ヴァイスリージェント

和名:ヴァイスリージェント

英名:Vice Regent

1967年生

栗毛

父:ノーザンダンサー

母:ヴィクトリアレジナ

母父:メネトリア

競走成績は全く振るわなかったが加国で13回も首位種牡馬を獲得し、父ノーザンダンサーから分岐した独自の系統を築く

競走成績:2~4歳時に加米で走り通算成績5戦2勝2着1回

誕生からデビュー前まで

ノーザンダンサーニジンスキーを世に送り出した加国の名馬産家エドワード・プランケット・テイラー氏により生産・所有された加国産馬である。1歳年上の全兄ヴァイスリーガルが1968年に2歳にして加年度代表馬に選出される大活躍を見せていた事から、テイラー氏はこの年の1歳馬のセリに出品する生産馬の一覧から本馬を除外(同世代のニジンスキーは除外されずに売りに出されている)し、自身のウインドウィールズファームの専属調教師だったゴードン・J・マッキャン師に預けた。

競走生活

こうした経緯から察するに本馬に掛けられた期待は非常に大きなものだったようだが、脚部不安を抱えていた影響で満足に競走に使うことは出来なかった。結局故障のため4歳時に競走馬を引退。競走成績は僅か5戦で、ウッドバイン競馬場で行われたダート7ハロンの未勝利戦と、ハイアリアパーク競馬場で行われたダート6ハロンの一般競走に勝ったのみで、ステークス競走の勝利は無かった。

血統

Northern Dancer Nearctic Nearco Pharos Phalaris
Scapa Flow
Nogara Havresac
Catnip
Lady Angela Hyperion Gainsborough
Selene
Sister Sarah Abbots Trace
Sarita
Natalma Native Dancer Polynesian Unbreakable
Black Polly
Geisha Discovery
Miyako
Almahmoud Mahmoud Blenheim
Mah Mahal
Arbitrator Peace Chance
Mother Goose 
Victoria Regina Menetrier Fair Copy Fairway Phalaris
Scapa Flow
Composure Buchan
Serenissima
La Melodie Gold Bridge Golden Boss
Flying Diadem
La Souriciere McKinley
La Panade
Victoriana Windfields Bunty Lawless Ladder
Mintwina
Nandi Stimulus
Golden Feast
Iribelle Osiris Papyrus
Most Beautiful
Belmona King James
Belmon

ノーザンダンサーは当馬の項を参照。

母ヴィクトリアレジーナは現役時代に加国で走り26戦8勝、プリンセスエリザベスS・ネッティーH(現EPテイラーS)を勝っている。繁殖牝馬としては本馬の1歳年上の全兄ヴァイスリーガルも産んでいる。

ヴァイスリーガルはノーザンダンサーの初年度産駒では最も著名な馬で、2歳時にカップ&ソーサーS・コロネーションフューチュリティS・クラレンドンS・サマーS・コリンS・ヴァンダルS・ヴィクトリアSなど8戦全勝の成績を残し、加年度代表馬・加最優秀2歳牡馬に選ばれた。3歳時はケンタッキーダービーを目指したが、初戦で骨折して3着に敗れ、そのまま現役引退となった。引退後はウインドウィールズファームで種牡馬入りして1976~78年の加首位種牡馬に輝いたが、その前の9歳時に仏国に輸出され、その後は独国を経て13歳時に日本にやって来た。日本では阪神三歳Sを勝ったゴールドシチーなどを出したが、それほど成功したとは言えなかった。

ヴィクトリアレジーナの1歳年上の半兄ヴィクトリアパーク(父チョップチョップ)はクイーンズプレート・カップ&ソーサーS・コロネーションフューチュリティSの勝ち馬で、米国三冠競走第2戦プリークネスSでバリーエイクの2着して、1960年の加年度代表馬及び後の加国顕彰馬に選ばれた名馬。種牡馬としても活躍したが、それ以上に繁殖牝馬の父としての活躍が顕著であり、ノーザンテーストザミンストレルを送り出し、1977年の英愛母父首位種牡馬に輝いている。

また、ヴィクトリアレジーナの半妹ノーザンクイーン(父ニアークティック)はカナディアンオークスの勝ち馬で、その牝系子孫には2003年の地方競馬全国協会グランプリ最優秀短距離馬に選ばれたハタノアドニス【東京盃(GⅡ)】がいる。ヴィクトリアレジーナの母ヴィクトリアーナの半姉カナディアーナはクイーンズプレート・カップ&ソーサーS・プリンセスエリザベスS・コロネーションフューチュリティSといった加国の大競走に加えて、テストS・ヴェイグランシーHといった米国のステークス競走も勝ち、1952年の加年度代表馬及び後の加国顕彰馬に選ばれた加国の歴史的名牝。近親にはやはり加国顕彰馬であるウィルダネスソング【スピンスターS】の名前なども見られ、加国を代表する名門牝系である。→牝系:F10号族②

母父メネトリアは仏国の名馬産家フランソワ・デュプレ氏の所有馬として走り、イスパーン賞・フォレ賞・エドモンブラン賞・ジョンシェール賞2回・シュマンドフェルデュノール賞2回・セーネワーズ賞を勝ったマイラーだった。引退後にテイラー氏に購入されて加国で種牡馬入りしていた。メネトリアの父フェアコピーはフェアウェイ産駒で、ミドルパークS・ジョンポーターSの勝ち馬。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は加国ウインドウィールズファームで種牡馬入りした。当初はそれほど期待された種牡馬ではなかったらしいが、1978年に3年目産駒のリーガルエンブレスがクイーンズプレートを勝ち、同年には初年度産駒のクリスティーズマウントがソヴリン賞最優秀古馬牝馬に選ばれる活躍を見せた。その後も活躍馬を続出させ、最終的には60頭のステークスウイナーを送り出し、加首位種牡馬に13回輝く成功を収めた(日本における各種資料では1979年から89年まで11年連続11回の加首位種牡馬になったとしているものが大半だが、加国競馬名誉の殿堂博物館など海外の各種資料では上記のように記載されている。ただし具体的な首位種牡馬獲得年ははっきりしない)。

産駒は仕上がりが早い快速馬が多く、芝もダートも問わずに走った。また、決して加国のローカル種牡馬ではなく、7年目産駒のデピュティミニスターは1981年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬に選ばれ、さらには1997・98年と2度の北米首位種牡馬に輝く成功を収めている。1986年時点における種付け料は7万5千ドルに達した。1989年に加国競馬の殿堂入りを果たした。1995年に老衰のため28歳で他界し、遺体はウインドウィールズファームに埋葬された。1997年にウッドバイン競馬場において本馬を記念したヴァイスリージェントSが創設されている。

前述のデピュティミニスターが後継種牡馬として成功し、ノーザンダンサーの系統から独立したヴァイスリージェントの系統を確立している。母父としてはBCジュヴェナイル勝ち馬ボストンハーバー、ヴィクトリーギャロップキャプテンスティーヴなどを出している。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1975

Regal Embrace

クイーンズプレート

1978

Regent Miss

加オークス

1979

Deputy Minister

ローレルフューチュリティ(米GⅠ)・ヤングアメリカS(米GⅠ)・ドンH(米GⅡ)・トムフールS(米GⅡ)

1981

Bounding Away

加ブリーダーズS

1981

Park Regent

1982

Bessarabian

ガーデニアS(米GⅡ)

1982

Regal Remark

タンパベイダービー(米GⅢ)

1984

Hangin on a Star

加ブリーダーズS

1985

Regal Classic

加プリンスオブウェールズS・サマーS(加GⅢ)・グレイS(加GⅢ)・エクリプスH(加GⅢ)

1985

Regal Intention

クイーンズプレート・ニアークティックS(加GⅢ)

1987

Trumpet's Blare

アーリントンワシントンラッシーS(米GⅠ)

1988

Excellent Tipper

ボルティモアバドワイザーBCH(米GⅢ)・クリフハンガーH(米GⅢ)

1989

エイシンテネシー

京都金杯(GⅢ)

1990

Passing Vice

ベイメドウズオークス(米GⅢ)

1991

Investalot

ランパートH(米GⅡ)

1991

Twice the Vice

デルマーオークス(米GⅠ)・サンタマルガリータ招待H(米GⅠ)・アップルブロッサムH(米GⅠ)・ミレイディH(米GⅠ)・ヴァニティ招待H(米GⅠ)・ホーソーンH(米GⅡ)・リンダヴィスタBCH(米GⅢ)

1992

Native Regent

ジェネラスS(米GⅢ)

1994

Randy Regent

プレイザキングH(加GⅢ)

1995

Vice n'Friendly

ハイランダーS(加GⅡ)・オータムH(加GⅢ)

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