ザミンストレル

和名:ザミンストレル

英名:The Minstrel

1974年生

栗毛

父:ノーザンダンサー

母:フルール

母父:ヴィクトリアパーク

その闘争心を高く評価されたノーザンダンサー直子の英ダービー・愛ダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS優勝馬は種牡馬としても活躍

競走成績:2・3歳時に愛英で走り通算成績9戦7勝2着1回3着1回

誕生からデビュー前まで

ノーザンダンサーや叔父ニジンスキーと同じく、加国の天才馬産家エドワード・P・テイラー氏により、加国オンタリオ州ウインドフィールズファームにおいて生産された。体高16.3ハンドで雄大な馬格だったニジンスキーとは異なり、成長後の体高が15.2ハンドだったノーザンダンサーと同様に、小柄でずんぐりした体格だった。本馬の成長後の体高は15.75ハンドだったという。四脚は真っ白で体は美しい栗色、顔には大きな流星という目立つ容姿の持ち主だったが、四本脚全てが白い馬(四白と呼ばれる)は不吉であるとする迷信が古今東西に存在していたため、これを持ってアピールポイントとなる事は無かった。気性は温和であり、この点では、あまりの気性の激しさのため幼少期に去勢されかかったノーザンダンサーとも、非常に神経質な性格でヴィンセント・オブライエン調教師を悩ませたニジンスキーとも違っていた。

1歳7月のキーンランドセールに出品され、英国の馬主ロバート・サングスター氏の代理だった英ブラッドストックエージェンシー社の愛国支社により20万ドルで購入され、サングスター氏の所有馬となった。サッカーくじ運営会社であるヴァーノンズ・サッカー・プールズの代表者だった父のあとを継いだサングスター氏は、1960年代に友人の勧めで始めた競馬にのめり込み、そのうち自身でも馬を所有・生産するようになっていった。そして1971年には、既に愛国を代表する調教師として名を馳せていたヴィンセント・オブライエン調教師(前述のようにニジンスキーを手掛けたのも彼である)や、オブライエン師の娘婿で後にクールモアグループの総裁となるジョン・マグナー氏と出会い、3名共同による競馬事業を開始した。彼等の作戦は、サングスター氏の資金力とマグナー氏の相馬眼を活かして米国のキーンランドセールで優秀な馬を買い、それをオブライエン師が育成するというものだった。本馬が入厩した愛国バリードイルのオブライエン厩舎には、後に凱旋門賞を2連覇する名馬アレッジド、ニジンスキー産駒の期待馬ヴァリンスキー、後の名種牡馬ビーマイゲストなど、有力馬が綺羅星のごとくいた。

競走生活(2歳時)

本馬は2歳9月にカラー競馬場で行われたモイS(T6F)でトム・マーフィー騎手を鞍上にデビューして、2着ミシシッピに5馬身差をつけて圧勝した。次走のラークスパーS(愛GⅢ・T7F)では主戦となるレスター・ピゴット騎手と初コンビを組み、2着キャプテンジェームズに1馬身差で勝利した。渡英して出走した英国2歳王者決定戦デューハーストS(英GⅠ・T7F)では単勝オッズ2.2倍の1番人気に支持された。そして後方一気の末脚を見せて、叔父ニジンスキーに黒星を付けた凱旋門賞馬ササフラの息子サロスを4馬身差の2着に下すという圧勝劇を演じた。

2歳時は3戦全勝の成績で、英タイムフォーム社のレーティングでは130ポンドの評価を得て、ロベールパパン賞・モルニ賞・サラマンドル賞・仏グランクリテリウムと仏国2歳主要競走を完全制圧したブラッシンググルーム(131ポンド)に次ぐ2位(愛フェニックスSを勝った牝馬クルーンララ、リッチモンドS・英シャンペンSを勝ち仏グランクリテリウムで3着だったジェイオートービンと同値)にランクされた。

ただし英国競走馬のフリーハンデにおいては、トップのジェイオートービン(131ポンド)より8ポンドも低い123ポンドに過ぎず、この時点における本馬の評価はまだ一定していなかったようである。英国フリーハンデにおける低評価について、英タイムフォーム社のトニー・モリス氏は「通常の年であればデューハーストSは英国2歳王者決定戦として位置付けられるはずですが、どうもこの年はそういう評価はされなかったようです。ザミンストレルがこのような侮辱を受けた理由はよく分かりません。確かに彼は小柄であり、ニジンスキーほど見栄えは良くありませんが、距離不適かも知れない英ダービーはともかく、英2000ギニーでは本命になるべき馬だと思うのですが」と疑問を呈している。筆者もモリス氏のこの意見に概ね同感であるが、本馬の評価が低かったというよりも、ジェイオートービンの評価が高過ぎたようにも思われる(ジェイオートービンも移籍先の米国で三冠馬シアトルスルーに初黒星を付け、4歳時にはエクリプス賞最優秀短距離馬に選ばれたほどの馬であるから、実力馬であった事は間違いないのだが)。

競走生活(3歳時)

3歳時は4月にアスコット競馬場で行われた2000ギニートライアルS(英GⅢ・T7F)から始動した。レースは重馬場で行われたがそれを克服して、2着となったロイヤルロッジSの勝ち馬ゲイロックに1馬身半差、3着となったホーリスヒルSの勝ち馬フェアシーズンにはさらに5馬身差をつけて勝利した。ただし残り1ハロン地点で左側によれる場面があり、会心の勝利とは言い難い内容だった。

それでも次走の英2000ギニー(英GⅠ・T8F)では、単勝オッズ2.2倍の1番人気に支持された。ところがスタートで出遅れてしまい、馬群に取り付くのに脚を使う羽目になった。それがレース終盤になって影響したようで、ゴール前で失速。ジムクラックSの勝ち馬でミドルパークS2着のネビオロ、ミドルパークSの勝ち馬タキポウスの2頭に屈して、勝ったネビオロから2馬身差の3着に敗退してしまった。

続いて出走した愛2000ギニー(愛GⅠ・T8F)では、単勝オッズ2.75倍の1番人気に支持され、単勝オッズ4倍のネビオロと人気を分け合った。しかし結果は、愛ナショナルSの勝ち馬でロイヤルロッジS2着のパンパポールが勝利を収め、本馬は短頭差の2着、ネビオロはさらに1馬身差の3着と共倒れになってしまった。ちなみに、ネビオロとパンパポール両馬の父は当時既に日本に輸入されていたイエローゴッドである。

英2000ギニーと愛2000ギニーの敗戦に落ち込むサングスター氏とオブライエン師に対して、ピゴット騎手は慰めるようにこう言った。「ザミンストレルが(英)ダービーに出走するなら、私は彼に乗りましょう。」ピゴット騎手の発言は、本馬はマイラーであって英ダービーの12ハロンではスタミナが保たないという世間一般の考え方と反するものだったが、彼の発言で気を取り直したオブライエン師は、ヴァリンスキーやビーマイゲストと共に本馬を英ダービーに送り込む事に決定した。

そして迎えた英ダービー(英GⅠ・T12F)では、前述の仏国主要2歳戦に加えて仏2000ギニーなど破竹の7連勝中だった仏国調教馬ブラッシンググルームが単勝オッズ3.25倍の1番人気に支持され、本馬は単勝オッズ6倍の2番人気だった。他の出走馬は、ネビオロ、パンパポール、ダンテSを5馬身差で圧勝してきたニジンスキー産駒のラッキーソブリン、チェスターヴァーズを5馬身差で圧勝してきたホットグローヴ、ベルモントS・サンタアニタダービー・サンルイレイSと米国でGⅠ競走3勝を挙げたアバターの2歳年下の全弟であるモーンセイニュール、ロイヤルホイップSでアレッジドの2着だったヴァリンスキー、ブルーリバンドトライアルSの勝ち馬でニジンスキーS2着のビーマイゲスト、ディーSを勝ってきたロイヤルプルーム、リングフィールドダービートライアルSを勝ってきたカポレロ、テトラークSの勝ち馬ローディードウ、ボクスホールトライアルSの勝ち馬ミルヴァートン、ダンテSで2着してきたボードレール、サンダウンクラシックトライアルS2着・リングフィールドダービートライアルS3着のナイトビフォア、ゲイロックなどであり、この年の欧州競馬における有力3歳牡馬の多く(アレッジドを除く)が集結していた。

スタートが切られると人気薄のミリオンダラーマンを先頭に馬群が一団となり、本馬はその馬群の好位につけた。そしてタッテナムコーナーで位置取りを上げて、ミリオンダラーマン、ホットグローヴに続く3番手で直線を向いた。ミリオンダラーマンはすぐに失速し、外側に持ち出したブラッシンググルームも内側によれるなどして伸び悩む中、ホットグローヴの手応えが良く、内埒沿いを走って粘り込みを図っていた。そこへ本馬が外側から追い上げてきて、前を行くホットグローヴに並びかけて叩き合いに持ち込んだ。2頭の一騎打ちはゴール前1ハロンの間続いたが、最後は本馬が前に出て首差で優勝した(ブラッシンググルームはさらに5馬身差の3着だった)。英国エリザベスⅡ世女王陛下の在位25周年記念として観戦していた英国王室の人々からはその闘争心を高く評価され、新聞には「ザミンストレルより優れたダービー馬はいても、これほど勇敢なダービー馬は滅多にいない」と書かれた。英ダービーの1週間前に本馬を100万ポンドで売ってほしいという申し出を断っていたサングスター氏は「私の競馬歴で一番素晴らしい瞬間です」と大喜びしたという。この勝利をきっかけにして、サングスター氏は欧州を代表する大馬主への道を歩み出す事になる。

次走の愛ダービー(愛GⅠ・T12F)では、英ダービー激走の反動が懸念されたが、英ダービー15着からの巻き返しを図るラッキーソブリン、次走のキングエドワードⅦ世Sを勝つクラシックエグザンプルくらいしか目立つ対戦相手はおらず、単勝オッズ2.1倍の1番人気に支持された。今回も馬群の好位を進んだ本馬だったが、一団となった馬群の外側を走らされたために、直線入り口で大きく外側に膨らむロスを蒙った。それでも残り2ハロン地点で外側から先頭に立つと、ゴール前で左側に大きくよれながらも、追い上げてきたラッキーソブリンを1馬身半差の2着に抑えて勝利を収め、1975年のグランディ以来2年ぶり史上5頭目となる英ダービー・愛ダービーのダブル制覇を果たした。

エリザベスⅡ世女王陛下の在位25周年記念式典と同日に行われたキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS(英GⅠ・T12F)では、パリ大賞・ロワイヤルオーク賞・コロネーションC・サンクルー大賞とGⅠ競走4勝を挙げていたエクセラー、仏ダービー馬でリュパン賞2着のクリスタルパレス、前年の凱旋門賞でイヴァンジカの2着していた前年の英セントレジャー・ユジェーヌアダム賞の勝ち馬クロウ、前年の同競走でポーニーズの2着していた英セントレジャー・ヨークシャーC・カンバーランドロッジSの勝ち馬ブルーニ、伊ダービー・ジョッキークラブS・ハードウィックSの勝ち馬で前年の同競走3着のオレンジベイなどを抑えて、単勝オッズ3.25倍の1番人気に支持された。このレースも馬群が一団となって進み、本馬はその中でやや後方の位置取りだった。直線に入ると、道中は3番手を走っていたオレンジベイが残り2ハロン地点で抜け出して先頭に立ち、そのまま後続との差を広げにかかった。しかし直線入り口で7番手だった本馬が外側から追い上げてきて、残り1ハロン地点で内側のオレンジベイに馬体を寄せて叩き合いに持ち込んだ。初めてのブリンカーを装着して臨んでいたオレンジベイが驚異的な粘りを見せたため、壮絶な競り合いとなったが、最後は本馬が短頭差で優勝し、1975年のグランディ以来2年ぶり史上3頭目の“High Summer Treble”を達成した。

このレース後の8月に、本馬の所有権の半分が生産者のテイラー氏によって450万ドルで購入され、総額900万ドルという巨額の種牡馬シンジケートが組まれた。この後は、凱旋門賞を経て米国のワシントンDC国際Sに遠征する計画だった。しかしちょうどこの時期に、欧州で馬伝染性子宮炎が流行していた。これはこの年に英国と愛国で初めて確認された比較的新しい細菌感染症であり、種牡馬が感染しても特に症状は出ず保菌馬となるだけだが、繁殖牝馬が感染すると子宮内膜炎を起こし、不受胎・早期発情・流産を繰り返すようになる。治療は可能であるが、予防用のワクチンが無い(現在も実用化されていない)ため、感染拡大防止には保菌馬との交配を避けるしかない。この馬伝染性子宮炎流行の影響で欧州馬の渡米禁止措置が講じられることが決定し、既に巨額の種牡馬シンジケートが組まれて米国で種牡馬入りすることが決まっていた本馬は渡米禁止措置の発動前に米国に渡る必要が生じたため、そのまま3歳時6戦4勝の成績で競走馬引退となった。結局同僚アレッジドとの直接対決は1度も実現しなかったのは残念である。有効得票数37票中26票を集めて、この年の英年度代表馬に選出されている。

血統

Northern Dancer Nearctic Nearco Pharos Phalaris
Scapa Flow
Nogara Havresac
Catnip
Lady Angela Hyperion Gainsborough
Selene
Sister Sarah Abbots Trace
Sarita
Natalma Native Dancer Polynesian Unbreakable
Black Polly
Geisha Discovery
Miyako
Almahmoud Mahmoud Blenheim
Mah Mahal
Arbitrator Peace Chance
Mother Goose 
Fleur Victoria Park Chop Chop Flares Gallant Fox
Flambino
Sceptical Buchan
Clodagh
Victoriana Windfields Bunty Lawless
Nandi
Iribelle Osiris
Belmona
Flaming Page Bull Page Bull Lea Bull Dog
Rose Leaves
Our Page Blue Larkspur
Occult
Flaring Top Menow Pharamond
Alcibiades
Flaming Top Omaha
Firetop

ノーザンダンサーは当馬の項を参照。

母フルールは加国最大の競走クイーンズプレートを制した名牝フレーミングページの初子で、競走馬としては加国で走り22戦3勝だった。本馬の1歳年上の全兄にはファーノース【サンロマン賞(仏GⅢ)】がいる他、本馬の全妹ミッドサマーマジックの娘サマーミストレスやプレイリースカイが繁殖牝馬として日本に輸入されている(ただしこれらの馬達の牝系子孫から今のところ重賞勝ち馬は出ていない)。フルールの半弟には英国三冠馬ニジンスキー(父ノーザンダンサー)【英2000ギニー・英ダービー・愛ダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・デューハーストS・英セントレジャー・レイルウェイS・アングルシーS・ベレスフォードS・グラッドネスS】、本邦輸入種牡馬ミンスキー(父ノーザンダンサー)【レイルウェイS・ベレスフォードS・グラッドネスS(愛GⅢ)】の2頭がいる。本馬とニジンスキーの血統構成は3/4が同じであるが、2頭は外見的にまったく似ていないと各方面で書かれている。

フレーミングページの半姉グリームの孫には本邦輸入種牡馬ロイヤルスキー【ローレルフューチュリティ(米GⅠ)】、曾孫には本邦輸入種牡馬アレミロード【オイロパ賞(独GⅠ)・オークツリー招待H(米GⅠ)】が、フレーミングページの半妹メリーアンドブライトの曾孫にはシュバルヴォラント【ハリウッドスターレットS(米GⅠ)・ラスヴァージネスS(米GⅠ)】、玄孫世代以降には、ラハン【英1000ギニー(英GⅠ)】、マイミスオレーリア【BCジュヴェナイルフィリーズ(米GⅠ)・フリゼットS(米GⅠ)・コティリオンS(米GⅠ)】が、フレーミングページの半妹フレンドリーリレーションズの孫には本邦輸入種牡馬モーニングフローリック【カナディアンターフH(米GⅢ)】、ベルゼヴィール【グッドウッドH(豪GⅠ)】、曾孫には日本で走ったスーパーホーネット【スワンS(GⅡ)・京王杯スプリングC(GⅡ)・毎日王冠(GⅡ)・マイラーズC(GⅡ)】がいる。ミンスキー、ロイヤルスキー、アレミロード、モーニングフローリックなど、日本で種牡馬として実績を上げた馬の名が多く見られる牝系である。→牝系:F8号族②

母父ヴィクトリアパークは加国調教馬だが、2歳時から積極的に米国に遠征。2歳時はレムセンS・コロネーションフューチュリティなどを勝って加最優秀2歳牡馬に選出。3歳時には、加国最大の競走クイーンズプレートを勝ち、ケンタッキーダービーで3着、プリークネスSで2着と健闘し、加年度代表馬・最優秀3歳牡馬に選出された。通算成績は19戦10勝。種牡馬としては加国の活躍馬を多く出したが、それ以上に繁殖牝馬の父としての活躍が有名で、本馬の他に日本の大種牡馬ノーザンテーストを出している。本馬とノーザンテーストの父と母父の組み合わせは同じである。

ヴィクトリアパークの父チョップチョップは現役成績11戦4勝、エンパイアシティHでプリンスキロを破ってレコード勝ちしたのが目立つ程度の競走馬だったが、種牡馬としては加国で大成功し、加首位種牡馬に7回輝いた。チョップチョップの父フレアズは米国三冠馬ギャラントフォックスの直子で、同じく米国三冠馬となったオマハの全弟に当たる。現役時代は兄オマハが果たせなかった欧州の大レース制覇を目指して早い時期に渡英し、英チャンピオンS・アスコット金杯・プリンセスオブウェールズSを制して兄の無念を晴らした。種牡馬としては兄同様ジャージー規則に抵触したため米国に戻ったが、あまり成功しなかった。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はブラッシンググルームと一緒の船便で渡米し、生産者テイラー氏が所有するウインドフィールズファームの米国メリーランド支場で種牡馬入りした。初年度の種付け料は5万ドルに設定され、2年後の1980年にはノーザンダンサーバブルの影響もあって18万5千ドルまで高騰した。種牡馬としては58頭のステークスウイナーを出し、1986年の英愛2歳首位種牡馬となるなど、なかなか優秀な成績を収めたのだが、同じノーザンダンサー産駒にはニジンスキーを筆頭に本馬以上に活躍した大物種牡馬が多数いたため、それほど目立たなかった。

日本では、本馬の産駒は勝負根性が無いだの軽快さに欠けるだの色々と酷評されている(競走馬育成シミュレーションゲーム「ダービースタリオン」シリーズでも本馬のインブリード効果は底力ダウンである)ようだが、本当に勝負根性が無いような馬は競走馬になれないか未勝利に終わるかのいずれかであると思っている筆者に言わせると、種牡馬として一定の成功を収めた本馬をつかまえて勝負根性を産駒に伝えないと酷評するのは的外れもいいところである。1979年に加国競馬の殿堂入りを果たした。1988年に米国ケンタッキー州オーバーブルックファームに移動した。父ノーザンダンサーが他界する2か月前の1990年9月に、蹄葉炎・悪性腸炎の併発により16歳で他界し、遺体はオーバーブルックファームに埋葬された。

パレスミュージックから米国の歴史的名馬シガーが登場し、本馬の直系を繋ぐかと思われたが、シガーは無精子症のため種牡馬になれなかった。他の後継種牡馬もあまり成功しておらず、本馬の直系は衰退傾向にある。母父としてはザフォニックとザミンダールの兄弟や、BCターフ勝ち馬シロッコなどを出している。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1979

Chem

エスペランス賞(仏GⅢ)

1979

Crusader Castle

伊セントレジャー(伊GⅡ)

1979

Longleat

バリーオーガンS(愛GⅢ)

1979

Peterhof

フライングチルダースS(英GⅡ)

1979

Sharp Singer

ギシュ賞(仏GⅢ)

1980

Fields of Spring

ヘルプスト牝馬賞(独GⅢ)

1980

L'Emigrant

仏2000ギニー(仏GⅠ)・リュパン賞(仏GⅠ)・クリテリウムドメゾンラフィット(仏GⅡ)・ロシェット賞(仏GⅢ)

1980

Pluralisme

シェーヌ賞(仏GⅢ)・ギシュ賞(仏GⅢ)・シュマンドフェルデュノール賞(仏GⅢ)

1980

Shicklah

モエエシャンドンレネン(独GⅡ)

1980

Silverdip

アスコット1000ギニートライアルS(英GⅢ)

1981

Malaak

チェシャーオークス(英GⅢ)

1981

Palace Music

英チャンピオンS(英GⅠ)・ジョンヘンリーH(米GⅠ)・ベイメドウズH(米GⅡ)・ダフニ賞(仏GⅢ)・ラクープドメゾンラフィット(仏GⅢ)

1981

Treizieme

仏グランクリテリウム(仏GⅠ)・グロット賞(仏GⅢ)・プシシェ賞(仏GⅢ)

1981

Vers la Caisse

レニャーノ賞(伊GⅡ)・ヴァイオレットH(米GⅢ)

1982

Wassl Merbayeh

クイーンズヴァーズ(英GⅢ)

1983

Bakharoff

ウィリアムヒルフューチュリティS(英GⅠ)・ジェフリーフリアS(英GⅡ)

1983

High Competence

レニャーノ賞(伊GⅡ)

1983

Laser Lane

ニッカボッカーH(米GⅢ)

1983

Silver Voice

マンハッタンH(米GⅠ)

1984

Barn Five South

オメノーニ賞(伊GⅢ)

1984

Minstrella

愛フェニックスS(愛GⅠ)・モイグレアスタッドS(愛GⅠ)・チェヴァリーパークS(英GⅠ)

1984

Tertiary Zone

ローレンスリアライゼーションS(米GⅡ)

1985

Melodist

愛オークス(愛GⅠ)・伊オークス(伊GⅠ)

1985

Minstrel's Lassie

セリマS(米GⅠ)

1985

Silver Fling

アベイドロンシャン賞(仏GⅠ)・キングジョージS(英GⅢ)・パレスハウスS(英GⅢ)

1986

Musical Bliss

英1000ギニー(英GⅠ)・ロックフェルS(英GⅡ)

1986

Opening Verse

BCマイル(米GⅠ)・オークローンH(米GⅠ)・レイザーバックH(米GⅡ)・フォートハロッドS(米GⅢ)・ETターフクラシックS(米GⅢ)

1987

Parting Moment

伊セントレジャー(伊GⅢ)

1988

Chicarica

チェリーヒントンS(英GⅢ)

1988

Masterclass

クインシー賞(仏GⅢ)

1989

Musicale

ロックフェルS(英GⅡ)・チェリーヒントンS(英GⅢ)・プレステージS(英GⅢ)・フレッドダーリンS(英GⅢ)

1990

Jo Knows

カリフォルニアジョッキークラブH(米GⅢ)

1990

Savinio

カールトンFバークH(米GⅡ)・エルリンコンH(米GⅡ)・グッドウッドBCH(米GⅡ)・サンディエゴH(米GⅢ)

1990

True Hero

サンダウンクラシックトライアルS(英GⅢ)

1991

Theophanu

ドイツ牝馬賞(独GⅢ)

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