リファレンスポイント
和名:リファレンスポイント |
英名:Reference Point |
1984年生 |
牡 |
鹿毛 |
父:ミルリーフ |
母:ホームオンザレンジ |
母父:ハビタット |
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徹底した逃げ戦法で英ダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS・英セントレジャーを制覇するも凱旋門賞では脚の負傷のため馬群に沈む |
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競走成績:2・3歳時に英仏で走り通算成績10戦7勝2着1回3着1回 |
誕生からデビュー前まで
英国バークシャー州クリーブデンスタッドの所有者ルイス・フリードマン氏により生産・所有され、英国サー・ヘンリー・セシル調教師に預けられた。セシル師はフリードマン氏に対して「素質は確かですが、怠け者なので調教には苦労しています」と語ったという。主戦はかつてアファームドを米国三冠馬の座に導き、この時期にはセシル厩舎の専属騎手となっていたスティーブ・コーゼン騎手が務めた。
競走生活(2歳時)
2歳8月にサンダウンパーク競馬場で行われたハートオブバラエティS(T8F)でデビューして、単勝オッズ2.1倍の1番人気に支持された。しかしスタートで出遅れてしまい、牝馬ポートヘレーネとブラザーパトリックの2頭に後れを取り、勝ったポートヘレーネから6馬身差の3着に敗れた。次走は9月に前走と同コースで行われたドーキングS(T8F)となり、ここでは2着マルホランデに8馬身差をつけて圧勝した。
その後は10月にドンカスター競馬場で行われたウィリアムヒルフューチュリティS(英GⅠ・T8F)に向かった。ここでは本馬と同厩のスーパーレイティヴSの勝ち馬スハイリーが1番人気に支持されており、本馬は単勝オッズ5倍の2番人気だった。しかし蓋を開けてみると、圧倒的な逃げ切り劇を演じた本馬が、2着となったロイヤルロッジSの勝ち馬ベンガルファイアに5馬身差、3着となった後のキングエドワードⅦ世S・ゴードンSの勝ち馬ラヴザグルームにはさらに3/4馬身差をつけて圧勝。本馬とベンガルファイアの差は実際には6~7馬身くらいはついていたと言われている。
2歳時の成績は3戦2勝に過ぎなかったが、ウィリアムヒルフューチュリティSの圧勝ぶりが評価されて、国際クラシフィケーションでは127ポンド、英タイムフォーム社のレーティングでは132ポンドを獲得し、この年の欧州調教2歳馬ではいずれも最高値となった。
競走生活(3歳前半)
3歳時は英2000ギニーが当初の目標だったが、3月に副鼻腔か鼻腔のいずれか(又はその両方)に感染症を患って手術を受けたため、英2000ギニーには間に合わずに回避した。
復帰戦は5月のダンテS(英GⅡ・T10F85Y)となった。まだ仕上がりは80%程度とセシル師が語っていた上に、グレフュール賞の勝ち馬ペルシフルールが英ダービーを目指して仏国から遠征してきていた。しかし単勝オッズ2.625倍の1番人気に支持された本馬が、スタートからゴールまで先頭を走り続け、2着アスコットナイトに1馬身差、3着ペルシフルールにはさらに2馬身半差をつけて勝利した。
そして次走の英ダービー(英GⅠ・T12F)では、ノアイユ賞・オカール賞を勝ってきたサジード、リングフィールドダービートライアルSを勝ってきたリーガルビッド、英2000ギニー2着馬ベロット、愛2000ギニー2着馬エンタイトルド、アスコットナイト、ペルシフルール、ラヴザグルーム、リュパン賞・コンデ賞・ギシュ賞の勝ち馬グルームダンサー、デューハーストS・クレイヴンSの勝ち馬で後にジュライC・スプリントCS・スプリントCを勝つ名短距離馬アジャダル、ベレスフォードS・サンダウンクラシックトライアルSの勝ち馬ガルフキング、ディーSの勝ち馬サーハリールイス、プレドミネートSを勝ってきたイブンベイ、リングフィールドダービートライアルS2着馬マウンテンキングダム、ガリニュールS2着馬ウォーターボートマン、クレイヴンS3着馬モストウェルカムなどを抑えて、単勝オッズ2.5倍の1番人気の支持を受けることになった。
スタートが切られると鞍上のコーゼン騎手は本馬を即座に先頭に立たせた。そしてそのままタッテナムコーナーを回って直線に入ってくるまで後続馬群をひきつけたまま先頭を堅持。残り2ハロン地点でモストウェルカムが並びかけようとしてきたが、残り1ハロン地点で二の脚を使って引き離し、2着モストウェルカムに1馬身半差、3着ベロットにはさらに半馬身差をつけて優勝した。勝ちタイムの2分33秒90は、1936年にマームードが計時した2分33秒8に次いで英ダービー史上当時第2位(ニューマーケット競馬場で施行された戦時開催を除く)の好タイムであり、英ダービーが手動ではなく自動計測されるようになってからは最速だった。
次走は愛ダービー(英ダービーで本馬から4馬身1/4差の4着だったサーハリールイスが勝っている)ではなく、エクリプスS(英GⅠ・T10F)となった。このレースは古馬相手であり、ベロット、ガルフキングといった英ダービー対戦組や、コロネーションSの勝ち馬で英1000ギニー・愛1000ギニー2着のミリグラムといった同世代馬だけでなく、ブリガディアジェラードS・プリンスオブウェールズSを連勝してきたムトト、マルセルブサック賞・愛2000ギニー・英チャンピオンS・ガネー賞・コロネーションCを勝ち英オークス・コロネーションC・エクリプスS・英国際S2着・ベンソン&ヘッジズ金杯・ロスマンズ国際S・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS・愛チャンピオンS・凱旋門賞3着の女傑トリプティクといった有力古馬勢の姿もあった。それでも本馬が単勝オッズ2.1倍の1番人気に支持された。このレースにはメディアスターゲストというペースメーカー役の馬が出走していたのだが、本馬鞍上のコーゼン騎手はスタートから猛然と本馬を追い、メディアスターゲストの前でレースを進めた。メディアスターゲストも役割を果たそうと競り掛けてきたが、本馬は先頭を譲らなかった。そのまま直線に入ってきたのだが、残り1ハロン半地点で後方から猛然と追い込んできたムトトに並びかけられて叩き合いに持ち込まれた。激しい一騎打ちの末にムトトが前に出て勝利し、本馬は3/4馬身差の2着に敗れた。
次走のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS(英GⅠ)では、当初出走予定だったムトトが裂蹄や馬場状態を理由に回避したため、前走で本馬から1馬身半差の3着だったトリプティク、英セントレジャー・サンクルー大賞の勝ち馬でオイロパ賞3着のムーンマッドネス、独ダービー・アラルポカル2回・サンクルー大賞・ベルリン大賞・バーデン大賞・ヘルティー国際大賞・ウニオンレネン・メルセデスベンツ大賞・ハンザ賞・ゲルリング賞2回を勝ちコロネーションCで3着していた独国最強馬アカテナンゴ、伊共和国大統領賞・ミラノ大賞・エリントン賞を勝ち伊ジョッキークラブ大賞・サンクルー大賞2着・伊グランクリテリウム・イタリア大賞3着の伊国最強馬トニービン、プリンセスオブウェールズSを勝ってきた英チャンピオンS2着馬セレスティアルストームなどが主な対戦相手となった。前走の敗戦にも関わらず、本馬が古馬勢を抑えて単勝オッズ2.1倍の1番人気に支持された。今回も本馬の取るべきレースぶりは逃げ戦法のみであり、スタートから他馬に競り掛けられながらも先頭を飛ばした。本馬の脚色は直線に入っても衰えず、残り2ハロン地点からは逆に後続を引き離しにかかった。そしてそのまま他馬を寄せ付けず、2着セレスティアルストームに3馬身差をつけて快勝した。
競走生活(3歳後半)
その後は9月の英セントレジャーを経て、10月の凱旋門賞に向かう計画が立てられた。英ダービー馬が英セントレジャーに出た例は過去20年間で3例(1969年のブレイクニー、1970年のニジンスキー、1981年のシャーガー)しかなく、そのうち英セントレジャーを勝ったのはニジンスキーのみだった。さらに英セントレジャーと凱旋門賞を両方勝った馬は、1957年に英セントレジャーを、翌1958年に凱旋門賞を勝ったバリモスしか前例がなく、同一年に英セントレジャーと凱旋門賞を両方勝った馬は過去に1頭も存在しなかった。何故本馬陣営がこのような出走計画を立てたのかは定かではないが、馬主と調教師がいずれも英国の人だったために伝統ある英セントレジャーを無碍に出来なかった一面もあれば、本馬ほどの実力があればこの2競走を連覇する事も可能という自信を陣営が抱いていた一面もあったのだろう。
まずは英セントレジャーのステップ競走として8月のグレートヴォルティジュールS(英GⅡ・T12F)に出走。本馬が出てくると聞いた他馬陣営の回避が相次ぎ、対戦相手は僅か2頭となった。レースは単勝オッズ1.07倍という圧倒的1番人気に支持された本馬が、2着となったチェスターヴァーズの勝ち馬ドライドックに4馬身差をつけて圧勝した。しかしレース中に濡れた馬場で脚を滑らせた本馬は脚に怪我を負ってしまっていた。
それでも予定に変更はなく、英セントレジャー(英GⅠ・T14F127Y)に出走した。対戦相手は、ドライドック、英ダービーで着外だったプリンセスオブウェールズS3着馬マウンテンキングダムなど6頭だった。単勝オッズ1.36倍の1番人気に支持された本馬は、この長丁場でもスタートから快調に先頭を走り続けた。直線に入って残り2ハロンを切ったところでマウンテンキングダムが並びかけようとしてきたが、ここで得意の二の脚を使ってマウンテンキングダムを引き離し、1馬身半差をつけて勝利。これで本馬の獲得賞金総額は77万4275ポンドとなり、英国だけで走ってきた馬の獲得賞金総額史上1位となった。
そして初めて英国外に飛び出して、凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)に参戦した。対戦相手は、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS3着後に英国際S・愛チャンピオンSを連勝していたトリプティク、エクリプスSから直行してきたムトト、この年の仏ダービー馬ナトルーン、英ダービー7着後にダフニ賞・プランスドランジュ賞を勝っていたグルームダンサー、ニエル賞の勝ち馬でリュパン賞・仏ダービー2着・パリ大賞3着のトランポリノ、ローマ賞・ハードウィックSの勝ち馬オーバン、エヴリ大賞・ミネルヴ賞・ロワイヤリュー賞の勝ち馬シャラニヤ、エスペランス賞・ベルトゥー賞・ラクープドメゾンラフィットの勝ち馬タバヤーン、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSで5着だったトニービンなどだった。1971年のミルリーフ以来16年ぶり史上2頭目となる英ダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS・凱旋門賞完全制覇の快挙が懸かる本馬が単勝オッズ1.73倍という断然の1番人気に支持された。
そしてスタートが切られるとコーゼン騎手はやはり本馬を先頭に立たせた。ところがここでシャラニヤが猛然と競り掛けてきた。そして先頭を譲ろうとしない本馬と、どこまでもしつこく付いてくるシャラニヤが激しく争ったため、超ハイペースでレースが進行した。本馬はそれでも先頭で直線に入ってきたのだが、残り400m地点で後続馬勢が押し寄せてくると抵抗できずに馬群に沈んでしまった。レースは後方から突き抜けたトランポリノが、前年にダンシングブレーヴが樹立したコースレコードを1秒4も更新する2分26秒3を計時して勝利を収め、本馬はトランポリノから20馬身半も離された8着と惨敗。
敗因は超ハイペースに巻き込まれただけではなかった。レースが終わって引き揚げていく本馬は脚を引き摺る仕草を見せていた。検査の結果、左前脚の蹄に腫瘍ができている事が判明。おそらくグレートヴォルティジュールSのレース中に負った外傷が悪化したものと考えられる。そして3歳時7戦5勝の成績で競走馬引退となった。この年の英年度代表馬に選ばれている。
なお本馬の凱旋門賞敗北以降、英ダービーを勝った馬の陣営は英セントレジャーを徹底して無視するようになり、本馬の次に英ダービー馬が英セントレジャーに出走した事例は、2012年のキャメロットまで25年間出なかった。英2000ギニーにも勝っていたキャメロットは英国三冠馬の座を懸けて参戦したわけであり、英国三冠馬に無関係の英ダービー馬が英セントレジャーに出走した事例は本馬以降完全に途絶えている。その意味では、英セントレジャーの権威失墜に止めを刺したのはニジンスキーの凱旋門賞敗戦ではなく、本馬の凱旋門賞敗戦であるとも言える。本馬が弱い英ダービー馬であればここまで英セントレジャーの権威は下がらなかったかも知れず、本馬が歴代の英ダービー馬の中でも屈指の馬だった事がドンカスター競馬場にとっては災いした事になる。
血統
Mill Reef | Never Bend | Nasrullah | Nearco | Pharos |
Nogara | ||||
Mumtaz Begum | Blenheim | |||
Mumtaz Mahal | ||||
Lalun | Djeddah | Djebel | ||
Djezima | ||||
Be Faithful | Bimelech | |||
Bloodroot | ||||
Milan Mill | Princequillo | Prince Rose | Rose Prince | |
Indolence | ||||
Cosquilla | Papyrus | |||
Quick Thought | ||||
Virginia Water | Count Fleet | Reigh Count | ||
Quickly | ||||
Red Ray | Hyperion | |||
Infra Red | ||||
Home on the Range | Habitat | Sir Gaylord | Turn-to | Royal Charger |
Source Sucree | ||||
Somethingroyal | Princequillo | |||
Imperatrice | ||||
Little Hut | Occupy | Bull Dog | ||
Miss Bunting | ||||
Savage Beauty | Challenger | |||
Khara | ||||
Great Guns | Busted | Crepello | Donatello | |
Crepuscule | ||||
Sans le Sou | ヴィミー | |||
Martial Loan | ||||
Byblis | Grey Sovereign | Nasrullah | ||
Kong | ||||
Niobe | Caracalla | |||
Phaetusa |
父ミルリーフは当馬の項を参照。
母ホームオンザレンジは現役成績7戦5勝、サンチャリオットS(英GⅡ)の勝ち馬。本馬の半妹サハラフォレスト(父グリーンデザート)の孫にインディペンデンス【サンチャリオットS(英GⅡ)・愛メイトロンS(愛GⅢ)】、インディペンデンスの子にマウントネルソン【エクリプスS(英GⅠ)・クリテリウム国際(仏GⅠ)】とモニタークロースリー【グレートヴォルティジュールS(英GⅡ)】の兄弟がいる。ホームオンザレンジの半妹アイリッシュハニー(父ラストタイクーン)は日本に繁殖牝馬として輸入され、アリラン【花吹雪賞】の母となった。ホームオンザレンジの母グレートガンズの全妹バイゴーンの孫にはヒロイシティ【ザBMW(豪GⅠ)】が、グレートガンズの祖母ニオベの半姉ファエトニアの子にはアグレッサー【キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS】が、ニオベの半姉ポプラの玄孫にはラピエール【ジャンプラ賞(仏GⅠ)】がいる。ニオベの6代母レディパラマウントは19世紀末の英国の名馬トリスタンの半妹に当たる。→牝系:F10号族①
母父ハビタットは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は英国ダルハムホールスタッドで種牡馬入りした。しかし1991年12月に放牧中の事故で左後脚大腿骨を骨折したために7歳で夭折した。種牡馬生活が短かったこともあり、種牡馬としてはあまり成功できなかった。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1989 |
Ivyanna |
伊オークス(伊GⅠ) |