ハビタット

和名:ハビタット

英名:Habitat

1966年生

鹿毛

父:サーゲイロード

母:リトルハット

母父:オキュパイ

サーアイヴァーと並ぶ名種牡馬サーゲイロードの代表産駒にして最良後継種牡馬となった英仏両国のマイル王者

競走成績:3歳時に英仏で走り通算成績8戦5勝2着2回

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州において、ナコルズ兄弟により生産された。1歳時のキーンランドセールに出品され、米国の事業家チャールズ・W・エンゲルハード・ジュニア氏により、10万5千ドルで購入された。エンゲルハード・ジュニア氏は、父のチャールズ・エンゲルハード氏から受け継いだ貴金属製造会社エンゲルハード社の事業を、南アフリカや南米などに積極的に展開し、エンゲルハード社を世界有数の貴金属会社に育て上げて大富豪となった名実業家だった。彼は馬主としても著名であり、南アフリカの名馬ハワイを米国に連れてきて活躍させたり(本馬が3歳時の1969年に米最優秀芝馬となっている)、後に英国三冠馬ニジンスキーを所有したりすることになる。

本馬は英国ファルク・ジョンソン・ホーソン調教師に預けられた。成長すると体高が16.1ハンドに達した堂々とした馬格の持ち主だったが、前脚と膝の見栄えが良くなかったという。また、性格が気弱で調教が上手くいかず、軽度の負傷の影響もあって、デビューは遅れた。本馬と同じセリにおいてエンゲルハード・ジュニア氏により10万ドルで購入されたリボー産駒の同厩馬リボフィリオ(後に愛ダービーと英セントレジャーで2着)が、英シャンペンS・デューハーストSを勝って英最優秀2歳牡馬となる活躍を見せている間も、デビューできないままであった。

競走生活(3歳前半)

3歳4月にサンダウンパーク競馬場で行われたロイヤルS(T10F)でようやく初戦を迎えた。現在はサンダウンクラシックトライアルSと名称を変えているこのレースは英ダービーの前哨戦でもあり、デビュー戦がここだったという事は、結果如何では英ダービーも視野に入っていたと思われる。しかし結果はスタートで出遅れてしまい、後に英ダービーでブレイクニーの2着してアンリデラマール賞・ジャンドショードネイ賞・ゴントービロン賞を勝つシューメーカー、後のダンテSの勝ち馬アクティヴェーターなど対戦相手5頭全てに後れを取り、シューメーカーの6着最下位に敗れてしまった。

その後は2週間後にウィンザー競馬場で行われた下級条件戦ロバートウィルモットプレート(T10F)に出走。あまり得意とは言えない重馬場の中を直線で先頭に立って初勝利目前だったが、ゴール直前で左側によれたところを、追い込んできたアブソルヴドに差されて頭差2着に惜敗した。3戦目は5月にヘイドックパーク競馬場で行われた下級条件戦ウィローズプレート(T8F)となった。ここでは2着ソルジャーズドリームに5馬身差をつける圧勝で初勝利を挙げた。

本馬に疲労が無いのを確認した陣営は、初勝利の翌週にロッキンジS(T8F)に出走させた。このレースは過去3戦からは一気に格が上がっており、当時の英国競馬におけるマイル戦の最高峰レースだった。前走エクリプスSを勝ってきたクイーンエリザベスⅡ世S・プリンスオブウェールズS2着馬ウォルヴァーホロー、ノーフォークS・愛ナショナルS・グリーナムSの勝ち馬でミドルパークS・英2000ギニー2着のタワーウォーク(後にナンソープS・アベイドロンシャン賞を勝っている)、ハンガーフォードS・グッドウッドマイルの勝ち馬で英2000ギニー3着のジミーレッピン、翌年の英チャンピオンSでニジンスキーに黒星をつけることになるジャンプラ賞・ジュライSの勝ち馬でモルニ賞2着・ロベールパパン賞3着のロレンザッチオなどの強豪が参戦。本馬は単勝オッズ21倍(資料によっては単勝オッズ11倍となっている)の低評価であったが、豪州出身のロン・ハッチンソン騎手の手綱捌きで、残り1ハロン地点で先頭に立つと、2着ジミーレッピンに1馬身半差、3着タワーウォークにはさらに2馬身差をつけて勝利した。このレースにおける本馬の斤量は109ポンドで、他の有力馬勢より軽かった(古馬ジミーレッピンは128ポンド、3歳馬タワーウォークは113ポンド)が、それを差し引いても本馬の勝ち方はとても強い印象を与えるものだったという。

その後はセントジェームズパレスS(T8F)に、レスター・ピゴット騎手騎乗で参戦した。ここではミドルパークS・英2000ギニー・愛2000ギニーを勝ってきたライトタック、コヴェントリーSの勝ち馬でデューハーストS3着のマレーフィールドとの対決となった。しかし湿った馬場状態で本領を発揮できなかった本馬は、勝ったライトタックから半馬身差の2着に敗退した。敗因はデビューから2か月で5戦目という過密日程や、走り辛い馬場状態だけでなく、ピゴット騎手の騎乗ぶりにもあったようで、彼は乱暴な騎乗が咎められて7日間の騎乗停止処分を受けている。それでも本馬の主戦はこのままピゴット騎手が務めることになった。

競走生活(3歳後半)

その後は2か月間の休養を経て、仏国に遠征して8月にドーヴィル競馬場で行われたクインシー賞(T1600m)に出走。レースは本馬が得意な堅い馬場で行われ、2着となったチェヴァリーパークSの勝ち馬ミゲに1馬身半差をつけて快勝した。

この勝利の後すぐに帰国して、クインシー賞の翌週にグッドウッド競馬場で行われたウィルズマイル(T8F)に出走した。コロネーションSの勝ち馬でチェヴァリーパークS2着のルーシーローウ、ロッキンジS2着後にサセックスS・セレクトSを勝っていたジミーレッピンなどが対戦相手となった。ここでも本馬の得意な堅良馬場となり、残り1ハロン地点から鋭く伸びて、2着ルーシーローウに半馬身差、3着ジミーレッピンにもさらに半馬身差をつけて勝利した。斤量面では本馬が118ポンド、3歳牝馬ルーシーローウが111ポンド、古馬ジミーレッピンが126ポンドであり、ロッキンジSの時に比べると斤量面の恩恵は小さかった。

その後は9月のクイーンエリザベスⅡ世Sに出走予定だったが、ウィルズマイルの直後から本馬の気弱な性格が顔を覗かせて、落ち着きを失ってしまったため、同競走は回避した。なお、本馬不在のクイーンエリザベスⅡ世S(本馬にとって得意な堅い馬場だった)はジミーレッピンが制している。ジミーレッピンはウィルズマイルで敗れた後は無敗のままだった。ちなみに、ウィルズマイルで2着だったルーシーローウも、その後はナッソーS・サンチャリオットSなど無敗のままであり、ウィルズマイルのレベルが如何に高かったかを物語っている。

本馬の現役最終戦として選ばれたのは、仏国競馬におけるマイル戦の最高峰レースである10月のムーランドロンシャン賞(T1600m)だった。対戦相手は、ライトタック、後にロッキンジS2回・クイーンアンS・クイーンエリザベスⅡ世Sなどを勝つダイオメドSの勝ち馬で英2000ギニー3着のウェルシュページェント、ロンポワン賞・エミリオトゥラティ賞の勝ち馬モンテビデオ、ボイズイーボーイ(後に日本に種牡馬として輸入されて、ジャパンC勝ち馬カツラギエースの父になる)などだった。レースの前夜である10月4日に、愛国エアリースタッドの所有者ティム・ロジャース氏が、このレースに勝ったら本馬の種牡馬権利を40万ポンド(約100万ドル)で売って欲しい旨をエンゲルハード・ジュニア氏に申し出て、エンゲルハード・ジュニア氏もこれを了承した。そしてピゴット騎手を鞍上に出走したレースでは、2着ボイズイーボーイに2馬身差をつけて完勝し、引退レースを有終の美で飾った。

この年の英年度代表馬の座は、凱旋門賞・アスコット金杯・カドラン賞を勝ったレヴモスのものとなったが、英タイムフォーム社のレーティングでは134ポンドの数値を獲得して、133ポンドのレヴモス、131ポンドのライトタックとジミーレッピンなどを抑えて、この年最高の評価を得ている。本馬は勝ったレースは全てマイル戦という生粋のマイラーだった。

血統

Sir Gaylord Turn-to Royal Charger Nearco Pharos
Nogara
Sun Princess Solario
Mumtaz Begum
Source Sucree Admiral Drake Craig an Eran
Plucky Liege
Lavendula  Pharos
Sweet Lavender
Somethingroyal Princequillo Prince Rose Rose Prince
Indolence
Cosquilla Papyrus
Quick Thought
Imperatrice Caruso Polymelian
Sweet Music
Cinquepace Brown Bud
Assignation
Little Hut Occupy Bull Dog Teddy Ajax
Rondeau
Plucky Liege Spearmint
Concertina
Miss Bunting Bunting Pennant
Frillery
Mirthful North Star
Dismiss
Savage Beauty Challenger Swynford John o'Gaunt
Canterbury Pilgrim
Sword Play Great Sport
Flash of Steel
Khara Kai-Sang The Finn
Kiluna
Decree Wrack
Royal Message

サーゲイロードは当馬の項を参照。

母リトルハットは米国競馬界の大御所アルフレッド・グウィン・ヴァンダービルトⅡ世氏の生産馬で、後にナコルズ兄弟の所有馬となった。競走馬としては55戦5勝の成績を残した頑健な馬だった。その頑健さを晩年になっても維持し続け、31歳の長寿を保った。繁殖牝馬としてもなかなか優秀であり、本馬の半姉ゲストルーム(父ヘイルトゥリーズン)【サンタパウラH】、種牡馬としても活躍した半弟ノースフィールズ(父ノーザンダンサー)【ルイジアナダービー・ホーソーンダービー】などを産んでいる。リトルハットの牝系子孫はなかなかの繁栄ぶりを見せており、本馬の半姉サマーハット(父サマータン)の子にアーキテクト【ホーソーンダービー(米GⅢ)・フェイエットS(米GⅢ)・ベンアリH(米GⅢ)】、孫に日本で走ったユートジェーン【新潟三歳S(GⅢ)】、曾孫にウエスタンプレイボーイ【ブルーグラスS(米GⅠ)】が、日本に繁殖牝馬として輸入された全姉ダブルドアの曾孫にタカヒロチャーム【ロジータ記念】が、半妹ロッジ(父ボールドラッド)の曾孫にスワーヴダンサー【凱旋門賞(仏GⅠ)・仏ダービー(仏GⅠ)・愛チャンピオンS(愛GⅠ)】、クライアンドキャッチミー【オークリーフS(米GⅠ)】と2012年のカルティエ賞最優秀2歳牝馬サーティファイ【フィリーズマイル(英GⅠ)】の姉妹、日本で走ったアロートゥスズカ【新潟記念】、玄孫世代以降にザヴィート【オークランドC(新GⅠ)・ランヴェットS(豪GⅠ)】などがいる。

リトルハットの半姉ミンクス(父ディスカヴァリー)は本邦輸入繁殖牝馬であり、その子には本馬の従兄弟であるヘキラク【皐月賞・安田賞・クモハタ記念】、孫にはメリーダンサー【京都大障害秋・東京障害特別春】がいる。リトルハットの母サベージビューティの全妹リトルスフィンクスの孫には1968年のケンタッキーダービーで1位入線するも薬物検査に引っ掛かって失格となった本邦輸入種牡馬ダンサーズイメージ【ウッドメモリアルS】、牝系子孫にはアンブライドルドベル【ベルデイムS(米GⅠ)】がいる。→牝系:F4号族⑤

母父オキュパイは、テディの後継種牡馬ブルドッグの産駒で、競走馬としては米国で走り62戦21勝。ベルモントフューチュリティS・ワシントンパークフューチュリティ・ジェロームH・オータムH・シュライナーズH・アーゴノートH・コーラルゲイブルズHなどを勝ち、1943年の米最優秀2歳牡馬にも選ばれている。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、ロジャース氏が結成した40万ポンド(1万ポンド×40株)の種牡馬シンジケートの所有のもと、愛国グランジウィリアムスタッドで種牡馬入りした。初年度の種付け料は2750ギニーと当時の一般的な価格と比べてかなり高額であったが、本馬はそれに恥じない種牡馬成績を挙げることになる。初年度産駒からクイーンメアリーSの勝ち馬ビッティーガールなどの活躍馬が出て、英愛の新種牡馬ランキング1位を獲得。その後も次々と活躍馬を送り出し、最終的には53頭のグループ及びグレード競走勝ち馬を出して、1985年には英首位種牡馬にも輝いた(同年の英愛首位種牡馬はクリス)。最終的な種付け料は8万ギニーに達しており、ロジャース氏に対して本馬を売って欲しいという申し出が米国の馬産家達から相次いだが、ロジャース氏はそれを最後まで拒否し続けた。1987年6月に、前年秋から患っていた蹄葉炎が悪化したために、21歳で安楽死の措置が執られた。

1973・74・75・79年の4度に渡り英愛2歳首位種牡馬に輝いているように、産駒の傾向としては早熟で短距離~マイルを得意とする馬が多いが、単なるスピード一辺倒ではなく、優秀な底力を有しており、距離を克服する子もいる(直系子孫のヤマニンゼファーの天皇賞秋における走りを思い出してみてほしい)。

日本では昭和50年代後半に、スティールハートを始めとする直子種牡馬が次々と輸入されて一大ブームを巻き起こした。しかしその影響なのか欧州では有力な後継種牡馬が登場せず、直系は衰退している。日本ではスティールハートからニホンピロウイナー、ヤマニンゼファーと直系が続いたが、これまた風前の灯となっており、おそらく本馬の直系は近い将来に国内外ともに姿を消すと思われる。しかし本馬は英愛母父首位種牡馬に1987・88・94・96年の4度(1988年の英愛母父首位種牡馬はブラッシンググルームとする資料もある)輝くなど、繁殖牝馬の父としても非常に優秀で、現在でも本馬の血の影響力は健在である。母父としては、リファレンスポイントマーリングバラシアグランドロッジシャーミット、キングオブキングスなどを出している。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1971

Bitty Girl

クイーンメアリーS(英GⅡ)・モールコームS(英GⅢ)・ロウザーS(英GⅢ)

1971

Habat

ミドルパークS(英GⅠ)・ミルリーフS(英GⅡ)・ノーフォークS(英GⅢ)

1971

Rose Bed

クロエ賞(仏GⅢ)

1972

Hamada

サンドランガン賞(仏GⅢ)・ポルトマイヨ賞(仏GⅢ)

1972

Hot Spark

フライングチルダースS(英GⅠ)・パレスハウスS(英GⅢ)

1972

Rose Bowl

英チャンピオンS(英GⅠ)・クイーンエリザベスⅡ世S(英GⅡ)2回・ネルグウィンS(英GⅢ)

1972

Roussalka

コロネーションS(英GⅡ)・ナッソーS(英GⅡ)2回・チェリーヒントンS(英GⅢ)

1972

Steel Heart

ミドルパークS(英GⅠ)・ジムクラックS(英GⅡ)・デュークオブヨークS(英GⅢ)・ゴールデネパイチェ(独GⅢ)

1973

Diffusion

アランベール賞(仏GⅢ)

1973

Flying Water

英1000ギニー(英GⅠ)・ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)・英チャンピオンS(英GⅠ)・モーリスドギース賞(仏GⅡ)・ネルグウィンS(英GⅢ)

1973

Hittite Glory

フライングチルダースS(英GⅠ)・ミドルパークS(英GⅠ)

1973

Madang

グロシェーヌ賞(仏GⅢ)・メルトン賞(伊GⅢ)

1973

Petipa

モイグレアスタッドS(愛GⅢ)・グリーンランズS(愛GⅢ)

1974

Habitony

サンタアニタダービー(米GⅠ)・ノーフォークS(米GⅡ)・サニースロープS(米GⅢ)

1974

Tanfirion

メルトン賞(伊GⅡ)・ウンブリア賞(伊GⅢ)

1975

Double Form

キングズスタンドS(英GⅠ)・アベイドロンシャン賞(仏GⅠ)・スプリントC(英GⅡ)・テンプルS(英GⅢ)

1975

Heir Presumptive

ディーS(英GⅢ)

1975

Homing

クイーンエリザベスⅡ世S(英GⅡ)・ロンポワン賞(仏GⅢ)

1976

Sigy

アベイドロンシャン賞(仏GⅠ)・アランベール賞(仏GⅢ)・グロシェーヌ賞(仏GⅢ)

1976

Topsy

サンチャリオットS(英GⅡ)・フレッドダーリンS(英GⅢ)・アスタルテ賞(仏GⅢ)

1977

Dalsaan

ハンガーフォードS(英GⅢ)

1977

Hard Fought

プリンスオブウェールズS(英GⅡ)・ジャージーS(英GⅢ)・アールオブセフトンS(英GⅢ)・ゴードンリチャーズS(英GⅢ)

1977

Lord Seymour

ミルリーフS(英GⅡ)

1977

Sayyaf

セーネワーズ賞(仏GⅢ)

1977

Smokey Lady

愛フェニックスS(愛GⅠ)

1977

Suvero

エクリプス賞(仏GⅢ)

1978

Home on the Range

サンチャリオットS(英GⅡ)

1978

Lou Piguet

ジョンシェール賞(仏GⅢ)

1978

Marwell

チェヴァリーパークS(英GⅠ)・キングズスタンドS(英GⅠ)・ジュライC(英GⅠ)・アベイドロンシャン賞(仏GⅠ)・フライングチルダースS(英GⅡ)・モールコームS(英GⅢ)・フレッドダーリンS(英GⅢ)

1978

Royal Hobbit

グロシェーヌ賞(仏GⅢ)

1978

Sonoma

グロシェーヌ賞(仏GⅢ)

1978

Strigida

リブルスデールS(英GⅡ)

1979

Chalon

コロネーションS(英GⅡ)・ネルグウィンS(英GⅢ)・チャイルドS(英GⅢ)

1980

Ancestral

レイルウェイS(愛GⅢ)・サンディエゴH(米GⅢ)

1980

Habibti

ジュライC(英GⅠ)・アベイドロンシャン賞(仏GⅠ)・キングズスタンドS(英GⅠ)・ロウザーS(英GⅡ)・モイグレアスタッドS(愛GⅡ)・スプリントCS(英GⅡ)・スプリントC(英GⅡ)

1980

Massorah

オメノーニ賞(伊GⅢ)

1980

Muscatite

クレイヴンS(英GⅢ)

1980

Tatibah

ジョエルS(英GⅢ)

1981

Brocade

フォレ賞(仏GⅠ)・チャレンジS(英GⅢ)

1981

One Way Street

プリンセスロイヤルS(英GⅢ)

1982

Bassenthwaite

ミドルパークS(英GⅠ)

1982

Dafayna

アスコット1000ギニートライアルS(英GⅢ)・コーク&オラリーS(英GⅢ)

1983

Steinlen

BCマイル(米GⅠ)・アーリントンミリオンS(米GⅠ)・バーナードバルークH(米GⅠ)・ハリウッドパークターフH(米GⅠ)・イングルウッドH(米GⅡ)2回・エルリンコンH(米GⅡ)・シーザーズ国際H(米GⅡ)・プレミアH(米GⅢ)・サラトガバドワイザーBCH(米GⅢ)・ダリルズジョイH(米GⅢ)・キーンランドBCH(米GⅢ)

1983

Tarib

ウンブリア賞(伊GⅡ)

1984

Export Price

ボワ賞(仏GⅢ)・リゾランジ賞(仏GⅢ)

1984

Interval

モーリスドギース賞(仏GⅡ)

1985

Blue Note

モーリスドギース賞(仏GⅡ)・ポルトマイヨ賞(仏GⅢ)

1986

Distant Relative

サセックスS(英GⅠ)・ムーランドロンシャン賞(仏GⅠ)・愛国際S(愛GⅡ)・セレブレーションマイル(英GⅡ)・チャレンジS(英GⅡ)・ハンガーフォードS(英GⅢ)

1986

Heart of Arabia

リッチモンドS(英GⅡ)

1986

Life at the Top

カンデラブラS(英GⅢ)

1987

Welney

ミルリーフS(英GⅡ)

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