サヤジラオ
和名:サヤジラオ |
英名:Sayajirao |
1944年生 |
牡 |
黒鹿 |
父:ネアルコ |
母:ロージィレジェンド |
母父:ダークレジェンド |
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英ダービー馬ダンテの全弟で英ダービー兄弟制覇は逃すも愛ダービー・英セントレジャーを制覇して種牡馬としても活躍する |
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競走成績:2~4歳時に英愛で走り通算成績16戦6勝2着6回3着3回 |
誕生からデビュー前まで
英国イングランド北部のノースヨークシャー州ミドルハムにあるマナーハウススタッドにおいて、エリック・オールソン卿により生産された。本馬が1歳の時に2歳年上の全兄ダンテが英ダービーを優勝したため、デビュー前は全く期待されていなかったダンテと異なり、本馬はインドのバローダ州のマハラジャ(地方領主)プラタプシン・ラオ卿により2万8千ギニー(11万7600ドル)という1歳馬としては当時史上最高価格で購入された。馬名はバローダ州の先代マハラジャだったサヤジラオ・グエクワードⅢ世(マリリン・モンローが身につけていた事で知られる「バローダの月」というダイヤモンドの以前の所有者だった)にちなんでいる。英国サム・アームストロング調教師に預けられた。
競走生活(3歳前半まで)
2歳時のデビュー戦を3馬身差で快勝する期待どおりの競走馬生活のスタートを切った。しかしその後は苦戦が続く。2歳2戦目となった8月のジムクラックS(T6F)では、単勝オッズ2.625倍の1番人気に推されていたニューS・リッチモンドSの勝ち馬ペティションの前に、3馬身差の2着に敗戦。その後のプロデュースSも3着に敗れて、2歳時3戦1勝の成績で休養入りした。
3歳時は4月にハーストパーク競馬場で行われた英2000ギニーの前哨戦であるヘンリーⅧ世S(T7F)から始動したが、勝ったペティションから10馬身も離された2着に終わった。英2000ギニー(T8F)ではペティションに加えて、コヴェントリーS・ナショナルブリーダーズプロデュースSなど5戦無敗のテューダーミンストレルという超強敵が出現した。レースではペティションがスタート直後に落馬競走中止となったが、テューダーミンストレルは圧倒的な強さを発揮し、2着となったミドルパークSの勝ち馬サラヴァンに8馬身差をつけて圧勝。本馬はサラヴァンから短頭差の3着に敗れた。
次走は同月末のブルーリバンドトライアルS(T8.5F)となったが、後のサセックスS・ロウス記念Sの勝ち馬コンバットの首差2着に敗れた。デビュー戦以来勝ち星の無い本馬は、翌5月のリングフィールドダービートライアルS(T11F106Y)に出走した。このレースでは6馬身差で圧勝して、長距離適性の高さを垣間見せた。
そして英ダービー(T12F)に出走した。この英ダービーではペティションが回避した事もあり、6戦全勝のテューダーミンストレルが単勝オッズ1.57倍という不動の大本命に推されており、単勝オッズ7.5倍の2番人気だった本馬を含む他馬はその他大勢扱いだった。しかし後から振り返ってみれば典型的なマイラーだったテューダーミンストレルは、引っ掛かって暴走してしまい、直線に入ると失速。それと入れ代わりに直線で先頭に立ったのは本馬と、仏国から参戦してきた単勝オッズ41倍の伏兵パールダイヴァーの2頭だった。仏1000ギニー・仏オークス・ジャックルマロワ賞・ヴェルメイユ賞・凱旋門賞などを制した名牝パールキャップの息子であるパールダイヴァーは距離2700mのマッチェム賞を勝って臨んできており、スタミナ面においては本馬以上に自信があった。パールダイヴァーより先に根を上げてしまった本馬は、デューハーストS・クレイヴンSの勝ち馬ミゴリ(後に凱旋門賞・エクリプスS・英チャンピオンS・キングエドワードⅦ世Sを勝っている)にゴール前で差されて、勝ったパールダイヴァーから4馬身3/4差、2着ミゴリから3/4馬身差の3着に敗れた(テューダーミンストレルは本馬から5~6馬身ほど後方の4着だった)。
競走生活(3歳後半)
なかなか大レースを勝てない本馬は、続いて愛ダービー(T12F)に出走した。このレースには、パールダイヴァーもミゴリもテューダーミンストレルもペティションも不在で、強敵と思われたのは英ダービーにも参戦していた愛2000ギニー・ベレスフォードSの勝ち馬グランドウェザー、後に愛セントレジャー・ブランドフォードS・ジョッキークラブSを勝つエスプリドフランスくらいだった。結果は本馬がグランドウェザーを1馬身半差の2着に下して優勝し、ようやく大レースを制覇した。
夏場はウォーレンSに出走して勝利し、秋は英セントレジャー(T14F132Y)に出走。パールダイヴァー、英ダービー2着後にキングエドワードⅦ世S・エクリプスSを勝っていたミゴリ、後にアスコット金杯・カドラン賞・ジャンプラ賞を制する名長距離馬アルバルなどが対戦相手となった。レースは直線半ばで先頭に立った本馬を目掛けて、ミゴリを置き去りにしたアルバルが襲い掛かってくる展開となったが、本馬が頭差だけ凌いで勝利を収め、全兄ダンテに続く英国クラシック競走制覇を果たした。3歳時の成績は8戦4勝だった。
競走生活(4歳時)
4歳時は5月にハーストパーク競馬場で行われたウィンストンチャーチルS(T14F)から始動したが、ロベールパパン賞・モルニ賞・仏グランクリテリウム・ハードウィックS・プリンセスオブウェールズSを勝ち英チャンピオンSでミゴリの2着だった仏国調教馬ニルガルの2馬身差2着に敗退。次走のチェスターヴァーズ(T12F)では、ヴァローニュの4着に終わった(この時期から頭角を現し始めた後の最強長距離馬アリシドンが3着だった)。
それでも、ニルガルやパールダイヴァー達を抑えて単勝オッズ2.625倍の1番人気に支持されたハードウィックS(T12F)では、2着ニルガルに2馬身差で勝利した。次走のプリンセスオブウェールズS(T12F)では、アリシドンの2馬身差2着に敗退。次走のエクリプスS(T10F)では、ミゴリに加えて、復活したかつての宿敵ペティション、英ダービーで3着してきたヌーア(後に米国に移籍して米国三冠馬サイテーションの宿敵となる)との対戦となった。レースは本馬、ペティション、ヌーアの3頭がゴール前で大激闘を繰り広げたが、ペティションが勝利を収め、本馬は短頭差の2着に敗退。このレースを最後に、4歳時5戦1勝の成績で競走馬を引退した。
本馬の名はイギリス国鉄のディーゼル機関車BR60530号の名称として、1948年から1966年まで使用された。ちなみにBR60528号の名称はテューダーミンストレル、BR60529号の名称はパールダイヴァーと、本馬と同世代の馬達の名前が使われた。
血統
Nearco | Pharos | Phalaris | Polymelus | Cyllene |
Maid Marian | ||||
Bromus | Sainfoin | |||
Cheery | ||||
Scapa Flow | Chaucer | St. Simon | ||
Canterbury Pilgrim | ||||
Anchora | Love Wisely | |||
Eryholme | ||||
Nogara | Havresac | Rabelais | St. Simon | |
Satirical | ||||
Hors Concours | Ajax | |||
Simona | ||||
Catnip | Spearmint | Carbine | ||
Maid of the Mint | ||||
Sibola | The Sailor Prince | |||
Saluda | ||||
Rosy Legend | Dark Legend | Dark Ronald | Bay Ronald | Hampton |
Black Duchess | ||||
Darkie | Thurio | |||
Insignia | ||||
Golden Legend | Amphion | Rosebery | ||
Suicide | ||||
St. Lucre | St. Serf | |||
Fairy Gold | ||||
Rosy Cheeks | Saint Just | St. Frusquin | St. Simon | |
Isabel | ||||
Justitia | Le Sancy | |||
The Frisky Matron | ||||
Purity | Gallinule | Isonomy | ||
Moorhen | ||||
Sanctimony | St. Serf | |||
Golden Iris |
父ネアルコは当馬の項を参照。
母ロージィレジェンドは現役時代、長距離戦を中心に4勝をマーク。繁殖牝馬としても優れており、日本で種牡馬として有馬記念馬スターロッチや東京優駿馬タニノハローモアを出した本馬の半兄ハロウェー(父フェアウェイ)、全兄ダンテ【英ダービー・ミドルパークS・コヴェントリーS】などを産んでいる。本馬の半妹オーシャンロア(父ブルーピーター)の牝系子孫には、日本に繁殖牝馬として輸入されたミスベルベール【アスタルテ賞(仏GⅡ)】とその息子であるサトノアポロ【中日新聞杯(GⅢ)】がいる。また、本馬の半妹ローズィドリー(父ボワルセル)も本邦輸入繁殖牝馬であり、孫にトラックスペア【ミドルパークS・セントジェームズパレスS】、曾孫にパッシングベンチャ【京都大賞典】、玄孫世代以降にキャノンゼット【金鯱賞(GⅢ)】、ザカリヤ【ニュージーランドトロフィー四歳S(GⅡ)】などがいる。→牝系:F3号族②
母父ダークレジェンドはダークロナルドの項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は5歳時から英国で種牡馬入りした。正確な没年は不明だが、1967年産まれの産駒がいる事から、1966年までは生存していたことが確実である。本馬は種牡馬としても成功を収め、多くの活躍馬を出した。しかし長距離色が強かった事、牝馬に活躍馬が多かった事、日本に輸入された牡馬の代表産駒インディアナが後継種牡馬に恵まれなかった事などが重なり、直系は衰退の一途を辿った。それでも、インディアナと並ぶ牡馬の代表産駒であるアイセイが南米のブラジルで種牡馬として成功し、アイセイの息子クラックソンが今世紀初頭までブラジルの大種牡馬として君臨した事により、南米では直系が生き残った。しかしクラックソンは後継種牡馬には恵まれておらず、本馬の直系は滅亡の危機に瀕している。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1950 |
Pirouette |
チェリーヒントンS |
1951 |
Curry |
シザレウィッチH |
1951 |
Eastern Glamour |
チェリーヒントンS |
1952 |
Dark Issue |
愛1000ギニー |
1953 |
Gladness |
アスコット金杯・グッドウッドC・エボアH |
1953 |
Jongleur |
デスモンドS・ブランドフォードS |
1953 |
Milady |
リブルスデールS |
1954 |
Sijui |
フレッドダーリンS |
1955 |
But Lovely |
ヴァントー賞 |
1956 |
Little Mo |
プリティポリーS |
1957 |
Chota Hazri |
ランカシャーオークス |
1957 |
Lynchris |
愛オークス・ヨークシャーオークス・愛セントレジャー・ベレスフォードS |
1957 |
Zenobia |
愛1000ギニー |
1958 |
Sempervivum |
エスペランス賞 |
1959 |
High Noon |
クレイヴンS |
1961 |
英セントレジャー・チェスターヴァーズ・グレートヴォルティジュールS・オーモンドS |
|
1962 |
I Say |
コロネーションC・ホワイトローズS |
1962 |
Irish Lass |
ミネルヴ賞 |
1966 |
Brown Lad |
ワールドハードル |
1966 |
Symona |
チェリーヒントンS・シープスヘッドベイH |