インディアナ

和名:インディアナ

英名:Indiana

1961年生

鹿毛

父:サヤジラオ

母:ウィローアン

母父:ソラリオ

日本で名馬タケホープなどを出して長距離向き種牡馬として活躍した英セントレジャー馬

競走成績:2~4歳時に英仏で走り通算成績13戦4勝2着5回

誕生からデビュー前まで

F・F・タットヒル氏により生産された英国産馬で、1歳時のニューマーケットセールに出品され、後にニジンスキーの馬主となるチャールズ・エンゲルハード・ジュニア氏の代理人により5千ギニーで購入され、英国ジャック・F・ワッツ厩舎に預けられた。成長しても体高15.3ハンドにしかならなかった小柄な見栄えのしない馬で、幼少期の評価は低かったようである。

競走生活(3歳前半まで)

2歳時にドンカスター競馬場で行われたフィーヴァーサムSでデビューしたが、6着に敗退。9月にアスコット競馬場で出たクラレンスハウスS(T6F)もインパクトの2着に敗れ、2歳時は2戦未勝利に終わった。

3歳時は英2000ギニーには目もくれずにひたすら英ダービーを目指した。まずは4月にサンダウンパーク競馬場で行われたロイヤルS(T10F)から始動した。ここでは勝ったオンシディウムから6馬身差の2着に敗れたが、3着となったタイムフォーム金杯の勝ち馬プッシュフルには3/4馬身先着した。次走のチェスターヴァーズ(T12F53Y)では単勝オッズ3.75倍と人気を集め、2着コンブリオに2馬身差で勝利を収めて初勝利を挙げた。引き続いてリングフィールドダービートライアルS(T12F)に出走したが、ここではオンシディウム、プッシュフル、後の愛ダービー2着馬ライオンハーテッドの3頭に屈して、オンシディウムの8馬身差4着に敗れた。

本番の英ダービー(T12F)では、オンシディウム、英2000ギニー馬ボールドリック、愛2000ギニー・愛ナショナルSの勝ち馬サンタクロース、ディーS・ダンテSを勝ってきたスウィートモスなどが主な対戦相手となった。サンタクロースが単勝オッズ2.875倍の1番人気で、オンシディウムが2番人気、ボールドリックが3番人気で、本馬は単勝オッズ34倍で9番人気の低評価だった。主戦であるジミー・リンドレー騎手が騎乗する本馬は馬群の中団を進み、タッテナムコーナーを回りながら仕掛けて、残り2ハロン地点で先頭に立った。しかし残り1ハロン地点でサンタクロースに差されて、1馬身差の2着に敗れた。しかし低評価を覆す好走ではあった。

続いて仏国に遠征してパリ大賞(T3100m)に出走。ここでもホワイトレーベルの半馬身差2着と好走した。次走は8月のグレートヴォルティジュールS(T12F)となった。ここでは後にアスコット金杯を2連覇するファイティングチャーリー、英ダービーで本馬から2馬身差の3着だったディレッタントの2頭が強敵だったが、本馬が2着ファイティングチャーリーに頭差、3着ディレッタントにはさらに5馬身差をつけて勝利を収めた。

競走生活(3歳後半以降)

翌9月には英セントレジャー(T14F132Y)に出走。ファイティングチャーリー、英ダービーで着外に終わっていたオンシディウム、ホワイトレーベル、ヨークシャーオークス馬ボウフロント、オックスフォードシャーSの勝ち馬で愛ダービー3着のサンシーカー、愛オークス2着馬パティ、デューハーストS2着馬ソデリーニなどが対戦相手となった。本馬は単勝オッズ15.29倍で、今回も伏兵扱いだった。リンドレー騎手が騎乗する本馬は、逃げるアイタイタンを見るように先行。そのままの態勢で直線に入ってきたが、後方馬群にいたオンシディウム達が外側を通って仕掛けようとしたところで、事件が起こった。1匹の犬がコース内に迷い込んできて、直線を走る馬群のほうに向かってきたのである。そのために馬群が混乱している間に残り2ハロン地点で先頭に立った本馬がゴールを目掛けて突き進んでいた。後方からはパティが追い上げてきたが、その追撃を凌いだ本馬が2着パティに頭差、3着ソデリーニにはさらに4馬身差をつけて勝利を収めた。英国グラスゴー・ヘラルド紙は「ハイペリオン以来となるポケットサイズの英セントレジャー馬が誕生しました」と伝えた。3歳時の成績は7戦3勝だった。

4歳時は5月のオーモンドS(T13F75Y)から始動した。ここでは単勝オッズ3.75倍の1番人気に支持された。レースは本馬と前年のロワイヤルオーク賞2着馬オートレプリンスの2頭が後続馬を12馬身差も引き離す一騎打ちを演じた末に、本馬が3/4馬身差で勝利を収めた。次走のヨークシャーC(T14F)では、単勝オッズ34倍の伏兵アプレンティスに足元をすくわれて、3/4馬身差の2着に敗れた。次走のコロネーションC(T12F)では、英セントレジャーで着外に終わった後にジョッキークラブCを勝っていたオンシディウム、ジョンポーターSを勝ってきた前年の英セントレジャー3着馬ソデリーニ、前年の英オークス・ヨークシャーオークスを勝っていたホームワードバウンドといった馬達に屈して、勝ったオンシディウムから11馬身差をつけられた6着に大敗した。次走のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(T12F)では、オンシディウム、コロネーションC2着後にハードウィックSを勝ってきたソデリーニ、愛ダービーの勝ち馬で英ダービーではシーバードの2着だったメドウコートなどと対戦したが、メドウコートの8着に惨敗した。これが現役最後のレースとなり、4歳時の成績は4戦1勝となった。

血統

Sayajirao Nearco Pharos Phalaris Polymelus
Bromus
Scapa Flow Chaucer
Anchora
Nogara Havresac Rabelais
Hors Concours
Catnip Spearmint
Sibola
Rosy Legend Dark Legend Dark Ronald Bay Ronald
Darkie
Golden Legend Amphion
St. Lucre
Rosy Cheeks Saint Just St. Frusquin
Justitia
Purity Gallinule
Sanctimony
Willow Ann Solario Gainsborough Bayardo Bay Ronald
Galicia
Rosedrop St. Frusquin
Rosaline
Sun Worship Sundridge Amphion
Sierra
Doctrine Ayrshire
Axiom
Court of Appeal Apelle Sardanapale Prestige
Gemma
Angelina St. Frusquin
Seraphine
Brown Princess Tetratema The Tetrarch
Scotch Gift
Swagger Cane Charles O'Malley
Wattle Bough

サヤジラオは当馬の項を参照。

母ウィローアンは現役成績14戦3勝。繁殖牝馬としては、本馬の半兄キャヴァン【ベルモントS・ピーターパンS】も産んでおり、英米双方で三冠競走の最終戦勝ち馬を輩出した。本馬の半姉ローズベイウィロー(父フェアヘイヴン)の曾孫に、ノーブルダンサー【サンルイレイS(米GⅠ)2回・ユナイテッドネーションズH(米GⅠ)2回】、ギャライベント【モイグレアスタッドS(愛GⅠ)】が、牝系子孫にはシロッコ【BCターフ(米GⅠ)・独ダービー(独GⅠ)・伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ)・コロネーションC(英GⅠ)】がいる。また、本馬の半姉ウィーピングウィロー(父アムアードレイク)の子にはパイパーズサン【ザメトロポリタン】がいる。ウィローアンの4代母ワトルボウの全妹クォクイデラの子には、英チャンピオンハードルを勝った他にクイーンアレクサンドラSを6連覇した事で知られる名長距離馬ブラウンジャックがいる。→牝系:F2号族①

母父ソラリオは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は英国で種牡馬入りした。しかし本馬と戦ったメドウコートやオンシディウムが、いずれも本馬の1歳年下のシーバードには手も足も出なかった事や、英セントレジャーの権威が既に失墜しかけていた事もあり、本馬は英国クラシック競走の勝ち馬でありながら競走馬としての評価はそれほど高くなく(それでも、“A Century of Champions”においては英セントレジャー勝ち馬としては標準クラスには位置すると評価されているが)、種牡馬としての評価も同様だった。そのため種牡馬供用1年で英国では見切りをつけられ、6歳時に日本に輸入されて日本で供用された。

日本ではまだ長距離競走の権威が維持されていた上に、本馬と戦った馬達がシーバードに完膚なきまでに叩きのめされた事実や、英セントレジャーの内容なども詳しく伝わってこなかったため、英セントレジャー馬で英ダービー2着という立派な肩書を持つ本馬は種牡馬として一定の人気を獲得した。日本における供用初年度である1967年は62頭、2年目は65頭、3年目は63頭の繁殖牝馬を集めた。4年目は46頭、5年目は48頭の交配数だったが、初年度産駒の1頭ベルワイドが天皇賞春を制した6年目の1972年は51頭に微増した。7年目の1973年の交配数は32頭と下がったが、この年に3年目産駒であるタケホープがハイセイコーの好敵手として東京優駿・菊花賞を制して優駿賞年度代表馬に選ばれる活躍を見せたため、本馬の種牡馬人気は安定したものとなった。8年目は45頭、9年目は49頭、10年目は50頭、11年目は47頭、12年目は52頭、13年目は37頭の交配数だった。しかしタケホープに続く大物競走馬が出なかった事や年齢などもあって、その後は交配数が減少。14年目は17頭、15年目は4頭、16年目は13頭、17年目の1983年は1頭の交配数だった。そしてこの1983年6月に22歳で他界した。競走馬としてだけでなく、種牡馬としても典型的な長距離馬であった。

スタミナ色が強すぎたためか、タケホープやベルワイドなどの後継種牡馬は成功しなかった。繁殖牝馬の父としては、エリザベス女王杯勝ち馬リワードウイング、桜花賞馬ホースメンテスコ、優駿牝馬2着馬ユウミロクなどを出しており、こちらでも一定の実績を残している。日本に種牡馬として輸入された馬の中には結果的にそれで不運な結末に至った馬も少なくないが、逆に日本に輸入されたために幸運な生活を送った馬もおり、本馬は後者の例の1つであろう。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1968

ベルワイド

天皇賞春・セントライト記念・目黒記念

1970

イーストリバー

京阪杯・日本経済新春杯

1970

タケホープ

東京優駿・菊花賞・天皇賞春・アメリカジョッキークラブC

1974

ブルーハンサム

目黒記念・シアンモア記念(水沢)

1976

サンエイフブキ

三歳優駿(高崎)

1978

カミノスミレ

目黒記念

TOP