スティールハート
和名:スティールハート |
英名:Steel Heart |
1972年生 |
牡 |
黒鹿 |
父:ハビタット |
母:エイワン |
母父:アバーナント |
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日本の中央競馬における短距離路線拡張の時勢に乗ってニホンピロウイナーなどを出して種牡馬として成功を収めた超快速馬 |
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競走成績:2・3歳時に愛英独仏で走り通算成績12戦5勝2着2回 |
誕生からデビュー前まで
愛国キラーキンスタッドにおいて、ウィリアム・F・デビソン氏により生産された。幼少期から評判馬であり、1歳時のニューマーケットホーソーンセールにおいて7万1000ギニーという同セール2番目の高額で取引され、R・ティッコー氏の所有馬となり、愛国ダーモット・K・ウェルド調教師に預けられた。
競走生活(2歳時)
2歳時に地元愛国のフェニックスパーク競馬場で行われた芝5ハロンの未勝利戦でデビューしてあっさり勝ち上がると、英国に遠征してコヴェントリーS(英GⅡ・T6F)に出走。しかしこのレースではゴール前で不利を受けて、単勝オッズ117.1倍の超人気薄馬ホイップイットクィックの2馬身1/4差5着に終わった。次走のジムクラックS(英GⅡ・T6F)では名手レスター・ピゴット騎手を鞍上に迎え、ジュライSの勝ち馬オークションリングを1馬身半差の2着に破って楽勝した。
続くミドルパークS(英GⅠ・T6F)では単勝オッズ1.91倍の1番人気に支持された。そして2着ロイヤルマナクルの強襲を首差抑えて優勝した。続くデューハーストS(英GⅠ・T7F)では、英シャンペンSでホイップイットクィックを半馬身差2着に破ってきた3戦無敗のグランディとの対戦となった。本馬にとってはやや距離が長かったのか、グランディに6馬身離されてしまったが、何とか2着を確保した。2歳時の成績は5戦3勝だった。
競走生活(3歳時)
3歳初戦は5月の英2000ギニー(英GⅠ・T8F)となった。単勝オッズ4.5倍の1番人気に支持されていたグランディは同厩馬に顔を蹴られて鼻骨を骨折するというアクシデントの影響で本調子ではなく、混戦模様だった。結果は後にセントジェームズパレスS・サセックスSを勝利する名マイラーのボルコンスキーが単勝オッズ34倍の人気薄を覆して2着グランディに半馬身差で勝利を収め、本馬は何の見せ場も無く大差をつけられた14着と惨敗した。
この結果、本馬が進むべき道は短距離路線に絞られた。早速同月のデュークオブヨークS(英GⅢ・T6F)に出走した。単勝オッズ2.875倍の1番人気に支持されると、2歳年上の愛2000ギニー2着馬ミッドサマースターを1馬身差の2着に破って勝利した。翌6月に出たコーク&オラリーS(英GⅢ・T6F)では、ゴール前の大接戦で後れを取り、勝ったスウィングタイムから1馬身1/4差の4着に敗れた。次走ジュライC(英GⅠ・T6F)では、ロベールパパン賞・モーリスドギース賞の勝ち馬で後にジャックルマロワ賞・アベイドロンシャン賞・スプリントCなどを勝ちまくって欧州短距離女王の座に君臨する4歳牝馬リアンガに半馬身屈して2着に敗れた。続いて出走したスチュワーズC(英GⅢ・T6F)では、勝ったインポートから2馬身差の4着に敗れた。
続いて独国に遠征して、独国内の重要短距離戦であるゴールデネパイチェ(独GⅢ・T1200m)に出走。単勝オッズ1.4倍の1番人気に応えて、独ダービー馬タリムの全弟タリクを半馬身差の2着に退けて勝利した。続いて仏国に向かい、セーネワーズ賞(仏GⅢ・T1300m)に出走した。しかしジュライCで本馬から首差の3着だったグロシェーヌ賞の勝ち馬リアルティが勝利を収め、本馬は7着に敗退。このレースを最後に3歳時7戦2勝の成績で競走馬引退となった。本馬は5勝全てが6ハロン(又は1200m)のレースという典型的な短距離馬だった。
血統
Habitat | Sir Gaylord | Turn-to | Royal Charger | Nearco |
Sun Princess | ||||
Source Sucree | Admiral Drake | |||
Lavendula | ||||
Somethingroyal | Princequillo | Prince Rose | ||
Cosquilla | ||||
Imperatrice | Caruso | |||
Cinquepace | ||||
Little Hut | Occupy | Bull Dog | Teddy | |
Plucky Liege | ||||
Miss Bunting | Bunting | |||
Mirthful | ||||
Savage Beauty | Challenger | Swynford | ||
Sword Play | ||||
Khara | Kai-Sang | |||
Decree | ||||
A.1. | Abernant | Owen Tudor | Hyperion | Gainsborough |
Selene | ||||
Mary Tudor | Pharos | |||
Anna Bolena | ||||
Rustom Mahal | Rustom Pasha | Son-in-Law | ||
Cos | ||||
Mumtaz Mahal | The Tetrarch | |||
Lady Josephine | ||||
Asti Spumante | Dante | Nearco | Pharos | |
Nogara | ||||
Rosy Legend | Dark Legend | |||
Rosy Cheeks | ||||
Blanco | Blandford | Swynford | ||
Blanche | ||||
Snow Storm | Buchan | |||
Snow Maiden |
父ハビタットは当馬の項を参照。
母エーワンは現役時代5戦して未勝利に終わった馬だが、繁殖牝馬としては12頭の産駒のうち11頭が競走馬となり、うち9頭が勝ち上がるという優秀な成績を収めた。産駒の質も高く、本馬の半姉チリガール(父スカイマスター)【スターフィリーズS(英GⅢ)】、半妹アンプラ(父クラウンドプリンス)【チェリーヒントンS(英GⅢ)】、全妹スモーキーレディ【愛フェニックスS(愛GⅠ)】なども産んでいる。牝系子孫も発展しており、チリガールの子にチリバング【キングズスタンドS(英GⅡ)】が、本馬の全妹ハラパンシールの孫に日本で走ったファーストアロー【クラスターC(GⅢ)】、曾孫にテイエムアンコール【大阪杯(GⅡ)】が、アンプラの子にアンセストラル【レイルウェイS(愛GⅢ)・サンディエゴH(米GⅢ)】、孫にバツーフ【ロジャーズ金杯(愛GⅡ)・プリンスオブウェールズS(英GⅡ)】、ジェネラルモナッシュ【ロベールパパン賞(仏GⅡ)】、キングオブキングス【英2000ギニー(英GⅠ)・愛ナショナルS(愛GⅠ)】、玄孫にヴェイルオブヨーク【BCジュヴェナイル(米GⅠ)】がいる。
エーワンの半姉ヴァルテリナ(父ヴァトラー)の子にシュプリームソヴリン【ロッキンジS】が、半姉マデイラ(父コンバット)の子にザルコ【ニッカボッカーH】が、半姉イーゾラダスティ(父コートハーウェル)の子にフラスカティ【セントサイモンS(英GⅢ)】とジアドミラル【ヘンリーⅡ世S(英GⅢ)】がいる。米国顕彰馬セレナズソングも同じ牝系(エーワンの従姉妹の玄孫がセレナズソング)である。→牝系:F7号族①
母父アバーナントは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は愛国で種牡馬入りした。現地でもかなりの人気を博したが、種牡馬供用3年目の1978年に日本の下河辺牧場によって購入され、翌1979年から日本での種牡馬生活に入った。1978年当時はハビタット産駒が欧州短距離路線で猛威を振るっていた時期だったため、その後継種牡馬として本馬に対する欧州馬産界の期待は大きかった。そのため日本への売却交渉はかなりの難航を極めたらしく、シンジケート株主をしらみつぶしに説得しての購買だったという。それ故に日本でも本馬は当初から人気種牡馬であり、日本における供用初年度は70頭、2年目は72頭、3年目は65頭、4年目は66頭、5年目の1983年は68頭の繁殖牝馬を集めた。翌1984年に、中央競馬で競走番組の大幅改革が実施され、マイルチャンピオンシップの創設など短距離路線が以前より格段に整備された。日本における初年度産駒ニホンピロウイナーがその短距離路線で大活躍するなど、スピード豊富な産駒を多く出した本馬は短距離路線整備の恩恵を受けて、種牡馬として成功するに至った。種牡馬人気も安定しており、6年目は54頭、7年目は67頭、8年目は61頭、9年目は65頭、10年目も65頭、11年目は62頭、12年目は55頭、13年目は51頭、14年目は46頭、15年目は47頭の交配数だった。しかし16年目の1994年は17頭と交配して受胎したのが6頭と、受精率が急激に低下。同年7月に老衰のため浦河スタリオンセンターにおいて22歳で他界した。
全日本種牡馬ランキングはニホンピロウイナーが全盛期を迎えた1985年の13位が最高で、1984年の17位、1987年の19位、1989年の20位、1990年の19位を含めて5度のトップ20入りを果たした。本馬の産駒は日本において中央・地方・障害等を全て合計して1305勝を挙げたが、そのうち約70%が1400m以下の距離、80%以上が1600m以下の距離、90%以上が1800m以下の距離におけるものであり、障害競走を別にすると2000m以上の距離における勝ち鞍はほんの一握りだった。距離別の勝率等で見ても、1400m以下の距離では勝率約9%、連対率約17%、入着率約26%、着外率約74%だったのに対して、1500~1800mの距離では勝率約7%、連対率約14%、入着率約20%、着外率約80%であり、1800mを超える距離(障害を除く)では勝率約2%、連対率約11%、入着率約16%、着外率約84%と、距離が伸びるほどやはり成績が下がっている事が分かる。
後継種牡馬としてニホンピロウイナーが成功を収めたが、その代表産駒ヤマニンゼファーが種牡馬として失敗に終わったことと、欧州において本馬は活躍馬を出せなかったため、本馬の直系は現在では殆ど見られない。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1980 |
スティールアサ |
新潟三歳S |
1980 |
ニホンピロウイナー |
マイルCS(GⅠ)2回・安田記念(GⅠ)・スワンS(GⅡ)・マイラーズC(GⅡ)・京王杯スプリングC(GⅡ)・デイリー杯三歳S・きさらぎ賞・CBC賞・朝日チャレンジC(GⅢ) |
1980 |
ロックハート |
スプリンターズ賞(高崎) |
1981 |
ステールカツフジ |
北関東さつき賞(宇都宮) |
1982 |
ゴールデンボーイ |
秋の鞍(名古屋)・ダイヤモンド特別(名古屋) |
1982 |
コンサートマスター |
マイラーズC(GⅡ) |
1982 |
タカラスチール |
マイルCS(GⅠ)・クイーンC(GⅢ)・関屋記念(GⅢ) |
1985 |
シンクロトロン |
東京障害特別秋 |
1985 |
ラガーブラック |
シンザン記念(GⅢ) |
1986 |
ナルシスノワール |
スプリングS(GⅡ)・スワンS(GⅡ)・東京新聞杯(GⅢ) |
1988 |
ケイワンハート |
東京プリンセス賞(大井)・トゥインクルレディー賞(大井) |
1988 |
マリナデルレイ |
新潟皐月賞(三条)・若草賞(三条) |
1990 |
ヒノキヤソフィスト |
かもしか賞(宇都宮) |
1990 |
マザートウショウ |
函館三歳S(GⅢ)・テレビ東京賞三歳牝馬S(GⅢ)・クイーンC(GⅢ) |