ロックオブジブラルタル
和名:ロックオブジブラルタル |
英名:Rock of Gibraltar |
1999年生 |
牡 |
鹿毛 |
父:デインヒル |
母:オフショアブーム |
母父:ビーマイゲスト |
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名馬ミルリーフの記録を更新する7連続GⅠ競走出走7連勝という欧州新記録を樹立した歴史的名マイラー |
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競走成績:2・3歳時に愛英仏米で走り通算成績13戦10勝2着2回 |
誕生からデビュー前まで
愛国クールモアスタッドにおいて、愛国の名伯楽エイダン・オブライエン調教師と彼の妻アン・マリー夫人、及びマリー夫人の父ジョー・クロウリー氏により生産された。本馬はクールモアグループの代表ジョン・マグナー氏の所有馬(例によって形式上の馬主はマグナー氏の妻スーザン夫人)となった。
競走生活(2歳時)
オブライエン厩舎の一員となった本馬は、2歳4月にカラー競馬場で行われた芝5ハロンの未勝利戦で、主戦となるマイケル・キネーン騎手を鞍上にデビューした。単勝オッズ2.1倍の1番人気に支持されると、6頭立ての4番手を進み、残り1ハロン地点で先頭に立って、先行して2着に粘った単勝オッズ3.5倍の2番人気馬サンドフォードパークに2馬身差で楽勝した。
それから2か月後には英国に向かってコヴェントリーS(英GⅢ・T6F)に出走した。未勝利ステークスを6馬身差で圧勝してきたメシャヒールが単勝オッズ3倍の1番人気、英オークスやフィリーズマイルなどを勝った名牝リームオブヴァースの息子ウェスタンヴァースが単勝オッズ3.75倍の2番人気で、本馬は3番人気ながらも単勝オッズは11倍と上位人気2頭からは離されていた。スタート後1ハロンほど走ったところで本馬は両側の馬から圧迫されて行き場を失い、最後方まで下がってしまった。残り2ハロン地点で内側を突いて加速してきたが、距離6ハロンの短距離戦で致命的な不利を受けてしまってはさすがに勝ち負けに絡むのは無理であり、勝ち馬から3馬身半差の6着に敗退。勝ったのは本馬の同厩馬でこの後にも何度か対戦する事になる単勝オッズ21倍の7番人気馬ランドシーアで、2着は単勝オッズ15倍の5番人気馬ファイアーブレイク(後に香港マイル・ミルリーフS・ゴドルフィンマイル2回などに勝利)、3着が翌月のジュライSを勝つメシャヒール、4着が後のスーパーレイティヴS・ソラリオS・グリーナムSの勝ち馬でレーシングポストトロフィー3着のレッドバックと、この年のコヴェントリーSは結構レベルが高かったから、不利を受けて負けた本馬の評価はそれほど下がらなかった。
地元に戻った本馬は前走から13日後のレイルウェイS(愛GⅢ・T6F)に出走した。前走の敗戦が度外視された本馬が単勝オッズ1.5倍という断然の1番人気に支持され、前走で本馬に先着したレッドバックが単勝オッズ5倍の2番人気、本馬と同厩の期待馬ホークウイング、未勝利戦を4馬身差で勝ってきた牝馬ダネレタ(後にデューハーストSの勝ち馬インテンスフォーカスの母となる)、モイグレアスタッドSの勝ち馬ビアンカネラの甥に当たるレッツトライイットの3頭が並んで単勝オッズ13倍の3番人気となった。スタートが切られると、本馬とダネレタの2頭が激しく先頭を争い、他馬勢は揃って前2頭を追いかけてきた。残り2ハロン地点で先頭の2頭が揃って仕掛けると、残り1ハロン半地点で抜け出したのは本馬のほうだった。そしてゴール前で追い上げてきた2着ホークウイングに2馬身差をつけて快勝した。
このレースからしばらく経ったとき、それまではマグナー氏の単独所有だった本馬の権利の半分が、とある人物に無償譲渡された。その「とある人物」とは、プレミアリーグの名門チームであるマンチェスターユナイテッドを率いてリーグ優勝を8度成し遂げた名将として知られる英国サッカー会の重鎮サー・アレックス・ファーガソン氏だった。ファーガソン氏が大の競馬好きだった事に加えて、マンチェスターユナイテッドの株主に名を連ねていたマグナー氏はファーガソン氏と懇意にしており、より両者の関係を深めるための決定だったようである。
本馬の次走は、正式にマグナー氏とファーガソン氏の共同所有馬となってから5日後のジムクラックS(英GⅡ・T6F)だった。このレースでは前走の未勝利ステークスで期待馬ドバイディスティネーションを2着に破って勝ち上がって来たヴァルデンブルクという馬が単勝オッズ2.625倍の1番人気に押し出され、本馬が単勝オッズ3.75倍の2番人気、次走のフライングチルダースSを勝つサダッドが単勝オッズ7倍の3番人気、リッチモンドSで2着してきたプリンスディジュールが単勝オッズ10倍の4番人気と続いていた。スタートが切られると本馬が先頭を伺い、ヴァルデンブルクは馬群の後方からの競馬と、上位人気2頭が対照的な位置取りとなった。残り2ハロン地点で完全に先頭に立って快調にゴールを目指す本馬とは異なり、ヴァルデンブルクには伸びが無く、代わりに後方から伸びてきた単勝オッズ34倍の最低人気馬ホチョイにも本馬を捕らえるだけの勢いは無かった。結局本馬が2着ホチョイに3馬身差をつけて完勝した。
次走の英シャンペンS(英GⅡ・T7F)では、本馬が単勝オッズ2.1倍の1番人気で、ヴァルデンブルクに敗れた後の未勝利ステークスを3馬身半差で勝ち上がって来たドバイディスティネーションが単勝オッズ4倍の2番人気、後に米国に移籍してローンスターダービー・ウエストヴァージニアダービーとGⅢ競走を2勝する同厩のアングルシーS2着馬ワイズマンズフェリー(エクリプス賞年度代表馬に2度選ばれた米国最強芝マイラーのワイズダンの父)と後のディーSの勝ち馬ソハイブが並んで単勝オッズ9倍の3番人気、ヴィンテージS3着馬レオズラッキーマンが単勝オッズ10倍の5番人気と、2強対決と目された。
レースでは本馬が先行して、ドバイディスティネーションは最後方待機策と、今回も人気の2頭が対照的な位置取りとなった。しかし残り2ハロン地点で内側に進路変更したドバイディスティネーションが猛然と追い上げてきて、逃げる本馬を残り半ハロン地点でかわして先頭を奪取。かわされた本馬にはドバイディスティネーションを差し返すほどの力は残っておらず、1馬身差の2着に敗退した。
もっともこのレースは本馬が凡走したというよりも、レーシングポスト誌をして“impressive”な勝ち方をしたと言わしめたドバイディスティネーションの走りが凄かったというべきであろう。ドバイディスティネーションがこのまま順調に進めば本馬にとって強敵となっていた事は想像に難くないが、ドバイディスティネーションは脚部不安を発症して長期休養に追い込まれてしまい、まともにレースに出られるようになったのは本馬が競走馬を引退した後の話であった。それでもドバイディスティネーションはGⅠ競走クイーンアンSを勝つなど、本馬を一敗地にまみれさせた馬として恥ずかしくない成績を挙げる事になる。
一方の本馬は、今度は仏国に向かい仏グランクリテリウム(仏GⅠ・T1400m)に出走。ロシェット賞2着馬ベルネビュー、英1000ギニー・マルセルブサック賞を勝ったシャダイードの息子イムティヤズ、アランベール賞の勝ち馬でボワ賞2着のドビーロード、本馬と同厩のシャージェハーンの4頭しか対戦相手がいなかった。本馬とシャージェハーンのカップリングが単勝オッズ1.8倍の1番人気に支持され、ベルネビューが単勝オッズ3.1倍の2番人気、イムティヤズが単勝オッズ4.7倍の3番人気、ドビーロードが単勝オッズ8.5倍の最低人気となった。
レースは不良馬場で行われたが、本馬は重馬場を苦にしなかった(レイルウェイSでは不良馬場を克服して勝っている)から、それも問題なかった。スタートが切られると本馬は絶好のスタートを切ったが、鞍上のキネーン騎手は本馬をあえて抑えて5頭立ての4番手を走らせた。そのままの態勢で直線に入ると、残り400m地点で仕掛けて残り300m地点では既に先頭。瞬く間に後続馬に5馬身ほどの差をつけてしまい、キネーン騎手は後方を幾度も振り返りながら本馬を完全な馬なりで走らせ続けた。そのため最後は着差が縮まったが、それでも2着ベルネビューに3馬身差をつけて楽勝した。レーシングポスト誌の資料ではこの勝ち方を“very impressive”と評価しており、筆者がこの表現を見たのは時系列的に、1992年のデューハーストSを勝ったザフォニック、1994年のレーシングポストトロフィーを勝ったケルティックスウィング、1997年のプリンスオブウェールズSを勝ったボスラシャムに次いで4度目である。
仏国2歳戦の最高峰競走を完勝した本馬の次走は、英国2歳戦の最高峰競走デューハーストS(英GⅠ・T7F)だった。対戦相手はエイコムSを勝ってきたカムフィー、本馬とは2度目の対戦となるランドシーア、タタソールSを勝ってきたウェアオアウェンなどだった。本馬が単勝オッズ1.67倍の1番人気に支持され、カムフィーが単勝オッズ6倍の2番人気、ランドシーアが単勝オッズ7.5倍の3番人気となった。
今回もキネーン騎手は本馬を抑え気味に走らせようとしたようだが、露骨に折り合いを欠いてしまい、馬群に入れて3番手で何とか落ち着かせていた。しかもさらに悪いことに残り2ハロン地点の勝負どころで進路を失ってしまい、その間に外側からランドシーアが先頭に立ってゴールを目指した。絶体絶命と思われたが、残り1ハロン地点で馬群から抜け出すと、ゴール前でランドシーアに並びかけ、叩き合いを短頭差で制して勝利した。
2歳時の成績は7戦5勝で、仏グランクリテリウム・デューハーストSの英仏最高峰2歳競走を含むグループ競走4勝を挙げており、例年であればカルティエ賞最優秀2歳牡馬に選ばれて当然の成績だった。しかしこの年は、愛フェニックスS・モルニ賞・ミドルパークS・BCジュヴェナイルと4か国で2歳GⅠ競走を制した7戦無敗のヨハネスブルグがいたため、本馬が最優秀2歳牡馬に選ばれる余地は無かった。ヨハネスブルグは結局本馬とは未対戦に終わるが、2歳時に戦っていたらいずれが勝っていただろうか。
競走生活(3歳時)
3歳時の初戦はいきなり英2000ギニー(英GⅠ・T8F)となった。対戦相手は、レイルウェイS2着後に愛フューチュリティS・愛ナショナルSを勝っていたホークウイング、クレイヴンSを快勝してきたキングオブハピネス、ジェベル賞など3戦無敗のマサラニ、ヴィンテージSの勝ち馬で愛ナショナルS2着のナヒーフ、デューハーストSで本馬から首差の3着と健闘していたテンダルカー、本馬とは3度目の対戦となる前哨戦グリーナムSの勝ち馬レッドバック、コヴェントリーS3着後にジュライSを勝ちモルニ賞で3着していたメシャヒール、モルニ賞とミドルパークSで共に2着だったロベールパパン賞の勝ち馬ジッピング、ジムクラックSで本馬の3着だったヨーロピアンフリーHの勝ち馬トワイライトブルース、サースククラシックトライアルを勝ってきたアラムラム、デューハーストSで4着だったウェアオアウェン、クレイヴンS3着馬スウィートバンド、ヴィンテージS2着馬ブラガディーノ、伊グランクリテリウムの勝ち馬で愛フューチュリティS2着・愛ナショナルS3着のショロコフ、ジムクラックSで本馬の2着だったホチョイ、ロイヤルロッジS3着馬パラソル、ホーリスヒルSなど4連勝中のラプスカリオンなどだった。この段階におけるオブライエン師の評価は本馬よりホークウイングのほうが上であり、英国三冠馬も夢ではないと言わしめていた。というわけで、ホークウイングが単勝オッズ2.5倍の1番人気に支持され、キングオブハピネスが単勝オッズ6.5倍、マサラニが単勝オッズ8倍と前哨戦を勝ってきた馬が2~3番人気となり、キネーン騎手が騎乗停止処分を受けていたためにジョニー・ムルタ騎手に乗り代わっていた本馬は単勝オッズ10倍の4番人気だった。
スタートが切られると一応はGⅠ競走の勝ち馬なのに単勝オッズ101倍の最低人気だったショロコフが逃げを打ち、本馬とホークウイングはいずれも中団につけた。もっとも、22頭立ての多頭数であり、しかも本馬とホークウイングの枠順は離れていたために、お互いにマークするような展開ではなかった。スタートしてからしばらくは各馬が3つの馬群に分かれていたが、レース中盤で真ん中の馬群が外側馬群に合流し、内側と外側の2つの馬群に分かれた。本馬がいたのは外側馬群で、ホークウイングがいたのは内側馬群だった。ショロコフが先頭を引っ張る外側馬群のほうが明らかにペースは速く、いつの間にか2つの馬群の前後の差は数馬身以上に広がっていた。そして残り1ハロン地点で本馬が先頭に立ち、そのままゴールを目指した。このまま本馬が押し切って勝つと思われたとき、内側馬群の中からホークウイングが飛び出してきて、凄まじい勢いで突進してきた。本馬が先頭に立った時点では本馬とホークウイングの差は10馬身近くあったのだが、その差がみるみるうちに縮まり、そして2頭がほとんど同時にゴールインした。写真判定の結果は本馬が2着ホークウイングに短頭差で勝利していたが、はっきり言ってレース内容的には本馬よりホークウイングのほうが上だった。
この後、陣営は本馬とホークウイングを使い分けることにしたようで、ホークウイングは英ダービーに向かわせ、本馬はマイル路線に進ませた。
次のレースとなった愛2000ギニー(愛GⅠ・T8F)では、レパーズタウン2000ギニートライアルS・テトラークSを連勝してきたセンチュリーシティ、デリンスタウンスタッドダービートライアルSで3着してきたサーベイヤー、レパーズタウン2000ギニートライアルS2着馬サイツオンゴールド、タタソールS・クレイヴンSで連続2着していたデラフランチェスカ、オペラハウスやカイフタラの従兄弟に当たるフォーリンアクセントなどが相手となったが、出走馬の質量共に前走の英2000ギニーとは比較にならないほど下がっていた。キネーン騎手が鞍上に復帰した本馬が単勝オッズ1.57倍の1番人気に支持され、センチュリーシティが単勝オッズ7倍の2番人気、サーベイヤーが単勝オッズ11倍の3番人気、フォーリンアクセントが単勝オッズ12倍の4番人気、サイツオンゴールドが単勝オッズ15倍の5番人気となった。
レースは単勝オッズ26倍の最低人気馬ノストラダムスが先頭を引っ張り、本馬は馬群の中団後方につけた。3番手の好位につけていたセンチュリーシティが残り2ハロン地点で先に先頭に立ったが、残り1ハロン地点で本馬が馬なりのままそれをかわした。後はそのまま最後まで馬なりで走り続けて、2着センチュリーシティに1馬身半差をつけて勝利。1992年のロドリゴデトリアーノ以来10年ぶり史上5頭目の英2000ギニー・愛2000ギニーのダブル制覇を成し遂げた。前走とは異なり内容的に全くの楽勝であり、英2000ギニー時点では今ひとつ上がらなかった評価はここから急上昇していった。
次走のセントジェームズパレスS(英GⅠ・T8F)では、前走の愛2000ギニーより対戦相手のレベルが少し上昇しており、デューハーストS2着後にクリテリウム国際でも2着して前走の仏2000ギニーを勝っていたランドシーア、フォンテーヌブロー賞の勝ち馬で仏2000ギニー3着のボウマン、伊2000ギニーと独2000ギニーを連勝してきたデュポン、英2000ギニーで6着だったアラムラム、同9着だったキングオブハピネス、同11着だったウェアオアウェンなどが出走してきた。本馬が単勝オッズ1.8倍の1番人気、ボウマンが単勝オッズ5倍の2番人気、ランドシーアが単勝オッズ7.5倍の3番人気、キングオブハピネスが単勝オッズ11倍の4番人気、デュポンが単勝オッズ15倍の5番人気となった。
スタートが切られると、本馬やランドシーアと同厩のサハラデザートがペースメーカー役として先頭に立った。ランドシーアは僚馬を見るように先行して、一方の本馬は後方2番手につけていた。残り1ハロン地点でランドシーアが一瞬だけ先頭に立ったが、残り2ハロン地点で満を持して仕掛けていた本馬が外側から瞬く間にランドシーアを抜き去り、1馬身3/4差をつけて勝利した。英2000ギニー・愛2000ギニーに加えてセントジェームズパレスSも勝ったのは、1969年のライトタック以来33年ぶり史上2頭目だった。
次走のサセックスS(英GⅠ・T8F)が、初の古馬相手のレースとなった。対戦相手4頭のうち強敵と言えたのは、前年のサセックスSと一昨年の英シャンペンS・ジュライSを勝った他にデューハーストS・セントジェームズパレスS・クイーンエリザベスⅡ世S・ドバイデューティーフリー・ロッキンジSと5度のGⅠ競走2着と仏2000ギニー1位入線失格があった不運の実力馬ノヴェル、セレブレーションマイル・クイーンアンSの勝ち馬で前年のサセックスS2着のノーエクスキューズニーデッドの2頭のみだった。他の出走馬2頭はペースメーカー役のサハラデザートと、この時点では無名に近かった翌年のサセックスSの勝ち馬リールバディだった。本馬が単勝オッズ1.62倍の1番人気に支持され、ノヴェルが単勝オッズ4倍の2番人気、ノーエクスキューズニーデッドが単勝オッズ6.5倍の3番人気、リールバディが単勝オッズ34倍の4番人気となった。
スタートが切られると前走に引き続いてサハラデザートが先頭に立ち、ノヴェルが3番手、本馬が後方2番手に陣取った。残り2ハロン地点で仕掛けたノヴェルは残り1ハロン地点で先頭に立つと必死にゴールを目指したが、残り2ハロン地点を過ぎてから仕掛けた本馬が残り半ハロン地点で一瞬にしてノヴェルを差し切り、2馬身差で勝利した。
これで本馬はGⅠ競走のみ連続出走して6連勝となったが、これは欧州競馬のタイ記録だった。本馬の前にこの記録を有していたのは、1971年から72年にかけて英ダービー・エクリプスS・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・凱旋門賞・ガネー賞・コロネーションCと6連勝していた歴史的名馬ミルリーフだった。
そして本馬はミルリーフの記録更新を目指して、ムーランドロンシャン賞(仏GⅠ・T1600m)に出走した。対戦相手は6頭と少なめ(そのうち1頭はペースメーカー役のサハラデザート)だったが、前年のBCフィリー&メアターフ・コロネーションS・サンドリンガム賞と前走のジャックルマロワ賞を勝ち仏1000ギニー・ジャックルマロワ賞・ムーランドロンシャン賞2着・イスパーン賞・プリンスオブウェールズS3着の実績もあった前年のカルティエ賞最優秀3歳牝馬及びエクリプス賞最優秀芝牝馬バンクスヒル、アルクール賞の勝ち馬でガネー賞2着のエグゼキュート、セントジェームズパレスSで6着だったボウマン、前年のファルマスS・ミュゲ賞を勝ち前年のジャックルマロワ賞で1位入線するも進路妨害で最下位に降着となっていたプラウドウイングス(社台グループの所有馬だったため今回の鞍上は武豊騎手だった)、フィリーズマイル・愛1000ギニー・プレステージSの勝ち馬ゴッサマーといった、なかなかの好メンバーが本馬の記録更新阻止のために参戦してきた。本馬とサハラデザートのカップリングが単勝オッズ1.6倍の1番人気、バンクスヒルが単勝オッズ3.4倍の2番人気、エグゼキュートが単勝オッズ15.6倍の3番人気、ボウマンが単勝オッズ16.5倍の4番人気、プラウドウイングスが単勝オッズ18.4倍の5番人気と、ほぼ本馬とバンクスヒルの一騎打ちムードだった。
スタートが切られるとサハラデザートが先頭に立ち、バンクスヒルは3番手、本馬はバンクスヒルを見るように5番手を進んだ。サハラデザートの逃げはペースメーカーとしての役割を超えており、後続馬に10馬身もの大差をつける大逃げとなった。そのために2番手のプラウドウイングスが事実上先頭に立っているような状態だった。残り400m地点でサハラデザートが失速するとプラウドウイングスが代わりに先頭に上がろうとしたが、そこへバンクスヒルがやって来て先頭を奪い、そのままゴールを目掛けて突き進んだ。一方の本馬は残り400m地点で外側に持ち出してスパートしており、残り100m地点で遂にバンクスヒルを捕らえると、半馬身差をつけて勝利。これで欧州新記録となる7連続GⅠ競走出走7連勝の偉業を達成した。
次走は常識的にはクイーンエリザベスⅡ世Sなのだが、このレースにはホークウイングが出走予定だったため本馬は回避した。本馬不在のクイーンエリザベスⅡ世Sは、セントジェームズパレスSで5着だったウェアオアウェンがホークウイングを2着に破って勝利した。
一方の本馬は渡米して、アーリントンパーク競馬場で行われるBCマイル(米GⅠ・T8F)に参戦した。対戦相手は、本馬より一足先に渡米してキーンランドターフマイルSを勝っていたランドシーア、アットマイル・サイテーションH・ファイアクラッカーBCHなど4連勝中のグッドジャーニー、パリ大賞・ターフクラシックS・マンハッタンH・アーリントンミリオンの勝ち馬でエディリードH2着・英ダービー・キーンランドターフマイルS3着のビートホロー、メトロポリタンH・フォアゴーH・ヴォスバーグSとGⅠ競走2着が3回あった良血馬アルデバラン、マンハッタンH・ベルモントBCH・ケルソBCH2回の勝ち馬で前年のBCマイル・この年のマンハッタンH2着・アーリントンミリオン3着のフォービドンアップル、ロンポワン賞・シュマンドフェルデュノール賞の勝ち馬でジャックルマロワ賞2着のドームドライヴァー、デズモンドS・愛メイトロンS・サンチャリオットSなど4連勝中のモイグレアスタッドS2着馬ドレストゥスリル、クリテリウムドメゾンラフィット・メイカーズマークマイルSの勝ち馬でシューメーカーBCマイルS・シャドウェルキーンランドターフマイルS2着のタッチオブザブルース、ジョンシェール賞の勝ち馬で仏2000ギニー・フォレ賞2着のメデシス、ケルソBCHを勝ってきたグリーンフィー、ナンソープS・スプリントC・グロシェーヌ賞・キングズスタンドS・ニアークティックHなどを勝っていた一昨年のカルティエ賞最優秀短距離馬ニュークリアーディベート、ハイアリアターフカップH・バーナードバルークH・コノートC・フォートローダーデールH・ニューハンプシャースウィープSの勝ち馬デルマーショウ、ジェロームH・ジャージーショアBCSの勝ち馬でキングズビショップS2着のボストンコモンだった。本馬が単勝オッズ1.8倍の1番人気に支持され、グッドジャーニーが単勝オッズ6.4倍の2番人気、ビートホローが単勝オッズ7.5倍の3番人気、ランドシーアが単勝オッズ15.3倍の4番人気、アルデバランが単勝オッズ15.9倍の5番人気となった。
スタートが切られると本馬は珍しく後手を踏み、そのまま後方からの競馬となった。レースは単勝オッズ70.1倍の最低人気馬ボストンコモンが先頭を引っ張り、グッドジャーニーが2番手、フォービドンアップルが3番手だった。本馬は向こう正面途中でもまだ最後方、三角入り口でも後方2番手であり、四角途中では馬群の外側に持ち出して直線勝負に賭ける様子だった。ところがここで予想外のアクシデントが発生。馬群の好位につけていたランドシーアが本馬の目の前で故障を発生して競走を中止。失速するランドシーアを本馬は辛うじて避けたが、ここで体勢を崩してしまった。それでも体勢を立て直して直線入り口9番手から猛然と追い込み、次々に他馬をかわしていった。しかし馬群の中団から先に抜け出していた単勝オッズ27倍の7番人気馬ドームドライヴァーだけに届かず、3/4馬身差の2着に敗退した。
管骨を骨折したランドシーアは予後不良となってしまい、オブライエン師にとって悪夢のような結果となった。しかし本馬の高い競走能力を改めて立証する内容ではあった。
その後は日本や香港のレースに参戦するプランもあったが、結局このBCマイルが現役最後のレースとなった。3歳時の成績は6戦5勝で、この年のカルティエ賞年度代表馬・最優秀3歳牡馬に選出された。
馬名に関して
馬名の「ジブラルタルの大岩」は、イベリア半島の南端ジブラルタルの岬を形成する石灰の巨岩である。地中海と大西洋を結ぶ要衝ジブラルタル海峡に面しているため、要塞としての価値が高く、過去に幾度もこの巨岩を巡って戦争が行われたが、いつも守備側が勝利したほど堅固だった。そのためにこの名前は「盤石な物」という意味でも使われている。欧州マイル路線で無敵を誇った本馬には相応しい名前である。
なお、本馬が何故この名前になったのかというと、母の名前オフショアブームからの連想である。オフショアブームの“Offshore”とは「ある国に拠点を有する企業が海外の別の場所にも本拠を持つ事」であるが、英国の海外領土であるジブラルタルは租税回避地としても悪名高く、数々の海外企業が拠点を有している地であり、文字通り「オフショアがブームになっている場所」だからである。そう考えると、本馬には相応しいと思われた馬名が途端に胡散臭くなってしまう気もする。
血統
デインヒル | Danzig | Northern Dancer | Nearctic | Nearco |
Lady Angela | ||||
Natalma | Native Dancer | |||
Almahmoud | ||||
Pas de Nom | Admiral's Voyage | Crafty Admiral | ||
Olympia Lou | ||||
Petitioner | Petition | |||
Steady Aim | ||||
Razyana | His Majesty | Ribot | Tenerani | |
Romanella | ||||
Flower Bowl | Alibhai | |||
Flower Bed | ||||
Spring Adieu | Buckpasser | Tom Fool | ||
Busanda | ||||
Natalma | Native Dancer | |||
Almahmoud | ||||
Offshore Boom | Be My Guest | Northern Dancer | Nearctic | Nearco |
Lady Angela | ||||
Natalma | Native Dancer | |||
Almahmoud | ||||
What a Treat | Tudor Minstrel | Owen Tudor | ||
Sansonnet | ||||
Rare Treat | Stymie | |||
Rare Perfume | ||||
Push a Button | Bold Lad | Bold Ruler | Nasrullah | |
Miss Disco | ||||
Barn Pride | Democratic | |||
Fair Alycia | ||||
River Lady | Prince John | Princequillo | ||
Not Afraid | ||||
Nile Lily | Roman | |||
Azalea |
父デインヒルは当馬の項を参照。
母オフショアブームは現役成績6戦1勝、愛ナショナルスタッドSで2着している。本馬以外に特筆できる産駒はいないが、本馬の全妹ルビーの子にはプレシャスジェム【愛国際S(愛GⅢ)】がいる。オフショアブームの母プッシュアボタンは名種牡馬リヴァーマン【仏2000ギニー(仏GⅠ)・イスパーン賞(仏GⅠ)・ジャンプラ賞(仏GⅡ)】の半妹である。近親には日本で安田記念を勝ったショウワモダンの名前なども見られ、一部の例外を除いてマイラー色が強い牝系である。→牝系:F10号族①
母父ビーマイゲストは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は、2003年から愛国クールモアスタッドで種牡馬入りした。また、クールモア種牡馬の例により初年度から豪州にもシャトルされ続けている。この2003年には父デインヒルが他界しており、本馬には後継種牡馬として大きな期待が掛けられた。2007年にはリース供用で来日し、日本軽種馬協会静内種馬場で供用され、147頭の繁殖牝馬を集めた。2014年5月には産駒のステークスウイナーが100頭を突破しており、数だけ見れば成功していると言えるが、GⅠ競走勝ち馬数はそれほど多くは無く、デインヒルの後継種牡馬としてはやや物足りない印象を受ける。
ところで、本馬が種牡馬入りする際には、マグナー氏とファーガソン氏の間で種牡馬としての所有権を巡る争いが勃発している。筆者が本馬に関する海外の資料を調べると、「マグナー氏とファーガソン氏の争いの火種になった馬」として紹介されている事が非常に多く、その経緯に関しては詳細に記載されていても、肝心の本馬の競走成績等に関する内容がおろそかにされているものばかりで、正直辟易してしまった。この件に関しては日本で出版された「競馬裏事件史」で競馬評論家の石川ワタル氏が書いているし、その内容は海外の資料と同程度以上に詳しいものでもあるので、興味がある人はそちらを読んでいただきたい。所詮は金持ち同士の欲に溢れた諍いに過ぎないし、そもそも本馬自身には無関係の外野で発生した事件である上に、本馬の種牡馬生活に直接大きな影響を与えたわけでもないので、筆者はこの件に関してあまり触れたくないのだが、全然書かないのかと言われるのも癪なので簡単には記載しておく。
レイルウェイSの時点ではマグナー氏の単独所有だった本馬の権利の半分がその後にファーガソン氏に無償譲渡されたのは前述したとおりだが、この「権利」が「競走馬としての権利」のみなのか、「種牡馬としての権利」も含むのかが曖昧だったのである。マグナー氏は前者を主張したが、ファーガソン氏は後者を主張。本馬の種牡馬価値は2億ポンド(2003年当時の為替レートで380億円)以上と言われるほどの高額であり、その種牡馬権利の半分であっても莫大な金額になるのだった。マグナー氏もファーガソン氏も歩み寄れるような金額ではなく、2003年1月に遂にファーガソン氏はダブリンの裁判所に訴え出た。そして両者による泥沼の法廷闘争が始まった。マグナー氏はマンチェスターユナイテッドの株式をさらに買い付けて発言権を増すことで、マンチェスターユナイテッド内におけるファーガソン氏の立場を揺るがした。そうしたマグナー氏の行為に反発するマンチェスターユナイテッドのサポーター達は、2003年3月のチェルトナムフェスティバル当日にチェルトナム競馬場に押しかけてデモ行為を行い、ファーガソン氏自らがデモを中断するよう声明を出すまで騒ぎ続けた。こうして、2004年3月に本馬の種付け権利の一部をマグナー氏がファーガソン氏に提供する事で和解が成立するまで、英国サッカー界も巻き込んだ大騒動が展開されたのである。
両者の争いは殆どの人から「醜い諍い」とみなされたようである。その当時マンチェスターユナイテッドの主将を務めていた名選手ロイ・モーリス・キーン氏も、元々はファーガソン氏が自分のチームに来るように電話勧誘した人物だったにも関わらず、後に出版した自叙伝でファーガソン氏を非難して、ファーガソン氏とキーン氏の争いに発展している。筆者が海外の資料を色々漁ると、この件でファーガソン氏を擁護する意見は見られなかった(マグナー氏を擁護する意見があったわけでもないが)。元々ファーガソン氏は本馬の権利の半分を無償で入手しているわけであるから、「ファーガソン氏は棚ぼたで得た利益をさらに追求した」と酷評されており、この件で彼の名誉は大きく傷ついたようである。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
2004 |
Book of Kells |
タロックS(豪GⅡ) |
2004 |
Diamondrella |
ジャストアゲームH(米GⅠ)・ファーストレディS(米GⅠ) |
2004 |
Eagle Mountain |
香港C(香GⅠ)・ベレスフォードS(愛GⅡ)・ロイヤルホイップS(愛GⅡ)・ジョエルS(英GⅢ) |
2004 |
Genuine Devotion |
ローカストグローヴH(米GⅢ) |
2004 |
La Rocket |
セントジョージS(豪GⅡ) |
2004 |
Mount Nelson |
クリテリウム国際(仏GⅠ)・エクリプスS(英GⅠ) |
2004 |
Pillar of Hercules |
ノーマンロビンソンS(豪GⅢ) |
2004 |
Seventh Rock |
ゴールドメダリオン(南GⅠ) |
2004 |
Sliding Cube |
サンドメニコS(豪GⅢ) |
2004 |
Theann |
サマーS(英GⅢ) |
2004 |
Utrecht |
クロエ賞(仏GⅢ) |
2004 |
Yellowstone |
ゴードンS(英GⅢ) |
2005 |
High Rock |
コンデ賞(仏GⅢ)・フォルス賞(仏GⅢ) |
2005 |
Kitty Matcham |
ロックフェルS(英GⅡ) |
2005 |
Rock Kingdom |
AJCエプソムH(豪GⅠ) |
2005 |
Rock Me Baby |
ライトフィンガーズS(豪GⅡ) |
2005 |
Rock of Rochelle |
ルネサンスS(愛GⅢ) |
2005 |
Starlish |
アンドレバボワン賞(仏GⅢ) |
2005 |
Sweeter Still |
セニョリータS(米GⅢ) |
2005 |
Three Rocks |
ミンストレスS(愛GⅢ) |
2005 |
Unilateral |
ファースオブクライドS(英GⅢ) |
2006 |
Tres Rock Danon |
オーリアンダーレネン(独GⅢ)2回 |
2006 |
Varenar |
フォレ賞(仏GⅠ) |
2007 |
Aslana |
オイロパグルッペレンネン(独GⅢ) |
2007 |
Blessed Luck |
ドルメロ賞(伊GⅢ) |
2007 |
Europa Point |
エンプレスクラブS(南GⅠ)・チャンピオンズチャレンジ(南GⅠ) |
2007 |
Gibraltar Blue |
KRAフィリーズギニー(南GⅡ)・イピトンベチャレンジ(南GⅡ) |
2007 |
Perana |
ヴィクトリームーンS(南GⅡ) |
2007 |
Sea of Heartbreak |
ロワイヤリュー賞(仏GⅡ) |
2007 |
Society Rock |
ゴールデンジュビリーS(英GⅠ)・スプリントC(英GⅠ)・デュークオブヨークS(英GⅡ) |
2008 |
Golden Archer |
HDFマクニールS(豪GⅢ) |
2008 |
Pampelonne |
ザショーツ(豪GⅡ) |
2008 |
エイシンオスマン |
ニュージーランドトロフィー(GⅡ) |
2009 |
Belle de Crecy |
ブランドフォードS(愛GⅡ) |
2009 |
Celtic Rock |
アンドレバボワン賞(仏GⅢ) |
2009 |
Cherry Danon |
ハンブルガー牝馬マイレ(独GⅢ) |
2009 |
Coral Wave |
ウェルドパークS(愛GⅢ) |
2009 |
Rockinante |
オータムS(英GⅢ) |
2009 |
Romantic Wave |
カルロダレッシオ賞(伊GⅢ) |
2009 |
Samitar |
愛1000ギニー(愛GⅠ)・ガーデンシティS(米GⅠ)・アルバニーS(英GⅢ) |
2009 |
Sofast |
ロシェット賞(仏GⅢ) |
2009 |
Spoil the Fun |
ピアッツァーレ賞(伊GⅢ) |
2010 |
Arcetri Pink |
ガウテングフィリーズS(南GⅡ)・イピトンベチャレンジ(南GⅡ)・南阿プリティポリーS(南GⅢ) |
2010 |
Ayaar |
ツークンフツレネン(独GⅢ) |
2010 |
Ebiyza |
ロワイヤリュー賞(仏GⅡ) |
2010 |
Rock of Romance |
伊セントレジャー(伊GⅢ) |
2011 |
Ajaxana |
独1000ギニー(独GⅡ) |
2011 |
Alboran Sea |
アランロバートソンフィリーズCS(南GⅠ)・ケープフライングCS(南GⅠ)・コンピュータフォームスプリント(南GⅠ) |
2011 |
Prince Gibraltar |
クリテリウムドサンクルー(仏GⅠ)・バーデン大賞(独GⅠ)・グレフュール賞(仏GⅡ) |
2011 |
Rich Girl |
ストレリチアS(南GⅢ) |
2011 |
Savanne |
ロワイヨモン賞(仏GⅢ) |
2012 |
Raydara |
デビュータントS(愛GⅡ) |