ビーマイゲスト

和名:ビーマイゲスト

英名:Be My Guest

1974年生

栗毛

父:ノーザンダンサー

母:ワットアトリート

母父:テューダーミンストレル

競走馬としては名マイラーとしての素質を発揮できないまま終わったが、種牡馬としては英愛首位種牡馬に輝く成功を収めた良血馬

競走成績:2・3歳時に愛英で走り通算成績7戦4勝2着1回

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州において、愛国の名門牧場モイグレアスタッドファームの所有者でもあったスイスの事業家ウォルター・ヘフナー氏によって生産された。父は大種牡馬ノーザンダンサー、母は米最優秀3歳牝馬ワットアトリートという超良血馬だった。1歳時のゴフズセールにおいて、12万7000ギニーという当時の欧州史上最高値で、ダイアナ・ゲスト・マニング夫人に購買された。マニング夫人は、英国の政治家フレデリック・エドワード・ゲスト氏を父に、米国の事業家ヘンリー・フィップス・ジュニア氏(米国の名馬産家であるオグデン・フィップス氏の祖父)の娘エイミー・フィップス夫人を母に持つ人物であり、米国競馬界の中核を担ったフィップス一族の親族だった。

2歳になった本馬は、愛国の名門ヴィンセント・オブライエン厩舎に入厩した。ちなみにこの年のオブライエン厩舎の2歳馬は大豊作で、本馬やザミンストレル、ヴァリンスキーといった期待馬のほか、当時は無名だった歴史的名馬アレッジドも入厩していた。

競走生活

2歳時はカラー競馬場で行われたプリンステンダーフットS(T6F)をデビュー戦として選んだが、8着に大敗。次走の芝6ハロンの未勝利戦で初勝利を挙げたが、2歳時はこの2戦のみで終えた。

3歳時は4月にエプソム競馬場で行われたブルーリバンドトライアルS(英GⅢ・T8F110Y)から始動した。そしてレスター・ピゴット騎手を鞍上に単勝オッズ3.25倍の高評価に応えて、前年のデューハーストS2着馬サロスを3馬身差の2着に下す完勝を収めた。これにより、デューハーストS・ラークスパーS・アスコット2000ギニートライアルSを勝っていた僚馬ザミンストレルに続く英国クラシック競走の有力候補となった。

翌週の英2000ギニーは見送り、英ダービーを目標として前哨戦のニジンスキーS(愛GⅡ・T10F)に出走した。ところが距離不安を露呈して、ベレスフォードSの勝ち馬でウィリアムヒルフューチュリティS3着のオーケストラの2馬身差2着に敗退してしまった(テトラークSの勝ち馬で愛ナショナルS3着のローディードウが本馬から短頭差の3着だった)。

それでも英ダービー(英GⅠ・T12F)には出走した。しかし、ロベールパパン賞・モルニ賞・サラマンドル賞・仏グランクリテリウム・仏2000ギニーなど破竹の7連勝中だった仏国調教馬ブラッシンググルーム、英2000ギニー3着・愛2000ギニー2着のザミンストレル、ダンテSを5馬身差で圧勝してきたラッキーソブリン、英2000ギニー・ジムクラックSの勝ち馬ネビオロ、愛2000ギニー・愛ナショナルSの勝ち馬パンパポール、チェスターヴァーズを5馬身差で圧勝してきたホットグローヴ、ロイヤルホイップSでアレッジドの2着だったヴァリンスキー、ディーSを勝ってきたロイヤルプルーム、リングフィールドダービートライアルSを勝ってきたカポレロなど有力馬が目白押しであり、本馬は8番人気の低評価だった。そして結果もザミンストレルの11着と大敗を喫した。

その後はマイル戦線を進むことになり、8月にカラー競馬場でデズモンドS(愛GⅢ・T8F)に出走。前年のテトラークSを勝ちサセックスSで3着していた4歳馬ポーチャーズムーンを4馬身差の2着に破って圧勝した。2週間後にグッドウッド競馬場で出走したクリスタルマイル(英GⅡ・T8F)では単勝オッズ2.5倍の1番人気に応えて、2着となったセントジェームズパレスSの勝ち馬ドン(本邦輸入種牡馬ドンとは同名の別馬)に頭差、3着となったブリガディアジェラードS・クイーンアンSの勝ち馬でロッキンジS2着のジェラビーにはさらに3馬身差をつけて勝利した。

その後の欧州マイル路線のトップホースとしての活躍が期待されたが、直後に脚部不安を発症。結局マイラーとしての素質は未知数のまま、3歳時5戦3勝の成績で競走馬引退に追い込まれてしまった。

血統

Northern Dancer Nearctic Nearco Pharos Phalaris
Scapa Flow
Nogara Havresac
Catnip
Lady Angela Hyperion Gainsborough
Selene
Sister Sarah Abbots Trace
Sarita
Natalma Native Dancer Polynesian Unbreakable
Black Polly
Geisha Discovery
Miyako
Almahmoud Mahmoud Blenheim
Mah Mahal
Arbitrator Peace Chance
Mother Goose 
What a Treat Tudor Minstrel Owen Tudor Hyperion Gainsborough
Selene
Mary Tudor Pharos
Anna Bolena
Sansonnet Sansovino Swynford
Gondolette
Lady Juror Son-in-Law
Lady Josephine
Rare Treat Stymie Equestrian Equipoise
Frilette
Stop Watch On Watch
Sunset Gun
Rare Perfume Eight Thirty Pilate
Dinner Time
Fragrance Sir Gallahad
Rosebloom

ノーザンダンサーは当馬の項を参照。

母ワットアトリートはアラバマS・ガゼルH・ベルデイムS・プライオレスS・ブラックヘレンH・ミモザS・カムリーSなどを勝ち、マザーグースS・CCAオークスでも2着するなど30戦11勝の成績を挙げ、1965年の米最優秀3歳牝馬にも選ばれた名牝。本馬の半姉ベンダラ(父ネヴァーベンド)の子にアイダディリア【レディーズH(米GⅠ)】、ニキシカ【ラスパルマスH(米GⅡ)】、孫にヴィクトリースピーチ【ストラブS(米GⅠ)・ドワイヤーS(米GⅡ)・スワップスS(米GⅡ)】が、本馬の半姉トリートミーノブリー(父ヴェイグリーノーブル)の孫にメイクノーミステイク【ロイヤルホイップS(愛GⅡ)】が、本馬の半妹スタルシュカ(父シャム)の子にヴェールラケース【レニャーノ賞(伊GⅡ)・ヴァイオレットH(米GⅢ)】、ハイコンピタンス【レニャーノ賞(伊GⅡ)】がいる。

ワットアトリートの半妹エグゾテックトリート(父ヴェイグリーノーブル)の子には、本馬の従兄弟に当たるゴールデンフリース【英ダービー(英GⅠ)・バリモスS(愛GⅡ)・ニジンスキーS(愛GⅡ)】がおり、エグゾテックトリートの曾孫にはウェイヴァリング【サンタラリ賞(仏GⅠ)】とマンデーアン【クリテリウムドサンクルー(仏GⅠ)】の姉弟もいる。また、ワットアトリートの半弟リングトゥワイス(父ギャラントマン)はワイドナーH・スタイミーHの勝ち馬。

ワットアトリートの母レアトリートはレディーズH・フィレンツェH・ヴァインランドH勝ちなど101戦16勝の成績を挙げた活躍馬。レアトリートの半弟には1962年の米最優秀3歳牡馬ジャイプール【ベルモントS・トラヴァーズS・ホープフルS・カウディンS・ゴーサムS・ウィザーズS】がいるなど、近親には活躍馬が多数いる優秀な牝系である。母系をひたすら遡ると、名馬エクワポイズの父となったベルモントフューチュリティSの勝ち馬ペナントの母で、ベルモントSの勝ち馬スウィープの伯母でもあるロイヤルローズに行きつくことができる。→牝系:F8号族③

母父テューダーミンストレルは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、80万ポンドのシンジケートが組まれて、愛国クールモアスタッドで種牡馬入りした。種牡馬としては、不完全燃焼に終わった現役時代の鬱憤を晴らすかのような成功を収めた。初年度産駒から英ダービー・仏ダービー馬アサートや英1000ギニー馬オンザハウスなどを出して、僅か2世代の産駒で1982年の英愛首位種牡馬に輝いたのである。その後も活躍馬を出し続け、最終的には78頭のステークスウイナーを出した。自身はマイラーだったが、産駒はマイルから12ハロンの距離まで幅広くこなし、古馬になっても衰えなかった。2002年の繁殖シーズン終了後に種牡馬を引退し、2004年2月に老衰のためクールモアスタッドにおいて他界した。30歳という高齢だった。本馬の死に際して、クールモアスタッドの報道官リチャード・ヘンリー氏は「彼はクールモアスタッド建国の父の1頭でした」と追悼の弁を述べた。繁殖牝馬の父としてはGⅠ競走7連勝の欧州記録を樹立した歴史的名馬ロックオブジブラルタルや、2007年のワールド・サラブレッド・レースホース・ランキングで世界最高の評価を受けたマンデュロなど、90頭以上のステークスウイナーを出している。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1979

Anfield

レイルウェイS(愛GⅢ)・デズモンドS(愛GⅢ)

1979

Assert

仏ダービー(仏GⅠ)・愛ダービー(愛GⅠ)・ベンソン&ヘッジズ金杯(英GⅠ)・ジョーマクグラス記念S(愛GⅠ)・ベレスフォードS(愛GⅡ)・ガリニュールS(愛GⅡ)

1979

On the House

英1000ギニー(英GⅠ)・サセックスS(英GⅠ)

1979

What a Guest

ユジェーヌアダム賞(仏GⅡ)・ジョンシェール賞(仏GⅢ)

1980

Luth Enchantee

ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)・ムーランドロンシャン賞(仏GⅠ)・アスタルテ賞(仏GⅡ)

1980

Prego

ハンガーフォードS(英GⅢ)

1981

Free Guest

サンチャリオットS(英GⅡ)2回・ナッソーS(英GⅡ)・プリンセスロイヤルS(英GⅢ)

1982

Sojourn

ハニービーH(米GⅢ)

1983

Daarkom

エボアH

1983

Double Bed

ハイアリアターフCH(米GⅠ)・コートノルマンディ賞(仏GⅡ)

1983

Eve's Error

デュッセルドルフ大賞(独GⅡ)・エッティンゲンレネン(独GⅢ)

1984

Astronef

メルトン賞(伊GⅡ)・ゴールデネパイチェ(独GⅢ)2回

1984

Grand Chelem

ロシェット賞(仏GⅢ)

1984

Guest Performer

キヴトンパークS(英GⅢ)

1984

Invited Guest

フィリーズマイル(英GⅡ)・サンゴルゴーニオH(米GⅡ)・カンデラブラS(英GⅢ)・プシシェ賞(仏GⅢ)・ダリアH(米GⅢ)・ゴールデンポピーH(米GⅢ)

1984

Media Starguest

アールオブセフトンS(英GⅢ)

1984

Most Welcome

ロッキンジS(英GⅡ)・セレクトS(英GⅢ)

1985

Charmer

ジェフリーフリアS(英GⅡ)

1985

Intimate Guest

メイヒルS(英GⅢ)

1986

Be Exclusive

クロエ賞(仏GⅢ)

1987

Go and Go

ベルモントS(米GⅠ)・ローレルフューチュリティ(米GⅡ)

1990

Captains Guest

シザレウィッチH

1990

My Patriarch

ヘンリーⅡ世S(英GⅢ)

1990

Pelder

伊グランクリテリウム(伊GⅠ)・伊2000ギニー(伊GⅠ)・ガネー賞(仏GⅠ)

1991

Lady Lodger

ミスアメリカH(米GⅢ)

1992

Pentire

キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英GⅠ)・愛チャンピオンS(愛GⅠ)・キングエドワードⅦ世S(英GⅡ)・グレートヴォルティジュールS(英GⅡ)・サンダウンクラシックトライアルS(英GⅢ)

1992

Smart Guest

アングルシーS(愛GⅢ)

1992

Tryphosa

アラク賞(独GⅡ)

1992

Two O'Clock Jump

クインシー賞(仏GⅢ)

1994

Reunion

ネルグウィンS(英GⅢ)

1995

Nadour Al Bahr

フランクフルト春季3歳賞(独GⅢ)

1996

Salford Express

ダンテS(英GⅡ)

1996

Sweet Ludy

ハネムーンH(米GⅡ)・サンクレメンテH(米GⅡ)

1996

Valentine Waltz

仏1000ギニー(仏GⅠ)・ネルグウィンS(英GⅢ)

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