメド殿下の意地悪で招待されなかったという事は無いと思うが)。

そのために4歳初戦は5月のブリガディアジェラードS(GⅢ・T10F7Y)となった。ブランドフォードSの勝ち馬プレダッピオ、イタリア大賞・プリンセスオブウェールズSの勝ち馬で伊共和国大統領賞2着のポジドナスなども出走していたが、本馬が単勝オッズ1.2倍という圧倒的な1番人気に支持され、プレダッピオとポジドナスは並んで単勝オッズ13倍の2番人気だった。エデリー騎手はどちらかというと本馬に先行させる事が多かったが、ファロン騎手は本馬に控えさせる競馬を多用することになり、今回もそうだった。そして先に先頭に立っていたポジドナスを残り1ハロン地点でかわして先頭に立ったものの、ここからポジドナスに食らいつかれてしまい、ファロン騎手が必死に追って何とか半馬身退けるという辛勝だった。

次走のプリンスオブウェールズS(GⅡ・T10F)では、前年の英チャンピオンSで本馬の4着だったイーヴントップ、デューハーストS・英シャンペンS・ロンポワン賞・ヴィンテージS・ソラリオSを勝っていた本馬と同世代のカルティエ賞最優秀2歳牡馬アルハース、南アフリカ出身のロスマンズジュライ・メトロポリタンH・クイーンエリザベスⅡ世Cの勝ち馬ロンドンニューズなどが出走してきた。本馬が単勝オッズ1.36倍の1番人気に支持され、イーヴントップが単勝オッズ7.5倍の2番人気、アルハースとロンドンニューズが並んで単勝オッズ11倍の3番人気となった。

本馬は今回も道中は抑え気味に進んでいたが、残り2ハロン地点で仕掛けると、逃げていたアルハースとイーヴントップの2頭を瞬く間にかわして先頭に踊り出た。残り1ハロン地点では既に後続に4馬身程度の差をつけており、後続勢の脚色との差からして完全に勝負はついていたが、ここで後方を振り返ったファロン騎手はまだ本馬を追い続けた(さすがにゴール直前では追うのを止めた)。最後は2着アルハースに8馬身差、3着ロンドンニューズにはさらに5馬身差をつけて圧勝。

この勝ち方は、どんな圧勝でも通常は“impressive”という表現止まりであるレーシングポスト紙をして、滅多に使わない“very impressive”(今まで筆者が見たのは、1992年のデューハーストSにおけるザフォニックと、1994年のレーシングポストトロフィーにおけるケルティックスウィングくらいだろうか)を使わしめたほどだった。インデペンデント紙のグレッグ・ウッド記者は「息を呑みました」と簡潔に記したが、他に表現のしようが無かったようである。

次走のエクリプスS(GⅠ・T10F7Y)では、6頭立てだった過去2戦に比べると対戦相手の数こそ減って5頭立てとなったが、レベルは明らかに上がっていた。前年のBCターフ・バーデン大賞・ブリガディアジェラードS・ロイヤルホイップSの勝ち馬で凱旋門賞2着・ガネー賞3着のピルサドスキー、英ダービー・ダンテS・ロイヤルロッジSの勝ち馬でレーシングポストトロフィー2着のベニーザディップ、イスパーン賞・ゴードンリチャーズS・ギョームドルナノ賞など5連勝中のサズルー、米国を主戦場としてペガサスH・ジャマイカH・ランプライターHを勝った後に欧州にやってきて前走クイーンアンSを勝ってきたゴドルフィン所属のアライドフォーシズの4頭が相手となったのである。しかしこのメンバー構成でも本馬の評価は抜群であり単勝オッズ1.57倍の1番人気に支持され、ピルサドスキーが単勝オッズ6.5倍の2番人気、ベニーザディップが単勝オッズ7倍の3番人気、サズルーが単勝オッズ9倍の4番人気、アライドフォーシズが単勝オッズ17倍の最低人気だった。

レースではベニーザディップが逃げを打ち、本馬を含む他4頭がそれを固まって追いかけた。直線に入るとピルサドスキーと本馬がベニーザディップに襲い掛かったが、内側を突こうとして失敗した本馬は立ち往生してしまい、その間にピルサドスキーがベニーザディップを抜き去っていった。何とか進路を見つけた本馬はベニーザディップに並びかけたが、ゴール直前で後れを取ってしまい、勝ったピルサドスキーから1馬身1/4差、2着ベニーザディップから短首差の3着に敗退。このときの騎乗ぶりはファロン騎手が「“Bosra Sham”ではなく“Bosra Shambles”でした(“Shambles”は「修羅場」という意味)」と自虐的に語るほど酷いものであり、この騎乗内容に激怒したセシル師はファロン騎手を本馬の主戦から降ろしてしまった。

その後は英国際S(GⅠ・T10F85Y)に向かった。本馬の鞍上には久々にエデリー騎手の姿があった。対戦相手は前走からさらに減って4頭立てだったが、そのレベルはかなり高く、エクリプスSから直行してきたベニーザディップに加えて、ジャパンC・ドバイワールドC・加国際S・コロネーションC・ゴードンリチャーズS・セレクトSの勝ち馬でパリ大賞・エクリプスS・コロネーションC・BCターフ2着のシングスピール、愛ナショナルS・愛2000ギニー・愛ダービー・テトラークSの勝ち馬デザートキングの3頭が相手だった。このメンバー構成でも本馬の評価は高く、単勝オッズ1.8倍の1番人気に支持された。シングスピールが単勝オッズ5倍の2番人気、ベニーザディップが単勝オッズ5.5倍の3番人気、デザートキングが単勝オッズ7倍の最低人気だった。

スタートが切られると、やはりベニーザディップが逃げを打ち、本馬は4頭立ての3番手でレースを進めた。そして残り3ハロン地点で仕掛けると、前を行くベニーザディップに並びかけ、既に先頭に立っていたシングスピールの追撃を開始。しかし本馬には伸びが無く、後方から来たデザートキングにかわされ、ベニーザディップにも競り負けて、勝ったシングスピールから4馬身1/4差の4着最下位に終わった。

レース後にエデリー騎手は、道中で本馬が落鉄していた事を明らかにしており、敗因はこれであると評された。落鉄したまま走った事が悪影響を及ぼしたのか、このレース後に本馬の脚部不安はかなり深刻な状態になってしまったらしく、翌9月に現役引退が発表され、英チャンピオンSの2連覇を目指すことは無かった。

4歳時の成績は4戦2勝だったが、プリンスオブウェールズSの圧勝ぶりにより、英タイムフォーム社のレーティングでは130ポンド、国際クラシフィケーションでは前年と同じ131ポンドの評価が与えられた。これは前者が130ポンド、後者が129ポンドだった1995年のBCディスタフ勝ち馬インサイドインフォメーションと同等以上の数値であり、やはり1990年代の古馬牝馬では1位となっている。

過去にクリススリップアンカーオーソーシャープリファレンスポイントインディアンスキマーディミニュエンドオールドヴィックベルメッツコマンダーインチーフなど幾多の名馬を手掛けてきたセシル師は「私が調教してきた馬の中では、牡馬を含めても最高の馬でした。惜しむらくは脚部不安と、それに起因する慢性的な焦らつきで、それさえ無ければもっと凄い成績を残したと思います」と語っている。

血統

Woodman Mr. Prospector Raise a Native Native Dancer Polynesian
Geisha
Raise You Case Ace
Lady Glory
Gold Digger Nashua Nasrullah
Segula
Sequence Count Fleet
Miss Dogwood
プレイメイト Buckpasser Tom Fool Menow
Gaga
Busanda War Admiral
Businesslike
Intriguing Swaps Khaled
Iron Reward
Glamour Nasrullah
Striking
Korveya Riverman Never Bend Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Lalun Djeddah
Be Faithful
River Lady Prince John Princequillo
Not Afraid
Nile Lily Roman
Azalea
Konafa Damascus Sword Dancer Sunglow
Highland Fling
Kerala My Babu
Blade of Time
Royal Statute Northern Dancer Nearctic
Natalma
Queen's Statute Le Lavandou
Statute

ウッドマンは当馬の項を参照。

母コルヴェヤは、クロエ賞(仏GⅢ)勝ちなど6戦3勝。繁殖牝馬としては本馬の全兄ヘクタープロテクター【仏2000ギニー(仏GⅠ)・ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)・モルニ賞(仏GⅠ)・サラマンドル賞(仏GⅠ)・仏グランクリテリウム(仏GⅠ)・カブール賞(仏GⅢ)・フォンテーヌブロー賞(仏GⅢ)】、半兄シャンハイ(父プロシーダ)【仏2000ギニー(仏GⅠ)】を産むなど一流の成績を残した。近親にはラムタラを始めとする数々の活躍馬がいるが、その詳細はヘクタープロテクターやシャンハイの項に記載したので、ここでは省略する。→牝系:F22号族②

母父リヴァーマンは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は米国と英国・愛国を行き来しながら繁殖生活を送った。レインボークエストサドラーズウェルズエーピーインディ、シングスピール、グリーンデザートストームキャットといった名種牡馬ばかりと交配されたが、全体的に繁殖成績は不振であり、一番の活躍馬はエーピーインディとの間に産まれた3番子の牡駒ロズバーグ【プレミアズS(加GⅢ)】となっている。

現在はどこで暮らしているのか、そもそも存命中なのかさえも情報が無く不明(もう10年近く産駒情報が無いから繁殖生活からは退いているようである)という、何とも寂しい状態となっている。日本にはストームキャットとの間に2005年に産まれた6番子の牝駒レーヴドフィユが繁殖牝馬として輸入されており、現役で繁殖生活を送っている。

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